北アルプス西鎌尾根(標高2700m)にカワラナデシコが力強く群生していました。
(2012/8/5AM8:20撮影)
2012西鎌尾根①
8/4(土)AM6:00頃、夜行バスで新穂高温泉入りする。新穂には何度も来ているけれど、夜行バスで入るのは初めてのことだった。
今回は双六岳と槍ヶ岳をつなぐ西鎌尾根を歩くのが目的。山友(女)とふたりで歩きます。

6:17 蒲田川左俣ゲート(標高1140)から他の登山客に混ざって林道をとぼとぼ歩き始める。
7:35 わさび平小屋(標高1400)着。2010年にここで泊ったことや無事にここまで戻ってきたことなど振り返りながら、この先の小池新道の登りに備え小休止する。
8:08 小池新道(標高1500)入口。ここから登山道になる。遠くの弓折分岐(稜線)に目をやり、あそこまでの楽しくも苦しい6時間を覚悟して歩き始める。(2004年にテント担いで登ったが、今ではその体力はない。あの時はまだ40代だった・・・・)

9:10 秩父沢(1730)通過。暑い日は沢は憩いの場所となる。
中崎尾根越しに槍ヶ岳稜線が頭を出し始める。キング・オブ・北アルプスは遠くからでもよく分かる。
登頂した山々を眺めながらの登りは辛さを忘れる。そんなふうにして高度を上げていく。

11:07 シシウドケ原(標高2090)着。 時折、雪渓から涼しい風が降りてくるが、炎天下はやっぱり暑い。汗ダクダクになりひたすら標高を稼ぐ。

12:01 夜行バスを降りてから約6時間。ようやく鏡平小屋(2300)に着く。木陰を見つけてここでお昼寝しようと考えていたが、木陰なんて全くなかった。
鏡平小屋名物のカキ氷。火照る体にイチゴを注文。槍の眺望付きで500円也。
一杯では物足りず、メロンも注文。普段カキ氷など食べない私が2杯も食べた。どれほど暑い日だったか想像して下さい。
ホットコーヒーをポットにテイクアウトして鏡平小屋を後にした。
その後まもなく、とんでもないことが起きた。 つづく
無事に帰りました
超豪華
暑中お見舞い
名古屋は連日30℃超えですが、皆さんのところはいかがでしょうか?

我家から西へ行くと堀川が流れてます。そこにかかる『五條橋』を渡ると『円頓寺商店街』。年に一度の七夕祭りを紹介します。おつかいの途中に撮影しました。

某呉服屋さんの七夕飾りは、いつも凝っている。今年は何かと見上げると、名古屋城を背にした牛若丸(義経)と弁慶(鬼若)。
小さいころ、ソノシートだったかレコードだったか忘れてしまったけれど[E:note]京の五条の橋の上~[E:note]という歌をよく聞いた。「キョーのゴジョー」なのに、私は近所の五條橋だとずっと思っていた。(桃太郎も愛知県犬山市に桃太郎神社があるので、ずっとそこが発祥地だと思っていたけど実は岡山だったり。)
某呉服屋さんの七夕飾りを見ながら、名古屋の五條橋なんて・・・・・!と子どもだった頃のことを思い出し苦笑い。
そのうち大河ドラマ『平清盛』で、牛若丸(義経)と弁慶(鬼若)が京の五条の橋の上で出逢うこういうシーンがあるかもなんて想像する。
ドラマでは、義朝は野間(愛知県)で死に、崇徳も讃岐で死んでしまった。それにしてもこの間の大河ドラマ『平清盛』の崇徳上皇、おどろおどろしかったですね。なんと思うままにならぬ・・わが一生よ・・・ 崇徳の怨念話は有名だけど、ちょっとやりすぎな感じがしました。
極小家庭菜園

バジルです。2株プランターに植えてあるんだけれど、これ、お料理に使えるので重宝しています。
私の朝食は決まってホットサンド。チーズ、ベーコンに摘んだバジルを挟む。マスタードたっぷりが好み。これで6枚切り食パン1枚。カロリー高いのはわかっているけど毎朝のコレはやめられない。
ホットサンドはコレで焼きます。南部鉄器。重いのが難点だけどカリッと焼ける。
樂天で購入。オススメ。
もう終わってしまったけど、今年もたくさん花をつけました。6/15テッポウユリ。
保存食押し売り

今年の6/7に仕込んだ『らっきょう3㎏』が美味しく漬かった。
色が濃い左側は昨年漬けたもの。昨年は欲張って6㎏も漬けたので消費できずまだ残っている。そこで友達に今年のをつけてもらってもらった。この際とばかりに、マーマレードのおまけも付けた。こういうのってノーサンキューって言いづらいので悪いなぁと思いつつズーズーしく進呈。これからは自分で消費できないほど作らないようにします。
といっても、こういうママゴトが好きで。先日スーパーで高知県産の生姜を見たら素通りできなくて購入。
薄くスライスした生姜を甘酢に漬ける前に湯通しする。湯通しなしで本漬けするという方法もあるらしいけど。

湯通しすると左のような色が出る。右側の水と比較するとずいぶん濁ったのがわかる。
この濁った色はアクなのか、生姜の貴重な栄養成分なのか定かでない。

白っぽい生姜が甘酢に漬けるとピンク色に変わってくる。この変化はいつ見ても楽しい。

今年は梅はやめました。やめたというよりいい梅に出会わなかったというのが正しいかも。
これはH23年度産の紫蘇なしの白漬け。大粒です。1年経ったので味がまろやかになった気がします。
健康のために少しずつ食べます。といっても飽きてしまってまた残ってしまうかも?
その時は、また友達に・・・・・? イエイエ ソレハ ナリマセヌ。
長州名産の夏みかん
萩のつづきです。(・・・まだあるの?長すぎ! っていう声が聞こえてきそうですが、これが最終回です。)
津和野・萩から帰った月曜日のこと。クロネコのおにーちゃんが、ホラ、萩から送った夏みかんを届けてくれました。
萩で荷物を出したのが日曜日のお昼の12:32。それを月曜日のお昼頃にもう受け取る。
本州の先端の山口県からだから、もう一日遅いかもなんて思ったのだけど。速さに驚きました。(私のブログのアップ度と大違い!)
萩焼の夫婦湯のみと抹茶茶碗も同梱したんだけど、夏みかんがクッション代わりになってくれたようで割れることなくセーフでした。
さーて、この夏みかんは・・・・
マーマレードを作ります。7キロもあってちょっと買いすぎました。

刻んだ皮を3回茹でこぼす。この茹で汁はめちゃ苦です。苦いマーマレードが好みの場合は2回がいいかも。茹でこぼしの回数は好き好きで。
次は夏みかんの種を出す作業。チマチマとママゴト。こういう作業、嫌いじゃない。

3Kgの夏みかんを解体するとこんな感じ。廃棄するのは手前の小皿3つのみ。左から房のすじ・種・ヘタです。奥右ザルは茹でこぼした皮。
このあと、奥左ボールの種を取った袋付きの実をフードプロセッサーにかけます。

フードプロセッサーにかけステンレスの鍋に入れる。そこへグラニュー糖を可食部の8割(今回は2200g)入れると・・・・


弱火にして2時間ほど煮詰めると水分が飛び色が濃くなりました。好みのとろみで熱湯消毒したビンに詰める。

完成[E:scissors] 3キロの夏みかんからこれだけマーマレードができました。
味? 前回作ったマーマレードは酸味があってめちゃ美味しかったので、今回の萩産はイマイチでした。これは好みの問題ですが、私はすっぱ~~い夏みかんで作るほうが美味しいような気がします。

マーマレードって、捨てる部分はこれだけなんですよ。前回は種を日本酒につけて化粧水を作ったけれど、今回はやめました。種から出るペクチンというとろみの成分が肌にいいらしいです。
7㎏も買ってしまったので、ジャムをもう一回戦して、残りはジュースでいただきました。
これで楽しかった津和野・萩の記録はお終いです。友達のふたりにはお世話になりました。ありがとねぇ[E:happy01]
長州藩をめぐる⑤
津和野・萩の旅を初めから読む方は
こちら
松蔭神社をあとにして北へ進路をとる。目指すは松本川のいちばん北にかかる雁島橋。
🚴♀️ 🚴♂️🚴♀️ てな具合で、後続のふたりはヘトヘトだということはわかったが、私は雁島橋を探すので必死[E:coldsweats02] とにかくついて来て!と無情にも自転車を止めることはなかった。(実は少し遠回りをした)
雁島橋を渡り三角州の中に入る。PM4:00ころ。
橋を渡るまではよかった。ひとつ道を間違えたら変な方向に出る浜崎地区は要注意なので、三叉路に出てたところで自転車を止める。するとそこに「私に聞きなさい」という顔したオジサンがやってきた。ラッキーとばかりに「ここへ行きたい」と地図を見せる。
それがこのオジサン、「これがアレでぇ、これがソレ??・・・わっかりにくいなぁこの地図」とくるくる地図を持って回りだす始末。しかしこのユックリズムなお陰で、オバサン3人はユックリできた。
魚介類の水揚場だった萩港に近く、商家町として栄えた浜崎地区。今日はお祭りだと聞いたのだが、早くも片づけが始まっていた。
伝統的建造物指定の商家を訪ねる。テレビの時代劇ドラマでよく見る、ホラ、入ってすぐの土間から帳場にあがれるようになってるアノ造りだった。
小さな浜崎地区はあっという間に通り過ぎてしまった。そうなるとあとは宿に戻るだけ。頭の中の地図を頼りに海に出る進路をとる。だんだん潮の香りがしだす。
広々とした菊ヶ浜海岸(萩湾)に出たとき、江戸・明治の色濃い街並みから抜け出し、現代に戻ってきたように感じた。PM4:30。潮風は疲れを癒すものだった。
指月山で始まり指月山で終わる・・・としばらく感慨に浸る。
先程までヘロヘロで着いてきていた友達2人は、ここに来て景色を眺めることもなく俄然張り切って自転車を飛ばす。その友達の小さくなっていく後ろ姿もいいものだった。あれだけ元気が残っているのだから、今日の行程はまずまずと自負する。
犬の散歩やウォーキングする人たちとすれ違う。菊ヶ浜を自転車を引きながらクールダウンした。
菊ヶ浜は日本百選に選ばれている。なるほど!私が魅入ったのは正しかったと看板の前でひとりで納得していた。
宿で自転車を返す。思えば長い一日だった。無事返却できてほっとする。
計画より早く宿に戻り、時間を持て余していたら、宿の計らいで♨️に入れてもらえることになる。
昨日と同じ萩焼のタイルと思しきその温泉に。決まり文句のはぁ~で疲れを抜く。
短い時間で大慌てのお風呂だったが、汗を流せてさっぱりと宿を後にすることができた。
東萩駅まで宿のバスで送ってもらう途中、もう一度菊ヶ浜を見る。もう訪れることはあるまいと思うと去りがたかった。
PM5:50発、新山口駅行きJRバスに乗る。居眠りしながら40分ばかり揺られ新山口駅に着くともう夕暮れだった。
新山口駅前も早くに店じまいする町だった。
名前に引かれて『山頭火』という食堂に入る。店員さんに尋ねて、種田山頭火が山口県の出身だということを初めて知る。放浪の旅の果て、四国の愛媛で亡くなったことは知っていたが、生まれ育った地のことは知らなかった。新山口駅のとなり町の生まれとのこと。せっかく山口県を訪れたのに、山頭火のことを知らずして帰ってはちょっと恥ずかしい。最後の最後まで勉強になる旅だった。
PM8:06発の新幹線に乗る。今回の津和野・萩は楽しいかったねぇと最後までおしゃべりに興じるオバサン3人だった。
PM10:50名古屋駅着。またねぇ~と解散と相成る。
ついつい友達を振り回すという反省点は残るが、幕末が色濃く残る萩は本当に楽しかった。
PS まだお終いではありません。つづきます。
長州藩をめぐる④
伊藤博文別宅・旧宅から数分で松蔭神社へ。失礼のないように、鳥居から少し離れたところに自転車を止める。
実は昨日、津和野から東萩駅に向かうバスは松蔭神社の前を通った。アレ!最後の楽しみの地を先に見せられた!と残念に感じたけれど、見てしまったものは仕方がない。すかさずまわりの位置関係を把握した。ということで迷うことなく境内に進む。
大きな絵馬があった。神社の方に尋ねると、右が吉田松蔭で、左は山田顕義ヤマダアキヨシとおっしゃる。??聞いたことがない名前だった。松蔭の門下生だったらしい。ちなみに山田顕義は辰年生まれなので今年の絵馬に描かれたとか。久坂や高杉は私でも知っているが、教科書に載っていない人(載ってるのかな?)もこうやって順番に紹介されることはいいことですね。
さて、幕末の志士の師である松蔭の話題に
親思ふこころにまさる親ごごろ けふの音づれ何ときくらん 寅次郎
松陰が家族に宛てた遺書の中で詠われた有名な句である。自分が処刑されたという知らせを親はどんな気持ちで聞くだろうか、という松陰の両親へのいたわりが溢れている。寅次郎は松蔭の幼名。
私が子供の頃、親がこの句を諳んじては、こうこうこうだとよく聞かされた。本家本元の松蔭神社でこの句を見て、親の言わんとしたかったことが理解できたような気がした。今日の音づれ何ときくらん・・・は、心を打つものだった。
時代の先を行く松蔭の思想が受け継がれた松下村塾。教室だった部屋を覗くと、ここの門下生らの写真が飾ってある。歴史上有名な人ばかりだった。藩校明倫館と違って、身分の隔てなく塾生を受け入れたらしい。

27歳の松蔭がこの小さな建物で教えを説いたのは実質2年半だと説明書きにある。その短い期間に、明治維新前後に活躍する人をたくさん輩出したとは驚きである。
その一室に松蔭が幽囚された部屋が公開されていた。松蔭25歳のときペリー軍艦に密航したことがバレて囚われの身になったが、のち国に返され幽囚生活を送りながら松下村塾で志士たちの育成をしたそうだ。こういう背景があったことを初めて知る。
今日の音づれ何ときくらん・・・の安政の大獄で松蔭は命を落とす。30歳。久坂玄瑞や高杉晋作なども明治維新を前に若くして命を落とした。生き残った木戸孝允、伊藤博文、山県有朋らは、松蔭の思想を受け継ぎ明治維新を成し遂げた。
松蔭の功績に手を合わす。隣に門下生の神社もあった。30歳前後の道半ばで死んでいった志士たちを思って手を合わせた。
長州藩の久坂と土佐藩の竜馬が熱く語り合ったとも言われているこの地に立ち、日本人として想像以上にワクワクした。何十年も前に学校で習ったことを自分の目で確かめられる大人の社会見学は、また違った発見がたくさんあって勉強になった。
まだまだ見学したかったが、そうゆっくりも出来ないので松蔭神社を後にして、浜崎地区へ移動した。
P.S.家に帰ってからネットでよく調べたら松蔭神社内にある宝物殿「至誠館」は、是非寄りたかったところだとわかる。あぁぁ~もう行く機会はないだけに惜しいことした。


































