2003年3月2日〜10日 32〜40番 322q


3/2(日) 1日目(通算16日目)JR高知駅から 32〜35番 33`

待ちに待った遍路旅です。何度も何度も机上遍路して練り上げた計画を実行に移します。歩くコツや要領がわかってきたので、楽しい旅になりそうです。
今回は31番竹林寺からです。思いがけぬ寒波で肌寒いです。しかしお天気なので32番禅師峰寺に着いたころは体も温まりました。高台にある禅師峰寺からの景色は(写真)どこまでも続くビニールハウスと青い太平洋です。このときはまだ、このビニールハウスの横を延々とあるくことになろうとは知らずに眺めていました。
33番雪渓寺までは、遍路道でもある種崎からの無料渡し舟を利用しました。あっという間に対岸についてしまう程の距離ですが、しばし楽チンで浦戸湾内からの景色も楽しめます。自転車やオートバイのまま乗り込んでくる地元に人たちと一緒に対岸に渡りました。
ほどなく道路沿いにあるにぎやかな雪渓寺に到着。ここでちょっと問題が起きたのです。実は今回のお遍路に、春休みで帰省していた息子を誘い同行したのですが、足が痛くてもう歩けないというのです。いくらも歩いていないのにと情けない話しですが仕方ありません。ここで息子と別れ私一人で34番種間寺に向かいました。この後息子は、雪渓寺前のバス停で高知行きのバスを待つ1時間の間に、この先も頑張りなさいと何度もお接待を受けたとメールしてきました。私と一緒だったらこの嬉しい気持は味わえなかったかもしれません。ほんの僅かなお遍路でしたが息子には貴重な体験になったに違いありません。
さて私もひとりになると様々な出会いがありました。
ある三叉路の少し手前で、カブに乗ったおじいさんが「この先は真ん中の道を行きなさいよ」と教えてくれました。お礼を言い三叉路まで行くと、先ほどのおじいさんが待っててくれるではないですか。恐縮しました。この先おじいさんとは違う道を行くのに、行く先々でタイミングよく現れ案内してくれるのです。もうびっくりです。「この辺は間違えやすいからね」とおじいさんは煙草をぷかぷかしながらニコニコ顔。本当に偶然なのかもしれませんが、カブに乗ったおじいさんの早業は嬉しいものでした。
34番種間寺を過ぎ、菜の花畑沿いの道を前から男性ランナーがきます。何か気になり、すれ違いざまに「えーっ?ランナー遍路さん?逆打ちの?」。あたりです。ランナー遍路さんがいてもいいのにと思っていただけに嬉しい出会いです。荷物の軽量化の工夫や、順打ち用のシールを振り向きながら走る苦労話を伺いました。こんな貴重な出会いに思わず合掌。上には上がいるものだと感服したのでした。
今日の予定は35番清瀧寺まで打つ予定です。息子に予想外の時間を費やしてしまったけれど何とか大丈夫だろうと思った矢先のことです。仁淀川のたもとで、お接待をしてくれそうな男性が私を待ち構えています。困ったな〜と思いながらもお茶のお接待を頂いたら話しが長い長い。5時までに清瀧寺につきたい私は気が気でなかったです。その後は仁淀川の堤防を走るようにして宿まで行き、荷物を預かってもらって、また走るようにして山道を駆け上がり、5時の納経に何とか間に合いほっとしました。大汗をかきながら、あの長い長いお接待は私を走らせるためだったような気がしました。ランナー遍路さんが教えてくれた通り清瀧寺の雪割り桜は奇麗でした。怖い怖い戒壇めぐりを体験してからヤレヤレとばかりに降ってきました。
様々な出会いのお陰で無事歩けた初日でした。

3/3(月)2日目桃の節句(17日目)喜久屋旅館発 36番 35`

天気予報によると今日は雨模様。36番青龍寺に向かう途中にある塚地峠以外は、ほぼ車道歩きです。雨が降り出す前に峠越えをしたいので、朝からペースをあげました。塚地峠登坂口に着いたときは幸いまだ雨は降っていません。空を見上げ、よし今のうちにと峠越えの道を選びました。
山道に入ったときいつも思うことですが、多少時間はかかるけれど静かでいい。そして時折見える展望もいい。しかし一人ではちょっと怖い思いをするのだけが嫌です。札所への山道は、その先には人がいますが、峠越えは全くといっていいほど人はいません。人(善人)の気配を感じることができない峠越えはやはり怖い。南無大師遍照金剛を唱えるしかありません。時に大きな声で念仏を唱える遍路になります。

何とか雨が落ちてくる前に無事集落に下りることができ、この時期満開の梅や桃(写真)を眺めながらほっとしたのもつかの間、ぽつぽつ降ってきました。あ〜よかった。雨が降ってきたにもかかわらず、このグッドタイミングを喜んだのでした。
バッチリ雨装備をして、昨日の32番と先ほどの峠からも見た宇佐大橋をようやく渡ります。近くで見るととても立派で高い橋です。橋から見る浦の内湾に浮かぶ何艘もの小舟の景色は、地元の方の生活観が感じられ、実に気に入りました。そんな心豊かな気持で橋を渡り終え、長い長い参道道に点在するお地蔵さまに導かれ静かな36番青瀧寺に到着しました。
36番からは打ち戻る道と横波スカイラインの道があります。スカイラインは情報が少ないので無難な道を行ったのですが、これが何ともいいものでした。横浪三里と呼ばれる浦の内湾ののどかな景色は、どんどん降ってくる雨の煩わしさを忘れさせてくれるものでした。
雨の中を歩いている私に、えらいね〜ご苦労様と声を掛けて下さる方、今ポンカンを持ってくるから待ってとお接待下さったおばあちゃん、トイレを快く貸してくださったうえに熱いお茶までご馳走してくださった海産物屋の奥さん。そうそう寒い日だったので熱いお茶がおいしかったことなど、有難さが身にしみるというのは、まさにこういうことです。
湾沿いで牡蠣を収穫する女性たちを眺めながら歩いているうちに、2時頃運良く晴れ上がってきました。ちょうど横浪の分岐で雨具を脱ぐことができ、身が軽くなり何よりさっぱりしました。
この先、鳥坂トンネルの道を行くと、どっちの道にしようかと迷ったスカイラインの道と合流しました。
ほどなく押岡にある今晩のお宿に到着。今日も追い越しもせず、追い越されもせず全くの同行二人。雨にも負けず歩いた2日目でした。

3/4(火) 3日目(通算18日目)旅館百合屋発 37番 35`

今日はお天気です。しかしあまりの寒さで風邪をひかないか心配でした。というのも初日、昨日と続き、宿の女将さんがひどく風邪をひいていたのです。初日は咳き込む女将さん、2日目はインフルエンザで昨日までお客を断っていたといい、マスク姿で食事の支度をしながら今年のインフルエンザの猛威を話すのです。えーっ?です。南無大師遍照金剛です。せめて朝食は断りたかったのですが、宿泊客は気の小さい私ひとり。断りきれず食べるはめに。さらに朝食時間は指定され本当に困りました。うがい・手洗いはもちろん念入りにしましたが、遍路中に発熱したらどうしようという不安を抱えました。
朝食をとり予定より30分遅れで出発。遍路地図に載っていない近道を教えてもらったのですが途中で迷い20分のロス。朝から弱り目に祟り目でした。
今日の予定は37番岩本寺までです。峠が2ヶ所あります。峠の所要時間は、なかなか把握できず多めにとってありますが、これ以上どこかで大幅に時間を費やすと困ってしまいます。先のことが心配なので仕方なく焼坂峠を諦め、冷たい風が吹く国道を風邪のことを心配しながらひたすら歩いたのでした。
国道から久礼町の遍路道に入ったとき、ようやく車から開放されほっとしました。分岐で1台のカブが止まり「教えることありますか」と聞いてくださったので間違えることなく安心して大坂方面に向かうことができました。こういうときはわかっていても嬉しいものです。四国の方の優しさを感じるときです。

久礼の町を過ぎ大坂休憩所あたりからは益々静かです。まだ桜は咲いていませんが川沿いはずっと桜並木です。今は私一人ですが桜の頃はきっと素晴らしく奇麗ですごい人出となるのでしょう。目を閉じ、せめてそんな風景を想像してみたのでした。そして有名な黒竹や梅を見ながら、車が通らない静かでのどかな道を歩くという贅沢な時間を堪能しました。ほどなく七子峠への登坂口にさしかかり、またちょっと怖い思いをしながら山の中を一人で歩きました。
やっとの思いで七子峠を越し、しばらく国道を歩いていると後ろから声がします。振り向くと自転車に乗ったご婦人です。もらってくださいと1000円もの大金を差し出します。私はあまりにも高額でびっくりしました。お遍路をしている私をすごく褒めてくださるので恐縮してしまいました。
郵便局へ行かれると言うそのご婦人を見送りながら足を進めると、影野のお雪椿(写真)に着きました。樹齢350年という立派なヤブツバキで天然記念物に指定されていました。花をつけたらそれは見事だろうと思いながら何度も振り返りながら歩いていたら、先ほどのご婦人が郵便局から帰って見えました。そこでまた立ち話。お雪椿はこの村の大切な物だとおっしゃっていましたが、ひょっとしてこのご婦人は、お雪さんの生まれ変わりではないかしらなんて思いました。
何とか予定通りに37番岩本寺に到着し、この宿坊に泊まられる団体遍路さんに圧倒されながらも納経を済ませ、しばらくこのお寺の犬の横に座って境内を眺めていました。
37番前のお宿に入ったら、玄関にお雛様が飾ってありました。お天気だったけれどとても寒い日でした。

3/5(水)4日目(通算19日目)伊予屋旅館発 井の岬 34` 

次の38番までは八十八ヶ所のなかで最長距離の87キロもあります。もう一度、岩本寺本堂の天井画を眺め、この先の無事をお願いしてから出かけました。
今日は海岸線に出られるので楽しみです。怖さは覚悟で迷わず片坂の山道を行きます。「これより足許悪い。降雨増水時は国道迂回してください」と遍路標識通りの転がり落ちそうな急な下り坂を慎重に足を運び、自動車整備工場の裏に降りてきました。しかしまだ油断は禁物です。こういうところで蛇がよく出るのです。南無大師遍照金剛です。啓蟄はいつだったかしら?四国は暖かいから早いのかしら?寒波がきてるからもう少し暖かくなってから出ておいで・・・なんて考えながら国道を横切りました。

市野瀬の集落へ降り、のんびり川沿いを歩いていると対岸の国道に一人の男性遍路を見つけました。この調子だと同行できるかなと期待しましたが、間もなく消えてしまいました。この男性Yさんと今晩の宿が同じになったので後からわかったことですが、佐賀温泉で一風呂浴びていたそうです。最終日までずっとYさん(通し打ち)と同宿でした。Yさんは毎日私の宿を聞いてきては、そうかそこまで行けるか・・・なんてついてくるようで嫌だったのですが、山道は同行させてもらい心強い人でした。

ひたすら国道を歩く私を5台の自転車遍路がすいすい追い抜いていきます。登りにさしかかると、お尻をあげてペダルをこぐ姿が揃っていて遠くから見ていて奇麗でした。そんなアップダウンのある国道から熊井トンネルの旧道に入ると、一気に人っ子一人いない音のない世界になりました。明治に掘られた雰囲気のいい熊井トンネルを独り占めしながら遍路旅の贅沢さをあじわったのでした。ここにはとても不似合いな踏切(写真)が出てきたと思ったら、また車がびゅんびゅん通る国道に戻ってしまいました。嫌でも明治時代から現実に引き戻されました。
ようやく海岸線に出たとき、思わず足が止まりました。土佐西南大規模公園です。奇岩の断崖が連続する光景は見応え充分で素晴らしい。わお〜です。かわいらしい小学生が遠足に来ていて、私も遠足に来た気分でした。この先の歩きは、この雄大な景色に随分助けられたのでした。
井の岬を回った辺りのトンネル工事の人に、歩き遍路が何人ぐらい通ったか尋ねてみたら、これでも10人ほど歩いているそうです。前が早いのか、はたまた後ろが遅いのか、私はその間にはさまっている一人のような気がしてなりません。
入野分岐の1キロほど手前にある今日のお宿に無事到着しました。それにしても寒いです。エアコンはお金が要るのでやめ、あるだけの布団を出してもぐりこみ、夫に、遍路に出してくれてありがとう、とハガキを書きました。4日目にしてようやくまともな食事にありつけた晩でした。

3/6(木) 5日目(通算20日目)民宿みやこ発 四万十川33`

今にも雨が降ってきそうです。いつも通りの7時に出発です。
入野松原は密生した松林の自然遊歩道を歩くという今までにない雰囲気の遍路道です。海岸沿いを歩いていると、とうとう雨が降ってきました。
大規模公園というだけあって本当に広い公園です。公園内はどこも道なのでどこを歩いていいのか分りません。さらに公園を広げる工事をしているので、遍路地図通りの道でなくなっているようです。遍路標識やシールも極端に少なく不安でした。競走馬の世話をしている方が、「こっちこっち」と呼んでくれなかったら間違えた道を行ってました。お礼を言ったら「ついこのあいだ名古屋の土古競馬場へこの馬を連れて行ったよ」。馬はここから全国各地に運ばれ、お遍路は全国各地からやって来てここを通る。そんな馬との出会いが入野にはあったのでした。
この先、私は双海を通り下田から12時の渡し船に乗って四万十川を渡る道を行きました。雨がどんどん降ってきたので、渡し船は間違いなく出してもらえるのか心配になりました。双海から渡し船の船頭さんに電話したら大丈夫とのことでひとまず安心して下田に向かって歩きました。
下田中学校の始業なのか終業なのかチャイムを聞いたのが10時10分。早く着きすぎたので休憩するにも雨の中です。仕方なく先を歩くと、下りに差し掛かる中学校の前から待望の四万十川が見えてきました。お遍路をしたいと思う前から、四万十川には来たかったので嬉しかったです。雨で靄がかかっていますが、初めて見る四万十川をゆっくり眺めたのでした。
それにしても雨は強く降ってくるし寒いし、12時までどこで時間をつぶそうかしらと気弱になってとぼとぼ歩いていると、前から傘を差したおじいさんが来ました。「渡し場は分りますか。みんな間違えるから教えてあげますからこちらへ」といって雨の中、私のために丁寧に教えてくださるのです。教えてもらわなかったら私は絶対にこの道を行かなかっただろうと思いました。さらに船頭さんにすぐ船を出してもらうように電話をしてくださり本当に助かりました。おじいさんは「ここで会えてよかった、よかった」と。本当に地獄で仏とはこのことです。
軽トラに乗ってきた船頭さんは素早く船に乗りかえ(写真)100円で対岸の初崎へ私ひとりを運んでくれたのでした。対岸に着いたのは10時50分。この雨の中予定より1時間余も短縮できたのは有難い。おじいさんと船頭さんに感謝感謝でした。
しかし対岸の初崎は誰もいないさみしいところで、まるで離れ小島にひとり降ろされたような心細さを覚えました。雨は人の心をこんなにもさみしくするものかと思いました。考えてみたら、ここまで車も人もほとんど通らない道を一人で歩いてきたのです。雨の日の静かな道は精神的によくないことが分りました。
伊豆田トンネル手前にある屋根つきバス停で、途中で買ったちらし寿司を食べていたらあっという間に体が冷えてきました。長居無用で歩き始めました。1620mもある伊豆田トンネルでは、排気ガス避けと寒さ対策でフリースのマフラーを顔に覆って歩きました。歩数を数えながら歩いたので気晴らしになり、ほどなくドライブイン水車につきあたりトイレを借りました。寒いからトイレばかり行きます。
下ノ加江を過ぎしばらく行くと再び海に出て、久百々にある今晩のお宿にようやく到着。一日中の雨でさすがに疲れました。今朝ひと足先に出発したYさんが、何故かにっこり笑って私を出迎えてくれます。一つ前の宿のはずなのに、なぜここに?
部屋にはこたつがあり寒くてもぐりこみました。こたつに入りながらしばらくぼーっと海を眺めていました。

3/7(金) 6日目(通算21日目)民宿くもも発 38番 40`

今日は足摺岬の38番を打ってから、同じ道を戻ってくる逆打ちをしようと企んでいます。40キロ程の往復は全く自信ないですが、挑戦したいという気持が頭をもたげてくるのです。Yさんも急遽この往復コースにされたので仲間がいて安心です。連泊するので不要な荷物は置いていきます。女将さんのお接待のおにぎり・おやつを持っていつもより1時間早く出発です。まだ暗くてお天気はどうかわかりませんが薄暗さが少し不気味です。私一人だったらこの暗さで出発を遅らせたに違いありません。ひと足先に出発したYさんに追いつきひと安心。同行者の有難さを感じるときです。

大岐海岸に下りる浜道の標識を見つけ、浜に下りたころで明るくなってきました。ここもまた素晴らしい景色です。小さな橋(写真・帰り)を渡ってから遍路道になっている砂浜をずっと歩きます。朝日が昇ってくる砂浜を歩きながら、このスローペースの歩き遍路旅は、飛行機や新幹線で行く名所旧跡の旅よりうんと贅沢な旅であると思いました。私はこういう旅が好きです。
砂浜歩きの最後はドボンをしないように流れを渡り、またこれが楽しい。また帰りにこの道を通れると思うと帰りの楽しみが出来たのでした。
津呂を過ぎたらあと6キロほど。この辺りから素晴らしいお天気になってきました。エネルギー源補給のため女将さんのおにぎりを食べながら歩いていたら、前から今回始めての女性遍路さんが来ました。「もう少しですよ。がんばってー」と励まされた私は嬉しくてペースが上がったようです。気がついたら同行遍路のYさんがいなくなっていました。
雰囲気のいい道になったと思ったら天狗の鼻への標識があり、ほどなく駐車場に出て足摺岬に到着。もっと遠いと思っていた39番金剛福寺にあっけなく着いたので気が楽になりました。
しばらくしたらYさんも到着して、お参りを済ませた後、一緒に岬を1時間ほど散策し、快晴の足摺岬に立てた幸運を喜びました。
足に水ぶくれができたYさんはゆっくり帰ると言われたので、私はマイペースで来た道を戻ったのでした。
行きの津呂あたりで会った女性遍路以外に遍路はまったく歩いていません。いったいどこをどんな速さで他の遍路さんは歩いているのか鳥になって空から見てみたいと足摺の空を見上げました。

帰りの以布利漁港で、今から漁に出る威勢のいい海の男たちを見たとき、人間の働いている姿はとても美しいことに気付きました。36番に向かう宇佐大橋から見た小舟の景色が好きだと思ったのも働く姿だったからに違いありません。
そんなことを考えながら歩いていたら、犬の散歩をしているご夫婦に会いました。「よかったら家に寄りませんか。お茶でもどうぞ」。とても嬉しいお言葉に遠慮なくついて行ってしまいました。このご夫婦は、ずっと大阪でお仕事をしていて、3年前にこの以布利に戻って見えたそうです。朝の散歩のときは、お遍路さんは急いでいるので声をかけられない。しかしこの時間の逆打ちの遍路には時々声を掛けてくださるのだそうです。中には急いでいる人もいるので声掛けが難しいと。私は声を掛けていただきすごく嬉しかったと伝えました。そしてコーヒーを頂きながら、足摺まで往復できて嬉しかったこと、以布利漁港の海の男たちの働く姿が美しいと思ったことなど、1時間も話し込んでしまいました。

宿に戻ったら4時半。先に戻っていたYさんは心配して待っていたそうで、ごめんなさい、と謝ったのでした。
夕飯のときもまだ今日の興奮がさめず、今日到着した遍路さんやとても気さくな女将さんを交え、今回初めて楽しい夜となりました。

3/8(土)7日目(通算22日目)民宿くもも発 39番 43`

昨日は海を右手に見ながら歩く唯一の足摺岬からの逆打ちに満足し、今日は下ノ加江から船ガ峠を越え39番延光寺に向かいます。
昨晩の宿に仕事で逗留している男性から、女一人の峠越えの危険な話しを聞いてしまったのでさあ大変。いつも不安な気持で歩いている私はさらに不安になり、同宿のYさんとつかず離れずで歩きました。それにしても今日は寒い。
鶴ケ市までは標識や目印がなく、ひたすら薄暗い川沿いの山道を登って行きます。車はほとんど通らず、人家もない静かなところです。私はもう少しピッチを上げて歩きたかったのですが、あまり離れると怖いのでYさんの気配を感じる程度の距離を常に保って前を歩いていました。鶴ケ市に入った辺りでようやく明るくなりほっとしました。遍路地図に載っている名木たぶの木に出て、(写真)その前のお店で暖かい缶コーヒーを買い、ストーブにあたりながら休憩させてもらいました。
宗賀に出たら工事中や車も通るようになり、もう危険なことはないであろうと思いました。しかし時々振り返り、後ろのYさんを確認しては安心していたのでした。
この辺りは本当に寒かった。時々白いものが舞う中、フリースのマフラーで顔を覆いながらマフラーの有難さを感じました。一枚首筋に巻きつけるだけで随分寒さをしのげます。服のように脱ぎ着の面倒もなく、今回の寒さで大活躍したのでした。
さらに歩きトンネルや橋を渡り中筋川ダムに出たときは、随分標高が高くなり景色は素晴らしかったけれど寒さに震えていました。歩いても体が温まらないほど気温が低かったようです。
ほどなく稲荷大明神から平田の集落に入り、今度はにぎやか過ぎる国道56号線につきあたり、7時間かかってようやく無事に39番札所に着いたのでした。
ここ延光寺には「目洗い井戸」があったので、皆さんがされるように井戸で目を洗い、これ以上老眼が進みませんようにとちょっとお賽銭を奮発してよくお参りしてきました。
例によってYさんは、39番前のアサヒ健康ランドで休憩していくというので、私はひとり宿毛までのんびり歩きました。
しかし今回の私の足は不思議なぐらい元気で有難いです。水ぶくれひとつできず靴下や靴に私を助けてくれてありがとうという気持です。上手く歩くコツがだんだんとわかってきたこともあり、この調子で最後まで歩き通せることを願いました。
今日は同行のYさんがいてくれ本当に助かりました。女ひとり遍路でも危険はないと思いますが、不安を抱えて歩いているのは事実です。それでも歩きたいのはなぜでしょう。そんなことを考えながら歩いた一日でした。

3/9(日)8日目(通算23日目)BH桂月発 40番 32`

予定通り7時出発です。今日はわりあいと暖かです。宿毛の町から松尾峠を行きます。峠へ行く道がわかりづらかったのですが何とか間違えず運良く進め、こういうときはお大師様が導いてくださったのだと勝手に思い込んでいます。
今日で修行の道場が終わり菩提の道場へと進みます。振り返ってみると、雄大な太平洋を見てひたすら歩いた修行の道場で私の足は鍛えられたような気がします。たくさんのことが思い出され、太平洋とさよならするのはさみしい気がしますが、この先の遍路道もまた楽しいものであると思いました。
そんなことを考えながら最後の急登を汗だくになってあがり、高知県から愛媛県の県境に立ちました。峠には松尾大師跡の東屋があり泊まれるようになっていましたが、このさみしいところに果たして泊まる勇気のある方はいるのかしらと思いました。しかしここからの景色は素晴らしい。もうこの場所に立つことはないだろうと思うとなかなか立ち去れなかったのでした。
峠を降ったところに、もう田植えの準備をしているという男性がいました。もうですか、と聞くと、平日は宇和島まで働きに行っているので、休みの日に少しずつ作業をするのだといいます。そうです、今日は日曜日でした。遍路をしていると今日は何日で何曜日なのかわからなくなってくるのです。私が今回区切る宇和島まで毎日働きにいかれる男性としばらくおしゃべりを楽しみました。
しばらく歩くと子どもたちの遊んでいる姿に出会い、日曜日はいいな〜とのんびり歩きました。

国道56号線を横切り、道路工事の人に毎度のごとく今日の遍路の数を尋ねたら、私の先に二人の男性が歩いているといいます。もっと詳しく何時間前か尋ねたら、30分から1時間くらい前と聞き、追いつきたい心境になりました。
札掛からは山あいの車道をぐねぐね登り、小学校に出た辺りで初めての男性遍路の後姿を見たのですが、その後現れなくてちょっと不気味でした。
ほどなく僧都川につきあたり、豊田という懐かしい感じのする小さな商店街をぶらぶら歩きました。今日は暖かいのですが、僧都川の土堤に上がると風が強く菅笠が飛ばされそうでした。

40番観自在寺に近づいてきたら、Yさんを見つけました。Yさんは私より1時間早く宿毛を出発したのですが、松尾峠に行く道を間違え1時間ほどロスしたため、ここでまた再会となったのです。お参りしてから、また足が痛むというYさんは、ちょっと休憩していくと言うので、お先に失礼しました。足が痛むと思うように歩けないので気の毒に思いました。

アップダウンのある国道をずっと歩いていると、ようやく前の遍路グループの末尾に追いついたのか、遍路に遭遇です。それも女性二人連れです。嬉しくなりお声掛けしたら、今日の宿が一緒とわかりました。私は嬉しくなるとどうも歩くピッチが上がるようで、この女性たちを追い越しどんどん歩きました。
国道を登りきると海が見下ろせる所に出ました。素晴らしい景色を眺めていたら目の前に今日のお宿を発見。
部屋からも素晴らしい景色でした(写真)。さらにお風呂からがいい。3時半頃、西日が差し込む1番風呂につかりながら、この海と空をひとりじめしました。こんなことは初めてです。この贅沢さに酔いしれました。
また食堂からのきらきら光る海の色も素晴らしい。今までにないごちそうを、どんどん色が変わっていく夕日を眺めながらゆっくり食べました。車遍路客と歩き遍路4人。今回はじめての大人数でにぎやかです。ここに泊まれたことはお大師さまのお陰と思った晩でした。
最終日の明日も元気で歩けるよう願って休みました。

3/10(月) 9日目(24日目)民宿ビーチ発 松尾トンネル37`

いよいよ最終日となりました。今日は宇和島駅まで歩きます。
まず柏越えをして大門に出る山道を歩きます。柏坂の登り口には目印のように一本の大きな白いモクレンの木があり、それは見事に咲いていました。いきなりきつい登り坂でゆっくりゆっくり登ります。静かで私一人ではちょっと怖いな〜と思っていたら、柳水大師あたりで例のYさんが後ろから歩いてきたのでやれやれ、安心しました。
この山道の要所要所には歌碑が立ててあり、読みながら休憩できて登りやすい山道でした。私が立ち止まって歌を読んでいると、決まってYさんの姿が見えてきて丁度よかったのですが、Yさんは歌碑には興味がないらしく休憩せず素通りするので少しバテ気味のようです。やはり坂を登り終え、横通八丁辺りからYさんの姿は見えなくなってしまいました。
しばらくすると宇和海の素晴らしい景色が見える場所に出ました(写真)。天気が今ひとつでしたが何もさえぎるものがないこの景色を独り占めしながら胸が高鳴るのを覚えました。思いがけず地球規模の巨大スクリーンで見せてもらったこの景色は一期一会を感じるものでした。自分の足で歩いてこなければ見られない景色です。
ゆるやかな下り道には、この土地の昔話が書かれたボードが要所要所にあり、読みながら降ってきたのですが、結局Yさんは現れず諦めた私は南無大師遍照金剛・・・と走るようにして長い長い道を降っていきました。
集落に降りて洗濯物が干してあるのを見たらほっとしました。こちらのモクレンはまだ蕾だったのが印象的でした。

津島町までは芳原川沿いの自転車道路をのんびりと歩き、ほどなくにぎやかな津島町に出て役場でトイレを借りました。役場は確定申告で賑わっていました。
昼ごはんを調達しようと津島町のはずれのコンビニに立ち寄ると、先ほど私を追い抜いていったツーリング自転車が5台ありました。遍路ではない大学の自転車クラブで、今日は宇和島まで走って市内観光するといいます。お互いに今日の目的地が同じなので気をつけて行こうと約束しました。

旧国道の松尾トンネルの道に入り、先ほどの騒音が嘘のような静かな遍路道になりました。結構な登りをどんどん歩くと旧松尾トンネルに出ました。するとトンネルの向こうから遍路でないおばあさん歩いてきます。こんな人家もないところで何をしているのか不思議で話し掛けようと思ったのですが、なにか怖いものを感じやめました。私はなんて怖がりになったのかと思いましたが、実に無気味なおばあさんだったのです。
採石場を過ぎ国道56号線に合流する少し手前のことです。こちらから交通量の多い国道を見ながら歩いていたら、例の大学生のツーリングが見えたのです。なぜ?あっちは自転車。こっちは歩きなのに、ここで出会うとは。自転車がパンクしたのか、見晴らしがいい場所があって休憩でもしたのでしょうか。元気よく走っていく大学生の姿がまた見られて安心しました。
国道に出て交通量の多さにうんざりしました。宇和島警察署で最後のトイレを借り、下校時の小学生に宇和島駅を教えてもらい、無事今回の区切り打ちが終了しました。

今回の思わぬ寒さは体に応えましたが、無事に歩けたことが何より有難かったです。親切にしてくださった四国の方々、美しい景色、遍路の数が少なくてさみしく、ひとり歩きが怖かったけれど、お大師様のお計らいと思えるような追っかけの(Yさんの言葉を借りました)Yさん出現、どれも自分の足で歩いたからこそ体験できたことであります。歩けば感動に出あう遍路旅、次回の計画をまた綿密に立てようと思います。




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