無念

私はまだ鹿島槍ヶ岳登頂していません。なので、どんな山か想像できないのですが、先月末、その山で滑落死した男性N(31歳)について感じていることを書きます。

 

この数年、個人的に興味があっただけで、その彼とは知り合いではありません。
ただ去年10月、彼が山野井さんと行ったペルーの写真を見ながら、少しばかり楽しくおしゃべりしたので、その笑顔が思い出されて仕方がないのです。

 

彼のどこに惹かれていたのかを考えました。

多分、死を恐れない無謀さが危なかしく目が離せなかったのだと思います。彼の過激な山行は目標を達成するものだったにせよ、私のような未知の世界に憧れを持つだけの無責任な存在を思わないでもありません。サッカーでいう無観客試合であったら、彼はまだ、命を落としていなかったような気がします。

 

 

下記のような記事を見つけました。難しいことだけど臆病を重ねることと書かれています。

 

冬山、それもバリエーションルートに行くには臆病では行けるはずがないです。人一倍の勇気が必要でしょう。しかしその勇気と引き換えに、命のカウントダウンを2つ飛び、3つ飛びというスピードを上げること、彼だって知っていたはず。なのに何故、ひとつしかない命をもっと大事に使わなかったのでしょう。そんな勇気なんて褒めてやれない。

 

 

山をやればやるほど死に近づく。皮肉です。

知り合いでないのに、わずかでも人となりを知った人の死が、こうも心が痛いことに驚いています。

 

 
山は優しくも冷徹でもありません。人間の営みなど無関心に存在しています。

山は人を差別しません。ベテランであろうが、素人であろうが、等しく襲いかかります。

人間の計らいなど、山から見れば無に等しいのです。

経験も努力も必要です。

しかし、それは山で生きて行けることを保障しません。

そういう山の無関心さが私を快くさせてくれるのです。

経験を積むことは、自然を理解し手なずけることではありません。

臆病を重ねることです。

しかし、なかなかそれが難しいのです。

山登りにおいて、素人より経験者が多く遭難する理由はそこにあります。

私の知っている、そして尊敬する登山家は皆、山で死んでいます。

それが何よりの証拠です。

無謀だから死んだのではありません。

死んだから無謀なのです。

(和田 城志 「剱沢幻視行」 岳人09・1月号 より)

 

追記: 野田賢マサル

 

 

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花を終えた水栽培のヒヤシンスを土に返してやったら、返り咲きした。
ひとつの命(球根)に、2回も花を咲かせることってあるのだろうか?

 

 

 

2013 霞沢岳 ③ 日本山岳景観最高の場所

平成25年10月14日(月・祝日)

Cimg0338 5:30の朝食を済ませ小屋を出ると、安曇野方面から朝日が昇る。
奥に見える稜線は八ヶ岳かな。

今日は体育の日。普段は不健康極まりない生活なのに・・・・今日は朝日を浴び山を歩く。なんとも体育の日にふさわしい健康的な一日の始まりだった。

 

 
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6:20 明神、前穂、奥穂に向かって元気よく「行ってきま~す!」

 

Kasumizawadakedanmen
本日の行程は、徳本峠小屋(標高2140m)から霞沢岳(標高2645m)をピストン。

登り一辺倒の山なら2645-2140=505mなんだけど、霞沢岳はアップダウンの繰り返しで、往路だけでざっと700m強アップ、200m強ダウン。往復のコースタイムは7時間。

私の復路は上高地BTまでだから、さらに+2時間半の9時間半。休憩入れてざっと11~12時間のつもりでいる。怪我さえしなければなんとかなる。

 長野県山岳ガイドHPより拝借 

まずはジャンクションピーク(JP)までの高低差288mにとりかかる。1時間で行きたいけれど、いつも景色に見惚れる私、行けるかな? 
 

 
 
Cimg0340img_4997 明神・前穂が美しい。明神~前穂のコースをこれ見よがしに見せつけている。前穂北尾根の右端に屏風岩も見える。その奥は喜作新道。

 

 

Cimg0344img_5000朝日に照らされダケカンバの黄葉が鮮やか。この時期ならではの山の醍醐味を味わう。

 

Cimg0345img_5002 Cimg0346
7:35 JPに着。
道標は朽ちてボロボロ(右写真)。木にJPと赤のペイントあり(左写真)。ここで小休止。

 

 

JPから
樹林帯の中を大きく方向を変えながら下降。

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167m降った最低鞍部からは吊尾根が見えるようになる。随分西に移動したことがわかる。

 

さて、ここからがキツイと聞くK1へ。329m上がる。

最低鞍部で追い越された若者たちは、あっという間に消えていった。ヨタヨタ登っていると・・・・・・

Cimg0352(右から)K1・K2・霞沢岳が「カモ~ン!」と私を呼んだ。・・・な訳ないけど、そんな、気持ちを奮い立たせる景色だった。

 

あの稜線に上がれば素晴らしい景色が待っている。天気は上々。いい日に来たものだと一歩ずつ一歩ずつ身体を持ち上げる。

 

頑張ったものだけが見せてもらえる。見たい景色を。その一心でひたすら標高を稼いだ。 

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10:07 K1(2590m)に着。徳本峠小屋から4時間45分。

とうとう見たかった穂高と対峙することができた。愛おしくて両手を広げ抱え込む仕草で酔いしれた。私のコンデジでは上手く撮影できなかったけれど、北アルプスが私を受け入れてくれたので満足。

 

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2007年10月に歩いた西穂小屋から焼岳の稜線は綺麗に紅葉していた。
その奥には笠ヶ岳。これまた上手く撮影できなかったけれど、この景色の中でたくさんの思い出を回想する。北アルプスに通いつめた甲斐があったと思えるひとときだった。

 

下山後、ふと気になり『深田久弥・霞沢岳』でネット検索したら、『日本百名山の深田久弥は後記の中で、当然選ばれるべき山のひとつだったと述懐している』とあった。

やっぱりね。上高地から近いし、この景観だもの、そうでしょう・・・と思った。
でもね、選ばれなくてよかったよ。ここは来たい人だけが来る山なのだと思うよ。そっと穂高を見てそっと帰る、そんな場所のような気がするよ。

 

Cimg0367他の登山者もそれぞれ思いで山を見つめていた。

気がつけば、K1で30分以上も休憩してしまった。目的地はまだこの先なのに。K2・霞沢岳に進む。

                                          つづく

 

2013 霞沢岳 ② 日本山岳景観最高の場所

平成25年10月13日(日)[E:sun]

沢渡駐車場の車中、ぬくぬくのシュラフからエイッと抜け出し、身支度を整えバスを待つ。

 

切符販売のオネエサンに往復を勧められたけれど、明日の下山は最終バスの6時に多分間に合わないから [E:bus]片道切符しか買わなかった。釜トンネルが閉まる7時までには下山できるだろうから、往路はタクシーを使うという計画である。

 

 

 

Cimg0241img_4921 7:30上高地バスターミナル着。穂高がうっすら雪化粧していた。今期初冠雪とか。

今年は10月に入っても名古屋では30℃という暑い日が続いたけれど、穂高稜線はいよいよ冬を迎えた。急激な天候悪化による痛ましい遭難ニュースは、こういう油断する時期が多い容易に人を寄せ付けないオーラの 『うっすら雪化粧の穂高稜線』に畏敬を抱く

 

バスターミナル売店で朝食を仕入れ腹ごしらえしたあと、登山者の流れに乗って歩く。

Cimg0254 1時間ほどで明神着。
前日に雨が降ったので名残の紅葉が色濃く綺麗だった。今年は連休が遅いのか、紅葉が早いのか、ドンピシャに来るのは難しい。

 

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8:55 徳本峠への入り口。

考えてみれば、今年は北アルプスに4回入ったけれど徳沢も横尾も行ってない。今年はそんな山行だった。

 

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上高地から一歩入れば誰もいない静かな道になる。私はこの道を山頭火流に『まっすぐな道でさみしい』と呼んでいる。

初めてこの道を歩いた2000年はひとりで、だった。その4ヶ月前に父を亡くしたときだっただけに、この静寂さのなかで 慟哭した。

あれから13年。思い返せば、私は山やお遍路を通して随分強くなった(気がする)。行くと決めた道は進むしかない、と山やお遍路で学んだ(気がする)。

 

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見上げれば山肌の紅葉が綺麗だ。
ここまで来いと山が呼んでいる・・・という私流の考え方に火がつく。

 

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振り返ると天狗岳・間ノ岳がよく見えるようになる。ああだったこうだったと回想するのに、徳本峠の道は予想通り最高だった。標高を上げるにつれ見え方が変わり、何度も立ち止まっては眺めた。

 

 

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そして、まるで絵のような景色が私を釘づけにした。心の栄養剤、いや頓服だ。

 

Cimg0286 さらに標高を上げていくと、今回のシナリオにはなかったこの景色↑を魅せつけられた。

今夏歩いた常念山脈~喜作新道が見通せるとは・・・まるでオノボリサン(山に登ってるからそうなんだけど)だった。へぇ~たまげた~と魅入る。自分が歩いた道を違う角度から見られるなんて願ってもない展開にウキウキだった。 

 

「ねぇねぇ、穂高が見えるのは知ってたけれど、大天井まで見えるなんてすごいねぇ~」と言っても夫の反応はイマイチ。それでも私は例によって続けた。

「天の神様が特別なものを見せてくれたんだよねぇ。すごいねぇ~」

そういう考え方をしない夫の反応は実にモノタラン! ものでしたが、まぁいつものこと。強引に夫を私の陶酔の世界に引きずりこむ。

 

 

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峠直下の樹々はもう葉を落としていた。ナナカマドは実だけになっている。

あれが霞沢岳K1ピークから派生している六百山かなと見ていると、

「あ~っ!西穂稜線に背伸びをしている笠ヶ岳の頭が見えるぅ!」
それが何だと言わんばかりの夫のテンションの低さを感じつつも、お互い我関せずで自分流を貫く。

 

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11:35 徳本峠小屋(標高2140m)に着く。昨日はテント50張りで足の踏み場がなかったらしい。

小屋の手続きを済ませ、小屋前で湯を沸かしお昼とする。 

Cimg0290img_4984 今にも壊れそうな手前の小屋は大正12年に建ったもので、私は2004年に泊まった。その後、旧小屋を一部取り壊し赤い屋根が2010年に建った。 

 

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これが旧小屋の屋根裏。ぎゅうぎゅう詰のケンカ勃発で寝た記憶。1mほどの段差でたくさん泊まれるように工夫されている。

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旧小屋の1階からは2階の布団が見える。

 

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そしてこれが2010年に建った赤い屋根の小屋内部。段差をつける建て方は新旧似ていて面白い。

 

Cimg0313新しい小屋の屋根裏から見えるのは小嵩沢山(こたけざわやま)。この山を降ると島々のようだ。

 

Cimg0297小屋から歩いて1分の展望台から穂高が一望。

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明神のひょうたん池から東稜~前穂のルートを勝手に想像するにはいい場所だった。極めつけは前穂から吊尾根~奥穂~ジャンダルム~天狗岳~間ノ岳~西穂と体験を重ねあわせての擬似縦走。最高のステージだった。

 

 

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夕飯は想像以上。だって・・・・

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2004年の頃はコレですよ。これを覚悟して行ったので、佃煮やふりかけなど夫のために持参したけど無用だった。

今回のご飯は赤飯だと思ったら五穀米、そして松本から荷歩したという朝取れ野菜の天ぷらにカツなど改善されていた。2010年小屋が新しくなったときに小屋番も変わり良くなったと聞く。その昔といっても1995年の記録を読んだら、本当に?という小屋番だったようだ。ここは関所みたいな位置づけだったからかな?

 

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夕食後、NHK『小さな旅』で放映された『徳本峠~霞沢岳』のビデオを見せてもらう。明かりを消しランプを灯すという最高のもてなしだった。

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ビデオ放映後、外に出てみるとブルブルッと寒い。[E:moon3]月明かりが邪魔して満天の星とまでいかない。月から離れたところにある『W』のカシオペア座は容易に見つけられた。じゃあ北極星はと探すが、どうも木の茂みの中のようだった。

 

8時半就寝。だけどなかなか寝付けない。ゴソゴソしてたら枕元のカメラに気づき・・・・・・

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盗撮した。フラッシュ撮影に一瞬ひやりとしたけれど皆さん熟睡のようでセーフ。赤の他人と枕を並べることもある山小屋の一コマ。これは上等なほう。定員以上は予約を取らない小屋の方針で、ギリギリではあるけれど基本的人権の尊重は守られている。

 

多少のいびきは気になったけれど、大合唱とまで行かなかったので、そのうち眠った。[E:sleepy]

                                        つづく

 

 

 

 

 

 

2013 霞沢岳 ① 日本山岳景観最高の場所

10月連休間近、徳本峠小屋のキャンセルがあったので拾いました・・・中途半端に13日だけですが。仕事の都合上連泊できず、私には難儀であることは承知の上で、以前から気になっていた霞沢岳(かすみざわ)を計画したのです。 

 

果たしてこの霞沢小屋1泊計画、吉とでるか凶とでるか?

 
 

さて、その小屋がある徳本峠は、上高地北アルプスの発祥の地で歴史があります。 

120年前の明治26年(1893)、イギリス人宣教師であり登山家のウォルターウエストン(当時27歳)が、島々から登り徳本峠から見た日本アルプスを世に広めたことから、この峠は有名になりました。『徳本』と書いて『とくごう』と読みます。

 

今では釜トンネルを通るバスで簡単に上高地入りできますが、当時は徳本峠越えしかありません。『日本山岳会』を結成した小島烏水や『日本風景論』を出版した志賀重昂、高村光太郎・智恵子親子、芥川龍之介などが訪れています。

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現在では、日本山岳会信濃支部が毎年6月第1日曜日のウエストン祭に合わせ『島々~徳本峠~上高地』という強行軍を行いウエストンを讃えています 

 

では、いつ頃から上高地入りのバスができたのか気になります。

[E:book]
大正4年(1915)に焼岳が噴火。大正池を利用して水力発電の計画がもちあがる。
大正15年(1926)に釜トンネル(手掘り)を着手。
昭和2年(1927)に完成し、
昭和8年(1933)には乗合バスが大正池まで運行開始。

昭和10年(1935)には河童橋まで運行できるようになる。

 

焼岳噴火後の計画で、まずは大正池までバスが通るようになったのですね。それはウエストンが上高地に入ってから40年後だったこと、そしてその40年の間に先に書いた著名人たちが徳本峠を越えたことなどから、近代登山が急速に広まったようです。そのハシクレが私ということでしょう。

今回霞沢岳山行記を書くにあたって初めて知ったことなどを簡単に記しておきました。

Scn_0002 2000年10月、当時の私に徳本峠の知識がどれほどあったのか覚えてませんが、涸沢紅葉ツアーの帰りの自由行動で、私はこっそり上高地から徳本峠を訪れました。それが上の写真です。限られた時間でのピストンだったので峠についた途端へたり込んだ記憶です。13年前は北アルプスをほとんど知らない私でしたが、峠から見た穂高の大きさにはそれはそれは感動したものです。今でも足しげく北アルプスに通うのは、その時の感動が今なお脳裏に残っているからでしょう。

 

 Dscf0082
その後、2004年6月には上高地~徳本峠~島々を山仲間と歩きました。上の写真は岩魚留小屋です。これも白黒にしたかったのですがうまくいきません。

今回調べて知ったことなのですが下記のような文章がありました。

 

[E:book]
絶ちがたく見える、わがこの親しき人、彼れは黄金に波打つ深山の桂の木。(智恵子)

十月一日に一山挙つて島々へ下りた。徳本峠の山ふところを埋めてゐた桂の木の黄葉の立派さは忘れ難い。彼女もよくそれを思ひ出して語つた。(光太郎)

岩魚留小屋の桂の大木
桂の木とは、岩魚留小屋付近の桂の大木のことと思われる。いまでもその姿は変わることなく見ることができる。
1932年の自殺未遂の時、智恵子はその遺書の中に、楽しかった上高地の思い出を書いた。徳本峠小屋HPから抜粋

 

今回3回目の徳本峠も上高地からなので、次回こそは島々からウエストンの足跡をたどり、先に書いた桂の木を見たいものです。紅葉の時期がよさそうに思います。

まだ霞沢山行記にとりかかっていないのに、次回の徳本峠のことを書いているのは変でした。

 

さてさて今回の霞沢山行は、前回9月の前穂山行のとき、沢渡駐車場が満車だったので、12日夕方に名古屋を発ち、沢渡で車中泊としました。

10月12日の深夜12時に沢渡に着きました。谷あいには月明かりはなく満天の星空でした。

                                   つづく

 

 

 

北アルプスの紅葉

Img_0002_2_2
2013年10月7日付け朝刊の一面記事です。どうです!素晴らしいですね。

 

槍沢の紅葉は、3年連続して行ったので今回はやめましたが、コレを見ると行けばよかったという気持ちになります。

2012槍沢紅葉
2011槍沢紅葉 
2010槍沢紅葉

 

Img_3760
2010年 槍沢の紅葉↑を彷彿とさせます。私の写真は槍を真ん中に入れているけれど、新聞は少し右にずらしている。さすがプロ!
今度行く機会があったら、少しずらしてみよう。

 

 

興味深い記事を見つけたので載せます。 


信濃毎日新聞社によると

[E:book]登山歴は
1年未満が12・9%、
1年以上〜2年未満が16・7%
2年以上〜5年未満を合わせると全体の53・0%を占めた

年齢は多い順に 60代23・2%、
           30代20・0%、
                       40代19・5%
                       50代15・5%
                       20代13・5%

 

 

自分のことを棚に上げてですが、近年、装備不十分な軽装な登山者を見受けます。
登山でいう装備は命を守るものですから、もきちんとしたものを選ばないといけません。当然値段は張りますが、それで命が助かるなら安いものです。(完全装備でも遭難するときもありますが・・・・)

 

さぁ~てと、今度の連休はどこに行こうかな????

 

Cimg0043
                     候補はここ↑

 

2013 11年ぶりの前穂高岳 ③

Scn_0140
2002年(11年前)前穂高岳に初めて登ったとき、頂上から奥又白池を見た。(上の写真)
なのに、今回はどうやっても見えない。そんなことってあるんだねぇ。
ゴロゴロ岩が自然現象で落石したりして、山頂自体が変化しているんでしょうね。こんなふうにね。 

 

 

Cimg0172仕方なく奥又白池を諦めたころ、明神岳が姿を現した。2011年に行ったひょうたん池はどのあたりだろう?とじっと見る。

 

 

Cimg0028
↑2011年ひょうたん池での写真。ガスっていたのでよくわからないけれど、の東稜を行くと前穂高に通じると聞いている。

 

 

Photo
今回前穂から明神を見て、勝手にあのあたりがひょうたん池だろうなと想像する。あゝ行って、こう行って・・・・バリエーションルートだけど個人で、ひょうたん池まで行けそうな気がする。
「今回は無理だけど機会があったら来い」と明神が言っているような気がした。
このアングルは想像してなかったので大収穫だった。

 

 

 

Cimg0172img_4908 山に誘われるまま、少しだけ明神岳領域に入る。とてもいいところなのに誰一人といない。静かだった。 

 

Cimg0176
すると・・・・岩の間から待望の・・・・奥又白池(2470m)が見えた。梓川も新村橋も肉眼で見える。これ↑は望遠撮影。標高差600m

 


Scn_0141
あれは2003年6月のこと・・・・・山仲間と奥又白池に行った↑ことを思い出す。 
池は雪の下だった。ここから前穂東壁を見上げ「これが井上靖の氷壁、ナイロンザイル切断事件の舞台か・・・」と思ったものだ。

 

 

Cimg0180 あれから10年、紅葉の時期にと思っているが機会に恵まれないでいる。

日が当たると、紅葉がいい感じに色づき始めているのがわかる。テントも3張りある。どれだけ静かで、どれだけいいところか、妄想の世界に浸る。
おあずけとなっている奥又白池の紅葉を少しを味わえたことは嬉しかった。

 

一般ルートをはずれた明神岳領域は本当に素晴らしかった。ここを立ち去らなければいけないのは残念で仕方がなかった。

 

 

 

Cimg0181本ルートに戻り、ザックをデポした紀美子平を見ながら前穂高岳を降る。
12:00紀美子平に戻って、湯を沸かしカップラーメンを食べる。

 

Cimg0182
紀美子平の道標。折れかかっている片袖を夫が直している。一時しのぎで直したけれど帰宅後こんな記事を見た。→岳沢小屋HP

 

 

12:30紀美子平出発。

 

 

Cimg0185img_4915
1:20ころ、また松本方面からヘリコプターが。一直線にジャンダルムに向かい旋回し始めた。

 

 

 

Cimg0191 どうも
朝の捜索の続きのようだ。ロバの耳の岐阜県側でホバリングしたかと思うと、そのまま谷に数十m沈んでいった。
 

 
                       

Cimg0403 2011年に行ったここ↑だと思う。赤マークが登山道。今回この谷をホバリング下降しているのだと思った。

ここは2009年岐阜県警のヘリが落ちた場所。 
2011年のとき2009年のヘリ残骸がまだあっただけに、私は固唾を呑んで今回のヘリ操縦の無事を祈った。

  

 

上手くピックアップできたのだろうか、ヘリは上昇し最短距離で来た道を戻って行った。命がけの『やまびこ2号』の操縦には頭が下がった。

帰宅後調べたら、どうもコレのよう↓

 

[E:book]北アルプス奥穂高岳で山岳遭難(松本署)

 

 

本日
北アルプス奥穂高岳から西穂高岳へ縦走中の奈良県奈良市居住の男性32歳と大阪府大阪市居住の女性25歳が落石を受けて、腕を骨折する等の怪我をしたと、
他の登山者を通じて救助要請があり、県警ヘリ及び岐阜県警山岳警備隊が出動し、2人を県警ヘリで救助して松本市内の病院に収容しました。

 


 
Cimg0185
                     イワツメクサ
 
 
 

  
どんどん降って岳沢小屋(2170m)に着いたのは2:50。
小屋でコーヒーを注文。ここのコーヒーは本当においしい。疲れた身体がおかわりを欲していた。
 
 
 
3:15 上高地に降り始める。
 
Cimg0193                  大きな傘を広げるシシウド

 

Cimg0194img_4919 途中1回休憩し、岳沢の余韻を味わう。

 

 

 
 
Cimg0195
4:50 上高地に降りる。岳沢の湧水で顔を洗う。冷たくてさっぱりした。

 

 

Cimg01965:15 河童橋から焼岳を見る。
 
 

 

 

5:25 バスに乗って上高地を後にした。
 
 
いつもの日帰り温泉で汗を流し、松本に住む息子と夕飯を食べ名古屋に返る
[E:car][E:dash]

 
 

11年ぶりの前穂高岳は、たくさんの発見があって楽しかった。
往復運転してくれた夫に感謝!

 
これでおしまいです。
  

 

 

2013 11年ぶりの前穂高岳 ②

 

 

 

平成25年9月23日(月)秋分の日[E:sun]

5:15朝食後、身支度を整え岳沢小屋の外に出る。

Cimg0131 南に位置する乗鞍岳のシルエットが綺麗。上高地は雲海の中。

Cimg0133
西穂高独標上空には、まだお月様があった。

 

Cimg0126 今日は前穂高岳をピストン。

 

Cimg0134
標高2170mから3090mまで、標高差920mを登る。
11年前の前穂までの登山道はもうすっかり忘れている。

 

5:45 岳沢小屋スタート。 

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テント場を抜けて標高を稼いでいく。焼岳の頭に朝日があたり出す。

 

Cimg0142_4884 小屋を出発して1時間。焼岳全容が朝日に照らされる。と同時に松本方面から流れこむ雲海と上高地のそれとが合わさり、焼岳を呑み込むのは時間の問題に見えた。 

 

Cimg0138_4880 お月様は、稜線の向こうへと徐々に沈んでいるのに、我々が標高を上げているので、いつまでたっても朝見た位置と変わらない。変な感覚だった。『沈まない月のカラクリ』 これは初めての体験で面白かった。

それにしても、この間歩いた天狗岳~間天のコル~間ノ岳~P1~西穂高岳が手に取るように見える。今回前穂に来たかったのは、コレを見るため。願いがかない満足。

 

 

Cimg0148_4890
8時過ぎ頃、東方面(松本)から県警のヘリコプターが飛んでくる。どこへ行くのか目で追うと、ジャンダルムを旋回しはじめた。遭難かな? 

それにしても穂高稜線の向こう側は岐阜県警管轄だと思っていた。2009年岐阜県警のヘリが落ちて大事故を起こしたから長野県警に変わったのかな?(と思って帰宅後長野県警を調べてみたらなるほど!)

しかし南からの雲に阻まれたので、ヘリは旋回だけで松本に引き返していく。

 

 

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9:20紀美子平着。ここは奥穂からの分岐点なので登山者で賑わっていた。
ここにザックをデポし、貴重品だけ持って前穂へ向かう。

 

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前穂頂上から東の雲海は素晴らしかった。

 

Cimg0151_4898西を見れば、いつの間にやら発生していた岳沢の雲海は勢力を増し、吊尾根まで勢い良く上がって来た。そこでさらに力をためた雲はついに吊尾根を乗越したのだった。まるで生き物のようで見応えがあった。

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涸沢も槍も何も見えなかった。ここからの景色を楽しみに来たのだが、この雲海ショーは素晴らしいものだった。 

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今年8月に行った常念も頭だけしか見せてくれない。この雲の湧き方は力強さがあった。前穂から常念までは直線距離で8㎞。

 

頂上の前穂北尾根前で待ってたら、期待通り北尾根を制覇したエキスパートたちが上がってきた。ガイドと思しき男性とザイルで繋がれた若い女性2人の顔には達成感が伺えた。このエキスパートたちに心からエールを送る。[E:scissors]  

 

もうエキスパートは来ないだろうかと目を凝らして北尾根を見ていると、2峰に登山者がひょっこり現れた。懸垂下降ショーをかぶりつきで見せてもらう。

Cimg0157       2峰にひょっこり現れる(望遠撮影)

Cimg0158       岩を回りこんで2峰先端まで行く

Cimg0159_2                      ザイルを降ろし始める

Cimg0162        下降準備OK

Cimg0163           懸垂下降

Cimg0164                     

Cimg0166            鞍部に着地

Cimg0167           セカンド懸垂下降

Cimg0168      ザイルを外し始めたので???と思ったら

Cimg0169        後続は別のパーティーだった。

Cimg0170 次のパーティーがザイルをおろした頃、北穂が姿を現した。この15分のショーは実に楽しかった。これも期待して行ったので大満足だった。

2018/9/8後記
実際に降った人のブログから拝借しました。
「のぼるひと」というブログです

 

 

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気がつけば雲が切れ、待望の明神岳が姿を現した。今度は少し明神岳に足を延ばしてみよう!

 

                                   つづく

 

 

 

 

 

2013 11年ぶりの前穂高岳 ①


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前穂高岳から見る奥又白池

 

「行き先決めてないけど、天気が良かったら[E:sun]週末山行かない?」

こんな私の誘いに、快くつき合ってくれた夫と前穂高岳に行ってきました。


本当は、さらっと焼岳でもと思っていたのですが、岳沢小屋HPで「空きがでた」という情報を数日前に運よく見つけたので、急遽宿泊の予約して行き先を前穂高岳に決定したというわけです。 

北アルプスには珍しい完全予約制(ケースバイケース)のこの小屋は、随分前から予約しなければいけないのに、数日前に予約できたのはラッキーでした。

ここでいう完全予約制とは、どの時期でも、ひとり布団1枚を約束してくれるというものです。ちなみに予約なしOKの山小屋は、連休ともなるとギューギュー詰め(布団1枚に3人)は当たり前です。 

 

この岳沢小屋の小屋番は、厳しいことをズバッという人で個人的には好きなタイプです。2011年に泊まったとき、6時くらいに到着した人を叱りつけていました。それもザックも背負わせ立たせたまま。相手を見て言っていたので好印象でした。蛇足ですが、その小屋番の大変さがわかるHPの記事を抜粋します。 

 

[E:book] ところで、ここのところ到着の遅い、暗くなってから小屋に着く登山者が目立ちます。昨日の最終到着グループは夜の8時過ぎ。こんな時間に着く客は小屋に
とっても迷惑だし、運悪く同室に割り当てられた他の登山者には迷惑極まりない話です。我々も「山小屋利用上のルール(常識)」にのっとって小屋の運営をし
ています。遅く到着する人たちの理由はいろいろあるでしょうが、岳沢小屋の場合は明らかに体力不足=分不相応なコース計画の登山者がほとんどです。具体的
に言うと、65歳を過ぎたような高齢者が涸沢から穂高を越えて一日で岳沢まで目指す登山者にその傾向が多く現れています。(通常コースタイムで9時間のと
ころ、14時間かかってる!?)「もういい歳なんだから、山くらいゆったりした計画で楽しみなさいよ、時間に焦って辛い思いして…、もうそういう歳じゃな
いでしょ」と諭すのが毎晩のように続いています。秋は日没も早く、6時にはもう真っ暗です。どうぞ余裕のある計画で登山をお楽しみください。

 

前穂高岳から岳沢小屋への降りで死亡事故が多いだけに、この小屋番の気苦労がわかる内容です。とりあえずアソコの小屋番は怖いぞ~という評判は大いに立てるべきだと私は思います。小屋番が甘いと事故が増える場所なんです、ここは。

 

さて前置きが長くなりました。前穂高岳山行記に入ります。

 

平成25年9月22日(日)

AM6:40自宅出発[E:car][E:dash] 珍しく車中泊せず上高地に向かった。

 

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まだ紅葉には早いので大丈夫だと思っていたら、沢渡駐車場はALL満車状態。焦ったけれど何カ所か回って駐車し、バスに乗り換えて上高地入りする。

 

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沢渡駐車場から往復2000円。
上高地入りしたのは名古屋を出て5時間経った11:40だった。

予報通りの[E:cloud]  連休の割りには人出は少なかった。

 

 

Cimg0096 河童橋を渡って梓川右岸を歩く。岳沢湿原の水の色は格別。やっぱり上高地はいいと思う。

 

 

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12:00岳沢登山口着。「小屋まで2時間か!2時ころに着くな!」的なことを夫が言うので、「山を舐めちゃぁ~いけないよ!」と諭す。実際この2時間で到着する人は健脚の部類。我々はそうでないのだから。

 

今夏2回目となる登山道を上がって行く。

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途中、この間歩いた西穂稜線が見える河原で一服する。紅葉はまだ早かったけれどいい景色だった。

 

ここから小屋まで、特に迷うところもないので、夫とは小屋で待ち合わせということで別々にマイペースで歩く。

 

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2:30岳沢小屋着。この小屋に泊まるのは旧岳沢ヒュッテを含めて4度目だが、個人で泊まるのは初めて。

 

Cimg0115 今回は『明神』という部屋だった。約束通りひとり布団1枚。

 

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ここが初めての夫は、このこじんまりした岳沢小屋が気に入ったようで、しきりにいいところだと言う。今回ここにしてよかったと思った。

特に問題もなく夜が更けていった。

 

Cimg0121         ベッピンさんなトリカブト

                                     つづく

 

2013岳沢~西穂高岳 北アルプス稜線歩き、あがり! ④

平成25年8月20日(火)[E:cloud]/[E:sun] 最終日

5:57 西穂山荘(H2385)出発

すぐに樹林帯に入って、薄暗い登山道が延々と上高地まで続いた。(この道は初めて)

上高地(標高1500)出たのは8:40だった。

バスターミナルでタクシーに乗り、平湯に出て、ひらゆの森という温泉で3日間の汗を流した。露天風呂が5~6くらいあっていい湯だった。

 

 

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温泉から出たところにある産直売り場に、この間もらった宿儺かぼちゃがあった。もらったものより少し小さめで700円と張り紙。高級食材の部類?

 

 

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ほかにも珍しい野菜があった。
左の白いのは『なす』100円。赤いのは『トマト』150円。緑は『万願寺とうがらし』150円。右の茶色のは『寒干し大根』350円。一袋で大根1本分とか。

 

楽しい買い物だった。

 

 

ガイドの車に乗って名古屋に返る。

Cimg0088 今度はどこへ行こうかと考えるには、車窓からの雲はいいものだった。、

 

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下山したら、次のことはすぐに考えるのはいつものことです。
10月の紅葉まではこんな感じの私です。

          

今回の山行で、剱岳~焼岳までつながったのは嬉しかったです。
お遍路での結願(1~88番まで歩きつなげたこと)した達成感に似てました。
どうも、私は線を延ばすことが好きなタイプなようです。

今度の線上はどこになりますやら。

今回はこれでお終いです。おつきあいありがとうございました。

 

 

 

 

2013岳沢~西穂高岳 北アルプス稜線歩き、あがり! ③

平成25年8月19日(月) その2

  

Cimg0058 間天のコルから見る景色はこれが最後だという思いから、未練がましく天狗岳全景を振り仰ぐ。かっけ~!(あまちゃん風に)
たった標高差60mと思えないものだった。

コルの西側斜面(向かって左側)↑に蟻地獄のようなどこまでも続く砂礫斜面を見つける。ここに落ちたら人間地獄で自力では這い上がってこれまい。岩稜帯が何気に口を開けて待っているように見えた。

 

小休止後、間ノ岳(H2907)にとりかかる。9:12

 

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[E:book]天狗岳から見た間ノ岳のルートはこんな感じだった。

 

 
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10分ほど登るとカニの爪のような岩が見える。
 
 
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そのカニの爪の間を目指して登る。
 

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こんな感じで、間ノ岳頂上を目指しガンバル。 

 
 

 

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間ノ岳頂上(H2909)には道標がなかったので、今になるとどれがその写真かわからない。
コレ↑を見る限り、次のピークしか写ってないので、きっとコレが間ノ岳
頂上からの景色だと思う。一番奥が西穂高岳(H2908)のようだ。

この先しばらく何故か写真がないので、間ノ岳の降りが、どんなだったかてんでわからない。 

 

2009年9月、西穂高岳から北の縦走路を見たとき、これ以上先には怖くて進めないと思った。だからその核心部通過は相当真剣だったはずである。という理由から、写真を撮る余裕がなかったようだ。 

 

Cimg0066 今回P1に着き振り返って見た景色は↑2009年と同じだった。よく降りてきたと思うものだったが、それほど恐怖はなかった。

遠くから見て怖そうでも、いざそこに立つとそれほどでもないことは多い。まさにここはそれだった。

山に飲み込まれないよう、何が何でもすり抜けるぞという張り詰めた緊張は恐怖ではなく、私を魅了させるものだった。

 

 

 

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P1から見た間ノ岳。必死で通過している間に吊尾根も奥・前穂高も雲がかかってしまっていた。晴天のそれは2009年を参照

 

 

Cimg0068 2006年にはなかったP1というペイントがあるピークに到着し、劔岳~焼岳がつながるリーチ!は、ツモ!あがり!となった。あがった場所が上等な場所だったことは感慨深かった。

 

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今回その場に行ってわかったことだが、私は赤石岳まで行ったと思っていたのは間違いだったことに気付いた。今回のツモは黄色も含まれていた。

どちらにしても、これで劔岳~焼岳がつながった。誰と祝うでもなくひとり静かに「ありがとう」を言った。いったい誰にそう言ったのかわからない。北アルプスにか自分にか、もっと大げさに言うなら神様に対してだったのかもしれない。

 

 

Cimg0069 7年前に歩いたそのルートをたどって西穂高岳に向かった。

 

 

Ac1d4f16s ガイドがP1から撮影した我々の西穂高岳登頂バンザイ写真。私はそれほどここでの達成感はなかったけれど・・・・・

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こちら(西穂)を撮影するガイドが立つP1(ツモってつながった山)を見たとき、P1を見ながら西穂でバンザイは悪く無いと思った。やったぁ~!ひとり喜びした。

期待していたロケーションではなかったけれど、背後にうっすら見えだした吊尾根がP1を引き立てていた。 

西穂高岳から先は 2006年9月を参照。

 

Cimg0080 2:30 西穂山荘(標高2385m)着

岳沢小屋(標高2170m)を朝の4:30に出発してから、大小合わせて8or9つのピークをアップ1000m・ダウン700mしてここに辿り着いた。10時間の行程だった。よく頑張ったと仲間同士で褒め称える。

 

まだ2:30なので、ロープウェイで降りることも可能だけれど、ツアーの計画どおりに西穂山荘に泊まった。

                                       つづく

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                           トリカブト