2011北アルプス紅葉(槍沢)①

平成23年10月7日(金)[E:sun]

体育の日の連休は、一般登山者が北アルプスに入れる最後の日なので、前泊で行かないと駐車場は満車で停められない。そうです、連休ともなると北アルプスは全国から物好きがワンサカ集まるのです。

 

さてさて今年の紅葉[E:maple]はどうかな?・・・と北アルプスの小屋のホームページを見るとあまりよろしくないことが行間から読み取れる。

それでも北アルプスに出かけたがるバカな私・・・に今回は夫が付き添ってくれることになった。 

 

というわけで、10/7(金)9:00PMころ(本当は7時の予定だったけれど支度ができなかった)夫の運転で家を出る[E:car][E:dash]

 

松本ICを降りるまでの交通量はまぁまぁ。上高地に向って走りだして10分もすると、次第に車が多くなる。[E:car] [E:rvcar] [E:car] [E:rvcar] [E:car] [E:rvcar] この夜中にぎょうさんの車どこに行きますの?
まさかこのほとんどの車が我々の仲間&ライバル(駐車場争奪の)だとは思いもしなかった。 
それにしてもみんな飛ばす飛ばす。クネクネしたカーブを何十台もの車が完全なるスピード違反で走っていた。

 

目当ての沢渡大橋Pに着くと、もう[E:full]の立て看板が。アウト!むむむっ。もう満車とは。
「次!次の駐車場へ!」と私は助手席から指示を出す。

当然次の沢渡中Pに皆なだれ込む。私は長い行列に我慢できず「Uターン!もひとつ先の沢渡上Pに行こ!」

読みは当たった。沢渡上Pはラクラク駐車できた。1:30AMセーフ[E:scissors]
それにしても街路灯もない真っ暗な山道をうまく来れたものだ。名ドライバーとナビの意気投合した結果だと思う。

 

車外は気温2度。寒空を見上げるとオリオン座が頭上に見える。冬の大三角もすぐ結べる。ロマンチック[E:shine]な気分になる。

 

シュラフに潜り込み沢渡上で車中泊。これで明日上高地に入る準備が整った。大きく息を吐き眠りについた[E:sleepy]

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つづく

2011北アルプスの紅葉は?

10/11PM11:00ころ無事帰宅しました。

今年の紅葉はまったくダメでした。10月7日未明の雪でひどいことになっていました。

それにしても今回は寒かったです。

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                   10/7未明の稜線の様子(槍ヶ岳山荘HPより
                   西鎌尾根だと思います。

 
 

私は槍沢でしたが、涸沢のテント村は1000張強だったとか。小屋泊を含めると3000人が涸沢にいたことになります。

私が行った2008年秋の涸沢テント泊のときの記録を見ると600張とあるので、今回はものすごい状態だったに違いありません。なんでこんなに集まるのでしょう。
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                   10/9早朝の涸沢テント村(穂高岳山荘HPより)

 
 
 

これにて今年の北アルプスはお終いです。 

Img_38382010のような紅葉再来を夢見て、鈴鹿でトレーニング山行に励みます。

槍ヶ岳にて

槍ヶ岳にて
飽きもせず北アルプスに来ています。2011北アルプスの紅葉はまったくダメだったので槍ヶ岳の写真をどうぞ

2011北アルプス(ジャンダルム)⑤

平成23年9月14日(水)[E:sun]/[E:cloud]

楽しかった山旅も今日が最終日となる。

Cimg0446 稜線上から見る日の出は格別だ。その光を浴び、下界でのセワシナイ日々を生き抜くためのエネルギーをチャージする。

 

Cimg0456 日常から離れたこの数日間は本当に幸せで・・・・

 

Cimg0455今回も穂高は私を楽しませてくれた。

 

Cimg0461小屋裏に回って、昨日立ったジャンダルムを改めて見る。それは今まで以上に神々しくまばゆいものだった。私を受け入れてくれアリガトウを言う。

Cimg0460 そして笠ヶ岳に目をやると穂高の影が落ちていた。何を見ても私を満足させるものばかりだった。2009年に降った白出沢にもサヨナラを言って涸沢に向けて下山した。

 

下山開始6:13。何年かぶりのザイテングラートを降りる。

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小屋から1時間半ばかり降ったところから北穂を眺める。あそこからの景色は容易に想像できた。

 

8:10涸沢ヒュッテでコーヒータイムの小休止。
あと1ヶ月もすると紅葉目当ての登山者がここにワンサカ集まる。今は嵐の前の静けさといったところか。

 

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涸沢ヒュッテから降ること1時間、昨年10月に降った本谷が遠望でき懐かしく眺めた。
あんな冒険はもうできないかもと最近小心者になっている。慎重になったというのが本当かも。

 

Cimg0482                              トリカブト

本谷橋を通過し、しばらく行くと6月にお世話になった嘉門次小屋のあるじにばったり遭った。あるじは涸沢へ散歩とか。お元気だ。

 

 

Cimg0483この位置から初めて見た北穂にしばしたたずむ。

 

 

Cimg0485                          虫に食べられた葉っぱ

 

もうすぐで横尾という所で私はまたもや転倒した。今度は左膝を打つ。我々パーティー以外の後続が気になって振り向きながら歩いたのがいけなかった。幸い大したことがなかったのでよかった。横着するとこうなるぞと山は教えてくれる。

 

 

Cimg048611:20横尾でトイレ休憩。横尾の楽しみはこの景色。

 

12:25徳沢着。カレーライス+ソフトクリームでお腹を満たす。

 

Cimg0487                            センジュカンピ
(ナデシコ)

 

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2:25河童橋着。残念ながら奥穂は雲の中だった。また来るときの楽しみにして上高地を後にした。

 

タクシーで平湯に戻り、バスターミナルに併設される日帰り湯で3日分の汗を流し、ガイド車で名古屋に戻った。

 

今回は出発までヤキモキしたが、楽しい山行だった。おしまい。

 

 

          出発地  : 穂高岳山荘    2996m  6:13発
          到着地  : 河童橋     1500m    2:30着
          標高差  : A  305m                19分
                  D 1666m           4時間26分 
          行動時間:                               8時間17分
            

2011北アルプス(ジャンダルム)④

平成23年9月13日(火)[E:sun]/[E:cloud] 後半Cimg0388
ジャンダルムに登頂したのは11:00ちょうどだった。岳沢小屋から5時間弱(休憩含む)。

 

あいにくガスがかかり景色はイマイチ。奥にデンと構えるのが奥穂高岳で、その左下に小さく見える赤い屋根が穂高岳山荘。そして右端に写るのがロバの耳。

風もなく天気は良かったので頂上で30分ほど休憩。ジャンダルムから360度の景色へ

登頂を果たし嬉しかったが、来てしまえばあっけないものだった。それはちょうどお遍路で結願したときのような感じに似ていた。

 

下山開始。

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左)11:30ジャンダルム降り始めの様子。
右)降りたらジャンダルムの信州側をトラバース(スリルがあった)してどんどん降る。(ガイド撮影)

 

 

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左)11:48ロバの耳の根元からジャンダルムを見る
右)11:53ガイドが下降ザイル確保の準備を始める。

 

 

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左)12:06 2人目がザイル確保で下降(飛騨側に降りる)
右)12:14 4人目の下降を下から撮る。 (全員下降所要時間は30分)

 

2009年9月、遭難者を救助する岐阜県警のヘリコプターが墜落炎上したのは、このあたりだった。その残骸が今でも谷に少し残っており痛々しかった。

 

 

Cimg0403 ザイルを外し自由の身となり、ロバの耳の飛騨側をトラバース(鎖あり)する。スリル満点。それからに向ってを急降下する。それからをたどってテッペン(名前はない)を目指す。この核心部はスリル満点だった。でも慎重に行けば大丈夫。

客の安全を考えるとガイドが一番ヒヤヒヤしたところではないだろうか。奥穂はまだその向こう。まだまだ遠かった。

 

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12:55ひとつ上の写真のてっぺんの赤丸に着。ザイル下降地点から小一時間かかった。
時折切れるガスで辛うじて奥穂が望める。あともう少しで奥穂に着いてしまうのが残念な気持ちだった。もっとこの稜線を味わって居たかった。 

 

Cimg0411 先行した登山者が核心部最後の馬の背を登っているのが見えた。馬の背を登り終えた登山者(赤丸)も見える。

さて、いつまで待ってもガスは晴れないので馬の背に向かう。

この先で私はつまずいて転んだ。平らなところだったので幸いだったが。

 

 

Cimg0411225104182sそして最終の核心部「馬の背」を登る。こんな感じで登った。ガイド撮影。

両脇がスパッと切れ、馬の背とは名前の通りでこれまたスリル満点。ホールドはしっかりしているので怖くはない。そうそう来れるところでないので左右をよく見ておいた。そしてここの降りはどんな感じなのかも振り向いて見ておいた。

 

 

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1:35無事奥穂高に着。岳沢小屋からここまで7時間強の行程は楽しかった。
ご覧のとおりガスガスで真っ白。西穂側も上高地も何も見えない。ここまでの縦走路を眺めるつもりだったがそれは叶わなかった。

2:00穂高岳山荘に向けて下山開始。本来なら涸沢岳や北穂高岳を見ながらの下山だが
真っ白で何も見えない。そんななかをとぼとぼと降った。

 

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ようやく小屋の屋根が見えたときはずいぶん下に来ていた。
2:30穂高岳山荘着。

夕食まで仲間とワイワイ今日の話で盛り上がった。

 

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5:00夕食開始。平日だというのに大勢の登山者がいたのには驚いた。

 
 

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夕食後、小屋裏の白出からジャンダルムを見た。あそこに立ったのだと感慨深く眺める。

 

Cimg0442 稜線から見る一日遅れの中秋の名月は美しかった。雲海は月夜に照らされ幻想的。この景色を追い求めて私はまた山に登るのだろう。

 

          出発地  : 岳沢小屋    2170m   6:10発 
          到着地  : 穂高岳山荘    2996m      2:30着
          標高差  : A 1109m              3時間49分
                  D   279m                1時間  3分 
          行動時間:                                 8時間30分
          ピーク  : 3190m奥穂高岳  

                                     つづく

2011北アルプス(ジャンダルム)②

平成23年9月12日(月)[E:sun]/[E:cloud]

そんな具合で北アルプスに向かった。

 

ガイド運転の[E:rvcar]は、5人(男2+女3)の参加者を乗せ、名古屋駅前を7:15に出発した。
東海北陸自動車道→高山市→平湯に10:00着。平湯でタクシーに乗り換え上高地に入ったのは10:50だった。

Cimg0315河童橋から今まで漠然と眺めていた畳岩~ジャンダルムをじっと見つめる。
今回の核心部をズームアップする(上記写真)とリアルに見えてくる。あぁ~あそこを行くのだと思うと嬉しくてゾクゾクした。

 

今日の行程は、岳沢にある岳沢小屋(2170)まで。河童橋を渡り梓川右岸をしばらく行くと岳沢登山口がある。11:45登り始める。

 

今日はじめて会った他4人とは、車中ではぎこちなかったけれど、共通の趣味・目的を持つ集まりだけあって、歩き始めればすぐに打ち解けた。みんないい人だった。

 

   Cimg0326   Cimg0318

左)ノコンギク(野紺菊)キク科  色がとても綺麗で目をひき
右)アキノキリンソウの花道を軽快に歩いた。

 

 

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2:30小屋見峠まで来ると明日取り付く天狗沢~天狗のコルが遠望できた。明日はアソコを登るのだ。ザレザレだなぁと眺める。(中央に小さいが雪渓あがある所を登って行きコルを目指す)

 

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2:37岳沢小屋(旧岳沢ヒュッテ跡地)に着。 

 

岳沢ヒュッテは2006年の豪雪による雪崩で壊滅した。皮肉にも同年オーナーが亡くなり岳沢に拠点がなくなったが、2010岳沢小屋として再建された。

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豆をひいて淹れてくれるというバリアラビカというコーヒーを注文しテラスで飲んだ。香りも味も私好みだ。穂高の山々に囲まれて幸せに浸る。

 

 

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前穂高岳を眺め(今回は前穂には登らない)

 

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西穂高岳の稜線を眺め、改めて岳沢の良さを発見した。(小屋の写真を拝借)

 

実は2002年、旧岳沢ヒュッテに泊って前穂~奥穂へと縦走している。
その時、この天狗沢をつめて稜線にあがるバリエーションルートがあるという話を聞いた。初心者の自分には関係ないとその時は思ったが、なぜかその話をずっと覚えていた。岳沢小屋が再建されてからは思いが募り、今回の決行に至ったというわけである。

 

 

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それを確かめに、ヘリポートから少し上がったところまで行って、明日登る天狗沢をじっと見つめた。
「とうとう来たのかい?どうだい?素晴らしいだろ?」と天狗岳が私を誘っているように感じた。
コルまで3時間。漠然と眺めていた2002年とは違った想いでそれを見つめた。

 

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というわけで、明日のルートは上記写真の通りで、奥穂まで行き穂高岳山荘に降りる予定。

 

当小屋が再建されたことにより小屋⇔奥穂⇔前穂⇔小屋と周回する人や涸沢or奥穂⇔前穂⇔小屋と縦走する登山者が復活しだした。どちらも健脚ルートなのでアクシデントが起こると当小屋到着が遅くなる。

この日も夕食ころに到着したパーティーがあった。小屋番はイライラした対応のように見受けられたが山小屋の使命として受け入れていた。まだ再建途中のこの小屋は定員30名の小さい小屋なので、終いにはテント泊(小屋のテント)で受け入れる体制だ。(予約制なので予約者の最低限の確保をしている)テントでも寝せてもらえるだけありがたいと思わなければいけない。自分も無理な計画を立てがちなので反省させられる光景だった。

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5:30夕食。あとは何もすることがないので歯を磨いて(水は豊富)寝る支度をする。

 

7時ころだったか布団に横になり、明日の稜線のことを考えた。どれだけ怖いのだろう?・・・しかし前夜寝るのが遅かったからコトンと眠りについてしまった。

明日のおさらいもせず寝てしまって・・・果たして天狗沢はどれだけ大変でしょ~か。  

                                         つづく

 

          出発地  : 上高地河童橋 1500m 11:23発 
          到着地  : 岳沢小屋泉   2170m  2:37着
          標高差  : A 642m             2時間11分
                  D   5m                         2分 
          行動時間:                               3時間14分

 

2011北アルプス(ジャンダルム)①

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ジャンダルムgens d’armes フランス語で憲兵。転じて前衛峰の意)は、奥穂高岳の西西南にあるドーム型の岩稜で標高は3,163m。 ・・・・・ウィキペディア抜粋

 

 

 

あれは2002年夏だった。
初めて登頂した奥穂高岳(岳沢~前穂~)からジャンダルムを見た。

そのテッペンで豆粒のようなものが動くので目を凝らすと、なんと人が立っていたのには驚いたものだ。そのころの私はそこがバリエーションルートだということも知らず、ただカッコイイナと眺めた記憶だ。

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そして翌年。
2回目奥穂に登頂(涸沢~)したとき、どうやら奥穂⇔西穂のルートがあることがわかったが、どう見てもそこは[E:danger][E:danger][E:danger]自分が行ける所ではなかった。

 

 

ジャンダルムは槍ヶ岳のように、どこからでもわかる山容ではないが、穂高の稜線をたどればそれだとわかる。笠ヶ岳、奥丸山、黒部五郎岳、三俣蓮華岳、双六岳、大天井岳、北穂高岳、涸沢岳、西穂高岳から見つけては「行きたいなぁ~」と思うようになっていった。河童橋からも探せばわかる。 

29                                上高地HPより

 

山をやる多くの者が憧れるように、私もそうなっていった。アルプス中毒になっていったのである。

 

西穂~奥穂縦走は、それなりの経験と技術(もちろん天候と体力が重要)がいるが、慎重に行けば私でも行けるのでは?とだんだん思うようになっていった。

しかし相棒がいなくて西穂高岳から先のジャンダルムへは2006年から足止めをくっていたのだった。ソロで行くほど技術も勇気もなく、個人ガイドを考えたがずっとアンザイレン(安全確保のためにロープを結び合う行為)だそうな。ルートファインディングや自由自在がないそれは生意気だが嫌だった。

 

『山は逃げていかないが体力は低下する』
自分には関係ないと思っていたのだが、気がつけば・・・体力の低下は否めない。せっかくだものヘロヘロで縦走するのではなく、体力があるうちにやっておきたい。

 

そんな思いから、本意ではないがツアー(アンザイレンではない)に申し込んだ。今年の1月のことだった。

 

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しかしそのツアー(9/1~)はノロノロ台風12号で中止となり、順延日もとても行けそうになく泣く泣く諦めることになった[E:shock] 諦め切れずしばらく立ち直れなかった。

 

鼻先に人参(ジャンダルム)をぶらさげ、半ば強引に仕事や家庭のことをやりくりするも空回りばかりで、諦める・諦め切れないを繰り返す。それでも何とか片付け、ダメモトで出発3日前にツアー会社に問い合わせてみた。

 

幸か不幸か空いていたので滑り込むことができた。が、出発前からグッタリ。
中止から再参加を申し込むまでの1週間の葛藤状態は非常に苦しいものだった。

 

20090816105407a5ds

                                     つづく