2009大日岳縦走③

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平成21年10月12日(月)体育の日[E:sun]

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5:47 空が赤くなってきた。真ん中が奥大日岳。左は剱岳で右奥の白い山は別山か?

6:00 再度大日岳へ。

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天気がいいので雷鳥の姿は見られない。そのかわり雷鳥の足跡をいくつか見る。

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昨日は見られなかった剱岳が大日岳(2501)頂上の北東に見えた。剱岳の左裾奥に白馬三山も見て取れる。

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6:38 大日岳の影がくっきり見えだす↑。ぼんやりだが右奥に富山湾も見える。

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大日岳頂上には大日如来が祀ってある↑。そのずっと奥は薬師岳だ。

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室堂から薬師岳までの縦走路が一望でき、満足いくピークだった。

 

7:15小屋に戻る。パッキングしなおして7:55小屋を発つ。我々が1番遅い出発だった。

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「楽しませてくれてありがとう。また来るかも。さよならぁ」と、大日岳に声をかける。

             Img_2328 等高線のようなすじが面白い

険しい谷をひたすら降る。称名滝から登ってくる登山客は皆ふうふう言ってる。降るこちらも大変なのだから登るのはさぞ大変だろうと思った。

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9:34木道に出たので大日平小屋はもうすぐだと思ったがなかなか着かない。

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10:00ようやく大日平小屋(H1750)に到着↑。

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この谷を降りてきたのだ↑。標高差680m。何でもないように見えるが2時間もかかった。

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小屋裏に出て、弥陀ヶ原から称名川に流れ落ちる不動滝を見た。源流は天狗山からのようだ。称名川は永年の間にこんなにも深く台地を削ったのかと谷底をのぞいてみる。

小屋に戻り、湯を沸かしコーヒーとパンを食べる。ここで小一時間休憩。           

10:55大日平小屋を出発。

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行く手の左(南)には埋蔵金伝説の鍬崎山(H2089)。

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雪を被った薬師岳を遠望しながら歩く。称名川を挟んだ弥陀ヶ原の紅葉が綺麗だ。

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振り向くと遠くに雪化粧した立山が見える。ずいぶん歩いてきたものだと感慨深く眺める。
大日平小屋からの1時間くらいは紅葉が綺麗だった。(標高1600~1500くらい)

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11:51 牛ノ首(H1470)からまた猛烈な坂を降る。  

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11:58 どんどん降って紅葉最盛期を通り過ぎる。見上げると紅葉が綺麗だった。 

12:30 滝の音を聞きながら大日岳登山口に到着。称名滝に向かう観光客がたくさんいた。あぁ・・・とうとう下界に降りてきてしまったのだと少し残念に思う。

登山口にザックを置いて称名滝を観光。

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どれどれと案内を読む。150mもV字型に侵食したと書かれている。この目で確かめてきた私は「そうだそうだ」とうなづきながら読む。では、その称名滝を・・・・

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こんな具合に流れ落ちる。やはり紅葉は標高1500~1600あたりがよいようだ。

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空の青と紅葉を入れると全容は撮れなかった。滝は4段に分かれ落差350mだとか。称名滝の右側に細くハンノキ滝が流れている。こちらは落差500mだが年間通して流れないので称名滝が落差日本一だそうだ。室堂に向かう立山高原バスからも小さく称名滝が見えるのだがやはり近くで見るのは迫力がある。水の飛沫が気分爽快だった。

何万年も前は、この滝は現在の立山駅にあったらしい。にわかには信じ難いが1年に数十センチづつ後退して今に至るそうだ。滝を動かす水の力は偉大なりだ。今回の大日岳縦走は弥陀ヶ原の北側の地形について勉強になった。

 

登山口に置いたザックを拾ってバス停まで歩く。
2:25立山行きのバスに乗る。
2:49富山行きの電車に乗る。
4:11JRしらさぎ名古屋行きに乗る。
7:46名古屋駅着。

 

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平均上昇率(1分あたり)  2m
垂直上昇高度の合計   46m

平均下降率(1分あたり)  7m
垂直下降高度の合計  1372m

上昇/下降の回数     1回

                 …。oо○**○оo。…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。

 

                                                     おしまい


 

 

 

             

2009大日岳縦走②

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平成21年10月11日(日)[E:sun]/[E:cloud]

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一夜明けたら室堂は銀世界だった。

さてこうなるとアイゼンなしで大日岳縦走できるか心配だが、とりあえず行くことにした。アイゼン代わりにと宿で縄をもらった。お守り代わりにザックにくくりつける。

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7:35雷鳥荘(H2432)出発。

まずは、雷鳥沢テント場(H2270)まで降る。これが滑りそうで意外と怖い。もらった縄をすぐに巻けばよかったが今さら面倒でそのまま歩く。         

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20分かけてテント場に降りる↑。雪上でのテント泊はさぞ寒かっただろう。

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8:00称名川(H2260)を渡る↑。 しばらく称名川右岸沿いを歩きのち登る。

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ナナカマドは実だけが残り雪が被る。

称名川を渡ってから30分ほど登ると新室堂乗越(H2370雷鳥荘と同じ)に着く。8:30だった。
振り向くと室堂が↓、行く先は大日岳縦走路が↘一望できた。他の登山客はさっさと行ってしまうが我々は景色に見惚れ15分ほど休憩する。

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右写真↗の1番右側はH2611。奥大日岳はその奥。

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しばらく歩くと右手奥に剱岳が見えた↑。急峻な稜線には絶えず雲が絡み付いている。とてもいい縦走路で気分よく歩く。

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さらに1時間ほど歩くと、称名川が弥陀ヶ原台地を深く削ったといわれるV字型を見ることができた。はかり知れない年月は経っているが、水の力が見て取れる。いい景色だ。しばらく立ち止まって見ていた。左が弥陀ヶ原で右が大日岳。その間を称名川が流れる。

先ほどまで真っ白な大日岳だったが、それは北側だけで南側はまだ雪はついていない。

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H2511あたりから、遠くに↑今日の目的地である大日小屋が見えた。あぁ、あそこまで行くんだ。この稜線を辿って行くのだと思うと嬉しくて仕方がなかった。

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池塘が多く、どれも氷っていた。平成19年8月上旬に訪れたときはこのあたり一面お花が咲き乱れていたところだ。

          Img_2257 奥大日岳から来た道を振り向く

2611(↑左端)から降ってくるとき雷鳥を見た。だらだらと降って奥大日岳への分岐に着いた。(北側は雪で白い)

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11:00、2度目(前回はここ)の奥大日岳(H2605)に登頂↑。このころになるとガスが出て北側(剱岳方面)は何も見えなかった。残念。それでも30分ほど休憩する。

          Img_2256 奥大日岳から大日岳への縦走路を見る

11:25 この↑稜線を辿って歩き出す。真っ白で大丈夫かなと思いきや・・・・・

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稜線はこんな感じ↑だった。奥大日岳を過ぎると登山客は激減した。静かでよかった。一度大きく降って先に見えるH2400まで登り返す。

谷に降りると雪が深く寒かった。はしごは凍りつきその上に雪が被る。慎重に降りた。このあたりで大日岳からの登山客ふたりと行き交う。

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12:35 H2400まで岩をよじ登る。女Aが登るのを待ちながら樹氷を眺める。

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12:40 H2400に着き小休止。チングルマは今に雪を被り越冬する。

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右側が大日岳

12:55 まずは左の山(中大日岳H2500)↑を目指して登っていく。

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来た道を振り返る↑。稜線が一望できた。

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1:24七福園(H2480)を振り返る。大岩ごろごろ↑だった。

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中大日岳を登り、しばらく降りていくと大日小屋(H2430)に出た。1:40だった。
左が宿泊棟で右が食堂。

小屋の食堂にはストーブが焚かれ暖かい。昼ごはんを食べながら休憩する。

3:00ころ大日岳に登る。小屋から少し降りてから登る。片道15分ほど。だから空身で。

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頂上近くで雷鳥3羽と出会う。どうも今年生まれた姉妹たちのようだった。警戒心はそんなに強くないがときどきこちらを気にするしぐさをする。よく観察するとお腹から白く冬毛になっている。右写真↗を拡大して見ると足も毛がはえている。チングルマの葉が餌なのかひっきりなしについばんでいた。今に真っ白になって厳しい冬を越す。

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大日岳頂上(H2501)からの展望はゼロだった。また明日登ることにしよう。

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大日岳から大日小屋を見る↗。よくもまぁ、こんなところに建てたものだと思った。
明日で小屋閉めだそうだ。

夕食後、食堂のストーブに当っていたら猛烈に眠くなってきた。夕食後、ギター演奏があると聞いたが待てず7時半ごろ寝床に行く。冷たい布団だったが睡魔のお陰であっという間に眠れた。が、夜中に窓の結露なのか水滴が2回も額に当って目が覚める。とにかく寒い夜だった。

 

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平均上昇率(1分あたり)  5m
垂直上昇高度の合計  760m

平均下降率(1分あたり)  5m
垂直下降高度の合計  710m

上昇/下降の回数     4回

                 …。oо○**○оo。…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。

                                つづく

 

 

 
       

2009大日岳縦走①

また、飽きもせず北アルプスへ行ってきました。今年最後の北アルプスは、山友達(女A)と立山室堂~奥大日岳~大日岳~称名滝まで縦走です。さて今回はどんな山行になるのでしょう。しばらくおつきあいください。

地図はこちらから→ 立山地図 

 

平成21年10月10日(土)[E:cloud]/[E:snow]

朝8:20、夜行バスで立山室堂ターミナルに降り立つ。
まわりの山々は雲が垂れ込めている。最悪の室堂を目にし、がっかりしながら歩き出す。

今日は雄山~大汝山~富士の折立~真砂岳を縦走しようと意気込んでいた。
が、この天気では雄山に登るまでもないな・・・である。しかし他に行く手頃な所もなくとりあえず雄山に向かった。

しばらく登ると雪で道は凍てつき、装備不十分の観光客は次々と退散していく。一応山をやる者としては、このぐらいでは撤退できない。私は惰性的に登り続けた。小雪が舞いだし雄山はどんどん暗くなっていく。祓堂に着くころには吹雪き始めた。自分に問う。「時間はかなり潰せた。もう気が済んだだろう?」。

 

室堂に降りたが宿に入るには早すぎる。かといってこの雪では行くあてがない。どこで時間を潰そうかときょろきょろしていたら「玉殿岩屋」という案内板を見つけた。室堂山荘から10分ほど降りたところに、行者が修行したといわれている「玉殿岩屋」はあった。室堂は5回目だが今回初めて立ち寄った。
(写真はないので興味のある方は上の玉殿岩屋をクリックして見てください)

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その岩屋の前に立ったら一瞬日が射し明るくなった。その岩屋前の景色↑。

今回は室堂から称名滝まで2日かけて歩く。その称名滝の源流がこの谷であることに、ここ岩屋に降りてはじめて気づいたのだった。「雄山に登らずこっちを見に来い」と行者に呼び戻されたに違いない。雄山を諦めた甲斐があったなと思った。地図と実際の地形を見比べ納得する。室堂の地形をまたひとつ知った喜びを感じた。こういうことも山の楽しみ方のひとつだ。

(称名川はその後、溶岩台地・弥陀ヶ原を永い年月にわたって深く刻み続け、落差350mの称名滝を造っている。)

行く当てもないのでお昼を少しまわったころ、今晩の宿「雷鳥荘」に入った。
元気な女Aはすぐに温泉に入りにいったが、疲れた私は部屋でしばらく眠った。

3時をまわった頃から雪がしんしんと降り出し、夕食時には一面雪景色となる。

部屋は女ばかり8人だった。布団下の畳がぽかぽかと暖かい。どうも温泉を床に張り巡らしてあるようだった。

前回は天気が悪くて奥大日岳までしか行けてない。明日はリベンジとなるか?
寝る前にまた温泉に入ってから休んだ。

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平均上昇率(1分あたり)  3m
垂直上昇高度の合計  289m

平均下降率(1分あたり)  3m
垂直下降高度の合計  361m

上昇/下降の回数     1回

                 …。oо○**○оo。…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。

                                つづく

心強い相棒(5代目)

         

        Img_2213      

とうとう新しい靴を買ってしまった。これ↑。

 

昨年暮れに修理した靴(心強い相棒)の縫い目がこのあいだの大キレット縦走でほつれだした。
修理に25000円も出したので、ダメもとでクレームつけたら無料修理できるといわれた。
しかも靴底も無料で張替えてくれるという。
ざっと数えてだが23日の山行でだいぶ磨り減っていただけにラッキー。

 

が、修理に出している間の靴がない。
というわけで買ってしまったというわけ。

この5代目の靴をはいて、先日立山大日岳縦走してきた。
安定感があり、なかなかよかった。

アル中(アルプス中毒orアルキ中毒)は治りそうにない。

 

2009穂高連峰大キレット縦走⑤

山行地図はこちらから→ 穂高地図

 

平成21年9月23日(水)祝日[E:cloud]/[E:rain]

夜中3時に目が覚めた。寝床が窓側(常念岳側)だったので、半分起き上がってしばらく外を眺める。月が出ているのだろうか?ほの白さのなかに蝶~常念のシルエットが綺麗だった。支度するにはまだ早いのでもう一眠りする。

次に目が覚めたときは小雨降り3時に見た景色はどこにもなかった。今回は稜線からの日の出も夕日も拝めなかった。2日とも。        

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5時半朝食。日の出が拝めないので皆ゆっくり食事する。

      

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鳥も通わぬ滝谷は結局上から覗けなかった。      

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6:05穂高岳山荘を出発。           

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小屋裏に回って白出沢を降り始める。先客が小さく見えた。奈落の底までこのガレ場のようでげんなりだ。

 

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浮石が多く、これといって道があるわけでもなく景色も皆無。そんなガレ場をイヤになるほど(2時間)降った。

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笠ヶ岳下山のとき見た白出沢(赤線)↑。この写真を頭に描きながら「念願の白出沢はこうだったのか・・・」とぼやく。 

        

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右に荷継沢を見て、樹林帯に入ると荷継小屋跡と思しき石積みがあった。その昔、歩荷が休憩したのだろう。2軒あった。           

          

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鉱石沢の道標を左に降りる。登ってくる登山客ひとりあり。かなりしんどそうだった。      

         

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鉱石沢を降ると景色が一変↑した。紅葉の中に入っていく。     

            

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下の廊下のような雰囲気だった。この景色は想像外だった。 

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白出大滝の全景は見られなかったが長い滝だった。       

       

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天狗沢から雪渓が崩れ落ちていた。まだ新しい。      

     

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空が明るくなってきた。この先でコーヒータイムした。しばらくすると後続の登山客がやってきた。とてもいいところだと絶賛しあう。      

     

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天狗沢の雪渓はぱっくり口を開けていた。天狗沢の上部を左に上がればジャンダルムに行き着つくようだ。天気だったら細部まで見られたのだろうと残念に思う。

     

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地図に「重太郎橋」とあるのがこの橋↑。9:18はしごで下に降りて白出沢を左岸に渡る。     

       

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左岸に渡って振り向くと後続の登山客が降りてきたところだった。

ここからは一般登山道というか歩きやすい道を行く。  

    

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この沢で命を絶ったという23歳若者の碑があった。1985年3月29日没とあった。 
今朝手向けられたばかりのようなりんどうと栗がせつなさを覚える。   

          

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ムシカリの赤い実が綺麗だった。    

        

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10:25白出沢出合に到着。穂高岳山荘の車があった。
毎日「今日は楽しかった」の連発だったが、最後に「本当に楽しかったぁ~ありがとう」と大声で言った。それは山と夫へ感謝をこめてだった。      

         

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案内板に行程を赤でマーク↑してみた。赤丸は宿泊した小屋。        

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白出沢出合から林道を降ること30分、穂高平小屋の牧場に出た。
もうお腹がぺこぺこ。小屋でラーメンを注文した。ラーメンを待っている間、冷えたトマトをかぶりつく。1個300円もしたが上手かった。

雨具を脱いで新穂高まで40分ほど歩いて、12:55高山行きのバスに乗った。

 

高山に出て銭湯に行く。銭湯の親父さんからクマはいなかったかと聞かれた。乗鞍岳のクマのことがあったからだろう。ジャンダルムから落ちたヘリの話も聞かされた。あれこれ批判していたが本当のことはわからない。

何日かぶりのお風呂でさっぱりした。ぶらぶら歩いていたら『高山陣屋』に出た。一度も入った事がないので拝観した。立派なお屋敷だった。

 

高山といえば飛騨牛。というわけで飛騨牛の焼肉を食べる。

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山を堪能し、社会見学(高山陣屋)し、飛騨牛を食し、幸せこの上ないだった。

後半天気が悪かったが、実に楽しい山旅だった。おしまい

2009穂高連峰大キレット縦走④

山行地図はこちらから→ 穂高地図 

 

平成21年9月22日(火)祝日[E:cloud]/[E:rain]

さて、本番当日になって天気が思わしくない。朝食の席では、「行けるかなぁ?」という話題で持ちきりだった。「行かない」を選んだら、来た道を戻るしかない。そんなぁ殺生な。
私は惑わされるような会話に入らず、とりあえずご飯を食べた。腹が減っては戦はできぬなのだ。

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雨具上下をつけ外に出てみる。う~ん、何にも見えない。でも『今日の大キレット日和指数』はレベル2。自己責任で決行。

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不安がなかったわけでないが、夫が同行してくれるので心強かった。

「気をつけて行こうね」

「慎重に行こうね」 

このまま雨が降らないことを願って、5:50ヘルメットを被り大キレットを降りていった。

 

確かに歩きやすい道でなかった。どうやって降りようかというクサリ場がたくさんあった。濡れているのでクサリを頼れない。岩に手をかけて慎重に降りた。そんな岩場をひとつひとつクリアしていく。

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長いはしごをふたつ降ると最低鞍部2748だった。ガスで何も見えない。しばらく稜線歩きのような感じのところを歩いた。3人が我々を抜いていった。

小雨が降り始める。抜いていった登山客はすぐ見えなくなった。これでは滑落したり遭難してもわからない。頭の中に入っている地図やコースタイムを頼りに高度計や時計を頻繁に見た。とにかく○や×や↑を見失わないように辿る。

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両端がスパッと切れたところに出たら先ほど追い抜いていった先客がいた。道標はないが、これは核心部の『長谷川のピーク』だと思った。なるほど緊張する岩場だった。

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岩を慎重に探りながら飛騨側によっこらしょと乗越す。掴む岩を探す。足場を探す。

『↴』という矢印が多かった。見落とすとすぐに行く手がわからなくなる。3点確保でペイントに従って慎重に進んだ。

どれほど危険なところに長谷川ピークがあるのか、まったくわからなかった。が、滑落したら危険地帯の飛騨側に落ちるのだということはわかった。

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しばらく両手両足で降っていく。対向者とゆずりあうとガイドブックに書いてあったところは、このあたりなのだろう。この日はそういう心配は皆無だった。

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ようやく両足だけで歩けるようになったと思ったら『A沢のコル』に出た。小屋から1時間40分が経っていた。

この窓から西に笠が岳を見るつもりだったのだが何も見えなかった。そして本谷左俣からここに上がってくるルートも確認したかったのだが、これもまただめだった。

 

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A沢のコルからは北穂高岳に向かって『飛騨泣き』をよじ登る。これまたホワイトアウトのなか○を探して辿るのみだった。前を行く登山客が目に入ると、あぁあそこかとわかるが、それがなかったらおおよそのルートさえまったくわからなかった。○を見失ったら間違いなく遭難すると思った。とにかく険しい岩山との格闘だった。この辺でソロの対向者に初めて出会った。このあと二人連れとすれ違ったのみだった。

 

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小雨が降ったり止んだりの中、まだかなまだかなと飛騨泣きをよじ登る。このころになると後続に4~5人いることがわかった。が、距離が縮まることはなかった。

          

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高度計があと100、50・・・となってきたころ小屋が見えてきた。

雨の中、9:50北穂高岳小屋に到着した。小屋前テラスには登山客のために雨よけシートが張られていた。

到着したら槍に向かってバンザイでもするかもなんて思っていたが感激もなにもない。お遍路で88番に到着したときのようにあっけなかった。来た道を覗いても真っ白。こんな景色を想像していなかっただけにがっかりだった。

今日始めてザックを降ろして暖かいものを飲む。が、ここは標高3000m。すぐに体が冷えてくる。
9:15、雨降る北穂高岳を通過して涸沢岳に向かった。

 

北穂を少し降り分岐を通過する。一瞬右上に登山客が見えたので「その道はどこへ行くのですかぁ?」と大声で尋ねる。すると我々は間違えて涸沢カールに向かっていることがわかった。ほんのわずか登り返すだけで助かったが、ホワイトアウトではこんな簡単なことすらわからなくなることを体験した。「ありがとぉ~」と声をかけたときはもう姿は見えなかった。この一瞬を見過ごしていたらどこまで降りただろうと思うとぞっとした。私はまだまだだめだと痛感した。

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小刻みにアップダウンを繰り返しながら冷たい雨の中を歩く。この連休に一大テント村ができてるであろう涸沢カールは真っ白で何も見えなかった。

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前にも後にもまったく登山客はいなかった。不気味さを感じる登山道だった。特に右手滝谷が不気味だった。○印のペイントも心なしか見つけにくい。浮石には滑落した多くの魂がうようよしているように感じた。絶対にそっちに行くものか・・・と注意を払う。

そんなとき鞍部に一輪のイワギキョウを見つける。不気味さから解放されほっとした途端に寒さを覚えた。雨具の下にダウンジャケットを着た。濡れた手袋も変えた。すぐにぬくもりを取り戻したので早めの対処がよかったことを感じる。イワギキョウに助けられたと思った。

それからまもなくのこと。今度は空腹感を覚える。安全なところで温かいスープを飲んだ。そこがどこなのかまったくわからないが、晴天ならば素晴らしい眺望にちがいない所だと思った。
 

 

涸沢槍やD沢のコルもわからないまま、はしごや長いくさりを借りて全身でよじ登った。
すると何だか先で声がする。涸沢岳ピークのようだった。やれやれだった。

11:52、涸沢岳登頂。3度目にしてゴツイ山だということがわかった。

ピークには、奥穂高岳のついでにという登山客がふたりいた。どこから来たのかと尋ねられたので南岳からと答えると、「スゴイですねぇ~」と言ってくれた。そうだったな。私もそう思ったときがあったことを思い出す。ようやく念願かなって南岳からここまで来ることができた。若者に声かけられ始めてバンザイと思った。次々登ってくる登山客に声かけられては「すごい」と連発され、しばし優越感と達成感に浸った。

        Img_2137

もう安全な登山道だった。15分ばかり降って12:15穂高岳山荘に到着する。ここではじめてヘルメットを外した。不気味だったり、寒かったり、不安の連続だったけれど、夫が同行してくれたことが無事通過できた要因だったと思う。

今回も1番乗りだった。雨具やザックを乾燥室にかけてから小屋で昼食とした。この天気で押しかける登山客がなかったのか、ひとりに布団1枚づつ与えられた。

天気が悪いので外にも出られず、暖かいストーブの前で山の本を読んで夕食まで過ごした。

                                  つづく

 

 

 

 

 

 

 

2009穂高連峰大キレット縦走③

山行地図はこちらから→穂高地図 

 

平成21年9月21日(月)祝日[E:sun]

5:15朝食。めずらしく半膳おかわりをする。

朝食後、仲間のテント場を訪ねる。まだ撤収していないので先に出発することにした。

6:00槍平小屋前から南新道に入る。樹林帯を15分ほど上がると南沢に出た。

       Img_2068  

白丸のペンキマークやピンクリボンを辿って右側の尾根に入っていく。
今日は標高1000m上がる。最後まで息が上がらないようにもくもくと標高を稼いでいく。こういうことは嫌いでない。

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8:35、標高2600。↑西尾根コルに着く。ほぉ~!初めて目にする景色は新鮮だった。ゆっくりコーヒータイムとした。

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左)涸沢岳と蒲田富士 奥にジャンダルムが頭をのぞかせている。右奥には焼岳も見える。

右)その蒲田富士のピークは尖っていた。だらっとしている所はずいぶん踏まれている様子。
  奥は右から西穂高岳・赤岩岳・間ノ岳・天狗岳

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振り向けば、昨日登った奥丸山(ガレの左がピーク)が。奥の笠ヶ岳は立派だ。
自分で登った山はルートがわかるので眺めていても楽しい。
う~ん最高。

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ほぼ尾根芯を歩いてきたが、↑ここから左カールにはしごで降りる。

この辺まで来ると異常に息が荒くバテバテで登っている人が多い。大丈夫かなぁと心配になる。

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ちょっと怖いような丸木橋を渡ると標高2900。

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おぉぉ~大キレットが間近。たくさんの人が通過していた。
いよいよ明日通過できるのだと思うと嬉しくて仕方がなかった。
この景色を見ながら飲んだレモンティ、インスタントだったがことのほか上手かった。

 

「ヤッホー」と下から声が聞こえた。山の仲間の声だった。私も「ヤッホー」と返答する。
お互いにおおよその位置関係が把握できた。携帯電話の時代でも山ではこれがいい。余分な言葉は必要ないんだ。 

         Img_2082 南岳小屋テント場

10:55、Yたちに追いつかれることなく南岳小屋に到着した。
また一番乗りで小屋受付をする。今晩は布団1枚でふたり。予約なしは1枚で3人とか。かなり窮屈。

小屋でカップラーメンとカレーライスを食べる。稜線では湯は1ℓ200円、水100円。

 

昼食後、サブザックで南岳へ向かう。と、そのときYたちが到着した。6:45に出発したそうな。
ヤッホーの掛け声が聞こえたなどの話で盛り上がる。仲間っていいなと思った。

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獅子鼻から本谷を見下ろす。北穂池や北穂の滝まで見えた。あそこがどれほど静かなところか容易に想像できた。いい感じで紅葉も始まっていた。

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大キレットを挟んで南に目をやれば穂高の核心部が手に取るようにわかる。
やはり南岳はいいところだった。

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獅子鼻は撮影ポイント

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常念岳の後に浅間山もうっすら見える

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笠が岳の後には雲海

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明日はここから降り始める。

      Img_2108 南岳小屋前

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↑手前から南岳、中岳、槍ヶ岳。

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槍沢の天狗池の方を上から眺めた。時間があれば降って行きたいのだが生憎ガスが出始めたので諦めた。横尾尾根を降っていく人をうらやましく眺めた。

 

ここで仲間Yたちは槍へ、私は南岳小屋へ。「また鈴鹿で会おう」といって別れた。
まもなく稜線上はガスで何も見えなくなってしまった。

 

夕飯は4回戦まであった。部屋も廊下も満員の小屋だった。
とにかく身動きできないほど縮こまって寝た。

                           つづく

 

 

 

2009穂高連峰大キレット縦走②

山行地図はこちらから→ 穂高地図

 

平成21年9月20日(日)[E:sun]

小屋前の登山客の声で目が覚める。
まだ暗い。3時だった。それにしても早い出発だ。今日中に槍まで?もっと行く?それともピストン?どんなヤツらなのかちょいと見てやろうと2階の窓を開ける。するとびっくり。わっさわっさとヘッドランプつけた登山客が歩いてくる。おそるべき北アルプス。これでは稜線の小屋は満員になるはずだ。

        

          Img_2019             

今日は槍平小屋まで。急ぐ行程ではない。テラスでコーヒーを飲みゆっくり寛ぐ。
(今回ガスバーナーがイカレて役立たずだった。がっかり)

明日通過予定の大キレットが姿を現した。
「我が足で行きま~す。 どうか通過させてください。」と祈る気持ちで眺める。

 

7:00、穂高平小屋(H1350)出発。新穂高からの登山客に混じって林道を歩きだす。

7:45、白出沢出合(H1550林道終点) 小休止 
      明々後日、穂高岳山荘からここに降りてくる予定。なんとか無事に戻りたい。

        

        Img_2025 滝谷

9:30、ブドウ谷、チビ谷を渡り、滝谷(標高1750)でも小休止
     井上靖の小説「氷壁」で、主人公魚津が遭難した谷である。         

 

         Img_2027
藤木レリーフ 滝谷を制した人である

だらっとしたところをしばらく歩く。最後の南沢を渡る。まもなくかな?

      Img_2030  

10:50、槍平小屋(H1990)に到着した。2004年以来だから5年ぶり。なつかしい。
      一番乗りで小屋受付を済ます。今日は布団2枚で3人という。

      Img_2031

北穂ドーム~涸沢岳~蒲田富士を眺めながらカップラーメンを食べる。
明後日あの稜線を歩く自分を想像するとわくわくした。

 

11:40、テント場を横切って奥丸山へサブザックで出発。
      結構急登の樹林帯を上がっていく。

          Img_2035

12:45、中崎尾根分岐着。右に折れれば西釜尾根の千丈乗越へ。

 1:05、分岐を左に折れて奥丸山(H2440)着。

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明日通過する大キレットが目の前だった。地図で見ると2.5kmの距離。このあいだ笠ヶ岳から眺めたそれとは比べ物にならないほど素晴らしかった。

           Img_2048  

ちなみに笠ヶ岳と奥丸山の三角点。360度展望がきく山頂だった。

    Img_2042 

      ↑左から槍ヶ岳~大喰岳~中岳(ここから槍までの直線距離は3kmほど)

    Img_2044                  

      ↑涸沢岳~奥穂高岳~西穂高岳

雪の涸沢岳や奥穂高岳は蒲田富士(がまだふじ)から登るらしい。なるほどよくわかる。

夫はしばし昼寝。私はメールしたり写真撮影したり他の登山客と山談義。1時間半もこの景色の中(奥丸山ピーク)にいた。

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下山時の紅葉。奥丸山がとても気に入った。

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槍からのたおやかな西鎌尾根。西鎌尾根を眺めるのにこれほどの場所があるだろうか。中崎尾根を見直した。天気に恵まれ、降りるのがもったいと何度も思った。

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下に槍平小屋が見えてきた。明日はいよいよ向かえ側の南岳西尾根を上がる。
明日登るルートを目を凝らして確かめた。こういう景色を見ているときが本当に楽しくてならない。

           Img_2062

3:20テント場に降りる。テントの数が増えていた。

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小屋前から北穂(白っぽい)~涸沢岳(左半分が影)~蒲田富士(緑)が綺麗だった。

小屋に戻ると到着したお客でごった返していた。居場所がなくて表に出た。奥丸山を眺めながら「楽しかったねぇ」なんてお茶してたら・・・

 

あれっ? あれっ? あっれぇ~!

山の会の仲間 Y と K と H だった。偶然だった。

山好き同士なんだから山で会っても不思議ではないのだけれど、愛して止まない北アで偶然っていうのが嬉しい。さっそく彼らのテントに押しかける。

明日の行程を話し合う。彼らは南岳新道から槍ヶ岳。南岳新道を登るのは我々と同じだった。明日も一緒だということに、おぉぉ~とまたハグ。

 

小屋の夕食後またテントを訪ねた。お酒を酌み交わす。7時半ごろまで山男を相手に紅一点を楽しんだ。

 

テントにいたせいか小屋に戻ったら部屋はすごく暑かった。勝手に窓を少し開けた。閉め忘れて朝までそのままだったけれど寒くなかった。

私の寝床は2段ベットの上の段で、布団4枚に6人の真ん中だった。故意ではないと思うが右隣の男性がだんだんこっちに寄ってくるしイビキもうるさかった。私は寝返りをうったふりをして何度か蹴飛ばす。というわけでイマイチ熟睡できなかった。

小屋泊の 睡眠確保 蹴りいれる・・・・・[E:smile]

この前までは、じっと我慢で耐えていたのに、最近はおばさんパワー炸裂。だからおばさんは嫌われる。今に私も蹴り入れられるかもね。

 

…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。

9/20の記録

 7:00 穂高岳小屋(1350)出発
 7:45 白出沢出合(1550)小休止
 9:30 滝谷小休止
10:50 槍平小屋(1990)着 昼食
11:40   〃       発
12:45 中崎尾根分岐通過
 1:04 奥丸山(2440)着
 2:20   〃   下山開始
 3:20 槍平テント場着

 

平均上昇率(1分あたり)  4m
垂直上昇高度の合計 1197m

平均下降率(1分あたり)  3m
垂直下降高度の合計  623m

上昇/下降の回数     1回

                  …。oо○**○оo。…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。
     

                              つづき

 

 

 

 

 

 

2009穂高連峰大キレット縦走①

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飽きもせず、懲りもせず、また北アルプスへ行きました。

山をやるものとして憧れの穂高連峰大キレット通過です。

8月槍沢からの入山は途中でリタイヤしたので、今度は南新道から攻めます。

さて今回は通過なるか? 

山行地図はこちらから→ 穂高地図

 

 
平成21年9月19日(土)[E:sun]

実はシルバーウィーク前々日に用事で息子(松本在住)が帰省してきた。
連休中、実家にいるといわれない前に「あのさぁ~SWは山に行く予定なんだけど、松本に帰るとき新穂高温泉まで送ってもらえないかしら?」と私は無情にも切り出した。連休を控えて半ば無理やり帰らせる後ろめたさは感じましたともさ。 

 

そんなこんなで、夫と私は遠慮がちに息子のチッコイ車に乗って11:15自宅を出発[E:car][E:dash]

連休初日とあって東海北陸道の郡上八幡あたりはかなり渋滞した。
飛騨清見ICで高速道路を降り高山方面へ向かう。

 

高山市街を抜けてまもなくのこと。5~6台の救急車やパトカーがけたたましくサイレンをならして我々を次々追い越していく。
いったいナニゴトゾ? 山で滑落事故でも? 
ついこないだ岐阜県のヘリコプターがジャンダルムで落ちているだけに、これから山に入るものには嫌なサイレンだった。

 

平湯を通過し、3:30新穂高に着。息子に「悪かったねぇ」と交通費を弾む。ここはぬかりなく。

新穂高はパトカー騒ぎもなく平穏無事だった。あの救急車とパトカーはいったいどこへ行ったんだろう?

  


3:45、ロープウェイをくぐって蒲田側右俣林道を歩き出す。
今日の目的地は、新穂から1時間ほど歩いたところにある「穂高平小屋」。

      

        Img_2008     

4:35、程よい汗をかいて小屋に着。小屋後ろに聳える穂高は残念ながら見えなかった。

この小屋のいいところはお風呂。もちろん石鹸は使えませんがね。

       

        Img_2016  

「ねず」という直径2mの大木をくりぬいた浴槽。ほぉ~。これはすごい。
西穂高岳の伏流水で沸かした仙人風呂というそうだ。
大きな浴槽なのに湯があふれるので1人しか入らないようにと張り紙がある。
ひとりでゆっくり堪能しなさいということか。

Img_2012 
Img_2010
 

煙突から煙がもくもく。こういう光景はなかなか見られない。何ともいい感じだった。

SWというのに宿泊客は6人。新穂高を朝一に発つ人がほとんどなのでここを利用する人はまずいない。2階の部屋は我々ふたりきりだった。布団1枚2~3人というSWの北アルプスと思えない快適な夜だった。 

 

パトカーと救急車のサイレン騒ぎは「乗鞍岳」のクマ騒動だったと息子からメールが入った。
乗鞍岳の畳平で観光客がクマに襲われたそうな。畳平はバスが何台も入るだけにクマが出てくるなんて、このときは信じられなかった。

Norikura
この新聞記事は下山後、高山市内で入手したもの。

夫とふたりきりの山小屋の一室。いつものように眠っていった。

                                      つづく

 

 

 

新美南吉 矢勝川の彼岸花

童話作家新美南吉ゆかりの地(愛知県半田市)を訪ねました。

ごんぎつね」「手袋を買いに」「でんでんむしの悲しみ」などが新美南吉の代表作です。

 

📚お午がすぎると、ごんは、村の墓地へいって六地蔵さんのかげに
かくれていました。いいお天気で、遠く向うにはお城の屋根瓦が
光ってます
墓地には、ひがん花が、赤い布のようにさきつづけていました。
「ごんぎつね」より

 新美南吉の生家

矢勝川には、彼岸花が綺麗に咲いていました。本当に赤い布のようでした。

 

彼岸花を楽しんでから、内海温泉へ。

今回は、母親の喜寿のお祝いで一泊しました。母親と娘3人で水入らずです。
このときとばかりと奮発して伊勢海老会席なるメニューを注文。おいしくて苦しいぐらいお腹いっぱい食べました。

部屋からは伊勢湾が一望。折りしもこの日は伊勢湾台風50年という日でした。
ホテルテラスから浜辺でヨガをする人たちが目に入りました。
海面をオレンジに染める夕日を、親子四人で夜風に当たりながら、いつまでもおしゃべりしていたら、いつのまにか月明かりになってました。
秋のつるべ落としでした

翌日、名古屋までの帰り道に『知多四国42番天龍寺』寄りました。
歩き遍路の時に見つけた『愚痴聞き地蔵尊』に日頃ため込んでいる女のそれぞれの愚痴を聞いてもらいに寄ったというわけです。

いつもは重いザックを担いでナンダサカコンナサカと山を闊歩している私ですけれど、いずれこういう旅しかできなくなるのだなぁ・・・と母を見て思った次第です。

お母さん、おめでとう!今度は傘寿ですぞ。

こういう旅にまた行こうねぇ~。

喜寿の長女54歳・二女51歳・三女45歳