2002年10月12日〜19日 19〜28番 219km


10/12(土) 1日目(通算6日目) 19番 10`

早朝名古屋の自宅を発ち、2回目の四国入りです。前回区切った19番立江寺に向かいます。春に歩いた景色が本当に懐かしく、また歩けることが嬉しくてたまりません。今回は連休を利用して3日間だけ夫が同行します。その夫に、あれこれと前回のことを説明するのですが、歩き遍路が初めての夫には通じなく私一人ではしゃいでいたようです。
19番立江寺に着きました(写真)。体調を崩しここまで必死に歩いてきた前回のことが思い出されます。健康で歩けますようにとお願いして今回の歩き遍路を始めます。
今日は宿まで10kmほどをゆっくり歩きます。さわやかな秋晴れです。せっかちの私とのんびりの夫との珍道中の始まりです。

10/13(日)2日目(通算7日目)民宿金子や発 20〜21番14`

今日お参りする20番鶴林寺と21番太龍寺は、ちょっとした山登りです。朝7時に宿を発ち、すぐにみかん畑の道を縫うように登りました。時折、マイペースの夫を待ちながら振り返ると昨日歩いた勝浦の町がのぞめます。今日もお天気です。
一生懸命歩いて21番札所の仁王門に着きました。まるで別世界に着いたかのような、言い知れぬ感動を味わいます。春の12番焼山寺のときのことを思い出します。ここまで歩いて来た人だけに与えられる感動です。この心地よい疲れが、また次へ向かって歩く活力源になることが不思議でたまりません。
お参りを済ませ、一気に山道を駆け下り国道に出たとき一匹の犬が尻尾を振って出迎えてくれました。しばらく一緒に歩いてくれる犬に「待っててくれてありがとう」という気持になりました。犬からも優しさを学び、歩くにつれ私のこころが素直にどんどんやわらかくなっていくのを感じます。犬だけではありません。道端のお地蔵さんであったり美しい景色であったり、ものを言わないものが心を癒してくれるのです。いかに感じ取るかによって、こころの癒されかたが随分違ってきます。日常で鈍ってしまっていた感性が、歩き遍路によって息を吹き返しはじめた感じがします。
さらに歩き、那賀川の素晴らしい景色に出合いました。心和む水井橋からの景色はまさに桃源郷でした。ここでザックを下ろし美しい景色を眺めながら暫く休憩しました。このときには、この先がどれだけ大変か知る由もないのでした。
ここからは21番太龍寺へ登り返します。夫の後ろについたり前にでたり後半は言葉もなくひたすら登りました。こういうときは本当に一人でなくてよかったと思うときです。これでもかという坂を登りきり21番札所に着いたとき、二人は相当へたばっていました。今日は連続の山登りで、お参りを済ませてからお互いによく頑張ったと褒めあいました。
今日は宿の関係上、ここを1時間降ったところにある宿から先に進めません。ですから私にしては本当にのんびりこのお寺で鐘の音を聞きながらお昼をいただいたのでした。(写真:太龍寺)

いよいよ明日は日和佐までの難関です。歩くしかありません。

10/14(月)祝 3日目(通算8日目)民宿龍山荘発 23番 31`

今日は22番平等寺を経て23番薬王寺までの長い道のりです。本によると10時間ほどかかるとも書かれています。不安を抱えながらいつもより20分早く宿を発ちました。
22番までは大根峠を行きます。この峠は静か過ぎてひとりではちょっと怖いところです。私は先を急ぎペースを上げるのですが、相変わらず夫はマイペースでちょっとじれったさを感じますが同行してくれる安心感には代えられません。牛舎のある集落へおり、22番に予定より早く着いたので、ゆっくりお参りしました。
しかしそこからがいけません。遍路道にかかる橋が工事中で、ずっと向こうの橋まで迂回するのです。そこで遍路道を見失い不安ながら歩いたのが間違えでした。こっちだという夫に違うといいながらもついて行き、どんどん違う道を行きました。洗車している男性に尋ね、大回りしましたが軌道修正しやれやれ。とにかく国道55号線に出ましたが、鉦打より4キロも手前です。ふたりは鉦打まで足早になりました。30分のロスを確認し小休止をとりましたが、少しでも挽回しなければと気持が焦ります。日差しの強い暑い日でした。
まだこれからゆるやかな坂道が15キロ続き、いくつものトンネルを通らなければなりません。ゴーゴー音を立ててトラックが私のすぐ脇を通り抜け、過酷な緊張の連続です。自販機で買った冷たいペットボトルを分けあい、励ましあいながら歩きました。時に栗のいがを拾いながらも疲れたといって二人で地べたに座り込んだりもしました。何とか日和佐川橋を渡ったあたりで私はもう精神的にくたくたになっていました。もう夫の後ろをとぼとぼついて行くのがやっとだったのです。
23番薬王寺に着き、本堂前からの日和佐の海と町並み(写真)に、二人は感動しいつまでも眺めていました。ここまで歩いたご褒美に見せてもらえた景色です。忘れられないものになると思いました。また二人してひとつのことをこんなに協力して成し遂げたことがあっただろうかと感じた3日間でした。
宿に入り、お風呂と夕飯を済ませ、夫は徳島からJR夜行バスで名古屋に帰りました。
8時間で着きましたが、緊張した一日でした。

10/15(火) 4日目(通算9日目)きよ美旅館発 鯖大師 35`

さあ、今日からひとり歩きです。24番最御崎寺まで84キロを2日半かかって歩きます。昨日のように不安を抱えての歩きはもう勘弁して欲しいです。
まず牟岐警察署の無料接待所はありがたかったです。やはりトイレの問題です。ここまでは適当なところで花摘みをしたのですが、一人ではなかなか難しいのです。トイレを借り30分ほど休憩させてもらいました。ここで今日の宿を尋ねられました。鯖大師辺りだと答えると、近すぎるから宍喰辺りまで行ったらどうかとすすめられたのですが、それはちょっと自信がなかったのでひとつ手前の海部に宿を変更しました。
また元気を出して歩きます。海を見ながらの歩きになりました。今日も日差しが強いです。
鯖大師前で釣りをしている人を眺めながら、お昼にしました(写真)。何度も「この景色は最高」とひとりごとを言いながら、ここに居られる幸せを感じました。ここで私に歩き遍路の素晴らしさを教えてくださった藤田さんに、(快晴・体調良好・快調に歩いています)と携帯メールしました。藤田さんは歩き遍路で結願された方で、随時情報を流してくださるので本当に心強いのです。
お腹もふくれ、また元気に歩きます。1時間ほど歩き淺川から右に折れ、JR沿いに歩きます。暑くてひとり歩きもいやになってきたころです。トイレに行きたいけれど適当なところがありません。とても困っていたところに、建築会社が現場のプレハブを無料接待所として開放していました。ありがたや、ありがたや、トイレを借りヤレヤレでした。冷蔵庫の冷たいお茶も頂き、本当に感謝感謝でした。
また歩き始めてまもなくのことです。えーっ、なぜ?涙があふれ出て止まりません。精神的に参っていたときに、先ほどのお接待所での無言のやさしさがよほど嬉しかったのでしょう。四国の方の遍路に対するあたたかい気持ちがあふれる涙となったのでした。予期しないことにとまどい驚きました。
また30分ほど歩き阿波海南駅前を通りかかったときのことです。昨日鉦打を過ぎた辺りで見かけた遍路小屋と同じものが建っていました。中へどうぞといわれ遠慮なく腰かけさせてもらいました。冷たいお茶がおいしく、おかわりしました。お話を伺えば、この遍路小屋1号は、野村カオリさんという女性が、ご自分の歩き遍路の経験からトイレの不自由さを感じ、昨年の暮れ近畿大学の歌先生という建築家によって、ご自分の土地にこの小屋を建て、お接待所としているのだそうです。先ほどの建築会社のお接待プレハブがありがたくて涙した話を野村さんは、うんうんとうなずいて聞いてくださいました。様々な理由を持ち合わせる歩き遍路には、お接待所は本当にありがたい限りです。1時間ほどおしゃべりしてゆっくりさせてもらいました。
今日は、暖かい心にうたれた日でした。

10/16(水)5日目(通算10日目)みなみ旅館発 佛海庵 35`

「野根を過ぎたら海と山しかない退屈な道で、食べ物を買うところもありませんよ。疲れたらこのおにぎりを食べて元気を出してください」そうおっしゃる宿のご主人に見送られ、7時半行ってきますと元気に出発しました。
今日はずっと海岸沿いの国道歩きです。大丈夫かなと心配しましたが、海の美しさとお天気が私を支えてくれました。また幸いに野根を過ぎたあたりから時折道路工事関係者が働いておられ、まったくの一人でなく心強くもありました。工事の始めと終わりには決まって誘導員がみえるので話し相手になってもらえます。なぜかある工事現場には警察の方が数人いらっしゃって「ご苦労様です」「ご苦労様です」と敬礼されるので、ちょっと恥ずかしかったのですが、勇気付けられました。
国道の右に行ったり左に行ったり歩き続けます。すると遠くに室戸岬らしきものが見えてきました。道路工事の誘導員に尋ねるとやはり室戸岬でした。嬉しかったですね。まだ30キロも先なのに、とりあえずの目標が見えるということは大きな励みとなります。
このあたりから波が高くなり、今までの穏やかな海と違ってきました。これが淀が磯です。波が大きな岩に当たって高く水しぶきが上がります。またこれも美しい景色です。すると前方で大きな岩の上で釣りをしている方がいらっしゃいます(写真)。波にさらわれやしないかと本当に心配で、通り過ぎてからも何度も何度も振り返りました。
しばらくして、今日一番のビュースポットだと思ったところで私はザックをおろしました。ここは今まで歩いてきた長い国道と室戸岬の両方が見渡せます。大切に残しておいたおにぎりを食べながら、こんな幸せ、そうそう他にないなと感じました。

宿のご主人は退屈な国道歩きとおっしゃったけれども、ずっとひとりでも退屈せず気分よくここまで歩けました。私のことをエライエライとほめてくださった車遍路のお接待も道路工事も釣り人も、そして励ましてくださった警察の方もこの天気も、今回は無事に歩かせてあげようというお大師様のお計らいだったのではないかと思います。そしてこんなに元気に歩ける体に産んでくれた親に改めてありがたいと思い、また私の先達さんでもある藤田さんからは、「本当に体調いいのですね。強がっているのではないのですね」と心配メールを頂き、私は多くの方のお陰で今日も歩くことができたのだと強く感じた一日でした。

どこからこんなに集まったのか、サーフボードを抱えた若者の町、佐喜浜を通過し尾崎にある今宿に3時半頃到着。部屋から見える海には、まだ多くのサーファーが波乗りを楽しんでいました。

10/17(木) 6日目(11日目)民宿とくます発 24〜26番32`

7時に宿を発ち、今日は24番最御崎寺を目指します。いくつかの漁港を通過するにつれ、はるか左前方に見えていた室戸岬が右上に迫ってきます。ここまで様々な海を見てきましたが、もうここは見渡す限りの雄大な海です。すると前方に大きな大きな大師像が立っておられます。ここまで歩かせて頂いて本当にありがとうございますと心から思いました。
ここを過ぎるとまもなく是非立ち寄りたいと思っていた御蔵洞です(写真)。空海が修行した地です。畏れ多いのですが同じ場所に立ちたいという気持ちが足早になりました。真っ暗な神聖なる御蔵洞の中にひとりそっと入りました。ひんやりとしてこうもりがキーキー鳴いています。15メートルほど先にお参りするところがあり丁寧にお参りしました。振り向くと見えるものは闇の中からの空と海。空海が目にしたこの景色を私も本当に無になってしばらくひとりで眺めていました。
さあ24番最御崎寺まであとわずかです。登山口から20分ほどで立派な仁王門に着きました。まっすぐ本堂に向かいます。今まで通り般若心経を唱えていたときのことです。計らずも頬に暖かいものが伝うのでした。日和佐からここまで様々な人を頼りながら、時に励まされながらも、ずっとひとりで歩き通し、ここに立てたことが嬉しかったのでしょう。気の遠くなる距離でも1歩1歩足を前に出せば、いずれ着くことを体験し、ずっと探し続けてきた大きな自信をここでつかめた気がしました。そして私は更に遍路にハマッテいきました。なにひとつ遍路用品を身につけなかった私は、菅笠を24番で買い求め、それをつけ足取り軽くスカイラインを降りていったのでした。
それにしても今回は同行の遍路に恵まれません。やっぱりひとりは怖いことがあるのです。26番金剛頂寺をお参りして下山するときのことです。お寺の方に番外の不動岩までの道を尋ねると、親切に手書きのわかりやすい地図を下さいました。その通り山道を降ると、誰一人いない代わりに蛇が3回も出て怖い怖い。私はずっと南無大師遍照金剛を早口で唱え、走って降ってきました。
下山してから不動岩へは逆打になります。ここ不動岩にも誰もいません。しかし折角ですから薄暗い中を怖々入って行きました。海のほうへ下って行き、大きな岩を回り込みます。するとずっと奥の薄暗いところにお参りするところがありました。どうしようかと迷いましたが怖々入って行きました。が、もう限界です。「ひとりで怖いのでこれで失礼しま〜す」と言ってろくろくお参りせず、また南無大師遍照金剛を口走りながら逃げるようにして国道まで戻りました。怖がりの私はこういうときは同行者がいてくれるといいなぁと思うのでした。
道の駅で買った夕飯の鯖寿司を持って、吉良川にある今日の宿に入りました。

10/18(金)7日目(通算12日目)民宿ホワード発 27番 38`

国道をひたすら歩いていると傍らに突然車が止まりました。見るとお寺さんが窓からお接待ですといってぽんぽん菓子を差し出されます。私は変化がない国道をぼーっと歩いていたので突然のことで何事かわかりません。「この先長いですが頑張って歩いてくださいね」というお言葉で我に帰りましたが、丁寧にお礼申し上げたのかさえ覚えていません。今になって考えると本当に無心に歩いていたのだと思います。これを無心の歩きとするならば、対照的に地図を見ながら一生懸命な歩きがあります。このふたつが交互に繰り返されるので脳が休まり、長い道のりを歩くことができるのだと思うのです。しかしいつまでも無心で休んでいてもいけません。ですから他者から切り替えてもらえ、更に励ましてくださるこのようなお接待は実にありがたいのです。車が立ち去ってからスイッチされた私はまた元気になり、頂いたお菓子を子どものようにぽろぽろこぼしながら食べました。
国道歩きが飽きた頃、羽根の集落がある旧道に入りました。ここから中山峠を越えます。部分的に石畳が残り、時折海が見える雰囲気がいい道です。明治時代にはお殿様も通ったという道を今日は私が歩きます。麓の加領郷の漁港では年老いた男性が座って待っていてくれました。ここは海も非常に穏やかでイカが干してあったり(写真)人も景色もとてもやさしいのです。のんびりと好きに歩いたのでした。
立ち止まり地図を見ていたときのことです。遍路専用のジャンボタクシーの運転手がこっちこっちと国道を指差します。田野町の入り口に置かれている「政吉の手ざし石」の方とどうも違う気がします。更に国道の方が早いと言います。早くたって私は国道歩きは好きになれません。頭を下げ足の向くまま歩きました。
この田野では秋祭りの準備で活気がありました。八幡神社ではのぼり旗がいくつも立ち並び、屋台の支度で賑わっています。突然お遍路さ〜んと声がします。振り向くとパン屋だという女性が、焼きたてのパンをお接待くださるのです。手にいただくとふかふかです。心までふかふかにさせてもらった私は、更に集落歩きが好きになったのでした。
さて、27番神峯寺の登りに入ります。土佐で唯一という山上のお寺です。まぁ歩けば着くでしょうなんてのんびりしていると、降ってくる遍路さんは決まって「たいへんですよ」といわれます。本当にそうなっていきました。急な車道の連続で暑い暑い。午前中に何度か追いつき追い越された男性遍路に途中で会い、最後はふーふー言いながら一緒に山門をくぐりました。
よくお手入れされたお庭を通り、奥の本堂でお参りを済ませ納経所でのことです。ここでコーヒーをお接待いただきました。静かな境内で贅沢な時間を味わっていると、先ほどの同行遍路にはお接待がないことに気づきます。自分だけほっとしていてどうしましょう、困ったなぁと思いましたがどうすることもできず、うつむいてしまいました。
ご馳走になった御礼を言って気を取り直し今来た道を戻ると、今からお参りされるバイク遍路の女性に出会いました。聞けば、この山を登るときにこけて軽いけがをされたとか。67歳であるということも驚きましたが、けがが心配です。この先のお互いの無事を願ってお別れしました。が、麓に降り国道に出る間際、先ほどの女性がバイクで追いかけてきます。どうやら無事なようです。お互いにメールアドレスを持っているということでメール交換の約束をしました。それからひたすら2時間歩き、安芸にある宿に着いたときは5時45分、暗くなっていました。

10/19(土)8日目(13日目)山登家旅館発 28番区切る 24`

天気予報が当たりました。宿を出ると雨が落ちてきました。雨具を付け歩きます。今回の区切りとする28番大日寺までの24キロのうち、14キロは安全で静かな自転車専用道路を歩きます。これは土佐電鉄の廃線跡を利用したものだそうで歩き遍路にとってはありがたいです。迷うことなくのんびり歩けるので、しとしと雨ですがこれくらいなら平気です。道路わきにある民家をちょっとのぞいたりして歩きました。
誰もいない静かな番外の極楽寺を過ぎ、ほどなくこの遊歩道の休憩所がある赤野です。トイレが設置され立派な休憩所です。「雨が降ります、雨が降る♪」の童謡の歌碑がありました。偶然にもこの歌碑に合わせたように雨の今日ここを歩いています。この先「遊びに行きたし〜傘はなし♪」と何度も何度も歌いながら歩きました。時に大声で、時にため息交じりで。雨のひとり歩きのさみしさを紛らわせていました。
美しい砂浜の琴が浜海岸には、雨に濡れたお龍・君江の姉妹像がありました(写真)。お龍は、はるか遠くの桂浜に立つ坂本竜馬像に向かって指をさしているように思われました。このように様々な歴史・文化に触れながらの14キロでした。
自転車遊歩道が終わるとすぐに香我美町の集落に入るように遍路地図に書かれていますが、さてわかり難いです。しかし運良く集落に入りしばらくすると、向こうの方から声をかける男性がいます。近寄ると「ここへ入って来るところ、わかり辛くなかったか」といって缶コーヒーをお接待くださいます。タクシーの運転手さんであるこの男性は、国道をずっと行ってしまう遍路さんを多く見ているそうです。そして遍路小屋1号の野村カオリさんに興味をお持ちで、遍路小屋を建てたいと考えていらっしゃる奇特なお方でした。私は野村カオリさんの遍路小屋を写したデジカメをお見せして、是非実現してくださいとお願いしました。(帰ってからのことですが、このときに一緒に撮影した記念写真をお送りしたら、明日、近大の歌先生にお会いするという嬉しいハガキをいただきました)この先の道を詳しく教えていただき28番大日寺に無事着き区切りました。

今回の8日間の最終日は雨でしたが、お天気に恵まれ何よりも体調がすこぶる良かったことが幸運でした。四国の風土・人柄によって自分がどんどん元気になる驚きの連日でした。やはり始めの3日間、同行してくれた夫の大きな支えのお陰です。多くの出会いがあった今回の220キロほどの道のりも、こうして私の大切な物になっていったのでした。




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