昨晩、涸沢(北アルプス)から無事帰ってきました。
紅葉真っ盛りに当てはまり、それはそれは幸運な山行でした。
ちなみに小屋は布団一枚に4人という混雑振りでした。
(どうやって横になるのでしょう?)
それに比べテント組みは、足が延ばせる快適な個室確保です。
もっとも、肩に食い込むザックの重さに絶え絶えここまで登ってくるのですが。
またぼとぼちと山行記を綴りますので、お暇な折にでものぞきに来てください。

Just another WordPress site
また出かけちゃいます。
涸沢(北アルプス)でテント泊です。
涸沢は紅葉真っ盛り。
週末から冷え込むようで、三段紅葉となるかもです。
[E:maple] [E:maple] [E:maple] [E:maple] [E:maple]
ピンポイント天気予報を毎日何回も馬鹿みたいにチェックした甲斐があって良くなってきた。
もっとも、山の天気ではないので、あくまでも参考程度のものですが。
日曜日に北穂に上がる予定です。
もちろん頂上から北穂池を眺めに行くのです。
プラス、大展望も。
今晩、名古屋を[E:rvcar][E:dash]出て、沢渡あたりの道の駅でホームレスのように寝るつもり。
では、どっぷり紅葉に浸かってきます。[E:scissors]
平成20年9月6日
目が覚めて1番に見上げたのは、もちろん北穂東稜[E:upwardleft]
写真上部の ↓ あたりを乗越してこちらにやってきたのだ。
H500降りてきたルートを確認する。
あの東稜からは、どのようにカールが見えるのだろうと想像すればするほど、何も見えなかったことが残念で仕方なかった。
5:15涸沢ヒュッテの朝食。
ここ涸沢カールからは、たくさんのコースが用意されている。
その中でも、人が1番少ないパノラマコースを通って、昨日何度も振り返って見た屏風岩に行くことにした。
6:15ヒュッテ裏から少し降り、道なりに樹林帯に入って行く。
[E:upwardright] 6:22曇り空であるが振り向くと涸沢カールが一望できた。
紅葉の時期は絶景のはずだ。
10月の連休はここだな・・・と候補地とする。
[E:upwardright] 7:27昨日上がった本谷が一望。
本谷延長線上(右俣)の横尾尾根最低コル越に槍ヶ岳が見えてきた。
横尾尾根最低コルを越えると天狗平に出て「逆さ槍」で有名な天狗池に出られる。
背伸びすれば槍沢が覗けそうな気になる。
[E:upwardright]7:30突然、上高地側に出る。
私のカメラでは写らないが、南アルプスや富士山まで遠望できた。
[E:upwardright]7:35涸沢カールの見納めポイントか。
昨日、見損なった北穂東稜と南稜の沢は、今日も雲が居座っている。
とてもしつこそうな雲である。
[E:upwardright] 7:36 槍から左手前(南に)大喰岳~中岳~南岳
槍沢や南岳の本谷カールにも雲が居座っていた。
残念がっている人が少なからずいるはずだ。
自分のことのように残念に思う。
8:00屏風のコルにザックをデポし、屏風の耳に向かう。
8:16 屏風の耳(H2565)からの展望は360度だった。
曇り空だが一応見渡せる。
とりあえず今から予定している前穂北尾根の奥又白池の目星をつける。
[E:upwardright] 屏風の頭越しの常念岳が立派だった。
が、今は北穂周辺がとても気になっているので、それほどそそる山ではなかった。
秋の花リンドウ コゴメグサ
ザックを拾ってパノラマコースを降っていく。
残雪期は危険な道だが登山客が少ないお勧めコースである。
トリカブトやサラシナショウマが咲く静かな登山道を気持ちよく降っていく。
10:20奥又白池出合に到着。
さて、ここで奥又白池に向かうためにエネルギー補給する。
のだが、はっきりしない天気にどんどん気持ちが萎えていく。
こうなったらもうだめなパターン。
あきらめは早かった。
30分ほど休憩し上高地に降りていった。
11:24ナイロンザイル事件の原点の地。
井上靖著「氷壁」のモチーフとなった碑である。
今回も撮影してしまう。
梓川に出る。
ビルにたとえれば、1階に着いた感じである。
今から、地下にある日常に降りて行くのだと思うとため息が出た。
河童橋に近づくにつれ観光客が多くなる。
バスターミナルの人ごみに仕方なく紛れ込んでいく。
上高地から松本駅に出る途中にある「せせらぎの湯」で立ち寄り湯し、さっぱりして松本駅の出た。
松本駅は、すごい人出だった。
諏訪湖の花火とサイトウキネンフェスティバルの開催日で賑わっていた。
19:30自宅に着く。
疲れたが、それは心地よい疲れで、日常のわずらわしさからの開放は何物にも変えがたい。
当分の間、また日常で頑張れそうです。
;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+
ここまでの長々とした山行にお付き合いありがとうございました。
平成20年9月5日
5:30横尾山荘の朝食。
朝食の話題は決まって天気のこと。
松本市の天気予報は午前中晴れらしいが、ここ横尾では曇っている。
6:00梓川にかかる横尾大橋を渡って、神聖なる神降地(かみこうち)に入る。
幸い団体にも遇わず、静かな道は何とも気分がよい。
屏風岩をぐるっと回り込む。
何度見ても大きい岩山は圧巻。
[E:upwardright]本谷橋に7:11着。
涸沢カールへの一般道はこの橋を渡るのだが、我々は橋を渡らずこの本谷をつめる。
本谷に残る雲が意外に多いことに不安を感じながらしばらく休憩。
7:29本谷左岸を行く。
ここからは、一般道でない。
落石が多いのでヘルメット装備で臨む。
[E:upwardright]本谷橋から1時間ほどしたら空が明るくなる。
ドボンしないようにどんどん沢を上がっていく。
どうしても一歩では上がれない大岩ではガイドに引っ張り上げてもらう。
涸沢の出合で休憩。
本谷橋ができるまでは、ここから涸沢に入ったとか。
今では誰も来ない。
[E:upwardright]9:19振り向けば屏風岩が立派だった。
このサイズで目にしたのは初めてだった。
何度も振り返って見た。
9:32本谷をどんどんつめると水量が細くなり、浮石が多く難儀した。
[E:upwardright]標高2000くらいになると雪渓歩きになる。
雪渓上の落石の多いこと。
二俣分岐で左俣にルートをとる。
右俣は天狗池に出られるらしい。
いずれもマニアックルート。
本谷から見上げる空が青くなってきた。
10:24スパッと切れた雪渓を渡る。
のぞいて見たが特に綺麗な様子はなかった。
[E:upwardright]幻の滝「北穂の滝」が左に見えてきた。
この奥二俣(標高2340)を左に行って北穂池がある台地にあがるのだけれど、どんどん足場が悪くなり難儀することになる。
奥二俣を右に行くと南岳~北穂の大キレットのカールに出るらしい。
大キレットから滑落したらここを捜索するのだろうと想像する。
もっとも信州側に落ちた場合だけれども。
なんて人事のようにいっている自分も、かなりマニアックなところに来ている。
11:00北穂池がある台地から落ちるこの滝は、落差100メートル。
この先、水が流れ落ちる台地に上がるのが、思いのほか大変だった。
左:10:39本谷を振り返ると常念岳の頭が見え出す。
右:11:28 〃 常念岳が立派だった。
蝶ヶ岳~常念岳を縦走したときの大変さを思い出す。(テント縦走)
[E:upwardright]12:01南岳とそのカール。
涸沢カールにないこの静けさはとりこになりそうだ。
[E:upwardright]12:24北穂池がある台地を捕らえたがそこに行くルートがない。
木につかまって無理やりトラバース。
木の根元に乗っかるしかなく、何度か滑って転ぶ。
辛うじて木にぶら下がって助かる、ということを繰り返す。
これが単独行だったら、木に絡まってやばいことになると想像した。
急に雲行きが怪しくなる。
本来だったら、屏風岩や常念岳が見えるはずなのだが雲で見えなくなる。
[E:upwardright]木のしがらみから抜け出したら、今度は浮石につかまる。
12:39台地まで手強い浮石を降っていく。
北穂池は人が入った気配がまったくない所にあった。
[E:upwardright]12:53近くによると結構大きい池だった。
池の向こうには屏風岩や常念岳が写るはずだったのだが、雲で隠れている。
まぁ来れただけ良しとしなければ。
神様が許可してくれたのは立ち入りだけなのだからと勝手に思う。
謙虚にと思いながらも、池の対岸にテント2張りぐらいできるスペースがあるなとチェックしている自分の貪欲さに苦笑いする。
到着してまもなく、雨がぽつぽつ。
「ありの地獄」の底にいるようなところから北穂東稜を見上げるとかなりの高度だった。
写真を撮るまもなく雨具を着込み、ザックカバーをつけ、フル装備。
迷ったがカメラはザックにしまった。
この先の「ありの地獄」からの這い上がりは難儀した。
ガスが出てきて真っ白の中、あとどのぐらいで東稜なのか、わからず這い上がるのはかなりつらかった。
当然だが大自然はそんなに甘くはなかった。
帰ってから2001年のヤマケイをぱらぱらめくっていたら、よくわかる[E:upwardleft]この写真を見つけた。
(本当はもう少し右側の景色を見たいのだが)
1番高い山が北穂高岳で、その手前裾の右端のカールを今回這い上がったのだ。
この「ありの地獄」から東稜までの標高350ほどは、かなりのきつさだった。
何度も、自分が選んだ道なのだと言い聞かせながら歩いた。
東稜に出れば見えるはずの涸沢カールもガスで真っ白だった。
しばらく東稜に腰掛、途方にくれた。
北穂に上がるのは断念していたので、とにかく涸沢カールへと降りる。
日本を代表する某山岳部出身のガイドに続きひたすら歩く。
もうそこまで来ていることがわかっているだけに不安はなかったのだが。
雨が本降りにならなかったことと、寒くなかったことが幸いだった。
ハイマツをつかんで無理やり降りる。
最後には、ハーネスをつけてザイルで降ろしてもらう。
テンション掛けて降りるのはちょっと怖かったが、そんなこと言ってられない。
2回目の下降でガスが切れ、一瞬だが涸沢のテント場をこの目で捕らえた。
やれやれ、北穂登山道に出て、涸沢ヒュッテに到着したのは6:15。
暗くなる一歩手前のことだった。
行動時間12時間、平気とは言えないが、楽しくもあった。
夕食は広い食堂で3人だけだった。(6:30)
無謀な山行だといわれれば、そうでないとは言い兼ねる。
見守ってくださった神様に感謝したことはいうまでもない。
H1600横尾山荘6:10発
⇓
H1800本谷橋7:11着
⇓
H2479北穂池12:53着
⇓
H2814北穂東稜
⇓
H2309涸沢ヒュッテ18:15着
振り返れば前半の北穂池までの標高と時間を比べるとペースが遅かった気もする。
が、沢をへつったり、浮石の急坂、雪渓、草付トラバースなどで私はこれが限界。
マニアックルートで景色を堪能したいのならば、もっと足を鍛えるしかない。
夕食後、ぬれた雨具等を乾燥室に吊り下げる作業に忙しかった。
涸沢では決まってこのヒュッテを利用しているというガイドだったので、一般料金で個室という待遇だった。
そんな具合で小屋の込み具合はわからないまま、床に就いた。
平成20年9月4日
JRしなの3号で10:03松本駅着後、わずか4分の乗り継ぎで、乗車券を買って松本電鉄に乗り換えるというドタバタ&スリリングから今回の山行が始まる。
新島々行きの乗車券とおつりを握りしめ、松本駅構内端にある7番線まで走る[E:run]
階段を駆け下り、1番近い車両に飛び乗り、ザックごとドスンと座ったとたんに発車した。
まずは第一関門クリアーと胸をなでおろす。
[E:train] [E:train] [E:train] [E:train] [E:train] ・・・・・ [E:bus] [E:bus] [E:bus] [E:bus] [E:bus]
終点の新島々でバスに乗り換える。
左側に席を陣取った私は、釜トンネルをくぐったあたりで身をかがめて焼岳を見上げた。
見える見える。いい山だった。
何度も見ている焼岳だが、昨年秋に登頂したので見え方が違う。
西穂山荘から焼岳へのルートもバスの中からよくわかった。
こんなふうに、上高地に到着するまでの景色は満足のいくものだった。
11:50上高地バスターミナル着。
乗り継ぎがうまくいったので名古屋駅から3時間50分だった。
まずは名古屋から一緒に来た女友達と腹ごしらえをする。
その後、東京からのガイド1人と合流し、3人で今晩の宿「横尾山荘」に向けて歩き出す。
観光客と一緒になり、まずは明神を目指す。
穂高神社奥宮でいつものように手をあわす。
穂高神社は登山客を見守ってくれる山の神様である。
今回はバリエーションルートなので神様に見守っていただくしかない。
自分の足でここへ戻ってこられますようにと深々と頭を下げる。
梓川左岸を明神岳・前穂北尾根を見上げながら歩く。
夏の花はほとんどが実を結んでいる。
中でもミヤマカンボクの赤い実は綺麗だった。
徳沢に出た頃、秋の花サラシナショウマが群生していた。
足元にはキツリフネの黄、センジュガンピの白、ノコンギクの紫が彩りを添えている。
遠くに常念岳を見て、屏風岩が目前になったころ横尾大橋が見えてきた。
横尾大橋の前にある横尾山荘に着いたのは3:30だった。
横尾山荘は今年の8/23に改装され、宿泊棟は以前の面影がないほど綺麗になっていた。
前回泊まったのは、初めて涸沢に上がったときで2000年10月だから8年ぶりになる。
そのとき和室だった部屋が2段ベッド仕様である。
カーテンがあって相部屋でも着替えができてよい。
とても同じ小屋と思えないほど綺麗で気持ちがいい。
8年前もあった風呂[E:spa]に入る。
もちろん石鹸は使えないが、汗を流せるだけで気持ちよく寝られる。
夕食をいただき7:30過ぎたら、みなカーテンをひいているので横になっているのであろう。
明日の天気を心配しながら眠りにつく。
天候と疲れなどで、一日繰上げ帰宅しました。
とにかく楽しかったです。
貴重な体験をしました。
追って山行記をアップします。
お付き合いのほど。
取り急ぎ報告まで。
天気が不安定です。
テレビで全国各地の水害を報じています。
なのに・・・・・
明日から北アルプスに行きます。
(本来だったらキャンセルするのですが、どうしても現地までは行かなければならない理由があるのです[E:weep])
[E:clip]9/4上高地から入山し、初日は横尾泊。
9/5北穂池~北穂高小屋泊
9/6北穂~涸沢岳~涸沢小屋泊
9/7パノラマコース~奥又白池~上高地
天気が悪いのでこの通りに行けそうにありません。
エスケープルートを選んで早々に退散ってことになりそうです。
山友達のリクエストでシフォンケーキを焼きました。
後にあるザックに詰め込みます。
あぁぁぁ・・・雨の中で食べることになりそう[E:weep]
「明日中止」という連絡が入ることを願っている私です。
①北アルプス縦走は こちら から
8月10日(日)
今日は折立9:30発、富山駅行きのバスに乗る。
小屋から折立までのコースタイムは3時間10分(休憩なし)。
5時半には小屋を出たいので、5時の朝食を希望したが満員で無理だった。
朝食なしで5:13太郎平小屋を出る。
[E:upwardright]400人はいるだろう小屋の前。
この時間は1回戦目の朝食が始まったばかりなのでまだ静か。
(特にこの写真はひどい。これ一枚しかないので貼っておきます。)
整備された静かな木道を降っていく。
ところどころ、この夏最後のゼンティカが寂しげに咲いている。
夏の終わりを告げている。
キンコウカやチングルマ(果穂)が見事に咲いていた。
短い夏を一生懸命咲く様は愛おしい。
私はもっとここでゆっくりしたいのだがそうもいかない。
花たちと別れがたかった。
また来るから。・・・・・あきらめて降る。
薬師岳稜線から見た有峰湖がだんだん近くなってきた。
今回の室堂からの縦走もそろそろおしまい。
たくさん山越え谷越え、えんやこらと歩いた。
その甲斐あって、素晴らしい景色にたくさん出逢えた。
実は今回、縦走できるだろうかという不安を抱えながらの山行だった。
それでも何とか縦走できたのは、ずっと雄山が背後についていてくれた安心感と薬師岳の両手を広げ迎え入れてくれるような山容のお陰だと思っている。
それと「○ミノ○イタル」を毎日数回欠かさず飲んだこともよかったような気がする。
次の日に疲れを残さない・・・・というキャッチコピーは本当かも?なんて思ったりもする。
1871三角点を過ぎ樹林帯に入ると、折立から上がってくる登山客と行き交う。
私もきっといつか登ってくるだろうなと考えながらずんずん降る。
突然、愛知大学13人遭難の慰霊塔に出た。そこが折立だった。
8:30だった。
休憩入れて3時間15分。
もうすこしゆっくり降りてこればよかったと思う。
日常への戻り方が私はいつも下手であることを感じる。
予定より30分早い臨時バス(9時発)に乗る。
バスは薬師岳稜線から眺めた有峰湖の脇を通った。
11時ちょっとすぎ登山駅に着いた。
暑い。猛烈に暑かった。
また35度越えの毎日かと思うとうんざりもする。
駅構内で、富山名物の白えび定食を食べたあと、駅から徒歩5分の銭湯「観音湯」で4日分の汗を流す。
12:30オープンということだが、山男・山女を見かねて15分ばかり早く入れてくれた。
昭和を色濃く残す銭湯で汗を流す、旅の締めくくりに最高だった。
本当に楽しい山旅だった。
だらだらと長い文を最後までお読みくださってどうもありがとうございました。
では、また。
8月9日(土)
大方出発した後なのか、5:00の朝食は数人だった。
やはり10時すぎるとガス上がってくるから早立ちするのだろう。
5:35スゴ乗越小屋出発。
(70人宿泊可能と聞き、どこにそんなに泊まれるのと驚くほどの小さい小屋だった)
小屋前から樹林帯に入り、しばらくすると開けた。
右奥[E:upwardright] の間山を目指す。
(少し前を歩いているのが仲間。いつも私はこのぐらい後を歩いている)
[E:upwardright]テガタチドリ発見[E:eye]。草を掻き分け撮影。
登山道のはるか左下を流れる黒部川上ノ廊下[E:upwardright]を覗き込む。
こんなことやってるから仲間から遅れる。
間山(丸い雪渓が残る山)が見える開けたところに出た。
トウヤクリンドウ[E:upwardright]が咲く登山道をひたすら高度を稼ぐ。
雪渓手前のお花畑で小休止。
気合を入れて間山に向かう。
[E:upwardright]間山頂上(標高2585m)
小屋から休憩を入れて1時間20分。
コースタイムも同じなのでまずます。
[E:upwardright]ようやく北薬師の足元まで来た。
天気は申し分ない。
薬師岳の横顔が微笑んでいる。
右奥は2832峰。
ずっと見続けてきた山々がより近くなる。
左から水晶岳~鷲羽岳。その間に小さく槍ヶ岳が見える。
だらっとした台地は雲ノ平か?
雲ノ平は是非訪ねたいところ。ついでに高天原も。
ここから近くに見えても遠いところなのに、出直すことを考えると、あぁ・・・とため息が出る。
間山を過ぎたあたりで中学1年生男子の親子(テント泊)に追い抜かれた。
この親子は、五色が原~越中沢岳の間にも追い抜かれている。
「もう休む!」とか「お父さん早い!もう帰る!」とか数メートル後を常に大声を上げながらついていく子だったのでよく覚えている。
今回も同じ光景。
お父さんは無視を決め込み、前身あるのみ。
子どもをぐいぐい引っ張る。
始めは何だか厳しいお父さんだと思ったが、わけありのよう。
お父さんがんばれと心で応援した。
[E:upwardright]8:16間山からひたすら歩いて1時間、ようやく北薬師が現れた。
[E:upwardright]8:22 2832峰手前を西側に巻くと有峰湖が見えてきた。
うわぁ~始めてみる景色に感動[E:happy01]・・・したのも束の間
明日有峰湖に降りるので、薬師岳を踏む前に降りる先を見てしまったことにちょっとがっかり。
[E:upwardright]8:28有峰湖側をトラバース。
先の二人の間に見えるのが北薬師。
[E:upwardright]8:43北薬師岳までもう少し[E:coldsweats01]
[E:upwardright]8:58北薬師岳(標高2900)到着。
スゴの小屋から3時間20分。
コースタイムは3時間だからまずます。
今日はお湯沸かして休憩していないからここで大休憩とする。
私は室堂の雄山に向かって腰をおろした。
ずっとここまでの行程を見守ってくれた雄山を眺めながらの休憩[E:cafe]は最高だった。
40分の休憩後、本峰に向かう。
9:50水晶岳と鷲羽岳の間に見えていた槍ヶ岳は、ここにきて鷲羽の右に位置を変えていた。
[E:upwardright]水晶~鷲羽、雲ノ平も高天原も、槍~穂高もよくわかる。
[E:upwardright]この先はこの稜線を歩いて本峰へ。
わずかだが両側がスパッと切れた稜線歩きもあり、西穂独標から先を思い出す。
[E:upwardright]9:57有名な金作谷カール。
スプーンですくったようなこのカールは圧巻だった。
左:10:38薬師岳へ最後の登り。
右:振り向くとこんなところを歩いてきた。
最終章、山の醍醐味を味わう。
[E:upwardright]やったぁ~10:57薬師岳到着[E:scissors]
あとは太郎平小屋まで降るだけなんだからと、また大休憩。
登頂の喜びで標高600降ることはすっかり忘れてしまった。
[E:upwardright]到着したとき東の黒い雲が気になっていたのだが、西の空まで怪しくなってきた。
おんころころせんだりまとうぎそわか・・・・薬師如来のご真言を3回唱え下山する。
[E:upwardright]下山前に祠の裏にまわり黒部川上ノ廊下に落ち込む沢を覗き込む。
上ノ廊下はまず来れないので雰囲気だけでもと覗いた。
雲がかかっているがここまでの山々も見えて興味深い景色だった。
[E:upwardright]下山まもなく、名残惜しく薬師岳を振り返る。
本当に大きな山だということを実感する。
・・・・と、そのとき遠くでゴロゴロ言いだす。
やばい!一番近い小屋まで30分はかかりそう[E:bearing][E:downwardleft](ずっと先が薬師岳山荘)
不得意なザレ場を精一杯のスピードをあげて降った。
雨もぽつぽつ降り出す。
[E:thunder]・・・・[E:thunder]・・・・槍方面だと勝手に判断したがいつこちらに落ちるかわからない。
転がり落ちそうなくらいの感じで坂を降り、やっとの思いで薬師岳山荘に駆け込む。
雨に降られることなく、雷につかまることなく小屋に滑り込みセーフ。
雷をやり過ごすしかないので、しばらく停滞。
白玉あずき700円也で時間をつぶす。
すると大粒の雨になりゴロゴロ[E:thunder]ピカピカ[E:thunder]・・・・おまけにひょうまで降ってきた。
[E:upwardright]ひょうがトタン屋根にバチバチ音を立てる。
(写真を大きくしてみると小屋足元に氷の塊が見えます)
小屋の人は雨戸まで閉め始め、真っ暗で不気味だった。
ずぶぬれになって駆け込む人が後をたたない。
小さい小屋は満員になった。
急遽今晩予約する登山客も多かった。
[E:upwardright]50分ほどしたころ、雷は通り過ぎたようなので、雨具をつけて小屋を出る。
先ほどの雨が嘘のようにすぐ晴天になる。
今回一度も雨具のお世話にならなかったが、このぐらいですんでよかった。
暑くなってきたのでこの先で雨具を脱ぐ。
[E:upwardright]2:22沢沿いの樹林帯を降ると薬師峠キャンプ場に出た。
我々の小屋はまだあの山を越さねばならないので、くつろいでいるテント客をうらやましく眺めながら先を急ぐ。
テント場から20分ぐらい登ったところで小屋が見えた。
いったいこの小屋は収容人数何人なのだろう。
一応150人と聞いているが、私が寝た3階の屋根裏部屋には100人近く詰め込まれていたような。
この日は布団1枚でふたり。
今まで泊まった小屋では最大のものだった。
いいことといえば、水が豊富だった。
顔をじゃぶじゃぶ洗えるのは何とも気持ちがいい。
もちろん石鹸は使えません。
4回戦目でようやく夕食にありつけた。
食堂は1回で100名ほどの食事が並ぶ。
すると・・・・×4?・・・・×5?
定員150人をはるかにオーバーの小屋だった。
その晩の屋根裏の暑いこと暑いこと。
人の吐く息で不快指数が上昇している。
奥の奥だったので布団までほふく前進。
頭はぶつし、もうたいへん。
おまけにいびきの大合唱はホント凄かった。
でもね、これで寝られなければ北アルプスには来れないのです。
重いテントと食料を担いでこない限り、こういう小屋で寝るしかないのです。
はやくいびきの合唱に加わりたいと願いながら、あっち向いてこっち向いて、何度も寝返りをうちながら寝ていった。
8月8日(金)
5時の朝食を済ませ、6時少し前に五色ガ原山荘を出発。
盛んにチングルマが咲く。
左:鳶山への途中から五色が原を望む。「かすみたなびく」とはこういうことなのかなと見入る。
雪渓の奥の池糖がきらきら光る。
右:振り向くと雄山がすぐそこにあるかのよう。見守ってもらっているようで心強い。
左奥に剱岳も頭をのぞかせている。右端には五色が原山荘も見える。
鳶山で小休止。
正面赤牛岳の奥に槍が見えた。
このあとアップダウンを繰り返し(写真↑)標高260m降る。
降り始めてまもなく、この辺(写真↑)で可愛い小動物に出逢った。
「こんにちは」と小さく声をかけると目が合った。
じっとしていないので上手く撮れない。よ~く見てください。[E:eye] おこじょ です。
逃げる場がなかったのか、行っては戻ってはくるくると回る。
その動きの早いこと早いこと。
きっとオコジョは人間に会って怖かったに違いない。
私はオコジョの生活圏に無断進入していたのだった。
H2356越中沢乗越を過ぎ、越中沢岳に235m登り返す。
広い稜線で気持ちがいい。
姿をずっと見せ続けてくれた薬師岳だが、ここで見た薬師岳の美しさには足が止まった。
この先はガスがあがってきたので、これが今回最高の薬師岳全体像だった。
(よく見れば、薬師岳の北からもうガスが上がってきている)
振り返れば昨日からここまでの山々が見え(左)
東(黒部湖方面)に目を転じれば幾重にも折り重なる山々とかすみ(右)
静かである。誰もいない。
この山々の景色を求めて私ははるばるここまで訪ねてきたのだ。
ここでずいぶん至福のときを味わった。
気づいたら仲間からずいぶん遅れていた。
9:17越中沢岳(2591m)まであと一歩というところまでようやく来た。
薬師岳を見るには最高の場所なのだが、全貌は見せてもらえなかった。
30分待ったがどんどんだめになった。
1時間早く出るべきだったなと思う。
越中沢岳から先は急降下が長く続き気を使った。
まず、スゴノ頭を目指す。
この一番先[E:upwardright]がスゴノ頭か?
進むほうにガスがかかるとわかりにくい。
とにかく過酷なアップダウンを強いられた。
スゴノ頭ではガスって周りの山は何も見えなかった。
ここでスポーツドリンクの粉末を分けてくれないかという女性に出会った。
余分なんか持ってくるわけがない。
が、困っているならばと一袋進呈するとお金で買うという。
いいからといったら、「すはま」という重たいお菓子を2個もくれた。
スポド粉が重くなって戻ってきた。[E:bearing]
「すはま」をお返ししたい一心で、この先の食料は大丈夫かといってみたがたくさんあるという。
今さら「すはま」をお金に買えてちょうだいとも言えやしない[E:shock]
この先、足場の悪い道をさらに降り、樹林帯の中に入っていく。
アップダウンを繰り返し、小屋までかなり登らなければいけない。
ぶつぶつ文句を言いながら歩いた。
予定時間になってもスゴ乗越小屋に着かないので小屋を見落とし薬師岳に向かっているのではないかと思ったほどペースが落ちていた。
テント場に出てスゴ乗越小屋に到着したのは2:22。
(小屋の様子はHPのスゴの紹介を)
コースタイム6時間が8時間半の行程だった。
水が豊富な小屋で、到着と同時に顔を洗い水をがぶがぶ飲んだ。
生き返った思いだった。
暗くてわかりずらいが夕食。
夕食後、雲が晴れて小屋前から立派な越中沢岳が見えた。
あそこからの行程はつらかった。
越中沢岳の左肩から鳶山が、そして雄山・龍王の頭がかすかに見えた。
布団1枚で二人という混みようだった。
7時半だというのにもう皆静かに横になっている。
2階のいびきが隙間から聞こえてくる。
困ったなと思ったのは束の間、ことんと寝てしまった。
世の中はオリンピック開会式で盛り上がっているというのに我々は仙人のごとく無関係を決め込んで眠っていた。