8/12(火)の晩に、山から無事帰りました。
追々山行記をアップします。
じっとしていても、タラタラ汗が流れる我が家の暑さにボヤいていたら、さらに上を行く四国四万十市の気温41度[E:coldsweats02]というニュースにびっくり。名古屋はまだマシなのかと思わされます。現実(猛暑)というものは厳しいです。
このお盆休暇を利用して歩いているお遍路さん大丈夫?と心配する私です。
8/12(火)の晩に、山から無事帰りました。
追々山行記をアップします。
じっとしていても、タラタラ汗が流れる我が家の暑さにボヤいていたら、さらに上を行く四国四万十市の気温41度[E:coldsweats02]というニュースにびっくり。名古屋はまだマシなのかと思わされます。現実(猛暑)というものは厳しいです。
このお盆休暇を利用して歩いているお遍路さん大丈夫?と心配する私です。

山の天気がようやく安定したので 北アルプスに来てます。
稜線に上がるまでは汗ダクダクでしたが稜線上は快適です。
添付写真は左から前・奥・北穂高
当地名古屋は、身体が溶けそうなぐらいの連日の猛暑[E:sun][E:sun][E:sun]
今年の梅雨明けは早かった。よ~し!と気合をいれたのに、海の日の連休は戻り梅雨とやらで山には行けなかった[E:bearing]
そもそも、貴重な7月の連休が今年は13~15日とは少し早すぎる。私が行きたい山はまだ残雪多く、ゆえに咲く花も少ない。それでもお天気だったら出かけたんだけど、雨では諦めるしかなく、しょぼくれた。
今年の海の日があと数日後だったらと、いまだに未練がましく思っている。
戻り梅雨の影響で、ずっと不安定な天候だった北アルプス。明日やっと快晴のよう。
行きたくて仕方がないのに、何故か今晩から出かける気力が湧かない。以前のような『いつでもGO!』が失せて、・・・・・となってしまった。海の日の悪天候で予定が狂い、私の中の何かが山行きをストップさせている。
ふと以前の記録を見てみた。このころは、待て!ができないバカ犬のごとく、じっとしてられなかった。相手がいなくてもひとりで出かけるぐらい元気だった。
今年はコバイケイソウの当たり年らしい。
行くなら今でしょ!
暑中~[E:note]お見舞い[E:note]申し上げます[E:note](キャンディーズ風に)
東海地方も梅雨明けし、猛烈な暑さの毎日です。
゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。
1ヶ月前のまだ涼しかった頃、歩いて10分足らずにある名古屋城へ行って来ました。

名古屋城本丸御殿の復元工事が一部完成し公開されたのです。
名古屋城は昭和20年に空襲で焼失しましたが、文献や実測図・古写真・障壁画などは焼失を免れたそうです。名古屋市は2009年(平成21年)1月から復元工事に着手。1期工事の『玄関・表書院等』が完成し、お披露目となったので、私が住む町内主催の見学ツアーに行って来たというわけです。
(上の写真:手前の屋根が車寄せで奥の屋根が玄関。左側シートがかかっている所は2期工事中で、完成は平成30年の予定)

今回は本丸復元見学と名古屋城天守閣北側にあるお茶席(猿面茶席)を借りてお茶会をするという豪華な内容です。まずはお茶席見学からです。
ここは一般公開されておらず、いつも竹垣でさりげなく閉めきってあるので、私にはずっと縁がなかった領域でした。一般公開(お茶会)のときは、何百人もの人が押し寄せ、ゆっくりお点前拝見もできないほどと聞きます。今回は30人弱なので贅沢この上なしです。
町内には、茶道の師範が裏・表・松尾と3人おられ、今回は混合の堅苦しさを抜いたお茶会です。裏千家しか知らない私は興味津々でした。幸運にも水屋仕事の手伝いを頼まれ、身の程知らずというか図々しい性格が功を奏し、裏方の貴重な体験を獲得したのであります。
それぞれのお道具やお点前拝見、お話などは楽しく、私のようにただ単純に茶の世界を味わいたいものにとっては楽しいひとときでした。

書院から見る猿面茶席の水屋
[E:book]猿面茶席
名古屋城築城の際、古田織部(信長、秀吉に仕え軍功をあらわし、山城国西岡城主となる。織部焼創始者であるとともに、利休に学んだ茶をもって、家康の長子秀忠の茶道師範に就くなど、茶道の大宗匠)の指図により、清洲城の古材により建築したもの。信長が清洲在城の折、この柱の節目が「猿の顔」に見えたため、秀吉に「汝の面の如し」といって戯れたといわれ、以来この名がつきました(戦災焼失、昭和24年再建、1949年)。
猿面茶席のほか、又隠茶席、織部堂(上記写真)があります。一般の観光客がいないので静かな雰囲気が心癒してくれます。

潜戸から始まる書院前の寄石は47個あるそうで、名古屋城築城に集められたものの石垣に使われなかったものを利用しているそうです。

千成瓢箪でしょうか、様々な『刻印』は見るものを楽しませてくれます。
書院の縁側にすわる母。
このあとボランティアから名古屋城の案内をしてもらいました。小さい頃から何回と通ったのに知らないことだらけです。

なかでもこれ『南蛮たたき鉄砲挾間』は興味津津でした。 名古屋城にもあったんですね。NHK大河ドラマ『八重の桜』のハンサムウーマンのように「かまえ!ねらえ!うて!」とやってみたくてもワンピースを着てたので残念ながらできませんでした。

それと、秘密の出入口『埋門(ウズミモン)』の説明も興味深いものでした。
一つ残念だったことは、空堀に何頭も放し飼いにされていた鹿が今では2頭になってしまったことです。
外堀石垣修復の残骸(貴重なものです)が、鹿の住処だった空堀に保管と言う名目(としか思えない)で投げ込まれている場面を見て、草を喰むなどの生活スペースを奪われた鹿はストレスで次々死んでいったのだと思いました。工事の騒音も相当なストレスだったでしょう。
また残骸石垣を大事にするあまりシートを被せたので見栄えの悪さもそうですが、水がたまり、外堀の亀が上陸し住みつくありさまだそうです。亀は外堀に戻れない状況とも聞きました。亀や鹿には迷惑な復元工事だったのです。
最後に本丸御殿を観光客に混ざって見学しました。

これが、『玄関一之間』。18畳です。目がくらむほどのきらびやかな襖絵には勇猛な虎や豹が描かれていますがこれはレプリカです。復元された本物は前日まで別のところでガラスケース越しに展示されていたそうです。
もっと見たい方はこちらから(名古屋城本丸復元)
名古屋城なんていつでも行ける・・・とずいぶん行っていなかったので、今回はいい機会でした。灯台下暗しで知らないことだらけなので、機会を作ってまた足を運びたいと思いました。
カツラ門からは、ときどき残雪歩きとなります。

咲いたばかりの『キヌガサソウ』(ユリ科)。今年も会えたね、と友達との再会を喜ぶような感じです。 雪解けを待って咲いた花は本当に綺麗なのです。
名前の由来は、傘状に広がる葉が、その昔、貴婦人が用いた衣笠のようだったから。緑の葉の直径は30㎝程、白花は直径10㎝程です。
淡い紫の『キクザキイチゲ』(高さ10㎝程)も見つけました。近辺にもパラパラと数輪あって感動です。私がこの時期行く山で、これほど見られたのは初めてというほど珍しい花です。キンポウゲ科で絶滅危惧種。


沢の脇に咲く『リュウキンカ』 草丈15㎝くらい。花言葉は『必ず来る幸福』。

『タケシマラン』(ユリ科)草丈20㎝ほど。上からでは花が見えないので這いつくばって花の表情を撮影したのですが、私のデジカメではこの1㎝ほどの花の撮影はちょっと無理があります。もう少しはっきり見たいところですが、これでも影像を大きくして、なるほど~と観察できます。秋には赤い実がぶら下がります。
初めて見る『ムラサキヤシオ』ツツジ科 アカヤシオやシロヤシオは鈴鹿でも見かけますが、ムラサキヤシオは日本海岸側に分布するので、今回ようやく見られたというわけです。

籾糠山1744m登頂。駐車場から休憩含めて3時間半(コースタイム3時間)
頂上からの展望は私にとってはこの上ないものでした。北は剱岳から焼岳、乗鞍岳、御嶽、多分ですが中央アルプス連邦まで目に出来ました。
剱岳から焼岳まで歩いた稜線を目で追う作業は楽しいものでしたが、同時にあの山に飲み込まれた(死に追いこまれる)人のことなどが頭に浮かび、複雑な気持ちでした。
特に、遠くからでも一目瞭然の白出沢は、今年のGW、あと数十mで小屋という直下で落石により亡くなった方(面識はありません)を見る思いで痛々しさを感じるものでした。実はこの方の詳細なる事故報告書(HP)を読んでから、自然がすることの怖さをつくづく感じるです。
私は無雪期に白出沢を下山に使ったのですが、今思えばあそこはいつ落石があってもおかしくない場所でした。しかし、私を含めほとんどの人が無事に通過していることを考えると、落石や遭難などで命を落とす人は、自然や神が相手だけに、そういう運命だったとしか言いようがありません。
今夏、縦走予定の岳沢~天狗のコル~天狗岳~間ノ岳~赤石岳~西穂高岳の無事通過を籾糠山から祈る思いで見つめました。

下山開始して間もなく白山が望めました。白山も自然豊かな山です。
帰りは、木原探勝路コースをとりました。

木原湿原の『モウセンゴケ』 食虫植物と言われています。アブがたくさん飛んでいたのでそれを餌にしているのでしょうか。そういえば私、右耳をアブに食われタマラナイ痒さにしばらく悩まされました。

白い花をつける『タムシバ』 爽やかな新緑の中をどんどん降っていきます。

途中の仮設トイレ利用しました。テント内に携帯トイレが設置してあり、使用後、自分のザックに入れて持ち帰るのです。下山後400円で回収してくれるシステムでした。北海道の山にも、こんなのありましたが無料で回収してくれました。もう何年も前の話ですので今は有料かもしれません。

左)『サンカヨウ』 草丈50㎝くらい。秋に濃い青紫色で白い粉を帯びた実をつける
右)『チャルメラソウ』ユキノシタ科。屋台のラーメン屋さんが吹くチャルメラに似ている?1㎝くらいの花。


左)白の『キクザキイチゲ』 淡い紫に続き貴重な出会いでした。
右)これでもかというくらい大株の『ツバメオモト』

左)『オオカメノキ』(別名ムシカリ)夏に赤い実を付け、秋には黒くなる。
右)開花前の『コバイケイソウ』 群生するのは数年に一度と言われ、ここ数年、私は見かけていない。そろそろ今年ぐらい出会えるかも?

左)単調なブナ林を降る。
右)『ウワミズザクラ』(高木) ブラシのように長い花穂が特徴。
PM1:45駐車場に戻る。そういえばこの山は入山料が500円必要でしたが、これだけのお花が見られたので、ケチな私でも惜しくなかったです。
出発(駐車場) AM6:55
下山(駐車場) PM1:45
行動時間 6時間50分
ピーク(籾糠山) 1718m
登り 598m 2時間
下り 583m 1時間40分
下山後、白川郷に寄って蕎麦を食べて来ました。

世界遺産だけあって、観光バスが次々と到着し、ワンサカ人が降りてきます。我々3人は初白川郷だったので観光客となって見学しました。
今日はE氏の月命日でした。 一緒に山を歩いていたような錯覚が何度かあったのは、きっとあの世から戻ってきていたのだと思います。山を愛し花を愛した彼のための追悼登山はよいものでした。
これでおしまいです。

籾糠山(もみぬかやま)頂上から遠く西に、剱岳~薬師岳~槍~西穂の『日本の屋根(北アルプス)』がほぼ横一列にはっきりと見えました。
あのルートは遭難が後を絶たず、私が無事歩き通せたのは幸運だったほかにないと最近思うのです。
山に入るには、体力や技術や装備以上に謙虚な気持ちが必須です。確率は低いですが、万全体制でもときに自然は命を奪うことがあります。山に限ったことではありませんが、自分ではどうしようもない運というものがこの世にはあるのでしょう。畏敬の念を持って日本の屋根を眺めたのでした。

上の写真のゴール(左端)から見た日本の屋根は赤線(右端)です。
今回の山行は岐阜県北部に位置する籾糠山です。
名古屋から東海北陸道を北に上がり、白川ICで降り、360号線を東に走ると天生峠に着きます。そこからは歩いて籾糠山に入っていきます。自宅をAM4:00に[E:car][E:dash]出て、天生峠までは2時間半強でした。
冬季通行止め(国道360号天生峠について)
飛騨市河合町天生~白川村間の国道360号(通称:天生峠(あもうとうげ))において、平成24年11月14日より冬季通行止めが実施されています。
上記のように、天生峠は一年の半分近くが雪に閉ざされます。今回は6/7の通行止め解除を待ってすぐ出かけました。その時のお花が一番いいと言われているからです。
今回はこの1月に食道癌で亡くなったE氏の追悼登山。メンバーは、E氏の奥さんと我々夫婦の3人。山野草が大好きなE氏だったので、雪解けを待って籾糠山を選んだことは彼も喜んでくれたと思いますし、我々も楽しめるものでした。
標高1290mの駐車場に車を停め、7:00天生湿原に入ります。いきなりサンカヨウが咲き乱れ、我々を迎えてくれました。
E氏の奥さん(Kちゃん)は半年ぶりの山行なので不安といっていましたが、そこは昔取った杵柄。嬉しくてというのか、ザックに忍ばせているE氏の備品に押されてというのか、軽々上がって行きました。

ミツバオウレンが見事に咲き乱れ、その清楚さが我々の心を癒してくれます。

ショウジョウバカマの群生も見事です。まさにここは雪がようやく溶け、春になったばかりでした。

E氏の備品とともに歩くKちゃんの後ろ姿を見ながら、彼が生きていたらこの景色を誰よりも喜んだだろうにと思いました。

サンカヨウ。秋にはブルーベリーのような色の実をたくさん(花の数だけ)つけます。

サンカヨウが咲き乱れる道を縫うようにカラ谷登山道を進みました。

ニリンソウ。普通は左のように白花だけど、緑のニリンソウを発見。何らかの理由で変化したのでしょう。四つ葉のクローバーのように見つけると幸せになれるそうです。

エンレイソウ。ツバメオモトと同じくユリ科。おしべ6、めしべ1までしっかりわかるのは初めてだったのでよく観察しました。これも秋に黒っぽい実がひとつなります。
ザゼンソウ。水芭蕉と同じくサトイモ科。僧侶が坐禅をする姿に似ているということから名付けられたそうです。這いつくばって撮影しました。
8:40カツラ門。足元にはニリンソウが群生してました。このカツラが紅葉したら見事だと思います。秋にも来たくなりました。真ん中の道は根の保護のため今では通行禁止となっていました。
ここまで来ると、ところどころに雪が残りアイゼンまでは必要ないですが気をつけて歩きました。
続きは次回とします。