2011鳩吹山(愛知県犬山)

備忘録
平成23年1月10日(月・祝)[E:sun]
 
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今年2度目のトレーニング山行は鳩吹山。

8:15 夫の運転で自宅を出発。

9:30 真禅寺駐車場

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9:40 真禅寺登山口スタート

今日のコースは、真禅寺→❶→鳩吹山→→西山北回り→❸→一休→❹→西山→西山小屋→❻→❷→真禅寺サブルート尾根を下る。

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約1時時間ほど登ると鳩吹山に着いた。

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御嶽山がよく見え、ここまでの苦労が吹き飛ぶ。

鳩吹山からは西に向かい、西山北回りコースを行く。

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途中景色を眺めていると・・・・・

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一般ルートでないところに2人発見。↑ 望遠で撮影してみると、とても眺めが良さそうなところで休憩している。私もあそこに行ってみたいよ。地図で場所を探した。いつか行ってやろうと思った。

 

鳩吹山(標高314)は低山だけれども、いろんなルートがあることが最近わかってきた。
一般ルートは飽きてきたので、これからは、「この道いけそうだ!道探しの探検」をしようと思う。

今日は下調べがしていないので、一般ルートで真禅寺サブルート尾根道を降りて2:30下山した。
ちょっと物足りないが、足慣らしなのだから「ほどほどに」と自分に言い聞かせた。

 

     垂直上昇高度の合計    577m 1時間50分    

     垂直下降高度の合計
    538m 1時間27分

     総時間           4時間55分(休憩含む)

 

 

家に帰ったら、姪の成人式の内祝いのご馳走が届いていた。
据え膳でご馳走を食べ、幸せな一日だった。

 

2011桜

平成23年4月8日(金)[E:cloud]/[E:rain]

東日本大震災から4週間。
福島の原発問題は一向に進展しないが、東北地方復興という嬉しいニュースが報じられるようになった。

そんな矢先のこと。
昨晩「震度6強」という試練がまた東北を容赦なく襲った。
直接揺れを感じない名古屋在住の私でも、大打撃に胸が痛んだ。

 
 

胸が痛むといいながらも、床に入ってすぐに眠りにつく。
そして朝。新聞を見るまで、昨日の「震度6強」を忘れていた自分だった。
所詮「ヒトゴト」なのか・・・・。そんなつもりはないのだけれど我ながらなさけなく思う。

 

 

ここ数日の暖かさで桜が満開らしい。
今日は昼から雨。明日も雨らしい。日曜は晴れなら山に行きたい。桜を見るなら今日しかない?

東北大打撃が昨日の今日だけに気が引けたが、仕事も後回しにして桜を見に出かけてしまった。私が真面目に仕事をしたって東北の人たちのためになる訳ではない・・・なんてイイワケしながら。

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歩道橋から名古屋城を見る。手前は加藤清正像。

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能楽堂横の桜。↑地面につきそうなぐらい枝を延ばす。

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お気に入りの木の下に入り桜に包まれる。ほっとする安心感、そう!平和を感じた。

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名古屋城のお堀にせり出す桜の枝。↑お堀にはタンポポが咲き乱れ・・・

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↗大好きな道を行く。舞い散る花びらがまたいい。

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「散り椿」と「散り桜」の道を愛知県体育館に向かう。

 

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春を待っていたオオイヌノフグリやタンポポ。何もかもが私を喜ばせてくれる。
愛知県体育館を抜けて・・・・

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坂を降っていくと、桜越しの名古屋城。
この頃になると小雨がぱらぱら降ってきた。傘をさして歩く。

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雪ヤナギが盛んに咲く。雨だけど気持ちは失せない。

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枝垂桜はまだ三分咲きほど。ソメイヨシノが終わった頃に満開になるかな?

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石垣の工事中。

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↗名城公園内に入る。これまた池にせり出す桜の枝ぶりは素晴らしかった。
あまり長居はできないので、ここだけ見て戻る。

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名古屋城のお堀沿いに歩いて帰る。
白鳥が雨の中、一生懸命羽つくろいしている。「君はそれが仕事なんだね」しばらく眺めていた。

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最後のベストポイント。お日様が出ていないので残念だった。月曜日にまた来たいと思った。

少し回り道をして夕飯の買い物をし、1時半ごろ帰宅した。
仕事が山積しているのを横目にこのブログを作成。
さぁ~少しでも仕事を片付けますか。

 

満開の この春届け 東北に!

 

 

 

2011池田山(923m・岐阜県揖斐郡)

「山がやれる足」になったかどうか試す山行。
まずは軽めから。某ハイキングに参加しました。

 

備忘録
平成23年1月8日(土)[E:sun]/☁

事前の下調べが省けるバスハイキングに参加した。
行き先は岐阜県の池田山(標高923m)。
それなりのしばりはあるが、お金を払って集合場所に行けば連れて行ってくれるのがツアーのいいところ。池田山の予備知識がまったくないままバスに乗り込んだ。

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バスに乗ると、雪が多いので標高850mの『池田の森』までしか行っていけないという指示がある。アイゼン持参しているので「そんなぁ・・・」と思ったけれど、今日は足慣らしなのだと思いなおす。『ほどほどに』ができない私をこのツアーはやんわりと止めてくれた。

 
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このバスハイキングは、列をなして団体行動をしなくてもいいので気に入っている。
バスを降りたら、チェックポイントの通過時間さえ守れば、下山後の集合時間まで自由。
群れることを好まない私にはぴったりといえる。

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標高600を過ぎると雪が多くなった。アイゼンを履き快適に歩く。アイゼンがない人は諦めて降っていった。標高に関係なく冬山にはアイゼン必携。

 

池田の森からは雪が多かった。雪の多いほうへ行って膝まで埋もれてラッセルを楽しむ。今年初のラッセルは快適だった。足は悲鳴も上げず快調。嬉しくてココロナシカはしゃいだ。

 

無事下山して、今回ツアーのお年玉という温泉無料券で温泉につかった。
湯につかり「ふ~」とつかれを吐き出す。最高の一日だった。

 

左膝内側副側靭帯損傷は長い治療期間を要したけれど、山に戻ってこれ胸をなでおろす。
今度の課題は『夏山』。ケガをしないようにトレーニング山行を続けよっと。

 

     垂直上昇高度の合計    820m 2時間40分    

     垂直下降高度の合計
    830m 1時間55分

     総時間           4時間55分(休憩含む)

 

「北アルプス紅葉」から帰宅してからのこと

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今日はエイプリルフール。
東日本大震災に続く原発事故の政府発表はどこまで本当なのでしょうか。
進展しない福島の原状に胸が痛みます。

 

さて、昨年10月の「北アルプス紅葉」以来のブログです。

それには理由があったのです。この5ヶ月のこと備忘録として書き残しておくことにします。

 

思い起こせば、昨年10月の北アルプス山行(←詳細)でのことです。気を許したすきにへつりから本谷に2mばかり落ちました。

そのときは幸運にもなんともなかったのですが、 帰宅後、日増しに左膝が痛み出し歩行困難になったのであります。

最終日10/11徳沢園で泊まったとき、膝の違和感で夜中に何度か目を覚ましたのはそれだったかなと思います。でも次の日、岳沢を途中まで平気で登ったのですから訳がわかりません。足の酷使が要因だとするならば若くないという危険信号?)

 

外科に行ったら「左膝内側側副靭帯損傷」「完治まで2ヶ月程度」と診断されました。
痛かったですよ。2週間ほどびっこひいていましたから。日常生活や通院、とにかく何をするにも難儀しました。

本谷で腕時計とサングラスをなくし、カメラもダメにした上に、病院通いに莫大な時間を費やされ、まったくついていない日々を2ヶ月ほど過ごしていたのです。

 

失くした時計は夫にもらったものだけに残念でした。時間や高度を示してくれ、たくさんの山を一緒に登りましたから、ベルトがちぎれ左腕にないと気づいたときはがっかりしました。あたりを探しても見つからなくて、時計に悪いことをしたと詫びる思いだったことはいうまでもありません。もちろん夫にも詫びました。

 

足のほうは順調に回復し日常生活に不便を感じることなくなりました。しかし私の完治はそれではありません。
「山をやれる足」になることが私の完治なのですから、大事をとって年内は山を控えました。

年末年始を何とかやり過ごしたころのことです。

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新しい相棒を調達しました。同じメーカーなので仕様は似ていますが今までのようにはいきません。老眼鏡で取説を読み面倒でたまりません。なんていったら新しい時計に悪いですね。時計に罪はないのですから。

 

で、ついでにカメラも買いました。水につかってフラッシュがたけなくなったから。私はフラッシュをほとんどたかないのでいいのだけれど、登山保険(傷害保険)の携行品で補償されたので購入した次第です。それがこれ。

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本当は、前使っていたメーカーが欲しかったのですが、大幅にお値打ちにしてくれたのでこれにしました。まぁ、これも縁というもの。仲良くしたいと思います。

 

時計もカメラもそろいました。そうなるとアル中の私はいてもたってもです。堪らず「山がやれる足」かどうか試したくなります。

果たしてお許しが出たかどうか・・・・・つづきはまた。

 

 

 

未曾有の大地震

ずいぶんブログ更新を怠けており、そろそろと思った矢先の事でした。

地震から一週間経ちました。
どんどん被害者数が増加し、心が痛みます。

Cimg0088                                   翌日3/12の朝刊

Cimg0091                                    3/14(月)朝刊

3/13から見開き一面記事が続いている。私は未だかつて見開き一面の新聞を見た記憶がない。「1000年に一度の地震」と報じている。これほどの規模の地震は1000年は来ないよということなのか?

 

私のブログに訪ねてくださる人の中に、被災された方がおられるのではないかと思うと切ないです。何もして上げられなくてごめんなさいという気持ちです。
もし私のブログを見たならば連絡下さい。oriai2@nifty.com

 

私が住む名古屋は幸いにも被害がありませんでした。「東海地震に誘発はない」とニュースで報じていますが、「ない」という保証はどこにもなく不安は隠せません。

あれから名古屋で余震を2回体感しました。そのたび怯えます。
でも被災地の方の恐怖とは比べものにならない、と強がっています。が、やはり怖い。

 

誰にどうお願いすればいいのでしょう。どうかこれで終わりにしてください。
「日本に平和を」と祈る毎日です。

2010北アルプス紅葉⑤ 3日目

平成22年10月12日(火)[E:sun]

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夜中に何度か足の痛みを感じて目が覚めたが、起きてから歩くには困らなかった。
私は左1番手前で休んだ。板の間より20センチばかり高いベッドになっている。

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団体が食堂を出て行ったので、ゆっくり朝食を食べる。

 

さて、このまま上高地を出るのもつまらない。かといって涸沢カールをピストンする体力は残っていない。手軽にひょいと行けるところ・・・・・岳沢にしよう!即決だった。

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徳沢園↑を出たのは7:50、ゆっくりだった。

 

歩き出してすぐ、同室だった女性(Oさん41歳)と一緒になった。彼女は長い黒髪の美人さんだった。本当に綺麗で、女の私でも見惚れながら話したものだ。男性だったらノックアウトだね。
彼女は初めての登山で、横浜から夜行バスで上高地入りし、昨日はソロで涸沢~パノラマコースだと話してくれた。どうもパノラマコースは誰かに誘われたらしいが、その行動力に感心した。

今日の予定を聞くと、「バスターミナル2時のバス」とOさんは言う。「それまで岳沢に行かない?涸沢ほどの派手さはないけど」と私。彼女に岳沢の景色を見せて、この際北アルプス病患者にさせてしまおうという考えだった。まったく私は悪いヤツだった。

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前穂と明神岳がくっきり見え出す。気持ちがよい朝だった。

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明神橋からの明神岳もくっきり。格好がいい。梓川右岸へ渡る。

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倒木の苔の色の美しさ↑に、思わずシャッターを切る。

 

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岳沢登山口から小一時間登ると西穂高岳が望めた↑。どれが独標で西穂高岳なのかよくわからないがいい景色だった。

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さらに15分ほど登ると樹林帯を抜けた。西穂高から流れ落ちるダケカンバの黄葉は見事だった。

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そして、北に目をやれば奥穂~吊尾根。ため息をつきながら飽きることなく眺めた。

あの吊尾根の向こうが涸沢だとOさんに説明する。いつの日かこの先の岳沢ヒュッテで泊まって、前穂~吊尾根~奥穂~涸沢と歩いてごらんと勧めた。彼女をイチコロにさせるつもりが、私の方が穂高に心を奪われていた。それほど穂高は私を魅了した。

私はもう少し登りたかったがバスの時間が気になる。彼女をひとりで降ろすわけにはいかないので今回はここまでにして下山した。

Img_3867                              苔むした風穴

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岳沢湿原の水の色はエメラルドグリーンでとても美しかった。美しいものを見ると何故幸せだと感じるのだろう?どういう仕組みでそう感じるのかわからないが、私は幸せに包まれていた。

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あのあたりまで 行ったんだよね、とOさんと岳沢↑を見上げる。

彼女の初北アルプスは楽しかっただろうか。この先も何度か足を運んで、美しい景色をたくさん見てほしいと私は望んだ。彼女との数時間が楽しかっただけにお別れはちょっぴり寂しくもあった。

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バスターミナル前のインフォメーションセンター↑をのぞいていたら、コイン式シャワーがあった。え?いつからあったの?早速利用する。汗を流すには充分だった。

 

さっぱりしてバスに乗る。[E:note]また来るときには~笑っておくれ~心の中で歌いながら上高地を後にした。

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緑色1日目登り 320m 行動時間4時間50分

桃色2日目登り 880m
       降り1200m 行動時間12時間30分

黄色3日目登り 300m
       降り  300m 行動時間7時間  

高度計つきの時計をなくしたので単純に計算した数字です。

 

これでおしまいです。来年の北アルプスまでは地元の鈴鹿でトレーニング山行に励みます。長い山行にお付き合いくださってありがとうございました。

2010北アルプス紅葉④ 2日目後半

平成22年10月11日(月祝)[E:sun]後半          

風岩の頭から本谷を見る↓(2008/10)

横尾尾根の天狗のコル(標高2700・写真↑)に立つと絶景だった。 
のところが横尾から見えた部分のようです。)

目の前は前穂・北穂。見下ろせば本谷右俣・屏風岩。写真↑左奥に横尾も見えた。

 

さて、ここから私はこの本谷右俣を降りる。バリエーションルートなので道などない。おおよその見当をつけていたら、男性がひとりひょっこり本谷から上がって来た。

その男性は、横尾から5時間かかったと話してくれた。ということは、下山の私はそれ以上かかるのだと自分に言い聞かせる。

 

10:20本谷に降下開始。まずは標高2500あたりの雪渓を目指す。  


バリエーションお決まりのザレ場↑から始まる。足を取られ立っているのがやっと。草つきの方がいいかなぁとそちらへ行けば、見えない石に乗って転がりそう。どこも危なかった。我慢我慢と慎重に降っていく。

紅葉の中に降りていくのだから気持ちはめげない。下山開始から50分。ザレ場は終わり、天狗のコルから見た横尾尾根南斜面の紅葉に近づく↑。黄金色で美しい。

西に目をやれば、紅葉越しの南岳↑。青空で最高のお天気だった。

 雪解けが遅いカール底には、驚くほどたくさん花が咲いていた。間もなく雪が降ろうとしているのに、その短い期間でも子孫を残そうと頑張っているのが健気だ。ミヤマリンドウ(左)やミヤマキンバイ(右)踏まないように気をつけて歩いた。

カール底(2500)の雪渓から南岳(左)・横尾尾根(右)を見上げる。

途中何度も景色を見ていたので、天狗のコルからここまで1時間30分も要してしまった



左:南岳から延びる東南稜
右:横尾尾根

カール底は無風で暖かく、とても静かで時間が経つのを忘れるぐらい居心地がよかった。

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カール尻に向かうと谷は急に狭くなる。屏風の頭のほうが高くなったかな?

突然草地になり、ないはずの登山道が、わずかな距離だがうっすらついていたのには驚いた。獣道かな?一面チングルマという快適なところだけに小動物が行きかう道かもしれないと想像した。植生を痛めないようにその小道を通らせてもらった。

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屏風の頭を目指して狭い谷に降りていくと、天狗のコルからでは見えなかったものすごい紅葉が現れた。↑12:20標高2200

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この世のものと思えない最上級の景色に見惚れた。横尾尾根↑

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↑南岳の方も素晴らしかった。人がいなくて静か。新鮮な景色に感動しきりだった。

・・・[E:note]はーやーく 来いよ と 呼んでるぜ・・・・」

「来るのを待っていたぞ」・・・・なんて嬉しいなぁ~・・・・妄想はどんどんエスカレートし、とうとう私はイカレタ山女になっていた。

 

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本谷の流れが始まり↑本谷右俣カールの見納めになる12:32立ち去りがたく振り返る。

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それからは、狭い谷のゴーロ帯(↑振り返って撮った)が始まる。ぴょんぴょんと降りていく。が、それも束の間、水量が増え、右岸を慎重に降った。

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屏風岩の山容が優しくなる。

二俣に近づくにつれ、さらに水量が増してきた。急流で右岸は降りられなくなり、少し登り返して左岸に渡った。左岸に渡っても降りられなくなってきた。草つきへつりを探してトラバースして進んだ。

Img_3843                                  ミヤマコウゾリナ

もうすぐで二俣に出られると思ったそのとき、2mほどの高さのへつりから滑り落ちてしまった。

どんなふうに落ちたのかまったく覚えていない。気がつけばゴボゴボと水中にもぐっていた。本谷の急流に流されたと思い必死でもがいた。

ふたかき、みかきして気づいた。入水したのは頭と両手だけで、肩から下は幸運にも入水しておらず、体は水辺に残っていた。浅瀬だけれども急流に頭だけ突っ込んで溺れていたのだ。滑稽な姿だったに違いない。

 

状態を起こすと頭から水がしたたり、上半身ずぶぬれになった。幸い水は冷たくなくて助かったが、しばらく呆然と水辺にへたり込んだ。
ザックから着替えを出し着替えた。このとき腕時計がないことに気づいた。落ちたときにベルトが切れて流されたらしい。愛用していただけに残念でならなかった。(落ちたのは多分
1:45ころ)

 

気が緩んでいたのだろう、何であれ神様は私のこころの隙を見逃さなかった。とうとう洗礼を受けたのだった。早く来いというのはこれだったのだろうか。

 

その先は慎重にへつった。二俣(標高2030)に着いたのは2:30だった。

ここからは、以前歩いた道。それでもまだバリエーションルート。急流のゴーロ帯はきつかった。何度も休憩をし慎重に降ったので、本谷橋(標高1800)まで2時間近くかかった。
まだかまだかと歩いたこの間は本当につらいものだった。

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ドボンしたときカメラもダメになったと諦めていた。が、試し撮り↑したら大丈夫でほっとした。神様ありがとうございます、と想った。

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本谷橋↑(標高1800)が見えたときは嬉しかった。

大怪我でなくてよかった。ドボンしたことも何もかも神様が決めたことなのだと私は思っている。この先は安全であるように神に祈った。

 

涸沢から降りてきた登山者が私を見つけた。あんなほうから(ヨレヨレで)人が来る、と話しているようだった。私はドボンしただけに、助けられた遭難者のニュース映像のようで格好悪かった。バリエーションルートを甘く見た罰だった。

 

本谷橋からの登山道は安全で横尾に5:30に着いた。横尾に泊まればいいものを私は何かに取り付かれたかのように徳沢に向かって歩いた。今思えば狂っていた。

秋の日はつるべ落とし。途中で真っ暗になった。さすがにめげた。それでも歩くと決めたのだから歩くしかなかった。

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ほうほうの体で徳沢に着いた。6:30だった。受付を済ませ、まずお風呂に入らせてもらう。湯船につかりながら、「自分の足で帰ってこられてよかった」と足をさする。

 

ここまで来た甲斐があるご馳走だった。ステーキまである。もりもり食べた。

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井上靖の「氷壁」の舞台となった宿である。一度泊まりたかったのだ。徳沢園は聞きしに勝る宿だった。

到着が遅かったので、部屋に入ったらもう皆寝ていた。どんな人と同室なのかわからないまま横になった。

 

部屋は静かだった。が、美しかった紅葉やドボンしたことなどで興奮覚めやらず。なかなか眠れなかった。心なしか足も痛かったし・・・。

つづく 

 

 

 

 

 

 

2010北アルプス紅葉③ 2日目前半

平成22年10月11日(月祝)[E:sun]

5時の朝食を済ませ、6時槍沢ロッジを出発。見えるはずの槍の頭は朝もやの中だった。

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紅葉の登山道をゆっくりと分け入っていく。吐く息は少し白いが寒くもなく気持ちよい朝だった。

Img_3720                            ベニテングダケ(毒)

ロッジから30分でババ平(テント場)に着いた。カールは雲海で真っ白。

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でも私の強い想いが通じたのか、少し待つと東鎌尾根↑が徐々に姿を現わす。この徐々にという焦らし方は何とも心ニクイ。

お預けだった横尾尾根の紅葉も徐々に現れる。その過程は美し過ぎてうっとりと魅入った。

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槍沢カールで眠っていた雲海も太陽に起こされ、方々に散っていく。

舞台上手に東鎌尾根、下手には横尾尾根、この槍沢ショーのオープニングは素晴らしかった。

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槍沢ロッジ(1820)からちょうど2時間、8:00に分岐(2350)に着いた。

そして進路を天狗池に向ける。

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カール底の天狗原↑から少し上がったところで私はザックをおろした。

ぼぉ~っと美しい景色を見ていると、快く送り出してくれた家族のこと、恵まれている自分であることなど、つぎつぎと思いがめぐる。この景色を通して山が「考える時間」を与えてくれていた。山の神様の素敵な計らいだった。

天狗原↑は離れがたいほど心地よいところだった。

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童心に帰って小さくなってナナカマドのトンネル↑をくぐる。

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雲ひとつない青空。上等の景色だった。

昨晩、槍沢ロッジ談話室でおしゃべりした写真家の男性が降ってきた。彼は天狗池の撮影の帰りだった。夜中の2:30頃にロッジを出発したけど早すぎたと話してくれた。彼のホームページに天狗池の写真があります。

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今回は常念岳↑を先にじっくり眺めた。そして目線を落とし、また来ました、と池に挨拶する。私流の表敬の仕方で池に降りていった。

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紅葉の天狗池は、と比べ物にならないほど良かった。

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直線距離で約2kmも離れた槍が池に写りこむのが不思議だった。日付と重なってしまっているが池と槍の位置関係は写真↑の通りです。

今回はこの先が目的地なので、天狗池で長居はしなかった。

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天狗池からは、初めてのルートを進む。横尾尾根の稜線↑目指して紅葉の中を足取り軽く登った。

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振り向けば、大天井岳や燕岳まで見える↑。西岳でのことをなつかしく思い出す。

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槍沢は涸沢よりいいかも。何より空いているのがいい。人がいないって本当にいい。

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今年の7月末に歩いた北アルプス横断ルートがよく見えた。あそこでは難儀したなぁとか、この景色には思い出がたくさんある。見飽きない景色だった。

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前穂北尾根・北穂が突然目の前に現われた。そこは横尾尾根の天狗のコル(2700)だった。10:16

つづく

夏の天狗池はこちらから見てください→夏の天狗池

2010北アルプス紅葉➁ 初日

2日目も雨では出かけてもしょうがない。悩んだ挙句、出発を1日延ばした。

 

平成22年10月10日(日)☁

10/10名古屋7:00発しなの1号に乗る。松本、新島々で乗り換え、11:15上高地に入った。

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連休中日。河童橋は観光客でごった返していた。観光客の列をくぐり抜け、梓川左岸を北に向かって歩く。

晴天ではないが(上の写真は最終日撮影)ときどき薄日が差し、歩くにはちょうどいい。予報では雨のち曇りだったのだから上等の天気だった。

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ビジターセンター前に、2代前の欄干の一部が展示↑されていた。
材はカラマツ。

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説明によると初代は跳ね橋と書かれている↑。今年はその初代橋から100周年にあたるらしい。

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バスを降りて1時間ほど歩くと明神に着いた↑。明神館前は観光客と登山客が半々といったところでしょうか。

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明神岳のピークは雲に隠れていた↑。山を見上げながら10分ばかり休憩。12:25徳沢に向かってまた歩き出す。

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明神を過ぎると観光客はぐっと減った。雨上がりの道は緑が鮮やかで心が安らぐ。一日ずらしてよかったと思いながら歩いた。

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河童橋(11:20)から2時間弱で徳沢に着いた↑(1:08) 。ここをベースキャンプにして、槍・穂高に入るテント山行もよい。

暑くもないけれど徳沢名物のソフトクリームを頼む。そしてポットにコーヒーのテイクアウトを追加する。(最近ガスカートリッジも持ってこないほどナマカワしている。)

 

1:20 徳沢を発。

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1:32新村橋。涸沢パノラマコースや奥又白池はここから入る。対岸は前穂高。

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テント泊から遠ざかっている(卒業した?)私は、前のふたりをうらやましく想いながら後を歩く。

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2:14横尾に着いた。上高地バスターミナルから3時間、予定通りだった。ここをベースキャンプにする登山客も多い。

 

私は横尾山荘まで行かず、古ぼけた営林署避難小屋前でザックをおろし、周りの山を見ながら休憩する。

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するとそのとき、ずっと奥の山と目が合った↑。地図を出して調べると、どうも南岳のようである。
横尾から南岳?を見たのは初めてのことだった。

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念のために望遠↑で撮っておいた。

 

  [E:note]呼んでるぜ 呼んでるぜ・・・・
  ・・・はーやーく 来いよ と 呼んでるぜ・・・・

        (このフレーズしか知らないのですが、古い歌ですよね。

 

まだまだ遠いあの南岳に思いを馳せながら、徳沢のテイクアウト[E:cafe]コーヒーを飲む。

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2:40横尾発。

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横尾からは槍沢に入った。この時期、大方は涸沢に入るので静かな登山道になる。

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一ノ俣(標高1705)3:25通過。続いて二ノ俣を越すと、梓川はエメラルドグリーンの流れになる。何度見てもここは美しくて今回も立ち尽くす。奥に見えるのは横尾尾根。

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標高1800を過ぎるころになると、横尾尾根の紅葉が綺麗になってきた↑。

山は惜しげもなく美しさを披露してくれていた。この充足感をどう表現したらいいだろう。うまく言葉にできないことがもどかしい。

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雨にあわず4:00槍沢ロッジ(標高1820)に着いた。今晩はここで泊めてもらう。1泊9000円(2食付)
このロッジは風呂がある。もちろん石鹸NGだが、疲れがほぐれるのでありがたい。

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しゃくなげという部屋で、私は上の寝床を与えられた。混んでいることもなく、寒くも暑くもなく、槍の懐に包まれ、幸せな気分で眠った。

                                                つづく