この世の春

怒涛のブログ更新。やれば出来るんです私。でもこのムラがねぇ・・・。

 

友達の病気が少し回復し、約束していた鳩吹山のカタクリを4/7(土)に見に行った。体調の都合で見ごろから1週間遅れであったけれど。

 

7:30友達夫婦を迎えに行って、夫の運転で犬山へ[E:car][E:dash] 寒い日だったが快晴。
車窓の桜を愛でながら、つもる話に車内は盛り上がる。我々4人は遠足に行く小学生のようにはしゃいだ。

 

友達夫婦とは1月下旬以来。旦那さんはあの時は水も飲めなかったが、今では野菜スープやコーヒーが飲めるようになっていた。おもゆやゼリーは喉を通らないけど、プリンは大丈夫で日に3個ほど食べるとか。1日1400キロカロリーの点滴はまだ外れない。でも喋れるようになったことが何より。先週は食道を広げる手術をしたそうで、少しずつ良くなっているのが見て取れた。奥さん曰く「赤ちゃんの離乳食よ!」

 

 

カタクリを見に行く前に犬山市内の円明寺のしだれ桜を案内する。

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                             病気の彼 

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彼達を元気づけるために案内したというのは口実で、本当は私が今年もこの桜に会いたかったのだ。萎えていた心に古木からうるおいをもらう。何度見ても圧巻である。

 

Cimg0998 お寺を出たところで、ちょうど犬山祭の山車を見ることができた。山車(車山でしたぁ[E:coldsweats01])と書いて『やま』と読むそうだ。そのてっぺんではからくり人形が技を披露する。山車のからくり人形は高山市が有名だが、こんな近場で偶然にもお祭りに出会えた幸運に心が踊る。

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衣装をつけたお囃子の子どもたちは何とも可愛らしく、いい時に来たことを皆で喜んだ。

Cimg1021 翌朝の新聞一面に掲載された記事を見て、夜もこれまた素晴らしいお祭りであることを知る。写真右端に写るは犬山城。

 

桜とお祭りを堪能して次はカタクリへ移動[E:car][E:dash]

Img_2768 盛りは過ぎていたがそれでも十分楽しめた。斜面をせり上がる群生にうっとりする。

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写真を取り忘れたので上の写真は以前のものだが、桜咲く足元に座ってポットにつめたコーヒーを飲む。抹茶を持ってくれば野点ができたのに・・・と気が付かなかったことが悔やまれた。

病気の彼は登山靴のイデタチ。山に登りたい気持ち満々が痛いほどわかる。少しだけでも案内してあげたかったのだが奥さんのお許しが得られず今回は諦めることに。

 

ならばということで、各務ヶ原自然遺産の森を案内した。Cimg1004
ショウジョウバカマの群生地を案内する。手が入れられているわけではないから先のカタクリほど豪華さはないけれど、やはり綺麗にたくさん咲いているのは嬉しい。

 

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病気の彼は食べられないので申し訳ないが、お蕎麦屋さんに入った。メニュー通り超お値打ち(土日限定)で天ぷらも頼んだ。彼は蕎麦湯を。栄養価は満点のはずで満足そうに飲んでいた。よかったぁ。

 

あまり病人を振り回しても・・・と思いながら前日ニュースで報じていた江南市の曼茶羅寺が帰り道なので寄ることに(四国88カ所72番ではありません)。ここは藤が有名だそうで9尺藤があるとか。その時は相当な混雑だそうです。

 

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たくさんの塔頭があり、菊の御紋や葵の御紋がある格式高いお寺でした。

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おもしろい木を発見。左端に男性が立っているので比較して想像してみて下さい。まるで足を広げて立っているようです。

 

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どの塔頭にも立派な桜があり、素晴らしい曼茶羅寺でした。

 

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締めはソメイヨシノ。名古屋城近くの黒川の桜並木です。

点滴が外れたら、鳩吹山でも各務ヶ原でも案内する約束しました。
一日中桜を堪能した幸せな日でした。

 

 

 

  

2012山旅②

平成24年3月20日(火・祝)[E:sun]

10日前に行った各務野自然遺産の森が気に入って、今度は夫を誘って出かける[E:car][E:dash]
11:00 各務野自然遺産の森に置車し歩き出す。今年はいつまでも寒いので桜の蕾は縮こまっている。

Cimg0894 庄屋の脇に植えられた白梅はチラホラ咲き始めいい香りを放っていた。
我々は白梅に見送られ元気ハツラツと山に分け入った。

 

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この『リョウブ』という木は木肌に特徴があるので見分けやすい。昔はこの新芽をご飯と一緒に炊きこんで食べたと説明されている。一度食してみたいと思う。

 

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途中の展望台(標高265m)でコーヒータイム。登山者は皆無でのんびり。

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今年はいつまでも寒い日が続いているけれど、外に出ると春はそこまでやってきていることを感じる。

 

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今回は大岩見晴台から御嶽山が遠望できた。木曽の御嶽山はナンジャラホイと鼻歌。

お昼ごはんを食べていると、大きなザックを背負ったソロのオネイサンが私も3/10に間違えた方から息を切らし上がってきた。話を聞いてみると、やはり大岩不動まで降りてしまい登り返してきたと言う。キツカッタねぇと労う。トレーニングにはよいルートである。

 

我々は今日は間違えず進む。

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ショウジョウバカマ。特に珍しい花ではないが、見つけると おっ!と嬉しくなる。膝を折って春に近づく。

 

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迫間城跡(標高309m) どんなところかというと・・・・・

Cimg0910 御嶽山を借景に眺望がいい。ライフラインはないけれど立地条件申し分ない場所でした。
花はまだ咲いていないけどイワウチワの群生地だった。一面薄ピンクの絨毯になるのを想像する。その時期に来てみたい。また連れてきてと夫に予約する。

 

 

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2:40 最終目的地の明王山見晴台着。名古屋駅ツインタワーを遠望する。あの雑踏のなかで生き苦しく生活している自分の姿を今回もまた想像した。帰る家があるから旅は楽しいという話を聞いたことがあるがその意味を考えながらじっと見つめる。

Cimg0915私の時計では標高407となっているけれど実際は380mのようだ。ここまで3時間47分の行程。それにしてもこの時計益々キズだらけになった。雑に扱い過ぎなのか山に入っているという証拠なのか。

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これも明王山見晴台からの景色。木曽川を挟んで鳩吹山が在る。こう言う景色がある限り山はヤメラレナイ。
あの鳩吹山の麓に群生するカタクリを今度見に行く予定。山の上から「今度行くからねぇ」とカタクリに挨拶する。

 

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311東北地震の影響なのか、ブルーシートに包まれた地震観測の機会が設置してあった。これが是非役に立つものであってほしいものだ。

 

南ルートコースで下山。ひたすら降る。

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車道に出て東海自然歩道に合流。
3:30 梅の香りに導かれ各務野自然遺産の森に着。

 

          出発地  : 各務野自然遺産の森(標高110m)   11:00発
          到着地  :      〃                    3:40着 
 
          標高差  :  A   582m             1時間40分
                  D   558m              1時間15分              
          行動時間:                                  4時間40分
                       ピーク       411m

2012春分の日は幸せな日でした。 

2012山旅

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最近更新が滞ってました。その言い訳といったらナニですが、自分のブログにハマって懐かしんでおったのです。ほら、大掃除で古いアルバムや手紙を見つけると掃除をサボって気がつけば時間が大幅に経過していたというアレ。

2002年5月から歩き始めたお遍路を読み返し、よくもまぁオナゴひとり(ほぼソロ)で結願したものだとウルウルと感激しておったのです。私にとっては実に懐かしい作品で、今となっては忘れていたことを思い出すという貴重な記録でした。文章は下手であっても、記録(特に当時の考えだったり)することの大切さを感じました。

 

で、思い直して現在の近況ブログ作業を再開するも、最近特にノロマになってはかどらないのです。もともと救いようがないノロマなので仕方ありません。頭の中ではどんどんブログが完成していっているのですが、頭の中での記憶は残念ながら薄れて行ってしまいます。これが今回のブログ停滞の最大の理由というか言い訳です。

 

 

山旅目次を見たら2012は一行もないので焦りました。実は今冬はアイゼンの出番なく過ぎてしまいました。低山をゴソゴソ歩いただけなのでセツブンソウも福寿草も今年は見ていないけれど、とりあえず低山であっても、このブログの最大の愛読者である自分のために記録しておきます。

 

…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。…。oо○**○

 

平成24年3月10日(土)[E:cloud]

岐阜県各務ヶ原アルプスを縦走。

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7:30自宅を出発。
今日は地下鉄~名鉄電車を乗り継いで新鵜沼駅で下車。
バスは出たばっかりだったのでタクシーで八木山小学校まで(1380円)

 

09:00 八木山小学校(標高100m)スタート
10:00愛宕山(269m)~双子山(248m)~八木山(296m)をアップダウン繰り返し、3時間ほどで各務野自然遺産の森(110m)に降りた。

 

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小川が流れる各務野自然遺産の森でお昼ごはんとした。芝生の上で、私はポットにつめたコーヒーとクリームパン。友達は豪華にもうどんに卵を落とし煮炊きしていたら、係の人がやってきてガスバーナ禁止と注意される。

 

食後、移築されたという江戸期庄屋屋敷を見学。

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当時の水屋を興味深く見学。

Cimg0893 こういう窓がある家に憧れる私はいいなぁ~としげしげ眺める。

 

 

Cimg0896お腹が満たされ、各務野自然遺産の森(110m)からまた次の山に取り付く。

 

Cimg0901 20分ほど登ると今来た愛宕山~双子山~八木山が望める。

さらに15分ほどで大岩見晴台(330m)。西方向には雪を冠った伊吹山が見えた。御嶽山や中央アルプスは生憎遠望出来なかった。

 

その先、途中道に迷い標高160mの大岩不動まで降りてしまう。訳のわからない暗い谷を登り返すはきつかった。その後もアップダウンを繰り返し明王山見晴台(370m)まで歩いた。

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下山後、てくてく30分ほど歩いて新鵜沼駅に戻ったのは4:45。

 

                      出発地  : 八木山小学校(標高100m)   9:00発
          到着地  : 新鵜沼駅              4:45着 
 
          標高差  :  A   806m             2時間20分
                  D   812m              2時間57分              
          行動時間:                                  7時間42分
                      ピーク       370m 

 

低山といえど侮るなかれ。休憩含めて行動時間7時間42分とは大したもの。ロングコースのアップダウンでクタクタになるコース取りでした。

参考:桐谷坂~迫間山まで

    愛宕山~金毘羅山~猿ばみ城跡縦走

 

 

 

でんでれりゅーば

[E:note]でんでれりゅーば でてくるばってん

     でんでらでんけん でーてこんけん

         こんこられんけん
 こられられんけん こーんこーん[E:note]

 

 

テレビから「でんでれりゅーば」のCMが流れるたび、指を動かし歌う今日この頃。
実になつかしい歌なのであります。最近のお気に入りなのであります。

 

 

夫に「このでんでれりゅば小学生の頃よくやったよねぇ~」と言っても「知らん!」というつれない返事です。

 

それでもCMが流れるたびに「なんで知らんの?」とついつい聞いてしまいます。「知らんものは知らん」という夫婦の会話に不満を覚える妻の図。こうなったらターゲットは同級生女子に。友達に尋ねてみたら、「流行った!流行った!」と嬉しい返事[E:good]が帰ってきました。ようやく遠い昔の事実を確認でき満足したというわけです。それ以後、妻は夫にこの質問はしなくなりました。

 

 

 

私はずっとでんでれという龍が出てくる歌だと思っていたら、全く違っていました。

[E:note]でんでれりゅーば でてくるばってん
                (出ていけるなら出て行くんだけど)

   でんでらでんけん でーこんけん
                (出られないので出て行かない)

   こんこられんけん こられられんけん こーんこー
                (行けない行きませんから行かないよ)

 

・・・という内容だそうです。

(く)る=行く
(こ)ん=行かない・・・・何とも理解しがたい。

 

長崎のわらべ歌だということも今になって知りました。訳もわからず歌ってた意味がわかって、へぇ~と感心している次第です。

 

でんでれりゅーばの歌と指遊びはこちらで見られます。どうぞ!→こちらユーチューブ

 

・・・・こんこられんけん
 こられられんけん こーんこーん[E:note]

 

桃の節句

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これが私のお雛様。半世紀あまり前のものですから、随分色褪せています。

 

小さい頃、親の目を盗んでは、お雛様の段の中に潜りこんでお道具でよく遊んだものです。あの狭い薄暗さが、子どもにはたまらなく楽しい空間でした。

 

でも振動で、三人官女の両脇に立っているふたりだけが決まって段から転げ落ちるものだから、「また入ったのか!」とよく親に叱られたけれど、やめられない遊びでした。

 

重箱やお膳にべっとりしたお菓子をいれてままごと。タンスの引き出しにはおもちゃを入れてはふさを引きちぎり、終いには牛車をひいて壊してしまう。今思えば相当な悪でした。

 

三人官女の顔の一部が欠けたままずっと飾っていましたが、見るに忍びなく20年ほど前からお内裏様とお雛様だけを飾るようにしました。 

 

今年は、そんな子どもだったことを思い出す桃の節句でした。

ぼんぼりを出し忘れた2009年の桃の節句は→こちら

弥生

年が明け、今年は閏年で1日多いのに気づけばもう弥生。

月日の経つのが早くて仕方がない。これではあっという間に老婆になってしまう気がする。どうしよう。

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明日は桃の節句。
いくつになってもお雛様を見ると欲しくなる。さすがに高っかいのは買えないけれど、手頃なミニ雛を見つけたので、我慢できず買ってしまった。かわいい~と眺めております。

ちなみに100均ではないですよ。ちりめんでできているそれは、以前京都で見たことがあるメーカーでした。そうなるとシリーズで揃えたくなりますねぇ。

 

明日は、本物の?私のお雛様の前でお祝いをする予定。
いくつになっても桃の節句は嬉しい日。

 
 
 

そうそう、この間、夫が還暦を迎え、とうとう年寄りの仲間入りしました。
子どもが名古屋を離れているので、お祝いは先に伸ばして、簡単に内祝いをしました。

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昔(ってどのくらい?)結婚式の引き出物にこんなのあったような記憶?
両親にも持参し、めでたく還暦を迎えたことを報告しました。メデタシメデタシ。

源平と西行

NHK大河ドラマ『平清盛』の話です。

 

学校の歴史の授業では、あっという間に清盛→頼朝に時代は変わっていった記憶。
古典の授業でも『平家物語』を習ったけれど覚えているのは、暗記させられた『祇園精舎の鐘の声・・・おごれる人も久しからず・・・・偏に風の前の塵に同じ』と、先生が熱く語った『安徳天皇と平時子が入水する場面』くらい。そういえば『義経の八艘飛び』も記憶があるようなないような。真面目に授業を受けていなかったので、平家のことは私にはこの程度の断片的な知識だけしかない。

 

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なので、四国をお遍路するまで、下関以外にも壇ノ浦の戦いがあったことを知らなかった。屋島寺を降りると古戦場あとがいくつもあった。説明書きを読んでも歴史オンチの私には全くわからなかったけれど、歴史好きにはたまらない場所であることはわかった。

上の写真は2巡目の車遍路での屋島寺からの景色で、対峙する山は次の札所の五剣山=八栗寺。車遍路のとき、庵治にある『舟かくし』という宿で泊まった。舟を隠して源氏を待ち伏せしたという場所ではないだろうか。

 

 

さて、勉強を兼ねて見始めた『平清盛』。何回目かのとき、見ていてアレ?と思った人物が。それは佐藤義清(のりきよ)。のちの西行ではないかとピンときた。(役者がイケメンすぎ・・・?)確認のため白洲正子著『西行』を走り読みしたらやっぱりそうだった。

  ・・・西行は俗名を佐藤義清といった。ついでのことにいっておくと、

            僧名は円位で、西行は号である・・・白洲正子著『西行』より抜粋

 

 

大河ドラマ挿入歌の『今様』を白洲正子著『西行』に見つけた。正子の着眼点はさすがだと思った。ドラマで清盛の実母舞子が歌ったのが気に入って、最近では私も口ずさむほど。 

     遊びをせんとや生まれけむ
       戯れせんとや生まれけん
         遊ぶ子どもの声聞けば
           我が身さへこそゆるがるれ

 

 

何年か前に吉野へ行った時、西行庵がある奥千本を訪ねた。世俗を離れ数年間篭ったというその場に立って、少しでも西行に近づきたかったのだ。でも何も理解できず漠然としたままであった。大河ドラマで大いに西行像をふくらませたい。

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西行の出家の原因と言われている『待賢門院璋子』がああいう?女性だったことを大河ドラマで大きく取り上げている。悪女璋子のようだが、悪いのはそのように仕立てた白河院だ。鳥羽上皇が気の毒で仕方がない。学校では習わなかったことをこのドラマは教えてくれる。

 

四国で知った『崇徳院』も大河ドラマに出ているので、この先の展開が待ち遠しい。西行が讃岐に赴くところまでの映像を期待したい。

 

 

『源義朝』は知多をお遍路したとき勉強した。平治の乱で敗れた義朝は知多郡美浜町に逃げたが長田父子に湯殿で殺害された。大御堂寺(おおみどうじ)に義朝の墓があった。

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知多には義朝の首を洗ったという血の池があり、四国の屋島寺には平氏の血を洗った血の池があった。私はお遍路を通して、源平の血を洗ったといわれる池をそれぞれ見たことから、おのずと源平の戦いが興味深くなっていった。

 

学校でさらっと勉強したことが基となって、自分の足で見て回った場所が今こうして線で繋がっていくことは思わぬ楽しい。

 

西行の足跡を辿った芭蕉のような旅をしてみたいものだが、それは無理なので、大河ドラマ『平清盛』を大いに期待している。

    ♪遊びをせんとや生まれけむ ♪戯れせんとや生まれけん

リョーマの休日

四国と聞けば飛びつく私が今回見つけたニュースはこれ。

リョーマの休日 (←クリックして読んでみてください)

 

 

お遍路で歩いた四国4県のなかで、明けても暮れても海を見て歩いた高知は特によかった印象です。無性に懐かしくなり心が騒ぐこともしばしです。

 

3巡目が37番の岩本寺で止まったままの私は、なかなかその先に踏み込むことができません。できれば1週間ほど歩いて宇和島あたりまで行きたいので、機が熟すのを待っているのです。

それよりも、今年は閏年なので、逆打ち(88番から打ち始め、87・86・・・・とお参りする)して、86番で食べそこねた焼き牡蠣を食べてみたい。こうなるとお遍路でなく遊びですな。

 

いずれにしても、お大師さまからお呼びがかかる(お遍路ではこういう言い方をします)のをじっと待っている次第です。

オサレ~な雪だるま

日本中が大寒波に覆われサブ~イ毎日です。皆さんお元気ですか?

名古屋も昨夜から雪が降りました。珍しく降雪12センチ。

 

で、私は・・・・

Cimg0863                      身長50センチ

 

雪だるまを作って遊んでみました。
これがイガイやイガイ。作成中から通行人に写メしていいですかと大人気。
近くの予備校女子からカワイ~と褒められ、どんどん調子に乗りました。
 

オサレ~(ブッサイクですが)にしたつもりですがいかかでしょう?
イヤリングはシャコバサボテン(画像を大きくして見てください)
ハンドバックにハイヒール、いやブーツでも履かしてやりたいけどパーツがない。
もっとトッピングしたいのだけど、外は寒いのでこれで一応完成としました。

 

暖かい[E:cafe]を飲みながら、2階から写メする道行く人を[E:eye]のは実に楽しい。
思いつきで作ったけど、アイデアがよかったと自画自賛してます。

 

隣のうちの前(隅のほうですが)で作ったので、動かせないのが残念です。まぁ、隣人も許してくれるでしょう。許してつか~さいね。
 

これを幾つも作ったら楽しいだろうね。[E:snow] [E:snow] [E:snow] [E:snow] [E:snow] 

タカヲククル

タカをくくり痛い目にあった記録です。
興味のない方は読み飛ばしてください[E:eye][E:dash]

 

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2011(H23)12月中旬のことです。仕事上で最も嫌な『煩わしいこと』が起きたのです。

ここでは煩わしいことの詳細は書かないけど、とりあえず菓子折り持って陳謝ですんでホッでした。

 

 

その晩に予定していたお仏壇のお磨きは、日中の気疲れから明日にしようかと思ったけれど気を取り直し実行。日中の件は不可抗力であっても、こういうのが試練なのだとお磨きしながら思いました。仏にすがる思いで一生懸命磨きましたさ。ピカピカになった仏具を見て少しは気が紛れたように思ったのですがね。

 

 

以前にも書きましたが、近しい友達が食道癌だと聞かされ、私はがくっとしてたのです。
12/7に別の友達のご主人(70歳)が亡くなったことを聞いたばかりだったし、とにかく病気のことはナーバスになってました。自分が感じる以上の不安が自分の心にもっとたくさんあったことなど、このとき知る由もありませんでした。

 

 

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話はさかのぼって、私は11月頃から口内炎ができたり、目が疲れたりで体調がすぐれない日を過ごしていました。左耳に痛みを感じたので耳鼻科にかかったけれど特に異常なし。今に治るさと、タカをくくっていました。

どうもこれがいけなかったようです。12/20頃になると、左肩(鎖骨)が痛いようなヒリヒリするような症状が。左肩を打ったかな? それにしても何も手につかないカッタルさ。年末の気ぜわしさもあり、何もかも放り出してどこかに逃げたい心境でした。

 

ネットで調べた自己診断の結果、私はこれだ!と思いました。月曜日を待って12/26皮膚科を受診。まだ症状が出たばかりだったので先生も???でしたが、痛い痛いと訴えたらやはり「帯状疱疹」でした。

 

これは簡単に言うと、心身が弱っているときウイルスにやられる病気らしいです。

 

振り返れば、11月から体が発するSOSは確かにあった。そこに自分が感じる以上の煩わしさや不安が乗っかって、心身衰弱→ウイルス攻撃→帯状疱疹というわけです。それにしてもこの程度のことで?という思いもあるのですが、自分が思う以上に私は弱かったということです。

予兆をないがしろにし、忙しさにかまけ自分の心の声を大事にしなかった結果です。愚かな自分まるだしな病気だと思いました。

 

症状は(軽かった)割愛しますが、年末年始の10日ほど鎮痛剤を飲み続けました。それよりも帯状疱疹の薬の高いことには驚きです。こうしないとあなたはわからないのよね、と罰金を払わされたような気がしました。

 

H21年は胃潰瘍で年越し

H22年は左膝内側側副靭帯損傷で年越し

H23年は帯状疱疹で年越す。

 

恥ずかしい話ですが数年こんなことが続いています。振り返れば、10年前初遍路に行って不安(多分)から病気になりました。誰かさんから初日に忠告された「無鉄砲な・・・」(だったと思う)がその通りになったと反省したことが思い出されます。

 

煩わしいドロドロとした日常から逃れ、山に行っては自分を取り戻し(たつもり?)、お遍路に行っては人の優しさに触れては気を晴らし(これもつもり?)ていたけれど、今回はそれはダメでした。これは若くないという警告でしょうか。初遍路で荷物を減らすということを覚え、人生の荷物も見なおしたのですが。

この10年、気がつけばまた貯めこんで、アレもコレも担いでいたようです。これではヘコタレるのは当たり前ですね。所詮たくましく生きていく術を持ちあわせていないのですから、まずは負荷を減らすことをしなければ先が思いやられます。

 

断捨離しながら少しずつでもたくましくなりたいと思う今日この頃です。

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先日誕生日を迎えました。57歳になりました[E:birthday]