区切り3回目の4日目 曇りのち雨
朝飯の仕度をしているおばあちゃんに声をかけ、5:00浜吉屋を出た。
ちょっと小寒い感じである。
少しでもこの快適な気温の中、標高430mにある27番まで行きたい。
鳥がさえずるすがすがしいへんろ道をずんずん登っていった。
『まっ縦』と言われる薄暗い山道に入る。
車道を縫うように5ヶ所の山道を一気にあがるのである。
マルバウツギだろう木が開花(写真)していて奇麗である。
種類はわからないが桜も咲いていた。
広場になっている休憩所で少し汗ばんだ体を休めた。
●27番神峯寺 (6:25~7:10)
我々だけのお線香がふたつ並ぶ。
こうしてお寺の一日は始まるのであろう。
このお寺の今日の始まりに縁があったこと、嬉しい気がした。
誰もいないことをいいことに、本堂前に置かれたベンチに越し掛け般若心経を唱えた。
ちょっと後ろめたい心境だったが丁度いいところにあるベンチの誘惑に負けたのである。特等席だった。
相変わらず神峯寺の境内は奇麗に手入れされている。
点在するシャクナゲが花をつけており、この彩りに心のやすらぎを覚えた。
納経所が開くころになると参拝客がちらほらあがって来る。
8時には宿に戻る約束をしているので早々に退散した。
下山途中、昨日奈半利前の遍路休憩所で会った遍路が汗をかき来た。
昨日は私が彼をうらやましく思ったが、今日は反対の立場である。
結局は皆同じ距離なのだと苦笑する。
宿に戻ったのは8時を数分まわっていた。
今回は微妙であるが計算通り歩けないことが気になる。
計算違いのほかに体力低下も考えられる。
1日通すと1時間近くのズレは簡単に生じる。
予定通り進まないことは心得ていたが、もう少しのゆとりの必要性を感じた。
約束どおり遅めの朝食を頂いた。
だいたいの後片付けを終えたおばあちゃんは休憩時間になったらしく、我々の脇にぺたっと座った。
「今日はどこまで?」の問に「夜須まで」と答えると
「今日は、もうゆっくりや」
そう油断したのがいけなかった。
1時間以上ここでおしゃべりをしてしまったのである。
今日は雨が降るという予報なのに、シマッタ・・・である。
まぁこれもご縁と自分を納得させた。
『道の駅大山』で休憩後、伊尾木まで防波堤歩道を歩いた。
前回もあったのかと帰宅後に第5版の遍路地図で確認すると、この道は記載されていなかった。
こういう車の恐怖や騒音から離れられる道は歩き遍路にとって貴重である。
精神的ストレスが緩和される道が適宜なければ、余分な苦がつきまとう。
そんなことが続くはずがない。
日常では便利な車に乗るのに、ここではうるさいと思う自分の勝手さにどう折り合いをつけよう。
精神的ダメージを受けつつも歩きたいと思わせるのだから、お四国はまったく不思議な世界である。
心の充電をしながら歩いた防波堤歩道の終わりに、小さいが立派な屋根のお社があった。
鳥居からお社までの参道を『はまひるがお』が奇麗に飾っている。
はまひるがお以外には、どんな花が咲くのだろう。
神様も喜んでおられるに違いない。
安芸市にある前回泊まった宿のわきを通過する。
当時使った洗濯機だろうか同じ所にあった。
当時の自分を今の自分がながめているような気がした。
あれから私は泣いたり笑ったりと様々な体験をしたが、また歩いているのだから幸せだったのだと思う。
マンホールの蓋のデザインに足が止まる。
とぼとぼ歩いていると、こんな出会いもあるのだから楽しい。
今回はほとんどが海岸沿歩きなので、遠くに岬や町が見えると、あそこがどこどこだという見当がつく。
遠いように見えても必ず到着するという喜びを今回は沢山味わっている。
結願を目標に歩くとき、とりあえずの目標が今日の宿のように、一日を区切る目標がたとえ遠くても見えるということは歩く励みになる。
これはゆとりがなかった1巡目では味わえなかった2巡目冥利とでもいうのだろうか。
歩いていると暇なので、こんなふうにいつもの自分勝手な考えばかりが浮かぶ。
自転車専用道路に入る前にある広場のベンチで寝転がる。
どんよりした空を見上げ、雨が降らないでと心の中で祈る。
こんな寝転んだままの横着な願いを誰が叶えてくれるものか。
そんな半ば諦めの心境で、顔を笠で隠し目を閉じた。
遠くから聞こえてくる感じの音楽(本当は頭上から)に気づき飛び起きると、広場のからくり時計が午後1時の踊りを披露していた。
からくり時計を見に来た子供づれ家族がこんなに集まっていることに気づかないまま、呑気に寝ていたのである。
思わぬ光景になっていたことに驚いた。
からくり時計が終わると、何事もなかったように三々五々、私も見物人に混じって歩き出した。
矢流山極楽寺、『雨が降ります雨が降る』の歌碑がある赤野を過ぎ、琴が浜に着く。
前回も琴が浜でこのような舟を見たが、今回はたくさん見た。
決まってそばに重機があるので、どうもそれで舟を引き上げるようだ。
そして網が積まれているので、網を仕掛けに行く専用の舟ではないかとも思ったが本当のところはわからない。
はまひるがおがたくさん咲く琴が浜の松原を、そしてごめん・なはり線高架下をずっと歩いていった。
西分にある遍路小屋では、まだ雨でなかったが、夜須町に入る国道沿い歩きになると、とうとう雨が降ってきた。
今回徳島駅前のポストに一枚のハガキを投函した。
あて先は、この先にある『香我美遍路小屋の三浦さん』である。
予定通り歩ければ5日か6日に寄るというお知らせをしたのである。
雨が降るちょっと前にその三浦さんから連絡が入った。
「今どこですか?」
「え~っと、西分あたりだと・・・・」
予定通りならもうそろそろだと思って携帯したと言われる。
今晩、美味しい魚を食べにご招待したいという申し出に戸惑った。
そんなことがわかっておれば早朝から27番を打ったりしなかった。
とりあえず宿に着いたら電話することにした。
20分ほど雨の中を歩き、4:45夜須町サイクリングターミナルという宿に着いた。
私の予定では、この宿のレンタサイクルで『香我美遍路小屋の三浦さん』を訪ねようと思っていたのだが、フロントでは
「雨天時は自転車貸し出し禁止です」
自分の思い通りに事は運ばないということを思い知ると同時に、体の限界釦が押されたのを感じた。
宿まで車で迎えに行くと言う三浦さんの申し出を泣く泣くお断りした。
非常に残念がってくださったので申し訳なく思った。
「明朝は是非小屋に立ち寄ってください」という一遍路に対しての歓迎ぶりに土佐人の優しさを感じた。
エレベーターがないので3階まで上がり部屋になだれ込むと、そうだったことを思い出した。
2段ベッドがふたつ置かれた部屋だったのだ。
2段ベットというのは頑丈な囲いがあってふちに腰掛けられないのである。
囲いをまたぎ、もぐりこむようにベッドに横になった。
しまったと思ったが後の祭り。
ベッドから降りるのも一苦労で、頭を何度もぶった。
でも悪いことばかりでなかった。
2段ベッドの上に洗濯物がたくさん干せてそれは便利だったのだが・・・・。
雨の中の野宿に比べれば幸せである。
大好きなテント泊だと思えばいい。
自分をなだめることをぶつぶつ言う。
夕飯の時、夫は機嫌が悪いを通り越し半分寝ているような感じだった。
部屋に戻り、先にベッドにもぐりこんだ夫は爆睡。
時間差で横になった私も3秒で寝てしまった。
不眠症の私には考えられない自己新記録だった。
・サイクリングターミナル(朝食なし4825円)
・歩き遍路なのか?1人(バス遍路団体あり)
・歩いた距離32km