2013カタクリ(愛知県犬山市・鳩吹山)

今年初の山となった鳩吹山の記録です。
鳩吹山は愛知県犬山市と岐阜県可児市にまたがっており、今回は可児市側から夫と入山しました。

 

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  このマンホールの蓋の花は何でしょう?調べると可児市の花はサツキとバラとなっていたので、これはサツキですね、どう見ても。
 
 
この時期
鳩吹山の目的はカタクリです。

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斜面を這い上がるカタクリの群落です。圧巻です。

 
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足を踏み入れないようにロープが張られています。 ロープから頭と手を乗り出して写真撮影。地面に這いつくばらないとカタクリの表情はみられません。
 

 
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今年1月に亡くなった友達
と来て以来の桜に、偲ぶ思いです。
(↑
このブログの最後に「点滴が外れたら、鳩吹山でも各務ヶ原でも案内する約束しました」とあります。それはもう叶わないものになってしまいました)

 

この氷場から鳩吹山に上がります。山に入るのは 4ヶ月ぶりなのでわくわくです。

 

20分ほど上がると

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木曽川を上から眺められるところに出ます
。まだ20分しか歩いていないのに、ここで景色を眺めながら一服しました。

稜線に上がってから西へ進路をとりました。たった標高300mしかない山ですが稜線歩きは登山の醍醐味です。

 

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左)葉が1枚しかないスミレ。たった1枚の葉っぱで光合成しているのは健気です。

右)チャートとよばれる岩石鳩吹山には多く見られます。縦だったり横だったり隆起したチャートの上を歩きます。

 

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左)ヒカゲツツジ 日陰というのに日当たりの良いところで咲いてました。キバナシャクナゲのようですね。

右)ミツバツツジが盛んに咲いていました。この時季ならではです。

 

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第5展望台からの眺めです。この日は風もなくここでのんびりしました。対岸には採石場三菱パジェロ工場が見えます。

 

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ショウジョウバカマの群生地で花を愛でました。ここに下降するとき満開の花をつけたコブシの大木を下に3本見つけました。降りてみるとそこへは進入禁止になっていま残念に思いましたが樹林帯の中からは全容は見ることは不可能だと思います。
 

 

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新しい案内板が設置してありました。今回気づいたことですが、この道は行けませんという案内板が多かったです。今回歩いた道は緑のコースです。

 

 

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アップダウンを繰り返し大天神休憩舎についたのは3時回った頃休憩舎の脇に桜が綺麗に咲いていました。

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左)ヒサカキの花。葉の裏に綺麗に咲いていました。

右)ツツジ科の木でしょうか。新芽の色が綺麗です。今の時期ならではの色です。

 

 

この先、小天神まで行き、カタクリ群生地に降りました。

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途中にもヒカゲツツジがたくさん花を咲かせていました。ここは本当に日陰です。

 

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来年までもう見られない景色ですから、もう一度カタクリの群生地へ。

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一生懸命咲くカタクリたち
でした。

 

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帰り道、いつも目にしていた材木市場です。この間テレビで岐阜ひのき』を紹介したのはここだったので撮影してみました。ひのきは木曽が有名ですが岐阜ひのきというものがあるのですね。

 

夫の提案で去年もこの時期に行った曼荼羅寺寄りました。 

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しかし道が混んでいたので到着したのは5:40と遅くなりました。
後醍醐天皇御創建地とあります。由緒あるお寺なんですね。藤が有名なお寺です。

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朝は希望に起き / 昼は努力に活き / 夜は感謝に眠る

こういう毎日を過ごしたいものです。

 

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塔頭のひとつのモクレンは今年も綺麗に咲いていました。その前にある丸く刈られたサツキのようなはコデマリです。コデマリはだいたいぼうぼうに伸ばしっぱなしですが、ここのは丸く刈られ面白いなと思います。

 

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境内はもう誰もおらず10分ほどで退散しました。

 

 

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この日の夕飯は天ぷらを食べて来ました。他に山菜と生姜の天ぷらを頼みましたが、この時期のものはどれも美味しかったです。

楽しい一日でした。

 

たけのこ

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たけのこが送られてきました。大きい方は35センチもありました。今年初なので楽しみ。

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お米を精米した糠を使って下茹で。どうやって食べようかしら?

この旅の目的は? その8 最終回

今回のタイトルで、ずいぶん延ばしましたが、いよいよ最終回です。ヤレヤレという声が聞こえてくるような・・・・[E:coldsweats01] 最終回の横浜観光にお付き合い下さい。
 
 
 
 
 
ホテルで朝食後、山下公園へ。時は
2月24日。折しも大寒波到来で寒い日だった。
 
 
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『赤いくつはいてた女の子の像』のまわりのフェンスは何のためでしょう。どの角度から撮影してもグリーンが邪魔。山下公園の景観も台無しで、この日に来たことを残念に思う。

[E:note]異人さんに連れられて行っちゃった・・・は子供の頃は衝撃的な歌詞だったけれど、連れられて行ったのはこの女の子なの?・・・調べてみると幸薄いお話に涙[E:weep]
 

 

Cimg2437 ランニングする人や犬の散歩する地元と思しき人と行き交いながら赤レンガ倉庫へ。 
 
 
Cimg2436img_4514 雲ひとつない青空
横浜のイメージアップとな 
 

 
 
  
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氷川丸と港を繋ぐにカモメが面白いほど規則正しく並んでいた。しばらく行動観察していると、どうも観光客に餌をもらうための待機場にしているようだ。

 

[E:note]カモメの水兵さん[E:note]ならんだ水兵さん[E:note]白い帽子白いシャツ白い服[E:note]波にチャップチャップ浮かんでる

[E:book]昭和8年の秋、横浜港のメリケン波止場に叔父を見送りに来ていた童謡詩人で童話作家の武内俊子は、桟橋に飛び群れていたカモメを見て強い印象を受けました。彼女は後にこの印象を元に童謡『かもめの水兵さん』の詞を書き、河村光陽がこれに曲を付けました。
 
 

ここの光景歌っていたとは今まで知らなかった。

子どものころは [E:note]波にチャップチャップ浮かんでる」が好きだったけれど、今では向かい風のなか足を踏ん張って鎖に止まる [E:note]ならんだ水兵さんほうが  おもしろく感じる。上手い歌詞だと改めて思った  

 

  

 

 

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お決まりの「高い所から景色を眺めたい!」でマリンタワーに上がる。
山下公園や昨日千葉に渡った橋を一望し、しばし
満足に浸る

 

Cimg2459 お土産に赤いくつチョコレート(左)と横浜ガラス製という赤いくつの携帯ストラップ(右)を記念に買う。

 

 

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中華街は日曜日と
あって観光客でいっぱいだった。 関羽ファンではないけれど関帝参拝する。 近くのお店に入ってランチ。料理が出てくるのが早いことに驚き 

Cimg2450 道まで商品を並べ商魂たくましい中華街名物の食材屋さん

 

 

 

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元町に立寄り、 その後、夫の希望で港の見える丘に出る

 

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大佛次郎記念館にも寄りたかったけれど帰る時間が迫っていたので諦め
る。元町で時間を費やしすぎたことを悔やんだ。 

 

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港の見える丘から千葉方面を見る。望遠で3本の建物をとらえた。それは昨日、日本寺から見た富津岬(千葉)だった。

 

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木の茂みからマリンタワーを見ながら、マラソンをする人や犬の散歩をする人に混じって丘を下る。

 

Cimg2454 どうしてこういうマンホールになったんだろう?コンクリートが流された下には柄があったのだろうか?

 

ホテルに戻り荷物を受取り、横浜スタジアムの公園を通って、関内駅から新横浜に出て、20:14名古屋駅に着いた。20:30頃自宅に戻りヤレヤレ。息子の用事は二の次で目一杯遊んだ旅だった。

 

 

長々とダラダラと書きました。これでお終いです。 

次回はカタクリを見に行ったことを書きます。

 

この旅の目的は? その7

しつこくも、その7に突入。やり始めたことは、最後までするのが私流、です[E:happy01] 

 

 

『地獄のぞき岩』から少し下ると、右手に『百尺観音』の案内板が。せっかくだから見ておこうと、人工的に削られたであろう壁に沿って、わずかに雪が残る ひんやりとした石畳の道を歩いて行くと・・・・

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前方に頭をつき出した『地獄のぞき岩』が見えた。 この先はあそこから見た地底だとわかる。何を期待するでもなく突き当たりの広場に出ると・・・・ 

 

Cimg2400 上からでは見えなかった百観音がいきなり目に飛び込んできた。こういう形で存在しているのには驚きだった 

[E:memo]ガイドブックによると、昭和41年に6ヶ月の歳月を費やして石切場跡の岩肌に刻み込まれた大観音石像。発願の趣旨は、一つには世界戦争戦死病疫殉職者供養のため、また一つには、近年増加する東京湾周辺の航海、航空、陸上交通犠牲者の供養のためとある。

 

石仏を見上げると、今歩いてきたあろう50mほど上の道からつららが伸びている。ここの寒さを物語ってい  

百尺というスケールに感覚が麻痺したのか 、地球規模で言 胎内にいるような錯覚覚える たとえ人工的に削られた跡地であっても、これだけ深く岩の中に入り込めることは不思議な感覚だった    

 


 

 

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行く手は東京湾に強い光の筋を落と太陽が間近に。  

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振り返ると、その光は山肌
オレンジ色に染めていた。


 

筑波、秩父、富士、大島など十州が見渡せるという『十州一覧台』。今日は生憎そこまで見渡せなかったけれど、日本寺のスケールに感服するものだった。

 

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ロープウェイで上がった人用の展望台に上がると

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そこは東京湾に一番近い景色だった。足元は東京湾フェリーの金谷港。いつの日かこのフェリーで東京湾を横断しがら鋸山を望むのも一興だ。 

 


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南に目をやれば、湾曲するふたつの海岸線美しく、そこで暮らす数々の営みが一望できた。立ち去るのが残念なほどこころ落ち着く景色だった。


 

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 山のほとんどが境内なので岩をくぐり抜ける参道もある。

弘法大師もここ日本寺に訪れたようで、『弘法大師護摩窟』なるものがあった。空海が好みそうな山だと再認識する。とにかく想像以上の寺だった。 

 

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スイセンが咲き乱れる大仏前参道を下るとき、図鑑に載せたいぐらい綺麗な『ふきのとう』と目線があった。天ぷらにいい頃合いだ蕗味噌もいいな。気づけば空腹だった。花より団子で思わず笑った。

 

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大黒堂の窓に映り込む梅に別れを告げ日本寺を後にした。

 

この後、二男が住む君津に戻り、結婚を承諾してくださった相手の両親に初めて会った。こんな大事なことの前に、呑気に観光する親は私ぐらいかも知れない。このブログのタイトル通り、千葉に来た目的を勘違いしていると、のちに反省した次第。

夕食を共にしたあと、アクアラインを通って横浜の宿に戻ったのは11時を少し回っていた。今回は東京湾をいたからか、息子が今まで以上に遠くに感じた。嬉しいような寂しいような、この晩は複雑な心境でなかなか寝付けなかった。

美しきかな しだれ梅

東京は桜が満開らしいですが、当地名古屋のソメイヨシノはまだ2~3分咲きってところです。この寒さでは桜も停滞といったところでしょう。それにしても今日結構寒い日でした。


先日また鼻水タラリ
ン、ハクションという症状が。とうとう私も花粉症デビューか!と思いきや、咳き込むので風邪という お医者さんの診断。そして鼻アレルギーとも。花粉症との違いは何でしょう? どちらにしてもこの気温の変化についていけない体では情けないです。

 

今回は3/10に見に行ったしだれ梅です。のんびりしていたら桜が咲きだしたので、焦ってアップです 。

 



名古屋市農業センター12品種約700本のしだれ梅が咲き競う」というニュースを見たので
 

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ばあちゃん、とおちゃん、かあちゃん3人で行って来ました[E:car][E:dash]

折しも名古屋ウィメンズマラソン開催日だったので、交通規制を強いられ到着までイライラしましたが、しだれ梅が見え出すと途端にウキウキ笑顔になりました。

 

 

農業センターというだけあって

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ニワトリ・牛・羊・豚などが飼育されており、子ども連れが多かったです。

菜の花畑に入ることもでき、なかなかいい所(入場無料)です。

 

 

本題のしだれ梅は、しなやか枝が妖艶と いうかご覧のとおり見事です  

 
 

 

 

 しだれ梅の名所は他にもあるでしょうが、我家から1時間ほどで、しかも無料でこれだけ楽しめるのなら、私はここで充分です。

 


 囲いがない所では、木の中に潜り込んでは梅と戯れたりもしました

 

 

午前中は穏やかな日だったのに、午後になると風が出て急に寒くなるという油断ならない日でした。

 

ところで名古屋ウィメンズマラソンは誰が優勝したのでしょうか?同級生がアマチュアで活躍してた頃は沿道で旗を振って応援したけれど、最近は遠ざかってます。

 

 

この旅の目的は? その6

大仏広場にある売店横からその長い階段は始まった。

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階段(2639段)だらけの境内は四国71番札所の弥谷寺のようだった。 軽快に登っていたら 極寒のというのに 汗ば。汗をかかないくらいの ゆっくりペースにシフトダウンする。 

 

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どこからともなく現れた若いカップルと前後しながら登った。この彼女、「うぅぅはぁ~はぁ~はぁ~」とまるでお産の時のようなうめき声(夫の弁)を発するので この階段が余程しんどいのだと思った。

 

しかしそれは体育会系によくあるヤケクソな掛け声だとわかる。いたわりながら注意るのは君だろ !と片割れの彼氏を見ると、辟易しているのか本物のヘタレなのかわざと少し離れて登ってくるようにも見える。

 

こちらが立ち止まると止まり、振り切ろうとペースを上げると面白いぐらい食いついてくる豪傑な女子絶叫とも言える声 エンドレスだった。   

 

オッサン女子とヘタレ男子の図が強烈だったので日本一長い階段を持つ境内がどんなんだったかまったく思い出せない。

 


Cimg2388img_4486展望台から東京湾を見下ろす。   

 

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ワンダホー!ビューティホー!
ここは
上総(かずさ)と安房の国境らしい富士山は見えなかったけれど太平洋を一望する景色は満足なり。

 

眼下の集落は、東京湾を横断するフェリー乗り場の 金谷港 

 

また来ることがあるなら、船で千葉に上陸してみたい。 

 

 

この鋸山は昭和57年まで石切場だったそうでその名残が各所で見られる。

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そのひとつがこの『地獄のぞき岩』 垂直に切り立った岩に立って下をのぞくと・・・・

 

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一体全体どうなっているかわからいほど深く削られていた。

 

このあと、この下に降りたら、あっと驚くタメゴロ~(古っ)だった。

続きはまた次回
 

この旅の目的は? その5

この意味深なタイトルがダラダラと続くので、せっかちな愛読者から「目的は何なの?」と質問されましたが、その答えを知っている人も知らない人も、まぁ~のんびりお付き合い下さい。[E:bleah] [E:happy01] [E:smile] 

 
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さて、野島崎灯台を後にして房総半島を左回りに房総フラワーライン』を走る。 どこまでも続く菜の花の黄色が目に鮮やか穏やかな春の日だった。 左手には雄大な 太平洋。 こころ癒されるドライブ[E:car][E:dash]となる

 

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道なりに走ると次第に車は北上する。 東京湾を左に見ながら次なる目的地の「乾坤山・日本」を目指す。国名を冠する寺だけに 、きっと由緒あるに違いないと事前に調べてみると・・・・

 

今から約1300年前、聖武天皇の勅詔と、光明皇后のお言葉を受けた行基菩薩によって神亀2年(725年)6月8日に開山されました。

 

夏目漱石が「木屑録ぼくせつろく」に、日本寺を訪れた際の様子を記しており、漱石と交流のあった正岡子規は後日、漱石とは逆ルートで鋸山を訪れ、この旅を「かくれみの」で著している

 

鋸山(のこぎりやま)の南側斜面10万坪余りを境内としており、豊かな自然の中を散策できる

 

 

以上の日本寺のホームページを見て 私は行く気満々になったというわけ 
 
 

富浦ICから館山自動車道戻るかたちで北上し、鋸南きょなん保田ICで降りる。そして  日本寺の案内板に従って走り無料駐車場に車を止め。(他にロープウェイや有料道路で上がる方法、さらに登山道もあり)

 

 
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拝観料600円。日本寺の境内に上がると梅見頃でスイセンも品よく咲いてい。よくお手入れされたお庭を眺めながら気分よく 階段を登ると、誰かに呼ばれたような感じが。ふと右手に目を向けると・・・・・

 

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広場の奥にそれはそれは大きな大仏が鎮座していた。 

総高31m・座高21m。奈良東大寺の大仏の像高が16mというから、この大仏がいかに大きいかがわかる。(先に行った野島崎灯台の高さとほぼ同じ高さ)

 

吸いこまれるように大仏に寄ると手に薬壺を持っておられた。 薬師如来だ。 正式には薬師瑠璃光如来というらしが、ふと岩手の友達の娘さんが数日前に33歳の若さで 脳梗塞を患い緊急入院しことを思い出す。

  おんころころ せんだりまとうぎそわか」、なぜかのご真言が思い浮かんだので私はとりあえず唱えたそして 「病気平癒をお祈りしたから安心して」と大仏の画像を添付したメール岩手に送った。後日談:その娘さんは処置が早くて大事に至らなかったとか。あのご真言でもご利益があったようだ。

 

 

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天明3年に大仏が完成し、江戸時代末期ころから荒廃にまかされたままで 昭和44年に現在のお姿に再現されたと書かれている。

 

おさらいしてみると、
 2年( 725年)行基が入山
天明 3年(
1783年)に大仏が完成
江戸末期
頃から荒廃の一途 (江戸時代1586~1911年)
昭和44年(1969年)に大仏再現

 

さらに調べてみると、大仏完成して100年後の明治22年(1889年)に漱石23歳は日本寺を訪れそのときの様子を漢文紀行木屑録残している。名刹寺が 荒廃していることを嘆き悲しむ気持ち(3枚目の写真)が読むほどに伝わる の漢文紀行を読んで感動した 子規は、その後日本寺を訪ねたという話はうなずける。
 

勅願寺と言えども廃仏毀釈から免れることはできなかったであろうし 第二次世界大戦では、ここ鋸山(のこぎりやま)を要塞にしたというのだから、漱石や子規たちが見た荒廃は さらに進んだはず。 なのに平和な今日があるのは、この大仏姿をした薬師瑠璃如来多くの人祈りが届いたからかもしれないなんて思う 

 

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鎌倉のような大仏ではなく 、ここのものは岩山から掘り出された磨崖仏だった。  高校の修学旅行で国東半島(大分県)の臼杵石仏磨崖仏)を見学したけれど、 こういう一見独立しているように見える磨崖仏を見るのは初めてである。

 しかし 昭和44年に再現され立派になったとしても、当時これを掘り出したことを考えると本当に凄いなと感心しきりの私だった。

 

てこの先は、鋸山の山頂まで日本最高という2639段もの階段を登ります[E:run] [E:run] 

それはまた次回。

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この旅の目的は? その4

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ここは房総半島最南端にある八角形をした
白亜の野島崎灯台。「日本の灯台50選 」に選ばれており、国の登録有形文化財 にも登録されているそうな。確かにその姿は美し

 

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房総半島にはたくさんの灯台があるけれど、中に入ってあがれるのは、ここと銚子にある犬吠埼灯台だけらしい。

高い所から地形見ることが好きな私は、この灯台はうってつけで入場料200円払ってあがる  

 

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入口の案内には地上から灯火まで26mとある。と言うことは標高差26m?螺旋階段をぐるぐるぐるぐる・・・・最後は 直登に近い階段三点確保で登ると展望台に出た。 眼下に広がる景色は 想像以上 ワンダホー!ビューティホー!小躍りしたくなるような興奮を覚える。残念ながら富士山は見えなかったけれど充分満足。ちなみに水面からは38mらしい。

 

Cimg2366冷たかった。晴天なら大島も望めるらしいが今日は霞んでいる。太平洋はるかに浮かぶ大型船をぼんやり眺めているとゆったりした気分にな

 

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灯台から降りて、遊歩道を通ってさらに最南端に向かう。

 

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房総半島最南端は岩がゴツゴツしたところで、小高い場所にベンチと「絶景 朝日と夕陽が見える岬」という道標のような案内板があった。

太平洋を肌で感じるのは、ひたすら歩いた四国高知以来である。この心の琴線に触れる心地よさ  、私が知っている山のそれと似ていて幸せを感じるものだった。    

 

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初めての野島埼灯台は、こんなふうに楽しいものだった。

 

                                        つづく

 

2013桃の節句

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今年の桃の節句は日曜日なので、初節句のお祝いにはいいでしょうね。

 

今年も母が飾ってくれたけれど、ぼんぼりをまた忘れてました。

 

80歳になっても、子(私たち姉妹)の為に飾ってくれる母の気持ちは嬉しいものです。

 

お雛様のお膳は立派ですが、私たちは例年通り、出前のお寿司とはまぐりのお汁。夫と母と私の三人で桃の節句を今年も祝いました。

この旅の目的は? その3

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 千葉県のほぼ中央辺り位置する木更津に上陸し、そのまま 房総半島の館山自動車道をどんどん南下する南国の雰囲気となってくる。菜の花の黄色が単調な道のアクセントとなって目を楽しませてくれ

 

Chiba500

 

リサーチしておいた相浜地区にある小さなお寿司屋さんに入って地魚寿司を注文。ネタ大きすぎず小さすぎず、シャリも程よく私好みだった。サザエやさんが焼きも頼んでぺろりと平らげた。

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お腹を満たし、次の目的地へ。

Cimg2360 土産屋や食堂がいっぱいある観光客が多く訪れる場所です 

                           
 

                                        つづく