2010北アルプス紅葉④ 2日目後半

平成22年10月11日(月祝)[E:sun]後半          

風岩の頭から本谷を見る↓(2008/10)

横尾尾根の天狗のコル(標高2700・写真↑)に立つと絶景だった。 
のところが横尾から見えた部分のようです。)

目の前は前穂・北穂。見下ろせば本谷右俣・屏風岩。写真↑左奥に横尾も見えた。

 

さて、ここから私はこの本谷右俣を降りる。バリエーションルートなので道などない。おおよその見当をつけていたら、男性がひとりひょっこり本谷から上がって来た。

その男性は、横尾から5時間かかったと話してくれた。ということは、下山の私はそれ以上かかるのだと自分に言い聞かせる。

 

10:20本谷に降下開始。まずは標高2500あたりの雪渓を目指す。  


バリエーションお決まりのザレ場↑から始まる。足を取られ立っているのがやっと。草つきの方がいいかなぁとそちらへ行けば、見えない石に乗って転がりそう。どこも危なかった。我慢我慢と慎重に降っていく。

紅葉の中に降りていくのだから気持ちはめげない。下山開始から50分。ザレ場は終わり、天狗のコルから見た横尾尾根南斜面の紅葉に近づく↑。黄金色で美しい。

西に目をやれば、紅葉越しの南岳↑。青空で最高のお天気だった。

 雪解けが遅いカール底には、驚くほどたくさん花が咲いていた。間もなく雪が降ろうとしているのに、その短い期間でも子孫を残そうと頑張っているのが健気だ。ミヤマリンドウ(左)やミヤマキンバイ(右)踏まないように気をつけて歩いた。

カール底(2500)の雪渓から南岳(左)・横尾尾根(右)を見上げる。

途中何度も景色を見ていたので、天狗のコルからここまで1時間30分も要してしまった



左:南岳から延びる東南稜
右:横尾尾根

カール底は無風で暖かく、とても静かで時間が経つのを忘れるぐらい居心地がよかった。

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カール尻に向かうと谷は急に狭くなる。屏風の頭のほうが高くなったかな?

突然草地になり、ないはずの登山道が、わずかな距離だがうっすらついていたのには驚いた。獣道かな?一面チングルマという快適なところだけに小動物が行きかう道かもしれないと想像した。植生を痛めないようにその小道を通らせてもらった。

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屏風の頭を目指して狭い谷に降りていくと、天狗のコルからでは見えなかったものすごい紅葉が現れた。↑12:20標高2200

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この世のものと思えない最上級の景色に見惚れた。横尾尾根↑

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↑南岳の方も素晴らしかった。人がいなくて静か。新鮮な景色に感動しきりだった。

・・・[E:note]はーやーく 来いよ と 呼んでるぜ・・・・」

「来るのを待っていたぞ」・・・・なんて嬉しいなぁ~・・・・妄想はどんどんエスカレートし、とうとう私はイカレタ山女になっていた。

 

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本谷の流れが始まり↑本谷右俣カールの見納めになる12:32立ち去りがたく振り返る。

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それからは、狭い谷のゴーロ帯(↑振り返って撮った)が始まる。ぴょんぴょんと降りていく。が、それも束の間、水量が増え、右岸を慎重に降った。

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屏風岩の山容が優しくなる。

二俣に近づくにつれ、さらに水量が増してきた。急流で右岸は降りられなくなり、少し登り返して左岸に渡った。左岸に渡っても降りられなくなってきた。草つきへつりを探してトラバースして進んだ。

Img_3843                                  ミヤマコウゾリナ

もうすぐで二俣に出られると思ったそのとき、2mほどの高さのへつりから滑り落ちてしまった。

どんなふうに落ちたのかまったく覚えていない。気がつけばゴボゴボと水中にもぐっていた。本谷の急流に流されたと思い必死でもがいた。

ふたかき、みかきして気づいた。入水したのは頭と両手だけで、肩から下は幸運にも入水しておらず、体は水辺に残っていた。浅瀬だけれども急流に頭だけ突っ込んで溺れていたのだ。滑稽な姿だったに違いない。

 

状態を起こすと頭から水がしたたり、上半身ずぶぬれになった。幸い水は冷たくなくて助かったが、しばらく呆然と水辺にへたり込んだ。
ザックから着替えを出し着替えた。このとき腕時計がないことに気づいた。落ちたときにベルトが切れて流されたらしい。愛用していただけに残念でならなかった。(落ちたのは多分
1:45ころ)

 

気が緩んでいたのだろう、何であれ神様は私のこころの隙を見逃さなかった。とうとう洗礼を受けたのだった。早く来いというのはこれだったのだろうか。

 

その先は慎重にへつった。二俣(標高2030)に着いたのは2:30だった。

ここからは、以前歩いた道。それでもまだバリエーションルート。急流のゴーロ帯はきつかった。何度も休憩をし慎重に降ったので、本谷橋(標高1800)まで2時間近くかかった。
まだかまだかと歩いたこの間は本当につらいものだった。

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ドボンしたときカメラもダメになったと諦めていた。が、試し撮り↑したら大丈夫でほっとした。神様ありがとうございます、と想った。

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本谷橋↑(標高1800)が見えたときは嬉しかった。

大怪我でなくてよかった。ドボンしたことも何もかも神様が決めたことなのだと私は思っている。この先は安全であるように神に祈った。

 

涸沢から降りてきた登山者が私を見つけた。あんなほうから(ヨレヨレで)人が来る、と話しているようだった。私はドボンしただけに、助けられた遭難者のニュース映像のようで格好悪かった。バリエーションルートを甘く見た罰だった。

 

本谷橋からの登山道は安全で横尾に5:30に着いた。横尾に泊まればいいものを私は何かに取り付かれたかのように徳沢に向かって歩いた。今思えば狂っていた。

秋の日はつるべ落とし。途中で真っ暗になった。さすがにめげた。それでも歩くと決めたのだから歩くしかなかった。

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ほうほうの体で徳沢に着いた。6:30だった。受付を済ませ、まずお風呂に入らせてもらう。湯船につかりながら、「自分の足で帰ってこられてよかった」と足をさする。

 

ここまで来た甲斐があるご馳走だった。ステーキまである。もりもり食べた。

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井上靖の「氷壁」の舞台となった宿である。一度泊まりたかったのだ。徳沢園は聞きしに勝る宿だった。

到着が遅かったので、部屋に入ったらもう皆寝ていた。どんな人と同室なのかわからないまま横になった。

 

部屋は静かだった。が、美しかった紅葉やドボンしたことなどで興奮覚めやらず。なかなか眠れなかった。心なしか足も痛かったし・・・。

つづく 

 

 

 

 

 

 

2010北アルプス紅葉③ 2日目前半

平成22年10月11日(月祝)[E:sun]

5時の朝食を済ませ、6時槍沢ロッジを出発。見えるはずの槍の頭は朝もやの中だった。

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紅葉の登山道をゆっくりと分け入っていく。吐く息は少し白いが寒くもなく気持ちよい朝だった。

Img_3720                            ベニテングダケ(毒)

ロッジから30分でババ平(テント場)に着いた。カールは雲海で真っ白。

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でも私の強い想いが通じたのか、少し待つと東鎌尾根↑が徐々に姿を現わす。この徐々にという焦らし方は何とも心ニクイ。

お預けだった横尾尾根の紅葉も徐々に現れる。その過程は美し過ぎてうっとりと魅入った。

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槍沢カールで眠っていた雲海も太陽に起こされ、方々に散っていく。

舞台上手に東鎌尾根、下手には横尾尾根、この槍沢ショーのオープニングは素晴らしかった。

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槍沢ロッジ(1820)からちょうど2時間、8:00に分岐(2350)に着いた。

そして進路を天狗池に向ける。

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カール底の天狗原↑から少し上がったところで私はザックをおろした。

ぼぉ~っと美しい景色を見ていると、快く送り出してくれた家族のこと、恵まれている自分であることなど、つぎつぎと思いがめぐる。この景色を通して山が「考える時間」を与えてくれていた。山の神様の素敵な計らいだった。

天狗原↑は離れがたいほど心地よいところだった。

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童心に帰って小さくなってナナカマドのトンネル↑をくぐる。

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雲ひとつない青空。上等の景色だった。

昨晩、槍沢ロッジ談話室でおしゃべりした写真家の男性が降ってきた。彼は天狗池の撮影の帰りだった。夜中の2:30頃にロッジを出発したけど早すぎたと話してくれた。彼のホームページに天狗池の写真があります。

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今回は常念岳↑を先にじっくり眺めた。そして目線を落とし、また来ました、と池に挨拶する。私流の表敬の仕方で池に降りていった。

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紅葉の天狗池は、と比べ物にならないほど良かった。

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直線距離で約2kmも離れた槍が池に写りこむのが不思議だった。日付と重なってしまっているが池と槍の位置関係は写真↑の通りです。

今回はこの先が目的地なので、天狗池で長居はしなかった。

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天狗池からは、初めてのルートを進む。横尾尾根の稜線↑目指して紅葉の中を足取り軽く登った。

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振り向けば、大天井岳や燕岳まで見える↑。西岳でのことをなつかしく思い出す。

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槍沢は涸沢よりいいかも。何より空いているのがいい。人がいないって本当にいい。

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今年の7月末に歩いた北アルプス横断ルートがよく見えた。あそこでは難儀したなぁとか、この景色には思い出がたくさんある。見飽きない景色だった。

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前穂北尾根・北穂が突然目の前に現われた。そこは横尾尾根の天狗のコル(2700)だった。10:16

つづく

夏の天狗池はこちらから見てください→夏の天狗池

2010北アルプス紅葉➁ 初日

2日目も雨では出かけてもしょうがない。悩んだ挙句、出発を1日延ばした。

 

平成22年10月10日(日)☁

10/10名古屋7:00発しなの1号に乗る。松本、新島々で乗り換え、11:15上高地に入った。

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連休中日。河童橋は観光客でごった返していた。観光客の列をくぐり抜け、梓川左岸を北に向かって歩く。

晴天ではないが(上の写真は最終日撮影)ときどき薄日が差し、歩くにはちょうどいい。予報では雨のち曇りだったのだから上等の天気だった。

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ビジターセンター前に、2代前の欄干の一部が展示↑されていた。
材はカラマツ。

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説明によると初代は跳ね橋と書かれている↑。今年はその初代橋から100周年にあたるらしい。

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バスを降りて1時間ほど歩くと明神に着いた↑。明神館前は観光客と登山客が半々といったところでしょうか。

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明神岳のピークは雲に隠れていた↑。山を見上げながら10分ばかり休憩。12:25徳沢に向かってまた歩き出す。

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明神を過ぎると観光客はぐっと減った。雨上がりの道は緑が鮮やかで心が安らぐ。一日ずらしてよかったと思いながら歩いた。

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河童橋(11:20)から2時間弱で徳沢に着いた↑(1:08) 。ここをベースキャンプにして、槍・穂高に入るテント山行もよい。

暑くもないけれど徳沢名物のソフトクリームを頼む。そしてポットにコーヒーのテイクアウトを追加する。(最近ガスカートリッジも持ってこないほどナマカワしている。)

 

1:20 徳沢を発。

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1:32新村橋。涸沢パノラマコースや奥又白池はここから入る。対岸は前穂高。

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テント泊から遠ざかっている(卒業した?)私は、前のふたりをうらやましく想いながら後を歩く。

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2:14横尾に着いた。上高地バスターミナルから3時間、予定通りだった。ここをベースキャンプにする登山客も多い。

 

私は横尾山荘まで行かず、古ぼけた営林署避難小屋前でザックをおろし、周りの山を見ながら休憩する。

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するとそのとき、ずっと奥の山と目が合った↑。地図を出して調べると、どうも南岳のようである。
横尾から南岳?を見たのは初めてのことだった。

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念のために望遠↑で撮っておいた。

 

  [E:note]呼んでるぜ 呼んでるぜ・・・・
  ・・・はーやーく 来いよ と 呼んでるぜ・・・・

        (このフレーズしか知らないのですが、古い歌ですよね。

 

まだまだ遠いあの南岳に思いを馳せながら、徳沢のテイクアウト[E:cafe]コーヒーを飲む。

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2:40横尾発。

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横尾からは槍沢に入った。この時期、大方は涸沢に入るので静かな登山道になる。

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一ノ俣(標高1705)3:25通過。続いて二ノ俣を越すと、梓川はエメラルドグリーンの流れになる。何度見てもここは美しくて今回も立ち尽くす。奥に見えるのは横尾尾根。

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標高1800を過ぎるころになると、横尾尾根の紅葉が綺麗になってきた↑。

山は惜しげもなく美しさを披露してくれていた。この充足感をどう表現したらいいだろう。うまく言葉にできないことがもどかしい。

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雨にあわず4:00槍沢ロッジ(標高1820)に着いた。今晩はここで泊めてもらう。1泊9000円(2食付)
このロッジは風呂がある。もちろん石鹸NGだが、疲れがほぐれるのでありがたい。

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しゃくなげという部屋で、私は上の寝床を与えられた。混んでいることもなく、寒くも暑くもなく、槍の懐に包まれ、幸せな気分で眠った。

                                                つづく

 

 

 

2010北アルプス紅葉①

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いつものことだけれども、相手が天気だけに、今年の紅葉(10月の連休山行)をどうするかなかなか決められなかった。

 

晴天を前提に立てるプランは、当然のごとく天気予報に却下!却下!。しかし好転することもあるので最後まで諦めはしないのだが。今回も出発の前日まで天気予報とにらめっこだった。私の山旅は、いつもこの一喜一憂から始まる。

 

今の天気予報に合うプランを考えながら、ふと2008年10月涸沢紅葉の帰りに屏風岩から見た景色を思い出した。(上記写真)

やっぱりあそこに行ってみたいな。そう思ったのが出発の3日前。地図を見直し綿密な計画を立てた。

 

その後も、私を試すかのように天気予報はころころ変化した。

 

明日出発という晩、ザックに荷物を詰めながら天気予報を見ると・・・・

初日が雨のち曇り(これは平野の予報で山はもっと最悪のはず)
2日目も雨のち曇り
3日目が晴れ

 

[E:note]あなたな~ら、どうする? そう問われている私だった。

                                       つづく

おしらせ

ご無沙汰していました。みなさんお元気ですか。

ようやく9月の山行記が完成しました。

興味のある方は、どうぞご覧下さい。こちらから

 

この9月の山行後、悲しい知らせが入りました。
信大山岳部60周年記念(昨年11月)ヒマラヤ遠征の隊長だった田辺治氏が、9/29ネパールで雪崩遭難しました。まだ雪の中に埋まっています。
9/19双六小屋で
 O君と田辺隊長の話をしただけに残念で仕方ありません。詳細

 

 

続いて、モバイル投稿でお知らせした10月の紅葉山行記もなるべく早くアップします。

予告編

Img_3708              この沢をつめて・・・・・あの尾根を乗越し・・・・

Img_3838                  さてさてどこでしょう?

2010北アルプス(新穂~双六~笠新道~新穂)③

平成22年9月20日(月・祝)☂

朝食後、「お世話になりました。お先に・・・」と言っては、ひとりまたひとりと出発していった。私も続いて雨具をつけ、残り少ない同室の人に挨拶をして部屋を出る。

6:08ザックを担ぎ小屋の外に出た。昨日そこにあった鷲羽岳は、影も形もなかった。くるりと向きを変え、昨日来た道をとぼとぼ帰る。

昨晩、偶然出合ったO君のテントを探したが、わからなかった。雨のテント撤収ほどイライラするものはない。わからないのを幸いに挨拶せずに通り過ぎてきた。

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この先の目的がないというのは何と寂しいものなのか。しとしと雨のなか、むなしい気持ちで弓折分岐に向かった。

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カラフルな団体が列をなして進んでいく。

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辛うじて槍の頭が確認できた。ナナカマドを相手に「何で雨かねぇ~」と愚痴をこぼす。

7:08弓折分岐に着。穂高稜線は何も見えなかった。しばらく立ち休憩し、私は笠方面に向かった。

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↑笠方面へ少し登った所から弓折分岐を眺める。鏡平小屋に降りていく人が多い。こちらに来る人はいない。

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初登頂の弓折岳。
誰もいない代わりに雷鳥が3羽いた。写真を撮ろうにも雷鳥はなかなかじっとしていない。私は金魚の糞のごとくついて歩きまわった。が結局写真は撮らせてもらえなかった。

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7:45弓折岳(2592)
8:05大ノマ乗越(2450)
9:15大ノマ岳(2662)

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小池新道入り口(左俣)が見える↑。穂高稜線は雨雲に隠れて稜線歩きの楽しみがない。

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チングルマ↑の写真を撮っていたら、ひょっこり老人男性が現われた。しばらく立ち話をした。「そうだ、オレンジ如何ですか?重いから助けてください」とおっしゃる。断る理由もないからお言葉に甘えいただいた。そのあと、この男性に会うことはなかった。見通しが悪く、私の先なのか後ろなのかもわからなかった。

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一瞬、穂高稜線が見えた↑。去年の今頃大キレットを歩いたが、今日のような天気だった。
きっとあんな中を歩いたのだろうなとじっと見つめた。

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振り返れば、遠くに双六小屋が見えた↑。ここまでの3時間の行程がひと目で見られ感慨深い。(訂正:東鎌尾根→西鎌尾根)

 

9:15大ノマ岳(2662)では穂高稜線は全然見えなかった。先客の男性はもう一本タバコを吸うというので私は先に発った。

 

9:45秩父平(2533)に降りた。お花の時期は素晴らしい所だと聞く。休憩していたら団体が来たので先に発つ。

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10:04秩父平から少し上がったところから振り返る↑。休憩しているのがその団体。

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2667へ登る途中はタカネヨモギ↑が多かった。このあたりは秩父岩といって奇岩が多い。この靄の中で見ると何だか怖い顔に見える。

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2667に着くと進路を南にとり、さらに登る。すると植生が変わり、ウラシマツツジ↑が多くなった。綺麗に紅葉しはじめ、私を楽しませてくれた。10:41

2800まで登ると秩父岩の上に出る。そこから抜戸岳までは、ほぼ水平移動。しかし眺望がないので抜戸岳まで退屈な道だった。

抜戸岳は登山ルートから少し登る。以前寄ったので寄らないつもりでいたが、急に気が変わり11:23抜戸岳(2812)着。晴天ならまだしも、この天気では誰もいなかった。穂高稜線が見えるわけでもないので直ちに発つ。

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11:35 笠新道に向けて杓子平に降りる。ネバリノギラン↑のオレンジが鮮やかだった。

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杓子平は濃霧の中↑で、いったいどのあたりを歩いているのかわからなかった。慎重に○を辿る。

それでも登ってくる人は5人ほどいた。道を譲ってもどうぞと反対に道を譲られる。皆しんどそうな足取りだった。

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お花の宝庫の杓子平。まだアザミが群生していた。オオヒョウタンボク(実がひょうたんのようにくっついている)が雨に濡れて綺麗だった。

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こういう天気だからこそ見られるのが雷鳥。グーグーと仲間を呼び合っていた。
杓子平で10羽以上見かけた。大収穫だった。

まだかまだかと駆け下り、12:42杓子平(2469)にやっと着いた。60代のご夫婦が湯を沸かし昼食の様子だった。今から笠に向かうという。この天気で今から?と思った。

私はここで新穂高の最終バスの時間を確かめた。4:55が最終だった。ということは3:45には笠新道入り口に降りたい。下山コースタイムは3時間。ということは今から降りてぎりぎりの時間だった。会ったばかりのご夫婦に別れを告げ下山した。 

Img_3663                                 オオカメノキ(ムシカリ)

1時間ばかり降りたとき、ひとりの中年男性に会った。今から笠に行きたいが行けるだろうか?という相談だった。ざっと計算しても小屋到着は6時を過ぎるだろう。そしてこの天気だから考えてください。と伝え、急ぐからといってその男性を置き去りにしてきた。なぜやめなさいと言わなかったのかとしばらく反省しながら降った。

 

 

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3:20 笠新道登山口に降りた。沢水で顔を洗い、着替えをし、パンをかじり
ザックを整え、新穂高に向かった。

 

途中、テント泊男性と一緒に歩いた。彼は新穂高から一日で太郎テン場まで行ったという。日が暮れていたとも言っていた。何がそこまでさせるのだろうか。そんな話をしながら歩いた。

 

4:55の最終バスに間に合ってほっとした。携帯電話を忘れた今回の山行。反省する事だらけであった。

 

9/19(日)わさび平小屋→双六小屋
     平均上昇率(1分あたり)     4m
     垂直上昇高度の合計   1387m    

     平均下降率(1分あたり)    8m
     垂直下降高度の合計
    219m

     上昇/下降の回数      1回(標高差が50m以上でカウント)

     総時間         7時間26分(休憩含む)

 

9/20(月)双六小屋→笠新道入り口
     平均上昇率(1分あたり)     4m
     垂直上昇高度の合計    767m    

     平均下降率(1分あたり)    8m
     垂直下降高度の合計
   1961m

     上昇/下降の回数      3回(標高差が50m以上でカウント)

     総時間         9時間6分(休憩含む)

 

 

 

2010北アルプス(新穂~双六~笠新道~新穂)②

平成22年9月19日(日)[E:sun]

至れり尽くせりな小屋での朝食をいただき、5:30標高1400のわさび平小屋を出発。
7月の山行で降りてきた奥丸山を眺めながら小池新道入り口(標高1500)まで歩く。

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この小池新道に入るのは2回目。前回(2004/8/11)は暑い中をテント担いで登った。今それをやれと言われたらできるだろうか?自信がない。

  Img_3530 オオカメノキ Img_3536 マユミ

この時期、目を楽しませてくれるのは実。なかなか趣があって、何度か立ち止まっては眺めた。

 

5:30わさび平小屋(標高1400)
5:52小池新道入り口(1500)
6:43秩父沢(1705)
7:05チボ岩(1772)
7:33イタドリケ原(1886)
8:30シシウドケ原(2090) 

わさび平小屋から何度か休憩をとり、約3時間でシシウドケ原に着いた。花摘みで奥の方へと行ったら、大ノマ乗越に上がれる登山道を発見した。

 

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シシウドケ原から登ること約1時間。突然、穂高稜線が現れ↑感激していたら、そこが鏡池(2300)だった。

今年の7月に歩いた中崎尾根が、鏡池のすぐ後にあるかのように見えた。実際は谷を挟んで2kmほど離れているのだが。標高は中崎尾根(2350程)の方が少し高いがこことあまり変わらない。6年前と違う眺め方ができていることが嬉しくもあった。

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鏡池から数分で鏡平山荘。小屋からの穂高稜線の眺めも素晴らしかった。夕映えの穂高を見るために、一度はここに泊まりたいと思っている。(テント場なし) 

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山荘のコーヒーをポットにテイクアウトし、ひょうたん池の橋を渡って9:54山荘を後にした。

Img_3544                              オヤマリンドウ

ここから先は景色が素晴らしく、数歩登っては立ち止まって景色を眺めた。そんな具合だから追い抜かれっぱなしだった。

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鏡平山荘から40分登ると、鏡池と鏡平山荘↑は小さくなった。鏡池から中崎尾根が近いように見えたが、うんと離れている事がよくわかるようになる。細部まで観察しながら登る。

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10:55弓折分岐(2560)に着↑。オーバータイム覚悟で登ったのだが、ほぼコースタイム通りだったのには驚いた。私を追い抜いていった人たちは超健脚タイムということになる。

大天井岳が「お~い、こっちだぞ~」と北鎌尾根の後から頭を出していた。こちらも背伸びして、「その節はどうも・・・」などと挨拶する。テイクアウトコーヒーつき、西鎌尾根越の会話は何とも贅沢な時間だった。

 

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11:30雪見平(2605)のベンチで小休止。東鎌尾根を除いた槍の尾根4本(穂高稜線・北鎌尾根・西鎌尾根・中崎尾根)が見渡せた。ちなみに、蒲田川の源流はこの西鎌尾根の樅沢岳のようだ。

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昨日、双六岳↑に登ったという30代のご夫婦とすれ違う。今から東京まで車で帰るとか。運転より登山の方が楽だと言うから笑って別れた。

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11:57くろゆり平(2606)を通過すると、前方に鷲羽岳↑が鎮座している。その手前が双六小屋。

この景色を見て、6年前のテント山行のときのことを思い出した。あのときは三俣山荘のテント場まで行くつもりだった。が、この双六テント場を見た途端、今晩はここにしようと急遽計画変更したっけ。とにかく暑くってみなバテバテだったのだ。でも楽しかった。あれはあれで。

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なんともなつかしい景色だ。楽しそうなテント場を横目に双六小屋(2550)に向かった。

早い到着(12:35)だったので夕食は4時半だと一方的に決められた。それでは、双六岳でゆっくりするつもりができそうにないので、遅い夕食に変えて欲しいと願いでたが無理だと。小屋泊はこういう融通がきかないのが難点だ。

荷物を預けて歩くぞという気持ちが萎えた私は、部屋に案内されてから、ふてくされ寝てしまった。1時間半も。

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3時ころゴソゴソ起きだし散歩に出る。4時半の夕食に戻れる範囲で双六岳を目指す。

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蒲田川源流の樅沢岳↑。西鎌尾根をやるときは、多分、槍からこっちに歩くルートをとると思う。あれを降りてくるんだなとシュミレーションする。

 

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小屋から標高100登った巻き道分岐(2650)まで来たら視界が開けた。
明日はあそこまで行くのだと遠くに目をやる。わくわくする景色だった。

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東に目をやると、樅沢岳越に岩稜帯の穂高稜線が見えた。さすが穂高だ。貫禄があった。
天気は最高。もう少しこの景色のなかにいたかったがタイムリミット。ふてくされて昼寝したことを悔やみながら下山した。

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クルマユリという部屋からの鷲羽岳↑。到着が早かったのでいい部屋なのかもしれないと思った。

夕食は天ぷらだった。からっと揚げたてで、山小屋と思えないほどボリューム満点で大変おいしかった。テント泊や素泊まりではとても味わえない。

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お腹もふくれ、もう登山客は来ないだろうと同室の人と話していたら、20代前半の奈良の山ガールが5時半に到着した。到着早々「今日はめっちゃ楽しかった」とハイテンションで話し始める。聞けば雲ノ平から祖父~双六経由で小屋着。夕日が穂高に映え最高だったと言う。

その彼女が素晴らしい景色を満喫していたとき、私は天ぷらがうまいと食べていたことに気づく。馬鹿丸出しの自分の姿が浮かんだ。ザックの中にぺっちゃんこになったパンが2個あったのだから夕食なしという選択肢もあったはずなのにと話を聞きながら悔やむ。

 

部屋の内部↑。7人部屋に6人だったのでゆったり横になれた。女部屋で皆ソロ。20代山ガールから最年長は60代後半?の6人。 昨日東京から夜行バスで来て明日帰る人や、カメラ・三脚持参の人だったり、行動力あるおなご衆ばかりだった。

 

Img_3570                              シラタマノキ

このあと偶然の出会いがあった。北穂池や甲斐駒ケ岳黒戸尾根を案内してもらったO君(31歳)と会った。彼は昨年10月に信大山岳部60周年記念でヒマラヤ遠征し、無事戻って以来の再会だったので嬉しい出会いだった。今回は双六小屋の小池氏(写真家)を尋ねてのプライベート山行だとか。O君とは山で2度も偶然に出合っている。3度目はどこだろう?

 

談話室で明日の天気予報を見る。明日も明後日もその次も☂で、☀マークがない。本当は鷲羽から水晶に行き、温泉沢の頭から高天原に降り、雲ノ平を回って新穂に戻る計画だった。が、これでは行っても雨の中を歩くことになる。

 

実は、今回携帯電話を持ってくることを忘れたので、双六から奥に入る事をどうしようかと悩んでいた。でもこの天気予報で決心がついた。計画は双六小屋でやめ、新穂に戻る事にした。そのかわり未踏ルートの弓折岳~抜戸岳をすることにした。

部屋の皆はどうしようと悩んでいる。その気持ちわからないではない。

                                つづく

 

 



2010北アルプス(新穂~双六~笠新道~新穂)①

平成22年9月18日(土)

未踏ルートを目指して、新穂高温泉から北アルプスに入った。今回は新穂に戻る計画なので、「どうか、無事にここへ戻ってこれますように」というような願いを込めて、ゲート前で空なるものに頭を下げる。

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愛してやまない北アルプス。こうまで魅了するものは何かと尋ねられても、これだと言葉で上手く語れない。そんなことを考えながら蒲田川左俣林道を歩きだした。

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1時間も歩くとわさび平小屋に着く。今晩泊まるのはここ。この小屋は何度も利用したが泊まるのは初めて。風呂があることは知っていたが石鹸OKには驚いた。下山後利用者にはありがたい話だが。

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最近、贅沢な山行(2食付小屋泊)をしているので、せめてもここは素泊まり(食事は自炊)にしようか迷った。2食付小屋泊が当たり前になるとテント山行に戻れなくなる気がするのだ。そんなわけで「2食付」に抵抗を感じる。やはり憧れはテント泊山行。

お風呂に入り、ご馳走を前にして、遠ざかっているテント山行を思う。

 

部屋は1人布団1枚。明日からどっぷり山に浸る嬉しさを感じながら眠った。

                                                                  つづく

2010岐阜県五色ケ原

平成22年8月22日(日)[E:sun]

北アルプス乗鞍岳の北西山麓に位置する五色ケ原(岐阜県)に出かけました。(立山の五色が原ではありません)

 

ここ五色ケ原は、乗鞍岳の火山活動で出来た約3000haもの広大な森林地帯で、中部山岳国立公園南端に当たります。2004年オープン以来、オーバーユースを嫌って、要予約の有料ガイドつきで入山を許可しています。

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今回は、上の案内図のシラビソコース()を案内してもらいます。標高1400から1600mの谷を8時間ほどかけてのハイキングです。

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五色ケ原専用のバスに乗って、出合いの小屋↑まで送ってもらいます。立派な小屋ですが宿泊設備はありません。トイレはウォシュレットでバイオトイレでした。自然を守るには、高額な費用がかかってもこれでなければいけません。屋久島は現在どうなっているのだろうとふと思いました。

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何万年前に流れ出た溶岩の上に、今ではたっぷりの土壌が堆積し、コメツガ・サワラ・シラビソの樹林帯になっていました。  

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↑沢上谷(ソウレタニ)を流れる日雇声(ヒヨゴエ)滝です。

むかしむかし、御料の桧材を伊勢へと川出し作業中のことです。この滝があることに気づかず人夫(日雇ヒヨウ)が8人亡くなったと。それ以後、この滝からは日雇の木遣り声が聞こえる。・・・・とガイドが説明してくれました。

 

 

歩き始めて3時間ほどすると、沢上谷(ソウレタニ)を離れ小さい沢沿いを歩きます。目を凝らすとイワナが泳いでいます。標高1600では夏の終わりを告げるサラシナショウマやトリカブトが盛んに咲いていました。

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林道に出て、わさび平湿原を抜けると立派な小屋につきました。岩魚見小屋です。宿泊設備はありませんが、これまたトイレはウォシュレットでバイオトイレでした。小屋前に冷たい水が湧いており、ここでお弁当を食べました。

                      [E:delicious] [E:riceball] [E:delicious] [E:riceball] [E:delicious]

 

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岩魚見小屋からはしばらく林道を歩き、シラベ沢からまた山に入っていきました。沢の流れと一緒に歩きます。下界の猛暑から逃れてきた私には、一服の清涼剤となる涼しげな景色でした。

       

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    左)クロクモソウ シラベ沢沿いにたくさん咲いていました。

    右)アキノキリンソウ  

Img_3491                      小屋脇のシラベ沢ほとりに咲くハナウド

シラビソ小屋に着きました。山中だけあって小屋の規模は小さいですが立派です。これまたトイレはウォシュレットのバイオトイレで、入山料が高いわけがわかってきました。

 

 

シラベ沢を離れ、赤い実をいっぱいつけたオオカメノキ(ムシカリ)の森を歩いて澄池に向かいます。さぞ水が澄んで綺麗な池なのだろうと思ったら涸れていました。沢が直接流れ込まないので、雪解けと大雨の時期は池になり、その後晴天が続くと涸れるということを繰り返すのだそうです。しかし伏流水の加減で、晴天続きでも水が溜まることがあり、人間ではわからない不思議な池だと教わりました。水が満ちれば沈むのだろうヤナギの大木が風にそよいでいました。

 

クマの爪あとが残る木があちこちにあり、まさにクマの生息地でした。これっぽちの山で無線?と思いましたが、何度かの無線のやりとりはこれだったようです。ある程度守られているように感じました。

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沢が流れ込まないのに雄池↑は満々と水をたたえていました。例年夏前には枯渇するそうですが、今年は7/15の集中豪雨の名残で存在していると説明がありました。集中豪雨で登山道が水に浸かり、急遽新しい道を造ったそうです。しかし、ここまで水が溜まったという印からひと月で今の状態まで減ることには驚きました。枯渇するのも時間の問題だそうですが、にわかに信じられないスケールの大きさに山の不思議を感じました。

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池のほとりの黒い石が溶岩だそうです。池の水量が安定しないので苔がつかないのでしょう。雄池のほとりを半周しながら、ふきわたる風を満喫しました。

 

雄池では涼しかったのに、八汐峠に着くころには汗だくになりました。これを降ったら冷蔵庫に入りますから、というガイドを信じて歩きました。しばらく降ると突然伏流水が現れました。シラベ沢です。これがこの先で、とにかく素晴らしい滝になりますから、というガイドの力説にわくわくしました。

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それがこの↑布引滝です。五色ケ原シラベ沢の伏流水が、扇を開いたように流れ落ちていました。その美しさに感動しきりでした。涸れたことがないそうです。上部の3つの池の仕組みを含め、まさに山の神秘でした。

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滝壺まで降りました。ときおり風にのった水しぶきを受け、まさに冷蔵庫の中でした。左から流れる滝は沢上谷の桜根滝です。ここで合流し、高山市の宮川、富山の神通川となって日本海に流れ出るようです。

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沢上谷の横手滝↑

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沢上谷に架かる吊橋まで後ろ向きになって梯子を降ります↑。安全のためにガイドが増え、ひとりひとり誘導してくれました。至れり尽くせりで登山経験者でなくても安心です。

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吊橋の下は横手滝の水がゴーゴー流れスリル満点でした。横手滝は桜根滝になって布引滝と合流します。すごい水量でした。

 

布引滝展望台からも滝を眺めましたが、滝壺まで降りた我々は物足りないものでした。しばらく歩くと、今朝歩き始めた出合いの小屋に戻りハイキングが終了しました。

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待っていたバスに乗ってすぐ帰るのかと思ったら、冷えたトマトのサービスがありました。入山料を払うだけあって、本当に至れり尽くせりです。

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おまけにアサギマダラが我々を喜ばせてくれました。ヨツバヒヨドリの蜜を好むそうで随分サービスしてくれました。

 

展望はないハイキングでしたが、改めて山の神秘を知る機会となりました。