長州藩をめぐる②

萩の町を南下して、かんきつ公園の夏みかんまつり会場へ。Cimg0038

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左)夏みかんの花
右)旧田中別邸をバックに夏みかんのソフトクリーム

 

ガイドブックによると、このまつり会場は、明治9年小幡高政(オバタタカマサ)が日本初の夏みかん栽培を始めた地だとか。今ではこの夏みかんが、萩のシンボルとなっています。

 

 

まつり会場に隣接している旧田中別邸へ。

小幡高政の所有から、昭和2年の総理大臣、田中義一の別邸となる。しかし平成10年に土地・建物を萩市に寄贈したので、旧田中別邸となった。

大将服をはじめとする田中義一ゆかりの品々が展示されているほか、往時の重要人物を迎え入れるにふさわしい造りの部屋がたくさんあり、日本家屋の良さを感じるものでした。

 

 

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平安古鍵曲(ヒヤコカイマガリ)の曲がり角

 

 

 

自転車を走らせ次の目的地、オープンガーデンの山本邸へ。

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年季の入ったバラがこれまた年季の入った建物の壁を覆っていました。
ご主人がバラ好きだとか。派手さがない山本邸のお庭は私の好みでした。

ここで勧められた室田家のオープンガーデンへ。

 

 

 

Cimg0043 室田家の庭は、藍場川の水の流れを引きこんだ日本庭園でした。川の水の流れを引き込んだと聞いて思い出したのは2008年に訪ねた京都にある山県有朋の無鄰庵。そこは琵琶湖疏水を引き込んだお庭でしたが、水を引きこむなんて大工事のはず。どちらも相当な資産家に違いありませんね。

その山県有朋は長州の出身で、この室田家から至近距離のところで誕生しているようです。

 

 

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この室田家では箏と尺八の演奏がありました。一般的な13弦が3面、相の手パートの17弦が1面、計4面の演奏は素晴らしく聴き入りました。初めて見た17弦の柱の大きさにびっくり。17弦は先生と思しき方が力強く奏でていました。

併設して喫茶室があり、夏みかんがゴロゴロ入ったデザートを頂きながら一服しました。

 

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これが喫茶室から見る藍場川の水を引き込んだ流れ。

 

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この喫茶室入口に夏みかんが販売されていて、尋ねるとこのお庭で採れた無農薬とのこと。マーマレード用に速攻買いして、自転車に積んでコンビニから自宅に送りました。

 

 

 

 

自転車で北上し、旧萩藩校明倫館を外から眺め、萩城城下町へ。オープンガーデンの畔亭で昼食とする。

 

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私は、酢飯に鯵がのった丼を注文。萩焼のその器は私の好きな柔らかい柄でした。

 

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昼食後、萩焼のお店を見学。その後、高杉晋作誕生地へ。

 

 

Cimg1295 晋作が生まれた家の表門。現在は当時の南半分しか残っていないらしい。

晋作の魂がここに帰ることもあるのだろうか。あのヒーローが生まれ育った家だと思うと心の高ぶりを感じる。

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西へ行く人をしたひて東へ行く 心の底そ神やしるらむ

(意味)西行を慕って頭を丸めたけど、自分のこころは逆に東へ行くのだ。
その心は神だけが知っているのだろう。
(高杉晋作誕生地でもらったパンフレットより抜粋)

 

破天荒な生き方をしたイメージの晋作。29歳、志半ばで血を吐いて死んだ龍馬伝でのシーンを思い出し、この句碑の前でたたずむ。せめて神だけでもわかってほしいという切ない思いが伝わってくる。

 

 

 

晋作誕生地から2本東に行った通りにある木戸孝允旧宅へ。

木戸孝允は、萩藩医の和田家に生まれる。8歳で桂家の養子となるが養父母を亡くしたため、その後は実家の和田家で過したらしい。33歳で木戸孝允と改め、45歳京都で病死する。

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江戸に出るまでの20年間を過した和田家の部屋の様子。萩藩医の家の子だけあって、しっかり教育されたことがわかるものがそこかしこに飾ってあった。孝允が生まれた部屋というのもあって、孝允の人生のひとコマを垣間見た気がした。それにしても立派な家庭だったことが伺える。

 

まだこの城下町を見学したかったが、松蔭神社地区へ自転車を走らせる。

 

 

長州藩をめぐる①

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いつものことで、いちばん遅く起きたのは私。窓の外を眺めると、菊ヶ浜の防風林の切れ間から美しい山容(多分笠山標高112)が見えた。アソコから日本海を眺めたらきっと素晴らしいだろうな。想像の世界にしばし没入する。

朝食を済ませ、フロントで自転車を借りる。無料だから文句は言えないけれど、タイヤツルツルの自転車で、私が計画したてんこ盛りな行程をコレでこなせるか心配になる。

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宿に荷物を預け、できれば計画通り回りたいと息巻く。

キツイ計画を立てる私の悪い癖を知っている友達は不安だろうな・・・と思うも、私の欲張りは留まる所を知らない。こんな友人関係だが、かれこれ40年余続いている。傍から見れば不思議かも。

 

7:45 [E:bicycle][E:sign04] [E:bicycle][E:sign04] [E:bicycle][E:sign04] チリンチリン!3台連ねて出発! 目指すは指月シヅキ公園。

 

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下調べしておいたオープンガーデンパスポートを萩城跡の指月公園で入手する。

 

今日一番の予定は、9時始発の「萩八景遊覧船」に乗ること。それまで指月公園散策。
指月山(標高143m)に登りたいなぁ~と顔に書いてあったのだろうか、友達は「下で待っているから登ってきていいよ」と勧めてくれる。防衛か先手打たれた感?いやいや友達の親切を感じた。船の時間までには戻る約束をして、喜んで指月山に登らせてもらった。

 

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8:25 山頂の萩城詰丸跡に着。現存する石垣がここに萩城詰丸があったことを物語っている。昨日の津和野城址に続き、今回の旅でふたつゲットとなった。こう書くと、まるでピークハンティング派のようだけど、そこからの景色が見たい派だと自分では思っている。同じかな?

 

 

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陸と海の監視のための要害と案内板に書かれていたけれど、現在は木が茂って期待していた景色は望めなかった。が・・・

 

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少し歩きまわると西側に下界が望めた。この景色を見つけられて嬉しかった。望遠撮影。

 

 

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草木がぼうぼうの山頂だったけれど、足元にはうぶ毛たっぷりのピンクのオドリコソウが咲いていた。屈んで愛でる。

 

10分足らずで下山開始。下山途中でトレーニングと見受けられる若い男性とすれ違う。

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気持ち良い登山道でした。

 

 

 

Src_11840292 長州藩初代藩主の毛利輝元像横をレンタサイクルで通過し、指月公園を後にする。

 

 

Cimg1256 お堀には鯉がいて、餌をやるとウジャウジャ集まる。

Cimg1252その餌で肥えた鯉をこのネコが狙うのかしら? 観光客さんよ、たんと餌をやっておくんなせぇ!

 

旧厚狭毛利家萩屋敷長屋に寄ってから、萩八景遊覧船乗り場へ向かう。

 

Cimg1257 船は萩城址疎水から橋本川に出て、玉江橋を過ぎた旧田中別邸あたりでUターンして戻ってくる所要時間40分の遊覧です。

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乗船すると、この高級そうな包みの夏蜜柑がもらえた。船を運行している萩市観光課の包みで、「長州本場・萩名産・萩夏蜜柑・長州萩町・夏蜜柑輸出専業」と印刷されている。

 

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船が橋本川に出ると、和船を漕ぐ若人が。船頭さんの説明によると「おしくらごう」と。
ネットで調べると ふぅ~ん。本番はねじりはちまき・下帯姿の若者たちとある。その練習だったのですね。手を振ると若人も振り返してくれました。

 

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玉江橋を過ぎて船はUターン。すると船上から今朝登った指月山が遠くに望めた。私にとっては最高の景色でした。

 

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疎水に戻りもうお終いかと思ったら、なんと海の方にまで進んでくれる。願ったり叶ったりで大喜びする。

今朝自転車で通った指月橋をくぐって海に出る。「橋をくぐりますから・・・・・」という船頭さんの説明の後、船の屋根が徐々に低くなってびっくり。我々も自ずと小さく屈むこととなり、なんとも楽しかった。子どもだったら大喜びするに違いないですね。

 

Cimg1266 海から指月山麓に築かれた萩城名残の石垣がよく見えた。乗船前に立ち寄った指月山を船上から眺められ、この遊覧船は満足いくものでした。

 

 

Cimg1272 船を降りてから、宿で貰ったコーヒ無料券で一服。そこは萩焼がずらりと並ぶお店で、私はここで夫婦湯呑茶碗を買い求めました。コーヒーは美味しかったけれど、タダより高いものはないということわざを思い出させるものでした。

 

 

Cimg1273 船から見た口羽家住宅に寄り、その先にある堀内鍵曲(カイマガリ)を通りました。鍵曲とは、城下に侵入した敵を迷わせるために、道を鍵の手に曲げて迷路のようにしたものです。高い土塀の道でした。

 

 

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幕末の志士、久坂玄瑞誕生地に立寄り、萩夏みかんまつりの会場の「かんきつ公園」へ。

 

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山陰の小京都 津和野散策

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SLやまぐち号の終着駅、津和野に。ど~っと降りる乗客に混ざって駅前に立つ。

コインロッカーに荷物を預け観光協会へ。

 

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「のんびり津和野めぐりチケット」をゲット。4時間しか滞在できないので、果たしてお得かどうかわからないけれど、幸いお天気なのでモト取る意気込みで歩き始める。

 

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立ち寄った場所は ルートは 

 

まず、葛飾北斎美術館へ。北斎はここ津和野の出身かとおもいきや、『北斎漫画』の初ずりが発見された場所という理由でここに設立されたとのこと。

館内を見学していると、見覚えがある本が目に留まる。

Cimg1357 家に帰ってから確かめると、やっぱり家に↗コレあった。葛飾北斎美術館にあったものとよく似ている。ちなみに夫所蔵。

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一巻をじっくり見てみると、これまたなかなか面白い。絵の書き順が書かれており、その通りに書けばソレナリに描けるようだ。うふふ、おもしろいねぇ。

ついでに・・・・

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コレ、私のマウスパット(2008年3月名古屋市美術館『北斎』で購入)
入場券を見て、北斎展の記念にアレコレ迷ってコレを選んだことを思い出す。

 

 

ランチ候補のお店に行ったら、本日貸切だったか満席だったかの看板が出ていてギャフン。SLから降りた人み~んなこのレストランでランチしてるのかなぁ? と悪態つきたいほど町は閑散としていた。それにしてもSLから降りた大勢の人たちどこに消えたのかしら?

 

 

Cimg1232殿町通りに出ると人が多くなりようやく観光地気分になる。花菖蒲はまだなので、メタボリックな鯉が観光客の相手役。餌をもらいすぎ→どんどん肥えていくってな図を頭に描く。

 

 

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カトリック教会。「乙女峠のキリシタン迫害」の悲劇を繰り返さないようにと、昭和6年にドイツ人のシェーファー神父が建てた教会だそうです。今でも悲しみが残る厳粛な教会でした。珍しく畳が敷かれているので座ってお祈りしました。

 

 

 

次は、 養老館 民俗資料館。 森鴎外も学んだ学校だとか。

この民俗資料館で面白いものを見つけました。

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それはコレ!ひと目見るなりピンときました。大河ドラマ「平清盛」に何度か小道具として出てくる双六でした。

この間の「勝利の代償」の回でもコレ出てきましたね。後白河帝の慢心を戒める美福門院得子(なりこ)のセリフがなんともスゴカッタ!

  あなた様が帝になられたのはほんの一時しのぎ・・・・・・ゆめゆめ思いなされまするな!

と言い残し相手(帝)のコマ?石?を指で弾く得子。凄みたっぷりでカッコヨカッタ。

しかし、「保元の乱」から次回の「叔父を斬る」と、この大河ドラマはだんだんオドロオドロシイ内容になっていきますね。ひょっとすると、崇徳天皇の遺体を浸しておいたという弥蘇場(やそば)のシーンもありそう?と期待している。

 

 

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津和野川にかかる大橋のたもとに「鷺舞」のオブジェ。鷺舞は京都→山口→津和野と伝えられたとか。

 

 

2羽の鷺の間に見える大橋を渡って杜塾美術館へ。津和野藩の庄屋屋敷を修復した建物で、画家中尾彰(なかお・しょう)とその妻の絵が展示されていた。立派な梁がある建物で係の人に案内してもらう。

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2階にはからくり障子なるものがあった。雨戸の節穴から差し込む光がピンホールカメラの原理で1階の庭の景色を障子に写すのです。ぼや~っとした小さな映像なんだけれど、とてもキレイで思わずホホォ~と唸る。

建物を出てから針穴写真で見たお庭に立ち、2階の雨戸を穴があくほど見つめたが、こちらから穴はわからない。今、私はアソコに写っているな、とほくそ笑む。

 

 

 

アンティークドール美術館も立ち寄ったが、あまり興味なくすぐ退館。
途中、左手に新山口行きのSLが通る。もう乗ることはあるまい・・・と手を振る。
道路工事で歩きにくい道を右へ左へと渡りながら「森鴎外記念館」目指して歩いた。

 

 

「森鴎外記念館」は津和野に似合わず近代的な建物だった。今年は鴎外生誕150年記念とのこと。なのに観光客はさっぱりでスキスキでした。建物は津和野川に面しており、桜並木越に津和野城址(三本松城)の石垣が望める。満開の桜の時期はさぞ素晴らしい景色だろうと想像しました。

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「森鴎外記念館」を出て裏から鴎外の生家に入る。質素な建物で生まれ育っても志ひとつで立派な人になれるのだと思った。生家からも津和野城址の石垣がよく見えた。鴎外は高い志を持って眺め、何度も上がったに違いないと思います。

 

 

鴎外生家を出た所にある橋からの景色は兎追いしの景色でした。時間が押しているので「西周旧居」は諦めて津和野川にふく風を選んだ。

出発前から津和野城址まで行きたいと企んでいた私は、「のんびり津和野めぐりチケット」で乗れるから行こうよと友達を誘い(なかばダマシ)リフト乗り場に向かって歩きだす。

 

Cimg1239 かなりの急坂をダマシダマシひっぱりリフト乗り場に到着。

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たったリフト5分の空中散歩で標高367mに立つ。

 

さて、ここからがちょっと大変でした。幸いにも杖が置いてあったので友達にはダブルストックにさせ、ゆっくり上がる。装備も技術もない友達を歩かせて大丈夫かと心配する所もあったが、ここまで連れてきたのだから安全に案内するしかなかった。無事出丸に到着し安堵する。

Cimg1242 聞きしに勝る津和野の景色でした。対峙する山は標高908mの青野山。友達と見たこの景色が、私の思い出の1ページに加わったことはいうまでもありません。

 

このブログを書くにあたり調べてわかったことなんだけれど、まず勝手に拝借したHPを読んでもらいたい。→こちらをクリック

ついでにこれもクリック。今回は名曲の舞台を見下ろしてきたようです。歌詞をじっくり聞いて今更ながら泣きました。私の企みにこんなオマケがあって感動しています。津和野の町を一望した甲斐があったというものです。友達を無理やり連れて行ったこともいい思い出となりました。付き合ってくれてアリガトウ友達よ!

 

出丸からの下山は特にゆっくり誘導し、4:30無事外界に降り立った。

 

それからが大変。津和野川対岸を歩く学生がとても絵になる景色のなかを 5:10津和野駅発のバスに間に合うよう急ぎ足で駆け抜けた。

 

私が引っ張り回したので友達の足は限界に達していたと思います。でも頑張って歩いてくれたお陰で早く駅に到着し、三松という和菓子屋で仕入れたお菓子(私はよもぎ大福。かなりの旨さ)を食べながらバスを待ちました。

 

5:10 津和野駅発の防長バスに乗車し東萩駅に向かう。バスは我々3人の貸切。今日は朝早かったしプチ登山したオバサン3人は車中で爆睡でした[E:sleepy]   

 

6:53 東萩駅着。ちなみにJRで津和野→東萩を移動するともっと時間がかかるようです。宿の迎えを待つ間、東萩駅をウロウロしたけど何にもない駅でした。

 

7:10 千春楽という海岸沿いに建つ宿に到着し、部屋に案内してもらう。

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7:30頃 1階に降りて海を眺めながら夕食。気がつけば外は暗くなっていました。

 

 

女三人の話は尽きず、アレコレおしゃべりをした晩でした。

 

津和野へ

名古屋駅7:54発のぞみに乗車し、新山口駅に到着したのは10:38。
それから乗継ぎ10分で「貴婦人」の愛称で親しまれているSLやまぐち号へ。小走りで構内いちばん端っこの1番線に向かう[E:run][E:run][E:run]

Cimg1213 レトロチックな汽車出発時刻表。赤丸の10:48の津和野行きに乗ります。

 

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女性車掌さんカッコイイですね。

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運転手は きみだ ♪~   車掌は ボクだ ♪~ そんな歌ありましたね。

C571昭和12年製造とあります。人間だったら後期高齢です。

「間もなく発車いたします」 新山口駅1番ホームでぎりぎりまで眺めていました。

 

Cimg1218 汽車汽車シュッポ[E:dash]シュッポ[E:dash]シュポッポ[E:dash]

最後尾、展望車両に続くデッキに出て列車の旅気分を味わう。湯田温泉駅停車中、喜んでSLに乗っている自分を遠方ミラーに見つける。[やまぐち]が鏡文字になっているけれどそこはご愛嬌。僕らをのせてシュッポシュッポシュポッポ[E:note] 楽しいなぁ・・・・でした[E:happy01]

やまぐち号の黄色いプレートの五重塔は有名に違いないと調べてみると、 ふぅ~ん。見とくべきだったな! 

 

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「欧風」という背もたれ上部がステンドグラス?になった素敵な客車がありました。特別席なのかスキスキ。どういうお方がお座りになるのでしょう。下々の私にはわかりません。

 

Cimg1222 途中駅から幼稚園児がドッと乗り込んできた。なんと特別席に幼稚園児が雪崩れ込むので、君たちも見学?と見ていると、先生が「○○ちゃんたちはここ・・・」なんて欧風席の割り振りを始めるではないですか。なんと特別席は幼稚園児貸切客車だったのです。

子どもたちはキレイな装飾にはしゃぐ。「Oh~ワンダホー」と言ってそうな坊やの目線はなんとも満足気。幼稚園児のくせにいいなぁ。だってオバサンたちの席は・・・・・

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これですよ。「昭和」という客車です。待遇の差にオバサンは大いにヒガミました。

 

 

3回ほど停車駅で休憩。汽車をじっくり見せてくれます。

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山盛り積んだ石炭の作業をしています。それをくべるところも見せてくれました。初めて見ました。
暑いのでしょう、腰に手を当て(後ろ向き)仁王立ちで水をがぶ飲みしてました。

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この時代の運転士は真夏も毎日こうだったのですから大変だったでしょう。

「この先、急勾配をSLやまぐち号は一生懸命上がっていきます」と車内アナウンスがありました。そのために石炭をいっぱいくべたのだと思いました。

 

たくさんのトンネルをくぐりながら山あいを行きます。誰か窓を開けたのか煙が流れ込み人間燻製状態で息苦しかったです。往時はこんな我慢を強いられながら乗ったのでしょう。気がつけば、どこを触ったのかススで手が黒くなってました。

 

車窓から見る景色は川あり緑ありで言うまでもありませんが、沿線に立って手を振ってくれる家族連れの姿はSLならではです。作業の手を止め遠くから手を振る農夫の姿は映画のワンシーンのようでした。撮り鉄という人たちは、ここぞというところでカメラを構えていました。

 

新山口駅から約2時間かかってようやく津和野に着きました。とっても楽しい汽車ぽっぽでした。

 

 

津和野・萩

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女三人旅。今回は津和野・萩に行ってきました。

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名古屋から津和野まで約5時間(SLに乗らなければ1時間ほど短くなります)。さらに津和野から萩までは1時間45分。遠いところだと実感しました。
できるだけたくさん見て回ろうと意気込んで出かけました。

 

さて計画とおりに行けたのかな?

バラが咲いた

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つるバラのカクテル(コクテール)が今年も窓辺を飾りました。
育て始めて10年余、今年は例年になく甘い香りを放ちます。

 

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少し遅れてこちらも咲き始め。コレは2000年に青系のバラということで通販で購入したのですが、年々ピンクになっているような。でも香りは最高です。

 
 

そんな平和な気持ちのところに飛び込んできたニュース。今年のGWもやっぱり北アルプスで遭難事故がおきたのです。

 

愛して病まなかった山で、今この世の最期を迎えている・・・と悟っただろうと思うと胸が痛みました。判断ミスが許されなかった今回の結末に、私は恐怖を隠しきれません。助かった人とダメだった人の違いは何だったのか。今とても複雑な気持ちです。

 

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がっかり

この間から続く被害でがっかりしています。この先は私の愚痴ですのでアシカラズな内容です。

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まず被害はコレです。何だかわかりますか? 1mものさしと一緒に写ってるモノが今回被害にあった証拠写真です。ナニコレ!というものに見えるでしょうね。

 

Cimg1030higai蕾みがつき始めたつるバラです。前日まで元気だった1m以上延びた枝が急に1本だけしおれたので、まず病気?害虫?を疑いました。とにかく消毒したハサミで枝を切ろうと枝をたどると根元付近でボッキリと折れているではないですか。あまりのひどさにガックリ。病気でなさそうでほっとしましたが、このあいだも50㎝ほどの枝がやられたので、多分アイツの仕業
だ!とムカッ!としました。(赤枠が被害にあった枝です)

 

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こんな蕾みが10個はついていました。可哀想なことしました。咲かせてあげられなくてごめんよ。

 

で、犯人は、多分いや絶対あのネコ[E:cat]です。私が水をやりに行った時すごい勢いで乗ってほしくない枝の上を通って逃げるのを見てるので、ヤツのシワザとしか考えられません。

そもそも、長年ネコの通路だったところにバラを置いた私がバカだったとも思いました。「挨拶もなしに、こんなとこに置きやがって迷惑極まりない」とヤツが言ってるように感じました。でも、でもね、故意でなくてもそれはだめだよ・・・と今度ネコに会ったら教えてやります。教えてやればきっとわかるはずです。

 

昨年1年かけて延ばした大切なつるだったのです。ワクワクと満開を待ち望んでいたのです。あぁ~あ!残念。

 

あじさいモラワレテイク

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あじさいをどうにも上手く育てられなくて、ずっと困っておりました。生命あるものなので捨てられずにいた所、ひょんなことから「どうぞ!」という方法を思いつきました。それが上の写真です。

 

もらってくれる人は現れるだろうか・・・何日も表に置くのも可哀想・・・と心配していたのですが、幸運にももらってくれる人が現れたのです。私は黙って持っていってもらえばいいと思っていたのですが、愛知県図書館に今から行くので帰りに貰いたいとのこと。いわゆる取り置きというものですね。まだ取りに来ませんが、何年間かはうちの子だったので「大事にしてもらうんだよ!」と最後に記念写真を撮った次第です。いざ手を離れるとなるとサミシイものです。

でんでれりゅーば

[E:note]でんでれりゅーば でてくるばってん

     でんでらでんけん でーてこんけん

         こんこられんけん
 こられられんけん こーんこーん[E:note]

 

 

テレビから「でんでれりゅーば」のCMが流れるたび、指を動かし歌う今日この頃。
実になつかしい歌なのであります。最近のお気に入りなのであります。

 

 

夫に「このでんでれりゅば小学生の頃よくやったよねぇ~」と言っても「知らん!」というつれない返事です。

 

それでもCMが流れるたびに「なんで知らんの?」とついつい聞いてしまいます。「知らんものは知らん」という夫婦の会話に不満を覚える妻の図。こうなったらターゲットは同級生女子に。友達に尋ねてみたら、「流行った!流行った!」と嬉しい返事[E:good]が帰ってきました。ようやく遠い昔の事実を確認でき満足したというわけです。それ以後、妻は夫にこの質問はしなくなりました。

 

 

 

私はずっとでんでれという龍が出てくる歌だと思っていたら、全く違っていました。

[E:note]でんでれりゅーば でてくるばってん
                (出ていけるなら出て行くんだけど)

   でんでらでんけん でーこんけん
                (出られないので出て行かない)

   こんこられんけん こられられんけん こーんこー
                (行けない行きませんから行かないよ)

 

・・・という内容だそうです。

(く)る=行く
(こ)ん=行かない・・・・何とも理解しがたい。

 

長崎のわらべ歌だということも今になって知りました。訳もわからず歌ってた意味がわかって、へぇ~と感心している次第です。

 

でんでれりゅーばの歌と指遊びはこちらで見られます。どうぞ!→こちらユーチューブ

 

・・・・こんこられんけん
 こられられんけん こーんこーん[E:note]

 

桃の節句

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これが私のお雛様。半世紀あまり前のものですから、随分色褪せています。

 

小さい頃、親の目を盗んでは、お雛様の段の中に潜りこんでお道具でよく遊んだものです。あの狭い薄暗さが、子どもにはたまらなく楽しい空間でした。

 

でも振動で、三人官女の両脇に立っているふたりだけが決まって段から転げ落ちるものだから、「また入ったのか!」とよく親に叱られたけれど、やめられない遊びでした。

 

重箱やお膳にべっとりしたお菓子をいれてままごと。タンスの引き出しにはおもちゃを入れてはふさを引きちぎり、終いには牛車をひいて壊してしまう。今思えば相当な悪でした。

 

三人官女の顔の一部が欠けたままずっと飾っていましたが、見るに忍びなく20年ほど前からお内裏様とお雛様だけを飾るようにしました。 

 

今年は、そんな子どもだったことを思い出す桃の節句でした。

ぼんぼりを出し忘れた2009年の桃の節句は→こちら