お遍路とヒマラヤ

朝晩涼しくなりました。皆さんお元気ですか。

最近気になるサイトをふたつ紹介します。

 

まずお遍路の話題から。

「遍路歩記」~やさしさをかみしめて~ 宮本光夫さんのYouTube「遍路歩記」です。

お遍路経験者はもちろん、お遍路したことがない方も楽しめると思います。



 

 

もうひとつは山の話題です。

北アルプスなんていう国内規模じゃないですよ。ヒマラヤです。

信州大学山岳部が60周年記念ヒマラヤのペリヒマール登山を計画しています。

その記念事業ブログが公開されています。

 

是非のぞいてみてください。

 

さてシルバーウィークの天気はまずまずのよう。

また出かけるとしますか。あそこへ。

       

2009笠ヶ岳(新穂高温泉~笠新道)②

平成21年8月23日(日)[E:sun]

4時をまわった頃に起床。    
さっと支度をして人をかきわけかきわけ5時の朝食の列に並ぶ。運よく1回目の朝食にありつく。

「昨日到着してからどっと疲れが増した。今日下山できるだろうか心配で眠れなかった」と、もりもりご飯を食べながら話す仲間A。あのイビキは何だったんだろう??? ともあれ食欲があれば大丈夫。よかったと胸をなでおろす。

        Img_1906 今日の始まり・・・

絶対者的存在の穂高連峰。その背後から太陽が昇ろうとしている。今日という日が始まる儀式に立ち会う。宇宙の神聖なる儀式だ。

 

笠ヶ岳に5時アタック開始。(本当は昨日登る予定だった)
今日はとにかくペースを落とすことを心がけた。

        Img_1913

慎重に登り仲間A・Bと共に笠ヶ岳のピークを踏んだ。小さくバンザイする。そして遠くの槍に向かって「昨日はお騒がせしました[E:scissors]」とサインを送る。槍は「愚か者よ」と言ってそうだ。

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360度展望がきく素晴らしいピークだった。

        

        Img_1928      

燕岳も遠望できたし↑         

        Img_1930          

昨年、A・Bと縦走した立山~薬師岳↑も手に取るようだった。        

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南アルプス越しに、かすかだが富士山↑も遠望できた。

 

名残惜しいけれど下山しようとしたときのことだった。        

 

Img_1914 ⇒ Img_1925      

播隆平↑がスポットライトを浴びたように一瞬明るくなった。
あぁ、なんという綺麗なことよ。美しい光景に息を呑んだ。

1823年播隆(ばんりゅう)上人は笠ヶ岳を登拝している。そのとき槍を望み、槍ヶ岳開山を決意したといわれている。播隆平と名前がついているのだからあの池のほとりにも降りているはずだ。

私がその槍ヶ岳に初登頂したのは偶然にも播隆祭の日だった。そんな理由から、今回時間があれば播隆平に寄ってみたいと思っていた。この光明射す播隆平を見たということは、「ここへ来るがよい」という播隆からの暗示のような気がした。よくある光景なのだろうか。神秘的だった。

自分なりに満足して山荘に戻る。

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小屋の向こうは小笠↑。登れないことはないが登る人は少ないらしい。

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気温5℃。指先が冷たいはずだった。

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山荘の窓ガラスに映る穂高もまた格別。

さて山荘ともお別れ。ザックを担ぎ6:30下山開始。

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昨日ふらふらになって登った道をいとも簡単に降っていく。

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サヨナラだなんて・・・・本当はまだ降りたくないんだよ。 

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順調にずんずん降る。

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過酷な環境に咲くチングルマ(果穂)。これは草でなく木です。バラ科です。

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早朝、光明が射していた播隆平↑。ルートはうっすらだがある。あの緑の笠(小山)も登れるらしい。いずれも一般ルートでない。今回は時間がないので諦める。遠くに乗鞍岳、御岳まで見える。  

             Img_1944
  

↑名残惜しく笠ヶ岳を振り返る。

             Img_1949
  

アップダウンを繰り返し進む。

             Img_1950
   

また、笠ヶ岳を振り返る。だんだん小さくなっていく笠。

               Img_1951
 

折戸岩を抜け、また登る。快適な稜線歩きだった。

Img_1956 ⇒ Img_1957
 
 

↑左手には黒部五郎岳があった。いつの日か、あの頂に立ちたいと思っている。

(山の名前記載あり。写真をクリックして、さらにクリックして楽しんでみてください。
 山に興味のない方は、お花の写真を大きくしてみては・・・・)

  Img_1964
  Img_1963

折戸岳から望遠で槍を写してみる。写りはイマイチでもルートまでわかり興味がわく。

この先、弓折岳までの稜線を楽しむ予定だったが、体調が心配なので笠新道を下山することにした。

           Img_1967
 

8:30笠に別れを告げ、杓子平に降りる。

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  アキノキリンソウ             ミヤマホツツジ

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 Img_1981

 ハクサンボウフウ            タテヤマリンドウ

杓子平でお湯を沸かし花を愛でながらコーヒータイム。
7月の終わりごろの杓子平は素晴らしいお花畑だろうと想像した。

 

10:30杓子平(H2450)から樹林帯に入り、笠新道登山口(H1350)まで嫌になるほど降った。            

             Img_1984
シモツケソウ

笠新道登山口2:30着。もう2度と笠新道には入るまいと思った。

「どんなゆっくりでも、登り切ることさえできれば健脚だとガイドブックに書いてあった」とAのたまう。

「ちょっとぉ!ゆっくりとふらふらは違うんじゃない?」と言いたいのをぐっと堪えた。私もこういう年寄りなっていくのかな・・・。

新穂高まで1時間、ゆるやかな林道を惰性に任せタッタカタッタカ降っていった。

 

中高年の無謀な登山多発と叫ばれているなか無事終わってよかった。

その後、まだAから連絡がない。寝込んでいないかちょっと心配でもある。

                                      ぼやき山行おしまい[E:paper]

 

 

 

 

 

 

 

 

2009笠ヶ岳(新穂高温泉~笠新道)①

穂高連峰の西に位置する笠ヶ岳(標高2897m)に登りました。

      参考: 2万5千分1の地形図(国土地理院)

            Img_0028   2006/9/22西穂高岳からの笠が岳

その名の通り、山容は笠の型をなしており、頂上は他県と分けることのない生粋の岐阜県の山です。

               Img_1882 8/21雨の高山

JR高山駅からは、新穂高温泉行きのバスに乗ります。1時間半ほどゆられ終点の山すそまで行くのです。今回は前泊して翌朝から歩き始めました。

健脚コース「笠新道」に挑む旅のはじまりはじまり。    

 

 

 

平成21年8月22日(土)[E:sun]

         Img_1886

6:00新穂高温泉バスターミナル(標高1100m)で登山届けを出し、蒲田川に沿って左俣谷を行く。歩くこと1時間、笠新道登山口(標高1350m)に着いた。

ここから標高2750mの稜線まで、標高差1400mをひたすら登ることになる。7:00覚悟して笠新道に入っていった。

Img_1888  Img_1889
 

樹林帯を延々と登ること3時間半、振り向くと素晴らしい展望になった。
槍が岳から西穂高、さらに焼岳、乗鞍まで一望。山襞まで見て取れる。惚れ惚れする景色だった。

 

急登続きの笠新道をクリアーするには、極遅だが標高200m/1時間のペースをコンスタントに保つことが大切だと考えていた。ゆっくり上がればいずれ着く。極端に疲れることなく7時間半で稜線に出られる・・・と思っていた。

そうはいかなかった。
標高2000頃から仲間Aは、標高200m/1時間を切るほどペースダウン。立ち止まることが多くなった。これがアクシデントの始まりだった。

まずいなと思った。私は下山を考え始めた。
何気なく「降りましょうか・・・」と言ってみた。が、Aは「2450の杓子平に行って考える」という。降りるなら一刻も早いほうがいいと思ったのだが・・・・Aの様子を気にしながら樹林帯をさらに登っていった。

         Img_1892 樹林帯を抜け明るい杓子平に出る

杓子平↑に着いたのは、予定を大幅に過ぎた1:15だった。

稜線まであと300。そこから笠ヶ岳山荘まで2時間、山荘着6時になると予想した私は、今一度、Aに下山を勧めた。
が、頑固にも「大丈夫。そんなに遅くならない」とのたまう。

Aの体調回復を信じて、付かず離れずで稜線に向かった。
何がそこまでさせるのか。無謀という感が拭えず私は不安だった。

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背後には常に穂高があった。登山客のドラマを穂高は数知れず見ているのだろう。教えを請うような気持ちで私は穂高と対峙していた。

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標高差300mの赤線ルートを2時間半かけて、ようやく稜線に出た。

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稜線のはるか先、笠ヶ岳に向かってアップダウン↑を繰り返す。
とにかく行くしかない。天候が崩れないことを祈った。

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標高2750の稜線に咲く↑チシマギキョウ。なぜ、こんな過酷な場所を住処に選んだ?と問うてみる。

             Img_1900

ガスってきた。西からの冷たい風も不気味だ。とんでもない事になりやしないかと不安が募る。

               Img_1902

山荘までの中間地点、抜戸岩まで来た↑。あと半分だと自分を励ます。

後にも先にも登山客がいない稜線を歩いた。

テント場が目に入ったとき、これで遭難は免れたと思った。何十回目かの小休止。最後の水をAに差し出す。

              Img_1904

テント場を過ぎてからの最後の登り↑。2~3歩進んでは立ち止まる。Aはふらふらだった。
頑固にも登ることを選んだ人間の業の深さを垣間見た思いだった。山をやるものとして下山すべきかを判断することの難しさを考える。自問自答するも堂々巡り。

              Img_1905

山荘にたどり着いたのは、新穂高から12時間たった午後6時だった。
体力を過信した無謀な山行だったにも関わらず、我々は無事到着できた。詫びる思いで笠ヶ岳を見上げた。

 

今夏一番の宿泊客で超満員の山荘だった。(布団1枚に2人)

夕飯は最終の7:30。Aは食事ができないほど疲れきっていた。なのに私は安堵感からぱくぱくと食がすすむ。ちょっと気まずい夕食だった。

疲労で大いびきのAだった。寝られやしなかった。私は布団を抜け出し廊下で寝た。たくましくなったものだと我ながら驚く。ぼやきながら眠りに落ちていった。

                         つづく

 

 

 

2009上高地(北アルプス天狗池)②

平成21年8月14日(金)[E:sun]

充分に眠れないまま4:30起床。朝食なしで(ババ平で朝食予定)5:05槍沢ロッジ(H1820)を発つ。

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しばらく歩くと槍が頭を出した↑。空が明るい。ヤッホー!
昨日雨にもかかわらず、槍沢ロッジまで来た甲斐があったこと実感する。 

 

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樹林帯を抜け、5:45ババ平(H2080)着↑。正面は東鎌尾根。まだ私はここを歩いていない。左は横尾尾根で右は赤沢山。

ババ平は旧槍沢小屋跡で、現在は槍沢ロッジのテント場である。(水場あり)
昨晩の大雨でテント泊はさぞ難儀したはず。そのツワモノたちに心の中で労をねぎらう。

         Img_1825

大曲を過ぎると、↑大喰岳(オオバミダケ)と中岳が見えてきた。氷河が作り上げた巨大なU字谷。ようやく北アルプスらしくなってくる。あの稜線までの標高差は約900m。休憩入れて4時間ってところか。まだまだ先は遠い。

            Img_1828

深い谷を抜けると陽が照りだす。じわじわと額に汗がにじむ。この雪渓↑は上高地を流れる梓川の水源となっている。

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標高2350の分岐から槍沢を振り返る↑。正面は赤沢山(H2670)。その奥右下に見えるのは中山(H2492)。

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槍ヶ岳に向かう登山客と別れ天狗原↑に入る。登山客は激減し、静けさが漂う。

            Img_1830

ここからは未踏の地↑。しばし地図でルートを確認する。

          Img_1834

分岐から雪渓を横切ると槍ヶ岳の全容↑が現れた。ナナカマドが紅葉したら素晴らしい景色になるのでしょうね。

           Img_1835

しばらく行くと天狗原と岩に大きく書いてあった↑。ここは何万年前の氷河侵食による大渓谷(カール)だった。

 

           Img_1837  

天狗原から槍に向かう登山道を眺める↑。ジグザグジグザグと列をなして標高を稼ぐ登山客にエールを送る。こちらは登山客皆無。のんびり気ままに歩く。             

               Img_1839           

天狗原から雪渓が残る斜面を上がる↑。空に登りつめるようでもあった。

             

               Img_1842 

登りつめると、眼下に↑念願の天狗池(H2524)が現れた。同時に前方の常念岳(H2857)が目に入る。憎いシチュエーションに思わず笑みがこぼれた。

池まで降る。そして3人の先客に軽く頭を下げてから、目線を槍の穂先から池にゆっくり落とす。

               Img_1848

すると池には槍がちゃんと写っていた。心の中で静かにバンザイと叫んだ。

南岳小屋のブログによると、今年の逆さ槍は、お盆過ぎでないとだめだとか、雪が融けると水面に泡が発生し槍が写らないとも書かれていた。

今回はダメもとで来たのだった。それが幸運にも、昨晩の大雨で雪が融けて槍を写すだけの池が現れ、泡も押し流され水面は綺麗だった。そして何より無風晴天。これ以上のものはあるまいと思った。

池のほとりに座り槍を見上げる。私は見えない力に導かれ今ここにいる・・・そう感じるほど槍は神々しいものだった。大自然に身を委ねるという至福のときを堪能した。

               Img_1851

実に静かで神聖な場所だった。ここは大勢で来るところではないと思う。

 

槍の穂先をヘリコプターが何度も旋回していた。地方紙の取材撮影だと思ったら、帰宅後、中日新聞の一面に下記↓の記事を見つけた。

             Photo    

記事には、14日の午前中と書かれている。私が天狗池から見ていた槍の穂先に違いないと思うとちょっと嬉しくもあったりして。勝手に喜んでいた。

 

が、ここからがいけなかった。

夫が体調が思わしくなく、ここまでペースダウンぎみだった。頭痛と吐き気がするという。この先の計画は南岳に登って、明日は大キレット通過し北穂~涸沢パノラマ新道~徳沢だった。

とても無理だと判断し下山する事にした。

           Img_1853

とはいうものの、南岳へのルート↑をじっと見つめながら残念に思ったのは確かだった。

                            Img_1855

槍を見ながら分岐まで戻る。カールに咲くクガイソウ↑。

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分岐からの下山途中、大喰岳上空に月が見えた↑。今日の稜線からの景色はさぞ素晴らしいのだろうと諦めきれず何度も空を見上げた。

Img_1863     Img_1864           

      ミヤマカラマツ                  グンナイフウロウ         


Img_1866  Img_1867

ババ平を過ぎた頃、前方に↑蝶ヶ岳が遠望できた。雲がぽっかりと浮かぶ。なおさら下山する自分をみじめに思った。

12:00には槍沢ロッジに戻った。その頃には夫は回復したようで、その先は足取りは軽くなり安心した。だからといってもう一度登り返す気力はなく下山するしかなかった。

     Img_1872   Img_1877

雨の中を登った槍沢を眺めながら横尾に降りていった。

              Img_1878

徳沢から明神に向かう途中で親子連れが前から歩いてきた。すれ違ってから後姿に「楽しい旅を」と小さく声をかけた。それは私の消化不良の山旅をこの親子に託す気持ちから出た言葉だった。

バスターミナルに着いたのは5時を少し回っていた。

 

念願の逆さ槍は見られたし、とにかく夫が大事に至らなくて何よりだった。おしまい[E:paper]

 

 

 

         

 

 

 

          

           

2009上高地(北アルプス・天狗池)①

              Img_1844 逆さ槍

今年のお盆休は、上高地4池のひとつ「天狗池」に行ってきました。

台風や地震、大雨で出発までやきもきしましたが、14日が天気のようなので、それにあわせて12日の夕方に自宅を出発[E:car][E:dash]
ETC1000円が使えなくて残念でしたが、天気はお金で変えませんから仕方がありません。

11日の駿河湾を震源とする地震で、東名高速道路の一部区間が通行止め。そのため中央道を迂回する車がやたら多かったです。沢渡(標高1000ⅿ)到着が11:45になってしまい、到着するや否や後の席に移動し休みました。もちろん車中泊です。究極の不便さに身を置く山旅のはじまりはじまり。

 

平成21年8月13日(木)☂
沢渡8:20のバスに乗り上高地に入山。今日は槍沢ロッジまでなので、そんなに急ぐ事はない。いつも素通りしてしまう上高地ビジターセンターで雨宿りをしながら、湯を沸かし朝食。

               Img_1787 ケショウヤナギの緑が心をひく

明神~徳沢まで雨は小止みだった。ここまで2時間。徳沢名物の濃厚なソフトクリームで元気をつける。400円也。

            Img_1788  徳沢

               Img_1789
ハクサンオミナエシ

徳沢~横尾は☂ザンザン降りだった。12:30横尾(標高1615)着。疲れて非難小屋の軒下にどたっと座り込む。30分程休んだ。

ここから標高200ばかり上がる。1:00重い足取りで、雨でぐちゃぐちゃの槍沢に入っていく。

               Img_1790
常念岳からの沢

 

槍沢に入ると、登山客は激減した。雨は止む気配はなし。水の流れに気を紛らわせながら歩く。

   Img_1796  Img_1795

1:45槍見河原に着。何年前のことだろう。ここから槍の穂先を見て感激したのは・・・。明日はきっと晴れだ!・・・・素晴らしい槍を頭に描きながらまた歩き出す。

                Img_1797

タケシマランの赤い実に雨のしずくが輝き、一段と綺麗だった。
雨だから見られる景色がそこかしこにある。どれも目に優しい。 

            
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水の青さが疲れた体に一服の清涼剤となる。立ち止まって思う存分眺めた。

  

Img_1805  Img_1806
 

二の俣を過ぎると、川面に靄がかかりだす。

  

Img_1809  Img_1808

 センジュガンピ              トリカブト         

Img_1811    Img_1812

   激流に咲くソバナ             

 

花たちに励まされ、どんどん標高を稼いでいった。

            Img_1813

大汗をかいて2:40槍沢ロッジ着。上高地バスターミナルから5時間40分だった。

水が豊富なのでこの小屋はお風呂をわかしてくれる。石鹸は使えないが汗を流せるだけでありがたい。

 

予約しておいたからなのか、布団一枚にひとりのゆったりスペースで休めた。が、一晩中屋根をたたきつける雨音と、ゴーゴーと流れる沢の音が気になってなかなか寝付けなかった。夜中の3時くらいから階下のドア(玄関引き戸のよう?)の音がうるさく、4時ごろになると引き戸の音はひっきりなし。熟睡できない一夜だった[E:bearing]

                           つづく

 

2009霧が峰(長野県)

平成21年7月25日(土)[E:cloud]/[E:rain]/[E:sun]

なかなか梅雨が明けないので夏山に出かけられないでいる。

いくつもある山行計画がどんどん先送りになるのは、精神的にとてもつらい。犬のように餌を前に「待て!」を1週間も2週間も続けると、アル中(アルプス中毒)の禁断症状か、いっそのこと雨に打たれてでもいいから歩きたくなる。

一日中雨が降らないだろう地域をあれこれネットで探して、ニッコウキスゲが盛りの霧が峰を選んで出かけた。

         Img_1683

霧が峰は諏訪湖の北東部に位置し、ビーナスラインが貫いているので交通の便はとてもいい。

霧が峰駐車場から車山肩に向かって歩き始める。

           Img_1689 

車山肩に近づくとニッコウキスゲの群生が現れる。ニンマリしたのも束の間、突然大粒の雨が降り出す。肩の売店に逃げ込み、雨具を着け躊躇せずまた雨の中へ歩き出した。

右をみても左をみてもニッコウキスゲ。雨にもかかわらずとにかく嬉しくて仕方がなかった。

 

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にわか雨はじきにあがり薄日がさしだす。シシウド↑は大きく花を広げ、まるで花火のよう。

他に、ハクサンフウロウ・アザミ・カワラナデシコ・マツムシソウ・ウツボグサ・イブキトラノオ・ヤナギラン・テガタチドリ・ギボウシ・・・・

こんなたくさんの花たちに逢えて、心はアルプス縦走だった。

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この広い野原いっぱい咲く花を ひとつ残らずあなたにあげる 赤いリボンの花束にして

先ほどの雨で観光客もいないし、鼻歌まじりで思う存分解放感を味わった。

 

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車山頂上は、こんな↑感じだった。本来なら360度の大展望が得られるはずなのだが。

           Img_1716

雲の切れ間から一瞬見えた八ヶ岳の裾野は美しかった。あれが八ヶ岳、南アルプスの間に富士山・・・・と想像する。それも時には楽しい・・・なんて負け惜しみを言って自分を慰めていた。

          Img_1715

車山(標高1925m)は実に簡単に登れる百名山だった。

頂上でウスユキソウ・イブキジャコウソウが出迎えてくれた。頂上のニッコウキスゲは好きになれなかったが・・・・ロープウェイで上がる観光客のためには仕方がないのか。

         Img_1718

白樺湖を見ながら下山開始。

   Img_1727   Img_1728

ハクサンフウロ・クガイソウ・ツリガネニンジン・アザミ・アヤメ・・・・花を見つけながら下山する。

 

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白樺湖の先は蓼科山だろうか。雲がなかったら素晴らしい山容なのだろうと思った。

赤いシモツケソウを見ながら車山高原駐車場に降りた。

 

 

 

 

暑中お見舞い申し上げます

暑い毎日ですが、皆さんお元気ですか?

この連休、天気が悪く、山は中止にしました。

 

それにしても、トムラウシ遭難事故は残念でした。

天候急変で山が荒れ狂う・・・・想像しただけでも怖いです。

 

とくに山深いところに行くときは注意が必要です。

改めて山の怖さを感じた遭難事故でした。

 

 

予告「裏剱・線の記」

6/25に映画「剱岳・点の記」を見ました。

原作新田次郎「剱岳・点の記」を映画化したもので、陸軍測量部の剱岳初登頂を描いたものです。

 

この映画観るにあたり、今一度、本を読み返して映画を観に行きました。
「読んでから観る」は、やはり物足りなさがありますが、そこは仕方がありません。

 

映画の大画面は迫力がありました。刻々と変わる山の天気を相手に、あれだけの景色と人物を撮るのですから大変だったに違いありません。自分が知っている景色以上のものがたくさんあり堪能しました。

 

映画を観てからというもの、さらに立山に魅力を感じています。
今度はどのルートを行こうかな・・・と、1/50000の地図をバカみたいに眺めては計画を立てて楽しんでいます。

ちなみに私の剱岳登頂は、2002年8月です。

      Img061 ←カニノタテバイ

天候に恵まれず、ただ登頂しただけ、眺望はゼロという残念なものでした。

 

今度は、紅葉時に裏剱を眺めたいと思っています。

いつになるやらですが、その「線の記」まで、お付き合いをよろしくお願いします。

 

2009上高地(明神岳ひょうたん池)②

平成21年6月21日(日)[E:rain]

朝起きたらやはり降っていた。聞けば、夜中から降ったり止んだりだったそうだ。

 

雨なので、無理をせず行けるところまでにして、アイゼンを小屋において出た。そのほうがあきらめがつくし、その分ザックが軽くなってよい。

    Img_1664

 

8:00、嘉門次小屋↑を出発。ひょうたん池まで行かない(行けない)のだからこんな時間でも大丈夫。ちなみにこのルートは、一般登山道でないので経験者と入ります。

信州大学上高地ステーションの横を抜け、サルの親子に見送られながら明神岳に入る。

          Img_1670 ←帰りの写真

元養魚場の脇を通って、朽ちた橋を渉る。下宮川谷に入っていくにはここを行くしかないらしい。この雨で滑って橋から落ちても不思議でないほど怖いものだった。

樹林帯の中で、下山してきたひとりの若者に会った。話を聞けば、昨晩はひょうたん池でテント泊したそうな。マニアックだ。この雨の中、お互いの安全を祈って別れる。

 

20分ほどで樹林帯を抜けゴーロ谷に出る。雨のなか谷をつめる。マーク(このときはケルンあり)から右側の谷(樹林帯)に上がる。ここの目印はわかりにくい。経験者でなければ見落としてしまいそうだ。その後のヤブこぎは暑くってたまらなかった。

 

途中1回休憩して宮川のコルが見える広いところに出た。遮るものがないので雨が横から降ってくる。ガスっているので目標とする山が見えない。道は不明瞭。浮石多し。ザレ場では一歩進んでは半歩ずり落ちる。そんなふうで近くに見えたコルになかなか着けなかった。気づけば左側にずれて登っているし。ぽつんと一本だけ立っているカラマツに進路を向け(右側に)トラバースした。このカラマツはきっと嘉門次小屋から見えた木だと思った。

 

カラマツの大木に9:50着。標高2060m。嘉門次小屋から2時間ほどだった。本来なら明神岳が近くに聳えているのだろうけど、この雨で何も見えなかった。「そんな簡単には見せてやれないよ」と明神岳が言っているような気がした。

この先にある岩壁のレリーフまで行く予定だったが、下山の事を考えると、そこまでの往復30分がとれないと判断し、雨の中で小休止し下山した。

10:10下山開始。

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一瞬、靄が切れ梓川が見えた。嘉門次小屋も明神館も見えた。

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下宮川谷に降りたら(H1700)雨が上がり、徳本峠の方がよく見えた。

沢にかけられた怖い橋を渡り、元養魚場を通って信大上高地ステーションに12時無事降りた。下界はピーカン[E:sun] 日差しが強かった。

明神館に戻り、雨具を干してザックをひも解く。あそこまで行ったのだと明神岳を見上げながらおにぎりをほおばる。食後、抹茶を点て一服した。何ともいえない至福のときだった。

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[E:note]また来るときには笑っておくれ・・・明神岳に見送られ、明神館を後にした。

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しばらく歩くと、梓川を挟んで西穂高岳が見えてくる。素晴らしい景色にうっとりする。

難なくバスターミナルまで歩き、タクシーに乗る。釜トンネルに入る前に穂高に別れを告げた。

沢渡でマイカーに乗り換え、温泉に入って名古屋に帰った。

目的地「ひょうたん池」まで行けなかったが、入れないと思っていた明神岳に入る事ができ満足だった。またいつか明神岳が呼んでくれる日を待つ事にします。

お粗末な山行記でした。おしまい

 

2009上高地(明神岳ひょうたん池)①

平成21年6月20日(土)[E:sun]

7:00自宅を出発[E:car][E:dash]
小牧IC→松本IC→11:15沢渡にマイカーを置いて、タクシーで上高地に入山。
釜トンネルをくぐると焼岳、そして穂高が目に飛び込んでくる。

    

       
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「6月の上高地」は5年ぶり。(H15年奥又白池・H16年徳本峠以来)
ケショウヤナギの新緑が何とも美しい。河童橋から見る穂高に新たな感動を覚える。

穂高に向かって「今年もよろしくお願いします」と心の中で拝む。

 

今日は、河童橋から1時間ほどの明神館まで。
「あぁ、・・・」と開放感を味わいながら、のんびり梓川左岸を行く。

ラショウモンカズラ(紫)が盛んに咲いている。ニリンソウは盛りは過ぎていたが可愛く咲く。他にクルマバツクバネソウ・クルマバソウ・アマドコロ・ユキザサ・タガソデソウ・マイズルソウ・オオバミゾホウズキ・・・・
エンレイソウ・サンカヨウ・ツバメオモトはもう花は終わり実を結んでいた。

 

小梨平にある上高地ビジターセンター前で望遠鏡をのぞいている人たちがいた。「のぞいてご覧」というのでのぞかせてもらう。すると西穂独標が手に取るように見えた。10人ほどの登山客が楽しんでいた。まるで映画を見ているようだった。

 

1:00明神館に着。カンボクの木↓に「来たよ」と挨拶する。この花は秋になると赤い実になる。

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ザックを預け、仲間が待つ嘉門次小屋へ。

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明神橋の先は明神岳。

穂のように高く聳え立つ様から「穂高岳」と名前がついた、と明神館のご主人からお聞きした。

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明日行く「ひょうたん池」は、↑あの鞍部あたりだと教わる。
上高地の4池(奥又白池・北穂池・ひょうたん池・天狗池)の3つ目をこの目で確かめに行くのだ。私もいよいよ明神岳に入れるのだと思うとわくわくした。

 

徳沢方面に散歩に出る。

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目的のベニバナイチヤクソウの群生に出会う。

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ツマトリソウ(白)・エゾムラサキ(ボケている紫)・ベニバナイチヤクソウ(奥のピンク)

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見事な群生に満足し、宿に戻る。(往復2時間)

 

ここ明神館はいつも素通りで、泊まるのは今回が初めて。湯船から明神岳が眺められるいい宿だった。

 

夕食後、嘉門次小屋へ移動。雨が降り始める。

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6時半から嘉門次小屋で歌のコンサート。
童謡からシャンソン、朗読をうっとりと聞く。後半はみんなで歌う。時に思わず涙が流れる。あっというまの2時間だった。

8:45明神館に戻って、明日の支度をして休んだ。
今日は疲れていないので、いつもの台詞「ゴクラク・・・」はない。

つづく