2010北アルプス紅葉①

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いつものことだけれども、相手が天気だけに、今年の紅葉(10月の連休山行)をどうするかなかなか決められなかった。

 

晴天を前提に立てるプランは、当然のごとく天気予報に却下!却下!。しかし好転することもあるので最後まで諦めはしないのだが。今回も出発の前日まで天気予報とにらめっこだった。私の山旅は、いつもこの一喜一憂から始まる。

 

今の天気予報に合うプランを考えながら、ふと2008年10月涸沢紅葉の帰りに屏風岩から見た景色を思い出した。(上記写真)

やっぱりあそこに行ってみたいな。そう思ったのが出発の3日前。地図を見直し綿密な計画を立てた。

 

その後も、私を試すかのように天気予報はころころ変化した。

 

明日出発という晩、ザックに荷物を詰めながら天気予報を見ると・・・・

初日が雨のち曇り(これは平野の予報で山はもっと最悪のはず)
2日目も雨のち曇り
3日目が晴れ

 

[E:note]あなたな~ら、どうする? そう問われている私だった。

                                       つづく

おしらせ

ご無沙汰していました。みなさんお元気ですか。

ようやく9月の山行記が完成しました。

興味のある方は、どうぞご覧下さい。こちらから

 

この9月の山行後、悲しい知らせが入りました。
信大山岳部60周年記念(昨年11月)ヒマラヤ遠征の隊長だった田辺治氏が、9/29ネパールで雪崩遭難しました。まだ雪の中に埋まっています。
9/19双六小屋で
 O君と田辺隊長の話をしただけに残念で仕方ありません。詳細

 

 

続いて、モバイル投稿でお知らせした10月の紅葉山行記もなるべく早くアップします。

予告編

Img_3708              この沢をつめて・・・・・あの尾根を乗越し・・・・

Img_3838                  さてさてどこでしょう?

2010北アルプス(新穂~双六~笠新道~新穂)③

平成22年9月20日(月・祝)☂

朝食後、「お世話になりました。お先に・・・」と言っては、ひとりまたひとりと出発していった。私も続いて雨具をつけ、残り少ない同室の人に挨拶をして部屋を出る。

6:08ザックを担ぎ小屋の外に出た。昨日そこにあった鷲羽岳は、影も形もなかった。くるりと向きを変え、昨日来た道をとぼとぼ帰る。

昨晩、偶然出合ったO君のテントを探したが、わからなかった。雨のテント撤収ほどイライラするものはない。わからないのを幸いに挨拶せずに通り過ぎてきた。

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この先の目的がないというのは何と寂しいものなのか。しとしと雨のなか、むなしい気持ちで弓折分岐に向かった。

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カラフルな団体が列をなして進んでいく。

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辛うじて槍の頭が確認できた。ナナカマドを相手に「何で雨かねぇ~」と愚痴をこぼす。

7:08弓折分岐に着。穂高稜線は何も見えなかった。しばらく立ち休憩し、私は笠方面に向かった。

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↑笠方面へ少し登った所から弓折分岐を眺める。鏡平小屋に降りていく人が多い。こちらに来る人はいない。

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初登頂の弓折岳。
誰もいない代わりに雷鳥が3羽いた。写真を撮ろうにも雷鳥はなかなかじっとしていない。私は金魚の糞のごとくついて歩きまわった。が結局写真は撮らせてもらえなかった。

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7:45弓折岳(2592)
8:05大ノマ乗越(2450)
9:15大ノマ岳(2662)

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小池新道入り口(左俣)が見える↑。穂高稜線は雨雲に隠れて稜線歩きの楽しみがない。

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チングルマ↑の写真を撮っていたら、ひょっこり老人男性が現われた。しばらく立ち話をした。「そうだ、オレンジ如何ですか?重いから助けてください」とおっしゃる。断る理由もないからお言葉に甘えいただいた。そのあと、この男性に会うことはなかった。見通しが悪く、私の先なのか後ろなのかもわからなかった。

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一瞬、穂高稜線が見えた↑。去年の今頃大キレットを歩いたが、今日のような天気だった。
きっとあんな中を歩いたのだろうなとじっと見つめた。

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振り返れば、遠くに双六小屋が見えた↑。ここまでの3時間の行程がひと目で見られ感慨深い。(訂正:東鎌尾根→西鎌尾根)

 

9:15大ノマ岳(2662)では穂高稜線は全然見えなかった。先客の男性はもう一本タバコを吸うというので私は先に発った。

 

9:45秩父平(2533)に降りた。お花の時期は素晴らしい所だと聞く。休憩していたら団体が来たので先に発つ。

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10:04秩父平から少し上がったところから振り返る↑。休憩しているのがその団体。

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2667へ登る途中はタカネヨモギ↑が多かった。このあたりは秩父岩といって奇岩が多い。この靄の中で見ると何だか怖い顔に見える。

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2667に着くと進路を南にとり、さらに登る。すると植生が変わり、ウラシマツツジ↑が多くなった。綺麗に紅葉しはじめ、私を楽しませてくれた。10:41

2800まで登ると秩父岩の上に出る。そこから抜戸岳までは、ほぼ水平移動。しかし眺望がないので抜戸岳まで退屈な道だった。

抜戸岳は登山ルートから少し登る。以前寄ったので寄らないつもりでいたが、急に気が変わり11:23抜戸岳(2812)着。晴天ならまだしも、この天気では誰もいなかった。穂高稜線が見えるわけでもないので直ちに発つ。

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11:35 笠新道に向けて杓子平に降りる。ネバリノギラン↑のオレンジが鮮やかだった。

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杓子平は濃霧の中↑で、いったいどのあたりを歩いているのかわからなかった。慎重に○を辿る。

それでも登ってくる人は5人ほどいた。道を譲ってもどうぞと反対に道を譲られる。皆しんどそうな足取りだった。

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お花の宝庫の杓子平。まだアザミが群生していた。オオヒョウタンボク(実がひょうたんのようにくっついている)が雨に濡れて綺麗だった。

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こういう天気だからこそ見られるのが雷鳥。グーグーと仲間を呼び合っていた。
杓子平で10羽以上見かけた。大収穫だった。

まだかまだかと駆け下り、12:42杓子平(2469)にやっと着いた。60代のご夫婦が湯を沸かし昼食の様子だった。今から笠に向かうという。この天気で今から?と思った。

私はここで新穂高の最終バスの時間を確かめた。4:55が最終だった。ということは3:45には笠新道入り口に降りたい。下山コースタイムは3時間。ということは今から降りてぎりぎりの時間だった。会ったばかりのご夫婦に別れを告げ下山した。 

Img_3663                                 オオカメノキ(ムシカリ)

1時間ばかり降りたとき、ひとりの中年男性に会った。今から笠に行きたいが行けるだろうか?という相談だった。ざっと計算しても小屋到着は6時を過ぎるだろう。そしてこの天気だから考えてください。と伝え、急ぐからといってその男性を置き去りにしてきた。なぜやめなさいと言わなかったのかとしばらく反省しながら降った。

 

 

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3:20 笠新道登山口に降りた。沢水で顔を洗い、着替えをし、パンをかじり
ザックを整え、新穂高に向かった。

 

途中、テント泊男性と一緒に歩いた。彼は新穂高から一日で太郎テン場まで行ったという。日が暮れていたとも言っていた。何がそこまでさせるのだろうか。そんな話をしながら歩いた。

 

4:55の最終バスに間に合ってほっとした。携帯電話を忘れた今回の山行。反省する事だらけであった。

 

9/19(日)わさび平小屋→双六小屋
     平均上昇率(1分あたり)     4m
     垂直上昇高度の合計   1387m    

     平均下降率(1分あたり)    8m
     垂直下降高度の合計
    219m

     上昇/下降の回数      1回(標高差が50m以上でカウント)

     総時間         7時間26分(休憩含む)

 

9/20(月)双六小屋→笠新道入り口
     平均上昇率(1分あたり)     4m
     垂直上昇高度の合計    767m    

     平均下降率(1分あたり)    8m
     垂直下降高度の合計
   1961m

     上昇/下降の回数      3回(標高差が50m以上でカウント)

     総時間         9時間6分(休憩含む)

 

 

 

2010北アルプス(新穂~双六~笠新道~新穂)②

平成22年9月19日(日)[E:sun]

至れり尽くせりな小屋での朝食をいただき、5:30標高1400のわさび平小屋を出発。
7月の山行で降りてきた奥丸山を眺めながら小池新道入り口(標高1500)まで歩く。

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この小池新道に入るのは2回目。前回(2004/8/11)は暑い中をテント担いで登った。今それをやれと言われたらできるだろうか?自信がない。

  Img_3530 オオカメノキ Img_3536 マユミ

この時期、目を楽しませてくれるのは実。なかなか趣があって、何度か立ち止まっては眺めた。

 

5:30わさび平小屋(標高1400)
5:52小池新道入り口(1500)
6:43秩父沢(1705)
7:05チボ岩(1772)
7:33イタドリケ原(1886)
8:30シシウドケ原(2090) 

わさび平小屋から何度か休憩をとり、約3時間でシシウドケ原に着いた。花摘みで奥の方へと行ったら、大ノマ乗越に上がれる登山道を発見した。

 

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シシウドケ原から登ること約1時間。突然、穂高稜線が現れ↑感激していたら、そこが鏡池(2300)だった。

今年の7月に歩いた中崎尾根が、鏡池のすぐ後にあるかのように見えた。実際は谷を挟んで2kmほど離れているのだが。標高は中崎尾根(2350程)の方が少し高いがこことあまり変わらない。6年前と違う眺め方ができていることが嬉しくもあった。

Img_3540  Img_3541

鏡池から数分で鏡平山荘。小屋からの穂高稜線の眺めも素晴らしかった。夕映えの穂高を見るために、一度はここに泊まりたいと思っている。(テント場なし) 

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山荘のコーヒーをポットにテイクアウトし、ひょうたん池の橋を渡って9:54山荘を後にした。

Img_3544                              オヤマリンドウ

ここから先は景色が素晴らしく、数歩登っては立ち止まって景色を眺めた。そんな具合だから追い抜かれっぱなしだった。

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鏡平山荘から40分登ると、鏡池と鏡平山荘↑は小さくなった。鏡池から中崎尾根が近いように見えたが、うんと離れている事がよくわかるようになる。細部まで観察しながら登る。

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10:55弓折分岐(2560)に着↑。オーバータイム覚悟で登ったのだが、ほぼコースタイム通りだったのには驚いた。私を追い抜いていった人たちは超健脚タイムということになる。

大天井岳が「お~い、こっちだぞ~」と北鎌尾根の後から頭を出していた。こちらも背伸びして、「その節はどうも・・・」などと挨拶する。テイクアウトコーヒーつき、西鎌尾根越の会話は何とも贅沢な時間だった。

 

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11:30雪見平(2605)のベンチで小休止。東鎌尾根を除いた槍の尾根4本(穂高稜線・北鎌尾根・西鎌尾根・中崎尾根)が見渡せた。ちなみに、蒲田川の源流はこの西鎌尾根の樅沢岳のようだ。

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昨日、双六岳↑に登ったという30代のご夫婦とすれ違う。今から東京まで車で帰るとか。運転より登山の方が楽だと言うから笑って別れた。

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11:57くろゆり平(2606)を通過すると、前方に鷲羽岳↑が鎮座している。その手前が双六小屋。

この景色を見て、6年前のテント山行のときのことを思い出した。あのときは三俣山荘のテント場まで行くつもりだった。が、この双六テント場を見た途端、今晩はここにしようと急遽計画変更したっけ。とにかく暑くってみなバテバテだったのだ。でも楽しかった。あれはあれで。

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なんともなつかしい景色だ。楽しそうなテント場を横目に双六小屋(2550)に向かった。

早い到着(12:35)だったので夕食は4時半だと一方的に決められた。それでは、双六岳でゆっくりするつもりができそうにないので、遅い夕食に変えて欲しいと願いでたが無理だと。小屋泊はこういう融通がきかないのが難点だ。

荷物を預けて歩くぞという気持ちが萎えた私は、部屋に案内されてから、ふてくされ寝てしまった。1時間半も。

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3時ころゴソゴソ起きだし散歩に出る。4時半の夕食に戻れる範囲で双六岳を目指す。

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蒲田川源流の樅沢岳↑。西鎌尾根をやるときは、多分、槍からこっちに歩くルートをとると思う。あれを降りてくるんだなとシュミレーションする。

 

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小屋から標高100登った巻き道分岐(2650)まで来たら視界が開けた。
明日はあそこまで行くのだと遠くに目をやる。わくわくする景色だった。

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東に目をやると、樅沢岳越に岩稜帯の穂高稜線が見えた。さすが穂高だ。貫禄があった。
天気は最高。もう少しこの景色のなかにいたかったがタイムリミット。ふてくされて昼寝したことを悔やみながら下山した。

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クルマユリという部屋からの鷲羽岳↑。到着が早かったのでいい部屋なのかもしれないと思った。

夕食は天ぷらだった。からっと揚げたてで、山小屋と思えないほどボリューム満点で大変おいしかった。テント泊や素泊まりではとても味わえない。

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お腹もふくれ、もう登山客は来ないだろうと同室の人と話していたら、20代前半の奈良の山ガールが5時半に到着した。到着早々「今日はめっちゃ楽しかった」とハイテンションで話し始める。聞けば雲ノ平から祖父~双六経由で小屋着。夕日が穂高に映え最高だったと言う。

その彼女が素晴らしい景色を満喫していたとき、私は天ぷらがうまいと食べていたことに気づく。馬鹿丸出しの自分の姿が浮かんだ。ザックの中にぺっちゃんこになったパンが2個あったのだから夕食なしという選択肢もあったはずなのにと話を聞きながら悔やむ。

 

部屋の内部↑。7人部屋に6人だったのでゆったり横になれた。女部屋で皆ソロ。20代山ガールから最年長は60代後半?の6人。 昨日東京から夜行バスで来て明日帰る人や、カメラ・三脚持参の人だったり、行動力あるおなご衆ばかりだった。

 

Img_3570                              シラタマノキ

このあと偶然の出会いがあった。北穂池や甲斐駒ケ岳黒戸尾根を案内してもらったO君(31歳)と会った。彼は昨年10月に信大山岳部60周年記念でヒマラヤ遠征し、無事戻って以来の再会だったので嬉しい出会いだった。今回は双六小屋の小池氏(写真家)を尋ねてのプライベート山行だとか。O君とは山で2度も偶然に出合っている。3度目はどこだろう?

 

談話室で明日の天気予報を見る。明日も明後日もその次も☂で、☀マークがない。本当は鷲羽から水晶に行き、温泉沢の頭から高天原に降り、雲ノ平を回って新穂に戻る計画だった。が、これでは行っても雨の中を歩くことになる。

 

実は、今回携帯電話を持ってくることを忘れたので、双六から奥に入る事をどうしようかと悩んでいた。でもこの天気予報で決心がついた。計画は双六小屋でやめ、新穂に戻る事にした。そのかわり未踏ルートの弓折岳~抜戸岳をすることにした。

部屋の皆はどうしようと悩んでいる。その気持ちわからないではない。

                                つづく

 

 



2010北アルプス(新穂~双六~笠新道~新穂)①

平成22年9月18日(土)

未踏ルートを目指して、新穂高温泉から北アルプスに入った。今回は新穂に戻る計画なので、「どうか、無事にここへ戻ってこれますように」というような願いを込めて、ゲート前で空なるものに頭を下げる。

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愛してやまない北アルプス。こうまで魅了するものは何かと尋ねられても、これだと言葉で上手く語れない。そんなことを考えながら蒲田川左俣林道を歩きだした。

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1時間も歩くとわさび平小屋に着く。今晩泊まるのはここ。この小屋は何度も利用したが泊まるのは初めて。風呂があることは知っていたが石鹸OKには驚いた。下山後利用者にはありがたい話だが。

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最近、贅沢な山行(2食付小屋泊)をしているので、せめてもここは素泊まり(食事は自炊)にしようか迷った。2食付小屋泊が当たり前になるとテント山行に戻れなくなる気がするのだ。そんなわけで「2食付」に抵抗を感じる。やはり憧れはテント泊山行。

お風呂に入り、ご馳走を前にして、遠ざかっているテント山行を思う。

 

部屋は1人布団1枚。明日からどっぷり山に浸る嬉しさを感じながら眠った。

                                                                  つづく

紅葉

紅葉
紅葉のおすそわけを
どうですか、素晴らしいでしょう。
詳細は帰宅してから。
でも9月の山行記録もまだなので、いつになるやらですが。

2010岐阜県五色ケ原

平成22年8月22日(日)[E:sun]

北アルプス乗鞍岳の北西山麓に位置する五色ケ原(岐阜県)に出かけました。(立山の五色が原ではありません)

 

ここ五色ケ原は、乗鞍岳の火山活動で出来た約3000haもの広大な森林地帯で、中部山岳国立公園南端に当たります。2004年オープン以来、オーバーユースを嫌って、要予約の有料ガイドつきで入山を許可しています。

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今回は、上の案内図のシラビソコース()を案内してもらいます。標高1400から1600mの谷を8時間ほどかけてのハイキングです。

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五色ケ原専用のバスに乗って、出合いの小屋↑まで送ってもらいます。立派な小屋ですが宿泊設備はありません。トイレはウォシュレットでバイオトイレでした。自然を守るには、高額な費用がかかってもこれでなければいけません。屋久島は現在どうなっているのだろうとふと思いました。

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何万年前に流れ出た溶岩の上に、今ではたっぷりの土壌が堆積し、コメツガ・サワラ・シラビソの樹林帯になっていました。  

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↑沢上谷(ソウレタニ)を流れる日雇声(ヒヨゴエ)滝です。

むかしむかし、御料の桧材を伊勢へと川出し作業中のことです。この滝があることに気づかず人夫(日雇ヒヨウ)が8人亡くなったと。それ以後、この滝からは日雇の木遣り声が聞こえる。・・・・とガイドが説明してくれました。

 

 

歩き始めて3時間ほどすると、沢上谷(ソウレタニ)を離れ小さい沢沿いを歩きます。目を凝らすとイワナが泳いでいます。標高1600では夏の終わりを告げるサラシナショウマやトリカブトが盛んに咲いていました。

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林道に出て、わさび平湿原を抜けると立派な小屋につきました。岩魚見小屋です。宿泊設備はありませんが、これまたトイレはウォシュレットでバイオトイレでした。小屋前に冷たい水が湧いており、ここでお弁当を食べました。

                      [E:delicious] [E:riceball] [E:delicious] [E:riceball] [E:delicious]

 

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岩魚見小屋からはしばらく林道を歩き、シラベ沢からまた山に入っていきました。沢の流れと一緒に歩きます。下界の猛暑から逃れてきた私には、一服の清涼剤となる涼しげな景色でした。

       

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    左)クロクモソウ シラベ沢沿いにたくさん咲いていました。

    右)アキノキリンソウ  

Img_3491                      小屋脇のシラベ沢ほとりに咲くハナウド

シラビソ小屋に着きました。山中だけあって小屋の規模は小さいですが立派です。これまたトイレはウォシュレットのバイオトイレで、入山料が高いわけがわかってきました。

 

 

シラベ沢を離れ、赤い実をいっぱいつけたオオカメノキ(ムシカリ)の森を歩いて澄池に向かいます。さぞ水が澄んで綺麗な池なのだろうと思ったら涸れていました。沢が直接流れ込まないので、雪解けと大雨の時期は池になり、その後晴天が続くと涸れるということを繰り返すのだそうです。しかし伏流水の加減で、晴天続きでも水が溜まることがあり、人間ではわからない不思議な池だと教わりました。水が満ちれば沈むのだろうヤナギの大木が風にそよいでいました。

 

クマの爪あとが残る木があちこちにあり、まさにクマの生息地でした。これっぽちの山で無線?と思いましたが、何度かの無線のやりとりはこれだったようです。ある程度守られているように感じました。

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沢が流れ込まないのに雄池↑は満々と水をたたえていました。例年夏前には枯渇するそうですが、今年は7/15の集中豪雨の名残で存在していると説明がありました。集中豪雨で登山道が水に浸かり、急遽新しい道を造ったそうです。しかし、ここまで水が溜まったという印からひと月で今の状態まで減ることには驚きました。枯渇するのも時間の問題だそうですが、にわかに信じられないスケールの大きさに山の不思議を感じました。

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池のほとりの黒い石が溶岩だそうです。池の水量が安定しないので苔がつかないのでしょう。雄池のほとりを半周しながら、ふきわたる風を満喫しました。

 

雄池では涼しかったのに、八汐峠に着くころには汗だくになりました。これを降ったら冷蔵庫に入りますから、というガイドを信じて歩きました。しばらく降ると突然伏流水が現れました。シラベ沢です。これがこの先で、とにかく素晴らしい滝になりますから、というガイドの力説にわくわくしました。

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それがこの↑布引滝です。五色ケ原シラベ沢の伏流水が、扇を開いたように流れ落ちていました。その美しさに感動しきりでした。涸れたことがないそうです。上部の3つの池の仕組みを含め、まさに山の神秘でした。

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滝壺まで降りました。ときおり風にのった水しぶきを受け、まさに冷蔵庫の中でした。左から流れる滝は沢上谷の桜根滝です。ここで合流し、高山市の宮川、富山の神通川となって日本海に流れ出るようです。

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沢上谷の横手滝↑

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沢上谷に架かる吊橋まで後ろ向きになって梯子を降ります↑。安全のためにガイドが増え、ひとりひとり誘導してくれました。至れり尽くせりで登山経験者でなくても安心です。

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吊橋の下は横手滝の水がゴーゴー流れスリル満点でした。横手滝は桜根滝になって布引滝と合流します。すごい水量でした。

 

布引滝展望台からも滝を眺めましたが、滝壺まで降りた我々は物足りないものでした。しばらく歩くと、今朝歩き始めた出合いの小屋に戻りハイキングが終了しました。

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待っていたバスに乗ってすぐ帰るのかと思ったら、冷えたトマトのサービスがありました。入山料を払うだけあって、本当に至れり尽くせりです。

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おまけにアサギマダラが我々を喜ばせてくれました。ヨツバヒヨドリの蜜を好むそうで随分サービスしてくれました。

 

展望はないハイキングでしたが、改めて山の神秘を知る機会となりました。

 

 

2010北アルプス横断(一の沢登山口~新穂高)3日目後半

     はじめから見る方はこちら

平成22年7月20日(火)後半[E:sun]/[E:cloud]

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3日目後半
6:45、槍ヶ岳山荘(標高3086)を出発。
信州(長野県)と飛騨(岐阜県)の県境にあたる西鎌尾根を降る。

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今日のルート↑は紫色です。 約350m降って千丈乗越(標高2734)へ。

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歩き始めは日陰だったが次第に日があたり暑くなってきた。千丈乗越から奥丸山までが一望↑できるようになり、あれを行くんだなとルートを確認する。

飛騨沢を見下ろすと、昨晩、山荘の談話室でおしゃべりした北海道釧路の7人のパーティーを見つけた。大きく手を振ってみたがやはり気づいてもらえない。やがて樹林帯に消えていく彼らを「また来れるといいね」と見送った。

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飛騨沢に落ちる自分の影とイワツメクサ↑。風もなく静かな西鎌尾根だった。

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7:42千丈沢乗越着。振り向いて槍を見上げる↑とずいぶん降ったことがわかる。

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この千丈沢↑は天井沢と合流する。その地点が『千天出合』といって北鎌尾根の取り付きらしい。千天は高瀬川となって高瀬湖に流れ着く。

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千丈乗越からは進路を南にとり、足元が悪い樹林帯を大きく降る。すると予想通りクロユリ(草丈20cm弱)が咲いていた。腰をかがめ覗き込んで挨拶する。うん綺麗だ。

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朝露がズボンの裾を濡らす。8:07分岐に出た。マイナーなルートなので不安だったが道標があって安心した。笠ヶ岳は雲に覆われ始めた。それでもこちらは日差しは強く暑かった。

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左)コバイケイソウ  今年は群生は見られなかった。

右)キヌガサソウ  ピンクになっているので開花してから日にちが経っているようだ。

 

ナナカマドはたくさん花をつけていた。紅葉の時期もいいはずだ。足元はハクサンフウロのピンクがアクセントとなり、私好みの道になっていた。

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8:55、飛騨側から雲が涌いてくる↑。あぁ、もう少しこの景色を見せておくれ!と雲に頼んだ。

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左)ヒメイチゲ  草丈5~10cmほどでとても可愛い。地面に這いつくばって撮影する。

右)ギンリョウソウ  葉緑素がなく白い。日陰に咲く。撮影がてら休憩した。

 

消えそうな登山道をなぞりながら進む。アップダウンを重ねてもなかなか分岐に出ないので不安になったが、この道しかないので進んだ。

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9:56標高2356。槍平小屋から上がってくる分岐に着いてほっとした。水分補給していると黄色が目に飛び込んだ。登山客を激励するかのように咲くニッコウキスゲだった。ありがとう。そういう言葉が自ずと出た。

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来た道を振り返る↑。千丈乗越から2時間10分。汗だくになって歩いた道が見渡せ、意外と大変だったなと感慨にふける。

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奥丸山(標高2439)に着いたのは10:20。そのころの穂高稜線は雲にからまれ簡単には明けそうになかった。槍ヶ岳山荘で買った焼き立てのクロワッサンをここで食べようと楽しみにやってきた私はがっかりだった。

 

10:35、奥丸山を出発。さらに南に1時間ほど中崎尾根を行く。通る人が少ないから踏み跡が狭いが道はわかりやすかった。

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樹林帯に入って間もなく、わさび平に降りる分岐に出た。↑11:27標高2159。3日間私を楽しませてくれた穂高とここで別れることになった。(写真奥が穂高)

 

ここから標高600強降ることになる。
この登山道は5年前(2005年)にできた新しい道で、踏み跡がしっかりしていない。初めの350(標高1800mまで)は、木の根を跨いだり、掴みながら降る連続で難儀した。 

 

何度目かの休憩で携帯メールが入っていることに気づいた。メールの文字は、私がやり遂げようとしていることを応援してくれるものだった。私は1時間続けて歩けないほど疲れていたが「標高100mずつ下降!」を自分に課して、それを繰り返そうと決めた。何度目かには目的地に着くのだということを思い出させてくれるメールだった。

Img_3444                                 12:46クモキリソウだと思います

 

そういえば中崎尾根から降り始めてまもなくのこと。何か小さなものが私の足元を横切った。目が慣れてくると、色は茶色で体長3センチほどの『小さなカエル』だとわかった。1時間の下山中に、100匹とは言わないが少なくとも50匹のカエルが、どこからともなく現れてはピョ~ンと草むらに消えていく。次第にわかってきた。『無事カエル』。「この最後の降り、気を抜かずにね」とカエルが教えてくれているように思えた。

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標高1800を過ぎると、道が落ち着き歩きやすくなってきたが猛烈に暑くなった。中崎尾根から500降り標高1650になったころ、沢の音が聞こえてくる。地図ではまだ先のことなので諦めていたら、近くに小さな沢↑を見つけた。倒木を跨ぎ、帽子を脱ぎ捨てながらその沢に駆け寄った。顔をざぶざぶ洗う。冷たくて最高だった。一息つき仰いだ空は緑一面で何とも清々しかった。

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顔を洗った沢の下流を渡り、地図に載る下丸沢(↑左)を渡る。そして下丸山を回りこむと蒲田川に架かる立派な橋(↑右)が見えてきた。橋の奥から双六方面から降りてくる登山客が見えた。そういえば飛騨沢を降る北海道のパーティ以来、登山客を見ていなかったことに気づく。何だか下界が恋しくなっていたようでもあった。

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立派な橋に着いたのは 1:45だった。
←蒲田川を渡って左俣林道に合流する。

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やれやれと今降りた山を見上げ→感慨にふけりながら林道を歩いた。

 

 

わさび平小屋に2:10到着。標高1450。ここで裸足になり沢に足をつけていると、明日山に入る暇そうな登山客たちに捕まった。私はまだ新穂高まで歩かなければならないので、いつまでもおしゃべりはできない。切がいいところで「よい山旅を」と言って別れた。

 

わさび平小屋から笠新道登山口を過ぎ、新穂高までの林道歩きで3日間を振り返った。
初日の大天井までの登り、2日目の大槍ヒュッテまでの登り、3日目の中崎尾根からの降りを思い返しながら苦笑した。槍から見えた景色のように、私のこころの視野も少しは広くなってくれているといいのになぁと思った。
歩き残した道をこの先どう歩こうか・・・と、あれこれ考えているうちに林道ゲートに着いた。3:20標高1150mだった。

 

平均上昇率(1分あたり)     5m
垂直上昇高度の合計    450m    

平均下降率(1分あたり)   6m
垂直下降高度の合計
   2007m

上昇/下降の回数      3回(標高差が50m以上でカウント)

総時間         9時間33分(休憩含む)

 

 

ゲート前にあるニューホタカの『日帰り入浴500円』の看板を我慢して見送った。なぜって、その先の温泉に入る計画だったから。でも計画なんてもうどうでもよくなった。きびすを返しニューホタカで3日分の汗を流した。お客はゼロ。贅沢にも貸切だった。あっちは300円高いし、絶対混んでいるはず。計画変更してよかったと思った。

 

新穂高も上高地もどちらも好きだが、どちらから山に入りたいかと問われれば、今の私は観光地化していない新穂高のほうが好きです。新穂高からのコースをまた考えていますが、いつ実行できるかは天気次第です。

これで北アルプス横断は一応おしまいです。長い間お付き合いくださってありがとうございました。

2010北アルプス横断(一の沢登山口~新穂高)3日目前半

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平成22年7月20日(火)前半 [E:sun]/[E:cloud]

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早朝4時過ぎ。↑日の出ショーが始まろうとしていた。何といっても常念のシルエットは品格があって美しかった。八ヶ岳や富士山は雲海にぽっかり浮かんでいる。

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槍ヶ岳の右肩から日が昇った。槍を見ながらの日の出は最高のものだった。

Img_3351                               日の出を眺める登山客たち

 

5時の朝食を終え、槍に登る。

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槍の穂先は混んでいなかった。ルート確認しながら岩を掴んで登る。

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一気に登ってしまうのが惜しく、何度も振り返っては眺めた。
笠ヶ岳の手前の抜戸岳だろうか、その足元に槍の影が落ちていた。考えてみれば早朝に登ったのは初めてのことで、新鮮な景色だった。

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5:55槍ヶ岳(標高3180m)登頂。先客は2人のみで、静かな頂だった。

記録を見ると・・・
第1回目登頂:2001年8月25日PM3時頃(眺望0)
第2回目 〃 :2005年7月17日AM9:30頃(眺望0)
「3度目の正直」か、今回ようやく北アルプスを360度見渡すことが許された。

 

社に手をあわせてから、社うしろの北鎌尾根を覗く。今回はそれほど怖さを感じなかった。「ちょっと降りてみるかい?」という北鎌尾根の誘いに、私は何の躊躇もなく降りはじめた。

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あの孤高の人・加藤文太郎は真冬にここを降り命を落としている。
独標が「なんだ、ここまで来ないのか?」と私を挑発するかのように鎮座していた。確かに魅了するルートだった。槍の頂上は通過地点なのだという考え方が理解できるものだった。

加藤文太郎はどこでビバークしたのだろう? どこから滑落し、どこをどうさまよい歩いたのだろう?・・・天井沢に目を落とし勝手な想像をした。

 

槍の頂上に戻ったら大勢の登山客が上がってきており、にぎやかな頂上になっていた。

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槍頂上から西↑

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槍頂上から南↑                     槍頂上から東↑

これだけの眺望はもう2度とあるまいと思うと下山するのが惜しかった。

「ありがとう・さようなら」6:20下山開始した。

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下山途中、西鎌尾根が見える窓を見つけた。槍は最後まで私を楽しませてくれた。
ほどなく小屋に戻り、支度をして6:45西鎌尾根に向かった。

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