2011京都紅葉④ 市内へ

平成23年12月4日(日)[E:sun]/[E:rain]

高雄三尾を満喫して12:45のバスに乗って市内に向かいました。

満員バスのつり革につかまり、車窓をぼぉ~と眺めながら『阿留辺幾夜宇和』を考えてました。師走に入ったというのに呑気に京都観光する自分はこれでいいのかなぁと。(案の定12/29の今日、焦ってこのブログをアップしているザマ。今年もあと2日しかないというのに今年も上手く出来なかった。焦りつつ、だんだんアキラメモードに。あぁ~私のアルベキヨウワ・・・・)

 
 

福王寺→仁和寺→立命館大学前経由で北野で下車。午後1時でした。

北野天満宮前の『とようけ茶屋』は長蛇の列で今回も諦め、第2候補の『ラシーヌ』も予約イッパイで断られ・・・・・

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第3候補の「上七軒」前にある『くろすけ』でようやくのれんをくぐることができました。

 

軒先には赤色の丸が連なった模様の提灯がぶら下がっていますから、れっきとした花街のお茶屋さんです。渡り廊下を通って奥の部屋に案内されました。部屋から中庭が眺められ風情ある料亭です。お値打ちな豆腐料理を注文しました。

 

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豆乳鍋の豆腐は甘みがありとても美味しく、最後のせいろ蒸しの黒豆おこわはねっとりして私好みでした。デザートもあり満足がいく内容でした。

 
 

Cimg0795 北野天満宮東側の門にある銀杏が見事に黄葉してたので、しばらく足が止まりました。

 

北野天満宮に入ると、学問の神様菅原道真公にお参りする長蛇の列がありました。
お正月に車遍路で四国に行ったときに、31番竹林寺(本尊:文殊菩薩)で見た「一人ひとりお願いするシステム」と同じスタイルです。私は神頼みの行列の横で簡単に参拝しました。

 

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秋は名前が変わるのでしょうか、梅林がある『もみじ苑』に入りました。お菓子とお茶が振舞われ紅葉を眺めながら一服していると、ザァーっと雨が降って来ました。そのおかげで樹々の色が鮮やかになりました。

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じきに雨はやみ紅葉を満喫しました。

 

Cimg0798東風吹かば~のお庭がこんなに紅葉するとは知らなかった私でした。

 
 

北野天満宮からまた『高雄フリー乗車券』を使って御池に出て、『イノダ』でコーヒーを飲み、『あるとれたんて』というイタリアンのお店で夕食後、名古屋に帰りました。

家に着いたのは午後10:30頃。よく遊んだ一日でした。

 

…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。

 

これで今年のブログはお終いです。読んでくださってありがとうございました。
では良いお年をお迎えください。

2011京都紅葉③ かわらけなげ

平成23年12月4日(日)[E:sun]

槙ノ尾を出たバスは1分ほどで山城高雄に着きました。

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せっかく仕入れたフリー乗車券ですから、使わないともったいないというガメツイ考えでバスに乗ったのですが、ここは散策するほうがずっといいでしょう。 

 

槙ノ尾と違って茶店やお土産屋がたくさんありました。お土産屋さんの脇から長い石段を下って、清滝川に架かる高雄橋まで一旦降ります。

 

Cimg0781 すると神護寺に入る長い石段が見えました。足が弱い人はちょっと大変なお寺ですね。
紅葉最盛期を過ぎたので訪れる人はわずか。でも三尾の中では一番賑わっていました。

 

長い石段の途中にある茶店で一服しました。もみじ餅を注文。半殺しの餅にこし餡がのったもので[E:maple]の形はしていません。ガラスキだったのに次々お客が入ってきて、先客の我々はほったらかし。ずいぶん待たされました。

 

 

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再度長い長い石段を行きます。400段あるそうです。下ってくる人に労われながらようやく上がりましたが、残念ながら楼門前の紅葉は終わっていました。

 

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金堂の中には20人ばかりの白衣を身につけた団体がいて、お坊さんの「よくお参り頂きました・・・」という話が始まるところでした。高野山真言宗の別格本山と案内に書かれているので四国遍路姿なのでしょうか。後ろ姿からはそれは伺え知れません。

 

持参のろうそく・線香3本を灯し、ご本尊薬師如来のご真言おんころころ・・・を3回唱えました。 

 

帰り道に解ったことですが、金堂内にいた白衣の人たちは四国八十八箇所のお遍路さんでした。声をかけて聞いて見ると、高野山の帰りに寄ったと言います。結願したのですねと少しお話をしました。遠くから来た(聞いたけれど失念)ので空海ゆかりのお寺を観光したとのことでした。バス遍路といっていましたが、その足取りは私の友達よりしっかりしたもので長い階段もヒョイヒョイでした。あれなら歩き遍路でもできそうな勢いを感じました。ここ神護寺の初代は空海で14年間住職を務めたことなど、このお遍路さんに出会って知った次第です。

 

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私ひとりで多宝塔まで行きました。そこから金堂を見下ろす景色は素晴らしいものでした。

 

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友達を追いかける道は赤と緑のコントラストが素敵で、散り紅葉ならではの景色です。

 

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境内一番奥にある地蔵院のお庭から清滝川が流れる錦雲渓が一望でき、かわらけ投げをしました。

2枚100円の小さな素焼きの皿を投げると厄払いができるということで、女3人はそれを買い求め錦雲渓に投げました。が、友達のひとりは満足に投げられず(実は少しも飛ばず足元に落ちた)がっかりな様子。するときびすを返してもう1組買いに走り2度目に挑戦しました。2度目はそれなりに飛んでいき、見ている方はヤレヤレでした。

 

Cimg0791 とりあえず厄払いし、気持ち新たに神護寺を下りて行きました。

 

高山寺の明恵は9歳のときに神護寺に入ったといいます。そして白洲正子著『かくれ里』に、ここで西行と明恵は会っているとも書かれています。空海・西行・明恵のつながりがあるここ神護寺はとても興味深いお寺でした。

 

来た道の石段を下ってからまた登ってバス停に戻りました。

バスに揺られ、今度は京都市街に下がって行きました。つづく 

2011京都紅葉② 高雄を南下

平成23年12月4日(日)[E:sun]

栂ノ尾高山寺(トガノオ・コウザンジ)からバスに乗って、槙ノ尾西明寺(マキノオ・サイミョウジ)に向かいます。

高雄フリー乗車券は乗り降り自由なので、西明寺入口にかかる指月橋だけを見ようと槙ノ尾で下車しました。が、前回の高山寺の写真からわかるように高雄はもう散紅葉です。ガイドブックに載るような指月橋の景色は見られませんでした。

 

ゆっくり散策しようと思っても西明寺以外にめぼしいものはありません。槙ノ尾は10分ほどの滞在でバス停に戻りました。

 

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バス停の前の店頭には、北山杉の花台と山椒のすりこ木、代白柿が並んでいました。土産物はこれだけでした。

 

帰ってから代白柿が気になって調べてみると・・・・

京都で秋に見られる代白(だいしろ)柿は、奈良県西吉野特産の「江戸柿」という渋柿を、京都独特のガスを利用した方法で、2~3日掛けて室(むろ)という部屋で渋味を抜いた柿のことです。

 

えぇぇぇ!これは買って来るべきだったと今になって思います。残念でした。

 

10:29のバスに乗って山城高雄に向かいました。     つづく

2011京都紅葉① 阿留辺畿夜宇我(あるべきようわ)

平成23年12月4日(日)[E:sun]/[E:mist]

白洲正子著『かくれ里』を読んで以来ずっと気になっている『阿留辺畿夜宇我あるべきようわ』という7文字。今回は、その言葉を遺した明恵上人(みょうえしょうにん)の居住跡と伝えられている石水院(高山寺)を訪れます。友達二人と私の三人旅です。

 

名古屋駅7:12発の新幹線に乗り京都駅7:59着。駅前から8:30発のJRバスに乗車。

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高雄フリー乗車券・・・・栂ノ尾~北野の間は乗り降り自由で、高雄をまわるにはとても便利ということで駅前で仕入れました。乗り場もすぐとなりでウロウロすることありません。

 

 

Cimg0756 京の街を縫うようにバスは進み、小一時間で高雄三尾の最奥である栂ノ尾(とがのお)高山寺に着きました。

 

Cimg0757 ぐるっと回って表参道から入ろうかと思っていましたが、バスを降りたところから見る裏参道の散り紅葉(写真)の景色に惹かれ裏参道を行きました。

 

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石水院(国宝)の門をくぐるとまた別料金で拝観料600円が要ります。高山寺拝観料500円と合わせるとちょっと高いなと思いましたが、ここまで来て600円をケチる訳にはいきません。もちろん600円奮発しました。

 

 

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右の客殿からこの渡り廊下を通り石水院へ(左側が石水院)。

 

Cimg0761 蔀戸(しとみど)を吊り上げて内外の境界をあいまいにしたその空間は、簡素ながらもすばらしい佇まいを感じさせます。この蔀戸は本当に機能的で大好きです。

屋久杉と聞いている床は鎌倉時代そのままのものなのでしょうか古さを感じます。この廂(ひさし)の間に入れるものだと勝手に思っていた私は立入禁止にちょっとがっかり。廂の間の右側の広縁を歩いて向こう側に行きます。

 

 

Cimg0763 明恵が敬愛した善財童子が廂の間に置かれています。『夢の記』に出てくる善財童子はこれなのだと思いました。明恵は19歳~40年間夢の記録をしたといいます。夢の続きを見ることもできたという話は興味深いです。

 

 

Cimg0770 『日出でて、まず照らす高山の寺』は長押上にありました。後鳥羽上皇から勅額『日出先照高山之寺』を賜ったので明恵が寺号を高山寺と改めたそうです。(元は神護寺の別院)

そして床の間には『明恵上人樹上座禅像』。その右側には明恵自筆といわれている『阿留辺畿夜宇我あるべきようわ』の掛板。まさに明恵ワールド。ファンとしてはたまらないものばかりでした。

 

 

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『阿留辺畿夜宇我』・・・・・「あるべきやうに」生きるというのではなく、時により事により、その時その場において「あるべきやうは何か」という問いかけを行ない、その答えを生きようとする・・・・(河合隼雄著『明恵 夢を生きる』より抜粋)

 

一見簡単なことのように思えるのですが、改めて自分を省みたとき、私はこういう生き方をしてこなかったことに気づきます。

 

どんな人間でも、教えに出会わなければ、そんなものがあることさえわからない。・・・・教えさえすれば、正しい話しを聞けば自然に正しい物の見方ができるようになる・・・・と言い残した明恵の言葉はまったくその通りだと思います。実際に『阿留辺畿夜宇我』を見て、正しい話を聞いた気になったものです。

 

 

       [E:fullmoon]あかあかや あかあかあかや あかあかや
             [E:moon1]あかあかあかや あかあかや月  明恵上人御歌

 

この部屋から月を眺め あかあかや・・・と詠んだのでしょうか。私は縁側から外の景色を眺め空想にふけりました。その景色を撮ることを忘れたのですが、今になって思えば、明恵が見たその景色に没入(本当はぼ~っと)していたのだと思います。実に私好みの景色だったことを付け加えておきます。 

       

 

Cimg0767 明恵上人がいつも手元に置きかわいがっていた犬(木彫狗児:国宝)はガラスケースに入れられていました。運慶作と書かれていますから今ではガラスケースに入れられてしまうのですね。ちょっと可哀想でもありますね。

 

この犬のレプリカがお土産として売られていることを以前あるネットで見たので、私はずっと欲しいと思っていたのですが、受付で尋ねてみると今はもう扱っていないとか。残念でした。

 

ガラスケースの説明書きに「・・・愛玩したいとは志賀直哉の弁」と書かれているぐらいですから、私が欲しくなるのも無理ないことだと妙に納得しました。

 

 

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鳥獣人物戯画(模写)も展示されていました。本物は東京と京都の博物館に2巻ずつあるそうです。これと明恵との関係性は知らないのですが、ここ高山寺には国宝や重要文化財が一万点余もあるそうです。

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犬のレプリカの代わりに鳥獣人物戯画の手ぬぐいを買って我慢しました。 

 

 

去りがたく石水院を出ると、小雨というには足らない細かい雨が降ってきました。先ほどまで晴天だったのに不思議な現象でした。友達二人は下りていくというので、私ひとりで山中を見学しました。

 

栂ノ尾は日本で始めてお茶が作られた場所で歴史は宇治より古いそうです。その茶園がありましたが特に興味はなく通過します。

さらに登って行くと・・・・

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明恵の御廟がありましたが近くまでは行けないようになっています。私ひとりだったので「ファンです」と告白してきました。当時からそんな女子衆はワンサカいたそうです。モテタと思います。でもタラシではなかったようです。

御廟前の石碑『阿留辺畿夜宇我』は新しいものでした。

 

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さらに登って一番高い所に金堂がありました。御室仁和寺から移築したものだそうです。ここに国宝の薬師如来坐像があるのでしょうか。薬師如来のご真言は諳んじることができます。おんころころせんだりまとわぎそわか。3回唱えてきました。

 

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金堂から表参道を下って行く道は、誰もおらず静かでいいものでした。嵯峨野あたりはワンサカ人だかりのはず。私はひとり静かに京都の行く秋を楽しみました。

 

 

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途中、樹林の間から石水院が見えました。それは『明恵上人樹上座禅像』を思い浮かべる景色です。 

Cimg0765 『明恵上人樹上座禅像』は、明恵が山中でひとり修行している姿を弟子に描かせたもので、この絵の上に書かれた字は明恵の自筆だそうです。撮影禁止でなかったので撮りましたが迫力を感じます。目を閉じた明恵の顔は物静かでありながらも強靭な生き様が伝わり、私はそこが魅せられます。

 

 

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私なりに解した明恵をたっぷり味わって、高山寺を表参道から出て友達と合流しました。

ここからバスに乗って西明寺へ向かいます。 つづく

 

 

 

 

 

アロ~ハ~

 

 


友達からフラダンスショーのチケットが送られてきた。

健康のため?フラダンスを始めた友達の発表会も兼ねているらしい。

友達が踊る姿を一度見たいと思っていたので、私は興味津々で出かけることにした。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

 

当日。ステージ用のお化粧に前髪を見事なまでに盛りあげた友達のその容姿は、水商売のママ的な感じで妙に色っぽく、私は目が点になった。でも慣れてくると見事なもんだねぇ~と変身ぶりを冷やかしながらゲラゲラ笑う。

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出番を待つ子供たち。可愛いでしょ?走り回っていました。

一方、大人は最後まで練習を怠らない。緊張してますなぁ。

子供たちのフラはバラバラだったが可愛いので微笑ましい。

とうとう友達の出番。おおよその位置は聞いていたが、カメラを構えるとどこにいるのかさっぱりわからない。ようやくわかった頃には終盤のようで焦った。

このポーズいいんじゃない?いいぞいいぞ!
でも何故か見ているこちらがドキドキし撮影の手はブレまくり。息子の学芸会や運動会もそうだったことを思い出す。

 

最後は160人で踊った。これはもう誰が誰やらわからない。お手上げだった。

自分にはない世界を垣間見て、世の女性のパワーを感じた。アッパレ!

 

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

 

フラダンスの会場に向かう前に護国神社に立ち寄った。
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すると花嫁さんがいらした。友だちに囲まれ記念写真。後ろ姿からも幸せが伝わってくる。オバサンは写真撮影しながら幸多かれと祈った。

 

日本&ハワイ。一日で両方見ちゃいました。 アロ~ハ~

 

快速そよ風トレイン117

平成23年8月21日(日)[E:cloud]/[E:rain]

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女友達[E:one]・[E:two]と「そよ風トレイン117」という電車に乗って日帰りの旅に行ってきました。
 

旅といっても山ではありません。世間一般でいう旅行ってやつです。
夏休み土・日・祝のみ限定の「JR飯田線の旅・湯谷温泉で昼食&入浴」という旅行会社ののんびり旅行に参加。

 

山友には、ハンドバック持って行くの?とからかわれるが、社会勉強としてたま~に行くんです、こういうのにも。珍しいことすると雨が降るといいますが・・・・やっぱり[E:rain]になりました。
[E:one]・[E:two]よ、ごめんねごめんね~

 

 

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JR豊橋駅から8:58発の快速そよ風トレイン117の特別列車に乗る。

 

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全車指定席です。夏休みだから、さぞかし満員なんだろうと思ったら・・・・
3号車はガラガラでした。おじいさんに連れられたボクと家族連れがポツリポツリ。

 

 

指定席に行くと鉄男クン(中学生?)がひとり座ってる。全指定席なので我々3人と一緒にされたようです。こんなにガラガラなのに、JRよ満席になると思ったのかい?
真面目そうな鉄男クンは我々おばさん3人と一緒に出発進行!と相なった。

 

006ボックスシートと聞いたので、デラックス~!と期待してたんだけど、えっ!座席の背もたれをはずしてテーブルをしつらえたナンチャッテボックスシートですかい。

テーブルが大きいのでトイメンとのおしゃべりはしずらい。ガタンゴーガタンゴーにかき消されないように大声張り上げるおばさん3人組。その仲間入りさせられ大声出す鉄男クンの声は時々裏返るは、まぁなんとも面白い組み合わせでした。

 

「ウィンディスペース」なる場所に移動。 

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ここは自由に利用できる場所で、柵がしてある乗降扉部分は開いたままで走る。
車窓を流れる景色に向って横一列でおしゃべりした。

 

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湯谷温泉に降りたら雨だった。下車したのは我々3人と、4~5人のご婦人グループだけ。もっとワンサカ集まるプランだと思ったらちょっと違った。「昼食&入浴」の宿を目指す。

 

ウエルカム抹茶をいただく。我々が来なかったら開店休業のような宿で拍子抜けだったが、うるさいよりいいと思うことにする。

 

すぐに温泉に入れるのかと思ったら待たされた。そよ風トレイン117の到着時間に間に合わせないとはアキレル。これでは、このプランにお客がワンサカ集まるはずがない。

 

[E:spa]は我々3人貸切状態でこれはよかった。川 を見下ろす高台に露天風呂はあり爽快。対岸に目をやると大木に鳶がじっと雨宿りしていた。2羽3羽・・・・・すぐに目が慣れてきて、ざっと20羽は見てとれた。それを見たさに[E:two]はわざわざメガネを取りに行く。アソコ!アソコにも!女3人裸ではしゃいだ。

 

 

お風呂上りに事件は起きたのだった。
[E:one]が頭を押さえ、神妙な格好でトイレから戻った。
「痛い!血が出た!」と泣きそうな声。話を聞いてやると、トイレで頭を打ったという。(大量出血でなかったのが幸い)髪をかき分けて見るとちょっと切れていた。

 

落とし紙 替えてまさかが起こりけり 友の痛みが旅の思い出

 

この駄句で何が起きたか想像してください。

 

 

フロントで消毒してもらった。まったくついてない旅になった。

 

 

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お詫びにと烏龍茶がだされたが、なんか腑に落ちない女3人はぶつぶつ・・・。
露天風呂から見た景色「ウォーリー(鳶)を探せ」はもう見飽きたし。

 

T02200293_02400320112238556741 すると空一面にウォーリーいや鳶が舞いだした。なんでも隣の部屋の客が餌を与えたとか。お腹が満たされ、鳶の舞で、だんだん[E:one]の事件は忘れていった。が、今思えば事件を忘れさせる宿の策略だったかも?

 

 

[E:one]の怪我が落ち着いたので散策に出た。運良く雨も上がってきた。

 

009しかし観光客がいない温泉街だこと。静かなところは私好みだが、ここで半日滞在するには無理がある。川面の靄をぼんやり眺めながらおしゃべりに興じる。

 

じきにまた雨が落ちてきた。喫茶店でコーヒーでもと思ったが喫茶店があるようなところでない。あっても誰が来るだろう。いるのはじっと潜んでいる鳶だけ。今では鳶の餌付けを売りにしているような中途半端なすたれ具合が妙に寂しく思えた。

 

 

不完全燃焼ぎみで、帰路のそよ風トレイン117に乗る。
このまま帰るには忍びない。豊川駅で下車し、豊川稲荷を詣でることにした。

 

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豊川駅前から参道に入ると、昭和の面影が残る街だった。お正月には参詣者で大渋滞する商店街も今日は雨だからか閑散としている。

 

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狐塚に向かう頃には、雷がなり雨脚も強くなる。ゴロゴロー[E:thunder] ゴロゴロー[E:thunder] 傘を掴む手に力が入る。

 

013 狐は雨に濡れ黒光りしていた。狐に雷。どちらも不気味です。

 

 

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お札を求めて豊川稲荷をあとにする。雨と汗で全身ぐしゃぐしゃだった。

 

 

門前の喫茶店に入って熱いコーヒーを頼んだ。私好みの写真がたくさん飾ってあり、コーヒーができるまで眺める。流行っていそうには見えないが、豊川稲荷の行事のときは大繁盛する店に違いない。各地からこの年老いたママを訪ねてくる客も少なくないだろ。そんな昭和の面影を残す喫茶店だった。

 

 

幸い[E:one]の怪我は大したことなくて、まぁまぁの旅でした。
それにしてもたくさんおしゃべりしました。[E:one]・[E:two]よ、ありがとね~。 これにておしまい。

 

一緒にがんばろう!

一向に止まらない余震と悲惨な原発問題。
そんな東北を日本中、いや世界中が応援しています。
ボランティアに行く人、支援物資を届ける人、炊き出しに行く人、慰問に行く人・・・・。

この1ヶ月余、私は何ができたのかと考えたとき、日本人として何もできないことが恥ずかしく残念な気持ちでいます。

今の私にもできること、せめてもと義援金を送りました。

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しかし義援金を送ったからといっても、被災者や被災現場がニュースで放映されるたび、やはりいたたまれなくなります。

 

あるときこんなことを考えました。

名古屋にいて役立つ事はないだろうか?

そうだ!被災した子どもをホームステイさせたい・・・と思いました。

しかし、そう思うだけでなかなか行動に移せない私です。これもダメか・・・です。

 

 

話は遡りますが、今冬も愛知県に静養に来ている東北の友達S子(←をクリックしてください)と1月末に『なばなの里』へ遊びに行きました。

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3月に入って今度はどこへ行こうか?なんて言っていた矢先のこと。あの大震災が起こりました。
彼女は家族と連絡がとれず消息がわかるまで心を痛めました。幸い家族は全員無事でしたが、現地は2日の停電、水も出ない、それなりに災害を受けたようです。続く余震に家族のことを心配する彼女をどう励ましていいか言葉が見つかりませんでした。私の力は微力そのもの、いや、どうしたらいいのか思いつかず、メールも出せませんでした。

 

でもね。震災から1ヶ月したときふと思ったの。私にできることは、彼女に会って元気付けることだと。それならできそうです。早速、彼女がいる岡崎に慰問に行きました。

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岡崎公園を散策しながら、震災の話を聞きました。
震災当日、家族5人は皆ばらばらで、消息がつかめるまで生きた心地がしなかった、
自分だけが愛知県にいたことを家族に申し訳ない気持ちになったと。

Cimg0247                               伊賀川

彼女の散歩コースである乙川に流れ込む支流の伊賀川に案内してもらいました。観光客もいなく素敵な桜並木でした。

本来ならもう岩手に帰っているけれど、この震災で飛行機も新幹線も不通で北上まで帰れないといいます。今すぐにでも家族の元に返りたいと思う気持ちが痛いほど伝わりました。

満開の桜吹雪のシチュエーションの中、「来てくれてありがとう」という彼女の言葉はぐっと来るものがありました。直接震災に遭わなかったけれど、心を痛めた彼女をどれだけ元気付けられたかわかりませんが、会いに行ってよかったと思いました。

 

先ほど彼女からメールが入りました。

[E:mail]「20日に帰ることにしました。東京まで出て、羽田から花巻空港まで飛んで、花巻まで車で迎えに来てもらいます」

 

どうかお願いです!東北の人を苦しめるのは、これでおしまいにしてください。そう祈る毎日です。

 

2011桜

平成23年4月8日(金)[E:cloud]/[E:rain]

東日本大震災から4週間。
福島の原発問題は一向に進展しないが、東北地方復興という嬉しいニュースが報じられるようになった。

そんな矢先のこと。
昨晩「震度6強」という試練がまた東北を容赦なく襲った。
直接揺れを感じない名古屋在住の私でも、大打撃に胸が痛んだ。

 
 

胸が痛むといいながらも、床に入ってすぐに眠りにつく。
そして朝。新聞を見るまで、昨日の「震度6強」を忘れていた自分だった。
所詮「ヒトゴト」なのか・・・・。そんなつもりはないのだけれど我ながらなさけなく思う。

 

 

ここ数日の暖かさで桜が満開らしい。
今日は昼から雨。明日も雨らしい。日曜は晴れなら山に行きたい。桜を見るなら今日しかない?

東北大打撃が昨日の今日だけに気が引けたが、仕事も後回しにして桜を見に出かけてしまった。私が真面目に仕事をしたって東北の人たちのためになる訳ではない・・・なんてイイワケしながら。

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歩道橋から名古屋城を見る。手前は加藤清正像。

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能楽堂横の桜。↑地面につきそうなぐらい枝を延ばす。

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お気に入りの木の下に入り桜に包まれる。ほっとする安心感、そう!平和を感じた。

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名古屋城のお堀にせり出す桜の枝。↑お堀にはタンポポが咲き乱れ・・・

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↗大好きな道を行く。舞い散る花びらがまたいい。

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「散り椿」と「散り桜」の道を愛知県体育館に向かう。

 

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春を待っていたオオイヌノフグリやタンポポ。何もかもが私を喜ばせてくれる。
愛知県体育館を抜けて・・・・

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坂を降っていくと、桜越しの名古屋城。
この頃になると小雨がぱらぱら降ってきた。傘をさして歩く。

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雪ヤナギが盛んに咲く。雨だけど気持ちは失せない。

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枝垂桜はまだ三分咲きほど。ソメイヨシノが終わった頃に満開になるかな?

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石垣の工事中。

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↗名城公園内に入る。これまた池にせり出す桜の枝ぶりは素晴らしかった。
あまり長居はできないので、ここだけ見て戻る。

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名古屋城のお堀沿いに歩いて帰る。
白鳥が雨の中、一生懸命羽つくろいしている。「君はそれが仕事なんだね」しばらく眺めていた。

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最後のベストポイント。お日様が出ていないので残念だった。月曜日にまた来たいと思った。

少し回り道をして夕飯の買い物をし、1時半ごろ帰宅した。
仕事が山積しているのを横目にこのブログを作成。
さぁ~少しでも仕事を片付けますか。

 

満開の この春届け 東北に!

 

 

 

2010の梅見

昨年、知多四国遍路で立ち寄った大高緑地公園の梅林に友達を案内しました。

 

友達(S子)がくも膜下出血という大病を患ったのは3年前の秋のことでした。大手術でしたが処置が早かったので後遺症ははなく、翌年の春には普通の生活ができるまでに回復しました。

なんとか回復したといえども、生活の場である岩手県北上市で冬を過ごすのは心身ともに過酷なので、冬は実家のある愛知県にマンスリーマンションを借りて、12~4月まで単身で静養です。

そして、今冬も愛知県にやってきました。スポーツジムに通いながら体調を管理し、東北の厳しく長い冬をやり過ごしているのです。

 

そんな彼女を梅見に誘いました。

「○○○ちゃんに見せてもらった写真の本物を見たかったの!このグラデーション本当にきれいねぇ~」とS子は大喜びです。

「でしょ~」 と、ふたりはしばらく梅林の美しさに酔いしれました。

この景色をS子と共有できたことは本当に嬉しいことでした。

 

箱根の山は天下の嶮②

平成22年1月24日(日)[E:sun]

7時起床。温泉旅行の楽しみである朝湯[E:spa]に入る。これで朝酒と朝寝をすると身上潰すそうだ。もっともだ。

 

9:30身支度を整え宿を発つ。外はとても冷えていた。が、風はなく、バス停がある国道までの樹林帯は気持ちのよいものだった。

芦ノ湖を目指してバスに乗る。箱根駅伝5区の最後の登りをバスはくねくね上がっていった。峠を越えると芦ノ湖が見え出す。元箱根というバス停で降りた。(バス所要時間15分)

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元箱根から芦ノ湖を右手に見ながら散策する。まもなく雪を被った富士山の頭が見え出した。日本の象徴を目の当たりにして気持ちが高揚する。箱根神社鳥居の赤がアクセントとなりしばし見惚れる。観光客がまだ少ない湖畔を楽しんだ。

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箱根旧街道(箱根八里)を歩く。その昔、夏の強い日差しや冬の寒風から旅人を守った杉並木は、樹齢350年を超え大木になっていた。今では観光用にほんのわずか残されているだけという。東海道踏破を考えたことのある私には何かもの寂しさを感じる。

その後、箱根関所を見学し、箱根町から11:20発の観光船(海賊船)に乗って桃源台に向かった。(船所要時間40分)

 

 

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船上から富士山と駒ケ岳(標高1327)↑を交互に見つめる。昨日、大涌谷から富士山が見られなかっただけに、駒ケ岳から見てやろうと企んでいたのだ。駒ケ岳からどんな景色が見られるのだろう?昨晩、布団に入ってから考えていたことの続きを船上で楽しんだ。

 

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桃源台から箱根園へタクシーで移動し、駒ケ岳ロープウェイに乗る。その10分足らずの空中散歩↑は想像以上だった。他に観光客がいるから冷静そうにしていたが、心の中ではワーワー言っていた。昨日大涌谷で見た登山客の多さがうなずけた。いいコースだということは容易にわかった。

 

山頂に到着するとそこは笹原だった。樹林帯がないから吹きさらしで猛烈に寒かった。

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足元の芦ノ湖は箱庭のようで↑、相模湾から駿河湾まで見渡せる。 

 

 

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相模湾から、三浦半島、房総半島まで遠望↑できた。

 

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山頂には箱根元宮が祀ってあった。鳥居の下に登山客がいる。どのコースでどこへ行くのか聞いてみたかったが、自分の格好を考え躊躇した。おばさんのちょっかいと思われるのが嫌だったのだ。それにしても山行日和で楽しかっただろう。

 

富士山と対峙したとき↓私はかなり興奮していた。
左肩に南アルプスが見て取れた。北アルプスや八ヶ岳は山に隠れて見えなかったが大涌谷からは見えるのかもしれないと思うと昨日の天気が残念で仕方がなかった。

 

     

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                                     [E:note]1.あたまを雲の上に出し
                                         四方(しほう)の山を見おろして
                                         かみなりさまを下にきく
                                         ふじは日本一の山

                                       
2.青ぞら高くそびえたち
                                          からだに雪のきものきて
                                          かすみのすそをとおくひく
                                          ふじは日本一の山

 

 

 

山のホテルのレストランでランチ後、元箱根からバスで小田原に出た。(2:49)

 

道路は渋滞し、バスはずいぶん遅れて小田原市内に入った。
バス運転手に小田原城最寄の停留所を尋ねたら当停留所を指して「ここでもいい」と。「降りますか?」と尋ねられ、つい「お、降ります!!!」と答えてしまったから大変なことになった。居眠りしている親友A・Bをたたき起こし、早く早くと降車口まで誘導した。どうやって降りたのかまったく覚えていないが血相変えた3人だったに違いない。当然親友たちから文句を言われた。どうしてあんな強引な行動をとったのかと反省することしきりだった。

 

小田原城では①馬出門 ②虎の印判 ③天守閣 この3つを見たかった。
運よく馬出門から入れたので、やれやれこれで入館制限時間に間に合ったと思ったのだが、天守閣までが遠くて、おばさん3人はずいぶん走ることになった。途中でAがお腹が痛いとリタイアを言い出す。だがBに却下され泣く泣く天守閣まで上がることになった。

虎の印判は印(はんこ)そのもが見られなくて残念だったが思い出に残るお城になったことは言うまでもない。バスを降ろしてくれた運転手の親切があったことも忘れてはならない。

          

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思い返せば、今回の旅はよく走った。駒ケ岳の下山ロープウェイでもそうだった。おばさんの体力はどこまで持つだろうか。

とにもかくにも、3人が無事それぞれの家庭に戻っていったことが何よりだった。おしまい。