2007高知(27)

区切り3回目の4日目 曇りのち雨

朝飯の仕度をしているおばあちゃんに声をかけ、5:00浜吉屋を出た。
ちょっと小寒い感じである。
少しでもこの快適な気温の中、標高430mにある27番まで行きたい。
鳥がさえずるすがすがしいへんろ道をずんずん登っていった。

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『まっ縦』と言われる薄暗い山道に入る。
車道を縫うように5ヶ所の山道を一気にあがるのである。
マルバウツギだろう木が開花(写真)していて奇麗である。
種類はわからないが桜も咲いていた。
広場になっている休憩所で少し汗ばんだ体を休めた。

●27番神峯寺 (6:25~7:10)

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我々だけのお線香がふたつ並ぶ。
こうしてお寺の一日は始まるのであろう。
このお寺の今日の始まりに縁があったこと、嬉しい気がした。

誰もいないことをいいことに、本堂前に置かれたベンチに越し掛け般若心経を唱えた。
ちょっと後ろめたい心境だったが丁度いいところにあるベンチの誘惑に負けたのである。特等席だった。

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相変わらず神峯寺の境内は奇麗に手入れされている。
点在するシャクナゲが花をつけており、この彩りに心のやすらぎを覚えた。

納経所が開くころになると参拝客がちらほらあがって来る。
8時には宿に戻る約束をしているので早々に退散した。

下山途中、昨日奈半利前の遍路休憩所で会った遍路が汗をかき来た。
昨日は私が彼をうらやましく思ったが、今日は反対の立場である。
結局は皆同じ距離なのだと苦笑する。

宿に戻ったのは8時を数分まわっていた。
今回は微妙であるが計算通り歩けないことが気になる。
計算違いのほかに体力低下も考えられる。
1日通すと1時間近くのズレは簡単に生じる。
予定通り進まないことは心得ていたが、もう少しのゆとりの必要性を感じた。

約束どおり遅めの朝食を頂いた。
だいたいの後片付けを終えたおばあちゃんは休憩時間になったらしく、我々の脇にぺたっと座った。

「今日はどこまで?」の問に「夜須まで」と答えると
「今日は、もうゆっくりや」

そう油断したのがいけなかった。
1時間以上ここでおしゃべりをしてしまったのである。
今日は雨が降るという予報なのに、シマッタ・・・である。
まぁこれもご縁と自分を納得させた。

『道の駅大山』で休憩後、伊尾木まで防波堤歩道を歩いた。
前回もあったのかと帰宅後に第5版の遍路地図で確認すると、この道は記載されていなかった。
こういう車の恐怖や騒音から離れられる道は歩き遍路にとって貴重である。
精神的ストレスが緩和される道が適宜なければ、余分な苦がつきまとう。
そんなことが続くはずがない。
日常では便利な車に乗るのに、ここではうるさいと思う自分の勝手さにどう折り合いをつけよう。
精神的ダメージを受けつつも歩きたいと思わせるのだから、お四国はまったく不思議な世界である。

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心の充電をしながら歩いた防波堤歩道の終わりに、小さいが立派な屋根のお社があった。
鳥居からお社までの参道を『はまひるがお』が奇麗に飾っている。
はまひるがお以外には、どんな花が咲くのだろう。
神様も喜んでおられるに違いない。

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安芸市にある前回泊まった宿のわきを通過する。
当時使った洗濯機だろうか同じ所にあった。
当時の自分を今の自分がながめているような気がした。
あれから私は泣いたり笑ったりと様々な体験をしたが、また歩いているのだから幸せだったのだと思う。

マンホールの蓋のデザインに足が止まる。
とぼとぼ歩いていると、こんな出会いもあるのだから楽しい。

今回はほとんどが海岸沿歩きなので、遠くに岬や町が見えると、あそこがどこどこだという見当がつく。
遠いように見えても必ず到着するという喜びを今回は沢山味わっている。
結願を目標に歩くとき、とりあえずの目標が今日の宿のように、一日を区切る目標がたとえ遠くても見えるということは歩く励みになる。
これはゆとりがなかった1巡目では味わえなかった2巡目冥利とでもいうのだろうか。
歩いていると暇なので、こんなふうにいつもの自分勝手な考えばかりが浮かぶ。

自転車専用道路に入る前にある広場のベンチで寝転がる。
どんよりした空を見上げ、雨が降らないでと心の中で祈る。
こんな寝転んだままの横着な願いを誰が叶えてくれるものか。
そんな半ば諦めの心境で、顔を笠で隠し目を閉じた。

遠くから聞こえてくる感じの音楽(本当は頭上から)に気づき飛び起きると、広場のからくり時計が午後1時の踊りを披露していた。
からくり時計を見に来た子供づれ家族がこんなに集まっていることに気づかないまま、呑気に寝ていたのである。
思わぬ光景になっていたことに驚いた。
からくり時計が終わると、何事もなかったように三々五々、私も見物人に混じって歩き出した。

矢流山極楽寺、『雨が降ります雨が降る』の歌碑がある赤野を過ぎ、琴が浜に着く。

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前回も琴が浜でこのような舟を見たが、今回はたくさん見た。
決まってそばに重機があるので、どうもそれで舟を引き上げるようだ。
そして網が積まれているので、網を仕掛けに行く専用の舟ではないかとも思ったが本当のところはわからない。

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はまひるがおがたくさん咲く琴が浜の松原を、そしてごめん・なはり線高架下をずっと歩いていった。
西分にある遍路小屋では、まだ雨でなかったが、夜須町に入る国道沿い歩きになると、とうとう雨が降ってきた。

今回徳島駅前のポストに一枚のハガキを投函した。
あて先は、この先にある『香我美遍路小屋の三浦さん』である。
予定通り歩ければ5日か6日に寄るというお知らせをしたのである。

雨が降るちょっと前にその三浦さんから連絡が入った。

「今どこですか?」
「え~っと、西分あたりだと・・・・」

予定通りならもうそろそろだと思って携帯したと言われる。
今晩、美味しい魚を食べにご招待したいという申し出に戸惑った。
そんなことがわかっておれば早朝から27番を打ったりしなかった。
とりあえず宿に着いたら電話することにした。

20分ほど雨の中を歩き、4:45夜須町サイクリングターミナルという宿に着いた。
私の予定では、この宿のレンタサイクルで『香我美遍路小屋の三浦さん』を訪ねようと思っていたのだが、フロントでは

「雨天時は自転車貸し出し禁止です」

自分の思い通りに事は運ばないということを思い知ると同時に、体の限界釦が押されたのを感じた。
宿まで車で迎えに行くと言う三浦さんの申し出を泣く泣くお断りした。
非常に残念がってくださったので申し訳なく思った。
「明朝は是非小屋に立ち寄ってください」という一遍路に対しての歓迎ぶりに土佐人の優しさを感じた。

エレベーターがないので3階まで上がり部屋になだれ込むと、そうだったことを思い出した。
2段ベッドがふたつ置かれた部屋だったのだ。
2段ベットというのは頑丈な囲いがあってふちに腰掛けられないのである。
囲いをまたぎ、もぐりこむようにベッドに横になった。

しまったと思ったが後の祭り。
ベッドから降りるのも一苦労で、頭を何度もぶった。
でも悪いことばかりでなかった。
2段ベッドの上に洗濯物がたくさん干せてそれは便利だったのだが・・・・。
雨の中の野宿に比べれば幸せである。
大好きなテント泊だと思えばいい。
自分をなだめることをぶつぶつ言う。

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夕飯の時、夫は機嫌が悪いを通り越し半分寝ているような感じだった。
部屋に戻り、先にベッドにもぐりこんだ夫は爆睡。
時間差で横になった私も3秒で寝てしまった。
不眠症の私には考えられない自己新記録だった。

         ・サイクリングターミナル(朝食なし4825円)
         ・歩き遍路なのか?1人(バス遍路団体あり)
         ・歩いた距離32km

            前日     翌日

2007高知(25・26)

区切り3回目の3日目 晴れ

ぐっすり休んだので快適な目覚めだった。
窓側で寝た私はベッドの上から手を伸ばしカーテンを開け、続けて窓を開ける。

「ホーホケキョ」

グッドタイミングに気をよくする私。
大きく伸びをし夫を起こした。

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朝食後、24番最御崎寺を後にする。
転がり落ちそうな室戸スカイラインを降る。
海に飛び込んでいくような開放感がたまらなく好きである。
この先のステージから誘われているような気がする。
土佐独特の「待ちゅうきね」が聞こえる。

●25番津照 (8:25~8:45)
長い階段を一気に登る。
息を切らしながら本堂前に立ち、よし今回も元気だと安心する。
こんなばかげた考えの自分に呆れた。

大師堂で同宿だったお遍路さん二人に再会する。
だが、それほど親しくなく挨拶程度である。

参拝後、門前で売られていた枇杷を買った。
10個ほどで300円。
値段はリーズナブルだが、ずっしり重たい。

室戸岬を回ってから、山の中腹横一線に袋を被った枇杷畑が並んでいる。
1巡目にここを通ったのは10月(2002年)だったので知る由もないのだが、今回こんなに枇杷の木があることに気づいた。
枇杷の実に被せられた袋が満開の花のように見えてとても奇麗だ。
収穫真っ盛りで、忙しそうに軽トラに積む作業を何度か目にした。

「こんなに美味しいなら、もっと買えばよかった」と貪欲な夫。
「重いからダメだよ。26番に登るまでに食べる分があればいいよ」

この先、しんどい急坂が待っていることも知らず満足そうに食べる夫を見て、生意気にも<こののんき助>と思った。

●26番金剛頂寺 (10:00~10:20)
標高165mをフーフー息を切らして登ると、山門前に休憩所があった。
この岬の反対側に降りるので、先にここで休憩した。

前回、この納経所で頂いた地図を今回持ってきた。
納経所でそれを見せ、この先の遍路道に変わりないか見てもらうと、じっくり眺めて一言、「大丈夫」。

懐かしい道だった。
当時は蛇に3回も出会い、泣きそうで一人駆け降りた記憶である。
お遍路に対しての気力をどれほど持ち合わせているのか、あの時は試されたに違いない。
今回は蛇に出会わず安気に歩けた。
何かお許しを頂けたような気になる。
それはまったくの私なりの勝手な考えであるのだが。
地図と前回の記憶を頼りに無事降った。

27番を降ったところにある『道の駅キラメッセ室戸』に寄った。
地元の食材が売られる中に、アツアツのはんぺんを見つけた。
昼食には早いと思いながらも、誘われるままあれこれ買った。

潮風にふかれながら、アツアツのはんぺんは何とも美味しかった。
お腹が満たされた私は、しばらく歩きたくないというやばい心境になった。
その後、腰をあげるのが本当に大変だった。

時折通り過ぎる自転車遍路をうらやましい気持で見送る。
手を挙げるだけの挨拶のときもあれば、時に大きく声を掛ける。
そんなふうに無意識で声を掛けたときのことである。

「あれれ?・・・・あれ?れ!」と私。

実に驚きの再会だった。
昨年11月に出逢った野宿遍路(歩き)だったのである。
今になって思えばお互いよく気づいたものだ。

「やっぱり会えたねぇ。あれからどうしてたの?」と私。
「3巡歩いて実家に戻り、自転車で今2巡目」と彼。

縁があるってこういうことなんだろう。
欠けた歯の笑顔は、以前よりふっくらしていた。
所帯道具も心なしか当時よりは快適そう。

「エンドレスです」と彼。
縁があればまた出逢うということか・・・・と複雑な心境で彼を見送った。

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吉良川から羽根の集落に入る途中の国道で興味を引く看板を見つけた。

    危険です。積みすぎ 寝不足 飛ばし過ぎ

何だか歩き遍路への警告に思えて苦笑した。

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羽根の集落に入り間もなく中山峠道に入る。

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手が届くところに枇杷の実がたわわになっている。
やまぶき色が何とも美味しそうである。
が、袋が被ってないものは美味しくないとか。
本当かなぁ、ひとつ食べてみたくなる。

登り始めてすぐのところに、筍をひとつごろんと乗せた一輪車があった。
筍についた土を見て、今掘ったばかりだなと私にもわかる。
この一輪車の主はどこだ?と先に進むと・・・・

「暑いなぁ、ごくろうさん」
「あぁ筍の人・・・・」藪から棒に声をかけられ、変な挨拶をしてしまった。

汗をかきかき、さらに登るとこんなものが・・・・・

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「お金はいらんぜよ」に目がとまり、中をのぞくとお接待とおぼしい品の数々。
トマトを手にし、道をふさぐように置かれている不思議なベンチに腰掛けた。
すると・・・・

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目の前にこんな素晴らしい景色が広がった。
このお接待がなかったら、このベンチをまたいで通り過ぎ、この景色を見過ごしたに違いないと思った。

     おへんろさん おつかれさん ハチミツでもなめていきや
     兄貴の熊吉がとった地元のハチミツやき元気が出るぜよ
     それでは気をつけてお四国を 土佐の自然を楽しんで行きや

こんな心温まる手紙が添えられており、土佐がいっぺんに好きになった。
気まぐれ狸と書かれた隣の箱には、凍らせたお茶があった。
なんともそのお気持が嬉しい。
トマトは甘かったし、熊吉さんのハチミツも美味しかった。
お会いしてお礼申し上げたい心境だった。

さらに登っていくと畑仕事をするおばあさんに出会った。
お金はいらんぜよのお接待のことを尋ねると、さらに上に住むお方だと教わった。
その方にはお目にかかれないだろうから、代わりにこのおばあさんにどれほど嬉しかったか気持ちをお話した。

「今日はあんたみたいなお遍路さんがたくさん通ったよ」

ゴールデンウィークだから多いのだろうという話をした。
お遍路さんが通ることを迷惑に思わないこのおばあさんの笑顔がやさしかった。
この中山峠の遍路道がちょっと変化したように感じたが、以前よりうんと楽しく感じたのは、きっとこのおばあさんの笑顔に出会ったからに違いない。

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そんな優しい気持になっていたからなのか、加領郷漁港の景色に見惚れた。
お遍路は何を思う・・・・しばらく眺めた。

奈半利に入る前の遍路休憩所に男性遍路が一人いた。
今日は暑くって歩くのもままならぬという話をしていたら、またひとりのお遍路さんがやって来た。
聞けばどちらもホテル奈半利泊。
なのに私の今宿は9キロも先・・・このとき自分の欲張りを悔やんだ。
この人たちとゆっくりできない。
早々に出発しなければならない自分を惨めに思った。

何でこんな計算ちがい?
宿に心配かけてはいけないので電話をしておいた。
そんな思いでとぼとぼ奈半利の町を通過した。

5:45ほうほうの体で27番麓の浜吉屋に到着した。

「室戸岬から来たと?それは欲張りや」

82歳になるおばあちゃんは笑顔で出迎えてくれた。
明日は早朝の涼しいうちに27番を打とう。

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夕飯後に無理を承知で・・・・

「おかあさん、朝食は何時までいいですか?」
「あんたは、ちゃんと電話してくれたから安心した。特別や」

明日は、27番打ち戻ってからの8時に朝食という特別許可をもらった。

          ・浜吉屋2階洗面所手前の部屋(6500円)
          ・歩き遍路(車遍路が多かったのでよくわからず)
          ・歩いた距離34㎞

              前日      翌日

2007高知(生見~24)

区切り3回目の2日目 晴れ

6:05、昨晩の夕食時に渡された朝食用のお弁当を持ってサウス・ショアーを出発。
宿の中庭をスイスイ飛び交うつばめに見送られる。

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ボードを抱えた若者は海に向かう。
杖を手にした遍路は室戸岬に向かう。

早立ちという共通点があって可笑しかった。

●東洋大師 (6:35~7:07)
相変わらず、飾りが多いお寺である。
通夜堂からまだ眠たそうな顔の外国人若者が出てきた。
参拝後、お接待用のお茶を頂きながら朝食を摂っていると滝修行とわかる身なりのご住職が出てこられた。
「滝修行ですか? 滝は遠いのですか?」
「すぐ裏」

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本堂に向かって右側にそれはあった。
滝というには、ちょっと違うかなと思ったが、それでも立派な修行である。
しばらく眺めていた。

野根まんじゅう屋を過ぎ、野根川を渡ると奇麗な浜に出た。
前町長苦肉の策の核産廃施設候補地の東洋町である。
新町長は候補地を撤回したが、結局のところ、こういう人口が少ない(美しい景色)所が候補地になるのだろう。
仕方がないと諦められない問題である。

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この写真はわかりにくいが、私が思うに定置網を補修しているのだと思う。
写真をクリックしてさらに右下をクリックして見て下さればわかると思うが、オートバイや人が写っている。
それを見れば、この網がいかに大きいものかわかってもらえるはず。
沖に目をやると定置網がたくさん仕掛けられていた。

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今日の海は穏やかである。
聞いたことがない奇麗な音がかすかに聞こえてくる。
「patapatapatapata・・・・」と。
耳を澄ましながら歩くとだんだんわかってくる。

ザブ~ンとひとつ波が寄せる。
次のザブ~ンまでの数秒間に聞こえる16分音譜の音だった。

ザブ~ン patapatapatapatapata
ザブ~ン patapatapatapatapata

引く波が丸い小石を転がす音だった。私にはパタパタパタと聞こる。
何でパタパタと聞こえるのか不思議だった。
幸い車の騒音もなく、自然が奏でる音を繰り返し聞きながら歩いた。
何度聞いてもパタパタパタパタ・・・・心地よい音だった。

●佛海庵 (9:55~10:17)
日が高くなるにつれ暑くなる。寄って休憩した。
風が通り涼しい庵である。
お昼寝しようかなと考えていたら逆打野宿の長崎の若者が来た。
今日が30日目で、風呂を目指して宍喰まで行くと言う。
歩いているときは幸せだ・・・という話をした。
二度と会うことのない若者と納め札の交換をして別れた。

とにかく暑い。
三津漁港手前の海岸をひたすら歩いていると、後ろから鼻息荒いモノが近づいてくる気配。
殺気を感じ振り返ると・・・・

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犬を連れた野宿遍路だった。
タッタカタッタカ・・・・あっという間に私を追い抜いていった。
連れの犬は途中で拾ったのか、はたまた1番からずっと一緒なのか。
この先、おりこうについてくるのだろうか・・・・・
退屈だったので勝手なことばかり考えた。
追いついて聞いてやろうと、こちらもタッタカタッタカ歩く。

「ずっと一緒なの~?」と後から声をかける。
「1番から一緒で~す」と歩きながら彼は答えた。

しばらくかけ連れたが、今晩の食料を仕入れると言うので別れた。

それから1時間後、今朝、東洋町で勧められた海洋深層水の足湯に。
足だけではもの足りず、全身湯に浸かりたい心境だった。
それほど、もうくたくたになっていた。

室戸岬遊歩道を歩き、やっと24番登り口に着いた。
すると・・・・

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洞窟から白猫がこちらに向かって出てきた。
「待っちょったよ・・・」と言わんばかりに近づいてきた。
この猫に招かれて私はここまで来れたのかもしれないな。

30分程フーフー言って登り、4:35ようやく山門をくぐった。

今宿は、24番最御崎寺の宿坊。
ご住職がお出かけとのことで、今晩も明朝も勤行はなし。
副住職とか小坊主さんではだめなのかしら。
せっかくの宿坊泊なのに、損した気分になる。

4階建て(エレベーター付き)で宿坊と思えない近代的な造りである。
部屋は3つのベッドが並ぶ大きな部屋。
夫とは中ひとつ挟んで休んだ。

 

       ・24番最御崎寺(5985円)
       ・歩き遍路は他に5人
       ・歩いた距離36km

             前日       翌日

2007徳島(辺川~生見海岸)

区切り3回目の初日 晴れ

早朝5:10、夜行バスは徳島駅に到着した。

始発5:47のJR奈半利行きに乗る。
どこから集まったのか5人のお遍路さんと一緒だった。
19番で二人降り、22番で一人降り、23番で二人降りた。
懐かしい景色にうっとりしながら辺川駅まで乗る。

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7:39辺川下車。
無人駅で、電車が停まっていなかったら本当に駅かと思う寂しいところ。
前回ここで区切って電車を待っていたとき、本当に電車が来るだろうかと不安だったことを思い出す。

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国道55線脇にたたずむお地蔵さん。
ひたすら交通安全を願って立っておられるのだろう。

国道沿いの牟岐橋を渡らず、旧道に入る。
2回目ともなると、この道は先で合流するはずだとわかる。
牟岐川左岸沿いの静かな道を歩いた。
鯉が泳ぐ本当に奇麗な川であった。

牟岐川を渡ったのは、消防署の朝の点呼・体操の時間だった。
またもや、国道手前の右岸沿いの小道を見つけ歩くと
「お遍路さ~ん、お接待で~す」
裏庭から出てきた奥さんが、夏みかんと缶ジュースを持って走ってきた。
嬉しいではないか。
納め札を出したら息子さんが愛知県豊田市に住んでおられるとのことだった。
息子さんと同県人である私を暖かく出迎えてくださった。

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頂いたお接待で休憩しようとしたら、牟岐川で何かしているのを見つけた。
声をかけてみると
「今年初めてのうなぎを捕っちゅう」
聞けばこの方、昨日、甲浦まで歩いたとのこと。
「頑張って行きや」

またすぐ、スーパーに商品搬入の和菓子屋のおじさんから、冷えた水羊羹と赤飯をお接待に頂く。
ここまで頂くと重さが気になる・・・勝手だな。
香川で、みかんと柿を袋いっぱいもらって困ったことがあったからね。

すぐ先の牟岐警察でコーヒーをお接待いただいたので、冷えている水羊羹を半分お裾分けしてきた。
内心ほっとした。

●番外 鯖大師 (10:00~10:20)
順調に鯖大師を打ち、食事をしようと鯖瀬大福食堂に入ったのだが、大福餅の箱詰め作業で大忙しだったので諦める。

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1個63円の大福餅を買って、海岸に出て食べた。
ここは、1巡目の時にも休憩したので懐かしい。

今回の目的のひとつである遍路小屋1号に寄ったが、野村カオリさんは不在だった。お元気だろうかと気になった。
アイスボックスには、冷えたトマトがあり、ご馳走になった。
滋賀県のお遍路さんから送られた竹の杖がお接待になっていたので、夫は一本頂いた。
この先、どれほどこの杖に助けられたかいうまでもありません。

サーファーが楽しんでいる宍喰の景色は、今回も見惚れた。
実に奇麗だった。しばらく休憩した。

甲浦での休憩時に、お接待でもらった夏みかんを食べた。
疲れた体がすっぱさを喜んでいるのがわかる。
ご馳走だった。

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前回は、この観音さまはあっただろうか。
国道にぽつんと立っておられた。
何かを伝えている子どもの眼差に足が止まったのだが、終いには観音さまの美しい後姿に見惚れた。

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                         コマチヨイグサ

ほどなくサウス・ショアーというプールがあるハイカラな宿に着いた。
サーファーが楽しそうに波に乗っている。

風呂に入り、洗濯をしてから浜に降りてみた。
洗濯物はウエットスーツばかりで白衣などない。
場違いなところに来てしまったなと思った。

夕食のとき、62歳の男性遍路と同席だった。
6歳まで愛媛に住んでいたという話を聞いた。
それ以後お会いすることはなかったが、今でもその男性のこと覚えている。

 

       ・サウスショアー2階突き当たりの部屋(朝食は弁当5250円)
       ・歩き遍路は他に1人
       ・歩いた距離28km

              前日      翌日

2007お遍路区切り打ち3回目へ

今晩の夜行バス(PM23:00発)でお遍路に出る。
いつもどおり夕飯を食べていると

「駅まで歩いていこうか」と夫。

私は一瞬面食らった。
歩くことは嫌ではないのだが、予想外のことで曖昧な返事をしてしまった。

結局歩いて駅まで行った。
歩きながら考えたのだが、実際は歩いていくことは本意でなかったのだ。
変なところで、自分を抑えている私。

駅まで2キロ、こうして夫とお遍路に出た。

              前回(区切打ち2回目)      翌日

 

2006徳島区切る

区切り打ち2回目 秋遍路終了

早朝、夜行バスは名古屋駅に着いた。
お四国の長い夢から目覚めた私は、15分ほど歩いて日常に戻っていった。
さぁ、また頑張ろう。

     お遍路に 出かけられるも 夫の愛 (おそまつ)

         * * * * *

今回のお遍路も、天気に恵まれ実に楽しい旅になりました。
お四国の方たちのご親切のお陰を感じます。

今度はいつになるかわかりませんが、それまで元気でいようと思います。
だらだらと長い文章を最後までお付合いありがとうございました。

私のコースタイム
11月2日・・・32.7km
     6:00スタート  JR府中駅
     6:50~  7:00 地蔵院
     8:20~  8:45 法花バス営業所
   10:50~11:15 18番恩山寺
   11:30~11:40 釈迦庵
   12:20~13:00 19番立江寺
   16:00着      金子や

11月3日・・・21.3km
     7:00スタート   金子や
     8:15~  8:35  20番鶴林寺
     9:25~  9:45  水井橋渡ったところで休憩
   11:00~11:30 21番太龍寺
   11:48~12:10 舎心ケ嶽
   13:50~14:00 持福院
   15:00~15:20 道の駅わじき
   16:50着      22番平等寺

11月4日・・・34.3km
    7:00スタート   山茶花
    7:40~7:45   月夜御水庵
    8:45通過       由岐分岐
   10:10~10:30 田井ノ浜   
   11:00~11:41 木岐からの遍路道
   11:41~12:00 山座峠遍路道
   12:15~12:45 えびす洞
   13:05~13:25 大浜海岸
   13:30~13:40 日和佐神社
   14:00~14:40 23番薬王寺
   14:40~14:50 道の駅
   17:20着      JR辺川駅

★☆★
2006徳島 春遍路のときに知り合ったニュ-ジランド女性に、今回
Do you remember the Shikoku Henro in front of half a year? とメールを送ったら

Of course I remember you!! と嬉しい返信が来ました。 

そのときのHenro Story がネット上に完成したということです。
ご紹介いたします。
http://www.gaijinhenro.blogspot.com/

         * * * * *

   
              

2006徳島(22~23~辺川)

区切り2回目の3日目 晴れ

昨晩は7人で夕食をとったのに、今朝は3人しかいない。
車遍路の親子さんと私だけなのである。
また、置いていかれた心境になる。
昨日に続き、早立ち遍路さんにはまったくたまげる。

7時宿を発つとき、車遍路の親子さんが見送ってくれた。
お母さんは80歳くらいでとてもお奇麗な方、息子さんもハンサムで素敵だった。
そんな親子遍路さんに見送られ、今日はいい日になりそうな予感がした。  

宿を出て歩き出すと、昨日一緒だった野宿遍路が待っていた。
話を聞くと、山茶花の2~3軒隣で泊めていただいたそうだ。
お布団もあって、お風呂にも入れていただき、夕食もいただいたと嬉しそうに話す。
そう、善根宿でお世話になったのだ。                        

この数日で、彼は徐々に身の上を話してくる。
56歳、リストラで寮を出たので帰るところがないという。
どうしてあげることもできないから、相槌だけは打った。
お遍路をすると何かが変わるような気がすると彼は言った。
結願すると何かが変わるかとしきりに聞いてきた。
結願経験者の私に、すがる思いで聞いたのだろう。
私が想像できないくらいの深い悲しみと不安を背負い、野宿しながら歩いているのだった。
そんな彼が昨晩は大変よくしてもらったのだから、どれほど嬉しかったのだろう。
昨日、足を引きずりながらも頑張ってここまで来てよかったと、彼は喜びに満ち溢れていた。                                   

Img_0019_1足が痛いので、なるべく車道を歩きたいという彼と月夜御水庵で別れた。
逆さ杉の写真を撮っていると、誰かが走ってくる気配がした。
すごい遍路が現れたかと思ったら、今別れた野宿遍路ではないか。
やっぱり一緒に歩くと言って、ぜーぜーとお杖を振り上げ走ってきた。                              

それからしばらく歩くと、オートバイが傍らに停まった。
物静かな野宿遍路が、突然大声を出すので何事かと思ったら、
昨日お世話になった善根宿の方だと私に紹介してくれた。
思わず、私もありがとうございましたと言ったのだが、私がお礼を言うのもちょっとおかしい気もした。
私に紹介できてよかったと、彼はまた熱く語った。
うんうん、と聞きながら歩いた。

         * * * * *

国道55線に出る手前の橋で面白いものを見つけた。
橋の欄干からロープがぶらさがっているのだ。
引っ張ってみると先に魚の仕掛けのような網がついている。
中には死んだ魚が一匹あるだけである。
が、よく見ると蟹がいっぱい入っていた。
なるほど、こんなふうに仕掛けるのかとわかったので、また元通りにドボンと川の中に返しておいた。                              

とうとう魔の55線に出た。
今回は、由岐経由で23番薬王寺に出る計画なのだが、トンネルを2つ越さねばならない。
あいかわらず恐怖のトンネルだった。

         * * * * *

     分岐点 上手く入れた 由岐の道

とうとう野宿遍路は私との同行を断念してくれ、交通量の多い55線を歩いていった。
それでも彼は23番でずっと待ってるからと言う。
そんなに言われても困るし、未練がましかった。
私は適当に相槌を打って別れた。                          

実は、いい加減ひとりになりたかったので、ほっとしたのだ。
しかし、そんな罰当たりなことを言って、本当に罰があたり道を間違えないだろうかと急に不安になった。
罰当たりな考えであるのなら道に迷ってもいい、とお大師さまに身をゆだねた。                                            

由岐坂峠で、自転車遍路の男女に会った。
手を高く上げてお互い合図を送った。

この峠から由岐に降る遍路道を行こうと思っていたのだが、気づくと降り始めている。
想像だが、峠で道路工事の人が大勢休憩していたので、その影で道しるべを見落としたのではなかろうか。
道路工事の人たちよ、お遍路の大事なところで休憩しないで下さいな。
あぁ~残念と、少し大回りの車道をずんずん降っていった。

         * * * * *

     田井ノ浜 沖には小舟 浮かんでる

Img_0025

田井ノ浜に降り海まで行った。
誰もいない、私ひとりじめだった。

木岐で、自転車に乗ったお年寄りの男性としばらく立ち話をした。
すると、私と同じ年の娘さんがいることがわかった。
そのお父さんは私に、何度も気をつけて行きなさいと心配してくれた。

そのお父さんと別れて間もなく、突然涙が出てきた。
6年前に亡くした優しかった父を思い出したのである。
くしゃくしゃな顔で泣きながら歩いていると、少し先にまた私を待っていそうなお年より二人が見えたので、何事もなかったように振舞い歩いていくと、この先の道を丁寧に何度も教えてくれるものだから、途中でこらえきれずまた涙がこぼれた。
お接待のやさしさが、乾ききっていた私の心に本当にしみた。
これはひとり歩きでなければ体験できない。

 

木岐の漁港をぐるっと回って遍路道に入った。
この辺は、遍路シールが少なくて感が頼りだった。
とにかく思ったとおりに行こうと自分を信じて歩いた。

         * * * * *

Img_0028_1      つわぶきや 山座峠に ひっそりと

     山座越え 遍路仲間が 現れる

さぁ、山座峠を降ろうと思った時、何を思ったのか後ろを振り返ると、お遍路さんが歩いて来るではないか。
週末遍路をされている徳島のFさん、待ち人来るだった。

            * * * * *

Img_0031_1

えびす洞は、吸い込まれそうでちょっと恐怖感があったが、 聞きしに勝る景色だった。

朝の予感とおり、やはり今日はいい日になった。

     えびす洞 おにぎり食べる 遍路かな

           * * * * *                      

23番薬王寺の瑜祇塔も日和佐城もよく見えるようになった。

ウミガメ産卵で有名な大浜海岸で飼育されているウミガメを見た。
まるで遠足に来ているような感じである。
ここにある無料休憩所でFさんと長い休憩をした。                

Img_0035_1 とうとう23番薬王寺に到着した。
ここまで由岐経由の道は、実に楽しかった。

例の野宿遍路は、2時間ほど待っていてくれたらしい。
もう、善根宿の橋本さんに出逢ったらしく、今晩の寝場所は確保できたので安心したと言う。           

参拝後、Fさんも野宿遍路とも、ここで本当にお別れした。
野宿遍路のとてもさびしそうな感じが気になったが、お元気でとしか言えなかった。

私はその後、時間を持て余し居場所がなかった。
それならば歩こうと、足が根を上げるまで行ける所まで歩いた。        

途中、雨が降り出し、JR辺川駅に着いたときは日が暮れていた。
17:37のJRに乗り日和佐に戻り、千羽温泉で汗を流しながら時間をつぶした。

日和佐駅21:03発、ライトアップされた23番薬王寺の瑜祇塔と日和佐城を後にした。
徳島に出て、そこからは夜行バスで名古屋に帰った。

  • 夜行バス往復11800円
  • 歩いた距離34.3キロ                        NEXT

2006徳島(20~22)

区切り2回目の2日目 晴れ時々曇り

昨晩は11人もの歩き遍路がいたのに、今朝は半分しかいない。
どうも、朝食なしで出かけたらしい。
早立ちして、いったいどこまで行くのかしらと驚いた。

7時宿を出発。
今日は、22番平等寺まで行く予定である。

Img_0003まずH30mから出発し、1峰目H500mにある20番鶴林寺に向かう。

みかん畑のなかをずんずん登っていき、山道に入ると同宿だったMさんに追いついた。
何度か追いつき追い越されしたが、結局Mさんについて静かに歩いた。

8:15、20番鶴林寺山門に到着。
なつかしさはあっても、1巡目のような感動がない。
これは、いったいどういうことなんだろう。
淡々たる心境であった。
だからといって、つまらないわけではない。

1巡目は興奮しすぎで、これが本当のお遍路の境地なのかもしれないなんて勝手に思った。

         * * * * *

H500mから一気にH40mまで降ると、そこには前と変わらない那賀川の景色があった。
ここは、以前夫と歩いた道である。
そのときと同じ水井橋を渡ったところで、今回はひとりで休憩をした。

     那賀川を 越えて目指すは 太龍寺 鈴の音響く 同行二人

Img_00122峰目H520mにある21番太龍寺をめざす。
とりつきは、せせらぎ沿いを歩き、20番への登りとは違う風情がある。

まだお役目があるお社なのかわからないが、かろうじて立っている鳥居越しに今回も手を合わす。

畑仕事をされる老夫婦の姿もあった。
小型トラクターをたくみに操作しながら熱心に働いておられる。

私も、夫とあんな老後を迎えたい。
こんな静かな生活を、私は夢見ているのだ。

またMさんに会った。
どんな内容だったか忘れたが、話をしながら歩いた。
Mさんは写真がご趣味で、今回のお遍路の写真をネットで紹介すると聞いた。http://www.miyazaki-catv.ne.jp/~nobuo7/
必ず訪問しますと伝えた。

急登を延々と登り21番太龍寺についたとき、龍ならぬ蛇に出迎えられ一瞬たじろいた。

そこには、早立ちしたお遍路さんが納経を済ませ休憩していた。
昨日、同行した野宿遍路男性もいた。
しきりに話し掛けてくる。
この野宿遍路は、地図は見ず誰かについて歩くタイプであるようだ。
この先のふだらく峠を「一緒に行こう」ではなく、謙虚になのか「ついて行く」と言う。
私には断る理由もなく、成り行きに任せた。

お参りを済ませると、案の定ロープウェイ乗場で彼は待っていた。
そこで、お接待にしいたけ茶をいただいたのでお昼にした。
宿で握ってもらったおにぎりを彼と分けて食べたあと、11:30太龍寺をあとにした。

         * * * * *

Img_0014

こちらに来るお遍路さんは我々の他はいなかった。

彼は山歩きが苦手なのに、山道を選んだのは何故だろう。

女一人で行かせられないとつきあってくれたのでしょうか。
どうであれ、この道は初めてなので心強かった。
素直にありがとうと彼に告げた。

そんなことを考えながら歩いていたら、舎身ケ嶽に到着した。                

立ち入り禁止のロープが張られているのに、私はお大師さまのもとに行ってしまった。

Img_0017 素晴らしい景色である。
19歳の青年空海がここで厳しい修行をしたといわれている。
見上げれば車遍路のときに乗ったロープウェイが通過する。
あの時に見たお大師さまのもとに、今私はいる。
秋のやわらかい日差しのもと、ゆっくりした。

案の定、戻ったら立ち入り禁止だと注意を受けた。
お大師さまに、ごめんなさいと手を合わせ太龍寺山に向かった。

太龍寺山頂は見晴らしが悪く、ロープウェイと遠くの山並みが少し見えるだけだった。
ハイキング客に山の名前を尋ねたがわからなかった。

そこからは長い降り。
道しるべがなく不安だったが、いつもの感で進むと持福院への案内板が出てきた。
野宿遍路を大声で呼んだ。
ところどころガレているところがあり、降りが苦手な彼を気にかけながら1:45持福院に降りた。

山道ではいきいきしていたのに、195号線に出たら一気にしおれたようだと野宿遍路は私に言った。その通り、私にとって騒音だらけの車道歩きはどうも苦手である。
何とかしてここを早く抜けようと、ものも言わず歩いていたので不機嫌そうに見えたのでしょう。
道の駅わじきまでのつまらない道を1時間、ひたすら歩いた。

阿瀬比にある遍路小屋を過ぎて、緩い坂を登っていく。
大きなハウス設備のあるみかん農園を越えて登っていき大根峠のとりつきに立った。

今日の行程の最後に、この急登はつらいものがある。
時間にしたら20分くらい、H200mの峠を登りきった。
もうあとは降るのみ、降りの苦手な野宿遍路をほっておくわけにもいかず、彼を待ちながら竹林の中ゆっくり降った。

麓に降りたら、牛舎の向こうからお遍路さんが歩いてきた。
逆打ちだ。
21番下の坂口屋か龍山荘まで行くと言う。
到着は6:30頃になるだろうと思うと頭が下がった。

     へんろ道 大根峠 降ったら 牛が放され こちらを見てる (ぎょっ)

     逆打ちの お遍路の宿 まだ遠し お大師さまと 同行二人

ああだこうだといいながら、野宿遍路とここまで歩いてきた。
もうフラフラだという彼をなだめすかし、22番平等寺を打ったのは、5時ぎりぎりだった。

幸いなことに、私の今宿は22番のとなり。
野宿遍路とここで別れた。

金子やを早立ちしたご夫婦が出迎えてくれた。
夕食は品数が多く、お腹一杯になった。
案の定、胃がもたれた、なさけない。

  • 山茶花1階食堂となりの部屋(5800円也)
  • 宿泊客7人
  • 歩いた距離21.3km

2006徳島(18~19)

区切り2回目の初日 晴れ時々曇り

Sikoku1_1

お四国の 景色恋しく 秋遍路

またお遍路にやって来た。
半年ぶりである。

日常でこころが萎えてくると、無性にお四国が恋しくなるのだ。

夜行バスは、5:15まだ薄暗いなか徳島に着いた。
寝ている間に到着するのだから、私にはとても便利な交通機関である。
目が覚めたらお四国という世界に到着と言うわけだ。
一巡目の頃は寝られなくて困ったが、今では夜行バスで寝るのも上手くなった。

徳島駅からJRに乗って府中駅(こうえき)に出た。(210円也)
6:00歩き始める。
だんだん明るくなっていく。

今回は、春に区切った17番から23番を歩く計画である。

17番にご挨拶と思っていたのに、私の足は18番の方に行きたがって仕方がない。
まぁ、いいでしょう。
先に行きたがる私の足に、ここは付き合うことにした。

今日歩く道には、1巡目のとき(平成14年5月14日)へとへとになった苦い記憶がある。
それに比べたら、今日の私は4歳も年を取っているにもかかわらず、元気である。
初日だからなのか、嬉しくてたまらないのだ。

         * * * * *

せせらぎに、手作りのししおどしがいくつもあるへんろ道を通った。
その地蔵峠を越えると園瀬川に突き当たる。
交通量がものすごい。
国道なのか県道なのか、その一段下の安全な道を川沿いにしばらく歩いた。

八万南小学校に登校する生徒がとてもかわいい。
ここまで来る道中で、幼稚園児にも会った。
「お遍路さん、こんにちは~」と手を振ってくれる。
見ず知らずの私を歓迎し挨拶してくれる土地が、四国以外どこにありましょうか。
「和顔施」とは、きっとこういうことを言うのでしょう。
自然に顔はほころび、こころがやんわりと解放されていくのがわかる。
こうなると、もう魔法にかかったように不思議な力が湧いてくるのだ。
    
         * * * * *

法花に入って、バス営業所待合室のベンチを見つけた。
以前歩いたときは、大勢の人がいたのに今日は誰もいない。
しめた。
歩き始めて2時間、ちょっと疲れてきた。
ベンチに横になった。

はっと、気づいたら、運転手さんが目の前に立っている。
数分であるが、本当に寝てしまったのだった。
「すみません、すみません、つい・・・・」とぺこぺこ頭を下げ謝ったら、
「ゆっくりしていってください」とおっしゃる。
お遍路に対してのやさしさが身にしみる。
へんろ小屋のようにありがたいバス営業所だった。

     へんろ小屋 見つけて昼寝 また歩く

         * * * * *

とうとう魔の55線に出た。
以前は、この国道で何度休憩したことか。
今回も交通量は多い。
前を見ても後ろを見ても、また通りの向こうを見ても、私以外にお遍路はいない。
まさに、お大師さまと同行二人。
徳島ラーメンの看板を横目に、とぼとぼ歩いた。

Img_0001

お大師さまに導かれ、やっと18番恩山寺に着いた。
この赤い橋はなつかしい。
またお参りさせてもらえることにお礼申し上げた。

参拝後、境内で歩き遍路の男性に出会った。
このときはまだ知らなかったが、野宿へんろだった。

この先、釈迦庵の仏足石を見るために、山道のへんろ道を行く計画なのだが、ひとりでは心細い。
そこで野宿へんろを誘ってみたら
「ついていきます」と欠けた歯の笑顔で言ってくれた。

それがこの男性、私より臆病だということがすぐわかった。
私も蛇は怖いのでお互い様だが、彼は山歩きが相当の苦手。
男性なので登りは馬力があっても、降りは危なっかしくて見ていられない。
それに、蛇を追払うかのように杖を思いきり突いて歩くのだから可笑しくて仕方がない。
まぁ、旅は道連れ世は情け。

釈迦庵に着いた。
ここのものは、四国最古の仏足石だそうな。
大きく割れ、角も丸くなっており、相当古い(400年以上前)ものだということがわかる。
奈良の薬師寺と同じ法量があり、足の病が癒えるとか、足の疲れがとれるとか。
裸足で上に立ってもよいと聞いていたのだが、透明な板で保護してあるのでだめである。
私も残念だったが、足を痛がっていた野宿へんろは、もっと残念がっていた。

         * * * * *

不義の天罰を受けたという逸話が残されているお京塚を過ぎ、19番立江寺に着いたのは、12時を少し回っていた。
予定より時間をオーバーしているが、まぁ、仕方がない。

         * * * * *

ここから、お接待が続いた。
櫛渕の八幡神社で足を休めると、ゲートボールをしていたお年寄りが、順番にやってきては、おみかん、100円など下さる。
おひとりとお話が済むと次のお年寄りがやってくるというわけだ。
この順番お接待で、随分休んだ。

そこから22号を歩くと、右側に冷泉が湧いているのを、野宿へんろが見つけた。
このあたりに冷泉が湧いているとは、新しい発見であった。

そこを過ぎたら、車が止まった。
差し出されたものは、ポンポン菓子のお接待。
そのとき、私の記憶が、ものすごいスピードで巻き戻された。

26~27番間でこれと同じものをいただいた事を告げた。
「9年間ずっとこのお菓子でお接待しているから、多分、自分である」とおっしゃる。
そのとき、ろくにお礼を申し上げなかったことを悔やんでいたと伝えると、金の納め札を下さった。
すると、見覚えのあるお名前が書かれている。
えっ、〇〇さんですか?
53番で、銀の納め札を下さった〇〇さんだったのである。

1回目:平成14年10月18日、26~27番間でぽんぽん菓子のお接待
2回目:平成15年 4月30日、53番間で銀の納め札
3回目:平成18年11月 2日、ここでぽんぽん菓子と金の納め札のお接待を受けたのである。

すべて同一人物だった。
不思議な縁をたぐり寄せたことに驚いた。

今春のお遍路でも、間違いなく再会であると思われるお二人にお会いしてる。
名前をお聞きしていないので確かではないかもしれないが。

そんな「からくり」が、このお四国にはそこかしこにある。

         * * * * *

そうこうして、4時に金子やに着いた。
この先で寝場所を見つけるという野宿へんろと、ここで別れた。

     宿に着く 洗濯待ちの ひとだかり

1台しかない洗濯機の順番を待つかごがいくつも並んでいた。

その夜、宿の前は、もうクリスマスの飾りだというイルミネーションが華やかだった。
お四国に、クリスマスがあっても不思議でないが、なんか不似合いだった。

こうして一日目が過ぎていった。 

  • 金子や3階蔦の間(6000円也)
  • 歩きへんろ11人
  • 歩いた距離32.7km               NEXT