城崎温泉・天橋立

女友達3人で1泊2日の温泉旅行なるものをした。
この友達のお陰で、私もこのようにまともな旅行をすることがある。
決して4月1日のエイプリルフールではないので念のため。

3月31日、まず城崎温泉に向かう。
はるか昔、国語の教科書で習った「志賀直哉の城崎にて」を思い出す。
が、覚えているのは題だけで内容はまったく覚えていない。
何十年かたって、その城崎に来る機会を得たわけである。

山をやるものとして、やはり城崎全体を見渡す高い所に登りたい。
というわけでロープウェイで大師山に上がった。

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生憎の曇り空だけれども、城崎の全体像は、こんな感じ。
奥に見える大きな川が円山川で、左奥の日本海に流れ出る。
こんなとき決まって思うことは、この円山川の源泉はどの山だろうってこと。
振り返ると高い山があったので、それかなと思った。

下山する途中にある「温泉寺」と「城崎美術館」に立ち寄る。
温泉街だけあって「温泉寺」とは忘れない名前である。
ちなみに、高野山真言宗、お大師様が祀ってあった。

南無大師遍照金剛を唱えたからだろうか、願ってもないことが起こった。
強風でロープウェイを動かせないので歩いて下山してほしいとのこと。
何たるラッキー、歩いて行けるなんて願ってもないことである。
私はルンルンで降った。
お陰で、ショウジョウバカマやスミレが咲いるのも見られた。
山をやらない連れのふたりが辛かったことは言うまでもありません。

宿でもらった外湯めぐりの無料券で3つの湯につかる。
もう少し入りたい心境だったが、のぼせてぶっ倒れても困る。
などと考えていたら雷が鳴り始めた。仕方なく宿に戻る。

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蟹・蟹づくしの夕食だった。
なかでも、右側にある皿そばが興味深かった。
まぁ、椀こそばのお椀がお皿になったようなものでしょうか。
出石(いずし)そばといって有名であるそうな。

夕食後、連れのふたりはエステなるものに出かけた。
何分か知らないが6000円もするという。
山で紫外線浴びまくりの私はエステは無縁である。

夕飯を下げ、布団を敷いてもらったら連れを待たずに寝てしまった。
明朝、連れ(同い年)の顔をしげしげ見たが、あんまり・・・・だったが老眼のせいだろうか。それとも後日成果が現れるのだろうか。

翌朝、城崎温泉から天橋立に向かう待ち時間、名残惜しく駅前を眺める。

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城崎温泉駅前の駅舎温泉さとの湯はなかなか立派な建物だった。
右端にそれをスケッチしている浴衣姿の人がいるのだが、この温泉街は無料でスケッチの道具を貸してくれるそうで、昨日も方々で見かけた。

天橋立駅から観光船に乗って対岸に渡り、ケーブルで傘松公園に上がる。
すると、お決まりの・・・・・

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股のぞき台がある。
少なからず抵抗があったが勇気を出してポーズ。
お天気なら素晴らしい景色なのでしょうが、生憎の曇り空で日本三景のひとつといわれてもぴんときません。
余談だが、民謡で「・・・縞の財布を・・・丹後の宮津でぴんと出した~」というのがあるのだけれど、このぴんとは何だろう?

ここでまた山をやるものとして更に上にある成相寺(西国28番札所)からの景色が気になる。
昼食時間を利用して私だけ単独行動をとる予定だったが、急に連れも行くというので一緒にお参りした。

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線香・蝋燭・納め札・写経を納め、きちんと般若心経も唱えた。
西国を歩く人がいるが、ずいぶんの距離だろうと想像する。
ここからの景色は、生憎の曇り空でさっぱりだったが満足だった。

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傘松公園に戻ったら少し天気が回復したがご覧の通り。
五分咲きの桜越しに、日本三景のひとつ天橋立を間近に見ながらリフトで降った。

海岸沿いにバスで30分揺られ、伊根湾着く。
ここも長年来たいと思っていたところ。
船に乗って伊根湾めぐりをする。

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船に決まってついてくるかもめの大群の中に、とんびもいた。 
船を下りてから散策して気づいたことだが、蔵が多く立ち並んでいた。
網とか漁に使う道具を納めるための蔵だそうだが、もはや使われている気配がないものが多い。
海からの入り口にコンクリートを流し、車庫にしている家もたくさん見た。
やはり時代の流れというものなのでしょう。

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海側から見るこの舟屋の景色が、だんだんなくなっていくのは残念に思う。

帰りは天橋立を自転車で戻ろうという計画だったが雨が降りそう。
帰りも観光船にした。
またもや名残惜しく振り返ると、高台に股のぞきをした傘松公園が見える。
もう来ることもないだろうと心の中で手を振った。

この晩、京都経由で名古屋に戻ったのが21:44。
駅に夫が迎えに来てくれた。
至れり尽せりである。

夫に恵まれたお陰で、我々女3人は楽しい旅をすることができた。
この旅で更に夫達への感謝の気持を抱いたのであった。おしまい

 

                                                                            

2007知多四国37~39番日間賀島・篠島めぐり

5回目の今回は、知多半島先端の師崎港から島に渡る。
(1~4回目は左端カテゴリーの知多四国を参照してください)
日間賀島に1ヶ寺、篠島に3ヶ寺あり、時間にしたら2時間半ほどで回れるようなのだが、子供の頃、海水浴で何度か訪れたなつかしい所なので、2島めぐりでゆっくりすることにした。
島での歩く距離はたいしたことないので、母親、妹、姪(高校1年)を誘って出かけた。

8:00夫の運転で自宅を出発
9:10師崎港駐車場に置車
9:30日間賀島行きの高速船に乗船
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                                    少しお値打ちになってるお遍路用周遊券を購入。
海は穏やかで揺れることもなく10分ほどで日間賀島東港着。

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日間賀島名物のたこに出迎えられる。
このたこの右奥の坂を上がって数分のところに鯖大師があった。
四国の鯖大師を思い出すが何の関係もないらしい。
知多四国の札所でも番外でもないのだが何故か素通りは出来ず、この寂れたお寺に立ち寄る。

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●37番大光院
日間賀島唯一の札所である。
お遍路初めての姪は、お灯明と線香の作業がめずらしいようだ。

順調に打ち進み、日間賀島西港まで小一時間散策する。
桜はまだ早いが、それでも2~3輪咲く桜を愛でた。
今日からアサリ漁が解禁とかで、収穫したアサリを見ながら西港まで歩く。

予定していた船より10分早い臨時便11:15に乗り篠島に渡る。
古くは伊勢神宮領として海路要衝の地として栄えたそうだ。

篠島へ上陸したころは、お昼時間。
だけれども海水浴シーズンではないので、食堂らしきものはまったくない。
そんなとき地元民宿の呼び込みのおばさんに運よく遭遇。

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私はさしみ定食を食べた。
姪が食べた煮魚定食も美味しそうだ。

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                                                                                    昼食後、島特有のこんな道を上がる。
階段は高齢の母には多少きついが、直に札所だった。 

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●38番正法禅寺
お寺は階段状に延びる墓地の入り口だった。
母は9年前に(平成10年)に知多四国を回っており、その折の納経帳に重ね印をもらう。  

●番外西方寺
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38番からさらに階段を上がること数分、番外西方寺に到着。
込み合った家を縫うように上がってきたことがわかる。

境内では梅の木をチェンソーで無残と思うほどばっさり剪定していた。
般若心経を唱えている間中うるさく、おのずと大きな声を張り上げる。

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                                                                西方寺から一度下って島特有の小道を行く。
すると「帝の井」という井戸があった。
なんでも、1338年後醍醐天皇の皇子・義良親王が篠島に逃れた際に掘った井戸らしい。
今では使っている様子はないが奇麗でない水は満々とあった。

●39番医徳院
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徳川家康が本能寺の変による伊賀越えの後、このお寺に一泊したと伝えられている。
さらに、この本堂は1744年伊勢神宮西方殿の用材を下賜せられて改築し、島内最古の木造建築らしい。
保育園が併設されており、日頃は島の園児がこの境内で遊んでいるのだろう。

今回のお遍路は、ここで区切る。
休憩していたら団体さんがどっと来た。
添乗員が大きな荷物を抱えて来たと思ったら納経帳だった。
みながお参りしている間に納経を済ます例の団体である。
我々が休憩している間に団体さんはもう帰り仕度。
きっと船の時間があるのだろう。

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団体に混じってこんな階段を下りてきた。
磯の匂いがするとおもったら、わかめが干してある。
さらに見下ろすと・・・・

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海岸沿いに奇麗に箱が並んでいる。
地元の人に尋ねたら、小女子(こうなご)だそうだ。
一度茹でてから天日干しするという。
ものすごい量に驚いた。

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海水浴場の方へ出てみたら、素晴らしい景色だった。
ここでもこうなごが干してある。
今日は晴天なので、いい具合に干しあがるということだった。

船着場までぶらぶら歩くと・・・・

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山頭火の句碑に出合った。
昭和14年の春に訪れているらしい。

      やっと一人となり私が旅人らしく

      出船入船春はたけなわ

3:30篠島港を離れる。
何十年ぶりに訪れた篠島だったが、もう来ることはないだろうと思った。

アサリ漁が解禁となったのだから、アサリをお土産に買う。
1キロ1000円、結構大粒だった。

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せっかくだから夕飯も海の幸にした。
こんな夕陽を見ながらの夕食は、四国遍路での御荘町にあるドライブイン・ビーチ以来のことだった。

家族で楽しく過ごした一日だった。

2007鈴鹿の山(仙ヶ岳)

今日は鈴鹿の山(仙ヶ岳H961)に入る。
8:00名古屋駅前で仲間を拾い、東名阪道路を鈴鹿ICまで走る。
3月になってようやく降った雪が、鈴鹿山脈の北部(藤原岳・御池岳)を奇麗にお化粧している。

鈴鹿IC出口では、いつもにない込み様。
どうやら鈴鹿サーキットでレースがあるらしい。

9:15小岐須渓谷で仲間と合流。
9:40大石橋を過ぎた駐車場に置車し仕度後出発。

林道終点(H517)までの40分、ウォーミングアップがてら歩く。
それにしても寒い。
晴天なのに、歩いても体が温まらないほど気温が低いようだ。

仙ヶ谷沿いの山道を20分行くと分岐に出る。
ここで左に折れ、谷に沿って仙鶏尾根に向かうのだが結構道は厳しい。
ガレ崩落あり、霜柱を踏みつけながら登山道30cmほどのへつりをしばらく歩いた。
こういう道は緊張するが嫌いではない。
稜線に上がる前のお決まりの急登をフーフーいって上がった。

11:05尾根に上がると、冷たい風が吹く。
温まった体に気持がいいが休憩しているとぶるぶるっとくる。

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仙鶏尾根から南側に第二名神高速道路が見えた。
平成20年には、亀山から大津まで開通するらしい。

5月になるとこの尾根はイワカガミが咲き乱れる

11:40仙の石(仙ヶ岳東峰)で昼食。
大きな岩陰で湯を沸かしていたら、雪が舞ってきた。
やはり冷えるはずだ。

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昼食後、仙ヶ岳に向かう。
このころから冷たい風が吹く。
ぶるぶる震えながら歩く。

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そんな寒さの中、マンサクが奇麗に咲く。
マンサクの奥に見える仙ヶ岳を目指して歩く。

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仙の石から1時間強、仙ヶ岳(H961)着。
右奥から鎌が岳、御在所岳。
左奥が雨乞岳で、遠くに見える雪山は藤原岳か御池岳か?
この先、この県境稜線沿いをアライ谷出合まで歩く。

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県境稜線を歩いて40分、振り返ると仙ヶ岳が見える。
小社峠を過ぎアライ谷出合に向かうと・・・・・・

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こんなザレ場に出る。
この辺は風の通り道で,冷たい風がびゅうびゅう吹く。

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帽子が飛ばされないように、足がとられないように必死に歩く。

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南を振り返ると、双耳峰の仙ヶ岳と県境稜線がよくわかる。
何度かアップダウンを繰り返しここまで来た。

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ここからアライ谷出合までは、ものすごいザレ場である。
犬返しの岩場という難所である。
みな慎重に落石しないように降る。
ずるずると急降下し、アライ谷出合に出て一息入れた。

ここからは樹林帯、少しだが雪の中を歩いた。
雪がなくなりかけた頃、左手に・・・・・

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つらら滝があった。
山からしみ出した水が、ここ数日の冷え込みで凍ったよう。
たくさんのつららがお見事。

途中から沢を降り、仙ヶ谷に出て4:40無事下山した。
バリエーション豊富な7時間の山行、充分楽めた。

あまりの寒さに、立ち寄り湯して帰宅した。
案の定、鈴鹿サーキット帰りの車で渋滞だった。

2007鈴鹿の山(藤原岳孫太尾根)

藤原岳は花の百名山である。
この時期、セツブンソウ・キクザキイチゲ・福寿草などを求めて観光バスが来るほどお花が多い。

雪解けのグチャグチャ登山道は大渋滞で、いささか嫌気がさしていたところ、静かでもっとお花が豊富な道を案内してもらえることになった。
丸山と多志田山を経て藤原岳に上がる道なき道の急登・アップダウンロングコースである。

6:50マイカーで自宅出発。
8:15伊勢治田駅で仲間を待っている間に、「ホーホケキョ」と今年初の鳴き声を聞く。
新町に置車し孫田尾根から藤原展望丘に上がり、復路は大貝戸道。

右手に採石場を見ながら丸山への急登をひたすら歩く頃になるとヒロハノアマナが現れる。
人があまりはいらないので咲き乱れている。
踏みつけないように注意深く歩いた。
今年もお花の時期が来たと思うと嬉しくワクワクした。

今日は風もなく晴天。
さらに汗だくになって登ると、今度はセツブンソウが現れ始める。

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10cmにも満たない可憐な山野草で、精一杯に咲く様がかわいい。
雪解けの頃に芽を出し、旧暦の節分の頃に咲くのでこの名がある。
藤原岳の一般ルートでも何度か見たが、こんな広範囲に咲き乱れる光景は初めてだった。
時期が良かった。夢のようだった。身震いするほど嬉しかった。Photo Photo_2

 

      左:スハマソウ(葉先が丸い)
右:ミスミソウ(葉先が三角)
写り最悪であしからず

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多志田山を直登したのち、急降下して藤原展望丘への尾根に登り返す。
その頃になるとセツブンソウに混じって福寿草が現れた。
花に気を紛らわせながら最後の道なき道の急登をほうほうの体で尾根に上がった。
もうお腹がぺこぺこ、1時近くになって昼食とした。

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昼食後、藤原岳展望丘(H1140)まで数分。
ここまで来てやっと大勢の登山客に出合った。

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藤原山荘前の福寿草が初々しく咲く。

ここからは、藤原名物の雪解け泥んこグチャグチャ道をしばらく歩く。
絶対転びたくないので慎重に降る。
一般道(大貝戸道)のつづら折の道をひたすら降って午後4時無事下山した。

三岐鉄道に乗って西藤原駅から伊勢治田駅まで戻る電車の待ち時間に、仲間のひとりがものすごいものを案内してくれた。
それは・・・・・

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セツブンソウの大群。
これは藤原岳麓に住むお宅の庭先なのだが、セツブンソウを大切に育ているのだ。
山中でこんなセツブンソウの群生に出会ったら、私は卒倒すると思うが、山中にもきっとこんなところがあるように思える。
そんな光景を夢見て、私はまた山に入るのである。

2007鈴鹿の山(御池岳真の谷テント泊)

昨年に続き、御池岳真の谷テント泊に出かけた。
今年は記録的な暖冬で雪が少なく、雪山の楽しさが味わえないでいる。
御池岳は積雪が多い山なので雪を期待した。

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藤原簡易パーキングに置車し、10:00巡視路入り口から木和田尾に上がる。
大木に木々を渡したウエルカムゲートをくぐり、さらに山の中に入る。

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いくら暖冬とはいえ、山中の花はまだ咲いていないだろうと思いきや、鉄塔脇にマンサクが奇麗に咲いていた。
冬枯れの中、淡い黄色が奇麗だった。
春よこい、早く来い・・・そんな思いだった。

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霊仙岳と伊吹山は、すっかり雪が解けてしまっている。
遠くに見える能郷白山だけが雪山だった。
これでは、御池岳山頂からの景色は期待できそうにない。
やはり、山は雪を冠ったほうが美しい。

坂本谷(現在は土石流で登山禁止)源流部に福寿草が咲き始めているという情報を途中で得たので、坂本谷源流部に寄り道する。

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今年初の福寿草は、坂本谷だった。
右は、マルミノウルシで、これから咲きだす。

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暖かい日差しのもと、坂本谷源流部で昼食。
その後、木和田尾道に戻り、白瀬峠に向かう。
ここまでくれば雪があるはずなのに、まったくない。
雪があっても中途半端で、トラバースでは非常に歩きにくかった。
おまけにザックの重さで肩が痛み出す。

白瀬峠(H1000)から真の谷に降るのでアイゼンを履いたが、陽があたるところはまったく雪がない。
御池岳を見上げても雪が少ない。
雪がないまま真の谷テント場に着いた。

それでもその晩は寒かった。
7時くらいになると、ビールも水も凍った。
焚き火があっても足が冷たくてたまらない。
夫達は、あるだけの酒を全部飲んで体を温めた。
私はホカロンを6つも貼り付けてシュラフにもぐりこんだ。

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明朝、寒くて目が覚めた。
朝まで残った火をおこし朝食。
やはり火があると暖かい。

テントに荷物を残し、御池岳山頂部に上がる。
急登をゼーゼーヒーヒーフーフーいいながら45分ほど上がると・・・・・

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一面雪景色に出るはずだったが、想像以上に雪が少なくがっかり。
昨年の景色は見られなかった。
曇り空で景色も半減だった。
10:10御池岳頂上(H1247)を踏み、テーブルランド山頂部を散策した。

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カモシカだろうか、たくさんの動物の足跡を見た。
途中、琵琶湖が見えたが、黒雲が垂れ込めている。
それはそれで美しく、立ち止まって眺める。

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テント場までの急降下途中に、天然のゆりかごを見つけた。
乗ってみようとするのだが、結局誰も乗せてもらえなかった。
山中の神聖なゆりかごだった。

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12:15テント場に戻って昼食をとり、テント撤収し下山した。

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ザックに楽しかった思い出を詰め込み、来た道をとぼとぼと戻る。
午後4時半、藤原簡易パーキングに戻った。

その後、近くの日帰り温泉で汗を流し帰路につく。
楽しいテント泊だった。

2007知多四国27~36番

4回目の知多四国お遍路に出た。
(前回までの記録は、カテゴリーの知多歩き遍路を参照してください)

7:35自宅を出発。
名古屋駅までは、いつも通り自転車をぶっ飛ばす。
2本見送って、7:55発の河和(こうわ)行きに乗車。
今回は、終点まで乗って行くので、居眠りしても大丈夫である。

8:47河和駅に到着。
ザックを担いだ山行グループを横目に、笠と杖を出し仕度する。
四国のように笠や杖を持つ歩き遍路は少ないので、同じ山をやるものとして、ちょっと恥ずかしいというか、お遍路の仕度は勇気がいった。
どんな山に上がるのかなぁ・・・と雑念いっぱいで歩き出した。

今日は河和駅から知多半島先端にある師崎(もろざき)まで16.5km歩く。
札所でいうと27番から36番である。
詳細は こちら を参考に。

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とても2月と思えない暖かい日が続き、梅はほぼ満開である。
メジロが喜んで飛び回る。
それにつられ、私もあちらこちらと梅に誘われどんどん歩く。

日当たりがいいところでは、沈丁花も開花している。
うん、これもいい香り。
オオイヌノフグリの青と菜の花の黄色がとても奇麗で嬉しくなる。
こんな暖冬だと、受験シーズン中にサクラチルなんてことになりはしないだろうか・・・せめて桜は例年並みに開花して欲しいものだ。


●27番誓海寺・番外禅林堂
 9:45~10:15
河和駅から4kmを歩いて58分、坂を上がって立派な山門前に出た。
ここは2ヶ寺が同じ境内にある。
鐘をゴォ~ンと撞いてみた。
奇麗にお手入れされたお庭を見ながら階段を上がっていくと、車遍路さんが数名いて、なんかお四国を思い出すような光景である。
さらに、納経所では「歩き?みかんをどうぞ」とお接待をいただき、ますます気を良くする。
こういう出会いを願って撞いた鐘のご利益がもう顕れたのだった。

この先は南知多道路に沿って南下していく。
道中「つくだに街道」という看板がやたら目に付いた。
変った街道名だと思ったら、大きな佃煮屋さんに出た。
観光バスが立ち寄る土産物屋で、佃煮を専門に扱っている。
立ち寄って、ししゃもの佃煮・あなごの干物・食べる煮干など買った。
食べる干物は、再来週の雪山テント泊に持っていくつもり。
酒の肴に軽くっていい。

●28番永寿寺 11:28~11:40
途中つくだに街道に25分もいたので、3kmを1時間13分かかって到着。
境内は誰もいない。

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大師堂の窓が、鐘の形をしていて面白い。

Img_0049 28番参拝後、山門脇のお地蔵さんの写真を撮っていたら、歩き遍路の男性が角からひょっこり現れ「歩いているのですか」と聞かれた。

杖も笠もない人だが、仲間だと思った。
縁があるならまたどこかで会うはず、どちらからも話し込まなかった。
次に出合ったときのお楽しみなのだ、ひと足先に出た。

「今回のお遍路、何だかいいねぇ~」と言っても、夫はなぜか冷静。
私だけうきうきしていたようだ。

まもなく山道に入り、トンネルのような竹林の遍路道を降っていく。
ところどころ、散り椿が道を赤く染めている。
立ち止まって仰ぎ見ると、びっしり花をつけている。
山の中では大概、散っている花や葉を見つけてその木の存在を知る。
そんなところが何ヶ所もある素敵な道を歩かせてもらった。
私は勝手に、ここを「散り椿の遍路道」と名付けた。

その道の終点は、私の好きなピンクの椿だった。
それは廃屋の前の庭に植えられた大木で遠くからでも目立った。
ピンクの散り椿の一円が、木の大きさを表している。
たっぷり咲いている花が毎日少しずつぽたぽたと落ち、この先ずいぶん楽しめそうだ。
ここを空家にしておくのはもったいない。
こんな静かな山奥で、散ってもなお美しいこの椿と暮らせたらなぁと、いつもの癖でしばらく勝手な想像をした。

そこから50メートルほど降って乙方という集落に出た。

●29番正法寺 12:22~12:45
2.6kmを42分かかって到着。
お寺にしてはめずらしい赤レンガ塀に沿って境内に入る。
近年に火事があったそうで本堂も大師堂も新しい。
そのせいなのか、大師堂前にあるはずの灯明や線香がうんと離れた手水場横にあった。
参拝後、6mを越す厄除大観音像の足下でおにぎりを食べる。

ゆるい坂をずっと登っていくと・・・・

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山を切り開いた三河湾が望める高台に出た。
ここまで来ると、車も人も家もない。
畑がどこまでも続く。
梅も菜の花も満開、小鳥はさえずり、大空には鳥が飛び交う。
そして風は、私を確かめるかのようにやさしく寄ってくる。
そんな至福のときを味わった。

下調べをしておいた山越えの道を行ったのだが、最後に道を間違えて、思ったところに降りてこられなかった・・・残念だった。

●30番医王寺~5ヶ寺 2:00~3:23
私の調べでは3kmほどなのだが、道草しまくって1時間15分かかった。
そうそう10分ほど、途中でコーヒタイムをしたっけ。

ここ大井は、諸国行脚の弘法大師が三河から船で上陸された所と伝えられている。
そんな理由からなのか、一山五寺で30~35番が集まっている。

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地元の女の子達がままごとをしながら奇麗に飾ってくれていた。
こんな気遣いは嬉しいものだ。

●31番利生院 
28番で出会った歩き遍路の男性(愛知県刈谷市在住)とここで再会した。
この方も四国を歩かれたそうで話が盛り上がった。
知多四国は4巡目とか。

●32番宝乗院
31番を出て10歩ほどが32番の山門。
ここで31番の納経もしてもらう。

●33番北室院
ここで30番の納経もしてもらう。
なんだか、こんがらかってしまう納経の仕方である。

●34番性慶院

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山門脇に興味深いお言葉があった。
なるほど・・・・私の視力の衰えは、こういうことだったのですね。
心の眼でしか見えないことの多さに改めて考えさせられる。

一気に5ヶ寺も打ったが、1時間25分も要した。

●上陸大師像 3:35~3:40
1kmほど12分歩くと、海の中に立っておられましたお大師さまが。

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弘法大師が三河から船で上陸されたと伝えられている場所です。
(上陸大師像の詳細は こちら で)
潮が引くと歩いていけるそうですが、このときは無理。
その奥に見える島は、今度行く日間賀(ひまか)島のよう。

風が強いのですぐ退散。
この先は危険な国道沿いを歩いた。

●35番成願寺 4:06~4:15
夫が釣り人に夢中で、遠回りしたのか1kmが26分もかかった。
今回の予定の36番まで何とか打っておきたいので、急いで参拝。

●36番遍照寺 4:40~4:55
2kmを25分で到着。

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こんな感じで、旅館の2階に橋を渡した下が遍路道とは珍しい。
橋の上で猫が気持よさそうに寝ていた。

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ここ師崎は、昭和14年春に種田山頭火も訪れた伝えられている。

        右も左も編み干してある花の散る道を  山頭火

ようやく知多半島の先っぽまで来た。
この先は、次回島に渡って打つ。

バスの待ち時間に食堂に入って、刺身定食を急いで食べた。
17:32のバスで河和駅まで戻る途中で暗くなってきた。
河和で名鉄電車に乗り換え、19:11名古屋駅に戻った。

朝の7:30に家を出て、夜の7:30に帰宅した。
楽しい12時間だった。おわり

本宮山

今日は、豊川(東三河)の北に位置する本宮山(H789m)に入った。
別名三河富士と呼ばれ、山上には由緒ある砥鹿神社奥宮があり、東三河の人々の信仰の対象として親しまれている山です。

9:30登山口にある「自然の道ウォーキングセンター」の先に駐車して歩き始める。

すると、いきなり道端に・・・・
奇麗に洗われた新鮮な大根が山積みされており、「だいこんをどうぞ」という張り紙がある。

スーパーで買えば、安くても1本100円はする。
私は欲張って2本もいただき、大根を置きに車に戻った。
こんな親切は嬉しい。
このときの私は、ニコニコ顔だったにちがいない。

気分よく歩き始めた。
9:45砥鹿神社奥宮への鳥居をくぐる。
50町ある町石を数えながら歩いた。

鶯峠、見返峠を越え、1時間ほどで馬背岩につき、展望台に着。
ここからは、三河湾、渥美半島が一望・・・・・のはずだが残念ながら見えなかった。
今日は節分。
仲間のひとりが持ってきた「まめ」でコーヒータイムした。

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その後、梯子岩、蛙岩、日月岩、天狗岩、山姥の足跡などの奇岩を楽しみながら歩く。

12:00ちょうどに奥宮拝殿へ出た。

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何年か前の例祭(2月6日)に登った時、甘酒が振舞われた。
その時、雪があったが、今年は暖冬で2月と思えない陽気が続く。
とはいうものの・・・・

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標高700mのここは、正午でも気温は1℃。
手水場の水は、ガチンガチンに凍っていた。

その先の富士山遥拝所から、富士山が遠望できた。
富士山が見えると何だか嬉しくなるのは何故だろう。

さらに、三角点に行き、昼食とした。
今日は風もなく、暖かい山頂だった。
いつもながら、皆それぞれ、たくさん食べた。

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1:00下山開始、行きにコーヒータイムした展望台まで一気に降る。
すると光線の加減か、登りの時には見えなかった三河湾、渥美半島が奇麗に見えた。
ここには何度も立ったが、初めての美しい景色に気を良くし、また湯を沸かしコーヒータイムした。

3:00無事に下山。
本宮の湯という日帰り温泉で汗を流し、6:30帰宅した。

大根のお土産つきという楽しい一日だった。
大根を下さった方に感謝いたします。

鳩吹山(愛知県犬山市)

日本ラインと呼ばれる木曽川の左岸に位置する鳩吹山(314m)に入った。
低山だが、変化に富んだ縦走ができる山である。

自宅から地下鉄・名鉄電車と乗り継ぎ、1時間で登山口の最寄の駅(可児川駅)に着いた。
すっきりしない曇り空のもと、登山口(大脇口)まで25分ほど歩く。           

    

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鳩吹山山頂までノーマルルートがあるのだが、こんな感じで岩を攀じ登るパノラマコースを行く。

これが結構楽しめるのである。
こんな岩場を直登するのだから40分ほどで鳩吹山山頂に立った。

生憎の空模様。
木曽川は望めるもののイマイチだった。
                                
                           

さて、ここからもノーマルルートを行かない。
せっかく稼いだ標高を、物好きにも木曽川まで降って滝のコースの谷を行く。
転げ落ちそうな道を降っていくと・・・・

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こんな感じで木曽川を見ることができる。
鳩吹山山頂からの景色より、ここからの方が私は好きである。
今日は生憎のお天気だが、晴天の時は素晴らしい。
いつもしばらく見入ってしまう。

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滝のコースは、こんな景色がいっぱいだから大好き。
高いところから狭い谷底に差し込む光を見つけた。
水面がキラキラ、とても奇麗だ。

アップダウンを繰り返し・・・・

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最後に、この滝を上がって本線に入る。
1時間半ばかり歩いて標高300メートルまで上がった。

見晴らしのいいところでお昼にした。
仲間のひとりが、餅入りぜんざいを作ってくれた。
甘党の私は、たまらなく嬉しい。
あれもこれもと、たくさん食べた。                          

                         

鳩吹山遊歩道北回りコースを行き、樋が洞遊歩道を下って木曽川河川敷に降り立った。
道端の無人野菜販売所で、サトイモとジャガイモを買う。
びっくりするぐらい大きな白菜も100円で売っていたが、袋にも入らないそれを抱えて地下鉄に乗る勇気はないので諦めた。

桃太郎神社で木の芽田楽を食べ一服してから、犬山遊園駅まで木曽川左岸沿いを30分ばかり歩いた。

8時間半ほどの外出、楽しい一日が過ごせた。

2007笙ヶ岳(岐阜県養老郡)

今日は養老山脈最高峰の笙ヶ岳(H908)に入った。
前回(2003年12月)は、風が強く寒い山行だったが、今日はピーカン、風もない山行日和である。

7:41名古屋駅~桑名乗換え~養老駅8:45着
電車で行った私は、養老駅で仲間の車に乗せてもらい登山口まで行った。

9:20登山開始。
養老の滝駐車場をいったん出たらすぐ左折して山に入る。
歩いて30分程すると雪道になる。
所々、道が凍っていて怖かったが、アイゼンを履かずに何とか三方山まで行った。

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三方山からは濃尾平野が一望。
名古屋駅のツインタワーは、今日はぼんやり。
御岳・乗鞍・恵那山が見えるときもあるらしい。

この先、雪道のアップダウンを繰り返し、あせび平で昼食にした。
皆それぞれ、お湯を沸かしラーメンを作るもの、お雑煮を作るもの、これが楽しいひとときである。
風もなく、暖かい日差しの下、大休憩をした。

この先はトラバースがあるのでアイゼンをつけた。
今シーズン、初アイゼンである。
ギュッギュッと雪をつかんで歩む。
やはり雪山はいい。

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何の足跡かわからないが、今日はたくさんの種類を見た。
                                               

12:50さらに奥にある笙ヶ岳に向かう。
まもなく案内標識が出てきた。
笙ヶ岳まで50分と書かれているが、雪道なので1時間と予想した。

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笙ヶ岳から伊吹山が見えた。
雪をまとい、堂々とした山容である。
北から南からとあの山には、何度登っただろう。
実にたくさんの思い出がある山のひとつである。
当時のことを懐かしんだ。

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とにかく、雪山は楽しい。
4:30養老神社の裏に無事下山。
楽しい一日だった。

2007知多四国21~26番

夫と3回目の知多四国お遍路に出た。

1年に1度日帰りのペースなので、なかなか進んでいない。
実は、四国お遍路と比べて物足らなさを感じているのだ。
歩き遍路にはまず会わないし、お接待文化はないようだ。
札所間も短すぎるので、途方に暮れることもない。
(総距離194km)
そんな自分勝手な理由でのろのろ遍路をしている。                

しかし始めたからには途中でやめるわけにはいかない。
とりあえず結願はするつもりでいる。
まったくいい加減なお遍路である。                         

  7:14 名鉄名古屋駅発

  7:52 知多半田駅着

  8:25 21番常楽寺(所要時間20分)(次の札所まで45分)

  9:30 22番大日寺(10分)(5分)

  9:45 23番蓮花院(45分)(30分)

11:00 24番徳正寺(15分)(30分)

11:45 25番円観寺(35分)(40分)

13:00 番外葦航寺(20分)(40分)

14:00 番外影現寺(15分)(25分)

14:40 26番弥勒寺(20分)(5分で河和駅)                   

前回区切った知多半田駅から歩き始める。
知多半島の中央部に位置する半田市は醸造と紡績の町で、食酢の生産は日本一である。

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今日は風がなく穏やかな日。
お遍路日和である。

順調に24番まで打つ。
お醤油の倉庫が立ち並ぶ道を歩く。
お正月休みでなかったら、きっと興味深い様子が見られただろうに。                                                                         

       

                          

25番円観寺は富貴城趾に堂宇がある。Img_0007_3
ここの大師堂前に、四国の地図が描かれた御影石が敷かれていた。

「足下の御影石の本四国巡拝図の下には、四国88ヶ所のお砂が奉納されています。石の上で立ってお参りすれば、そのまま四国霊場のお砂踏みができます」

私は、四国の牟岐か宍喰あたりに立って般若心経を唱えた。(今お遍路している知り合いの無事を想って宍喰あたりに立ってみた)

      

      

Img_0008番外葦航寺(いこうじ)へは、こんな道をのんびり歩く。
この先、名鉄電車沿いにずっと歩いた。                              

                    

                    

番外葦航寺の本堂はめずらしい茅葺屋根だった。
一部にトタンが張られ修復されていたがそれももはや限界で見るに忍びない状態だった。

ここ葦航寺には、知多四国開山のひとりである 武田安兵衛行者のお墓があった。
武田安兵衛行者は、讃岐の出身であるそうな。                  

                                             

その次の札所、番外影現寺までは海岸沿いを歩いた。
やはり海岸沿いを歩くのは気分が晴れていい。

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暖冬だからなのか、番外影現寺には桜が咲いていた。
こんな感じで三河湾が眺められるお寺である。
なんだかんだといっても、知多四国お遍路も楽しい・・・まったく勝手なものです。
                                              

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26番弥勒寺へ向かう。
対岸が見えるけれど、室戸岬を過ぎ高知に向かっている気がしないでもない。
せめてそんな気になって歩いた。

 

世間を騒がせた戸塚ヨットスクールの建物がある。
この沖に見えるヨットは戸塚ヨットスクール生なのかな。 

           

Img_0018_1予定通り、26番弥勒寺まで歩いた。

知多四国のお参りの仕方は、本堂ではお灯明も納め札もなく、ご本尊真言を唱えるだけのよう。
大師堂は四国と同じ。
今では慣れたが、始めは戸惑った。

                                                     

                          

知多四国の納経所は、窓から納経してもらうようになっている。
家の中に入るようになっていないのだ。
ここ26番は、めずらしく(初めてのような気がする)四国のように戸を開けて建物の中に入り納経してもらった。

今日は、ここ26番で区切る。
3:00山門を抜けてから、まっすぐ行く道に導かれるように歩いていった。

もう少し歩きたいところだが、名鉄電車はここ河和駅が終点で、この先に進むと、区切った札所からはバスで戻ることになる。
バスは本数が少ないし時刻表も知らないので、ここで区切ることにした。

総距離16.3kmで短いが、まぁ、仕方がない。