2009 知多四国84~88番 結願

結願に向けて、最後の知多四国区切り打ちに出ました。
結願は、けちがん・・・と読みます。お遍路では88箇所すべてまわりきることをそう呼びます。

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平成21年2月22日(日)[E:sun]/[E:cloud]

東風吹かば・・・・梅の便りに誘われお遍路に出る。今日は目的地まで電車(7:52乗車)。夫が同行。

結願まで残すところ6ヶ寺。半日もあれば十分まわれるので、結願後に梅見をしようと始めは考えていた。が、お昼には晴れから曇りになるという。さて、遍路と梅。どちらを重視しようか?

本当のことを言えば、梅だけを見に行くつもりだった。が、地図を見ているうちに、ついでに結願できそうだなんて不謹慎にもひらめいてしまったのだ。梅見のついでに結願しようだなんて、弘法さま(知多ではお大師さまと呼ばない)は、きっと嘆いておいでだ。

・・・・多少うしろめたさを感じつつ、道草逆打ちをする。
(87→梅見→88→5→86→85→84結願)

言い訳のようだが、知多四国は四国のように順番どおりに打てない配置になっている。5番が88番に近かったり、54番が12番に近かったりしている。そして順打ちだとなぜか87番が結願寺となっている。番号どおり進まなくてもよいというのが知多四国のコンセプトならば道草一部逆打ちもありかなと勝手な解釈をする。 


87番長寿寺(JR大高駅から15分)8:15~8:35

犬の散歩をしている男性に教えてもらった道で到着する。このお寺は名古屋市緑区に位置する。名古屋市内に88ヶ所のひとつがあったことをはじめて知る。

最後の区切り打ちになります、と報告した。

大高緑地公園(87から5分)8:40~11:00
この公園はかなり広い。私が小学生のころ遠足で来て以来のこと。梅林を目指す。

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梅の香りに導かれ梅林一面が眺められるところに立った。何ともいえない優しい色合いにやんわりとした高揚感に包まれる。このやんわりがいいのだ。うっとりと眺める。

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[E:cherryblossom]梅林に 道草遍路 このうえない

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公園内のドッグランで走り回る犬たちを金網にもたれかかって眺める。私も今、この犬たちのように非日常の空間を自由自在に歩き回っているのだと思った。まずは、そう感じることが大切なのだと最近思うようになる。

Img_1173 嵯峨野を思い出させる竹林。大きく吸った息を長く吐き出してみる。滞っている老廃物なるものを体の外に吐き出すように、はぁぁぁ~ と。

入り口に戻ると、朝には誰もいなかった恐竜広場に子どもたちが大勢遊んでいた。子どもたちも犬のように解放され走り回っていた。
寄り道した2時間20分は、とても有意義だった。

JR東海道本線を越え、名四国道をくぐる。逆打ちなので南下する。

畑沿いを歩く。どうみてもカブのような丸い大根が植わっている。勝手に畑に入り込み葉っぱを避けて確かめる。やはりカブのように丸い。カブなのか聞いてみたかったのだが畑の持ち主はいない。
収穫したブロッコリーが軽トラに山積みされている。ブロッコリーが最盛期であることを知る。明日にはスーパーに並ぶのだろう。ここのでなくてもいいから買ってみようという気になる。

●88番円通寺(大高緑地公園から35分)11:35~11:47
伊勢湾岸自動車道高架下の立派な歩道橋を渡ってすぐが88番。知多郡大府市に位置する。

このお寺を出たところで歩き遍路と思しき男性とすれ違う。知多四国は笠も杖もない人がほとんどなのでひと目で歩き遍路なのかわかりにくい。だからか遍路同士の交流がないに等しい。お接待文化もないのでちょっと寂しくもある。

●5番地蔵寺(88から30分)12:20~12:33
実は今年のお正月に車でここ5番にお参り来ている。寒い日だったと記憶しているが今日は風もなく暖か。。

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どぶろく祭りだとマイクから聞こえたので参拝前に塀越しにのぞいてみたら隣接する神社のお祭りだった。お正月より賑わっていた。

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参拝後、神社に回るとものすごい屋台が並んでいた。進む道が人ごみでわかりにくいので昼食(12:45~1:15)とする。魚料理が食べたかったのだけれどそれらしい店はない。仕方なしに喫茶店のハンバーグ定食でお腹を満たす。

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昼食後、西に進路を取る。知多半島道路をくぐり、愛知用水をくぐったあたりで歩き遍路と思しき男性に追いつく。今日はなんだか歩き?が多いような。

知多四国で先行く歩き遍路を見つけたのははじめてのことだった。
見つけると人恋しさからか近づきたくなる・・・ということを四国ではよくやったものだ。

が、追いかけ近づいても挨拶はできず中途半端な会釈をして私は通り過ぎた。気軽に声を掛けられると思ったことができなかったのだ。ふと四国でのことを思い出す。四国では、道中、何度か前後し、すれ違ったりして顔なじみになるというプロセスがあった。そして挨拶につながって行ったように覚えている。今回はそういうプロセスは皆無なのだ。気軽に声を掛けられなかったのは当然のことに思える。顔なじみになるプロセスがないということはちょっと寂しくもある。

●86番観音寺(5から47分)2:20~2:33
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高台にある門前からの景色。すぐそこが伊勢湾。
新日本製鉄の工場が立ち並ぶ。

ここで間違いなく歩き遍路だとわかる女性と大師堂で一緒になった。手に地図を持っていたので参拝後に声を掛けようと思った。私が先に納経した。彼女を待ってと思ったらもう姿が消えていた。あれ?と残念に思ったが、あと87・5・88を残しているとするならば急がなければいけない時間だった。縁がなかった。

我々はしばらく来た道を戻って南下する。残すところあと2ヶ寺。

●85番清水寺(86から20分)2:54~3:10
塀のないオープンなお寺だった。清水寺は、せいすいじ・・・と読みます。
納経所には作務衣姿の尼僧さんが居られた。知多四国では初めての尼僧だった。

残すところあと1ヶ寺。どの道を選んでも交通量が多い知多郡東海市という町を歩く。

とうとう結願だね、と夫に話しかける。疲れもあり自動車の騒音のなかうつむき加減。

●84番玄猷寺(85から20分)3:31~3:46
本堂は今年(平成21年)の2月4日に再建されたという話を納経所で聞いた。
真新しい本堂のここが結願寺となったことは嬉しくもあり忘れない気がした。
そんなことを聞かれもしないのに私は納経所で話していた。いささか興奮していたのだろう。

四国のように1番に戻って円にするということはしなかった。というより梅見で逆打ちしたので無理だった。
なのでタクシーなりバスで最寄の駅に戻ればよいのに、なぜか真面目に最寄の駅(太田川)まで30分も歩いた。本当は非常に疲れていたのに交通機関を使わなかったのはなぜだろう?お遍路は終わったというのに。これまた歩いた意味を考えてしまう性格が頭をもたげる。
(四国に高野山があるように、知多四国には名古屋市内にある興正寺なるものが残っていますが)

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愚かにも四国と比べ、様々なことで知多四国に物足らなさを感じたりもした。が、今振り返れば、道探しをしながら見つけたものはかぞえきれないことを知る。満足したことを知った。足るを知る遍路だった、と勝手に思っている。

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知多四国で納経印をもらった白衣。後ろにある納経軸は四国でのものです。

納経所でもらえる【あなたは健康ですという太鼓判】を求めて歩いた全行程167km。宝ものがまたひとつ増えた。

さぁ、今度は何に取り掛かろうかなぁ・・・・・・

知多四国歩き遍路目次

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日にちをクリックしてください

区切り1回目 2005年1月30日
1~12番(5番を除く11ヶ寺参り)歩行距離24km

区切り2回目 2006年2月12日
13~20番 54番 番外2ヶ寺(11ヶ寺参り) 歩行距離19km延べ43km

区切り3回目 2007年1月4日
21~26番 番外2ヶ寺(8ヶ寺参り) 歩行距離16.3km延べ59.3km

区切り4回目 2007年2月12日
27~36番 番外1ヶ寺(11ヶ寺参り) 歩行距離16.5km延べ75.8km

区切り5回目 2007年3月21日
37~39番 番外1ヶ寺(4ヶ寺参り) 歩行距離?

区切り6回目 2007年12月9日
40~46番 番外2ヶ寺(8ヶ寺参り) 歩行距離18km延べ93.8km

区切り7回目 2008年11月9日
48~53番 55~59番 番外1ヶ寺(12ヶ寺参り) 歩行距離15km延べ108.8km

区切り8回目 2008年12月7日
60~71番 (12ヶ寺参り) 歩行距離18km延べ126.8km

区切り9回目 2009年2月1日
72~83番 番外1ヶ寺 (13ヶ寺参り) 歩行距離20km延べ146.8km

区切り10回目 2009年2月22日
84~88番と5番 (6ヶ寺参り)  歩行距離20km延べ167km

2009知多四国 72~83番

2005年1月30日に発心した知多四国歩き遍路、4年が過ぎたというのにまだ結願できないでいます。昨年、開創200年の記念の年だったので何とか結願したかったのですが無理でした。

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知多四国霊場開創200年記念バッジ「ナムちゃん」2008年

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先日、風がびゅうびゅう吹く日に9回目の区切りに打ちに出かけました。

   なお、昨年(2008)歩いた7・8回目の記録は、パソコン故障時でしたので記録がありません。
   私のブログは備忘録ですので、いずれアップさせます。

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2009年2月1日(日) [E:sun](風強し)

7:30夫の運転で自宅を出発[E:car][E:dash]

30分ほどで、今日の最終目的地に近い名鉄太田川駅に到着。
この駅裏にある駐車場に車を置いて、[E:train]で15分大野町駅に移動[E:run]

今日は、ここ大野町駅から車を置いた所まで歩くというわけです。

8:25大野町駅(常滑市)を出発[E:shoe] [E:shoe] [E:shoe] [E:shoe] まずは前回区切った71番に向かう。
歩き始めて数分で知多市に入る。

71番 大智院(大野町駅から30分)8:53~9:03

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前回納経しているので、9回目区切り打ち始めの報告のみ。
ここは、「めがね弘法」と呼ばれており、お大師様はサングラスのような黒めがねを掛けておられる。面と向かうと噴出しそうである。

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Img_1077 72番に向かう途中、旭公園の梅園。

ほのかに漂う梅の香りが鼻をくすぐる・・・なんて今日の突風では望めない。

近くには佐布里池(そうりいけ)という愛知用水の調整池がある。大小さまざまな池が多く香川県を思い出させる景色である。

この先、竹新製菓のおかき茶屋に寄る。
試食しながらあられが買えるようになっている。たくさん試食する。セルフサービスだが暖かいお茶まである。サービス満点に気をよくし30分ばかり休憩。

●72番慈雲寺(71番から60分)10:40~11:00
このお寺の近くまで来てお寺の裏山に迷い込んでしまった。お墓参りに来ていた男性に道を尋ねると親切に山道を案内してくれた。とてもいい道だった。後ろについて歩く。この男性、叔母さんの墓参りだと話してくれる。お礼をいって神社から72番の境内に入る。

参拝後、興味をそそる裏山にまた入る。道探ししながら次の札所に向かう。

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ろうばいに誘惑されしばらく立ち止まる。

ふと、地図遊びをしている自分に気づく。

地図を眺め、この道は向こうに抜けられそうだと思うと探検気分で行ってみる。これが結構楽しい。そういう路上にこそ、私の興味をひくものがたくさんあっておもしろかったりするのだ。地形図で確認するので大きく間違うことは今のところない。勘を働かせる。上手くいったら喜ぶ。こんなことの繰り返し。歩き遍路という名目で私は地図遊びに興じている。

でも札所に着いたら、きちんと参拝する。線香とろうそく、納め札に写経を納め、般若心経を唱える。そして納経所で納経してもらうというフルコースは怠らない。

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知多四国ではめずらしい道標

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73番への近道だと思って入り込んだ。遍路道とでもいいたくなる道だが違う谷に降りていくようだ。少し戻って無理やり尾根を降って76番の裏に降りた。ちょっと強引だった。

●76番如意寺(72番から35分)11:35~12:16
●74番密厳寺(76番のほぼ隣)
●75番誕生堂(74番の隣)
●73番正法院(75番の真下)
●77番浄蓮寺(73番のほぼ隣) 

Img_1085 無理やり降りて来た山は一番奥の山。 

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73番正法院

73~77番は一箇所に集まっている。この5ヶ寺を打ち終わったのは12:15。
お腹がすいたけど、しばらく歩く。風が止み、日差しが暖かい。

Img_1088 中の浜というお店で昼食。私は「しらす丼とかきあげ」。このしらす丼おいしかったですよ。

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●78番福生寺(77番から30分)1:40~1:55
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食事をした食堂から1~2分のところが78番。門前に切絵工房(右側の写真の階段)を見つけ参拝前に立ち寄る。

参拝後、花に誘われ坂道を降った。「花を眺める弘法さんたちをずっと見てたよ。仲良くお参り、いいねぇ」。坂の下にいたおじいさんはそう言って微笑んだ。おじいさんのその言葉は何か遠い過去を思い出して言っているように私は感じた。私もつられて微笑む。知多四国ではお遍路さんのことを弘法さんという。水仙と梅が咲くこの坂道、おじいさんとの出逢いで思いで深い所となる。

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●79番妙楽寺(78番から20分)2:13~2:40
●番外開山所(78番境内)
この番外は79番札所の境内にあり、知多四国霊場を開創した亮山阿闍梨が祀られている。

この先、しばらく名鉄電車線路きわをいた。電車が通過すると怖い感じがしたが素敵な小道だった。

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●80番硒光院(79番から20分)3:00~3:20
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Img_1093 樹齢800年といわれる大きなクスノキに出迎えられた。

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●81番龍蔵寺(80番から10分)3:31~3:45
商店街が立ち並ぶ道路沿いに建つお寺である。迎えにスイミングスクールの大きな看板があった。どおりで子どもの声でにぎやかだった。

このころになると、日が陰りはじめ、ときおり吹く突風に肩をすくめて歩く。
今日の最終目的地は83番。というより車まで戻らなければならないのだ。もう少し頑張って歩く。

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●82番観福寺(81番から45分)4:28~4:36
電車沿線をはずれた小高いところに建つお寺だった。

次の札所まで20分。5時の納経は間に合うかな?だめならだめでいいやと思いながらもサッサカサッサカ歩く。歩道があっても車の往来が激しい道路は早く抜けるに限る。

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●83番弥勒寺(82番から20分)4:55~5:15
坂道を駆け上がって5分前に到着。先に納経を済ませ、ゆっくり参拝する。お寺の人は節分の支度に忙しそうだった。節分の日は賑わうようだが今は我々だけ。嵐の前の静けさか? 

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予定通り13ヶ寺を打って83番で区切る。
暮れなずむ町をとぼとぼと、朝、置車した太田川駅に向かう。10分ほどだった。

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32321歩。20キロ。8時間半のお遍路でした。

帰りにあつた蓬莱軒でうなぎを食べて帰った。程よく疲れた体に旨味が染み渡った。

連れ合いと一緒に一日歩いて、おいしいものを食べ、家に帰ったらお風呂に入って寝るだけ。こんな贅沢で楽しい日を過ごせたこと、幸せに思いました。
 

 


2007知多四国 番外浄土寺~47番

この2ヶ月、諸事情から出かけることができず、家の中でうろうろしていた。

ちょっとゆとりが持てるようになった兆しか、いつもの癖が騒ぎ出す。
明日は天気、さて、どこに行こうか・・・・日ごろから温めているプランから選ぶ。
といっても、山かお遍路か、京都か奈良からだけれど。
とにかく、静かに歩きたかったので、知多四国のお遍路を選ぶ。
これが実にいい選択だった。

12月9日(日)晴れ

名古屋駅7:25発、終点の内海駅まで名鉄電車に乗る。
始めは景色を眺めていたのだけれど、知らぬ間に居眠り。
気づいたら、内海駅だった。(8:30着)

前回区切った師崎(39番篠島・日間賀島)までは、さらにバスに乗るのだが、その前に、まず内海駅近くの45・46番を先に打つ。
今回はとても変則的な歩き方をした。
(前回39→46→45→バス→番外→40→番外→43→42→41→44→47)

電車の中で居眠りをしていたからか、駅から歩き始めるも、自分が進むべき方向がわからなくてあせった。何せ駅前に(駅裏も)目立つような建物がないのだ。自分の影と手にした地図を見比べ、あれあれ?と、うろうろする。
2ヶ月も家の中でくすぶっていると、こんなに感が鈍るものかと驚きもする。

●46番如意輪寺(内海駅から800m) 8:45~9:00
山門で一礼。手水場で手と口を清める。本堂にお賽銭をあげ般若心経を唱える。
大師堂でろうそく・線香・納め札・写経・お賽銭をあげ般若心経。納経所。

誰もいない静かな境内だった。特に写真を撮りたいと思うお寺でもなく、休憩もせず山門を出る。どんなお寺だったかまったく記憶がない。

次の寺に向かうとき、またいい加減なほうに進んでしまった。自分の影を見て北に進んでいることにすぐ気づく。またアレレ? 犬の散歩をしているおじさんに「海はあっちですか」と確認する。大回りして川沿いを正しい方向に進む。

●45番泉蔵院(46番から800m) 9:18~9:35
知多半島南西端、海の前の段丘上に建つお寺で、階段を登っていく。
一通りのお参りをすませ納経所でひとことふたことお話したが、境内の様子は特に印象に残っていない。誰もいないと記憶に残りにくい。

ここからはバス(9:45発)に乗って知多半島先端の師崎にようやく戻る。

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海を眺めながら20分ほどバスに揺られる。
海が眩しいくらい光っていたのが印象的だった。

●番外浄土寺 10:05~10:20
             
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門前のつわぶきの黄色が目を引く。ここでは、お遍路さんが何人かいて挨拶を交わす。
後で気づくが歩き遍路もいた。

だんだん調子が出てきた。方向を間違えることもなく次に歩き出す。

     
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嫌いな国道歩きだが、海を見て歩くのは気持ちいい。
ちょうどお四国でいう瀬戸内海を見て歩く感じである。海から吹く風が強い。

●40番影向寺(番外浄土寺から4km) 11:00~11:20
      
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参拝後、休憩していたらバイク集団の若者がぞろぞろやってくる。ちょっと身構える。
彼らはお参りもせず納経所へ向かう。後でお参りする子いたりいなかったり。
いい子達のようなのだが、格好が黒ずくめ集団だったので怖かった。

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このお寺は子安観音が祀られ、孫を連れたおばあさんが熱心にお参りされていた。
何だかほんわかした気持ちで、お寺をあとにする。

このとき歩き遍路に再会した。でも広い境内の端と端、会釈程度だった。

さて、今度は国道を避けて、今回楽しみにしている山道を上がる。
何せ、ここ知多四国には、四国のように道しるべも遍路シールもないのだから
、山道に入るときは地元の人に道を確認しておきたい。
地図を見せて「この道を行きたいのですが・・・」と通りがかりのおじいさんに尋ねる。
すると、「この道は大変だよ。どこに行くの・・・」と反対に聞かれ、説明するのに大変だった。
 わざわざ難儀な道を教えることになったおじいさんは困っていた。お四国でも何度か経験している、せっかくのご好意をすみません、という気持ちだった。安易さを振り捨てる冒険心を伝えるのは時に難しい。

目的のお寺に行き着く道だということを確認して歩き出す。   
いい具合に紅葉した山の中をぐんぐん上がっていく。
ほっと一息つき、左に目をやると遠くに海が見えた。

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こんな素晴らしい景色が見られるとは思わなかった。あえてこの道を選んで良かった。
対岸は三重県の鈴鹿山脈だと思う。

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見渡す限りのキャベツ畑に出た。こんな高台でキャベツが作られるのだということをはじめて知った。それにしてもすごい量である。

遠くでスプリンクラーが勢いよく回る。水が霧状になって私の頬にもわずかだが届く。
スプリンクラーに近づくと光の屈折で小さな虹が見えた。歩くと消えてまたすぐ現れる。
調子が悪いスプリンクラーがあった。1回転に1回、道路に大量の水を撒いている。
私はそこを通るとき、大縄回しの縄にひっかからないような感じでタイミングよく抜けた。
意外とスリルがあって面白い。広大なキャベツ畑を飽きることなく歩いた。

集落に出たところで、目当てのお寺があるか地図を確認する。道があっていてほっとする。
さらに歩き、地元の掲示板に張り紙をしているおじいさんに声をかける。

「奥の院はこの先ですか?」
「私は耳が遠いのだが・・・」
お・く・の・い・ん?

そうまでしなくても聞こえたらしいのだが。

「奥の院の説明を少ししていいですか」というので、今度はだまって大きくうなずく。

「右側が女坂、左側が男坂、今では女の人も男坂を通って良いが、どうかあなたは女坂を通っていってください」と。そして最後にこう言って送り出してくれた。
「あなたの歩きっぷりなら2分半で着きます。階段から落ちないように、どうか気をつけて」

四国ではこのような出会いは多かったが、知多四国ではあまりない。
私は嬉しくて、耳の遠いおじいさんに何度も頭を下げお礼をのべた。

おじいさんが言った2分半では着かなかったが、5分かかるといわないところが憎いなと思った。

●番外 奥の院(40番から3kmくらいだろうか) 12:25~12:40
   
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深い木立の中に朱の堂塔がひときわ映える。知多四国にもこういうところがあるのだと、しばらくたたずむ。

808年に弘法大師がこの地を訪ね岩窟を穿ち、百日間の護摩を厳修、その灰で一寸八分の千手観音像を造り、先師・行基菩薩作、聖観音像の胎内に奉安されたという。この像を今に伝えて本尊とする。と伝えられている。

四国71番弥谷寺にあったような岩窟があった。
納経所はなかったが、次の所できっといっしょにもらえるのだろうと気にせず先に進む。

●43番岩屋寺 (奥の院から300m) 12:45~1:05
立派なお寺だった。尾張高野山宗総本山岩屋寺とのこと。
車遍路がつぎつぎとやってくる。
奥の院の分も納経してもらえた。

風が出てきた。頬が冷たい。
自転車に乗った小学生の男の子が背後から「こんにちは」と挨拶してくれる。
しばらくして自転車に乗った中学生ぐらいの男の子も、きちんと挨拶をしてくれる。
耳が遠いと言ったおじいさんも感じが良かったし、四国と変わらない優しい人たちが住む土地なんだと思った。

●42番天龍寺 (43番から700m) 1:20~1:35
納経所のおばあさんから、42番寺は42歳の男厄と同じ数字ということで厄除け寺といわれるという話を聞く。
「若いのに歩いてえらいねぇ」といってみかんをお接待くださった。おばあさんよりは、うんと若いのだけれど、いくつが若いのかなぁ。まぁいいか。

白衣に納経印をもらうのを見ていた女性三人組みから、「これはどういうものなの?」と質問を受けた。亡くなったとき、あの世に着ていくおいずる?というものらしいがあまり詳しくないと答える。「若いのにえらいですねぇ」と労をねぎらわれたが、私とあまり変わらない年齢に見受けられた。

このとき私は大きなヒントをもらった気がした。改めて考えてみると、歩き遍路ができるということは、年齢に関係なく若い(元気)ということで、お大師さまを真似て歩き続ける行為は確かにえらいと思われることでしょう。
しかし「若いのにえらいですねぇ」
の意味がこれまでなかなか理解できなかった。自分のどこが偉いのかなぁ?・・・ただ歩いているだけなのに・・・と。
いつも愛想笑いで適当に受け流してきたのだが、その言葉の中には次のようなことがあるのではないかと考えた。
「元気であっても、目標に向かって歩き続けるということは大変でしょう。私も強い信念を持ってこつこつと人生を送っていますが、そう簡単ではないですから。」という意味があったのではないかと思えてならない。うぬぼれであっても、何かを求めて止まぬ一生懸命な姿が、遍路中の私にあったのだと勝手な解釈をした。

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このお寺にあった「愚痴聞き地蔵尊」。
いざ愚痴をこぼしてもいいですよと言われると出てこないものだ。
思わず苦笑した。

車道から一本中の安全な道を歩く。山海小学校を超えると海に出る。
バスで通った海岸に出た。

●41番西方寺 (42番から1.3km) 1:50~2:05
道路を挟んで海水浴場が広がる。参拝客はなく静かな境内だった。
参拝後少し休憩し、歩き出したら例の歩き遍路とすれ違った。
結局、話すことはなかったが、私と同じルートだったのでしょうか。

また、この海辺から山道を上がる。このころになると寒くなってきた。
人も車も通らない。静かというか怖い感じ。鳥が飛び立つ音に怯える。

     
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●44番大宝寺 (41番から3.8km) 2:45~3:00
四国と同じ名前の44番大宝寺である。境内の木蓮が有名で通称「もくれん寺」といわれ、現代版「駆け込み寺」。
名前は素敵なのだが参拝客は私だけ。納経所も不在ということで自分で納経印を押す。
私は初めて納経印なるものを手にした。

            
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このお寺に着くまで誰にも会わず、このお寺でも誰にも会わず、そして一人寂しく帰っていく。
なんか寂しいお寺だった。木蓮の花の時期は賑わうのでしょうか。
寒いなか山を下った。本当に寒くなってきたのだった。

●47番持宝寺 (44番から3km) 3:30~3:45

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47番に着いたとき、西日に照らされた黄金に輝く銀杏に出迎えられた。
弁天池の横を通って石段を一気に上がる。
今回はここで打ち止め。そう本堂・大師堂に挨拶する。
納経所では「今日はどこまで?」と。四国のようだった。
「今日はとても楽しく歩けた」と伝えると「それはよかった」と。
二言三言の会話がとても心に残った。

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行きと違う道で降ってくると、こんな素晴らしい景色だった。
あぁ、今日は楽しかった。元気でぐんぐん歩けた。また続きを早く歩きたいと思った。

内海駅まで300m、4:00の電車で名古屋に帰った。

合計したら18km。疲れるはずない距離だった。でもこのぐらいが楽しくて仕方がない距離なんだろうとも思った。ちょうどいいのだと思った。

2007知多四国37~39番日間賀島・篠島めぐり

5回目の今回は、知多半島先端の師崎港から島に渡る。
(1~4回目は左端カテゴリーの知多四国を参照してください)
日間賀島に1ヶ寺、篠島に3ヶ寺あり、時間にしたら2時間半ほどで回れるようなのだが、子供の頃、海水浴で何度か訪れたなつかしい所なので、2島めぐりでゆっくりすることにした。
島での歩く距離はたいしたことないので、母親、妹、姪(高校1年)を誘って出かけた。

8:00夫の運転で自宅を出発
9:10師崎港駐車場に置車
9:30日間賀島行きの高速船に乗船
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                                    少しお値打ちになってるお遍路用周遊券を購入。
海は穏やかで揺れることもなく10分ほどで日間賀島東港着。

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日間賀島名物のたこに出迎えられる。
このたこの右奥の坂を上がって数分のところに鯖大師があった。
四国の鯖大師を思い出すが何の関係もないらしい。
知多四国の札所でも番外でもないのだが何故か素通りは出来ず、この寂れたお寺に立ち寄る。

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●37番大光院
日間賀島唯一の札所である。
お遍路初めての姪は、お灯明と線香の作業がめずらしいようだ。

順調に打ち進み、日間賀島西港まで小一時間散策する。
桜はまだ早いが、それでも2~3輪咲く桜を愛でた。
今日からアサリ漁が解禁とかで、収穫したアサリを見ながら西港まで歩く。

予定していた船より10分早い臨時便11:15に乗り篠島に渡る。
古くは伊勢神宮領として海路要衝の地として栄えたそうだ。

篠島へ上陸したころは、お昼時間。
だけれども海水浴シーズンではないので、食堂らしきものはまったくない。
そんなとき地元民宿の呼び込みのおばさんに運よく遭遇。

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私はさしみ定食を食べた。
姪が食べた煮魚定食も美味しそうだ。

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                                                                                    昼食後、島特有のこんな道を上がる。
階段は高齢の母には多少きついが、直に札所だった。 

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●38番正法禅寺
お寺は階段状に延びる墓地の入り口だった。
母は9年前に(平成10年)に知多四国を回っており、その折の納経帳に重ね印をもらう。  

●番外西方寺
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38番からさらに階段を上がること数分、番外西方寺に到着。
込み合った家を縫うように上がってきたことがわかる。

境内では梅の木をチェンソーで無残と思うほどばっさり剪定していた。
般若心経を唱えている間中うるさく、おのずと大きな声を張り上げる。

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                                                                西方寺から一度下って島特有の小道を行く。
すると「帝の井」という井戸があった。
なんでも、1338年後醍醐天皇の皇子・義良親王が篠島に逃れた際に掘った井戸らしい。
今では使っている様子はないが奇麗でない水は満々とあった。

●39番医徳院
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徳川家康が本能寺の変による伊賀越えの後、このお寺に一泊したと伝えられている。
さらに、この本堂は1744年伊勢神宮西方殿の用材を下賜せられて改築し、島内最古の木造建築らしい。
保育園が併設されており、日頃は島の園児がこの境内で遊んでいるのだろう。

今回のお遍路は、ここで区切る。
休憩していたら団体さんがどっと来た。
添乗員が大きな荷物を抱えて来たと思ったら納経帳だった。
みながお参りしている間に納経を済ます例の団体である。
我々が休憩している間に団体さんはもう帰り仕度。
きっと船の時間があるのだろう。

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団体に混じってこんな階段を下りてきた。
磯の匂いがするとおもったら、わかめが干してある。
さらに見下ろすと・・・・

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海岸沿いに奇麗に箱が並んでいる。
地元の人に尋ねたら、小女子(こうなご)だそうだ。
一度茹でてから天日干しするという。
ものすごい量に驚いた。

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海水浴場の方へ出てみたら、素晴らしい景色だった。
ここでもこうなごが干してある。
今日は晴天なので、いい具合に干しあがるということだった。

船着場までぶらぶら歩くと・・・・

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山頭火の句碑に出合った。
昭和14年の春に訪れているらしい。

      やっと一人となり私が旅人らしく

      出船入船春はたけなわ

3:30篠島港を離れる。
何十年ぶりに訪れた篠島だったが、もう来ることはないだろうと思った。

アサリ漁が解禁となったのだから、アサリをお土産に買う。
1キロ1000円、結構大粒だった。

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せっかくだから夕飯も海の幸にした。
こんな夕陽を見ながらの夕食は、四国遍路での御荘町にあるドライブイン・ビーチ以来のことだった。

家族で楽しく過ごした一日だった。

2007知多四国27~36番

4回目の知多四国お遍路に出た。
(前回までの記録は、カテゴリーの知多歩き遍路を参照してください)

7:35自宅を出発。
名古屋駅までは、いつも通り自転車をぶっ飛ばす。
2本見送って、7:55発の河和(こうわ)行きに乗車。
今回は、終点まで乗って行くので、居眠りしても大丈夫である。

8:47河和駅に到着。
ザックを担いだ山行グループを横目に、笠と杖を出し仕度する。
四国のように笠や杖を持つ歩き遍路は少ないので、同じ山をやるものとして、ちょっと恥ずかしいというか、お遍路の仕度は勇気がいった。
どんな山に上がるのかなぁ・・・と雑念いっぱいで歩き出した。

今日は河和駅から知多半島先端にある師崎(もろざき)まで16.5km歩く。
札所でいうと27番から36番である。
詳細は こちら を参考に。

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とても2月と思えない暖かい日が続き、梅はほぼ満開である。
メジロが喜んで飛び回る。
それにつられ、私もあちらこちらと梅に誘われどんどん歩く。

日当たりがいいところでは、沈丁花も開花している。
うん、これもいい香り。
オオイヌノフグリの青と菜の花の黄色がとても奇麗で嬉しくなる。
こんな暖冬だと、受験シーズン中にサクラチルなんてことになりはしないだろうか・・・せめて桜は例年並みに開花して欲しいものだ。


●27番誓海寺・番外禅林堂
 9:45~10:15
河和駅から4kmを歩いて58分、坂を上がって立派な山門前に出た。
ここは2ヶ寺が同じ境内にある。
鐘をゴォ~ンと撞いてみた。
奇麗にお手入れされたお庭を見ながら階段を上がっていくと、車遍路さんが数名いて、なんかお四国を思い出すような光景である。
さらに、納経所では「歩き?みかんをどうぞ」とお接待をいただき、ますます気を良くする。
こういう出会いを願って撞いた鐘のご利益がもう顕れたのだった。

この先は南知多道路に沿って南下していく。
道中「つくだに街道」という看板がやたら目に付いた。
変った街道名だと思ったら、大きな佃煮屋さんに出た。
観光バスが立ち寄る土産物屋で、佃煮を専門に扱っている。
立ち寄って、ししゃもの佃煮・あなごの干物・食べる煮干など買った。
食べる干物は、再来週の雪山テント泊に持っていくつもり。
酒の肴に軽くっていい。

●28番永寿寺 11:28~11:40
途中つくだに街道に25分もいたので、3kmを1時間13分かかって到着。
境内は誰もいない。

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大師堂の窓が、鐘の形をしていて面白い。

Img_0049 28番参拝後、山門脇のお地蔵さんの写真を撮っていたら、歩き遍路の男性が角からひょっこり現れ「歩いているのですか」と聞かれた。

杖も笠もない人だが、仲間だと思った。
縁があるならまたどこかで会うはず、どちらからも話し込まなかった。
次に出合ったときのお楽しみなのだ、ひと足先に出た。

「今回のお遍路、何だかいいねぇ~」と言っても、夫はなぜか冷静。
私だけうきうきしていたようだ。

まもなく山道に入り、トンネルのような竹林の遍路道を降っていく。
ところどころ、散り椿が道を赤く染めている。
立ち止まって仰ぎ見ると、びっしり花をつけている。
山の中では大概、散っている花や葉を見つけてその木の存在を知る。
そんなところが何ヶ所もある素敵な道を歩かせてもらった。
私は勝手に、ここを「散り椿の遍路道」と名付けた。

その道の終点は、私の好きなピンクの椿だった。
それは廃屋の前の庭に植えられた大木で遠くからでも目立った。
ピンクの散り椿の一円が、木の大きさを表している。
たっぷり咲いている花が毎日少しずつぽたぽたと落ち、この先ずいぶん楽しめそうだ。
ここを空家にしておくのはもったいない。
こんな静かな山奥で、散ってもなお美しいこの椿と暮らせたらなぁと、いつもの癖でしばらく勝手な想像をした。

そこから50メートルほど降って乙方という集落に出た。

●29番正法寺 12:22~12:45
2.6kmを42分かかって到着。
お寺にしてはめずらしい赤レンガ塀に沿って境内に入る。
近年に火事があったそうで本堂も大師堂も新しい。
そのせいなのか、大師堂前にあるはずの灯明や線香がうんと離れた手水場横にあった。
参拝後、6mを越す厄除大観音像の足下でおにぎりを食べる。

ゆるい坂をずっと登っていくと・・・・

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山を切り開いた三河湾が望める高台に出た。
ここまで来ると、車も人も家もない。
畑がどこまでも続く。
梅も菜の花も満開、小鳥はさえずり、大空には鳥が飛び交う。
そして風は、私を確かめるかのようにやさしく寄ってくる。
そんな至福のときを味わった。

下調べをしておいた山越えの道を行ったのだが、最後に道を間違えて、思ったところに降りてこられなかった・・・残念だった。

●30番医王寺~5ヶ寺 2:00~3:23
私の調べでは3kmほどなのだが、道草しまくって1時間15分かかった。
そうそう10分ほど、途中でコーヒタイムをしたっけ。

ここ大井は、諸国行脚の弘法大師が三河から船で上陸された所と伝えられている。
そんな理由からなのか、一山五寺で30~35番が集まっている。

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地元の女の子達がままごとをしながら奇麗に飾ってくれていた。
こんな気遣いは嬉しいものだ。

●31番利生院 
28番で出会った歩き遍路の男性(愛知県刈谷市在住)とここで再会した。
この方も四国を歩かれたそうで話が盛り上がった。
知多四国は4巡目とか。

●32番宝乗院
31番を出て10歩ほどが32番の山門。
ここで31番の納経もしてもらう。

●33番北室院
ここで30番の納経もしてもらう。
なんだか、こんがらかってしまう納経の仕方である。

●34番性慶院

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山門脇に興味深いお言葉があった。
なるほど・・・・私の視力の衰えは、こういうことだったのですね。
心の眼でしか見えないことの多さに改めて考えさせられる。

一気に5ヶ寺も打ったが、1時間25分も要した。

●上陸大師像 3:35~3:40
1kmほど12分歩くと、海の中に立っておられましたお大師さまが。

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弘法大師が三河から船で上陸されたと伝えられている場所です。
(上陸大師像の詳細は こちら で)
潮が引くと歩いていけるそうですが、このときは無理。
その奥に見える島は、今度行く日間賀(ひまか)島のよう。

風が強いのですぐ退散。
この先は危険な国道沿いを歩いた。

●35番成願寺 4:06~4:15
夫が釣り人に夢中で、遠回りしたのか1kmが26分もかかった。
今回の予定の36番まで何とか打っておきたいので、急いで参拝。

●36番遍照寺 4:40~4:55
2kmを25分で到着。

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こんな感じで、旅館の2階に橋を渡した下が遍路道とは珍しい。
橋の上で猫が気持よさそうに寝ていた。

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ここ師崎は、昭和14年春に種田山頭火も訪れた伝えられている。

        右も左も編み干してある花の散る道を  山頭火

ようやく知多半島の先っぽまで来た。
この先は、次回島に渡って打つ。

バスの待ち時間に食堂に入って、刺身定食を急いで食べた。
17:32のバスで河和駅まで戻る途中で暗くなってきた。
河和で名鉄電車に乗り換え、19:11名古屋駅に戻った。

朝の7:30に家を出て、夜の7:30に帰宅した。
楽しい12時間だった。おわり

2007知多四国21~26番

夫と3回目の知多四国お遍路に出た。

1年に1度日帰りのペースなので、なかなか進んでいない。
実は、四国お遍路と比べて物足らなさを感じているのだ。
歩き遍路にはまず会わないし、お接待文化はないようだ。
札所間も短すぎるので、途方に暮れることもない。
(総距離194km)
そんな自分勝手な理由でのろのろ遍路をしている。                

しかし始めたからには途中でやめるわけにはいかない。
とりあえず結願はするつもりでいる。
まったくいい加減なお遍路である。                         

  7:14 名鉄名古屋駅発

  7:52 知多半田駅着

  8:25 21番常楽寺(所要時間20分)(次の札所まで45分)

  9:30 22番大日寺(10分)(5分)

  9:45 23番蓮花院(45分)(30分)

11:00 24番徳正寺(15分)(30分)

11:45 25番円観寺(35分)(40分)

13:00 番外葦航寺(20分)(40分)

14:00 番外影現寺(15分)(25分)

14:40 26番弥勒寺(20分)(5分で河和駅)                   

前回区切った知多半田駅から歩き始める。
知多半島の中央部に位置する半田市は醸造と紡績の町で、食酢の生産は日本一である。

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今日は風がなく穏やかな日。
お遍路日和である。

順調に24番まで打つ。
お醤油の倉庫が立ち並ぶ道を歩く。
お正月休みでなかったら、きっと興味深い様子が見られただろうに。                                                                         

       

                          

25番円観寺は富貴城趾に堂宇がある。Img_0007_3
ここの大師堂前に、四国の地図が描かれた御影石が敷かれていた。

「足下の御影石の本四国巡拝図の下には、四国88ヶ所のお砂が奉納されています。石の上で立ってお参りすれば、そのまま四国霊場のお砂踏みができます」

私は、四国の牟岐か宍喰あたりに立って般若心経を唱えた。(今お遍路している知り合いの無事を想って宍喰あたりに立ってみた)

      

      

Img_0008番外葦航寺(いこうじ)へは、こんな道をのんびり歩く。
この先、名鉄電車沿いにずっと歩いた。                              

                    

                    

番外葦航寺の本堂はめずらしい茅葺屋根だった。
一部にトタンが張られ修復されていたがそれももはや限界で見るに忍びない状態だった。

ここ葦航寺には、知多四国開山のひとりである 武田安兵衛行者のお墓があった。
武田安兵衛行者は、讃岐の出身であるそうな。                  

                                             

その次の札所、番外影現寺までは海岸沿いを歩いた。
やはり海岸沿いを歩くのは気分が晴れていい。

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暖冬だからなのか、番外影現寺には桜が咲いていた。
こんな感じで三河湾が眺められるお寺である。
なんだかんだといっても、知多四国お遍路も楽しい・・・まったく勝手なものです。
                                              

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26番弥勒寺へ向かう。
対岸が見えるけれど、室戸岬を過ぎ高知に向かっている気がしないでもない。
せめてそんな気になって歩いた。

 

世間を騒がせた戸塚ヨットスクールの建物がある。
この沖に見えるヨットは戸塚ヨットスクール生なのかな。 

           

Img_0018_1予定通り、26番弥勒寺まで歩いた。

知多四国のお参りの仕方は、本堂ではお灯明も納め札もなく、ご本尊真言を唱えるだけのよう。
大師堂は四国と同じ。
今では慣れたが、始めは戸惑った。

                                                     

                          

知多四国の納経所は、窓から納経してもらうようになっている。
家の中に入るようになっていないのだ。
ここ26番は、めずらしく(初めてのような気がする)四国のように戸を開けて建物の中に入り納経してもらった。

今日は、ここ26番で区切る。
3:00山門を抜けてから、まっすぐ行く道に導かれるように歩いていった。

もう少し歩きたいところだが、名鉄電車はここ河和駅が終点で、この先に進むと、区切った札所からはバスで戻ることになる。
バスは本数が少ないし時刻表も知らないので、ここで区切ることにした。

総距離16.3kmで短いが、まぁ、仕方がない。

2005知多四国1~12番

知多四国歩きお遍路をすることにした。

これには理由がある。
四国お遍路中、45番岩屋寺で出会ったある先達さんから知多四国お遍路を薦められていたからである。
知多四国は、とてもよい巡礼地ということだった。

私の住んでいる名古屋市内から知多半島は近いので、電車を使って日帰り遍路選んだ。

 6:39 名鉄名古屋駅発

 7:00 前後駅着

 7:15 1番曹源寺(所要時間20分)(次の札所まで徒歩40分)

 8:15 2番極楽寺(15分)(徒歩5分)

 8:35 3番普門寺(15分)(徒歩30分)

 9:20 4番延命寺(25分)(徒歩47分)

10:32 6番常福寺(30分)(徒歩50分)

11:00 県民の森でお弁当(50分)

12:40 7番極楽寺(15分)(徒歩15分)

13:10 8番伝宗院(15分)(徒歩35分)

14:00 9番明徳寺(15分)(徒歩20)

14:35 10番観音寺(15分)(徒歩30分)

15:20 11番安徳寺(15分)(徒歩30分)

14:04 12番福住寺(23分)(徒歩60分)