2003年4月26日〜5月3日 44〜64番 236km


4/26(土)初日(通算26日目)JR卯之町駅発 十夜ケ橋 34`

四国遍路の何がこんなに私をひきつけるのでしょう。そんな魅了するものは、これだと一言では答えられないけれど、なぜか惹かれます。見えないものに導かれるように、今年のゴールデンウィークは、どんな山行の誘いも断り、四国に来ました。その犠牲(?)になった夫も、仕方なし(?)に私と一緒に3日間だけ遍路することになったのでした。
今回は、43番明石寺のある卯之町から歩きます。ここまで乗ってきた夜行バスが来た道を、今度は歩いて戻るのですから、考えてみると全く変なことをするものです。さらに、国道やトンネルを歩けば早いのに、わざわざ時間がかかる大変な山道に入ったりするのですから、変わり者だと言われるのでしょうが、これが歩き遍路の特徴です。私は好んで遍路地図の赤い‘‘・・・・・・’’(遍路道はこのてんてんマーク)の遍路道を歩きます。
静かな鳥坂峠を通り、大洲に出て、12時半頃十夜ケ橋に着きました。参拝を済ませ橋の下に行くと、お大師様が何枚もお布団を掛けて横になっておられます。お布団に埋もれたお大師様の顔を覗き込みながら「お布団の数がスゴイネ」と振り向くと、夫は「うん、スゴイナーこの鯉」と横を流れる川を覗き込んでいます。まるで見るところが違ってがっかりしましたが、鯉が餌を貰おうと、びっくりするほどたくさん寄ってきていました。
コンビニで休憩していると、またひとりお遍路さんが通っていきます。歩き始めて数時間で5人もの遍路に出会いました。やはり春は遍路が多いのですね。お遍路さんを見送りながら、自分も今、楽しい旅をしていることを実感していました。
JR五十崎駅から内子に出る‘‘・・・・’’の遍路道に入ると、私を立ち止まらせる美しい景色になりました。この時期、田圃はレンゲで一面ピンクですが、ここはピンクに黄色の花が上手く混ざって、私の好きな色合いなのです。鳥のさえずり、そして新緑のさわやかな風に吹かれ、我を忘れてこの小道にたたずみました。この素朴で美しい景色に抱かれながら、きっと一番いい時期に、この道を歩いているのだと思いました。やっぱり国道志向ではこうはいきません。
初日から歩き遍路の醍醐味をあじわい、今日のお宿がある内子に着きました。ここは情緒のある古い町並みです。遍路道から少し離れた保存地区まで足をのばしました。教えられたとおり行くと、連子格子のある民家や、なまこ壁に囲まれた家並みが現れました。戸を閉じれば雨戸、開ければ広縁になる構造は実に機能的です。ずっと坂をのぼっていくと、道に座っていたおじさんが家のお庭を見せてくれるといいます。遠慮無しに、ずっと裏まで続く通り庭を通って見せてもらいました。表に出てからわかったのですが、ここは中芳我邸で、さらに本芳我邸・上芳我邸と、どれも立派で当時の富を感じました。
夕暮れの古い町並みを歩きながら、歩き遍路の初日が過ぎていきました。

4/27(日)2日目(27日目)新町荘旅館発 ひわた峠 35`

今日は下坂場峠・ひわた峠を越えるという、私にしては不安な難関コースです。21番太龍寺から23番薬王寺に向かうときの不安な気持が思い出されます。あの時は足がもつれるほど疲れたけれど、今回はどうでしょう。久万に出るまで宿がないので、歩くしかありません。
ずっと川に沿って歩いていくと、ノーベル文学賞受賞者の大江健三郎氏の故郷である大瀬に出ました。新緑の山に囲まれたのどかな村です。橋の上で大きく伸びをしながら、自分の体がどんどん浄化されていくのを感じます。ずっと変わらず残ったこの谷間の村は、心にしみる風景です。歩きながら「幾山河越えさりゆかば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅行く」突然この歌を思い出しました。あぁ、私もこの山を越えて行くのかと思うと何か感傷的になったのです。まさに私は旅人の気持でした。
さらにどんどん川沿いに歩いていくと、こんな山奥なのに人が多くなって、車もよく通るようになってきました。スッタフらしき人に尋ねたら、筏下りまつりだといいます。千人宿記念大師堂を過ぎたあたりは一番のビュースポットらしく、どこから集まったのかすごい人出です。地元のお祭りが通りすがりで見られるとは、この運のよさに驚きました。そういえば先ほど休憩したとき、村の一斉アナウンスで何やら案内していましたが、谷間の村のアナウンスは声が反響してよくわからなかったのです。このことだったのだとようやくわかりました。小さい子どもからお年寄りまで、みんな嬉しそうです。もちろん私もです。「お遍路さん、ここからよく見えますよ」と声をかけて頂き、いくつも連なった筏が下っていくのを見ました。偶然とはいえ、こんな山奥のお祭りに私がいる不思議を感じたのでした。

突合につくとお大師様がお祀りしてあり、ここまで歩いてこられたお礼と、この先の無事をお願いしました。その横のベンチに腰掛けさせてもらい途中で買ったカステラ食べました。ベンチから立ち上がるとき、夫はベンチになのか、お大師様になのか「休憩させてもらってありがとうございました」と言っていました。私達は本当に心からそう思ったのでした。
突合から左の道を行きました。ちょうど自販機に車で乗りつけた男性が「お遍路さんお接待します。お好きな物を選んでください」。冷たいジュースを押し頂きました。三味線をひき瞽女唄を歌う月岡さんを以前見かけたという話しをお聞きしました。初めてお接待を受けた夫は、どぎまぎしていましたが、ジュースを通して元気をいただき、心から嬉しそうでした。
落合大師堂から下坂場峠への道に入ると、ますます静かです。いい匂いにつられて歩くと大きな大きな藤でした。今までにない濃い紫がとても奇麗です。甘い匂いに蜂がいっぱい群がっています。疲れているふたりは、ものも言わずしばらくこの藤をぼーっと見つめていました。
ひわた峠へ向かう山中で地元の営林署の方に会いました。「いのししが出て危ないから車に乗っていきますか」。このときばかりは、夫がいてくれ本当によかったと思いました。
お大師様が、空腹のため修行の足らなさに腹をたて地団駄を踏んで我慢したという「だんじり岩」を通ったときは、我々もずいぶん空腹で疲れていました。
ようやく久万の町にたどり着き(写真)役場から「夕焼け小焼けで日が暮れて・・・」と音楽が流れてきたときは、ヤレヤレでした。
10時間かかりお宿に着いたと思いきや、部屋が3階と聞いてもう泣きそうでした。くたくたで部屋になだれ込みました。今日は足が痛い。

4/28(月)3日目(通算28日目)民宿笛ヶ滝発 44〜45番23`

昨日の疲れを少し残しながら、いつも通りの7時に出発。3日目にしてようやく44番札所大宝寺に到着しました。43番明石寺からの70kmの道のりは、室戸岬や足摺岬以上に難儀なものでした。

標高550mの深い杉木立の中にあるこの寺は、この時期でも肌寒いです。ここまで歩いて来られたことに感謝しながら参拝をすませ、納経所で44番の奥の院である45番までの道を教わりました。
裏山を奥深く進みます。早朝の山道は気持がいいものです。峠御堂トンネル口の横に下り立ち、国道歩きかと思いきや、すぐに遍路道があり、足を痛めた夫を気遣いながらのんびり歩きました。しかし夫はだんだん足を引きずり始めました。「大丈夫?」と聞いても「頑張る」と言います。何度も休憩しました。
私は1回目の区切り打ちで、胃が痛くてヘロヘロでも歩くのをやめたくなかったときのことを思い出しました。歩きを止めるには相当なエネルギーが必要だったことを思い出しました。まさに夫もそうなんだと思ったとき、私からやめようかという言葉を出していけないと思いました。何度目かの休憩のときに、お互いにマイペースで行こうということになり、私は八丁坂分岐から右に、夫は左に行くことにして、どこかで落ち合うことにしました。

私は厳しい八丁坂を登りつめてから、いくつもの「マムシ注意」の看板に怯え、その場を一目散に走り抜けました。下りに差し掛かり慎重に足を運ぶと、何やら下のほうに赤いものが見えてきました。それはそれは大きな仁王様でした。その横には「せり割り行場」があり、カギがかかっている中をのぞいたら、岩の裂け目を鎖を伝って登るようになっていました。さらに下るとようやく45番岩屋寺の山門があり、別世界に下り立つという感じで到着しました。こんな到着の仕方は初めてです。そそり立つ大岩壁を見上げ、今までにない雰囲気に感動し、お参りもせず、しばらくたたずんでいました。
それにしてもすごい造りです。本堂は岩に抱かれるように建っています。参拝を済ませ本堂横のはしごをあがると、小さなくぼみとなっており、まるで巨大岩の胎内にもぐりこんだようで霊気のようなものを感じます。はしごの下りはちょっと怖く慎重になりました。参拝を済ませても立ち去りたくない気持です。宿でもらったお接待のおにぎりを食べながら、夫を待っていました。

夫の携帯電話に連絡してもつながりません。私は表参道を下る(写真)しかないので、約束の遍路道を歩きました。途中、夫から国民宿舎にいると連絡があり、国民宿舎で落ち会いました。
夫は私と別れてから、国民宿舎までの川沿いの道をのんびり歩いたそうです。自転車遍路と出会い随分話し込み、その後も飴のお接待をもらったと、楽しかった様子を話してくれました。
帰り道の夫の足取りは、ちょっと軽くなったようで安心しました。またいつか45番まで一緒に歩こうね、と話しながら来た道を帰りました。
連泊の宿に帰り着き、女将さんから頂いたブンタンがおいしかったことが忘れられません。
別れて歩いたことはよかったのか、考えながら眠りにつきました。

4/29(火)4日目(29日目) 民宿笛ヶ滝発 46〜51番 30`

今日は久万から道後に出るため三坂峠を越えます。三坂峠から遠くの松山市街を眺めたとき、この果てしない所に下り立つのだ、あぁ、私はお遍路しているのだと感慨無量でした。遠くの目標に向かって、足もとを見ながら一歩一歩、三坂峠を下りました。
昨日45番を打ってから46番まで歩くといった男性は、何時ごろここを通ったのでしょう。私はこの爽やかな明るい道を歩きながら、昨日のお遍路さんを思いました。
峠を下り終えると桜の集落が見えてきました。こういう景色に飢えている自分にまたもや気付かされます。晴耕雨読の生活をうらやましく思うのです。きっと夜になれば真っ暗になり、生活の明かりだけになるのでしょう。一晩中、灯が消えない都会生活の私は、こういう土に張り付いた生活にどうしても憧れるのです。生を受ける場所は自分で選べないというもどかしさを、また感じながら歩いたのでした。
網掛石大師堂では、お大師様の万分の一でもいいから力を頂こうと網掛石の網目に手を合わせました。
ほどなく46番浄瑠璃寺に到着し、お寺で頂いたお接待(写真)で1時間ほどゆっくりしました。
この先、文殊院までの田圃の中の遍路道は、心が溶けてなくなってしまいそうなぐらい幸せを感じるものでした。お四国の地に身をゆだね、抱かれている感じです。トラクターの後を追って歩くカラスだったり、さまざまな自然の営みに触れながら、さわやかな新緑の風に吹かれのんびり歩いたのでした。

ちょっと前後しますが、47番八坂寺でのことです。本堂脇にある「極楽の途」を通り抜け、迷った挙句に「地獄の途」に入ったときです。ドドドーという音がしました。何事かと思って音がした方を見ると、なんと夫が階段を踏み外し落ちています。驚きました。私は「地獄の途」に入ったことを悔やみました。幸い大したことなさそうでしたが、48番西林寺を過ぎたあたりで、だんだん痛み出し、それでも歩く夫を見ていて、本当にかわいそうになってしまいました。この先の私の悪運を夫が全部ひきうけてくれたのかもしれないと感じました。
休憩しながらゆっくりゆっくり歩いて、51番石手寺に着いたときは5時近かったです。それでもここまで夫はよく頑張りました。
西日がまぶしい中、夫の最終目的地である道後温泉に向かって歩き、温泉で疲れをほぐしました。夕食を済ませ、夫は松山に出て名古屋に帰りました。今回夫は、痛い痛い遍路旅でした。私についてこなければよかったと思ったでしょうか。

私はひとりで道後温泉の近くのビジネスホテルに泊まりました。やっぱりひとりで泊まるのは不安で、いつものことですが、なかなか寝付けませんでした。明日は雨らしいです。

4/30(水)5日目(30日目)道後BH発 52〜53番 32`

「おはようございます。やっぱり雨ですね」とフロントにキーを返すと「朝方あれだけ降ったから、昼には上がるでしょう」「えっ、そんなに降ったのですか」・・・私は昨日なかなか寝付けなかったわりには、朝方の雨は全然気付いていません。雨具をつけて歩きます。

道後温泉は朝から賑わっています。温泉前の喫茶店が丁度開いたのでモーニングを頼み、温泉に入っていくお客を眺めながら朝食を済ませました。支払いをすると、大きなブンタンを2個お接待でもらいました。喫茶店の老夫婦に見送られ、道後温泉を背にして、商店街を西に歩きました。
小雨の中、52番太山寺に向かいます。何度か道を教えてもらい、ようやく着いたと思いきや、門からの参道が長い長い。昨日よく出会った男性遍路Aさんはもう納経を済まされ「まだまだ本堂はこの先ですよ」と。本当に本堂はずいぶん先でした。それにしても広い境内です。長い坂を登り、階段を上り詰め、やっと本堂がありました。早朝なので参拝客もなく、お線香の数もわずかです。静寂の中、丁寧に般若心経を唱えました。
53番円明寺を打ち、道路工事のおじさんにこっちこっちと手招きされながら11時20分やっと海岸線に出ました。随分長いこと内陸を歩いて来たので海に出たことが嬉しくって「昨日、三坂峠から遠くに見た瀬戸内海だよー」と夫に連絡しました。
この先は穏やかな海を左に見ながら、北条まで国道をJRに沿って歩きます。何の本で読んだのか忘れてしまったのですが、この瀬戸内海を見て、「日本にも大きな河があるのですね」といった外人がいたとか。それほど穏やかな海でした。気がつくと雨は上がってました。ちょっと風が冷たかったので雨具を着てましたが、お昼には脱ぎ軽快に歩きました。
北条から遍路道に入ると遍路シールがなくて、ずいぶん道を尋ねました。美しい恵良山(写真)を見ながら静かな道を歩きます。恵良山の登りになって間もなく鎌大師に出ました。あぁ、ここなんだ、妙絹尼さまがおられるのは。しかし町で聞いた通り、引越しでばたばたしています。お参りをしていると、ある女性が「歩いているのですね」と声を掛けて下さり、しばらく話しました。
なぜか、このまま立ち去りたくなくて座ったとたん、先を歩いているはずの今朝52番で会ったAさんが息を切らせてあらわれました。Aさんは妙絹尼さまに憧れて遍路を始めた方です。このために歩いてきたAさんと納経をお願いに上がったら、お休みになっておられたにもかかわらず、妙絹尼さまは丁寧に納経して下さいました。先ほどお話しした女性が「94歳のお誕生日の今日ここを去られるので最後の納経ですね」。私はこのめでたい偶然に感謝しました。するとAさんは、この女性が甲斐芳子さんであることがすぐわかり、興奮気味でした。甲斐さんのご主人から、妙絹尼さまが大事になさっていた大師松の今は朽ちてしまったかけらを押し頂きました。(帰宅後のことですが、甲斐さんのご著書と妙絹尼さまの記念の手拭が、甲斐さんから送られきて大変嬉しかったです。)
偶然にもここでAさんと再会したお陰で、94歳のお誕生日を迎えられた妙絹尼さまにお目にかかれ、さらに甲斐さんにも出会えました。あまりにもできすぎの偶然の出来事に興奮気味で恵良山を下っていきました。
途中瀬戸内海の美しい眺望も手伝ってか、私は更に嬉しくなって両手を羽根のように大きく広げ、風をいっぱい受け、わーわー言いながら走って坂を下って行きました。嬉しさのあまり狂った遍路になってました。
この先の菊間のお宿まで瓦・瓦・瓦・・の看板と穏やかな海を見ながら国道をすごい勢いで歩きました。

5/1(木)6日目(31日目)月の家旅館発 54〜58番 30`

同宿だった男性Kさん(写真後ろの方)と連れ立って歩き始めます。爽やかなお天気です。巨大石油工場を過ぎ、54番延命寺に近づくとタオル工場が目立ちます。この先は今治の町の中をぐるぐる歩き、まるで方向感覚がわからなくなりました。(写真)
「自分は今朝どこから歩いてきたのか、突然聞かれるとわからなくなることがある」と55番南光坊の納経所の方にお話ししたら、「それでいいのですよ。それだけ今を丁寧に一生懸命歩いているのですから」と教えて下さいます。「今日はどこから」という問が苦手なのは、私の記憶力の問題と思っていたのですが、まあ、どちらでもいいことです。なんとなく目的とするところまで歩ければいいのですから。
56番泰山寺から58番仙遊寺まで、真っ赤に日焼けした野宿遍路さん(写真前の方)によく会いました。今治の方で、59番で打ち終わって明日から仕事だと嘆いていました。

57番栄福寺を過ぎ、58番仙遊寺がある作礼山に入ります。ニワトリ小屋だったか何小屋だったかよく覚えていないけれど、その脇の細い道を登っていったら、犬塚池という大きな池があってそこは別天地でした。歩き遍路でなければ見られない景色です。さらに歩くと急坂に取り付き、ずっと山道かと思いきやすぐに車道に出て、うねうねした道を息を切らして登りました。山門が見えたのでやっと到着かと思ったら、空身の野宿遍路さんが下りてきて、「まだまだ階段がありますよ」って。見上げると、天まで続くような階段です。さらにハーハー息を切らせて、さびた手すり(歩き遍路しか登らないのでさびるのでは)につかまりながら急な石段をあがり、やっと奥深い仙遊寺に着きました。その昔、仙人がいたという人里はなれた仙境でした。
参拝を済ませたら、昨日、鎌大師で会ったAさんが、息を切らせ汗だくで到着。偶然の再会に喜び合い、しばらく境内で贅沢な時間を過ごしました。

59番国分寺近くの河原でテント泊をするという野宿遍路とすれ違い、Aさんと私は伊予富田駅の近くのビジネスホテルに向かって作礼山を降っていきました。
このビジネスホテルには、スーパー銭湯があり、さっそく大きな湯船につかりましたが、さっきの野宿遍路さんに申し訳ないなーと思いました。レストランもあって、久しぶりにハンバーグ定食を食べました。野宿に比べこんな贅沢なこと・・・遍路に出て初めて考えさせられた夜でした。

5/2(金)7日目(32日目)Hコスモオサム発 59.63.64番 33`

7時ちょっと前に59番国分寺に着いたら、昨日の野宿遍路の男性がいました。川で体を拭き、7時から5時までよく寝たと実に爽やかに話されます。
通学の小学生と挨拶をしながら歩きます。大きな国道に出たら、その先に朝出あった野宿遍路を見つけました。間もなく追いつき、丹原を過ぎるまで所々道連れになりました。

大きな荷物を担ぎ、大雑把な方向だけつかんで地図も見ず、一歩一歩を実に丁寧にゆっくり歩くこの男性の姿から、今の自分にないものを見つけました。私は地図通り歩こうとせかせかしているのを恥ずかしく思いました。肩に食い込む必要最低限の生活道具と引き換えに得るものの大きさを想像すると野宿遍路をうらやましく思いました。遍路≦歩き遍路≦野宿遍路です。同じ遍路でも車で回るより歩く自分。それより野宿の大変さと得るものの大きさを想像しながら後をとぼとぼ歩いたのでした。

11時ごろ丹原を過ぎ、自由自在の野宿遍路はまっすぐ60番横峰寺に向かって行きました。この先は宿がないので、今から登って下りてくるのは私には無理です。宿に泊まるしか能のない自分を不満に思いました。
そんな私を見ていたのか「今から60番に登るのですか」と自転車屋のご主人は心配顔です。今から60番は無理なので、この先は伊予小松まで歩き、JRで伊予西条に出て64番前神寺からこちらに逆打しようと思っていることを話しました。
伊予小松に向かってひたすら歩いていたら「おーい、JRで西条まで出るならやっぱり送ってあげようと思って来ちゃった」と先ほどの自転車屋さんが犬と一緒に車で追いかけてきました。ニコニコ顔のご主人を見たら断れませんでした。
あっという間に私は64番に着きました。今回は伊予西条駅で区切る予定なので、どうせなら西条駅まで乗せてもらえると好都合でしたが、そう都合よく行きません。

64番を打ってから西条駅に向かって歩きました。途中、昨年石鎚山に登ったときに泊まった宿があり寄って牛乳を飲みました。加茂川にかかる歩行者用の橋を渡ったとき、橋の欄干に「さくらさくら」の曲を奏でる鉄琴がありました。(写真)私がひいた「さくらさくら」のメロディーが5月の風に乗って加茂川を流れていきました。
加茂川を渡り、駅に向かって歩きます。途中で自転車に乗った若い男性に「この道を行けば駅に出られるかしら」と尋ねたら、答えに困った様子で「はい」といいます。まぁいいや、と思いしばらく歩くと、先ほどの自転車君が先の方にいてなぜかこちらを見ています。気にせず歩くと、また先にいて不気味でちょっと嫌でした。今度は線路を渡った角でまたこちらを見ています。もう無視するしかないと反対に行こうとしたら手招きをしました。そのとき私はようやくわかりました。彼は私が駅にたどり着くか、ずっと心配で先を歩いてくれたのでした。彼に近づきお礼を言いました。ほんのしばらく一緒に歩きながら、先ほど渡った橋が「メロディー橋」だということ、この用水路に泳いでいる大きな鯉は西条市で飼っていることなどを教えてもらいました。帽子を目深に被ったその奥の爽やかな目元が印象的でした。心から喜ぶ私につられて、彼も優しい目で笑います。駅で別れるのが残念で仕方がありませんでした。私は何度も振り返りました。手を振り返す彼を、いとおしく見つめました。お四国らしい一期一会に胸キュンでした。

一駅、電車に乗って石鎚山駅に出て、64番から63番に逆打ちし小松にある宿まで歩きました。
今日は車のお接待を受けたので、ややこしい歩き方になりました。明日はいよいよ最終日です。

5/3(土)8日目(33日目)B旅館小松発 60〜62番区切る19`

宿に荷物を預け、小松から国道を逆に大頭まで歩きます。途中、石鎚山がよく望めます。昨日丹原まで歩いた道に出て、60番横峰寺に向かいます。今までの行いを懺悔するという関所寺の妙雲寺を過ぎ、真正面に石鎚山のぎざぎざを見ながら歩きました。

大郷の集落を抜け、川沿いの道をどんどん登ります。どこまでも静かな車道が続きます。車道といっても車なんか通らないので、カーブではインコースを歩きます。
犬と散歩するお年寄りに会いました。昨年、脳梗塞を患ったが、こうして毎日犬と散歩するようになって元気になったと嬉しそうに色々話してくれました。今は新茶の時期で、茶葉を蒸して庭先に広げて干しています。これが終わると、一斉に柿に農薬をまくのだそうです。ここは「あたご柿」の産地です。
湯波の集落では、山からの豊富な湧き水がお接待となっていて、冷たい水でのどを潤おしました。合掌し更に歩きます。
長く続いた車道が終わり、いよいよ山道になります。ここからどのぐらいかかるかなんてもう考えもしませんでした。一歩一歩、丁寧に歩きました。実に静かな山道です。シュッ、シュッとズボンが擦れる音だけが聞こえます。丁石の数がゆっくり減っていきます。息がきれるほど登りは大変だけれど、だんだん身も心も軽くなるから不思議です。
登りつめたら車で上がった参拝客の多さに驚きました。これが現実なのでしょう。ひと足先に着いていた男性遍路Aさんが出迎えてくれました。さらに本堂にあがると、ちょっと石楠花は早かったのですが、満開となったら見事だろうと思いました。
今日は、ここを下って61番62番を打って区切ります。ミツバツツジが満開の静かな山道で(写真)、これで下ってしまったらお遍路がおしまいだと思うともったいなくって、下山途中で会った遍路Aさんと靴も靴下も脱いでゆっくりとおしゃべりしました。偶然にもAさんも今日で区切ります。44番の久万で初めて出会い、鎌大師で偶然の再会をし、その後も59番仙遊寺で出会い、ここでまた再会しました。お互いに巡りあう不思議について語り合いました。
61番香園寺の裏に下り立ち、正面に回ったときAさんと私は、ここは四国八十八ヶ所なの?と顔を見合わせました。実に意表をついた建物です。どこでお参りしたらいいのかわからないほどでした。2階に上がって更に驚きました。ぴかぴかの祭壇があり、なんと椅子席です。お大師様は赤子を抱き、今までの大師堂と勝手が違い戸惑いました。
交通量の非常に多い国道沿いにある62番宝寿寺で、無事区切りました。
私はJR伊予小松駅から松山に出て、Aさんは高松に出ます。お互いに前もって調べておいた時刻を言いあうと、なんと不思議なことに、お互いに15時22分発でした。どちらが先でもなく同時に区切って日常に戻っていくのです。こんな偶然の一致に今回のお遍路は実に考えさせられたのでした。さらにAさんと私のザックが、色違いの同じものだったのも印象的でした。ここお四国でAさんに出会うために今日まで生きてきたのだと感じる今回の遍路でした。同時発列車で東西に別れ帰路につきました。

今回のお遍路は、あまりにも多くの出会いがあり、消化不良気味で帰宅しました。しかし爽やかな新緑の季節のなか、元気で歩けたことは何より有難いことでした。
昨年春に歩き始めたとき、気の遠くなる距離だと思いました。しかし、この私でも65番まで歩くことができたのは、お四国に抱かれる心地よさがあったからではないかと思います。ありのままの自分をまるごと受けとめてくださる「お四国」に尚一層心惹かれるのであります。




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