2002年5月10日〜15日 1〜19番 110km


5/10(金) 1日目 1〜8番 21`

信心深い訳でもないのに、何故、歩き遍路を始めたのか、私自身まったくわかりません。しかし非常に興味を引くものがものがあったのです。
名古屋から夜行バスにゆられ、早朝、徳島のどんよりした空の下に降り立ちました。まぶしい日差しを浴びることを想像していた私は、お遍路の手強さを感じました。このようなシチュエーションの中、私は未知の世界に導かれて行きました。
板東駅に降り立つと、あいにくの雨です。ついていません。それでも発心したのですから1番札所に向かって歩きました。
1番札所霊山寺に着いたのは6時半前。まだお寺は閉まっています。ちょっと肌寒いなか、どうしていいのかわからない新米遍路の私は、山門前に立っているハイヒール姿の不思議な遍路マネキンをじっと見つめていました。 
巡拝用品取扱所が開くと、初めての方はこっちこっちとベルトコンベアーに乗せられた感じで用品を買い揃え、どうにかほっとしました。基本的な礼拝作法も教わり、これで何とかなりそうです。人の真似をしながら今習ったばかりの礼拝作法でお参りを済ませ、暗い雨の中を2番札所に向かって、とうとうひとり歩き遍路を始めたのでした。
それにしても雨の国道歩きは想像以上で参りました。車が通るたびに水が跳ね上がり、気をつけていないとずぶぬれになります。雨の装備を整えていったのに、なぜか雨具の上に着るようにとすすめられた遍路ベストが雨で重くなり最悪でした。(写真)そうしなければいけないと新米遍路は真面目に教えに従ったのですが、今考えるとまったくおかしいです。
さらに雨の中のお参りにも難儀しました。お線香やライターをだめにしたりで、自分は何をしに来たのかと泣きたくなりました。歩き遍路をまったく知らない新米遍路は、ちっとも楽しくもないこんなこと続けられそうにないとお寺に着くたび思いました。

道に迷いながらも、今日の最終予定地の8番熊谷寺を見つけたときは、あった、あった、あ〜よかった〜と思いました。ここに至るまで心細くて何度立ち止まったことでしょう。あたりを見回してもこの雨です。尋ねる人もいなくて、頼りは自分の判断力だけでした。大丈夫だと自分をなだめ励ましました。自分の判断で歩き始めた道が、結果的には正しかったとわかったときは、大袈裟なようですが、よくやったと自分を褒めていました。
くたくたになって第一日目の宿に到着。何もかもずぶぬれで、あげていただくのに恐縮しました。定年退職された歩き男性遍路ふたりと同宿です。夕飯のときには、今日の苦労話に花が咲きました。

その夜、私に歩き遍路をすすめてくださった藤田さんに携帯メールで今日のことを報告しました。返信メールでは無鉄砲といわれましたが、くじけず明日も歩こうと思うような励ましを頂き心強くなりました。
興味本意で始めた私に、歩き遍路の厳しさを教えるための雨だったような気がします。試されているような。想像以上に大変で初日からぐったりでした。

5/11(土) 2日目たみや旅館発 9〜11番 16`

今日は爽やかに晴れわたり気持がいい日です。同宿の男性達とすっかり仲良くなり、三人は女将さんに見送られ出発。
今日の予定は、9・10・11番です。お昼頃には11番に着いてしまうのでゆっくり歩くことにしました。
9番法輪寺、10番切幡寺をお天気と同行のお陰でスムーズに打ち終え、三人はありがたい、ありがたいの連発でした。それほど昨日の辛い雨に比べたらありがたいお天気でした。
しかし次の11番札所までは、9.8kmと今までになく遠いので慎重になりました。助け合って歩きましょう・・・・なんて、まだ初心者の遍路三人は冗談半分、まじめ半分でした。
田植えの時期で一生懸命働いていらっしゃる姿を眺めながら歩かせてもらいました。途中振り返ると先ほど打った切幡寺が山の中腹に美しく見えたので、田圃の畦道に腰をおろしました。新緑の爽やかな風が頬を撫でていきます。それはそれはゆったりしたひとときでした。

まだかな、まだですねといいながらやっと川島橋に着き、吉野川の美しい景色に感激したのもつかの間、欄干もないこの狭い橋を車と一緒に歩くことを知り不安がつのりました。待っていても次々来る車に我々も行くしかないと覚悟を決め歩き出しましたが、欄干がないのでバランスを崩したら川に落ちてしまいます。車が近づくたび動かずじっとしていたので、渡り終えるのに一苦労しました。やっとのことで対岸に着いたとき三人は、あ〜危なかったですね。大きなため息に大笑いでした。土手に上がり振り返ってみると実に素晴らしい景色です。(写真)欄干がないシンプルな潜水橋は増水時の工夫ですが、渡っているときは必死でした。せめて人だけの通行にして欲しいと思い出に残る橋となりました。

無事11番藤井寺を打ち終え納経所でのことです。効率よく参拝される団体の山積の納経帳に随分待たされ心穏やかでいられませんでした。急かされ慌しく去っていく団体さんに比べたら今の自分は慌てることなく自由自在です。なのに、まだ日常のハイペースを引きずっている私は、それだけのことが腹立たしかったのです。

ここから先の12番へは、山道で8時間ほどかかるので、今日はここから先へは進めません。もったいないようですが、このようにお昼で終わってしまうこともあるのです。こんなことなら、雨降りの昨日もう少しペースを落とせば良かったと思いました。天候に合わせて行動予定を変更する工夫ができなかったことが反省点となりました。

11番近くの宿をとりたかったのですが、今日は田植えで泊めていただけません。三人は仕方なく鴨島の駅前にそれぞれ宿をとりましたが、さてそこまでどうしようかと相談の結果、これは仕方なく(?)駅方面に行くのだからタクシーに乗っても良いだろうという理屈に笑いながら、三人は車という文明の利器となるものに5分ほど乗りました。昨日からの時速4〜5キロの歩みに慣れてきた体には、車のスピードは驚きでした。今まで当たり前のように乗っていた車の便利さを改めて知ることになったのでした。歩けば30分強を三人はあっという間に町に運ばれました。

明日はいよいよ難関と言われる遍路ころがしです。明朝、駅前からタクシーで藤井寺まで戻り、登り始めることにします。
昼食後、三人は明日もよろしくと挨拶をしてそれぞれの宿に入りました。
何といってもお天気と同行に恵まれた2日目でした。

5/12(日) 3日目さくら旅館発 12番 20`

12番焼山寺までの山道は、四国八十八ヶ所随一の難所で、三度の登りと二度の降りがあるへんろころがしとよばれる道です。11番藤井寺本堂脇から登りはじめます。
山歩きの経験はあるものの、ドキドキ・ワクワクしながら歩き始めます。同行の男性二人はそれぞれに、私はゆっくりですのでマイペースで歩きます・・・・といいながらも、やはり男性ですのでなかなかのペースで歩かれます。結局誰が極端に遅いわけでなく、抜いたり抜かれたり励ましあいながらの道のりとなりました。

長戸庵を過ぎしばらくゆるやかに登り、今度は転がり落ちるような急な下り坂になったと思ったら、そこに番外霊場の柳水庵が現れました。ここは焼山寺までのおおよそ中間点にあたります。要予約で三人ほど泊まれる宿となっていますが、お話を伺ってみるともう少しの人数泊めていただけるそうです。このとき浴衣が5枚干してありました。境内は奇麗に手入れされており、とても気持いいです。お参りした後しばらく休ませていただきました。

再度の長い登りでやっとの思いでたどり着いたところが、見事な杉の巨木がある一本杉庵(写真)。ひっそりと静かな無人の庵でした。時折遠くから聞こえてくる鐘の音は、焼山寺はもうすぐですよと励まされているかのように感じます。しかしまだまだ強烈な降りと、永遠であるかのように思える登り坂が待っていると遍路本に書かれていたので気が許せませんでした。

たしかにその通りでした。「これからがきついが頑張ろう」という立て札がありました。自信をつけるかなくすかの遍路ころがしといわれるだけあります。ここでへたばるわけにはいきません。今朝宿のお接待でいただいたおにぎりを食べることにしました。おにぎりを広げると「元気の源になればと思い心をこめて握りました」と女将さんからの手紙が入っていました。この嬉しさ、こころにじーんときました。このおにぎりが元気の源になったことは言うまでもありません。ちょうど男性が一人歩いて見えたので、この手紙のことを話し、ひとつもらっていただきました。そうしているうちに、ひょっこりもう一人の男性も現れ、お互いに励ましあいながらまた歩き始めました。

車の音が聞こえてきたと思ったら車道に出くわし、ようやく12番札所に着きました。嬉しくて緊張が一気に解けました。途中の休憩を入れて8時間ほどかかるのではと思っていましたが、何とか6時間ほどで登ることができたことを三人は喜びました。まだ先は長いですが、とりあえず難所をひとつクリアーしたこと、本当に嬉しかったのです。

12番から一番近い(2時間ほど降ったところにある)宿が三人の宿となりました。昨日同宿だった男性Hさんもしばらくして到着し、夕飯のときは、今日の遍路ころがしの話でワイワイ盛り上がりました。まるで修学旅行のようです。
しかし頑張りすぎて疲れたのか、あまり食が進みません。このときはまだ体の変調に気づいていないのです。

5/13(月) 4日目桜屋旅館発 13〜17番 30`

昨晩に続き朝食もあまり食べたくありません。体調が少しおかしいと感じながらも、いつものことと一人で歩き始めました。あまり食べていないので歩く力が出ません。歩きながら行動食を口にしていたら、元気よく登校する子どもたちに笑われてしまいました。今日の道は緩いアップダウンがありますが、車はほとんど通らない静かな鬼籠野国府線を行きます。
のんびり歩いていると1台の車が止まりました。乗りませんかと地元のご婦人です。せっかくですが・・・と、歩き遍路のマニュアル通りに丁寧にお断りしました。次の車は、歩きながら食べてくださいとお菓子を下さいました。これがお接待と言うものだと気づき,急いでザックを下ろし納め札を出しお礼を言いました。お接待のお菓子ひとつで、ひとり歩きの緊張が解けていくのを感じました。
しかしザックが重いです。宿で計ったら10キロ近くありました。不必要な物は送り返したいのですが、静か過ぎるこの道にはあいにく郵便局はありません。肩に食い込む荷物を我慢しながら13番までの20kmは、初めての長い道のりで過酷でした。昨日までのあの元気はどこへいってしまったのでしょう。

4時間ほど歩き、ほとほともう疲れたと思ったとき、84歳の女性(写真:児島シズ子さん)に手招きされ、ふらふらと吸い寄せられるように近づきました。あとどのぐらいかかるのか尋ねると、もう数分のところまで来ており、ありがたや、ありがたや、おばあちゃんが女神様に思えました。玄関先に掛けさせてもらい、冷たいお茶を頂き、本当に助けられたと思いました。あれもこれも持っていけとお接待くださいます。重いザックの荷物を送り返すのだからと、言われるままに沢山頂きました。13番までどの道を行こうかと迷いましたが、私はこのおばあちゃんに会うためにこの道を選んだのだと思いました。
4時間半ほどかかり、ようやく13番札所に着きました。ここまでが本当に長く感じたので、今朝まで一緒だった男性たちと再会したとき、元気?なんていうへんな挨拶をしてしまいました。今思えば、自分が元気でなかったのです。

郵便局で2.2キロの荷物を送り返し、楽になった私はこのように考えました。

私は今まで背負わなくてもいいものまで無意識に背負って生きてきたのではないかしら・・・
ここで選別すればもう少し楽に生きられるのではないかしら・・・
スリム化してみよう・・・
これは本来、夫の役割だからお返しして・・・
あれは母にお願いしてみよう・・・
これはもう私にはなくても大丈夫・・・・

今回、それほど必要としないものまで持って苦しんだことにより、自分の人生も余分な物をいっぱい抱え込んでるのだろうなぁと思ったのです。その後、荷を送り返しても不便を感じることなく、いかに用心深く余分な物を背負っていたのかと痛感しました。

13番から17番までは、「五ヶ所まいり」といってお寺が接近してます。16番を打ってからは、今晩の宿に荷物を置き17番に空身で出かけました。
しかしまた夕食は進まず、ちょっと心配になってきました。薬を飲んで早く寝ましたが、寝苦しい・・・。

5/14(火) 5日目旅館鱗楼発 18〜19番区切る 23`

昨日の朝食は残してしまったので、今日の朝食はお断りして歩きながら少しずつ行動食を口にすることにしました。もともと胃が丈夫でない私は、今回の慣れない一人歩き旅で相当なストレスを受けたようです。とにかくのんびり気負わず歩くことにしました。しかし歩き疲れてくると胃が痛みます。暑さで冷たいものを流し込み、胃にはさらに負担となっていたようです。

18番までの国道55号は何度も休憩しながら一生懸命歩きました。ゆっくり歩けば大丈夫だろうと思いましたが、どんどん力がなくなっていきます。19番に向かう道中で、もうこれ以上の頑張りはいけないと思いました。無事わが家に帰って歩き遍路の意味があるのですから。やめようと思った途端に気が抜けて、急に不安になりました。こういうときに限ってまったく車が通らない道を歩いています。昨日乗らないかと止まってくれた女性の車のことばかり考えていました。(写真:お京塚)
ほうほうの体で19番に着き区切りました。歩き始めるのは簡単でも、歩きを止めるには相当のエネルギーが要ることを実感しました。ここまで苦しまなければ止められない愚かな自分に気づくと、名古屋まで帰る気力はもう無く、とにかく横になりたかったので、予約してあった宿までタクシーに乗りもう一泊しました。

私はこんなに軟弱だったのかと情けなくなりましたが、よく考えれば、身のほど知らずの頑張りをしていたのです。一人旅の精神的プレッシャーは想像以上でした。私はこの体験をするためにお遍路に出たのかもしれない・・・・。

5/15(水) 6日目民宿金子や発  

心配してくださった藤田さんからのメールで目が覚めました。
外は雨。遍路たちは、もうとっくに20番札所に向かって歩いています。私のことをずいぶん心配してくれた4日間同宿だったHさんの無事を祈りました。(その後、Hさんは6月20日に42日間かけて結願したと嬉しいハガキを頂きました。また別の方からも、安和の宿から明日は焼坂峠越えとの便りなど嬉しいものでした)朝食は今日もやめ、ゆっくり寝ていたので、ずいぶん良くなりました。

宿の前(写真)から乗った徳島駅前行きのバスは、昨日泣く泣く歩いた国道55線を通りました。車窓には雨の中を険しい表情で歩く遍路が写ります。4日目の宿で一緒だった夫婦遍路さんが奥さんを気遣いながら歩いてます。あの奥さんは足がイタイイタイと言ってました。小さくなっていく夫婦遍路を見つめながら、体を壊しませんようにと願わずにはいられませんでした。
徳島から大阪に出て名古屋に帰りました。名古屋駅まで迎えにきてくれた夫に、ありがとう、と今までにない気持で言いました。

雨の中を歩き始めた旅は、自分の荷を減らすことに気づくものの、愚かにも欲を減らすことに気づかず、精神的プレッシャーを抱えたまま自滅しました。お遍路は自分を知る旅と言いますがまったくその通りでした。初めての歩き遍路は、こうして失敗に終わってしまいましたが、痛い目をしたことで愚かな自分を多少知ることができたことは、その後のお遍路(人生)に役立つことでしょう。

苦楽を共にし忘れることできない同行の人たち、お接待くださった方、お寺の方、宿のご主人や女将さん、そして心配で心配で応援メールをくださった藤田さん、多くの方の支えで19番まで貴重な体験ができました。




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