春が来た

「新たに降った雪でラッセルだ」という仲間からの知らせで、この間の日曜日の山行は取りやめにした。
一般登山道なら雪は踏み固められているが、人があまり入らない道はラッセルを強いられる。
そういう道を行くことがわかっている。喉がひりひりしており無理はしたくなかったのでやめた。

昨日から一気に春めいて暖かい。
それなのに、風邪気味なのか体調がすぐれず、仕事もやる気が起きない。
気分転換に散歩に出て見る。

         

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まず、出迎えてくれたのが、私の大好きなオオイヌノフグリ。
指の爪より小さい。この青色がなんとも気に入っている。

                   

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名城公園内で一番早く咲く桜をチェック。 蕾が膨らみ始めている。
冬の寒さを耐え忍んだ力強さが感じられる。
地面に届くほど枝を伸ばしているので、花が咲いたらそれは見事な木である。

            

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名古屋城のお堀端の柳の芽吹きも順調。
葉っぱの出たころが私は大好き。
(先日の2008名古屋国際女子マラソンでは、ここがコースです)

           

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水鳥たちも気持ちよさそうに泳いでいる。

              
 

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春が来たら、まずに咲くからマンサクと言われているそうな。
このちりちりした花びらが大好きで、しげしげ眺める。

           

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梅も満開に近し。早朝だったら小鳥が蜜をついばんでいる様子が見られるのだが。

          

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ホームレスのブルーシートを満開の梅越しに撮影してみた。
私だって、許されるのならば、この時期ここにテントを張って別宅にしたい。

帰り道、いいにおいに誘われ御煎餅屋に寄った。
いかにも頑固親父といった感じの人が一生懸命焼いておられる。
こういう作業は見ていて楽しい。お土産を買った。

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1時間余の散歩、とても楽しく気分転換になった。

2008鈴鹿(福王山)

3月2日(日)

実に一年ぶり。鈴鹿に入った。

雪はまだたっぷりあるだろうからわくわくと出かける。
電車の中から雪山を眺め、ずいぶん来なかったことを想う。
山行日和である。

仲間が待ち受ける「大安駅」下車。
懐かしい顔・顔。大歓迎を嬉しく思う。

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つり橋は雪の重さで大きくゆれる。
間隔をあけて慎重にわたり、山に入っていく。

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ラッセルするほどの雪は残っていないが、雪山は楽しい。

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東海自然歩道を通る。牧場跡に向かう途中で振り向くと・・・

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竜ヶ岳が遠望できた。立ち止まって眺める。(猛吹雪の中、歩いたことを思い出す。)

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牧場跡に到着。皆それぞれの思いで、釈迦が岳を眺める。

その後、福王神社の聖域に入っていく。しばらく急坂を登る。
足場の悪いトラバースを慎重に歩くと、少し開けたところに出た。奥宮である。

ここで昼食。湯を沸かし、暖かいカップラーメンを食べる。
が、雪の上に直接座っていたので体が次第に冷える。立ち上がってラーメンの残りのスープをすすった。

福王山(標高589)に到着。ここは何も展望がない。早々に退散。

福王神社に降り立ち、神の領域を歩かせてもらったお礼がてら手を合わせる。
東海自然歩道を2時間ばかり歩き置車に戻った。

9:30~4:30(7時間)久しぶりの雪山でくたくただった。
次の日、筋肉痛がなく一安心だったことをいいことに、また来週行きたいと思っている。

新聞切抜き

お四国に夢のような世界が広がりそうな気配?
そんな新聞記事を見つけました。

Img006  左の記事をクリックして読んでください。

果物をもぎながら歩けるなんて夢のようですねぇ。
気づいたらあの世だったりして・・・・なんて、自分がなかなかお遍路に行けないものだから、ちょっとひがみっぽくなります。
でも、「お接待の果実」とそうでない果実の見極めが難しそう。
何はともあれ、今は人の手から頂いた温かみ残るお接待が恋しくてたまらない。

愛知県(犬山)鳩吹山

平成20年2月11日(建国記念の日)

なんと4ヶ月ぶりの山行です。
相当なまっているだろう足を心配しつつ、近場の鳩吹山に入りました。

いくら標高が低い山といえども、2日前に降った雪(平地で13センチ)が残っているはず。
どれだけ雪があるかは行ってみなければわからない。雪山は苦手ではないが、なにせ数ヶ月のブランクがある。まぁ、足場が悪いようなら戻ってくるというつもりで出かける。

 
  

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     参考までに・・・2/9(土)名古屋の街。あっという間に13センチ積もる。

名鉄電車「可児川」下車。今から上がる鳩吹山を見ながら登山口の大脇まで15分ばかり歩く。風もなく日差しが暖かい。絶好の山行日和である。9:45鳩吹山に入っていく。

          

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1回目休憩の小天神。見晴らしがよくていつ来てもいいなぁと思う。(写真左端人物はリーダーのI氏)
雪化粧した恵那山や御嶽が格別美しい。が、私のカメラではこの程度しかお伝えできない。

雪がだんだん深くなる・・・・045

ほどなく、鳩吹山頂着。

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雪を被った白山・能郷白山も美しい。天候に恵まれたこと嬉しく思う。

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鳩吹山頂をあとにさらに西へ進む。また違った山々が見えてくる。私はもう嬉しくてたまらなかった。

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ところどころ雪で危険な箇所があったが、リーダーは、安全なルートを見極めながら私を案内してくれた。
北周りコースをとり、第5展望台で昼食とする。
少し風が出てきたが、あったかいカップラーメンのおかげで寒くない。
恒例の食後のウイスキー(強制?)入りコーヒーを飲んでからまた歩く。
お腹は満足、暖かな日差しのなかを歩き、至福のときだった。

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雪の西山山頂(標高339m)の三角点。私には貴重な写真になる。

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あとは、木曽川を見ながら降る。
あれが犬山城だとか、名古屋駅も見えるとかいいながらどんどん降る。
下山してからは毎度のごとく、近場にこれだけ楽しめる山があること、そして仲間に恵まれていることなど、おしゃべりしながら木曽川沿いを犬山遊園駅まで歩いた。

さて、4ヶ月ぶりに山行した私の足、今のところ生活に支障があるほどの筋肉痛はまだない。
しかし、たまに翌々日に痛み出す(加齢)。あぁこれが嫌だ。 おしまい

2007知多四国 番外浄土寺~47番

この2ヶ月、諸事情から出かけることができず、家の中でうろうろしていた。

ちょっとゆとりが持てるようになった兆しか、いつもの癖が騒ぎ出す。
明日は天気、さて、どこに行こうか・・・・日ごろから温めているプランから選ぶ。
といっても、山かお遍路か、京都か奈良からだけれど。
とにかく、静かに歩きたかったので、知多四国のお遍路を選ぶ。
これが実にいい選択だった。

12月9日(日)晴れ

名古屋駅7:25発、終点の内海駅まで名鉄電車に乗る。
始めは景色を眺めていたのだけれど、知らぬ間に居眠り。
気づいたら、内海駅だった。(8:30着)

前回区切った師崎(39番篠島・日間賀島)までは、さらにバスに乗るのだが、その前に、まず内海駅近くの45・46番を先に打つ。
今回はとても変則的な歩き方をした。
(前回39→46→45→バス→番外→40→番外→43→42→41→44→47)

電車の中で居眠りをしていたからか、駅から歩き始めるも、自分が進むべき方向がわからなくてあせった。何せ駅前に(駅裏も)目立つような建物がないのだ。自分の影と手にした地図を見比べ、あれあれ?と、うろうろする。
2ヶ月も家の中でくすぶっていると、こんなに感が鈍るものかと驚きもする。

●46番如意輪寺(内海駅から800m) 8:45~9:00
山門で一礼。手水場で手と口を清める。本堂にお賽銭をあげ般若心経を唱える。
大師堂でろうそく・線香・納め札・写経・お賽銭をあげ般若心経。納経所。

誰もいない静かな境内だった。特に写真を撮りたいと思うお寺でもなく、休憩もせず山門を出る。どんなお寺だったかまったく記憶がない。

次の寺に向かうとき、またいい加減なほうに進んでしまった。自分の影を見て北に進んでいることにすぐ気づく。またアレレ? 犬の散歩をしているおじさんに「海はあっちですか」と確認する。大回りして川沿いを正しい方向に進む。

●45番泉蔵院(46番から800m) 9:18~9:35
知多半島南西端、海の前の段丘上に建つお寺で、階段を登っていく。
一通りのお参りをすませ納経所でひとことふたことお話したが、境内の様子は特に印象に残っていない。誰もいないと記憶に残りにくい。

ここからはバス(9:45発)に乗って知多半島先端の師崎にようやく戻る。

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海を眺めながら20分ほどバスに揺られる。
海が眩しいくらい光っていたのが印象的だった。

●番外浄土寺 10:05~10:20
             
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門前のつわぶきの黄色が目を引く。ここでは、お遍路さんが何人かいて挨拶を交わす。
後で気づくが歩き遍路もいた。

だんだん調子が出てきた。方向を間違えることもなく次に歩き出す。

     
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嫌いな国道歩きだが、海を見て歩くのは気持ちいい。
ちょうどお四国でいう瀬戸内海を見て歩く感じである。海から吹く風が強い。

●40番影向寺(番外浄土寺から4km) 11:00~11:20
      
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参拝後、休憩していたらバイク集団の若者がぞろぞろやってくる。ちょっと身構える。
彼らはお参りもせず納経所へ向かう。後でお参りする子いたりいなかったり。
いい子達のようなのだが、格好が黒ずくめ集団だったので怖かった。

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このお寺は子安観音が祀られ、孫を連れたおばあさんが熱心にお参りされていた。
何だかほんわかした気持ちで、お寺をあとにする。

このとき歩き遍路に再会した。でも広い境内の端と端、会釈程度だった。

さて、今度は国道を避けて、今回楽しみにしている山道を上がる。
何せ、ここ知多四国には、四国のように道しるべも遍路シールもないのだから
、山道に入るときは地元の人に道を確認しておきたい。
地図を見せて「この道を行きたいのですが・・・」と通りがかりのおじいさんに尋ねる。
すると、「この道は大変だよ。どこに行くの・・・」と反対に聞かれ、説明するのに大変だった。
 わざわざ難儀な道を教えることになったおじいさんは困っていた。お四国でも何度か経験している、せっかくのご好意をすみません、という気持ちだった。安易さを振り捨てる冒険心を伝えるのは時に難しい。

目的のお寺に行き着く道だということを確認して歩き出す。   
いい具合に紅葉した山の中をぐんぐん上がっていく。
ほっと一息つき、左に目をやると遠くに海が見えた。

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こんな素晴らしい景色が見られるとは思わなかった。あえてこの道を選んで良かった。
対岸は三重県の鈴鹿山脈だと思う。

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見渡す限りのキャベツ畑に出た。こんな高台でキャベツが作られるのだということをはじめて知った。それにしてもすごい量である。

遠くでスプリンクラーが勢いよく回る。水が霧状になって私の頬にもわずかだが届く。
スプリンクラーに近づくと光の屈折で小さな虹が見えた。歩くと消えてまたすぐ現れる。
調子が悪いスプリンクラーがあった。1回転に1回、道路に大量の水を撒いている。
私はそこを通るとき、大縄回しの縄にひっかからないような感じでタイミングよく抜けた。
意外とスリルがあって面白い。広大なキャベツ畑を飽きることなく歩いた。

集落に出たところで、目当てのお寺があるか地図を確認する。道があっていてほっとする。
さらに歩き、地元の掲示板に張り紙をしているおじいさんに声をかける。

「奥の院はこの先ですか?」
「私は耳が遠いのだが・・・」
お・く・の・い・ん?

そうまでしなくても聞こえたらしいのだが。

「奥の院の説明を少ししていいですか」というので、今度はだまって大きくうなずく。

「右側が女坂、左側が男坂、今では女の人も男坂を通って良いが、どうかあなたは女坂を通っていってください」と。そして最後にこう言って送り出してくれた。
「あなたの歩きっぷりなら2分半で着きます。階段から落ちないように、どうか気をつけて」

四国ではこのような出会いは多かったが、知多四国ではあまりない。
私は嬉しくて、耳の遠いおじいさんに何度も頭を下げお礼をのべた。

おじいさんが言った2分半では着かなかったが、5分かかるといわないところが憎いなと思った。

●番外 奥の院(40番から3kmくらいだろうか) 12:25~12:40
   
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深い木立の中に朱の堂塔がひときわ映える。知多四国にもこういうところがあるのだと、しばらくたたずむ。

808年に弘法大師がこの地を訪ね岩窟を穿ち、百日間の護摩を厳修、その灰で一寸八分の千手観音像を造り、先師・行基菩薩作、聖観音像の胎内に奉安されたという。この像を今に伝えて本尊とする。と伝えられている。

四国71番弥谷寺にあったような岩窟があった。
納経所はなかったが、次の所できっといっしょにもらえるのだろうと気にせず先に進む。

●43番岩屋寺 (奥の院から300m) 12:45~1:05
立派なお寺だった。尾張高野山宗総本山岩屋寺とのこと。
車遍路がつぎつぎとやってくる。
奥の院の分も納経してもらえた。

風が出てきた。頬が冷たい。
自転車に乗った小学生の男の子が背後から「こんにちは」と挨拶してくれる。
しばらくして自転車に乗った中学生ぐらいの男の子も、きちんと挨拶をしてくれる。
耳が遠いと言ったおじいさんも感じが良かったし、四国と変わらない優しい人たちが住む土地なんだと思った。

●42番天龍寺 (43番から700m) 1:20~1:35
納経所のおばあさんから、42番寺は42歳の男厄と同じ数字ということで厄除け寺といわれるという話を聞く。
「若いのに歩いてえらいねぇ」といってみかんをお接待くださった。おばあさんよりは、うんと若いのだけれど、いくつが若いのかなぁ。まぁいいか。

白衣に納経印をもらうのを見ていた女性三人組みから、「これはどういうものなの?」と質問を受けた。亡くなったとき、あの世に着ていくおいずる?というものらしいがあまり詳しくないと答える。「若いのにえらいですねぇ」と労をねぎらわれたが、私とあまり変わらない年齢に見受けられた。

このとき私は大きなヒントをもらった気がした。改めて考えてみると、歩き遍路ができるということは、年齢に関係なく若い(元気)ということで、お大師さまを真似て歩き続ける行為は確かにえらいと思われることでしょう。
しかし「若いのにえらいですねぇ」
の意味がこれまでなかなか理解できなかった。自分のどこが偉いのかなぁ?・・・ただ歩いているだけなのに・・・と。
いつも愛想笑いで適当に受け流してきたのだが、その言葉の中には次のようなことがあるのではないかと考えた。
「元気であっても、目標に向かって歩き続けるということは大変でしょう。私も強い信念を持ってこつこつと人生を送っていますが、そう簡単ではないですから。」という意味があったのではないかと思えてならない。うぬぼれであっても、何かを求めて止まぬ一生懸命な姿が、遍路中の私にあったのだと勝手な解釈をした。

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このお寺にあった「愚痴聞き地蔵尊」。
いざ愚痴をこぼしてもいいですよと言われると出てこないものだ。
思わず苦笑した。

車道から一本中の安全な道を歩く。山海小学校を超えると海に出る。
バスで通った海岸に出た。

●41番西方寺 (42番から1.3km) 1:50~2:05
道路を挟んで海水浴場が広がる。参拝客はなく静かな境内だった。
参拝後少し休憩し、歩き出したら例の歩き遍路とすれ違った。
結局、話すことはなかったが、私と同じルートだったのでしょうか。

また、この海辺から山道を上がる。このころになると寒くなってきた。
人も車も通らない。静かというか怖い感じ。鳥が飛び立つ音に怯える。

     
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●44番大宝寺 (41番から3.8km) 2:45~3:00
四国と同じ名前の44番大宝寺である。境内の木蓮が有名で通称「もくれん寺」といわれ、現代版「駆け込み寺」。
名前は素敵なのだが参拝客は私だけ。納経所も不在ということで自分で納経印を押す。
私は初めて納経印なるものを手にした。

            
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このお寺に着くまで誰にも会わず、このお寺でも誰にも会わず、そして一人寂しく帰っていく。
なんか寂しいお寺だった。木蓮の花の時期は賑わうのでしょうか。
寒いなか山を下った。本当に寒くなってきたのだった。

●47番持宝寺 (44番から3km) 3:30~3:45

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47番に着いたとき、西日に照らされた黄金に輝く銀杏に出迎えられた。
弁天池の横を通って石段を一気に上がる。
今回はここで打ち止め。そう本堂・大師堂に挨拶する。
納経所では「今日はどこまで?」と。四国のようだった。
「今日はとても楽しく歩けた」と伝えると「それはよかった」と。
二言三言の会話がとても心に残った。

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行きと違う道で降ってくると、こんな素晴らしい景色だった。
あぁ、今日は楽しかった。元気でぐんぐん歩けた。また続きを早く歩きたいと思った。

内海駅まで300m、4:00の電車で名古屋に帰った。

合計したら18km。疲れるはずない距離だった。でもこのぐらいが楽しくて仕方がない距離なんだろうとも思った。ちょうどいいのだと思った。

お遍路その後(ぽんぽん菓子)

              

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徳島県阿南市のS氏(72歳)から100回巡礼記念の錦札が送られてきました。
5回は歩き、あとの95回は車で回られたそうです。
100回だなんて簡単にできることではありません。頭が下がりますね。

このS氏とは、何故か3回も出逢うというご縁がありました。
以前ブログにも書きましたが、改めて紹介します。
(いずれも私は歩き、S氏は車です)

     *******

1回目(1巡目)平成14年10月18日、26~27番で‘‘ぽんぽん菓子’’のお接待を。

2回目(1巡目)平成15年 4月30日、53番で銀の納め札をいただく。

3回目(3巡目)平成18年11月 2日、19番~金子や間で‘‘ぽんぽん菓子’’と金の納め札のお接待を受けました。

     ********

3回目の出逢いで‘‘ぽんぽん菓子’’を手にしたとき、ある記憶がよみがえったのです。

1回目、平成14年10月18日のことです。
早朝、吉良(26~27)を過ぎ、交通量の少ない国道をもくもくと下を向いて歩いていました。
すると突然車が止まり‘‘ぽんぽん菓子’’を渡され労をねぎらわれたのですが、一瞬の出来事に対処できなかった私は、納め札どころかろくにお礼も申し上げなかったことがありました。(もちろん名前も存じ上げません)
車が立ち去った後、‘‘しまった’’と、ずいぶん悔やんだものです。
そして何かもの寂しくなりました。もう2度と会うことはないと思ったからです。

それがどうでしょう。
そのお接待の‘‘ぽんぽん菓子’’をまた手にした(3回目)のです。
あーっ!これだ!と4年前のことがよみがえりました。
もう2度とお会いできない、と、決め付けていただけに、こんなことってあるのだなぁと驚きました。

しかし本当に驚いたのはここからです。
いただいた金の納め札の名前を見ると、以前(2回目・53番)出逢ったS氏で、ぽんぽん菓子とS氏の関係がするすると謎が解けるようにわかったからです。(お顔はあまり記憶がないのですが、季節の便りのやり取りをしていたので名前を見てわかりました)

つまりこういうことです。
もう会えないと思っていた人と再会できたことに驚いていたら、以前(2回目)に気づかないで会っていたことがわかったのです。
糸を手繰り寄せてみたら、3回とも繋がっていたわけですからご縁を感じました。

でもよくわかったものだと我ながら感心します。
今でも上手く説明できませんが、3回に及ぶお接待は深い意味があるように感じます。
このからくり解けるかな?と、大袈裟なようですがお大師さまに試されたような気持ちです。
本当に気づかないだけで、この世の中すべてが繋がっているのかもしれませんね。

私ですら3回もお会いしているのですから、このブログをお読みになったお遍路経験者の中にも、きっとS氏の‘‘ぽんぽん菓子’’を手にされた方がいらっしゃると思います。

北アルプス(西穂独標・焼岳)②

北アルプス(西穂独標・焼岳)①はここをクリック

10月7日(日)

起床5:00。
昨晩、布団の中で1時間ほどおしゃべりをした隣の若い女の子はもう出発して居なかった。
彼女は25歳の超美人で自炊素泊まりの単独山行、いろんな話をしたが西穂から奥穂高岳へ抜けると言った。このルートを女一人で行くなんて聞いて驚いた。
それとなく聞いてみると、初めてでないという。が、それでも滑落事故が多い所なので気をつけてと老婆心ながら言わずにおれなかった。

そんな気になる彼女の寝床がもぬけの空だったので、あれ?夢?と一瞬とまどった。
昨晩は話しながら寝てしまったようなので、奥穂に抜けるというのは夢での話かもしれないのだが、彼女に出逢ったことすら夢だったような気がしてきたのだった。
彼女は名古屋在住で鈴鹿にもよく行くとも言っていた・・・・これも夢での話かもしれないが、いつか鈴鹿で再会できると私は本気で思っている。

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北アルプス(西穂独標・焼岳)①

10月6日(土)

ここ数年、気になっていた焼岳を実行に移す機会を得た。
実は、焼岳を小ばかにしているところがあった。しかし穂高連峰を何度か訪れるにつれ、必ず見える焼岳がだんだん気になってきたのである。

焼から穂高はどのように見えるのだろう?
上高地から入って焼を日帰りで降りるのはもったいないしつまらない。
私はピークハンティング派でないと言い切れないが、そこまでの道のりにこだわる。
そこで考えたのが、西穂から入るコースだった。

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長野県北アルプス(唐松岳・五竜岳)

平成19年9月16日

先週の鳳凰三山の筋肉痛を少し残して、今回は長野県白馬村の唐松岳~五竜岳です。

名古屋7:05発「しなの」に乗車。
松本で大糸線に乗り換えてからは、雄大な北アルプスの峰々が連なる。
自分が歩いた稜線は、惚れ惚れと魅入った。
今度はあそこから先を歩いてやろう、だなんて、今から唐松・五竜に登ろうというのに、もう次の山を考えている自分だった。呆れたものだ。
とにかく、JR白馬駅まで、車窓からの後立山連峰に酔いしれた。

ゴンドラ・リフトを乗り継いで標高1844mまで一気に上がる。
ゴンドラは囲ってあるので暑かったが、リフトはさわやかな風を受け気持ちがいい。
時々、山野草が足に触れ、何ともいえない贅沢な空中散歩である。
大好きなワレモコウのスライドショー、私は夢の世界に吸い込まれていった。

11:50八方池山荘(H1844)を出発。
厚い雲が垂れ込めている八方尾根を登っていく。

1時間ほどで八方池。
本来なら白馬三山の眺めがよいところなのだが、池さえ雲の中で見えやしない。
ここまで上がってきた観光客は残念そうだった。  

Img_0100 さらに30分ほど上がると雲の上に出て晴れてきた。

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扇雪渓1:40~1:55

丸山を超えたころからまた雲の中に入り、視界がきかない中をひたすら歩く。
標高差776Mを3時間半費やしたところで、ひょっこり唐松岳頂上小屋前に出た。

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明朝の剣岳・立山

すると途端に視界が開け、北アルプスの俊英・剣岳が出迎えたくれた。
重いザックを背に登った苦労は大変だったが、こんな心地よい興奮があるから山はやめられないのである。
ザックを下ろすことも忘れ、剣岳・立山の峰々を気が済むまで眺めた。

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小屋(H2620)で宿泊手続きを済ませ、空身で唐松岳(H2696)に登る。
皮肉にも雨が降り始め、頂上からの眺望がないことにがっかりしながら登った。

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この通り、眺望ゼロで文句も言いたくなる始末。
そんな時、不帰ノ嶮(かえらずのけん)を上がってきた若者がひょっこり現れた。
とにかくこんなに視界がきかない中、不帰ノ嶮を無事通過してきた若者に労をねぎらった。

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テント場は、小屋からずいぶん下がった斜面にあった。
水場がないここは、とても快適なテント場とはいえない。
それでも、今夏テント泊をしていない私はうらやましく眺めた。

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左:夕食
右:朝食は6時からと遅いので弁当を用意してもらう。
これで8900円。北アルプスは少々高い。
この小屋は水場がないので、歯磨きの水は1リットル160円だったかな?
この不便さがまた楽しいと言えば、「変なやつ」といわれるのでしょうね。

9月17日(月・祝)

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左:朝弁を小屋で食べ、5:17支度をして小屋を出る。
    唐松岳の右肩に、昨日見えなかった不帰ノ嶮が見えた。
右:雲海の中、今日一番の朝日を見る。

夜明けの景色を堪能し、小屋を5:30出発。
やさしい朝の光を浴びながら、牛首の険しい岩稜帯を慎重に通過する。

 

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猛烈な風を受けつつも、落ちるものかと気合をいれながらクサリ場を通過する。
左:この稜線をたどって五竜岳に向かう
右:朝日を浴びる五竜岳

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危険なクサリ場からの剣岳・立山はまた格別で惚れ惚れする。
クサリをぎゅっと握りながら、剣が見守ってくれているような気がした。
この景色の中を歩ける幸運を喜んだ。

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牛首を通過しほっとするも、まだまだ気は許せない。

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左:遠見尾根側の雲海
右:雲は稜線を越えられず、黒部側はすっきりしている。

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               最低鞍部に咲くシラタマノキ

唐松頂上小屋(H2620)から急降下し、アップダウンを繰り返し最低鞍部H2315まで降りる。

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振り返ると左奥の唐松岳から牛首~大黒岳(H2380)を超えてきたことがよくわかる。
最低鞍部から白岳(H2541)を登り返すと・・・・

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五竜山荘がようやく見えてきた。
遠見尾根分岐を見送り山荘まで降る。

8:10五竜山荘(H2490)に着き、荷物を預け空身で五竜岳(H2814)に取り付く。
が、空身でも足が重くて思うように登れない。
これでザックを背負っていたらと思うとぞっとした。

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いくらも登らないのに休憩をよくした。
そのたびに、歩いてきた道を振り返っては眺めた。
八方尾根や遠見尾根の方の雲はどうしても稜線を越えられないようだ。
雲は後立山連峰でぴしっと区切られていた。

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クサリ場を2ヶ所越え、鹿島槍が顔を見せるころになるとさらに傾斜がきつくなる。
山頂直下の岩壁にへばりつき、慎重に三点確保で上がる。
1時間15分かかって五竜岳に到着、と思いきや、まだ南峰で鹿島槍への分岐だった。

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鹿島槍への稜線もなかなか険しそうである。
この稜線が、「いつでもお出で」と私を誘っている。
いつの日か、この先の縦走路を歩かせてもらおう。 

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左:五竜岳頂上から唐松岳・白馬方面・富山湾・能登半島まで望めた。
右:雲がかかってきたが剣岳・立山に手が届くようだ。
   剣岳で「あれが五竜だ」といっている登山客のことを想像するだけで楽しいものだ。

写真撮影はイマイチだが、これだけの景色に出会えたことは幸運だった。

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景色を堪能し、9:55下山開始。(左奥にある小屋まで戻る)
五竜山荘から、登りは1時間15分、降りは40分だった。

小屋に戻り、大休憩後、11:10遠見尾根を降った。

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いくつものアップダウンを繰り返しながら雲の中に入る。
雨が強くなり雨具をつけるはめになるが、雲を抜けると下界は晴天。
この遠見尾根の4時間の下山は、今朝4時起きにはつらいものがあった。
3:15テレキャビン(ゴンドラ)に着いたころはふらふらだった。

JR神城までの15分を歩くつもりだったが、タクシーをみつけたら当然のように乗ってしまった。
何たる情けないことかと大いに恥ずかしく思ったが、実に楽だった。

来週の連休は、もう出かけないぞ、休養しなければと感じた帰路だった。

山梨県中央アルプス鳳凰三山

9月8日(土)~10日(月)

今回は中央アルプスの前衛である鳳凰三山縦走です。
夜叉神峠から入山し、薬師岳~観音岳~地蔵岳~青木鉱泉に下山。

名古屋駅8:00しなの3号→塩尻あずさ12号乗換え→甲府駅11:06到着。
甲府駅バス11:30→夜叉神峠12:35着。

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                  キバナアキギリ              

12:45、靴ひもを結びなおし、夜叉神峠小屋に向かって歩き出す。
雌しべが長く伸びる“キバナアキギリ”があちこちに咲いている。
小屋まで約1時間、樹林帯の中を汗びっしょりになって歩いた。

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   夜叉神峠小屋夕食(ワイン付)           朝食

白峰三山の間ノ岳に沈む夕陽が小屋の食堂まで長く差し込む。
そんな夕陽のスポットライトを浴びながらの夕食だった。
宿泊客はたった4人。テント場は5張り。
食事はおいしかったし、静かでよく眠れた。いい小屋だった。

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翌朝も白峰三山を眺めながらの朝食である。
朝日で見る見る山が赤くなる。
右から北岳(富士山に次ぐ高い山)間ノ岳・農鳥岳。

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                      夜叉神峠小屋H1770M

5:50小屋を出発。
今日は薬師岳小屋まで歩く。
天気のつもりで来たのに、午後から下り坂らしい。
ついてないなぁ~。もくもくと標高を稼ぐ。
樹林帯の中なので白峰三山が見えない。残念。

標高差400Mを1時間半かけ、7:20杖立峠道標着。
本当の杖立峠は10分ほど下った鞍部だそうだ。

杖立峠鞍部からさらに標高400M上がった苺平に向かう。
もうこの頃は、ガスって白峰三山は見えない。
本来なら振り返れば富士山も見えるらしいのに。
登る意欲をなくす。

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              ホウオウシャジン

9:25やっと苺平(H2510)に着く。
平らっていうから開けているかと思いきや樹林帯の中。
地図を確認すると、西にある辻山H2584から好展望らしい。
辻山往復40分という案内板に誘われ、倒木が多い登山道の赤テープをたどって歩くこと20分・・・・・

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辻山ピークは開けていたが西側は厚い雲がかかり何も見えなかった。
すると北側のガスがほんの一瞬切れて、運良く薬師岳が見えた。
ここから薬師岳まで100M下って300M上がる。
目標が見えるようになり俄然張り切る。

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台風9号の被害を受けた大木が根元から無残に折れていた。
計り知れない力を目の当りにする。

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10:50~11:40南御室小屋(H2430)で大休憩。
水が湧いているので、お湯を沸かし昼食。

ここから上がる標高300Mは本当に大変だった。
H2700までうんざりするほど樹林帯を上がった。
12:45やっとの思いで森林限界を抜け花崗岩の砂礫に出る。

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               タカネビランジ

砂払岳を乗り越せば今宿の薬師岳小屋。
砂礫に足をとられながら登る登る。

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このとき砂払岳からはガスって遠望できなかったが、夕方登り返したときはこのように薬師岳と左奥の観音岳は美しかった。
1:05砂払岳と薬師岳の鞍部にある小屋に着いた。

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      薬師岳小屋H2720          

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             写真左下が薬師岳小屋 

 

小屋で休憩後、薬師岳に登る。
砂礫に足をとられながら登るが、厚い雲が何もかも隠して眺望ゼロ。
せっかく稜線まで歩いてきたのにこれではがっかり。

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     ウラシマツツジ           ナナカマド

それでもウラシマツツジは奇麗に紅葉し、ナナカマドは実が赤くなっていた。

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夕食はおでん。水場のないこの小屋では貴重な食事である。

翌朝5:30朝食のころ、とうとう雨が来た。
朝から降りだしがっかりしていたら、雷まで落ちる。

今日は稜線を歩くので雷は怖い。
しばらく様子をみて6:10小屋を発った。

とにかく足早に歩く。
雨は時々強く降ったが雷は落ちなかった。

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6:50観音岳(100名山)から今来た薬師岳を見る。
本来ならここから振り返って富士山を眺めるつもりだっただけにがっかり。

観音岳を下り、登り返すと雨がやみ一瞬ガスが切れた。

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前方に赤抜沢ノ頭~地蔵岳のオベリスクが現れる。
写真を撮ったその後、また雨が降り出しとぼとぼ歩く。

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左:タカネビランジ 花崗岩の砂礫に咲く
右:ホウオウシャジン 鳳凰の名を冠した名前

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8:30赤抜沢ノ頭からの地蔵岳。
岩塔オベリスクが天を突くように立っていた。
あのW・ウェストンがこのオベリスクに最初に登ったそうである。
赤抜沢ノ頭からの眺望を楽しみにしていたが、八ヶ岳も甲斐駒も北岳も何も見えなかった。

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賽の河原に降りると、子授け地蔵が数対並んでいた。
子宝を願う人がこのお地蔵さまを自宅に借り受け祈願し、子宝が授かればお礼として新たにもう一体作り、二体にしてここに返す習わしがあるそうだ。

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振り返ると皮肉にも青空になってきた。
もう樹林帯に入って下るので最後の空だった。

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9:18~9:45鳳凰小屋で休憩。
左:全身トゲのハリブキ
右:鳳凰小屋のシラヒゲソウ(始めて見た)

この先、ドンドコ沢を青木鉱泉に下る。
五色滝・白糸の滝・鳳凰の滝・南精進滝、いずれもガスっていたが、先日の台風で水量が増しており豪快だった。

南精進滝を過ぎてからは足ががくがくで難儀した。
2:20青木鉱泉の温泉で汗を流し、3:00のバスでJR韮崎に出て、7:55名古屋に戻った。

青木鉱泉への地獄の下りで、ひどい筋肉痛に悩まされた。