2006秋葉山

今日は静岡県の秋葉山。
秋葉山は、赤石山系の南端に位置し標高866mの霊山である。
火防の神様として有名な秋葉神社がある。

今回は、某バスハイキングに参加した。

8:00名古屋駅発→春野町スポーツ公園→犬居城址→秋葉神社下社→子安地蔵→三尺坊→秋葉神社上社→名古屋駅

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11:00春野町スポーツ公園を出発し、まず犬居城址に登る。
30分ほどで犬居城址着。

                                   

地図で確かめると、せっかく登ったのに、このあと下社のある気田川まで降りることになっている。
どの尾根を降りるのか目で追いながら景色を堪能した。

下社を参拝後、気田川沿いでお湯を沸かしカップラーメン。
これはやめられませんなぁ、あれこれ食べ満腹。

                                             

川沿いにある下社からは、標高866mを一気に上がる。
いきなりものすごい急斜面が目の前に迫り、手強さを感じた。
こうなったら、のんびり行くしかない。

今回の同行者に四国遍路経験者がいたのだが、どちらともなく四国の遍路道の話になった。
何処までも続く登りは12番への遍路ころがしだったり、宇和島に出る柏越えなどを彷彿させる参詣道である。
ひたすら2時間ほど登って上社の仁王門に着いた時は、まさしくお遍路で札所に到着した時の感覚そのもので、新鮮な感動だった。

             

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とても立派な仁王門にしばし見とれた。

参詣道を上がって来る物好きは、まったく皆無で静かでよかった。

この写真だけ見ると、どの札所? 

                                                                               

                            

                           

                             

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私が住んでいる町内では例年、秋葉神社のお札を郵送で入手しているのだが、今回はわが家が当番だったので、自分の足で参詣道を歩いてご祈祷しに来たのだった。
やはり、その方がいいに決まっている。

下社からは、急登の連続だったが、暑くも寒くもなく、山行日和だった。
最後に山門が出迎えてくれ、私には大満足な山行だった。

2006鈴鹿の山(横根山)

1016 今日は2度目の横根山(759m)。
前回(2002・2・24)は雪が多くてピークに行けなかったので今回はリベンジ山行。

9:15現役の炭焼き小屋がある岐阜県大垣市上石津町から入山。

滋賀県との県境尾根までかなりの急登を上がる。
10:45やっとの思いで稜線に出て一服。

ここから東横根まで県境を歩く。                              

11:38県境上にある東横根は伐採され好展望。
目の前に三国岳、少し左に烏帽子岳。

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東横根からは、滋賀県側に延びる(西側)尾根を行く。
せっかく稼いだ標高を急降下して、三角点のある横根山に登り返す。

12:10三角点着(展望なし)。
ガスバーナーで湯を沸かし昼食。

1:00出発。
ここからしばらくヤセ尾根・岩稜尾根の難所で岩を巻いたり乗り越えたり1時間程慎重に歩く。

左の写真は2:14、難所を越えたところ。

ヤセ尾根の両側にはシャクナゲやイワカガミがびっしりあった。
花の時期にはすばらしい尾根道になること間違いない。
だけど、その時期になるとヒルが出始めるので私はパス。             

1445

3:38権現谷林道に降り、五僧峠まで林道を歩く。

五僧峠からはまた山道に入り、4:40車に戻った。
6年越しで横根山をひとつカウントできた。
今日はスリル満点山行で満足満足。

2006鈴鹿の山(御在所)

Img_0001_1 御在所岳(1212m)に入った。
今日は、ノーマルルートで中道~裏道。

7:50家を出発。
東名阪道の四日市ICで降り、8:50中道登山口着。
名古屋駅近くのわが家から1時間で登山口に着くのだから、鈴鹿はとても便利である。                   

春はアカヤシオ秋は紅葉を目当てに山上公園までロープウェイで上がる行楽客が多い山である。

9:00入山。
ロープウェイの下をくぐり抜けると、“負ばれ石”という巨大な花崗岩が現れる。
少しずつ傾いているようないないような・・・・どうなんだろう?
どうやってこんなふうになったのだろうと思うような自然界の造形造作が御在所にはたくさんある。                                

Img_0004 登り始めて1時間40分、樹氷の中を歩く。
遠くに伊勢湾、四日市、標高の低い紅葉の山々が望める。
生憎曇り空なのだが、それでも時折雲の切れ間から日が差し込むと鮮やかで奇麗である。
至福のときである。                                  

Img_0007_1 今回心配していたキレットに差し掛かると、岩場は凍ってつるつる・・・怖いなぁ。
冷たい鎖をぐっとつかんで、掛けた足場の安全を確認しながら渡った。
何回も通過したことがあるが、今回が一番怖かった。
(写真をアップにすると通過している人がわかります)
キレットを通過後、10分ほど凍った急登をよつんばいになって上がって登頂。                         

Img_0011 小雪が舞うなか、樹氷目当てのロープウェイ客に混じって山頂を歩いた。

昼食後、12:00下山開始。
国見峠から裏道を下る。
中途半端な雪の積もり方なのでとても歩きにくい。    

この裏道にある藤内壁はロッククライマーのメッカで、いつも大概ぶらさがっている。
真冬はアイスブルーになってとても奇麗なところである。
私はやらないので、怖いだろうなぁとながめながら降った。           

途中、藤内小屋で休憩し、中道に合流する道に入って2:10車に戻った。
とても早い時間だが、こういう山行もありかな。
楽しい一日だった。

奈良(談山神社~飛鳥寺)

今年は、これという紅葉に出会っていない。
休みの度に天気が悪かったので山の紅葉を見損ねてしまったし、今のところ京都に出かける機会もなく、ちょっとふてくされていた。

Img_0010そんなとき、大和随一の紅葉といわれている談山神社(たんざんじんじゃ)から多武峰(とうのみね)を越えて飛鳥寺まで歩かないかという誘いを受けた。
数日前、NHKのニュースで紹介されたからなのか談山神社に近づくと大渋滞だった。

大化改新の中心人物の藤原鎌足を祀る神社ということで興味深かった。

Img_0009中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を滅ぼすための密談をしたといわれている談い山(かたらいやま)に登ってみた。
漏洩を防ぐために山中を選んだというから、もっと切り立ったところで密談したのかと思ったら、そうでもなかった。

                

Img_0012_1多武峰の山道を通って明日香村に降り立った。
なんというのどかな景色なのか。
神社仏閣もいいが、私はこういうのどかな景色を歩く方が好きである。
石舞台古墳まで、のんびり歩いた。

                  

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さらに、のどかな田園風景の中をのんびりのんびり ・・・・・
飛鳥寺を回って石舞台古墳へ戻って、今回の旅を終えた。

飛鳥路は、また歩きに行きたいと思うところだった。

2006徳島区切る

区切り打ち2回目 秋遍路終了

早朝、夜行バスは名古屋駅に着いた。
お四国の長い夢から目覚めた私は、15分ほど歩いて日常に戻っていった。
さぁ、また頑張ろう。

     お遍路に 出かけられるも 夫の愛 (おそまつ)

         * * * * *

今回のお遍路も、天気に恵まれ実に楽しい旅になりました。
お四国の方たちのご親切のお陰を感じます。

今度はいつになるかわかりませんが、それまで元気でいようと思います。
だらだらと長い文章を最後までお付合いありがとうございました。

私のコースタイム
11月2日・・・32.7km
     6:00スタート  JR府中駅
     6:50~  7:00 地蔵院
     8:20~  8:45 法花バス営業所
   10:50~11:15 18番恩山寺
   11:30~11:40 釈迦庵
   12:20~13:00 19番立江寺
   16:00着      金子や

11月3日・・・21.3km
     7:00スタート   金子や
     8:15~  8:35  20番鶴林寺
     9:25~  9:45  水井橋渡ったところで休憩
   11:00~11:30 21番太龍寺
   11:48~12:10 舎心ケ嶽
   13:50~14:00 持福院
   15:00~15:20 道の駅わじき
   16:50着      22番平等寺

11月4日・・・34.3km
    7:00スタート   山茶花
    7:40~7:45   月夜御水庵
    8:45通過       由岐分岐
   10:10~10:30 田井ノ浜   
   11:00~11:41 木岐からの遍路道
   11:41~12:00 山座峠遍路道
   12:15~12:45 えびす洞
   13:05~13:25 大浜海岸
   13:30~13:40 日和佐神社
   14:00~14:40 23番薬王寺
   14:40~14:50 道の駅
   17:20着      JR辺川駅

★☆★
2006徳島 春遍路のときに知り合ったニュ-ジランド女性に、今回
Do you remember the Shikoku Henro in front of half a year? とメールを送ったら

Of course I remember you!! と嬉しい返信が来ました。 

そのときのHenro Story がネット上に完成したということです。
ご紹介いたします。
http://www.gaijinhenro.blogspot.com/

         * * * * *

   
              

2006徳島(22~23~辺川)

区切り2回目の3日目 晴れ

昨晩は7人で夕食をとったのに、今朝は3人しかいない。
車遍路の親子さんと私だけなのである。
また、置いていかれた心境になる。
昨日に続き、早立ち遍路さんにはまったくたまげる。

7時宿を発つとき、車遍路の親子さんが見送ってくれた。
お母さんは80歳くらいでとてもお奇麗な方、息子さんもハンサムで素敵だった。
そんな親子遍路さんに見送られ、今日はいい日になりそうな予感がした。  

宿を出て歩き出すと、昨日一緒だった野宿遍路が待っていた。
話を聞くと、山茶花の2~3軒隣で泊めていただいたそうだ。
お布団もあって、お風呂にも入れていただき、夕食もいただいたと嬉しそうに話す。
そう、善根宿でお世話になったのだ。                        

この数日で、彼は徐々に身の上を話してくる。
56歳、リストラで寮を出たので帰るところがないという。
どうしてあげることもできないから、相槌だけは打った。
お遍路をすると何かが変わるような気がすると彼は言った。
結願すると何かが変わるかとしきりに聞いてきた。
結願経験者の私に、すがる思いで聞いたのだろう。
私が想像できないくらいの深い悲しみと不安を背負い、野宿しながら歩いているのだった。
そんな彼が昨晩は大変よくしてもらったのだから、どれほど嬉しかったのだろう。
昨日、足を引きずりながらも頑張ってここまで来てよかったと、彼は喜びに満ち溢れていた。                                   

Img_0019_1足が痛いので、なるべく車道を歩きたいという彼と月夜御水庵で別れた。
逆さ杉の写真を撮っていると、誰かが走ってくる気配がした。
すごい遍路が現れたかと思ったら、今別れた野宿遍路ではないか。
やっぱり一緒に歩くと言って、ぜーぜーとお杖を振り上げ走ってきた。                              

それからしばらく歩くと、オートバイが傍らに停まった。
物静かな野宿遍路が、突然大声を出すので何事かと思ったら、
昨日お世話になった善根宿の方だと私に紹介してくれた。
思わず、私もありがとうございましたと言ったのだが、私がお礼を言うのもちょっとおかしい気もした。
私に紹介できてよかったと、彼はまた熱く語った。
うんうん、と聞きながら歩いた。

         * * * * *

国道55線に出る手前の橋で面白いものを見つけた。
橋の欄干からロープがぶらさがっているのだ。
引っ張ってみると先に魚の仕掛けのような網がついている。
中には死んだ魚が一匹あるだけである。
が、よく見ると蟹がいっぱい入っていた。
なるほど、こんなふうに仕掛けるのかとわかったので、また元通りにドボンと川の中に返しておいた。                              

とうとう魔の55線に出た。
今回は、由岐経由で23番薬王寺に出る計画なのだが、トンネルを2つ越さねばならない。
あいかわらず恐怖のトンネルだった。

         * * * * *

     分岐点 上手く入れた 由岐の道

とうとう野宿遍路は私との同行を断念してくれ、交通量の多い55線を歩いていった。
それでも彼は23番でずっと待ってるからと言う。
そんなに言われても困るし、未練がましかった。
私は適当に相槌を打って別れた。                          

実は、いい加減ひとりになりたかったので、ほっとしたのだ。
しかし、そんな罰当たりなことを言って、本当に罰があたり道を間違えないだろうかと急に不安になった。
罰当たりな考えであるのなら道に迷ってもいい、とお大師さまに身をゆだねた。                                            

由岐坂峠で、自転車遍路の男女に会った。
手を高く上げてお互い合図を送った。

この峠から由岐に降る遍路道を行こうと思っていたのだが、気づくと降り始めている。
想像だが、峠で道路工事の人が大勢休憩していたので、その影で道しるべを見落としたのではなかろうか。
道路工事の人たちよ、お遍路の大事なところで休憩しないで下さいな。
あぁ~残念と、少し大回りの車道をずんずん降っていった。

         * * * * *

     田井ノ浜 沖には小舟 浮かんでる

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田井ノ浜に降り海まで行った。
誰もいない、私ひとりじめだった。

木岐で、自転車に乗ったお年寄りの男性としばらく立ち話をした。
すると、私と同じ年の娘さんがいることがわかった。
そのお父さんは私に、何度も気をつけて行きなさいと心配してくれた。

そのお父さんと別れて間もなく、突然涙が出てきた。
6年前に亡くした優しかった父を思い出したのである。
くしゃくしゃな顔で泣きながら歩いていると、少し先にまた私を待っていそうなお年より二人が見えたので、何事もなかったように振舞い歩いていくと、この先の道を丁寧に何度も教えてくれるものだから、途中でこらえきれずまた涙がこぼれた。
お接待のやさしさが、乾ききっていた私の心に本当にしみた。
これはひとり歩きでなければ体験できない。

 

木岐の漁港をぐるっと回って遍路道に入った。
この辺は、遍路シールが少なくて感が頼りだった。
とにかく思ったとおりに行こうと自分を信じて歩いた。

         * * * * *

Img_0028_1      つわぶきや 山座峠に ひっそりと

     山座越え 遍路仲間が 現れる

さぁ、山座峠を降ろうと思った時、何を思ったのか後ろを振り返ると、お遍路さんが歩いて来るではないか。
週末遍路をされている徳島のFさん、待ち人来るだった。

            * * * * *

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えびす洞は、吸い込まれそうでちょっと恐怖感があったが、 聞きしに勝る景色だった。

朝の予感とおり、やはり今日はいい日になった。

     えびす洞 おにぎり食べる 遍路かな

           * * * * *                      

23番薬王寺の瑜祇塔も日和佐城もよく見えるようになった。

ウミガメ産卵で有名な大浜海岸で飼育されているウミガメを見た。
まるで遠足に来ているような感じである。
ここにある無料休憩所でFさんと長い休憩をした。                

Img_0035_1 とうとう23番薬王寺に到着した。
ここまで由岐経由の道は、実に楽しかった。

例の野宿遍路は、2時間ほど待っていてくれたらしい。
もう、善根宿の橋本さんに出逢ったらしく、今晩の寝場所は確保できたので安心したと言う。           

参拝後、Fさんも野宿遍路とも、ここで本当にお別れした。
野宿遍路のとてもさびしそうな感じが気になったが、お元気でとしか言えなかった。

私はその後、時間を持て余し居場所がなかった。
それならば歩こうと、足が根を上げるまで行ける所まで歩いた。        

途中、雨が降り出し、JR辺川駅に着いたときは日が暮れていた。
17:37のJRに乗り日和佐に戻り、千羽温泉で汗を流しながら時間をつぶした。

日和佐駅21:03発、ライトアップされた23番薬王寺の瑜祇塔と日和佐城を後にした。
徳島に出て、そこからは夜行バスで名古屋に帰った。

  • 夜行バス往復11800円
  • 歩いた距離34.3キロ                        NEXT

2006徳島(20~22)

区切り2回目の2日目 晴れ時々曇り

昨晩は11人もの歩き遍路がいたのに、今朝は半分しかいない。
どうも、朝食なしで出かけたらしい。
早立ちして、いったいどこまで行くのかしらと驚いた。

7時宿を出発。
今日は、22番平等寺まで行く予定である。

Img_0003まずH30mから出発し、1峰目H500mにある20番鶴林寺に向かう。

みかん畑のなかをずんずん登っていき、山道に入ると同宿だったMさんに追いついた。
何度か追いつき追い越されしたが、結局Mさんについて静かに歩いた。

8:15、20番鶴林寺山門に到着。
なつかしさはあっても、1巡目のような感動がない。
これは、いったいどういうことなんだろう。
淡々たる心境であった。
だからといって、つまらないわけではない。

1巡目は興奮しすぎで、これが本当のお遍路の境地なのかもしれないなんて勝手に思った。

         * * * * *

H500mから一気にH40mまで降ると、そこには前と変わらない那賀川の景色があった。
ここは、以前夫と歩いた道である。
そのときと同じ水井橋を渡ったところで、今回はひとりで休憩をした。

     那賀川を 越えて目指すは 太龍寺 鈴の音響く 同行二人

Img_00122峰目H520mにある21番太龍寺をめざす。
とりつきは、せせらぎ沿いを歩き、20番への登りとは違う風情がある。

まだお役目があるお社なのかわからないが、かろうじて立っている鳥居越しに今回も手を合わす。

畑仕事をされる老夫婦の姿もあった。
小型トラクターをたくみに操作しながら熱心に働いておられる。

私も、夫とあんな老後を迎えたい。
こんな静かな生活を、私は夢見ているのだ。

またMさんに会った。
どんな内容だったか忘れたが、話をしながら歩いた。
Mさんは写真がご趣味で、今回のお遍路の写真をネットで紹介すると聞いた。http://www.miyazaki-catv.ne.jp/~nobuo7/
必ず訪問しますと伝えた。

急登を延々と登り21番太龍寺についたとき、龍ならぬ蛇に出迎えられ一瞬たじろいた。

そこには、早立ちしたお遍路さんが納経を済ませ休憩していた。
昨日、同行した野宿遍路男性もいた。
しきりに話し掛けてくる。
この野宿遍路は、地図は見ず誰かについて歩くタイプであるようだ。
この先のふだらく峠を「一緒に行こう」ではなく、謙虚になのか「ついて行く」と言う。
私には断る理由もなく、成り行きに任せた。

お参りを済ませると、案の定ロープウェイ乗場で彼は待っていた。
そこで、お接待にしいたけ茶をいただいたのでお昼にした。
宿で握ってもらったおにぎりを彼と分けて食べたあと、11:30太龍寺をあとにした。

         * * * * *

Img_0014

こちらに来るお遍路さんは我々の他はいなかった。

彼は山歩きが苦手なのに、山道を選んだのは何故だろう。

女一人で行かせられないとつきあってくれたのでしょうか。
どうであれ、この道は初めてなので心強かった。
素直にありがとうと彼に告げた。

そんなことを考えながら歩いていたら、舎身ケ嶽に到着した。                

立ち入り禁止のロープが張られているのに、私はお大師さまのもとに行ってしまった。

Img_0017 素晴らしい景色である。
19歳の青年空海がここで厳しい修行をしたといわれている。
見上げれば車遍路のときに乗ったロープウェイが通過する。
あの時に見たお大師さまのもとに、今私はいる。
秋のやわらかい日差しのもと、ゆっくりした。

案の定、戻ったら立ち入り禁止だと注意を受けた。
お大師さまに、ごめんなさいと手を合わせ太龍寺山に向かった。

太龍寺山頂は見晴らしが悪く、ロープウェイと遠くの山並みが少し見えるだけだった。
ハイキング客に山の名前を尋ねたがわからなかった。

そこからは長い降り。
道しるべがなく不安だったが、いつもの感で進むと持福院への案内板が出てきた。
野宿遍路を大声で呼んだ。
ところどころガレているところがあり、降りが苦手な彼を気にかけながら1:45持福院に降りた。

山道ではいきいきしていたのに、195号線に出たら一気にしおれたようだと野宿遍路は私に言った。その通り、私にとって騒音だらけの車道歩きはどうも苦手である。
何とかしてここを早く抜けようと、ものも言わず歩いていたので不機嫌そうに見えたのでしょう。
道の駅わじきまでのつまらない道を1時間、ひたすら歩いた。

阿瀬比にある遍路小屋を過ぎて、緩い坂を登っていく。
大きなハウス設備のあるみかん農園を越えて登っていき大根峠のとりつきに立った。

今日の行程の最後に、この急登はつらいものがある。
時間にしたら20分くらい、H200mの峠を登りきった。
もうあとは降るのみ、降りの苦手な野宿遍路をほっておくわけにもいかず、彼を待ちながら竹林の中ゆっくり降った。

麓に降りたら、牛舎の向こうからお遍路さんが歩いてきた。
逆打ちだ。
21番下の坂口屋か龍山荘まで行くと言う。
到着は6:30頃になるだろうと思うと頭が下がった。

     へんろ道 大根峠 降ったら 牛が放され こちらを見てる (ぎょっ)

     逆打ちの お遍路の宿 まだ遠し お大師さまと 同行二人

ああだこうだといいながら、野宿遍路とここまで歩いてきた。
もうフラフラだという彼をなだめすかし、22番平等寺を打ったのは、5時ぎりぎりだった。

幸いなことに、私の今宿は22番のとなり。
野宿遍路とここで別れた。

金子やを早立ちしたご夫婦が出迎えてくれた。
夕食は品数が多く、お腹一杯になった。
案の定、胃がもたれた、なさけない。

  • 山茶花1階食堂となりの部屋(5800円也)
  • 宿泊客7人
  • 歩いた距離21.3km

2006徳島(18~19)

区切り2回目の初日 晴れ時々曇り

Sikoku1_1

お四国の 景色恋しく 秋遍路

またお遍路にやって来た。
半年ぶりである。

日常でこころが萎えてくると、無性にお四国が恋しくなるのだ。

夜行バスは、5:15まだ薄暗いなか徳島に着いた。
寝ている間に到着するのだから、私にはとても便利な交通機関である。
目が覚めたらお四国という世界に到着と言うわけだ。
一巡目の頃は寝られなくて困ったが、今では夜行バスで寝るのも上手くなった。

徳島駅からJRに乗って府中駅(こうえき)に出た。(210円也)
6:00歩き始める。
だんだん明るくなっていく。

今回は、春に区切った17番から23番を歩く計画である。

17番にご挨拶と思っていたのに、私の足は18番の方に行きたがって仕方がない。
まぁ、いいでしょう。
先に行きたがる私の足に、ここは付き合うことにした。

今日歩く道には、1巡目のとき(平成14年5月14日)へとへとになった苦い記憶がある。
それに比べたら、今日の私は4歳も年を取っているにもかかわらず、元気である。
初日だからなのか、嬉しくてたまらないのだ。

         * * * * *

せせらぎに、手作りのししおどしがいくつもあるへんろ道を通った。
その地蔵峠を越えると園瀬川に突き当たる。
交通量がものすごい。
国道なのか県道なのか、その一段下の安全な道を川沿いにしばらく歩いた。

八万南小学校に登校する生徒がとてもかわいい。
ここまで来る道中で、幼稚園児にも会った。
「お遍路さん、こんにちは~」と手を振ってくれる。
見ず知らずの私を歓迎し挨拶してくれる土地が、四国以外どこにありましょうか。
「和顔施」とは、きっとこういうことを言うのでしょう。
自然に顔はほころび、こころがやんわりと解放されていくのがわかる。
こうなると、もう魔法にかかったように不思議な力が湧いてくるのだ。
    
         * * * * *

法花に入って、バス営業所待合室のベンチを見つけた。
以前歩いたときは、大勢の人がいたのに今日は誰もいない。
しめた。
歩き始めて2時間、ちょっと疲れてきた。
ベンチに横になった。

はっと、気づいたら、運転手さんが目の前に立っている。
数分であるが、本当に寝てしまったのだった。
「すみません、すみません、つい・・・・」とぺこぺこ頭を下げ謝ったら、
「ゆっくりしていってください」とおっしゃる。
お遍路に対してのやさしさが身にしみる。
へんろ小屋のようにありがたいバス営業所だった。

     へんろ小屋 見つけて昼寝 また歩く

         * * * * *

とうとう魔の55線に出た。
以前は、この国道で何度休憩したことか。
今回も交通量は多い。
前を見ても後ろを見ても、また通りの向こうを見ても、私以外にお遍路はいない。
まさに、お大師さまと同行二人。
徳島ラーメンの看板を横目に、とぼとぼ歩いた。

Img_0001

お大師さまに導かれ、やっと18番恩山寺に着いた。
この赤い橋はなつかしい。
またお参りさせてもらえることにお礼申し上げた。

参拝後、境内で歩き遍路の男性に出会った。
このときはまだ知らなかったが、野宿へんろだった。

この先、釈迦庵の仏足石を見るために、山道のへんろ道を行く計画なのだが、ひとりでは心細い。
そこで野宿へんろを誘ってみたら
「ついていきます」と欠けた歯の笑顔で言ってくれた。

それがこの男性、私より臆病だということがすぐわかった。
私も蛇は怖いのでお互い様だが、彼は山歩きが相当の苦手。
男性なので登りは馬力があっても、降りは危なっかしくて見ていられない。
それに、蛇を追払うかのように杖を思いきり突いて歩くのだから可笑しくて仕方がない。
まぁ、旅は道連れ世は情け。

釈迦庵に着いた。
ここのものは、四国最古の仏足石だそうな。
大きく割れ、角も丸くなっており、相当古い(400年以上前)ものだということがわかる。
奈良の薬師寺と同じ法量があり、足の病が癒えるとか、足の疲れがとれるとか。
裸足で上に立ってもよいと聞いていたのだが、透明な板で保護してあるのでだめである。
私も残念だったが、足を痛がっていた野宿へんろは、もっと残念がっていた。

         * * * * *

不義の天罰を受けたという逸話が残されているお京塚を過ぎ、19番立江寺に着いたのは、12時を少し回っていた。
予定より時間をオーバーしているが、まぁ、仕方がない。

         * * * * *

ここから、お接待が続いた。
櫛渕の八幡神社で足を休めると、ゲートボールをしていたお年寄りが、順番にやってきては、おみかん、100円など下さる。
おひとりとお話が済むと次のお年寄りがやってくるというわけだ。
この順番お接待で、随分休んだ。

そこから22号を歩くと、右側に冷泉が湧いているのを、野宿へんろが見つけた。
このあたりに冷泉が湧いているとは、新しい発見であった。

そこを過ぎたら、車が止まった。
差し出されたものは、ポンポン菓子のお接待。
そのとき、私の記憶が、ものすごいスピードで巻き戻された。

26~27番間でこれと同じものをいただいた事を告げた。
「9年間ずっとこのお菓子でお接待しているから、多分、自分である」とおっしゃる。
そのとき、ろくにお礼を申し上げなかったことを悔やんでいたと伝えると、金の納め札を下さった。
すると、見覚えのあるお名前が書かれている。
えっ、〇〇さんですか?
53番で、銀の納め札を下さった〇〇さんだったのである。

1回目:平成14年10月18日、26~27番間でぽんぽん菓子のお接待
2回目:平成15年 4月30日、53番間で銀の納め札
3回目:平成18年11月 2日、ここでぽんぽん菓子と金の納め札のお接待を受けたのである。

すべて同一人物だった。
不思議な縁をたぐり寄せたことに驚いた。

今春のお遍路でも、間違いなく再会であると思われるお二人にお会いしてる。
名前をお聞きしていないので確かではないかもしれないが。

そんな「からくり」が、このお四国にはそこかしこにある。

         * * * * *

そうこうして、4時に金子やに着いた。
この先で寝場所を見つけるという野宿へんろと、ここで別れた。

     宿に着く 洗濯待ちの ひとだかり

1台しかない洗濯機の順番を待つかごがいくつも並んでいた。

その夜、宿の前は、もうクリスマスの飾りだというイルミネーションが華やかだった。
お四国に、クリスマスがあっても不思議でないが、なんか不似合いだった。

こうして一日目が過ぎていった。 

  • 金子や3階蔦の間(6000円也)
  • 歩きへんろ11人
  • 歩いた距離32.7km               NEXT       

北アルプス・西穂高岳

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  9月24日5:53西穂山荘からの笠が岳(9月23日テント泊)

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                   雲海に浮かぶ笠が岳(丸山より)

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     丸山からの乗鞍岳と焼岳

 

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                            西穂独標

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      西穂独標H2701m 笠が岳をバックに

 

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   この先のピラミッドピークと西穂高岳    奥穂(左)と前穂(右)の吊尾根

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            西穂高岳からの笠が岳

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                  槍が岳から西尾根の先の山々

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         西穂から南側

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                           奥穂と前穂が迫ってきた

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    西穂からもうひとつ進むと・・・・スリル満点。奥穂から来たエキスパートたちが

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        これは怖い、もう私では行けない 10:25諦めて引き返す

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            西穂~奥穂~槍までは長い

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                  振り返れば西穂も雲海に浮かぶ

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10:44西穂に戻る

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                          ピラミッドピークまでもう少し

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      11:24ピラミッドピークから西穂を振り返る

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                       12:32無事テント場に戻る

テントを撤収して13:14下山。ロープウェイで新穂高に降り、マイカーで帰る。