2007高知(27)

区切り3回目の4日目 曇りのち雨

朝飯の仕度をしているおばあちゃんに声をかけ、5:00浜吉屋を出た。
ちょっと小寒い感じである。
少しでもこの快適な気温の中、標高430mにある27番まで行きたい。
鳥がさえずるすがすがしいへんろ道をずんずん登っていった。

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『まっ縦』と言われる薄暗い山道に入る。
車道を縫うように5ヶ所の山道を一気にあがるのである。
マルバウツギだろう木が開花(写真)していて奇麗である。
種類はわからないが桜も咲いていた。
広場になっている休憩所で少し汗ばんだ体を休めた。

●27番神峯寺 (6:25~7:10)

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我々だけのお線香がふたつ並ぶ。
こうしてお寺の一日は始まるのであろう。
このお寺の今日の始まりに縁があったこと、嬉しい気がした。

誰もいないことをいいことに、本堂前に置かれたベンチに越し掛け般若心経を唱えた。
ちょっと後ろめたい心境だったが丁度いいところにあるベンチの誘惑に負けたのである。特等席だった。

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相変わらず神峯寺の境内は奇麗に手入れされている。
点在するシャクナゲが花をつけており、この彩りに心のやすらぎを覚えた。

納経所が開くころになると参拝客がちらほらあがって来る。
8時には宿に戻る約束をしているので早々に退散した。

下山途中、昨日奈半利前の遍路休憩所で会った遍路が汗をかき来た。
昨日は私が彼をうらやましく思ったが、今日は反対の立場である。
結局は皆同じ距離なのだと苦笑する。

宿に戻ったのは8時を数分まわっていた。
今回は微妙であるが計算通り歩けないことが気になる。
計算違いのほかに体力低下も考えられる。
1日通すと1時間近くのズレは簡単に生じる。
予定通り進まないことは心得ていたが、もう少しのゆとりの必要性を感じた。

約束どおり遅めの朝食を頂いた。
だいたいの後片付けを終えたおばあちゃんは休憩時間になったらしく、我々の脇にぺたっと座った。

「今日はどこまで?」の問に「夜須まで」と答えると
「今日は、もうゆっくりや」

そう油断したのがいけなかった。
1時間以上ここでおしゃべりをしてしまったのである。
今日は雨が降るという予報なのに、シマッタ・・・である。
まぁこれもご縁と自分を納得させた。

『道の駅大山』で休憩後、伊尾木まで防波堤歩道を歩いた。
前回もあったのかと帰宅後に第5版の遍路地図で確認すると、この道は記載されていなかった。
こういう車の恐怖や騒音から離れられる道は歩き遍路にとって貴重である。
精神的ストレスが緩和される道が適宜なければ、余分な苦がつきまとう。
そんなことが続くはずがない。
日常では便利な車に乗るのに、ここではうるさいと思う自分の勝手さにどう折り合いをつけよう。
精神的ダメージを受けつつも歩きたいと思わせるのだから、お四国はまったく不思議な世界である。

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心の充電をしながら歩いた防波堤歩道の終わりに、小さいが立派な屋根のお社があった。
鳥居からお社までの参道を『はまひるがお』が奇麗に飾っている。
はまひるがお以外には、どんな花が咲くのだろう。
神様も喜んでおられるに違いない。

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安芸市にある前回泊まった宿のわきを通過する。
当時使った洗濯機だろうか同じ所にあった。
当時の自分を今の自分がながめているような気がした。
あれから私は泣いたり笑ったりと様々な体験をしたが、また歩いているのだから幸せだったのだと思う。

マンホールの蓋のデザインに足が止まる。
とぼとぼ歩いていると、こんな出会いもあるのだから楽しい。

今回はほとんどが海岸沿歩きなので、遠くに岬や町が見えると、あそこがどこどこだという見当がつく。
遠いように見えても必ず到着するという喜びを今回は沢山味わっている。
結願を目標に歩くとき、とりあえずの目標が今日の宿のように、一日を区切る目標がたとえ遠くても見えるということは歩く励みになる。
これはゆとりがなかった1巡目では味わえなかった2巡目冥利とでもいうのだろうか。
歩いていると暇なので、こんなふうにいつもの自分勝手な考えばかりが浮かぶ。

自転車専用道路に入る前にある広場のベンチで寝転がる。
どんよりした空を見上げ、雨が降らないでと心の中で祈る。
こんな寝転んだままの横着な願いを誰が叶えてくれるものか。
そんな半ば諦めの心境で、顔を笠で隠し目を閉じた。

遠くから聞こえてくる感じの音楽(本当は頭上から)に気づき飛び起きると、広場のからくり時計が午後1時の踊りを披露していた。
からくり時計を見に来た子供づれ家族がこんなに集まっていることに気づかないまま、呑気に寝ていたのである。
思わぬ光景になっていたことに驚いた。
からくり時計が終わると、何事もなかったように三々五々、私も見物人に混じって歩き出した。

矢流山極楽寺、『雨が降ります雨が降る』の歌碑がある赤野を過ぎ、琴が浜に着く。

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前回も琴が浜でこのような舟を見たが、今回はたくさん見た。
決まってそばに重機があるので、どうもそれで舟を引き上げるようだ。
そして網が積まれているので、網を仕掛けに行く専用の舟ではないかとも思ったが本当のところはわからない。

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はまひるがおがたくさん咲く琴が浜の松原を、そしてごめん・なはり線高架下をずっと歩いていった。
西分にある遍路小屋では、まだ雨でなかったが、夜須町に入る国道沿い歩きになると、とうとう雨が降ってきた。

今回徳島駅前のポストに一枚のハガキを投函した。
あて先は、この先にある『香我美遍路小屋の三浦さん』である。
予定通り歩ければ5日か6日に寄るというお知らせをしたのである。

雨が降るちょっと前にその三浦さんから連絡が入った。

「今どこですか?」
「え~っと、西分あたりだと・・・・」

予定通りならもうそろそろだと思って携帯したと言われる。
今晩、美味しい魚を食べにご招待したいという申し出に戸惑った。
そんなことがわかっておれば早朝から27番を打ったりしなかった。
とりあえず宿に着いたら電話することにした。

20分ほど雨の中を歩き、4:45夜須町サイクリングターミナルという宿に着いた。
私の予定では、この宿のレンタサイクルで『香我美遍路小屋の三浦さん』を訪ねようと思っていたのだが、フロントでは

「雨天時は自転車貸し出し禁止です」

自分の思い通りに事は運ばないということを思い知ると同時に、体の限界釦が押されたのを感じた。
宿まで車で迎えに行くと言う三浦さんの申し出を泣く泣くお断りした。
非常に残念がってくださったので申し訳なく思った。
「明朝は是非小屋に立ち寄ってください」という一遍路に対しての歓迎ぶりに土佐人の優しさを感じた。

エレベーターがないので3階まで上がり部屋になだれ込むと、そうだったことを思い出した。
2段ベッドがふたつ置かれた部屋だったのだ。
2段ベットというのは頑丈な囲いがあってふちに腰掛けられないのである。
囲いをまたぎ、もぐりこむようにベッドに横になった。

しまったと思ったが後の祭り。
ベッドから降りるのも一苦労で、頭を何度もぶった。
でも悪いことばかりでなかった。
2段ベッドの上に洗濯物がたくさん干せてそれは便利だったのだが・・・・。
雨の中の野宿に比べれば幸せである。
大好きなテント泊だと思えばいい。
自分をなだめることをぶつぶつ言う。

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夕飯の時、夫は機嫌が悪いを通り越し半分寝ているような感じだった。
部屋に戻り、先にベッドにもぐりこんだ夫は爆睡。
時間差で横になった私も3秒で寝てしまった。
不眠症の私には考えられない自己新記録だった。

         ・サイクリングターミナル(朝食なし4825円)
         ・歩き遍路なのか?1人(バス遍路団体あり)
         ・歩いた距離32km

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2007高知(25・26)

区切り3回目の3日目 晴れ

ぐっすり休んだので快適な目覚めだった。
窓側で寝た私はベッドの上から手を伸ばしカーテンを開け、続けて窓を開ける。

「ホーホケキョ」

グッドタイミングに気をよくする私。
大きく伸びをし夫を起こした。

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朝食後、24番最御崎寺を後にする。
転がり落ちそうな室戸スカイラインを降る。
海に飛び込んでいくような開放感がたまらなく好きである。
この先のステージから誘われているような気がする。
土佐独特の「待ちゅうきね」が聞こえる。

●25番津照 (8:25~8:45)
長い階段を一気に登る。
息を切らしながら本堂前に立ち、よし今回も元気だと安心する。
こんなばかげた考えの自分に呆れた。

大師堂で同宿だったお遍路さん二人に再会する。
だが、それほど親しくなく挨拶程度である。

参拝後、門前で売られていた枇杷を買った。
10個ほどで300円。
値段はリーズナブルだが、ずっしり重たい。

室戸岬を回ってから、山の中腹横一線に袋を被った枇杷畑が並んでいる。
1巡目にここを通ったのは10月(2002年)だったので知る由もないのだが、今回こんなに枇杷の木があることに気づいた。
枇杷の実に被せられた袋が満開の花のように見えてとても奇麗だ。
収穫真っ盛りで、忙しそうに軽トラに積む作業を何度か目にした。

「こんなに美味しいなら、もっと買えばよかった」と貪欲な夫。
「重いからダメだよ。26番に登るまでに食べる分があればいいよ」

この先、しんどい急坂が待っていることも知らず満足そうに食べる夫を見て、生意気にも<こののんき助>と思った。

●26番金剛頂寺 (10:00~10:20)
標高165mをフーフー息を切らして登ると、山門前に休憩所があった。
この岬の反対側に降りるので、先にここで休憩した。

前回、この納経所で頂いた地図を今回持ってきた。
納経所でそれを見せ、この先の遍路道に変わりないか見てもらうと、じっくり眺めて一言、「大丈夫」。

懐かしい道だった。
当時は蛇に3回も出会い、泣きそうで一人駆け降りた記憶である。
お遍路に対しての気力をどれほど持ち合わせているのか、あの時は試されたに違いない。
今回は蛇に出会わず安気に歩けた。
何かお許しを頂けたような気になる。
それはまったくの私なりの勝手な考えであるのだが。
地図と前回の記憶を頼りに無事降った。

27番を降ったところにある『道の駅キラメッセ室戸』に寄った。
地元の食材が売られる中に、アツアツのはんぺんを見つけた。
昼食には早いと思いながらも、誘われるままあれこれ買った。

潮風にふかれながら、アツアツのはんぺんは何とも美味しかった。
お腹が満たされた私は、しばらく歩きたくないというやばい心境になった。
その後、腰をあげるのが本当に大変だった。

時折通り過ぎる自転車遍路をうらやましい気持で見送る。
手を挙げるだけの挨拶のときもあれば、時に大きく声を掛ける。
そんなふうに無意識で声を掛けたときのことである。

「あれれ?・・・・あれ?れ!」と私。

実に驚きの再会だった。
昨年11月に出逢った野宿遍路(歩き)だったのである。
今になって思えばお互いよく気づいたものだ。

「やっぱり会えたねぇ。あれからどうしてたの?」と私。
「3巡歩いて実家に戻り、自転車で今2巡目」と彼。

縁があるってこういうことなんだろう。
欠けた歯の笑顔は、以前よりふっくらしていた。
所帯道具も心なしか当時よりは快適そう。

「エンドレスです」と彼。
縁があればまた出逢うということか・・・・と複雑な心境で彼を見送った。

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吉良川から羽根の集落に入る途中の国道で興味を引く看板を見つけた。

    危険です。積みすぎ 寝不足 飛ばし過ぎ

何だか歩き遍路への警告に思えて苦笑した。

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羽根の集落に入り間もなく中山峠道に入る。

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手が届くところに枇杷の実がたわわになっている。
やまぶき色が何とも美味しそうである。
が、袋が被ってないものは美味しくないとか。
本当かなぁ、ひとつ食べてみたくなる。

登り始めてすぐのところに、筍をひとつごろんと乗せた一輪車があった。
筍についた土を見て、今掘ったばかりだなと私にもわかる。
この一輪車の主はどこだ?と先に進むと・・・・

「暑いなぁ、ごくろうさん」
「あぁ筍の人・・・・」藪から棒に声をかけられ、変な挨拶をしてしまった。

汗をかきかき、さらに登るとこんなものが・・・・・

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「お金はいらんぜよ」に目がとまり、中をのぞくとお接待とおぼしい品の数々。
トマトを手にし、道をふさぐように置かれている不思議なベンチに腰掛けた。
すると・・・・

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目の前にこんな素晴らしい景色が広がった。
このお接待がなかったら、このベンチをまたいで通り過ぎ、この景色を見過ごしたに違いないと思った。

     おへんろさん おつかれさん ハチミツでもなめていきや
     兄貴の熊吉がとった地元のハチミツやき元気が出るぜよ
     それでは気をつけてお四国を 土佐の自然を楽しんで行きや

こんな心温まる手紙が添えられており、土佐がいっぺんに好きになった。
気まぐれ狸と書かれた隣の箱には、凍らせたお茶があった。
なんともそのお気持が嬉しい。
トマトは甘かったし、熊吉さんのハチミツも美味しかった。
お会いしてお礼申し上げたい心境だった。

さらに登っていくと畑仕事をするおばあさんに出会った。
お金はいらんぜよのお接待のことを尋ねると、さらに上に住むお方だと教わった。
その方にはお目にかかれないだろうから、代わりにこのおばあさんにどれほど嬉しかったか気持ちをお話した。

「今日はあんたみたいなお遍路さんがたくさん通ったよ」

ゴールデンウィークだから多いのだろうという話をした。
お遍路さんが通ることを迷惑に思わないこのおばあさんの笑顔がやさしかった。
この中山峠の遍路道がちょっと変化したように感じたが、以前よりうんと楽しく感じたのは、きっとこのおばあさんの笑顔に出会ったからに違いない。

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そんな優しい気持になっていたからなのか、加領郷漁港の景色に見惚れた。
お遍路は何を思う・・・・しばらく眺めた。

奈半利に入る前の遍路休憩所に男性遍路が一人いた。
今日は暑くって歩くのもままならぬという話をしていたら、またひとりのお遍路さんがやって来た。
聞けばどちらもホテル奈半利泊。
なのに私の今宿は9キロも先・・・このとき自分の欲張りを悔やんだ。
この人たちとゆっくりできない。
早々に出発しなければならない自分を惨めに思った。

何でこんな計算ちがい?
宿に心配かけてはいけないので電話をしておいた。
そんな思いでとぼとぼ奈半利の町を通過した。

5:45ほうほうの体で27番麓の浜吉屋に到着した。

「室戸岬から来たと?それは欲張りや」

82歳になるおばあちゃんは笑顔で出迎えてくれた。
明日は早朝の涼しいうちに27番を打とう。

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夕飯後に無理を承知で・・・・

「おかあさん、朝食は何時までいいですか?」
「あんたは、ちゃんと電話してくれたから安心した。特別や」

明日は、27番打ち戻ってからの8時に朝食という特別許可をもらった。

          ・浜吉屋2階洗面所手前の部屋(6500円)
          ・歩き遍路(車遍路が多かったのでよくわからず)
          ・歩いた距離34㎞

              前日      翌日

2007高知(生見~24)

区切り3回目の2日目 晴れ

6:05、昨晩の夕食時に渡された朝食用のお弁当を持ってサウス・ショアーを出発。
宿の中庭をスイスイ飛び交うつばめに見送られる。

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ボードを抱えた若者は海に向かう。
杖を手にした遍路は室戸岬に向かう。

早立ちという共通点があって可笑しかった。

●東洋大師 (6:35~7:07)
相変わらず、飾りが多いお寺である。
通夜堂からまだ眠たそうな顔の外国人若者が出てきた。
参拝後、お接待用のお茶を頂きながら朝食を摂っていると滝修行とわかる身なりのご住職が出てこられた。
「滝修行ですか? 滝は遠いのですか?」
「すぐ裏」

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本堂に向かって右側にそれはあった。
滝というには、ちょっと違うかなと思ったが、それでも立派な修行である。
しばらく眺めていた。

野根まんじゅう屋を過ぎ、野根川を渡ると奇麗な浜に出た。
前町長苦肉の策の核産廃施設候補地の東洋町である。
新町長は候補地を撤回したが、結局のところ、こういう人口が少ない(美しい景色)所が候補地になるのだろう。
仕方がないと諦められない問題である。

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この写真はわかりにくいが、私が思うに定置網を補修しているのだと思う。
写真をクリックしてさらに右下をクリックして見て下さればわかると思うが、オートバイや人が写っている。
それを見れば、この網がいかに大きいものかわかってもらえるはず。
沖に目をやると定置網がたくさん仕掛けられていた。

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今日の海は穏やかである。
聞いたことがない奇麗な音がかすかに聞こえてくる。
「patapatapatapata・・・・」と。
耳を澄ましながら歩くとだんだんわかってくる。

ザブ~ンとひとつ波が寄せる。
次のザブ~ンまでの数秒間に聞こえる16分音譜の音だった。

ザブ~ン patapatapatapatapata
ザブ~ン patapatapatapatapata

引く波が丸い小石を転がす音だった。私にはパタパタパタと聞こる。
何でパタパタと聞こえるのか不思議だった。
幸い車の騒音もなく、自然が奏でる音を繰り返し聞きながら歩いた。
何度聞いてもパタパタパタパタ・・・・心地よい音だった。

●佛海庵 (9:55~10:17)
日が高くなるにつれ暑くなる。寄って休憩した。
風が通り涼しい庵である。
お昼寝しようかなと考えていたら逆打野宿の長崎の若者が来た。
今日が30日目で、風呂を目指して宍喰まで行くと言う。
歩いているときは幸せだ・・・という話をした。
二度と会うことのない若者と納め札の交換をして別れた。

とにかく暑い。
三津漁港手前の海岸をひたすら歩いていると、後ろから鼻息荒いモノが近づいてくる気配。
殺気を感じ振り返ると・・・・

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犬を連れた野宿遍路だった。
タッタカタッタカ・・・・あっという間に私を追い抜いていった。
連れの犬は途中で拾ったのか、はたまた1番からずっと一緒なのか。
この先、おりこうについてくるのだろうか・・・・・
退屈だったので勝手なことばかり考えた。
追いついて聞いてやろうと、こちらもタッタカタッタカ歩く。

「ずっと一緒なの~?」と後から声をかける。
「1番から一緒で~す」と歩きながら彼は答えた。

しばらくかけ連れたが、今晩の食料を仕入れると言うので別れた。

それから1時間後、今朝、東洋町で勧められた海洋深層水の足湯に。
足だけではもの足りず、全身湯に浸かりたい心境だった。
それほど、もうくたくたになっていた。

室戸岬遊歩道を歩き、やっと24番登り口に着いた。
すると・・・・

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洞窟から白猫がこちらに向かって出てきた。
「待っちょったよ・・・」と言わんばかりに近づいてきた。
この猫に招かれて私はここまで来れたのかもしれないな。

30分程フーフー言って登り、4:35ようやく山門をくぐった。

今宿は、24番最御崎寺の宿坊。
ご住職がお出かけとのことで、今晩も明朝も勤行はなし。
副住職とか小坊主さんではだめなのかしら。
せっかくの宿坊泊なのに、損した気分になる。

4階建て(エレベーター付き)で宿坊と思えない近代的な造りである。
部屋は3つのベッドが並ぶ大きな部屋。
夫とは中ひとつ挟んで休んだ。

 

       ・24番最御崎寺(5985円)
       ・歩き遍路は他に5人
       ・歩いた距離36km

             前日       翌日

2007徳島(辺川~生見海岸)

区切り3回目の初日 晴れ

早朝5:10、夜行バスは徳島駅に到着した。

始発5:47のJR奈半利行きに乗る。
どこから集まったのか5人のお遍路さんと一緒だった。
19番で二人降り、22番で一人降り、23番で二人降りた。
懐かしい景色にうっとりしながら辺川駅まで乗る。

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7:39辺川下車。
無人駅で、電車が停まっていなかったら本当に駅かと思う寂しいところ。
前回ここで区切って電車を待っていたとき、本当に電車が来るだろうかと不安だったことを思い出す。

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国道55線脇にたたずむお地蔵さん。
ひたすら交通安全を願って立っておられるのだろう。

国道沿いの牟岐橋を渡らず、旧道に入る。
2回目ともなると、この道は先で合流するはずだとわかる。
牟岐川左岸沿いの静かな道を歩いた。
鯉が泳ぐ本当に奇麗な川であった。

牟岐川を渡ったのは、消防署の朝の点呼・体操の時間だった。
またもや、国道手前の右岸沿いの小道を見つけ歩くと
「お遍路さ~ん、お接待で~す」
裏庭から出てきた奥さんが、夏みかんと缶ジュースを持って走ってきた。
嬉しいではないか。
納め札を出したら息子さんが愛知県豊田市に住んでおられるとのことだった。
息子さんと同県人である私を暖かく出迎えてくださった。

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頂いたお接待で休憩しようとしたら、牟岐川で何かしているのを見つけた。
声をかけてみると
「今年初めてのうなぎを捕っちゅう」
聞けばこの方、昨日、甲浦まで歩いたとのこと。
「頑張って行きや」

またすぐ、スーパーに商品搬入の和菓子屋のおじさんから、冷えた水羊羹と赤飯をお接待に頂く。
ここまで頂くと重さが気になる・・・勝手だな。
香川で、みかんと柿を袋いっぱいもらって困ったことがあったからね。

すぐ先の牟岐警察でコーヒーをお接待いただいたので、冷えている水羊羹を半分お裾分けしてきた。
内心ほっとした。

●番外 鯖大師 (10:00~10:20)
順調に鯖大師を打ち、食事をしようと鯖瀬大福食堂に入ったのだが、大福餅の箱詰め作業で大忙しだったので諦める。

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1個63円の大福餅を買って、海岸に出て食べた。
ここは、1巡目の時にも休憩したので懐かしい。

今回の目的のひとつである遍路小屋1号に寄ったが、野村カオリさんは不在だった。お元気だろうかと気になった。
アイスボックスには、冷えたトマトがあり、ご馳走になった。
滋賀県のお遍路さんから送られた竹の杖がお接待になっていたので、夫は一本頂いた。
この先、どれほどこの杖に助けられたかいうまでもありません。

サーファーが楽しんでいる宍喰の景色は、今回も見惚れた。
実に奇麗だった。しばらく休憩した。

甲浦での休憩時に、お接待でもらった夏みかんを食べた。
疲れた体がすっぱさを喜んでいるのがわかる。
ご馳走だった。

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前回は、この観音さまはあっただろうか。
国道にぽつんと立っておられた。
何かを伝えている子どもの眼差に足が止まったのだが、終いには観音さまの美しい後姿に見惚れた。

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                         コマチヨイグサ

ほどなくサウス・ショアーというプールがあるハイカラな宿に着いた。
サーファーが楽しそうに波に乗っている。

風呂に入り、洗濯をしてから浜に降りてみた。
洗濯物はウエットスーツばかりで白衣などない。
場違いなところに来てしまったなと思った。

夕食のとき、62歳の男性遍路と同席だった。
6歳まで愛媛に住んでいたという話を聞いた。
それ以後お会いすることはなかったが、今でもその男性のこと覚えている。

 

       ・サウスショアー2階突き当たりの部屋(朝食は弁当5250円)
       ・歩き遍路は他に1人
       ・歩いた距離28km

              前日      翌日

2007お遍路区切り打ち3回目へ

今晩の夜行バス(PM23:00発)でお遍路に出る。
いつもどおり夕飯を食べていると

「駅まで歩いていこうか」と夫。

私は一瞬面食らった。
歩くことは嫌ではないのだが、予想外のことで曖昧な返事をしてしまった。

結局歩いて駅まで行った。
歩きながら考えたのだが、実際は歩いていくことは本意でなかったのだ。
変なところで、自分を抑えている私。

駅まで2キロ、こうして夫とお遍路に出た。

              前回(区切打ち2回目)      翌日

 

藤満開

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足が治り、久しぶりに名城公園に出かけた。
なんと藤が満開であった。
時折、風に乗ってくるほのかな甘い香りがたまらない。

5月2日から6日まで夫とお遍路に出ます。
お天気はまずまずの模様。

今度はどんな出逢いがあるかしら、わくわく。
31番まで打ち、無事帰ってきます。

リンク

        この部分をクリックしてみてください

    ↓

藤田恒夫さんのホームページ
      景色をスケッチしながらの旅記録です。
      平成14年屋久島縦走で知り合いました。

松本伸男さんのホームページ「南のそよ風」
      各種のコンテストでも入賞するほどの写真の腕前です。
      平成18年11月四国お遍路で知り合いました。

掬水遍路館
      四国お遍路の情報が満載です。
      このサイト見ずしてお遍路に出かけられない。

吉野の桜

足を捻挫して10日、外出(山)許可は出ていないが、夫と母を誘って「吉野」に出かけた。
長年温めてきた憧れの地である。

6:30名古屋駅発(大和八木と橿原神宮前で乗換)
9:25吉野駅着

如意輪寺までバスに乗った。
満員のバスから降りたのは我々3人だけ。

如意輪寺は、吉野の地に南朝を樹立し京奪還の夢を抱いた後醍醐天皇の勅願寺で、境内に天皇稜がある。
桜は散っているが、うぐいすが鳴き雰囲気がいい。

東京から夜行バスで来たというハイカーが汗をかきながらやって来た。
聞くと、朝の6時から歩き始め奥千本からもう降りてきたという。
ルート確認し桜の情報を得た。
素晴らしい景色だと聞き、ワクワクした。

如意輪寺から展望台に向けて車道を歩いた。
すると・・・・・

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一目千本という桜が現れた。
あまりの景色の素晴らしさに何度も振り返っては眺めた。

途中、この桜の中を上がって行く登山道を見つけた。
桜の中を通って奥千本まで行けそうだ。
今回は無理だが、次回はこの道を行こうと思った。

完治していない?足のことを考えると、あまり歩けない母を連れてきたのは正解だった。
ゆっくりゆっくり中千本の展望台まで歩いた。
すると・・・・

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先ほどの桜の全体像が現れた。
滝桜が咲く上千本である。
生憎の曇り空で写りも悪いが、実際は感動する景色だった。
吉野の桜の多くはシロヤマサクラという山桜で、赤紫の若葉が出ると蕾が膨らむそうです。
濃淡があって美しいですね。

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滝桜から左に目をやると、桜の中に車道が見えた。
ここに立ち、始めて私は桜の中を歩いてきたことがわかった。

ここで昼食とした。
吉野駅前で仕入れた柿の葉寿司は美味しかった。
夫は隠し持っていた?お酒で花見を始めた。
実に贅沢な気分だった。

この先、奥千本までバスに乗るのだがバス待ち長蛇の列。
本来なら歩いてしまうのだが、母を置いていくわけに行かない。
4台のマイクロバスがピストン輸送する間、30分も並んで待った。

奥千本でバスを下車。
そこから金峯神社までの急坂が凄かった。
私は母の手を引き、夫は後ろから母を押し上げた。
それなのにこの狭い急坂を時々タクシーがエンジンをうならせ上がって来る。危ないったらありゃしない。

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参拝後、ポットの湯でコーヒータイムをした。
乗換の近鉄大和八木駅で仕入れたあんドーナツが美味しかった。

ここから先にある西行庵が今回のお目当て。
母には独りで待っててもらい、夫と更に奥に入った。

西行が3年間こもったという庵が、どんな所にあるのか見てみたかったのである。

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ずっと上がって行くのかと思いきや、途中から雑木のしげみを降る。
奥千本の桜を下に見ながらずいぶん降ると・・・・・

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広場になったところに西行庵はあった。
待賢門院に叶わぬ思いを寄せたとか様々に語られるが、自分自身を深く見つめる時間と余裕を持つにはうってつけの静かな場所だと思った。

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            写真をクリックして大きな映像で説明を読んでください

    吉野山梢の花を見し日より心は身にも添はずなりにき 

    吉野山去年の枝折の道かへてまだ見ぬ方の花をたずねむ

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    願わくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ

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    とくとくと落つる岩間の苔清水 汲みほすまでもなきすみかかな

その苔清水がこの写真。
金峯神社で待つ母の土産にペットボトルに汲む。

西行や芭蕉もこの道を歩いたのかと思うと胸おどるものがあった。
途中で青根ヶ峰から来るハイカーに多く出会った。
その先は女人結界の地である。
やはりこれだけは守らねばならない。

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   興味のある方は、この地図をクリックしてから更に右下のマークをクリックしてご覧下さい

金峯神社に戻り、そのずっと先の蔵王堂まで歩いて降った。
母には結構きつい急坂が多いのでゆっくり歩いた。

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途中で水分(みくまり)神社を参拝する。
豊臣秀頼が江戸時代に再建したものでずいぶん古い。
並立する3殿をひとつに連ねた本殿はこの神社の独特の建築様式である。

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この西行像は1785年に作られたもので、現在は水分神社拝殿に安置されているが、もとは西行庵に置かれていたものだそうだ。

途中で見かけるポスターの写真は何処から見られる景色なのだろうと思いながら歩くと・・・・・

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とうとう出会えた。私はこの景色が見たくてたまらなかったのである。
感動の余り言葉もなく立ちすくんだ。

蔵王権現に対する信仰が献木によって全山を桜が覆い尽くすまでになった。
山上ヶ岳で見えたという蔵王権現を役行者が祀ったことに始まるのである。

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蔵王堂に着いたのは5時半をまわっていた。
戸は閉められ中を伺うことができず残念だった。

仁王門、銅の鳥居、黒門をくぐってケーブルカーで吉野駅前に降り立った。
18:38発の電車に飛び乗り、名古屋に着いたのは21:50だった。

足が疲れたとも痛いとも言わず、母はよく歩いたものだ。
夫のお陰で親孝行ができた。
楽しい一日だった。

 

朝の散歩

毎朝とまで行かないが、今日も名古屋城周辺を1時間強、夫と散歩した。
毎日の微妙な変化がとても楽しい。

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自宅から数分のところにある名古屋高速道路高架下をくぐって名古屋城に向かう。

 

名古屋城お堀の桜が、ようやく満開になってきた。
長く続くこの桜並木道が、私は大好きである。

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お堀に沿って歩くと名古屋城が見えてくる。
今はいないが、このお堀にも結構の数の野鳥(かも・さぎ・かわうなど)が羽を休めにくる。

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名古屋城がよく見えるスポット。
三脚を立てたカメラマンを真似て私も一枚。

名城公園内で、ここが一番好きな景色。
なのに、花見客が陣取っているシートが邪魔だ。
もう3~4日もすると、地面もピンクに染まる。
早朝の踏まれていない道は、それはそれは奇麗である。

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名城公園から見える名古屋城とミッドランドタワー(右)
私は、名城公園とミッドランドタワーとの間に住んでいる。

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うぐいすの鳴き声もときどき聞こえる。
立ち止まってよく観察すれば、姿も確認できる。
こんなときは嬉しくなる。

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池のほとりの桜の木の下にもぐりこんでは桜を愛でる。
こんなところが大好き。ときどき野良猫がいる。

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名城公園は藤棚も立派である。
もうこんなににょきにょき伸びてきている。

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この通りは交通量が多いので、散り始めると桜吹雪の舞い方がすごい。

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能楽堂横の桜は、枝振りが立派である。
木の下に立っては、桜に抱かれる感じを味わって満足している。

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この歩道橋を渡ると、もう殺伐としたビルが立ち並ぶ。
いっぺんに私のこころがしぼむ。

実は、この歩道橋でとんでもないことが起きたのである。
登りはじめにすべって転んだ。靴も脱げた。

幸い痛みがなく、普通に家まで歩いて帰って、たまっていた仕事を午後4時まで普通にした。

順調に仕事が片付きヤレヤレと立ち上がったら、突然猛烈な痛みが来た。
右足が床に下ろせない、歩けない、階段も降りられないので夫を呼んだ。

おんぶしてもらって病院に行った。
捻挫である。
もうこのときは、じっとしていてもヅキヅキ痛む。

朝、歩道橋ですべって転んだのが、こんなになるとは。
病院の先生曰く、
「転んでからの日中のデスクワークがよくなかった。とにかく数日安静」と。

考えてみれば、今日は一日中デスクワークだった。
今日に限って、だらだらしていなかったのだ。

その晩の痛みと言ったらなかった。
足の置き場がなく苦しんだ。

何をするにも夫の世話になった。
何十年ぶりに夫におんぶしてもらった。

朝は、あんなに楽しかったのに、こんなことになるとは・・・・・。
私は歩けるようになるのだろうか。
お四国をまだまだ歩きたいし、野山に入りたいし。

とにかく養生に専念するしかない。

追記
この時に履いていた靴、私の歩き方には適していなかったと仕切に言ったからか、私が苦しんでるあいだに、夫は即捨てたと後になって聞いた。

 

 

岐阜の山(愛宕山~金毘羅山縦走)

平日にもかかわらず、仕事が一段楽したので岐阜県各務ヶ原市にある山に入った。

見頃だというヒカゲツツジが目的です。
見たことがない私は、興味津々で出かけた。

07:30 自宅から地下鉄に乗り名鉄電車に乗り継ぎ鵜沼駅下車
08:35 八木山小学校から歩く(鵜沼駅から小学校まではタクシー)
09:35 愛宕山(H268m)
10:27 八木山(H296m)
11:55 昼食30分
13:00 金比羅山(H383m)
13:10 明王山
14:20 猿啄城(さるばみ)跡展望台
15:30 城山三角点
16:15 明王山・金比羅山・健脚の道経由で車道に降りる
17:15 名鉄鵜沼宿駅
18:00 自宅

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          ミツバツツジが咲く登山道を歩く

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                              ミツバツツジ

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遠くに見える双子山から、H50降って、H100登って約1時間かかってここまで来た。

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         ひかげつつじ(黄花シャクナゲに似てる)

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          猿啄城跡展望台からの木曽川
          川をはさんで向こうの山が鳩吹山(←クリックしてください

こんな感じで8時間も山の中を歩いていた。
ヒカゲツツジとミツバツツジが満開の山行だった。