2009大日岳縦走①

また、飽きもせず北アルプスへ行ってきました。今年最後の北アルプスは、山友達(女A)と立山室堂~奥大日岳~大日岳~称名滝まで縦走です。さて今回はどんな山行になるのでしょう。しばらくおつきあいください。

地図はこちらから→ 立山地図 

 

平成21年10月10日(土)[E:cloud]/[E:snow]

朝8:20、夜行バスで立山室堂ターミナルに降り立つ。
まわりの山々は雲が垂れ込めている。最悪の室堂を目にし、がっかりしながら歩き出す。

今日は雄山~大汝山~富士の折立~真砂岳を縦走しようと意気込んでいた。
が、この天気では雄山に登るまでもないな・・・である。しかし他に行く手頃な所もなくとりあえず雄山に向かった。

しばらく登ると雪で道は凍てつき、装備不十分の観光客は次々と退散していく。一応山をやる者としては、このぐらいでは撤退できない。私は惰性的に登り続けた。小雪が舞いだし雄山はどんどん暗くなっていく。祓堂に着くころには吹雪き始めた。自分に問う。「時間はかなり潰せた。もう気が済んだだろう?」。

 

室堂に降りたが宿に入るには早すぎる。かといってこの雪では行くあてがない。どこで時間を潰そうかときょろきょろしていたら「玉殿岩屋」という案内板を見つけた。室堂山荘から10分ほど降りたところに、行者が修行したといわれている「玉殿岩屋」はあった。室堂は5回目だが今回初めて立ち寄った。
(写真はないので興味のある方は上の玉殿岩屋をクリックして見てください)

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その岩屋の前に立ったら一瞬日が射し明るくなった。その岩屋前の景色↑。

今回は室堂から称名滝まで2日かけて歩く。その称名滝の源流がこの谷であることに、ここ岩屋に降りてはじめて気づいたのだった。「雄山に登らずこっちを見に来い」と行者に呼び戻されたに違いない。雄山を諦めた甲斐があったなと思った。地図と実際の地形を見比べ納得する。室堂の地形をまたひとつ知った喜びを感じた。こういうことも山の楽しみ方のひとつだ。

(称名川はその後、溶岩台地・弥陀ヶ原を永い年月にわたって深く刻み続け、落差350mの称名滝を造っている。)

行く当てもないのでお昼を少しまわったころ、今晩の宿「雷鳥荘」に入った。
元気な女Aはすぐに温泉に入りにいったが、疲れた私は部屋でしばらく眠った。

3時をまわった頃から雪がしんしんと降り出し、夕食時には一面雪景色となる。

部屋は女ばかり8人だった。布団下の畳がぽかぽかと暖かい。どうも温泉を床に張り巡らしてあるようだった。

前回は天気が悪くて奥大日岳までしか行けてない。明日はリベンジとなるか?
寝る前にまた温泉に入ってから休んだ。

. 

..。oо○**○оo。…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。

平均上昇率(1分あたり)  3m
垂直上昇高度の合計  289m

平均下降率(1分あたり)  3m
垂直下降高度の合計  361m

上昇/下降の回数     1回

                 …。oо○**○оo。…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。

                                つづく

心強い相棒(5代目)

         

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とうとう新しい靴を買ってしまった。これ↑。

 

昨年暮れに修理した靴(心強い相棒)の縫い目がこのあいだの大キレット縦走でほつれだした。
修理に25000円も出したので、ダメもとでクレームつけたら無料修理できるといわれた。
しかも靴底も無料で張替えてくれるという。
ざっと数えてだが23日の山行でだいぶ磨り減っていただけにラッキー。

 

が、修理に出している間の靴がない。
というわけで買ってしまったというわけ。

この5代目の靴をはいて、先日立山大日岳縦走してきた。
安定感があり、なかなかよかった。

アル中(アルプス中毒orアルキ中毒)は治りそうにない。

 

2009穂高連峰大キレット縦走⑤

山行地図はこちらから→ 穂高地図

 

平成21年9月23日(水)祝日[E:cloud]/[E:rain]

夜中3時に目が覚めた。寝床が窓側(常念岳側)だったので、半分起き上がってしばらく外を眺める。月が出ているのだろうか?ほの白さのなかに蝶~常念のシルエットが綺麗だった。支度するにはまだ早いのでもう一眠りする。

次に目が覚めたときは小雨降り3時に見た景色はどこにもなかった。今回は稜線からの日の出も夕日も拝めなかった。2日とも。        

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5時半朝食。日の出が拝めないので皆ゆっくり食事する。

      

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鳥も通わぬ滝谷は結局上から覗けなかった。      

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6:05穂高岳山荘を出発。           

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小屋裏に回って白出沢を降り始める。先客が小さく見えた。奈落の底までこのガレ場のようでげんなりだ。

 

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浮石が多く、これといって道があるわけでもなく景色も皆無。そんなガレ場をイヤになるほど(2時間)降った。

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笠ヶ岳下山のとき見た白出沢(赤線)↑。この写真を頭に描きながら「念願の白出沢はこうだったのか・・・」とぼやく。 

        

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右に荷継沢を見て、樹林帯に入ると荷継小屋跡と思しき石積みがあった。その昔、歩荷が休憩したのだろう。2軒あった。           

          

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鉱石沢の道標を左に降りる。登ってくる登山客ひとりあり。かなりしんどそうだった。      

         

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鉱石沢を降ると景色が一変↑した。紅葉の中に入っていく。     

            

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下の廊下のような雰囲気だった。この景色は想像外だった。 

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白出大滝の全景は見られなかったが長い滝だった。       

       

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天狗沢から雪渓が崩れ落ちていた。まだ新しい。      

     

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空が明るくなってきた。この先でコーヒータイムした。しばらくすると後続の登山客がやってきた。とてもいいところだと絶賛しあう。      

     

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天狗沢の雪渓はぱっくり口を開けていた。天狗沢の上部を左に上がればジャンダルムに行き着つくようだ。天気だったら細部まで見られたのだろうと残念に思う。

     

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地図に「重太郎橋」とあるのがこの橋↑。9:18はしごで下に降りて白出沢を左岸に渡る。     

       

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左岸に渡って振り向くと後続の登山客が降りてきたところだった。

ここからは一般登山道というか歩きやすい道を行く。  

    

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この沢で命を絶ったという23歳若者の碑があった。1985年3月29日没とあった。 
今朝手向けられたばかりのようなりんどうと栗がせつなさを覚える。   

          

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ムシカリの赤い実が綺麗だった。    

        

           Img_2183   

10:25白出沢出合に到着。穂高岳山荘の車があった。
毎日「今日は楽しかった」の連発だったが、最後に「本当に楽しかったぁ~ありがとう」と大声で言った。それは山と夫へ感謝をこめてだった。      

         

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案内板に行程を赤でマーク↑してみた。赤丸は宿泊した小屋。        

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白出沢出合から林道を降ること30分、穂高平小屋の牧場に出た。
もうお腹がぺこぺこ。小屋でラーメンを注文した。ラーメンを待っている間、冷えたトマトをかぶりつく。1個300円もしたが上手かった。

雨具を脱いで新穂高まで40分ほど歩いて、12:55高山行きのバスに乗った。

 

高山に出て銭湯に行く。銭湯の親父さんからクマはいなかったかと聞かれた。乗鞍岳のクマのことがあったからだろう。ジャンダルムから落ちたヘリの話も聞かされた。あれこれ批判していたが本当のことはわからない。

何日かぶりのお風呂でさっぱりした。ぶらぶら歩いていたら『高山陣屋』に出た。一度も入った事がないので拝観した。立派なお屋敷だった。

 

高山といえば飛騨牛。というわけで飛騨牛の焼肉を食べる。

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山を堪能し、社会見学(高山陣屋)し、飛騨牛を食し、幸せこの上ないだった。

後半天気が悪かったが、実に楽しい山旅だった。おしまい

2009穂高連峰大キレット縦走④

山行地図はこちらから→ 穂高地図 

 

平成21年9月22日(火)祝日[E:cloud]/[E:rain]

さて、本番当日になって天気が思わしくない。朝食の席では、「行けるかなぁ?」という話題で持ちきりだった。「行かない」を選んだら、来た道を戻るしかない。そんなぁ殺生な。
私は惑わされるような会話に入らず、とりあえずご飯を食べた。腹が減っては戦はできぬなのだ。

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雨具上下をつけ外に出てみる。う~ん、何にも見えない。でも『今日の大キレット日和指数』はレベル2。自己責任で決行。

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不安がなかったわけでないが、夫が同行してくれるので心強かった。

「気をつけて行こうね」

「慎重に行こうね」 

このまま雨が降らないことを願って、5:50ヘルメットを被り大キレットを降りていった。

 

確かに歩きやすい道でなかった。どうやって降りようかというクサリ場がたくさんあった。濡れているのでクサリを頼れない。岩に手をかけて慎重に降りた。そんな岩場をひとつひとつクリアしていく。

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長いはしごをふたつ降ると最低鞍部2748だった。ガスで何も見えない。しばらく稜線歩きのような感じのところを歩いた。3人が我々を抜いていった。

小雨が降り始める。抜いていった登山客はすぐ見えなくなった。これでは滑落したり遭難してもわからない。頭の中に入っている地図やコースタイムを頼りに高度計や時計を頻繁に見た。とにかく○や×や↑を見失わないように辿る。

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両端がスパッと切れたところに出たら先ほど追い抜いていった先客がいた。道標はないが、これは核心部の『長谷川のピーク』だと思った。なるほど緊張する岩場だった。

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岩を慎重に探りながら飛騨側によっこらしょと乗越す。掴む岩を探す。足場を探す。

『↴』という矢印が多かった。見落とすとすぐに行く手がわからなくなる。3点確保でペイントに従って慎重に進んだ。

どれほど危険なところに長谷川ピークがあるのか、まったくわからなかった。が、滑落したら危険地帯の飛騨側に落ちるのだということはわかった。

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しばらく両手両足で降っていく。対向者とゆずりあうとガイドブックに書いてあったところは、このあたりなのだろう。この日はそういう心配は皆無だった。

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ようやく両足だけで歩けるようになったと思ったら『A沢のコル』に出た。小屋から1時間40分が経っていた。

この窓から西に笠が岳を見るつもりだったのだが何も見えなかった。そして本谷左俣からここに上がってくるルートも確認したかったのだが、これもまただめだった。

 

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A沢のコルからは北穂高岳に向かって『飛騨泣き』をよじ登る。これまたホワイトアウトのなか○を探して辿るのみだった。前を行く登山客が目に入ると、あぁあそこかとわかるが、それがなかったらおおよそのルートさえまったくわからなかった。○を見失ったら間違いなく遭難すると思った。とにかく険しい岩山との格闘だった。この辺でソロの対向者に初めて出会った。このあと二人連れとすれ違ったのみだった。

 

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小雨が降ったり止んだりの中、まだかなまだかなと飛騨泣きをよじ登る。このころになると後続に4~5人いることがわかった。が、距離が縮まることはなかった。

          

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高度計があと100、50・・・となってきたころ小屋が見えてきた。

雨の中、9:50北穂高岳小屋に到着した。小屋前テラスには登山客のために雨よけシートが張られていた。

到着したら槍に向かってバンザイでもするかもなんて思っていたが感激もなにもない。お遍路で88番に到着したときのようにあっけなかった。来た道を覗いても真っ白。こんな景色を想像していなかっただけにがっかりだった。

今日始めてザックを降ろして暖かいものを飲む。が、ここは標高3000m。すぐに体が冷えてくる。
9:15、雨降る北穂高岳を通過して涸沢岳に向かった。

 

北穂を少し降り分岐を通過する。一瞬右上に登山客が見えたので「その道はどこへ行くのですかぁ?」と大声で尋ねる。すると我々は間違えて涸沢カールに向かっていることがわかった。ほんのわずか登り返すだけで助かったが、ホワイトアウトではこんな簡単なことすらわからなくなることを体験した。「ありがとぉ~」と声をかけたときはもう姿は見えなかった。この一瞬を見過ごしていたらどこまで降りただろうと思うとぞっとした。私はまだまだだめだと痛感した。

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小刻みにアップダウンを繰り返しながら冷たい雨の中を歩く。この連休に一大テント村ができてるであろう涸沢カールは真っ白で何も見えなかった。

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前にも後にもまったく登山客はいなかった。不気味さを感じる登山道だった。特に右手滝谷が不気味だった。○印のペイントも心なしか見つけにくい。浮石には滑落した多くの魂がうようよしているように感じた。絶対にそっちに行くものか・・・と注意を払う。

そんなとき鞍部に一輪のイワギキョウを見つける。不気味さから解放されほっとした途端に寒さを覚えた。雨具の下にダウンジャケットを着た。濡れた手袋も変えた。すぐにぬくもりを取り戻したので早めの対処がよかったことを感じる。イワギキョウに助けられたと思った。

それからまもなくのこと。今度は空腹感を覚える。安全なところで温かいスープを飲んだ。そこがどこなのかまったくわからないが、晴天ならば素晴らしい眺望にちがいない所だと思った。
 

 

涸沢槍やD沢のコルもわからないまま、はしごや長いくさりを借りて全身でよじ登った。
すると何だか先で声がする。涸沢岳ピークのようだった。やれやれだった。

11:52、涸沢岳登頂。3度目にしてゴツイ山だということがわかった。

ピークには、奥穂高岳のついでにという登山客がふたりいた。どこから来たのかと尋ねられたので南岳からと答えると、「スゴイですねぇ~」と言ってくれた。そうだったな。私もそう思ったときがあったことを思い出す。ようやく念願かなって南岳からここまで来ることができた。若者に声かけられ始めてバンザイと思った。次々登ってくる登山客に声かけられては「すごい」と連発され、しばし優越感と達成感に浸った。

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もう安全な登山道だった。15分ばかり降って12:15穂高岳山荘に到着する。ここではじめてヘルメットを外した。不気味だったり、寒かったり、不安の連続だったけれど、夫が同行してくれたことが無事通過できた要因だったと思う。

今回も1番乗りだった。雨具やザックを乾燥室にかけてから小屋で昼食とした。この天気で押しかける登山客がなかったのか、ひとりに布団1枚づつ与えられた。

天気が悪いので外にも出られず、暖かいストーブの前で山の本を読んで夕食まで過ごした。

                                  つづく

 

 

 

 

 

 

 

2009穂高連峰大キレット縦走③

山行地図はこちらから→穂高地図 

 

平成21年9月21日(月)祝日[E:sun]

5:15朝食。めずらしく半膳おかわりをする。

朝食後、仲間のテント場を訪ねる。まだ撤収していないので先に出発することにした。

6:00槍平小屋前から南新道に入る。樹林帯を15分ほど上がると南沢に出た。

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白丸のペンキマークやピンクリボンを辿って右側の尾根に入っていく。
今日は標高1000m上がる。最後まで息が上がらないようにもくもくと標高を稼いでいく。こういうことは嫌いでない。

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8:35、標高2600。↑西尾根コルに着く。ほぉ~!初めて目にする景色は新鮮だった。ゆっくりコーヒータイムとした。

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左)涸沢岳と蒲田富士 奥にジャンダルムが頭をのぞかせている。右奥には焼岳も見える。

右)その蒲田富士のピークは尖っていた。だらっとしている所はずいぶん踏まれている様子。
  奥は右から西穂高岳・赤岩岳・間ノ岳・天狗岳

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振り向けば、昨日登った奥丸山(ガレの左がピーク)が。奥の笠ヶ岳は立派だ。
自分で登った山はルートがわかるので眺めていても楽しい。
う~ん最高。

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ほぼ尾根芯を歩いてきたが、↑ここから左カールにはしごで降りる。

この辺まで来ると異常に息が荒くバテバテで登っている人が多い。大丈夫かなぁと心配になる。

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ちょっと怖いような丸木橋を渡ると標高2900。

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おぉぉ~大キレットが間近。たくさんの人が通過していた。
いよいよ明日通過できるのだと思うと嬉しくて仕方がなかった。
この景色を見ながら飲んだレモンティ、インスタントだったがことのほか上手かった。

 

「ヤッホー」と下から声が聞こえた。山の仲間の声だった。私も「ヤッホー」と返答する。
お互いにおおよその位置関係が把握できた。携帯電話の時代でも山ではこれがいい。余分な言葉は必要ないんだ。 

         Img_2082 南岳小屋テント場

10:55、Yたちに追いつかれることなく南岳小屋に到着した。
また一番乗りで小屋受付をする。今晩は布団1枚でふたり。予約なしは1枚で3人とか。かなり窮屈。

小屋でカップラーメンとカレーライスを食べる。稜線では湯は1ℓ200円、水100円。

 

昼食後、サブザックで南岳へ向かう。と、そのときYたちが到着した。6:45に出発したそうな。
ヤッホーの掛け声が聞こえたなどの話で盛り上がる。仲間っていいなと思った。

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獅子鼻から本谷を見下ろす。北穂池や北穂の滝まで見えた。あそこがどれほど静かなところか容易に想像できた。いい感じで紅葉も始まっていた。

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大キレットを挟んで南に目をやれば穂高の核心部が手に取るようにわかる。
やはり南岳はいいところだった。

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獅子鼻は撮影ポイント

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常念岳の後に浅間山もうっすら見える

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笠が岳の後には雲海

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明日はここから降り始める。

      Img_2108 南岳小屋前

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↑手前から南岳、中岳、槍ヶ岳。

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槍沢の天狗池の方を上から眺めた。時間があれば降って行きたいのだが生憎ガスが出始めたので諦めた。横尾尾根を降っていく人をうらやましく眺めた。

 

ここで仲間Yたちは槍へ、私は南岳小屋へ。「また鈴鹿で会おう」といって別れた。
まもなく稜線上はガスで何も見えなくなってしまった。

 

夕飯は4回戦まであった。部屋も廊下も満員の小屋だった。
とにかく身動きできないほど縮こまって寝た。

                           つづく

 

 

 

2009穂高連峰大キレット縦走②

山行地図はこちらから→ 穂高地図

 

平成21年9月20日(日)[E:sun]

小屋前の登山客の声で目が覚める。
まだ暗い。3時だった。それにしても早い出発だ。今日中に槍まで?もっと行く?それともピストン?どんなヤツらなのかちょいと見てやろうと2階の窓を開ける。するとびっくり。わっさわっさとヘッドランプつけた登山客が歩いてくる。おそるべき北アルプス。これでは稜線の小屋は満員になるはずだ。

        

          Img_2019             

今日は槍平小屋まで。急ぐ行程ではない。テラスでコーヒーを飲みゆっくり寛ぐ。
(今回ガスバーナーがイカレて役立たずだった。がっかり)

明日通過予定の大キレットが姿を現した。
「我が足で行きま~す。 どうか通過させてください。」と祈る気持ちで眺める。

 

7:00、穂高平小屋(H1350)出発。新穂高からの登山客に混じって林道を歩きだす。

7:45、白出沢出合(H1550林道終点) 小休止 
      明々後日、穂高岳山荘からここに降りてくる予定。なんとか無事に戻りたい。

        

        Img_2025 滝谷

9:30、ブドウ谷、チビ谷を渡り、滝谷(標高1750)でも小休止
     井上靖の小説「氷壁」で、主人公魚津が遭難した谷である。         

 

         Img_2027
藤木レリーフ 滝谷を制した人である

だらっとしたところをしばらく歩く。最後の南沢を渡る。まもなくかな?

      Img_2030  

10:50、槍平小屋(H1990)に到着した。2004年以来だから5年ぶり。なつかしい。
      一番乗りで小屋受付を済ます。今日は布団2枚で3人という。

      Img_2031

北穂ドーム~涸沢岳~蒲田富士を眺めながらカップラーメンを食べる。
明後日あの稜線を歩く自分を想像するとわくわくした。

 

11:40、テント場を横切って奥丸山へサブザックで出発。
      結構急登の樹林帯を上がっていく。

          Img_2035

12:45、中崎尾根分岐着。右に折れれば西釜尾根の千丈乗越へ。

 1:05、分岐を左に折れて奥丸山(H2440)着。

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明日通過する大キレットが目の前だった。地図で見ると2.5kmの距離。このあいだ笠ヶ岳から眺めたそれとは比べ物にならないほど素晴らしかった。

           Img_2048  

ちなみに笠ヶ岳と奥丸山の三角点。360度展望がきく山頂だった。

    Img_2042 

      ↑左から槍ヶ岳~大喰岳~中岳(ここから槍までの直線距離は3kmほど)

    Img_2044                  

      ↑涸沢岳~奥穂高岳~西穂高岳

雪の涸沢岳や奥穂高岳は蒲田富士(がまだふじ)から登るらしい。なるほどよくわかる。

夫はしばし昼寝。私はメールしたり写真撮影したり他の登山客と山談義。1時間半もこの景色の中(奥丸山ピーク)にいた。

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下山時の紅葉。奥丸山がとても気に入った。

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槍からのたおやかな西鎌尾根。西鎌尾根を眺めるのにこれほどの場所があるだろうか。中崎尾根を見直した。天気に恵まれ、降りるのがもったいと何度も思った。

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下に槍平小屋が見えてきた。明日はいよいよ向かえ側の南岳西尾根を上がる。
明日登るルートを目を凝らして確かめた。こういう景色を見ているときが本当に楽しくてならない。

           Img_2062

3:20テント場に降りる。テントの数が増えていた。

Img_2063

小屋前から北穂(白っぽい)~涸沢岳(左半分が影)~蒲田富士(緑)が綺麗だった。

小屋に戻ると到着したお客でごった返していた。居場所がなくて表に出た。奥丸山を眺めながら「楽しかったねぇ」なんてお茶してたら・・・

 

あれっ? あれっ? あっれぇ~!

山の会の仲間 Y と K と H だった。偶然だった。

山好き同士なんだから山で会っても不思議ではないのだけれど、愛して止まない北アで偶然っていうのが嬉しい。さっそく彼らのテントに押しかける。

明日の行程を話し合う。彼らは南岳新道から槍ヶ岳。南岳新道を登るのは我々と同じだった。明日も一緒だということに、おぉぉ~とまたハグ。

 

小屋の夕食後またテントを訪ねた。お酒を酌み交わす。7時半ごろまで山男を相手に紅一点を楽しんだ。

 

テントにいたせいか小屋に戻ったら部屋はすごく暑かった。勝手に窓を少し開けた。閉め忘れて朝までそのままだったけれど寒くなかった。

私の寝床は2段ベットの上の段で、布団4枚に6人の真ん中だった。故意ではないと思うが右隣の男性がだんだんこっちに寄ってくるしイビキもうるさかった。私は寝返りをうったふりをして何度か蹴飛ばす。というわけでイマイチ熟睡できなかった。

小屋泊の 睡眠確保 蹴りいれる・・・・・[E:smile]

この前までは、じっと我慢で耐えていたのに、最近はおばさんパワー炸裂。だからおばさんは嫌われる。今に私も蹴り入れられるかもね。

 

…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。

9/20の記録

 7:00 穂高岳小屋(1350)出発
 7:45 白出沢出合(1550)小休止
 9:30 滝谷小休止
10:50 槍平小屋(1990)着 昼食
11:40   〃       発
12:45 中崎尾根分岐通過
 1:04 奥丸山(2440)着
 2:20   〃   下山開始
 3:20 槍平テント場着

 

平均上昇率(1分あたり)  4m
垂直上昇高度の合計 1197m

平均下降率(1分あたり)  3m
垂直下降高度の合計  623m

上昇/下降の回数     1回

                  …。oо○**○оo。…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。
     

                              つづき

 

 

 

 

 

 

2009穂高連峰大キレット縦走①

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飽きもせず、懲りもせず、また北アルプスへ行きました。

山をやるものとして憧れの穂高連峰大キレット通過です。

8月槍沢からの入山は途中でリタイヤしたので、今度は南新道から攻めます。

さて今回は通過なるか? 

山行地図はこちらから→ 穂高地図

 

 
平成21年9月19日(土)[E:sun]

実はシルバーウィーク前々日に用事で息子(松本在住)が帰省してきた。
連休中、実家にいるといわれない前に「あのさぁ~SWは山に行く予定なんだけど、松本に帰るとき新穂高温泉まで送ってもらえないかしら?」と私は無情にも切り出した。連休を控えて半ば無理やり帰らせる後ろめたさは感じましたともさ。 

 

そんなこんなで、夫と私は遠慮がちに息子のチッコイ車に乗って11:15自宅を出発[E:car][E:dash]

連休初日とあって東海北陸道の郡上八幡あたりはかなり渋滞した。
飛騨清見ICで高速道路を降り高山方面へ向かう。

 

高山市街を抜けてまもなくのこと。5~6台の救急車やパトカーがけたたましくサイレンをならして我々を次々追い越していく。
いったいナニゴトゾ? 山で滑落事故でも? 
ついこないだ岐阜県のヘリコプターがジャンダルムで落ちているだけに、これから山に入るものには嫌なサイレンだった。

 

平湯を通過し、3:30新穂高に着。息子に「悪かったねぇ」と交通費を弾む。ここはぬかりなく。

新穂高はパトカー騒ぎもなく平穏無事だった。あの救急車とパトカーはいったいどこへ行ったんだろう?

  


3:45、ロープウェイをくぐって蒲田側右俣林道を歩き出す。
今日の目的地は、新穂から1時間ほど歩いたところにある「穂高平小屋」。

      

        Img_2008     

4:35、程よい汗をかいて小屋に着。小屋後ろに聳える穂高は残念ながら見えなかった。

この小屋のいいところはお風呂。もちろん石鹸は使えませんがね。

       

        Img_2016  

「ねず」という直径2mの大木をくりぬいた浴槽。ほぉ~。これはすごい。
西穂高岳の伏流水で沸かした仙人風呂というそうだ。
大きな浴槽なのに湯があふれるので1人しか入らないようにと張り紙がある。
ひとりでゆっくり堪能しなさいということか。

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Img_2010
 

煙突から煙がもくもく。こういう光景はなかなか見られない。何ともいい感じだった。

SWというのに宿泊客は6人。新穂高を朝一に発つ人がほとんどなのでここを利用する人はまずいない。2階の部屋は我々ふたりきりだった。布団1枚2~3人というSWの北アルプスと思えない快適な夜だった。 

 

パトカーと救急車のサイレン騒ぎは「乗鞍岳」のクマ騒動だったと息子からメールが入った。
乗鞍岳の畳平で観光客がクマに襲われたそうな。畳平はバスが何台も入るだけにクマが出てくるなんて、このときは信じられなかった。

Norikura
この新聞記事は下山後、高山市内で入手したもの。

夫とふたりきりの山小屋の一室。いつものように眠っていった。

                                      つづく

 

 

 

2009笠ヶ岳(新穂高温泉~笠新道)②

平成21年8月23日(日)[E:sun]

4時をまわった頃に起床。    
さっと支度をして人をかきわけかきわけ5時の朝食の列に並ぶ。運よく1回目の朝食にありつく。

「昨日到着してからどっと疲れが増した。今日下山できるだろうか心配で眠れなかった」と、もりもりご飯を食べながら話す仲間A。あのイビキは何だったんだろう??? ともあれ食欲があれば大丈夫。よかったと胸をなでおろす。

        Img_1906 今日の始まり・・・

絶対者的存在の穂高連峰。その背後から太陽が昇ろうとしている。今日という日が始まる儀式に立ち会う。宇宙の神聖なる儀式だ。

 

笠ヶ岳に5時アタック開始。(本当は昨日登る予定だった)
今日はとにかくペースを落とすことを心がけた。

        Img_1913

慎重に登り仲間A・Bと共に笠ヶ岳のピークを踏んだ。小さくバンザイする。そして遠くの槍に向かって「昨日はお騒がせしました[E:scissors]」とサインを送る。槍は「愚か者よ」と言ってそうだ。

        Img_19212
 

360度展望がきく素晴らしいピークだった。

        

        Img_1928      

燕岳も遠望できたし↑         

        Img_1930          

昨年、A・Bと縦走した立山~薬師岳↑も手に取るようだった。        

        Img_1931  

南アルプス越しに、かすかだが富士山↑も遠望できた。

 

名残惜しいけれど下山しようとしたときのことだった。        

 

Img_1914 ⇒ Img_1925      

播隆平↑がスポットライトを浴びたように一瞬明るくなった。
あぁ、なんという綺麗なことよ。美しい光景に息を呑んだ。

1823年播隆(ばんりゅう)上人は笠ヶ岳を登拝している。そのとき槍を望み、槍ヶ岳開山を決意したといわれている。播隆平と名前がついているのだからあの池のほとりにも降りているはずだ。

私がその槍ヶ岳に初登頂したのは偶然にも播隆祭の日だった。そんな理由から、今回時間があれば播隆平に寄ってみたいと思っていた。この光明射す播隆平を見たということは、「ここへ来るがよい」という播隆からの暗示のような気がした。よくある光景なのだろうか。神秘的だった。

自分なりに満足して山荘に戻る。

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小屋の向こうは小笠↑。登れないことはないが登る人は少ないらしい。

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気温5℃。指先が冷たいはずだった。

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山荘の窓ガラスに映る穂高もまた格別。

さて山荘ともお別れ。ザックを担ぎ6:30下山開始。

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昨日ふらふらになって登った道をいとも簡単に降っていく。

              Img_1939

サヨナラだなんて・・・・本当はまだ降りたくないんだよ。 

                Img_1940

順調にずんずん降る。

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過酷な環境に咲くチングルマ(果穂)。これは草でなく木です。バラ科です。

             Img_1942  

早朝、光明が射していた播隆平↑。ルートはうっすらだがある。あの緑の笠(小山)も登れるらしい。いずれも一般ルートでない。今回は時間がないので諦める。遠くに乗鞍岳、御岳まで見える。  

             Img_1944
  

↑名残惜しく笠ヶ岳を振り返る。

             Img_1949
  

アップダウンを繰り返し進む。

             Img_1950
   

また、笠ヶ岳を振り返る。だんだん小さくなっていく笠。

               Img_1951
 

折戸岩を抜け、また登る。快適な稜線歩きだった。

Img_1956 ⇒ Img_1957
 
 

↑左手には黒部五郎岳があった。いつの日か、あの頂に立ちたいと思っている。

(山の名前記載あり。写真をクリックして、さらにクリックして楽しんでみてください。
 山に興味のない方は、お花の写真を大きくしてみては・・・・)

  Img_1964
  Img_1963

折戸岳から望遠で槍を写してみる。写りはイマイチでもルートまでわかり興味がわく。

この先、弓折岳までの稜線を楽しむ予定だったが、体調が心配なので笠新道を下山することにした。

           Img_1967
 

8:30笠に別れを告げ、杓子平に降りる。

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  アキノキリンソウ             ミヤマホツツジ

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 Img_1981

 ハクサンボウフウ            タテヤマリンドウ

杓子平でお湯を沸かし花を愛でながらコーヒータイム。
7月の終わりごろの杓子平は素晴らしいお花畑だろうと想像した。

 

10:30杓子平(H2450)から樹林帯に入り、笠新道登山口(H1350)まで嫌になるほど降った。            

             Img_1984
シモツケソウ

笠新道登山口2:30着。もう2度と笠新道には入るまいと思った。

「どんなゆっくりでも、登り切ることさえできれば健脚だとガイドブックに書いてあった」とAのたまう。

「ちょっとぉ!ゆっくりとふらふらは違うんじゃない?」と言いたいのをぐっと堪えた。私もこういう年寄りなっていくのかな・・・。

新穂高まで1時間、ゆるやかな林道を惰性に任せタッタカタッタカ降っていった。

 

中高年の無謀な登山多発と叫ばれているなか無事終わってよかった。

その後、まだAから連絡がない。寝込んでいないかちょっと心配でもある。

                                      ぼやき山行おしまい[E:paper]

 

 

 

 

 

 

 

 

2009笠ヶ岳(新穂高温泉~笠新道)①

穂高連峰の西に位置する笠ヶ岳(標高2897m)に登りました。

      参考: 2万5千分1の地形図(国土地理院)

            Img_0028   2006/9/22西穂高岳からの笠が岳

その名の通り、山容は笠の型をなしており、頂上は他県と分けることのない生粋の岐阜県の山です。

               Img_1882 8/21雨の高山

JR高山駅からは、新穂高温泉行きのバスに乗ります。1時間半ほどゆられ終点の山すそまで行くのです。今回は前泊して翌朝から歩き始めました。

健脚コース「笠新道」に挑む旅のはじまりはじまり。    

 

 

 

平成21年8月22日(土)[E:sun]

         Img_1886

6:00新穂高温泉バスターミナル(標高1100m)で登山届けを出し、蒲田川に沿って左俣谷を行く。歩くこと1時間、笠新道登山口(標高1350m)に着いた。

ここから標高2750mの稜線まで、標高差1400mをひたすら登ることになる。7:00覚悟して笠新道に入っていった。

Img_1888  Img_1889
 

樹林帯を延々と登ること3時間半、振り向くと素晴らしい展望になった。
槍が岳から西穂高、さらに焼岳、乗鞍まで一望。山襞まで見て取れる。惚れ惚れする景色だった。

 

急登続きの笠新道をクリアーするには、極遅だが標高200m/1時間のペースをコンスタントに保つことが大切だと考えていた。ゆっくり上がればいずれ着く。極端に疲れることなく7時間半で稜線に出られる・・・と思っていた。

そうはいかなかった。
標高2000頃から仲間Aは、標高200m/1時間を切るほどペースダウン。立ち止まることが多くなった。これがアクシデントの始まりだった。

まずいなと思った。私は下山を考え始めた。
何気なく「降りましょうか・・・」と言ってみた。が、Aは「2450の杓子平に行って考える」という。降りるなら一刻も早いほうがいいと思ったのだが・・・・Aの様子を気にしながら樹林帯をさらに登っていった。

         Img_1892 樹林帯を抜け明るい杓子平に出る

杓子平↑に着いたのは、予定を大幅に過ぎた1:15だった。

稜線まであと300。そこから笠ヶ岳山荘まで2時間、山荘着6時になると予想した私は、今一度、Aに下山を勧めた。
が、頑固にも「大丈夫。そんなに遅くならない」とのたまう。

Aの体調回復を信じて、付かず離れずで稜線に向かった。
何がそこまでさせるのか。無謀という感が拭えず私は不安だった。

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背後には常に穂高があった。登山客のドラマを穂高は数知れず見ているのだろう。教えを請うような気持ちで私は穂高と対峙していた。

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標高差300mの赤線ルートを2時間半かけて、ようやく稜線に出た。

            Img_1896

稜線のはるか先、笠ヶ岳に向かってアップダウン↑を繰り返す。
とにかく行くしかない。天候が崩れないことを祈った。

               Img_1897

標高2750の稜線に咲く↑チシマギキョウ。なぜ、こんな過酷な場所を住処に選んだ?と問うてみる。

             Img_1900

ガスってきた。西からの冷たい風も不気味だ。とんでもない事になりやしないかと不安が募る。

               Img_1902

山荘までの中間地点、抜戸岩まで来た↑。あと半分だと自分を励ます。

後にも先にも登山客がいない稜線を歩いた。

テント場が目に入ったとき、これで遭難は免れたと思った。何十回目かの小休止。最後の水をAに差し出す。

              Img_1904

テント場を過ぎてからの最後の登り↑。2~3歩進んでは立ち止まる。Aはふらふらだった。
頑固にも登ることを選んだ人間の業の深さを垣間見た思いだった。山をやるものとして下山すべきかを判断することの難しさを考える。自問自答するも堂々巡り。

              Img_1905

山荘にたどり着いたのは、新穂高から12時間たった午後6時だった。
体力を過信した無謀な山行だったにも関わらず、我々は無事到着できた。詫びる思いで笠ヶ岳を見上げた。

 

今夏一番の宿泊客で超満員の山荘だった。(布団1枚に2人)

夕飯は最終の7:30。Aは食事ができないほど疲れきっていた。なのに私は安堵感からぱくぱくと食がすすむ。ちょっと気まずい夕食だった。

疲労で大いびきのAだった。寝られやしなかった。私は布団を抜け出し廊下で寝た。たくましくなったものだと我ながら驚く。ぼやきながら眠りに落ちていった。

                         つづく

 

 

 

2009上高地(北アルプス天狗池)②

平成21年8月14日(金)[E:sun]

充分に眠れないまま4:30起床。朝食なしで(ババ平で朝食予定)5:05槍沢ロッジ(H1820)を発つ。

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しばらく歩くと槍が頭を出した↑。空が明るい。ヤッホー!
昨日雨にもかかわらず、槍沢ロッジまで来た甲斐があったこと実感する。 

 

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樹林帯を抜け、5:45ババ平(H2080)着↑。正面は東鎌尾根。まだ私はここを歩いていない。左は横尾尾根で右は赤沢山。

ババ平は旧槍沢小屋跡で、現在は槍沢ロッジのテント場である。(水場あり)
昨晩の大雨でテント泊はさぞ難儀したはず。そのツワモノたちに心の中で労をねぎらう。

         Img_1825

大曲を過ぎると、↑大喰岳(オオバミダケ)と中岳が見えてきた。氷河が作り上げた巨大なU字谷。ようやく北アルプスらしくなってくる。あの稜線までの標高差は約900m。休憩入れて4時間ってところか。まだまだ先は遠い。

            Img_1828

深い谷を抜けると陽が照りだす。じわじわと額に汗がにじむ。この雪渓↑は上高地を流れる梓川の水源となっている。

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標高2350の分岐から槍沢を振り返る↑。正面は赤沢山(H2670)。その奥右下に見えるのは中山(H2492)。

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槍ヶ岳に向かう登山客と別れ天狗原↑に入る。登山客は激減し、静けさが漂う。

            Img_1830

ここからは未踏の地↑。しばし地図でルートを確認する。

          Img_1834

分岐から雪渓を横切ると槍ヶ岳の全容↑が現れた。ナナカマドが紅葉したら素晴らしい景色になるのでしょうね。

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しばらく行くと天狗原と岩に大きく書いてあった↑。ここは何万年前の氷河侵食による大渓谷(カール)だった。

 

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天狗原から槍に向かう登山道を眺める↑。ジグザグジグザグと列をなして標高を稼ぐ登山客にエールを送る。こちらは登山客皆無。のんびり気ままに歩く。             

               Img_1839           

天狗原から雪渓が残る斜面を上がる↑。空に登りつめるようでもあった。

             

               Img_1842 

登りつめると、眼下に↑念願の天狗池(H2524)が現れた。同時に前方の常念岳(H2857)が目に入る。憎いシチュエーションに思わず笑みがこぼれた。

池まで降る。そして3人の先客に軽く頭を下げてから、目線を槍の穂先から池にゆっくり落とす。

               Img_1848

すると池には槍がちゃんと写っていた。心の中で静かにバンザイと叫んだ。

南岳小屋のブログによると、今年の逆さ槍は、お盆過ぎでないとだめだとか、雪が融けると水面に泡が発生し槍が写らないとも書かれていた。

今回はダメもとで来たのだった。それが幸運にも、昨晩の大雨で雪が融けて槍を写すだけの池が現れ、泡も押し流され水面は綺麗だった。そして何より無風晴天。これ以上のものはあるまいと思った。

池のほとりに座り槍を見上げる。私は見えない力に導かれ今ここにいる・・・そう感じるほど槍は神々しいものだった。大自然に身を委ねるという至福のときを堪能した。

               Img_1851

実に静かで神聖な場所だった。ここは大勢で来るところではないと思う。

 

槍の穂先をヘリコプターが何度も旋回していた。地方紙の取材撮影だと思ったら、帰宅後、中日新聞の一面に下記↓の記事を見つけた。

             Photo    

記事には、14日の午前中と書かれている。私が天狗池から見ていた槍の穂先に違いないと思うとちょっと嬉しくもあったりして。勝手に喜んでいた。

 

が、ここからがいけなかった。

夫が体調が思わしくなく、ここまでペースダウンぎみだった。頭痛と吐き気がするという。この先の計画は南岳に登って、明日は大キレット通過し北穂~涸沢パノラマ新道~徳沢だった。

とても無理だと判断し下山する事にした。

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とはいうものの、南岳へのルート↑をじっと見つめながら残念に思ったのは確かだった。

                            Img_1855

槍を見ながら分岐まで戻る。カールに咲くクガイソウ↑。

           Img_1859
  

分岐からの下山途中、大喰岳上空に月が見えた↑。今日の稜線からの景色はさぞ素晴らしいのだろうと諦めきれず何度も空を見上げた。

Img_1863     Img_1864           

      ミヤマカラマツ                  グンナイフウロウ         


Img_1866  Img_1867

ババ平を過ぎた頃、前方に↑蝶ヶ岳が遠望できた。雲がぽっかりと浮かぶ。なおさら下山する自分をみじめに思った。

12:00には槍沢ロッジに戻った。その頃には夫は回復したようで、その先は足取りは軽くなり安心した。だからといってもう一度登り返す気力はなく下山するしかなかった。

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雨の中を登った槍沢を眺めながら横尾に降りていった。

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徳沢から明神に向かう途中で親子連れが前から歩いてきた。すれ違ってから後姿に「楽しい旅を」と小さく声をかけた。それは私の消化不良の山旅をこの親子に託す気持ちから出た言葉だった。

バスターミナルに着いたのは5時を少し回っていた。

 

念願の逆さ槍は見られたし、とにかく夫が大事に至らなくて何よりだった。おしまい[E:paper]