1122の日

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いい夫婦の日に、二男が結婚しました。

 
 

 
 
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我々夫婦の子どもとして一緒に生活した月日は18年ほど。その後、親元を離れ10数年。振り返ってみると、一緒にいられたのは、ほんの僅かな期間だったわけで、親子とはこういうものかと思った次第です。

 

 
 
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二男が生まれた時の体重3060gのクマさんを我家に連れて帰りました。

 
抱くと複雑な心境になるのは否めません。

親元を離れたこの10年間というもの、私は強がっていただけで、実際は子離れできず寂しかったことをここに書き留めておきます。誠にお恥ずかしい限りです。

 

 

2013 霞沢岳 ④ 日本山岳景観最高の場所

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K1(標高2590m)での景観の良さに長居しすぎた。K2に向かう。右がK2で左奥が霞沢岳。
 

 
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K1からは全容が見えなかったけれど、K2ピーク手前からの焼岳はお見事。2007年の10月に登ったので6年前。6年ってあっという間だね。 
 

 Cimg0372振り返ればK1(2590m)が低く見える。K2の標高は知らないけれど2600オーバーしてるね。 

 
Cimg0374 標識の類がないK2に到着。残すは目の前の霞沢岳。
上高地側に目をやれば、足元は帝国ホテルの赤い屋根。上高地から近いような遠いような霞沢だ。

 

[E:book]参考
徳本峠からの登山道は1984 (昭和59年)に開設され、それ以前は八右衛門沢などからのバリーションルートのみであった。

 

Map
その八右衛門沢の取り付きは、帝国ホテルに近い『八右衛門沢橋』の左岸沿いらしい。八右衛門沢~霞沢 

 


 
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11:30霞沢岳(2646m)着。ここからの穂高ももちろん素晴らしかったけれど、
天空に立っている気持ちになれたK1で感激し尽くしたので、このせまい霞沢岳では感激はなかった。K1より標高が高いのでここが霞沢岳のピークとなったのだろうけれど、私はK1かK2を霞沢のピークと言いたい。そのK1とK2と穂高を一緒に写した。

 

 
広くない頂上の奥まったところで湯を沸かしカップラーメンで腹ごしらえ。
昼食はK1でするべきだったと思いながら麺をすする。
 
 
長居する場所でもないので11:54霞沢岳をあとにする。小屋で一緒だった人とすれ違いながらK1に向かう。
 
 
Cimg0386img_5020 穂高が私を「どうだい?」と誘う。と、いつもの癖で空想している私。身も心も穂高にわしづかみにされ陶酔している図。気がつけば背後に夫。おっと失礼・・・オヤジギャグだ。
 

 
 
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今夏9月に岳沢から登った天狗岳(右)・間ノ岳(左)がカッコイイ。
 
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その天狗岳から撮ったのが、この↑霞沢岳。狙いをつけた山に登るほど楽しいことはない。

 

 

12:45にK1を通過し下山する。K1への登りも大変だったけれど降りもしかり。転がりそうな坂を踏ん張りながら一気に降った。

 

 

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遠くに見えるは常念岳。白く見えるのは雪か砂礫か?前常念岳がこのようにみえたのは初めてのこと。あそこは夫と降ったっけ。楽しかったねぇと話しながら降る。

 

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K1から1時間ほど降ると樹林帯に入る。綺麗に紅葉したムシカリ(別名オオカメノキ)

虫によく食われるので『虫狩』、葉が亀の甲羅のようにも見えるので『大亀の木』と名前がついたそうだ。

それにしても虫に食われた穴が顔のようで見ていて楽しい。まるでハロウィーンのかざりそのもの。

 

 

Cimg0399 最低鞍部で小休止のつもりが、居心地が良くて30分も休んだ。その間、通過する登山者なし。こんないい天気なんだもの、小屋泊の人はゆっくりするさ。我々はまだ先が長い。さぁ~行きますかと渋々腰を上げる。

 

 

最低鞍部(2261m)からJPまで200mほど上がる。まだかまだかとかなり悪態をついた。この時点で8時間半歩いていたから、馬力が出ない。

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ツルリンドウの実。これでもかという登りで、この赤い実にはずいぶん元気づけられた。

 

 

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PM3:00 ホウホウノテイでJP(2428m)着。ここまで遠かった。

アミノバイタルを夫に差し出す。「頓服か」に爆笑。効果があるのかどうか定かで無いけれど、この先1000m近く降るのでコレにすがる。

 

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長居は無用。その頓服を飲んで降り始めた。

 

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JPから30分ほど降ると、明神・前穂それに上高地を捉える。が、上高地までまだまだ2時間はかかるはず。明るいうちに降りたい。

 

PM3:51(2091m)小屋分岐で立ち休憩。上高地から上がってきた登山者3名とすれ違う。「もうそろそろ小屋ですか?」「あと10分もかかりませんよ」

 

 

 

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上高地は少しずつ近づくけれどまだまだ遠い。下り一辺倒は飽きてくる。

 

スタートから10時間経過。さすがに疲れた。ベンチに横になって、手足を上げて少しでも血液を戻す手助けをする。脳に酸素が不足するとロクなことにならない。夫にもやるように言っても、タバコを吸っただけでやらない。

 

さらに歩き出して間もなく、夫が大きくこけた。疲れているときこそ慎重にかつ丁寧に歩かないとこうなる。幸い大したことなく助かったけれど、打ちどころ悪く遭難扱いになっていたらと思うとゾッとした。

私は穂高を見上げ「私のコース選びは欲張りでした。もうしませんから無事に帰してください」そう反省した。一応。 

 

Cimg0407img_5034「真っ暗になる前に上高地に降りれるかなぁ。」

「さぁ~」

「あ~お腹がすいた。なんか食べたい!」

「お前は山ではよく食うな」

飽き飽きするほど降りの連続なんだもの、食べることしか考えられない。

 

ようやく「まっすぐな道でさみしい」まで降りたけれど、これまた長かった。本当にさみしい道だった。

 

Cimg0408PM5:25 真っ暗になる前に明神分岐についた。右から来た背の高い男性について明神館の方へ向かう。

10分ほどで明神館着。もう6時の最終バスは諦め、タクシーの予約をしようと公衆電話(上高地は河童橋奥は携帯圏外)に向かうと、先程の背の高い男性がタクシーを予約していた。同乗を願うと快くOK!、しかしまだひとり女性が歩いてくるのでしばらく待って欲しいと。我々も何かお腹に入れたいのでザックを下ろし休憩した。

 

その女性を待って、バスターミナルに向かう途中でとうとう暗くなった。ヘッドライトを装着し道中話を聞くと、彼らは『本谷~北穂池~涸沢』だったそうな。

私も2008年9月に行っているだけに話に花が咲いた。今回の山行は超ハードだったけれど、最後に北穂池の話で盛り上がれたのはよかった、というのが双方の弁。終わりよければ全て良し・・・まったく懲りない面々だった。

 

PM6:30 4人はタクシーに乗車。「もう、これで歩かなくてもいい」とか「車は速い。文明の利器」とか正直な感想が出る。こうやってだんだんと日常の世界に戻っていった。

 

沢渡Pはそれぞれ違った場所だったので、我々が先にタクシーを降り別れた。PM7:15。

 

駐車場の前の『木漏れ日の湯』に入って夕食。PM8:30頃車に戻って仮眠のつもりでシュラフに入ったら朝方まで寝てしまった。夫は4時頃起きて運転。私はしばらく寝台車移動だった。

 

AM7:00ころ無事自宅に戻る。

今回はハードだったけれど楽しい山行でした。   おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

2013 霞沢岳 ③ 日本山岳景観最高の場所

平成25年10月14日(月・祝日)

Cimg0338 5:30の朝食を済ませ小屋を出ると、安曇野方面から朝日が昇る。
奥に見える稜線は八ヶ岳かな。

今日は体育の日。普段は不健康極まりない生活なのに・・・・今日は朝日を浴び山を歩く。なんとも体育の日にふさわしい健康的な一日の始まりだった。

 

 
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6:20 明神、前穂、奥穂に向かって元気よく「行ってきま~す!」

 

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本日の行程は、徳本峠小屋(標高2140m)から霞沢岳(標高2645m)をピストン。

登り一辺倒の山なら2645-2140=505mなんだけど、霞沢岳はアップダウンの繰り返しで、往路だけでざっと700m強アップ、200m強ダウン。往復のコースタイムは7時間。

私の復路は上高地BTまでだから、さらに+2時間半の9時間半。休憩入れてざっと11~12時間のつもりでいる。怪我さえしなければなんとかなる。

 長野県山岳ガイドHPより拝借 

まずはジャンクションピーク(JP)までの高低差288mにとりかかる。1時間で行きたいけれど、いつも景色に見惚れる私、行けるかな? 
 

 
 
Cimg0340img_4997 明神・前穂が美しい。明神~前穂のコースをこれ見よがしに見せつけている。前穂北尾根の右端に屏風岩も見える。その奥は喜作新道。

 

 

Cimg0344img_5000朝日に照らされダケカンバの黄葉が鮮やか。この時期ならではの山の醍醐味を味わう。

 

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7:35 JPに着。
道標は朽ちてボロボロ(右写真)。木にJPと赤のペイントあり(左写真)。ここで小休止。

 

 

JPから
樹林帯の中を大きく方向を変えながら下降。

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167m降った最低鞍部からは吊尾根が見えるようになる。随分西に移動したことがわかる。

 

さて、ここからがキツイと聞くK1へ。329m上がる。

最低鞍部で追い越された若者たちは、あっという間に消えていった。ヨタヨタ登っていると・・・・・・

Cimg0352(右から)K1・K2・霞沢岳が「カモ~ン!」と私を呼んだ。・・・な訳ないけど、そんな、気持ちを奮い立たせる景色だった。

 

あの稜線に上がれば素晴らしい景色が待っている。天気は上々。いい日に来たものだと一歩ずつ一歩ずつ身体を持ち上げる。

 

頑張ったものだけが見せてもらえる。見たい景色を。その一心でひたすら標高を稼いだ。 

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10:07 K1(2590m)に着。徳本峠小屋から4時間45分。

とうとう見たかった穂高と対峙することができた。愛おしくて両手を広げ抱え込む仕草で酔いしれた。私のコンデジでは上手く撮影できなかったけれど、北アルプスが私を受け入れてくれたので満足。

 

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2007年10月に歩いた西穂小屋から焼岳の稜線は綺麗に紅葉していた。
その奥には笠ヶ岳。これまた上手く撮影できなかったけれど、この景色の中でたくさんの思い出を回想する。北アルプスに通いつめた甲斐があったと思えるひとときだった。

 

下山後、ふと気になり『深田久弥・霞沢岳』でネット検索したら、『日本百名山の深田久弥は後記の中で、当然選ばれるべき山のひとつだったと述懐している』とあった。

やっぱりね。上高地から近いし、この景観だもの、そうでしょう・・・と思った。
でもね、選ばれなくてよかったよ。ここは来たい人だけが来る山なのだと思うよ。そっと穂高を見てそっと帰る、そんな場所のような気がするよ。

 

Cimg0367他の登山者もそれぞれ思いで山を見つめていた。

気がつけば、K1で30分以上も休憩してしまった。目的地はまだこの先なのに。K2・霞沢岳に進む。

                                          つづく

 

2013 霞沢岳 ② 日本山岳景観最高の場所

平成25年10月13日(日)[E:sun]

沢渡駐車場の車中、ぬくぬくのシュラフからエイッと抜け出し、身支度を整えバスを待つ。

 

切符販売のオネエサンに往復を勧められたけれど、明日の下山は最終バスの6時に多分間に合わないから [E:bus]片道切符しか買わなかった。釜トンネルが閉まる7時までには下山できるだろうから、往路はタクシーを使うという計画である。

 

 

 

Cimg0241img_4921 7:30上高地バスターミナル着。穂高がうっすら雪化粧していた。今期初冠雪とか。

今年は10月に入っても名古屋では30℃という暑い日が続いたけれど、穂高稜線はいよいよ冬を迎えた。急激な天候悪化による痛ましい遭難ニュースは、こういう油断する時期が多い容易に人を寄せ付けないオーラの 『うっすら雪化粧の穂高稜線』に畏敬を抱く

 

バスターミナル売店で朝食を仕入れ腹ごしらえしたあと、登山者の流れに乗って歩く。

Cimg0254 1時間ほどで明神着。
前日に雨が降ったので名残の紅葉が色濃く綺麗だった。今年は連休が遅いのか、紅葉が早いのか、ドンピシャに来るのは難しい。

 

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8:55 徳本峠への入り口。

考えてみれば、今年は北アルプスに4回入ったけれど徳沢も横尾も行ってない。今年はそんな山行だった。

 

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上高地から一歩入れば誰もいない静かな道になる。私はこの道を山頭火流に『まっすぐな道でさみしい』と呼んでいる。

初めてこの道を歩いた2000年はひとりで、だった。その4ヶ月前に父を亡くしたときだっただけに、この静寂さのなかで 慟哭した。

あれから13年。思い返せば、私は山やお遍路を通して随分強くなった(気がする)。行くと決めた道は進むしかない、と山やお遍路で学んだ(気がする)。

 

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見上げれば山肌の紅葉が綺麗だ。
ここまで来いと山が呼んでいる・・・という私流の考え方に火がつく。

 

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振り返ると天狗岳・間ノ岳がよく見えるようになる。ああだったこうだったと回想するのに、徳本峠の道は予想通り最高だった。標高を上げるにつれ見え方が変わり、何度も立ち止まっては眺めた。

 

 

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そして、まるで絵のような景色が私を釘づけにした。心の栄養剤、いや頓服だ。

 

Cimg0286 さらに標高を上げていくと、今回のシナリオにはなかったこの景色↑を魅せつけられた。

今夏歩いた常念山脈~喜作新道が見通せるとは・・・まるでオノボリサン(山に登ってるからそうなんだけど)だった。へぇ~たまげた~と魅入る。自分が歩いた道を違う角度から見られるなんて願ってもない展開にウキウキだった。 

 

「ねぇねぇ、穂高が見えるのは知ってたけれど、大天井まで見えるなんてすごいねぇ~」と言っても夫の反応はイマイチ。それでも私は例によって続けた。

「天の神様が特別なものを見せてくれたんだよねぇ。すごいねぇ~」

そういう考え方をしない夫の反応は実にモノタラン! ものでしたが、まぁいつものこと。強引に夫を私の陶酔の世界に引きずりこむ。

 

 

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峠直下の樹々はもう葉を落としていた。ナナカマドは実だけになっている。

あれが霞沢岳K1ピークから派生している六百山かなと見ていると、

「あ~っ!西穂稜線に背伸びをしている笠ヶ岳の頭が見えるぅ!」
それが何だと言わんばかりの夫のテンションの低さを感じつつも、お互い我関せずで自分流を貫く。

 

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11:35 徳本峠小屋(標高2140m)に着く。昨日はテント50張りで足の踏み場がなかったらしい。

小屋の手続きを済ませ、小屋前で湯を沸かしお昼とする。 

Cimg0290img_4984 今にも壊れそうな手前の小屋は大正12年に建ったもので、私は2004年に泊まった。その後、旧小屋を一部取り壊し赤い屋根が2010年に建った。 

 

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これが旧小屋の屋根裏。ぎゅうぎゅう詰のケンカ勃発で寝た記憶。1mほどの段差でたくさん泊まれるように工夫されている。

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旧小屋の1階からは2階の布団が見える。

 

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そしてこれが2010年に建った赤い屋根の小屋内部。段差をつける建て方は新旧似ていて面白い。

 

Cimg0313新しい小屋の屋根裏から見えるのは小嵩沢山(こたけざわやま)。この山を降ると島々のようだ。

 

Cimg0297小屋から歩いて1分の展望台から穂高が一望。

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明神のひょうたん池から東稜~前穂のルートを勝手に想像するにはいい場所だった。極めつけは前穂から吊尾根~奥穂~ジャンダルム~天狗岳~間ノ岳~西穂と体験を重ねあわせての擬似縦走。最高のステージだった。

 

 

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夕飯は想像以上。だって・・・・

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2004年の頃はコレですよ。これを覚悟して行ったので、佃煮やふりかけなど夫のために持参したけど無用だった。

今回のご飯は赤飯だと思ったら五穀米、そして松本から荷歩したという朝取れ野菜の天ぷらにカツなど改善されていた。2010年小屋が新しくなったときに小屋番も変わり良くなったと聞く。その昔といっても1995年の記録を読んだら、本当に?という小屋番だったようだ。ここは関所みたいな位置づけだったからかな?

 

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夕食後、NHK『小さな旅』で放映された『徳本峠~霞沢岳』のビデオを見せてもらう。明かりを消しランプを灯すという最高のもてなしだった。

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ビデオ放映後、外に出てみるとブルブルッと寒い。[E:moon3]月明かりが邪魔して満天の星とまでいかない。月から離れたところにある『W』のカシオペア座は容易に見つけられた。じゃあ北極星はと探すが、どうも木の茂みの中のようだった。

 

8時半就寝。だけどなかなか寝付けない。ゴソゴソしてたら枕元のカメラに気づき・・・・・・

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盗撮した。フラッシュ撮影に一瞬ひやりとしたけれど皆さん熟睡のようでセーフ。赤の他人と枕を並べることもある山小屋の一コマ。これは上等なほう。定員以上は予約を取らない小屋の方針で、ギリギリではあるけれど基本的人権の尊重は守られている。

 

多少のいびきは気になったけれど、大合唱とまで行かなかったので、そのうち眠った。[E:sleepy]

                                        つづく

 

 

 

 

 

 

2013 霞沢岳 ① 日本山岳景観最高の場所

10月連休間近、徳本峠小屋のキャンセルがあったので拾いました・・・中途半端に13日だけですが。仕事の都合上連泊できず、私には難儀であることは承知の上で、以前から気になっていた霞沢岳(かすみざわ)を計画したのです。 

 

果たしてこの霞沢小屋1泊計画、吉とでるか凶とでるか?

 
 

さて、その小屋がある徳本峠は、上高地北アルプスの発祥の地で歴史があります。 

120年前の明治26年(1893)、イギリス人宣教師であり登山家のウォルターウエストン(当時27歳)が、島々から登り徳本峠から見た日本アルプスを世に広めたことから、この峠は有名になりました。『徳本』と書いて『とくごう』と読みます。

 

今では釜トンネルを通るバスで簡単に上高地入りできますが、当時は徳本峠越えしかありません。『日本山岳会』を結成した小島烏水や『日本風景論』を出版した志賀重昂、高村光太郎・智恵子親子、芥川龍之介などが訪れています。

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現在では、日本山岳会信濃支部が毎年6月第1日曜日のウエストン祭に合わせ『島々~徳本峠~上高地』という強行軍を行いウエストンを讃えています 

 

では、いつ頃から上高地入りのバスができたのか気になります。

[E:book]
大正4年(1915)に焼岳が噴火。大正池を利用して水力発電の計画がもちあがる。
大正15年(1926)に釜トンネル(手掘り)を着手。
昭和2年(1927)に完成し、
昭和8年(1933)には乗合バスが大正池まで運行開始。

昭和10年(1935)には河童橋まで運行できるようになる。

 

焼岳噴火後の計画で、まずは大正池までバスが通るようになったのですね。それはウエストンが上高地に入ってから40年後だったこと、そしてその40年の間に先に書いた著名人たちが徳本峠を越えたことなどから、近代登山が急速に広まったようです。そのハシクレが私ということでしょう。

今回霞沢岳山行記を書くにあたって初めて知ったことなどを簡単に記しておきました。

Scn_0002 2000年10月、当時の私に徳本峠の知識がどれほどあったのか覚えてませんが、涸沢紅葉ツアーの帰りの自由行動で、私はこっそり上高地から徳本峠を訪れました。それが上の写真です。限られた時間でのピストンだったので峠についた途端へたり込んだ記憶です。13年前は北アルプスをほとんど知らない私でしたが、峠から見た穂高の大きさにはそれはそれは感動したものです。今でも足しげく北アルプスに通うのは、その時の感動が今なお脳裏に残っているからでしょう。

 

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その後、2004年6月には上高地~徳本峠~島々を山仲間と歩きました。上の写真は岩魚留小屋です。これも白黒にしたかったのですがうまくいきません。

今回調べて知ったことなのですが下記のような文章がありました。

 

[E:book]
絶ちがたく見える、わがこの親しき人、彼れは黄金に波打つ深山の桂の木。(智恵子)

十月一日に一山挙つて島々へ下りた。徳本峠の山ふところを埋めてゐた桂の木の黄葉の立派さは忘れ難い。彼女もよくそれを思ひ出して語つた。(光太郎)

岩魚留小屋の桂の大木
桂の木とは、岩魚留小屋付近の桂の大木のことと思われる。いまでもその姿は変わることなく見ることができる。
1932年の自殺未遂の時、智恵子はその遺書の中に、楽しかった上高地の思い出を書いた。徳本峠小屋HPから抜粋

 

今回3回目の徳本峠も上高地からなので、次回こそは島々からウエストンの足跡をたどり、先に書いた桂の木を見たいものです。紅葉の時期がよさそうに思います。

まだ霞沢山行記にとりかかっていないのに、次回の徳本峠のことを書いているのは変でした。

 

さてさて今回の霞沢山行は、前回9月の前穂山行のとき、沢渡駐車場が満車だったので、12日夕方に名古屋を発ち、沢渡で車中泊としました。

10月12日の深夜12時に沢渡に着きました。谷あいには月明かりはなく満天の星空でした。

                                   つづく

 

 

 

北アルプスの紅葉

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2013年10月7日付け朝刊の一面記事です。どうです!素晴らしいですね。

 

槍沢の紅葉は、3年連続して行ったので今回はやめましたが、コレを見ると行けばよかったという気持ちになります。

2012槍沢紅葉
2011槍沢紅葉 
2010槍沢紅葉

 

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2010年 槍沢の紅葉↑を彷彿とさせます。私の写真は槍を真ん中に入れているけれど、新聞は少し右にずらしている。さすがプロ!
今度行く機会があったら、少しずらしてみよう。

 

 

興味深い記事を見つけたので載せます。 


信濃毎日新聞社によると

[E:book]登山歴は
1年未満が12・9%、
1年以上〜2年未満が16・7%
2年以上〜5年未満を合わせると全体の53・0%を占めた

年齢は多い順に 60代23・2%、
           30代20・0%、
                       40代19・5%
                       50代15・5%
                       20代13・5%

 

 

自分のことを棚に上げてですが、近年、装備不十分な軽装な登山者を見受けます。
登山でいう装備は命を守るものですから、もきちんとしたものを選ばないといけません。当然値段は張りますが、それで命が助かるなら安いものです。(完全装備でも遭難するときもありますが・・・・)

 

さぁ~てと、今度の連休はどこに行こうかな????

 

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                     候補はここ↑

 

2013 11年ぶりの前穂高岳 ③

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2002年(11年前)前穂高岳に初めて登ったとき、頂上から奥又白池を見た。(上の写真)
なのに、今回はどうやっても見えない。そんなことってあるんだねぇ。
ゴロゴロ岩が自然現象で落石したりして、山頂自体が変化しているんでしょうね。こんなふうにね。 

 

 

Cimg0172仕方なく奥又白池を諦めたころ、明神岳が姿を現した。2011年に行ったひょうたん池はどのあたりだろう?とじっと見る。

 

 

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↑2011年ひょうたん池での写真。ガスっていたのでよくわからないけれど、の東稜を行くと前穂高に通じると聞いている。

 

 

Photo
今回前穂から明神を見て、勝手にあのあたりがひょうたん池だろうなと想像する。あゝ行って、こう行って・・・・バリエーションルートだけど個人で、ひょうたん池まで行けそうな気がする。
「今回は無理だけど機会があったら来い」と明神が言っているような気がした。
このアングルは想像してなかったので大収穫だった。

 

 

 

Cimg0172img_4908 山に誘われるまま、少しだけ明神岳領域に入る。とてもいいところなのに誰一人といない。静かだった。 

 

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すると・・・・岩の間から待望の・・・・奥又白池(2470m)が見えた。梓川も新村橋も肉眼で見える。これ↑は望遠撮影。標高差600m

 


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あれは2003年6月のこと・・・・・山仲間と奥又白池に行った↑ことを思い出す。 
池は雪の下だった。ここから前穂東壁を見上げ「これが井上靖の氷壁、ナイロンザイル切断事件の舞台か・・・」と思ったものだ。

 

 

Cimg0180 あれから10年、紅葉の時期にと思っているが機会に恵まれないでいる。

日が当たると、紅葉がいい感じに色づき始めているのがわかる。テントも3張りある。どれだけ静かで、どれだけいいところか、妄想の世界に浸る。
おあずけとなっている奥又白池の紅葉を少しを味わえたことは嬉しかった。

 

一般ルートをはずれた明神岳領域は本当に素晴らしかった。ここを立ち去らなければいけないのは残念で仕方がなかった。

 

 

 

Cimg0181本ルートに戻り、ザックをデポした紀美子平を見ながら前穂高岳を降る。
12:00紀美子平に戻って、湯を沸かしカップラーメンを食べる。

 

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紀美子平の道標。折れかかっている片袖を夫が直している。一時しのぎで直したけれど帰宅後こんな記事を見た。→岳沢小屋HP

 

 

12:30紀美子平出発。

 

 

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1:20ころ、また松本方面からヘリコプターが。一直線にジャンダルムに向かい旋回し始めた。

 

 

 

Cimg0191 どうも
朝の捜索の続きのようだ。ロバの耳の岐阜県側でホバリングしたかと思うと、そのまま谷に数十m沈んでいった。
 

 
                       

Cimg0403 2011年に行ったここ↑だと思う。赤マークが登山道。今回この谷をホバリング下降しているのだと思った。

ここは2009年岐阜県警のヘリが落ちた場所。 
2011年のとき2009年のヘリ残骸がまだあっただけに、私は固唾を呑んで今回のヘリ操縦の無事を祈った。

  

 

上手くピックアップできたのだろうか、ヘリは上昇し最短距離で来た道を戻って行った。命がけの『やまびこ2号』の操縦には頭が下がった。

帰宅後調べたら、どうもコレのよう↓

 

[E:book]北アルプス奥穂高岳で山岳遭難(松本署)

 

 

本日
北アルプス奥穂高岳から西穂高岳へ縦走中の奈良県奈良市居住の男性32歳と大阪府大阪市居住の女性25歳が落石を受けて、腕を骨折する等の怪我をしたと、
他の登山者を通じて救助要請があり、県警ヘリ及び岐阜県警山岳警備隊が出動し、2人を県警ヘリで救助して松本市内の病院に収容しました。

 


 
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                     イワツメクサ
 
 
 

  
どんどん降って岳沢小屋(2170m)に着いたのは2:50。
小屋でコーヒーを注文。ここのコーヒーは本当においしい。疲れた身体がおかわりを欲していた。
 
 
 
3:15 上高地に降り始める。
 
Cimg0193                  大きな傘を広げるシシウド

 

Cimg0194img_4919 途中1回休憩し、岳沢の余韻を味わう。

 

 

 
 
Cimg0195
4:50 上高地に降りる。岳沢の湧水で顔を洗う。冷たくてさっぱりした。

 

 

Cimg01965:15 河童橋から焼岳を見る。
 
 

 

 

5:25 バスに乗って上高地を後にした。
 
 
いつもの日帰り温泉で汗を流し、松本に住む息子と夕飯を食べ名古屋に返る
[E:car][E:dash]

 
 

11年ぶりの前穂高岳は、たくさんの発見があって楽しかった。
往復運転してくれた夫に感謝!

 
これでおしまいです。
  

 

 

2013 11年ぶりの前穂高岳 ②

 

 

 

平成25年9月23日(月)秋分の日[E:sun]

5:15朝食後、身支度を整え岳沢小屋の外に出る。

Cimg0131 南に位置する乗鞍岳のシルエットが綺麗。上高地は雲海の中。

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西穂高独標上空には、まだお月様があった。

 

Cimg0126 今日は前穂高岳をピストン。

 

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標高2170mから3090mまで、標高差920mを登る。
11年前の前穂までの登山道はもうすっかり忘れている。

 

5:45 岳沢小屋スタート。 

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テント場を抜けて標高を稼いでいく。焼岳の頭に朝日があたり出す。

 

Cimg0142_4884 小屋を出発して1時間。焼岳全容が朝日に照らされる。と同時に松本方面から流れこむ雲海と上高地のそれとが合わさり、焼岳を呑み込むのは時間の問題に見えた。 

 

Cimg0138_4880 お月様は、稜線の向こうへと徐々に沈んでいるのに、我々が標高を上げているので、いつまでたっても朝見た位置と変わらない。変な感覚だった。『沈まない月のカラクリ』 これは初めての体験で面白かった。

それにしても、この間歩いた天狗岳~間天のコル~間ノ岳~P1~西穂高岳が手に取るように見える。今回前穂に来たかったのは、コレを見るため。願いがかない満足。

 

 

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8時過ぎ頃、東方面(松本)から県警のヘリコプターが飛んでくる。どこへ行くのか目で追うと、ジャンダルムを旋回しはじめた。遭難かな? 

それにしても穂高稜線の向こう側は岐阜県警管轄だと思っていた。2009年岐阜県警のヘリが落ちて大事故を起こしたから長野県警に変わったのかな?(と思って帰宅後長野県警を調べてみたらなるほど!)

しかし南からの雲に阻まれたので、ヘリは旋回だけで松本に引き返していく。

 

 

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9:20紀美子平着。ここは奥穂からの分岐点なので登山者で賑わっていた。
ここにザックをデポし、貴重品だけ持って前穂へ向かう。

 

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前穂頂上から東の雲海は素晴らしかった。

 

Cimg0151_4898西を見れば、いつの間にやら発生していた岳沢の雲海は勢力を増し、吊尾根まで勢い良く上がって来た。そこでさらに力をためた雲はついに吊尾根を乗越したのだった。まるで生き物のようで見応えがあった。

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涸沢も槍も何も見えなかった。ここからの景色を楽しみに来たのだが、この雲海ショーは素晴らしいものだった。 

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今年8月に行った常念も頭だけしか見せてくれない。この雲の湧き方は力強さがあった。前穂から常念までは直線距離で8㎞。

 

頂上の前穂北尾根前で待ってたら、期待通り北尾根を制覇したエキスパートたちが上がってきた。ガイドと思しき男性とザイルで繋がれた若い女性2人の顔には達成感が伺えた。このエキスパートたちに心からエールを送る。[E:scissors]  

 

もうエキスパートは来ないだろうかと目を凝らして北尾根を見ていると、2峰に登山者がひょっこり現れた。懸垂下降ショーをかぶりつきで見せてもらう。

Cimg0157       2峰にひょっこり現れる(望遠撮影)

Cimg0158       岩を回りこんで2峰先端まで行く

Cimg0159_2                      ザイルを降ろし始める

Cimg0162        下降準備OK

Cimg0163           懸垂下降

Cimg0164                     

Cimg0166            鞍部に着地

Cimg0167           セカンド懸垂下降

Cimg0168      ザイルを外し始めたので???と思ったら

Cimg0169        後続は別のパーティーだった。

Cimg0170 次のパーティーがザイルをおろした頃、北穂が姿を現した。この15分のショーは実に楽しかった。これも期待して行ったので大満足だった。

2018/9/8後記
実際に降った人のブログから拝借しました。
「のぼるひと」というブログです

 

 

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気がつけば雲が切れ、待望の明神岳が姿を現した。今度は少し明神岳に足を延ばしてみよう!

 

                                   つづく

 

 

 

 

 

2013 11年ぶりの前穂高岳 ①


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前穂高岳から見る奥又白池

 

「行き先決めてないけど、天気が良かったら[E:sun]週末山行かない?」

こんな私の誘いに、快くつき合ってくれた夫と前穂高岳に行ってきました。


本当は、さらっと焼岳でもと思っていたのですが、岳沢小屋HPで「空きがでた」という情報を数日前に運よく見つけたので、急遽宿泊の予約して行き先を前穂高岳に決定したというわけです。 

北アルプスには珍しい完全予約制(ケースバイケース)のこの小屋は、随分前から予約しなければいけないのに、数日前に予約できたのはラッキーでした。

ここでいう完全予約制とは、どの時期でも、ひとり布団1枚を約束してくれるというものです。ちなみに予約なしOKの山小屋は、連休ともなるとギューギュー詰め(布団1枚に3人)は当たり前です。 

 

この岳沢小屋の小屋番は、厳しいことをズバッという人で個人的には好きなタイプです。2011年に泊まったとき、6時くらいに到着した人を叱りつけていました。それもザックも背負わせ立たせたまま。相手を見て言っていたので好印象でした。蛇足ですが、その小屋番の大変さがわかるHPの記事を抜粋します。 

 

[E:book] ところで、ここのところ到着の遅い、暗くなってから小屋に着く登山者が目立ちます。昨日の最終到着グループは夜の8時過ぎ。こんな時間に着く客は小屋に
とっても迷惑だし、運悪く同室に割り当てられた他の登山者には迷惑極まりない話です。我々も「山小屋利用上のルール(常識)」にのっとって小屋の運営をし
ています。遅く到着する人たちの理由はいろいろあるでしょうが、岳沢小屋の場合は明らかに体力不足=分不相応なコース計画の登山者がほとんどです。具体的
に言うと、65歳を過ぎたような高齢者が涸沢から穂高を越えて一日で岳沢まで目指す登山者にその傾向が多く現れています。(通常コースタイムで9時間のと
ころ、14時間かかってる!?)「もういい歳なんだから、山くらいゆったりした計画で楽しみなさいよ、時間に焦って辛い思いして…、もうそういう歳じゃな
いでしょ」と諭すのが毎晩のように続いています。秋は日没も早く、6時にはもう真っ暗です。どうぞ余裕のある計画で登山をお楽しみください。

 

前穂高岳から岳沢小屋への降りで死亡事故が多いだけに、この小屋番の気苦労がわかる内容です。とりあえずアソコの小屋番は怖いぞ~という評判は大いに立てるべきだと私は思います。小屋番が甘いと事故が増える場所なんです、ここは。

 

さて前置きが長くなりました。前穂高岳山行記に入ります。

 

平成25年9月22日(日)

AM6:40自宅出発[E:car][E:dash] 珍しく車中泊せず上高地に向かった。

 

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まだ紅葉には早いので大丈夫だと思っていたら、沢渡駐車場はALL満車状態。焦ったけれど何カ所か回って駐車し、バスに乗り換えて上高地入りする。

 

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沢渡駐車場から往復2000円。
上高地入りしたのは名古屋を出て5時間経った11:40だった。

予報通りの[E:cloud]  連休の割りには人出は少なかった。

 

 

Cimg0096 河童橋を渡って梓川右岸を歩く。岳沢湿原の水の色は格別。やっぱり上高地はいいと思う。

 

 

Cimg0097
12:00岳沢登山口着。「小屋まで2時間か!2時ころに着くな!」的なことを夫が言うので、「山を舐めちゃぁ~いけないよ!」と諭す。実際この2時間で到着する人は健脚の部類。我々はそうでないのだから。

 

今夏2回目となる登山道を上がって行く。

Cimg0101
途中、この間歩いた西穂稜線が見える河原で一服する。紅葉はまだ早かったけれどいい景色だった。

 

ここから小屋まで、特に迷うところもないので、夫とは小屋で待ち合わせということで別々にマイペースで歩く。

 

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2:30岳沢小屋着。この小屋に泊まるのは旧岳沢ヒュッテを含めて4度目だが、個人で泊まるのは初めて。

 

Cimg0115 今回は『明神』という部屋だった。約束通りひとり布団1枚。

 

Cimg0124
ここが初めての夫は、このこじんまりした岳沢小屋が気に入ったようで、しきりにいいところだと言う。今回ここにしてよかったと思った。

特に問題もなく夜が更けていった。

 

Cimg0121         ベッピンさんなトリカブト

                                     つづく

 

貧乏人の自慢話

食欲の秋です。

秋に出回る美味しいものは数々あれど、一般庶民の我家のテーブルに並んだことがない『マツタケ』の話をします。
 
 
マツタケは、
国産はなおのこと高級品です。なので息子2人には食べさせことはありません。親もしかりです。肉魚を買った方がいいという貧乏人感覚が、子育てが終わってもぬけないまま今に至っています。

 

この時期になると外食などで、薄っぺらな(どこ産かもわからず)お吸い物や茶碗蒸し、土瓶蒸など食したことはありますが、特にオイシイと言うものでなくワタシ的には食べたとカウントできないものでした。

その昔、幼少の頃、七輪持ってマツタケ狩りに行ったと親に聞かされており、かぶりつくものというイメージが残っているからかもしれません。

 

  
 
 
それが!それがですよ!人生何が起こるかわからないってこのことでしょう。

まず写真を
 
Cimg01981
とある所から荷物が送られてきたのです。早速開けると・・・・
 

 

 

 

 

 
Cimg0200
正真正銘の国産(長野県産)マツタケ6本! 
jjj! 
それが我が家にあるなんて奇跡に近い!人生初でした!
まったく貧乏人丸出しで眺めました。
 
 
 
 
早速お礼の電話しました。
ここ数年は不作だったけれど今年は当たり年だとか。クマが出るので命がけとも聞きました。そんな貴重なものをいただきありがたい。
 

 
 
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嫌らしいことに計ってみました。風袋別で216gとあります。送り主の気風の良さはかっけ~!です。
 
 
送り主のおすすめ通り、まず炙って塩・醤油で。

念願のかぶりつきは歯が立ちませんでした。割いて食べました。

それはそれはウマイ! 歯ごたえがイイ! 風味がいい!

ようやく大人になった感じがしました。

 

冷静な夫の横で「ウッマ~!オイシイね!マツタケってこういうものだったんだ!」と私ひとりハイテンションでした。それゆえに写真を撮ることは忘れました。
 

 

翌日天ぷらにしました。これまたいただきものの千葉県産の新米と。格別でした。私が住むところでは何もとれないだけに、こうやって送ってくださる知り合がいることは幸せです。
 
 
人生初でマツタケ一生分近く食べたと思います。
(幼少期は別。だって覚えてないんだもん)

 

ごちそうさまでした。[E:delicious]