もぉ~!

ちょっとお遍路なお話をひとつ。

ルルルルルル・・・・[E:telephone]

電話のディスプレイは公衆電話。

「〇〇〇さん?今ちょっと遠いところにいるんだけど・・・あのさぁ、お遍路の本ってどこで買った?」

お遍路の本?
突然のことで私はへんろみち保存協力会の地図のことは思い浮かばなかった。

私「本はいろいろ買ったけどヤマケイ発行の本も買ったよ。ところで遠いってどこの山にいるの?」

友「四国の10番にいるんだわ」

私「え―っ!切幡寺?」

友「ここに本(地図)が売っているから買おうと値段見たら高いから電話したの。どう?」

私「地図でしょ?2500円くらいの。それは高くても買いなさい絶対[E:sign03]そこで[E:sign03]」

友「そう。じゃぁ買うわ。また電話するね。がちゃ!」

[E:shoe] [E:shoe] [E:shoe] [E:shoe] [E:shoe] [E:shoe] [E:shoe] [E:shoe] [E:shoe]

彼女、お遍路に行きたいとは行っていたが、まさかこんな突然の電話が入ると思わなかった。
それにしても彼女らしい一方的な電話だった。

彼女は私より12歳上のばあさんです。
山をやっているから足の心配はないけれど、私のときのように病気にならないか心配です。
心配と言うかうらやましいと言うか・・・・・やっぱりいいなぁって思いました。

明日は12番のはず。
日頃の健脚を発揮してすいすい登っていくことでしょう。

きっと帰ってくるまで電話かかってこないだろうなと思います。
私をうらやましがらせようとしているにちがいありません。

もぉ~!まったく。
鬼が笑っても「もぉ~[E:taurus]」

追伸
まだパソコンなおりません。
なので、京都の紅葉・知多四国のお遍路2回がアップできないままです。

2008高知(37)

              前日       

平成20年4月29日(月)

気がついたら夫はもう起きてごそごそやっていた。5時を少しまわっていたので私も起きる。
部屋中に干した洗濯物をたたむ。そして荷物をコンパクトにザックに詰めていく。
お遍路の一日は、こんなふうに始まっていく。

            Img_0294

朝食時間は6時。女将さんのご好意で予定より30分早くしてもらえた。
今遍路で初めてちゃんとした朝食を頂く。
心のこもった品揃え。これを早立ちで断わっていたらもったいない話だ。
私はお四国にのんびりしに来ているのに、昨日もその前も宿での朝食を断りせかせか歩いた。
何をそんなに急ぐことがあったのだろうとこの食事を見て思った。
こうやってゆったり朝食を頂けば、自ずと今日も頑張って歩こうという気になるものだ。
こういう暗示は私なぞころりだ。これからはゆったり朝食を摂ろう、そうするべきだと思った。

 

柳屋旅館の前にある別格大善寺に参拝する。以前は気になりながら通過してしまった。
が、こうやって来られたのはご縁があったということか。
急な階段を登る。すると高台にある本堂までミニケーブルカーでこれるような仕組みになっていた。なるほどこれなら誰でもお参りができる。7時前なので参拝客はいない。今日も元気で歩けますようにと手をあわす。
お参りが終わったころ青森Yさんがやってきた。これはまた今日も一緒に歩きなさいというお大師さまの命か。
何故こうまで縁があるの?と思った。心とは裏腹に私は一応にこにことおはようを言った。

 

安和に出るまでのトンネルでは、やはり怖い思いをした。
Yさんは結構早く歩かれる。が、トンネル内を特に早く駆け抜けようという様子はない。
後を歩いている私は、恐怖のあまり気が急いた。だからといってもっと早く歩いてくれとも言えない。ましてや私を先に行かせてくれとも言えない。南無大師遍照金剛を唱え、お大師さまにおすがりした。

 

命縮まる思いで安和についた。私は迷わず焼坂峠越えを選ぶ。
トンネルを怖がらないYさんは国道を行くという。やれやれ。お大師さまはようやく私をひとりにしてくださった。

               Img_0298

焼坂峠の登りは確かにきつかった。30分ほどの登りでずいぶん汗をかいた。
途中で男性に追いついたがお先にどうぞと促され、特別言葉を交わすことなかった。

               Img_0301

峠からの降りはずっとなだらかだった。実に静かな道をのんびり歩いた。
昨日、正木マサ子さんに頂いた文旦を宿で剥いてすぐに食べられるようにして持ってきた。
この静かな遍路道で食べた文旦の味は格別おいしかった。
夫にも食べさせてあげたいと思った。

実は、夫は無理して歩くことを選ばず須崎駅7:16発の電車で名古屋に帰った。
夫が帰るといったので私はどうしようとこれでも悩んだ。
まず一緒に帰ったら、私のことだから途中で恩着せがましく愚痴るに違いない。
ならばここでお互い離れたほうがいらぬけんかにならぬ。
足の肉刺は私が付き添ったところで痛みが軽くなるものでもないし、夫も格好悪い姿は見られたくあるまい。
という優しさのかけらもない勝手な解釈で私はひとり残ることを選んだのだが、ひとりなって考えてみると、なんてやさしくない女だったのだろうと悔やんだりもした。

 

JR土讃線沿いに出たところで、昨日押岡ヘンロ小屋で会った神戸の男性に再会した。
しばらく話をしたが、私は先が気になり早々に話を切上げ歩き始めた。
もっとのんびり歩きたいのにそれができない自分を恨めしく感じながら歩く。それ以後、彼と会うことはできなかった。

 

国道を逸れ、導かれるように土佐久礼に入って行く。
ふと今日が友達の結婚記念日だと気づく。日常雑多なことに追われていると友達の結婚記念日など思い出すことはまずない。が、お遍路していると思わぬことがふっと頭をよぎる。
おめでとうとメールをしてみた。
「山あり谷ありだったけれど何とか30年もちました」と返信が来た。
そうか30年の区切りだったのか。こちらまで嬉しくなった。気づいてよかったと思った。

 

大坂休憩所まで6人ものお遍路さんに逢った。そのうち半分が逆打ちだった。もちろん話をする。
最初の逆打ちは定年退職後の男性で区切り。もう何巡もしているとあれこれ話してくれた。
次の人は座って休憩していた。この人とはあまり話しが続かなかった。こういうこともある。
最後は背の高い青年男性で野宿の通しだった。話が弾んだ。別れ際に七子峠がんばってとうれしいことを言ってくれた。お互いにといって別れる。真っ黒に焼けた顔に白い歯が印象的だった。

               

  Img_0309 Img_0310

 

以前は大坂休憩所まで迷うことなく歩いた記憶だが、今回は何回か立ち止まった。
するとどこからともなく「あっちあっち」と地元の人が現れる。お互い声を交わさなくてもジェスチャーだけで通じた。心温まる嬉しい気持ちでまた歩き出す。こんなことを繰り返した。

               

           Img_0311

前回歩いたのは5年前の3月上旬だった。誰に会うこともなく寒いなかを歩いた記憶だ。
七子峠取り付きまでの道が印象深いのだが今回は変わってしまっていた。
この大坂谷に高速道路が横切るというのだ。そのために現在「そえみみず遍路道」が通れない。
橋脚工事のダンプカーが何台も私の脇を通過していった。私の四国の思い出がだんだんなくなっていく寂しさを感じた。

             
   Img_0312

やっとのことで七子峠取り付きまで来た。ここから1キロという表示はそのまま健在だった。最後の登りはきつかったが30分ほどで下から見上げた峠に上がった。

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とにかく暑かったので峠の茶屋に飛び込みアイスクリームを買った。
ネーミング通り美味しくて、もうひとつ食べたいぐらいだった。

 

ひとりになりたいと勝手なことを言っておきながら、先を歩いているだろう青森Yさんを私はここまで実は追っていた。が、飛ばしても追いつく気配がない。
もう諦めて、軽トラに乗ったおじいさんと話しながらずいぶん休憩した。

 

七子峠から先、以前は国道を歩いたのだが遍路道があるようだ。
道しるべが見当たらないので立ち止まってうろうろしていると、先ほどの軽トラのおじいさんが遠くから「あっちあっち」と猛烈な勢いで指差している。おじいさんの優しさは遠くからでもよく伝わった。

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国道をはずれたこの遍路道は、今回とても印象に残るものだった。
分かれ道で立ち止まっていたら、またどこからか誰かが現れ「あっちあっち」と合図が来る。
私は絶えず誰かに見守られていた。

 

途中で犬と戯れ遊ぶ。彼はお腹を見せて私に完全に服従しますというしぐさをする。
いつまでも遊んでられないのでバイバイしてまもなく、おばあさんに声を掛けられた。
「あなたに差し上げたい本がある」と。
今来た道を少し戻っておばあさんの家に寄る。

             Img_0338

このおばあさんの手記が載っている本だった。きっと私のためになると思って勧めてくださったに違いない。ありがたく頂き納め札を渡したらこのおばあさんは藤田さんといわれたので驚いた。
この藤田さんかどうかわからないが、私の知り合いの藤田さん(男性)はこのあたりでこの藤田さんというおばあさんから1000円ものお接待を受けている。そして私も5年前にこのあたりであるおばあさんから1000円のお接待を受けている。私の場合は不覚にも当時名前を聞き忘れ顔も覚えていない。が、このあたりで1000円もの大金をお接待する人はそうはいないだろうと思う。とにかくすべてのお接待は同一人物からだと思えて仕方がない。
(この藤田さんというおばあさんから私と同じ本のお接待を受けた人のホームページに顔写真を見つけた。どうも有名のようだ)

  
          Img_0318 

遍路道から国道に出たら影野のお雪椿だった。ヘンロ小屋ができていた。

 

突然、遠くから私の名前を呼ぶ声がした。ふりむくと青森Yさんが大声で手を振っている。
てっきり前を歩いていると思っていたので驚いた。
Yさんを追いかけることを諦めたことが再会につながったようだ。嬉しかった。
お遍路は出逢いだけでなく、このような思いもよらぬ嬉しい再会もある。あぁ会えなかったなぁと残念に思うことの方が多いだけに、再会できたときは感動すら覚える。
そこにあるからくりを自分なりに想像し楽しんだ。
思いもよらぬことが私には刺激的で楽しかった。感動するような再会を望むなら、まずは別行動をとらなければいけない・・・と思う。

         Rokutannzi_2
  

六反地あたりを歩いていたら電車が近づく音に足が止まった。立ち止まった位置が良かった。家が立ち並ぶ隙間だった。
あのこいのぼりと電車を撮りたいと瞬時にカメラを構えたら運よくおさまった。
「もっと風よ吹け!」とこいのぼりを泳がせたかったがその願いは叶わなかった。
写りはどうであれグットタイミングを大いに喜んだ。

気をよくしてスリーエフ(コンビニ)に寄ったらお接待だといってペットボトルのお茶を頂いた。
コンビニでお接待というのは私にはまだなじめなかった。

 

JR土讃線に沿ってとうとう道の駅あぐり窪川まで来た。あと3キロで37番岩本寺だ。
予定より早く着いたので30分休憩した。そうしたら観光客から500円のお接待を頂いた。
納め札を出してお礼をした。今日はいいこと尽くしだ。
もう少しでお杖を忘れそうになったが事なきを得たのもいいことだった。
どんなこともいいことに思えた。お遍路の効果が出てきた証拠だ。

            Img_0323

懐かしい道をたどってとうとう37番岩本寺まで来た。4時だった。
お遍路効果が出たころに区切りとは皮肉なものだ。
 

             Img_0335

37番で青森Yさんにまた再会した。やはりこの方とは縁があったのだ。
お互いに元気でいようと約束してお別れした。

 

宿坊のある建物で顔を洗い着替えをさせてもらいJR窪川駅に向かった。
17:29特急南風で岡山に出て、のぞみで23:21名古屋に戻った。
朝、須崎で分かれた夫が駅まで迎えに来てくれた。やさしい夫に感謝した。

次回はいつになるかわかりませんが、また是非続きを夫と歩きたいです。
と思っているのは私だけで夫はかなわんと思っているでしょうか。
次回までには、もう少しやさしい妻になっていようと思います。

では、ここまで読んでくださってどうもありがとうございました。

                   前日

 

 

           

 

2008高知(36)

               前日        翌日

平成20年4月28日(月)

         Img_0223

5時を少し回ったころ目覚める。
そっと起きたつもりだったが、夫を起こしてしまった。
「じゃあ、10時ころに戻ってくるからね」
私は夫を宿に置いて、青森Yさんとタクシーで昨日歩き終わったところに戻った。

「本当に優しいご主人ですからあなたは幸せですよ。ご主人を大事にしなければいけませんよ」とYさんが話し始めた。私の年齢でつれあいを亡くしたこと、それからの寂しい思いなど徐々に語っていく。
昨日から私たち夫婦のやりとりを見ていて、少なからず何か思い出すものがあっただろうと私の勝手な解釈だがそう感じた。
それにしてもYさんの言葉は、私への警告のようで身にしみるものがあった。

               

                  Img_0257     

 

余分な荷物を宿に置いてきたので順調に塚地峠にとりつく。
一服することなく峠に向かうと、箱をぶら下げて降りてくる男性に会った。
高知県の何とかいう高校の関係者だった。
「これ甲子園の壁の蔦を挿し木したものなんですよ。甲子園出場記念に、この塚地峠に88本植えようと思って」。
そんなことをしたらこの先、塚地峠が甲子園の壁のように蔦でぼうぼうになってしまわないだろうかと話を聞きながら私は心配でならなかった。

 Img_0227  Img_0229

峠で一服する。少し曇ってはいるが遠くに宇佐大橋が見えた。
1巡目のときは今にも降りそうな雨が心配で、ここからの景色はゆっくり眺めていない。
前の分までゆっくり眺めた。そしてミツバツツジで彩られた静かな道をのんびり降って行った。

もう麓だというころ、年老いた男女が何やら祀ってある大岩を掃除をされていた。
麓に住むご夫婦だった。長年こうやって掃除をしているそうでしばらく話を聞かせてもらった。
いつからのものかわからないけれど、大きな岩には弘法大師のお姿が刻まれていた。
ここでも夫婦のありかたを学ばせてもらった。

山里の景色の想いを持って麓についたが、当時とまったく変わっていてがっかりした。
それでも何かをと山を振り返ったがやはりだめだ。季節が違うだけでない。私が求める景色はそこにはなかった。

 Img_0231  Img_0236

宇佐大橋からの景色は当時見たままそこにあった。
今回は打ち戻らないので、よく見ておこうと自然と足がゆっくりになる。

     Img_0239   Img_0331

36番青龍寺に近づくと道も家も新しくなり少し迷った。が懐かしい湿地帯に出る。
湿地帯に降りた道を歩いていくと、青龍寺にもうひとつ建築中の赤い塔が見えた。
9:10納経所前に到着した。納経所のお坊さんがおっしゃるとおりに荷物を置いて長い階段を上がっていった。

参拝後、納経所の横から山道を上がり、夫が待つ宿に向かう。
車道に出たところで奥の院という案内板が目に入る。せっかくだからとまた奥の院に足が向いた。

     Img_0240
  

するとお社の前に先客が座り込んでいた。私たちを見つけどうぞどうぞとどいてくれる。
近づくとゆうに80歳を越えているだろう男性ふたりだった。お社から戻っていくとき後ずさりする体型で一歩一歩降りていかれる。それほど足がおぼつかないふたりだと見受けられた。(が、今になって思えば神様に後姿を見せないためだったように感じてならない)

私たちはそれなりにお参りを済ませ振り向くと、足がよろよろのはずの男性ふたりはもっと険しい山道に入っていく。道が違うのではと心配になって大声を掛けると、この奥に用事があるようなことを言う。導かれるようについていくと・・・

                 Img_0243

虚空蔵菩薩が祀られていると教わる。この男性ふたりのお経は厳粛なるものだったので後ろに立って一緒にお参りさせてもらった。するとよくお参りしてくださったと褒められた。
勝手について行ってお参りさせてもらったのに、褒められてこそばゆかった。

その後、このおじいちゃんたちに話を聞かせてもらう。
おふたりは仲良しで84歳。月に一度はお参りに来るそうだ。
「あなたはNHKのお遍路のお姉ちゃんじゃないか」とも。(街道てくてく旅の四元嬢?)
足が達者だけあって、女性を喜ばすことも忘れていない元気なおじいちゃんたちだ。
「元気で行きなさいよ」。何度も何度も手を振って別れた。
もう一度奥の院に足が向いたのは、このおじいちゃんたちに導かれたのだろう。

国民宿舎土佐に戻ったのは10時を少し回っていた。
荷物を詰めなおしてから、がらんとしたロビーでアイスクリームを食べた。

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10:50重くなった荷物を担いで、初めての道「横浪スカイライン」を行く。
アップダウンがあるとか楽しくないとか聞くが、それでもこの道を行きたいと思うものがあった。

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じんばもばんばもよう踊る・・・

1時間ほど歩くと、第一休憩所なのか広いところに出た。
駐車場はがらすき。観光客はバイク仲間3人とその他数人。そこにアイスクリンを売るおばあちゃんがひとり寂しくぽつんといた。

ここであり合わせのパンでお昼にする。
この静かな岬で、突然大きな声を出すハプニングが起きる。
それまで気づかなかったトンビが急降下してきて一瞬のうちに夫のパンを奪っていった。
あっ!と思ったときには海に向かって大きく円を描いて飛んでいった。しかしすぐに我々の真上に戻ってきて、これ見よがしに今収穫したパンを飛びながら食べるという凄い技をやってのけた。
「半分食べたパンでよかった」と悔し紛れに夫は言ったが、人間の無防備さを思い知らされる出逢いだった。

           Img_0252

単調な道だが、降りてみたくなるほどの綺麗な浜がときどき現れる。
浜をじっと見つめる地元のおじさんに出会い話を聞く。
「今日は海が穏やかだから浜に降りて[よこめ貝]を採ってくる」と土佐弁で言う。
私は思わずどこから降りるのか聞いてみた。なるほど道はついていた。
(よこめ貝なるものをネット検索したが出てこない。土地での呼び方なのだろう)
ムール貝みたいなのか聞いてみたが違うという。まったく想像できなかった。
お米と一緒におしょうゆで炊くとおいしいといっていた。
食べてみたかったが、それよりおじさんについて浜に降りてみたかった。

       Img_0258  Img_0260   

登って降って・・・・・また登って・・・・青森Yさん70歳なのに足が達者だった。

    Img_0281  Img_0283

唯一の漁港に出た。こいのぼりが見える。どうもここがみっちゃん民宿がある集落のようだ。
しばらく行くと、そこに降りていくらしい道があった。この先にはどんな生活があるのだろうかと思わせる場所だった。 

         Img_0286
  Img_0291
 

納骨堂を見ながら登ってまた降る。どこまで来ているのかさっぱりわからないまままた登る。

誰もいない武市半平太の像があるところで休憩する。
前回歩いた横浪三里が見える。雨の中ずぶぬれで歩いたときのことを思い出す。

   Img_0253 
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  Img_0288

アップダウンが多い道だったが、お花が退屈しのぎをしてくれた。

浦の内湾と外海が両方見えるころになると降りになった。
やれやれという思いで降っていく。

このころ夫は足が痛いといって靴を脱いで歩いていた。
どうも靴が小さいらしい。というか足がむくんだかふやけて大きくなったか。

ようやく浦の内湾の一番奥に出た。
もう平坦な道だと思いきや、もうひとつ登り坂が見えてがっかりした。

そんなとき、その登り坂の横でおいでおいでと手招きする老女が小さく見えた。
戸惑いながら近づくと「あそこが私の家だから、お茶でも飲んでいって」と、ちょっと先の立派な家を指す。お接待だった。

このおばあさんはひとり暮らしで、部屋から坂を降ってくる遍路が見えるとこうやってお接待に表まで出るらしい。
声を掛けても先を急ぐのか行ってしまう遍路が多いなど話を聞きながらお宅まで歩いた。
縁側に座らせてもらい甘くておいしいしょうが湯をもらった。

おばあさんは文旦に包丁を入れながらいろいろ話をしてくれた。
軽い脳梗塞にかかったので軽いが麻痺がある・・・・
何十年も看護婦をしていた・・・・・・
死ぬときに、あぁいい人生だと思って死にたい・・・・・
など、私の頭の1箇所に集めてあった言葉が次々出てくる。
ひょっとして! そのとき思わず立ち上がって聞いてみた。

念ずれば想いは叶うだった。辰濃和夫さんの本に登場する正木マサ子さんだったのだ。              

                Imgp1458_2      

私は今回ひそかにこの女性に会いたいと思ってスカイラインを来たのだが、こうも簡単に願いが叶うとは思っていなかった。だんだん気づいていくという過程が劇的だったといったら大袈裟だろうか。すっかり忘れて無になっていたことがより感動の出逢いになったことはまちがいない。

辰濃和夫さんの本の話をした。朝日新聞島俊彰記者の遍路日記の連載の話もした。
どれも私は読んでいる。だから正木さんにお会いしたかったのだと私は興奮気味で語った。

            

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辰濃さんや島さんに限らずネットでも語られる正木さんのお人柄は素敵だった。
私もいつか正木さんのように若いものをつかまえては、生きていると楽しいなんていう話ができる年寄りになりたいと思った。それが人生目標だがそこに着地することはそう簡単ではないことはわかっている。気がついたら正木さんのようになっていたというのが望みだ。

そんな考えにいたる話しで1時間15分も長居をしてしまった。
いつまでもお話していたかったがそうもいかない。
「風邪をひかないようにしなさいよ」。
4:10橋に上がる階段まで見送ってもらってお別れした。

国道23号に合流して押岡にあるヘンロ小屋でトイレを借りた。
5時になっていたので遅くなるという電話を宿に入れる。

須崎の町に入ってからも宿は遠かった。途中で夫は大きめの靴を買った。
6:45、ほうほうの体で柳屋旅館に到着する。 
青森Yさんは向かえにある別格大善寺に素泊まりだった。

            Img_0293

一服して夕食を頂く。朝も昼も満足な食事でなかったのでぺろっと平らげた。
NHKウォーカーズの撮影に使われた宿だと女将さんはあれこれ説明してくれる。
あるお客はこの階段で記念撮影をされたともいう。
それなりに見覚えがあるような気がするがはっきり覚えているわけでもなかった。
古いが静かで落ち着くいい宿だった。

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明日は峠をふたつ越えていく。夫の足を考えるとどうしたものかと悩む。
大きめの靴を買ったが大丈夫なのか歩いてみなければわからない。
私もやめるからここでお終いにしようと言えば夫は意地を張って無理にも歩きかねない性格だ。
私も相当苦しまなければやめる決断ができなかったお遍路での苦い過去があるだけに安易な言葉がでない。
運よく明日はJR沿線だ。タクシーだってあるじゃないか。夫の判断に任せるしかなかった。

その晩は贅沢にも二間続きの部屋でゆっくり休ませてもらった。

               前日        翌日

 

2008高知(32~35)

               前日        翌日

平成20年4月27日(日)

部屋の狭いテーブルでおにぎりとカップ味噌汁の朝食。
私は不覚にも味噌汁をダイナミックにこぼしてしまった。
夫に余計な世話をしたりで険悪なムードが流れるなか、時間だけがどんどん過ぎていく。
ホテル土佐路たかすを出て歩き始めたのは6:40を過ぎていた。

朝日を浴びた水田。整然と並ぶ苗にそよ吹く風。
何とも気持ちがいい朝だ。
ホテル出発前の右往左往を思い出しふっと噴出す。

あちこち眺めながら32番に向かう。

     

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32番禅師峰寺。
境内から桂浜の浦戸大橋、その奥にある36番の岬に目をやる。
遮るものがないということはなんとも気持ちがいい。
今日はあそこまで行くのだとだいたいの見当をつけ寺を後にする。

32番下山後、ビニールハウスの横を通って種崎フェリー乗り場まで6km。
この道は、前回もそうだったが船の時間があるのでどうしても気が急く。   
なのにこういうときに限って夫が途中でトイレに寄るという。
たかがトイレタイム、されどトイレタイムなのだ。
私はストレスを感じながら「アセルナアセルナ」と呪文を唱える。

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まだかまだかという思いでもくもくと歩いた。船着場に着いたのは出航時刻の10分前。
まだ10分もあるのに何故そんなにあせった? 到着してみれば滑稽で仕方なかった。
私はいつもこうなる。そんな自分を嫌というほど目の当たりにした。

フェリーであっという間に長浜に渡り、33番雪蹊寺を打つ。

   Img_0208  Img_0209

34番種間寺に向かうへんろ道では、こいのぼりをよく見た。
「ふらふ」という大漁旗のような立派な旗には勇壮な武者絵に子供の名前が染め抜かれている。7歳までこの旗を揚げるという。子供の成長を願う親心が大空に泳いでいた。

34番種間寺を打ち終わったのは12:30だった。

昨日31番竹林寺で出逢った女性遍路(青森のYさん)は、ここまでずっと一緒だった。
よほどの縁があるのか離れるきっかけがない。
「今晩の宿は決めました?」と今日も聞かれて私と違うタイプの遍路だということがわかった。
いつもではないと思うが、この女性は自分で宿を決めないように見えた。
おまけに道中で地図も広げない。おのずと行動が一緒になるわけだ。

1巡目(ひとり)のとき、連日私の宿を聞いてから同じ宿に決める遍路がいたことを思い出す。
道中も今晩の宿も一緒という歩き方で、私はついにつまらなくなってしまったことがある。
お遍路では、予想もしないところでの出逢いがおもしろいほどたくさんある。
その偶然の出逢いが必然に思える大収穫もある。
それにはひとり寂しいくらいに歩いていたほうがいいのだ。

入りたくなかったが「喫茶店に入るのでお先にどうぞ」と女性遍路に恐る恐る言ってみる。
すると「私も」と。そうか困ったな、だった。
お人よしの私は、うまく離れるせりふをそれ以上持ち合わせていなかった。
向こうは気を使っているのかあれこれ頼む。1時間強も休憩してしまったがお陰でゆっくりできた。

    

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仁淀川大橋を渡る。あの山が35番清滝寺かなぁ、と眺める。
町に入ると、2階から子供が「おへんろさ~ん」と呼ぶ。
あまりにかわいいのでカメラを向けると急におとなしく構える。
「もう一度手を振ってちょ~だい」といったら恥ずかしそうにこいのぼりに隠れて手を振ってくれた。

途中ローソンに立ち寄る。今から35番を打って帰りに寄るのでそれまで荷物を預かってくれないかと聞いてみる。するとてっきり断られると思ったら快諾だった。
四国のコンビニは本当にありがたい。

4:00、山の中腹に清滝寺がはっきり確認できるころになると青森Yさんは5時の納経にあせり始めた。

 
 Img_0212   Img_0214  

どうぞと先に行ってもらったが急いでもスピードがでる坂でない。
Yさんは途中で変な道にずんずん入っていく。違うよと声をかけてもなかなか戻らない。
結局一緒に35番清滝寺に到着した。

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参拝後、今回の楽しみの一つである厄除薬師如来像の「胎内めぐり」をする。
人生、闇の中に入っても手探りで慎重に歩けば、必ずや一筋の光が見えるのだということを今回感じた。
しかし3回目なので緊張感がない。やはりこれは一人旅でするものだと思った。

本来なら、今晩の宿はふもとの宿だが、どうしても海が見える「国民宿舎土佐」に泊まりたかったので、35番を降りたところからタクシーで行く計画である。
青森Yさんも「国民宿舎土佐」に一緒させてほしいと言う。断る理由はないのでOKした。

タクシーで運ばれた3人は、6:10国民宿舎土佐に着く。
食事が7時というので、明朝お参りする予定だった宿の奥にある36番奥の院をお参りする。

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奥の院は素足でお参りするように注意書きされている。
足の裏がひんやりと冷たい。霊験あらたかなるものを体得する。
みるみる暗くなった。

宿に戻り風呂に入り、夕食も三人。今日はずっと同行○人だった。

「明日はどうされますか?」と青森Yさんのお決まりのせりふで話が始まる。
青森Yさんは点と点を線で繋ぐことに特にこだわらない人なので
「構わずこの先を歩いてください」と薦めると
「タクシーで清滝寺の麓まで戻るのなら私も一緒に戻ります」と言う。
そうならば35番麓の宿に泊まればよいのに、まったく変わったお遍路さんだと思ったが、
そういう私も複雑なことをする変わった遍路のくせにと苦笑する。
この青森Yさんは私を映し出す鏡だった。出逢わなければならない人だったようだ。

さらに話は展開していく。
夫は我関せずで「足が痛いからここの宿で待ってる」と言い出す始末。
私はもう、この三人三様の考え方が面白くて笑うしかなかった。
あぁ、お遍路は面白い。だからやめられないのだ。

青森Yさんは相部屋(2段ベッドが3つ)でひとりだった。
もう遅いので寝ようかと思ったがもう一度露天風呂に行ったら、また青森Yさんに会った。
よほど相性がいいのだと思った。

そんな話をしながら寝たが、夫は聞いていなかっただろうな。
話を聞いてくれないと文句を言っていた若いころを思い出した晩だった。

      われを見る あぁおもしろき 遍路かな

 

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2008高知(29~31)

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平成20年4月26日(土) 

バスが赤いはりまや橋の横を通るところで目が覚めた。
ちょうどお遍路さんがいて絵になる。車窓から振り返って見入った。
私もお遍路になるべく降り支度を急ぐ。

バス[E:bus]は、6:50予定通り高知駅前に着く。
高知駅に降り驚いた。駅構内は様変わりしてすっかり綺麗になっていた。

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               新しい構内から旧駅舎を見る。2階では食事をしたしお土産も買った。当時を懐かしむ。

新しい駅の喫茶店でモーニング後2階に上がり、高知駅7:32発の[E:train]JRに乗る。
名古屋から一緒だった女性遍路は、土佐一宮(いっく)で降りた。
話しはしていないが、お互いに目で合図を送る。お互い楽しもうとでもいったところか。
上手く説明できないが、歩き同士ならではの挨拶だ。

私が下車した土佐長岡は、駅舎も待合イスもない寂しい駅だった。
でも歩き始めるには、このさびれ具合がちょうどいい。8:00夫と二人で歩き始める。

前回区切ったへんろ道本線まで戻る。
どうしても見ておきたいものがあるので15分ばかり逆打ちし、新しくなった松本大師堂を見に行く。

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大師堂と遍路小屋が一緒になった立派な建物だった。
遍路を待ち構えていた地元のおばちゃんカメラマン?に散々モデルにされる。
言われるまま、あちらを向きこちらを向く。お遍路では私だってモデルになれるようだ。
お接待で小夏を2個もらった。

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JRを越すころ、逆うちの女性(ソロ)が歩いてきた。
話をしたかったが、葉タバコの手入れをしている人と話しているうちに通り過ぎていってしまった。

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29番に向かう途中、1巡目のとき買いそびれた「へんろいし饅頭」を買ってみる。
以外と大きいのでびっくり。ミニアンパン並みだ。

   
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国分川を渡るとほどなく29番国分寺。
仁王門で一礼。まっすぐのびた石畳。その先にある新緑が目に飛び込む。
1年ぶりのお遍路、道中の無事をお願いした。

門前にある遍路用品を扱うお店に入る。
ここの納め札はカラーで裏に般若心経が書かれている。
少し高いので迷ったが、この店特製であるとご主人がしきりに薦めるので買ってみた。
お接待されたときに出したら喜んでもらえそうだと思った。

この先、のどかなあぜ道をのんびり歩く。
この道を歩きたくて、また来たといっても過言ではないほど私はここが好きである。
高知医大病院に抜けるまでのくねくねした道は今回もよかった。

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以前はなかった蒲原ヘンロ小屋(5号)で休憩。先ほど買った「へんろいし饅頭」を食べる。
遠くからチリーンチリーンと聞こえてくる。ほどなく、途中で休憩していた男性歩きへんろが現われる。笑顔で出迎える。そして、へんろいし饅頭を差し出すと快く受け取ってくれた。
鈴の音の合図っていいものだ。お遍路には便利な道具があっておもしろい。

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30番善楽寺。どこから入るのが正式なのか。わからないお寺である。

大師堂前で団体客の男性老人がつまづき、賽銭をばら撒きながら転んだのには驚いた。
かなり足がふらついている。この先、大丈夫なのだろうか。

一宮神社の長い参道を抜け、道なりに南に向かう。
ほどなく、遠くに31番がある五台山が見えるようになる。
国分川を渡り、消防署からへんろ道に入り、高須橋を渡り、土佐電鉄御免線を越え、五台山にじりじりと近づく。

31番に上がる前に、今宿に寄って荷物を預けたので楽に上がれるはずなのだが、やはり登りはきつかった。

今回の目的のひとつである「牧野植物園」に出る。
開園50周年を迎えリニューアルされたので、ゆっくりしていく計画である。
それにしても以前(5年半前)の様子が想像できないほど綺麗になり驚く。

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とてもへんろ道と思えない素敵なところでお庭を眺めながらランチをした。
土佐牛と高知で採れた魚や野菜はどれもおいしい。

      

 
     
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牧野富太郎(植物学者)が愛した山野草がたくさん展示されていた。
私にはとても珍しいものがたくさんあって、ゆっくり見学する。

                 

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南園から竹林寺の五重塔を目にするまで、お遍路に来たことをすっかり忘れるほど植物園を楽しんだ。

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桜の時期は全山ピンク色の染まるとか。また機会があれば来てみたい。
歩きへんろは入場料が無料だった。とてもいい時期に来れたことを喜んだ。

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31番竹林寺。植物園フェアーにあわせてか竹林寺境内にも花が彩られている。
綺麗なんだがどうもしっくりこないような気がした。無理に置かなくてもと感じた。
もうひとつ残念だったことがある。無料休憩所が有料の茶店になっていたこと。
好きなお寺のひとつだけに、俗化されていくことを残念に思った。

納経所で女性単独の歩きへんろ(青森Yさん)に出逢う。
聞けば今日から歩き始め、高知駅から車道を上がってきた、宿も決めていないと言う。
私の宿を聞かれたので答える。その女性もそこにすると言ってすんなり決まった。
私は、この女性が今宿にあふれなくてよかったとほっとした。それにしても勇気がある女性だとこのとき思ったのだが、この先だんだんこの女性の歩き方がわかってくることになる。

へんろ道を線で繋ぎたいというこだわりがまだ捨てきれない私は、竹林寺を南に下りて大回りをして宿に戻る。
牧野植物園を通ってこなかった女性遍路にそちらを降ったらと勧めたのだが、我々についてくるという。あの景色を見ずしてもったいないと思ったが、自分だってこだわるばかりにその道を選んでいないではないか。やはりもったいなかったなと悔やんだ。
こだわりは悔やむこととセットなり。お遍路ではそんな自分と何度か出会う。

4:40ホテル土佐路たかすに着く。
この宿は食事なし。宿の前にある食堂の2割引券をもらって夕飯に出る。
女性遍路も一緒だった。

お遍路に来たといえないような初日が過ぎていった。

 

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2008高知

2008お遍路区切り打ち4回目へ

平成20年4月25日(金)

 

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名古屋発22:30の高知行き夜行バス乗り場では5人ものお遍路さんを見かける。
気の早い?写真の人は、もう笠を被って杖をつき首からはずた袋を掛けて並んでいる。
名古屋でこれほどのお遍路さんを見かけるのは初めてのこと。
たまげた。・・・しかし、私もいずれ、こんなばあさんになるかもしれません。

前回区切った28番を少し過ぎたところに戻ります。
さて今回のお遍路はどんなことが起こるでしょうか。
たった3泊4日のお遍路ですが、お付き合い下さい。

夢の国お四国に向けて出発進行! [E:bus] [E:dash] [E:sleepy]  

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新聞切抜き

お四国に夢のような世界が広がりそうな気配?
そんな新聞記事を見つけました。

Img006  左の記事をクリックして読んでください。

果物をもぎながら歩けるなんて夢のようですねぇ。
気づいたらあの世だったりして・・・・なんて、自分がなかなかお遍路に行けないものだから、ちょっとひがみっぽくなります。
でも、「お接待の果実」とそうでない果実の見極めが難しそう。
何はともあれ、今は人の手から頂いた温かみ残るお接待が恋しくてたまらない。

お遍路その後(ぽんぽん菓子)

              

     Photo_2

徳島県阿南市のS氏(72歳)から100回巡礼記念の錦札が送られてきました。
5回は歩き、あとの95回は車で回られたそうです。
100回だなんて簡単にできることではありません。頭が下がりますね。

このS氏とは、何故か3回も出逢うというご縁がありました。
以前ブログにも書きましたが、改めて紹介します。
(いずれも私は歩き、S氏は車です)

     *******

1回目(1巡目)平成14年10月18日、26~27番で‘‘ぽんぽん菓子’’のお接待を。

2回目(1巡目)平成15年 4月30日、53番で銀の納め札をいただく。

3回目(3巡目)平成18年11月 2日、19番~金子や間で‘‘ぽんぽん菓子’’と金の納め札のお接待を受けました。

     ********

3回目の出逢いで‘‘ぽんぽん菓子’’を手にしたとき、ある記憶がよみがえったのです。

1回目、平成14年10月18日のことです。
早朝、吉良(26~27)を過ぎ、交通量の少ない国道をもくもくと下を向いて歩いていました。
すると突然車が止まり‘‘ぽんぽん菓子’’を渡され労をねぎらわれたのですが、一瞬の出来事に対処できなかった私は、納め札どころかろくにお礼も申し上げなかったことがありました。(もちろん名前も存じ上げません)
車が立ち去った後、‘‘しまった’’と、ずいぶん悔やんだものです。
そして何かもの寂しくなりました。もう2度と会うことはないと思ったからです。

それがどうでしょう。
そのお接待の‘‘ぽんぽん菓子’’をまた手にした(3回目)のです。
あーっ!これだ!と4年前のことがよみがえりました。
もう2度とお会いできない、と、決め付けていただけに、こんなことってあるのだなぁと驚きました。

しかし本当に驚いたのはここからです。
いただいた金の納め札の名前を見ると、以前(2回目・53番)出逢ったS氏で、ぽんぽん菓子とS氏の関係がするすると謎が解けるようにわかったからです。(お顔はあまり記憶がないのですが、季節の便りのやり取りをしていたので名前を見てわかりました)

つまりこういうことです。
もう会えないと思っていた人と再会できたことに驚いていたら、以前(2回目)に気づかないで会っていたことがわかったのです。
糸を手繰り寄せてみたら、3回とも繋がっていたわけですからご縁を感じました。

でもよくわかったものだと我ながら感心します。
今でも上手く説明できませんが、3回に及ぶお接待は深い意味があるように感じます。
このからくり解けるかな?と、大袈裟なようですがお大師さまに試されたような気持ちです。
本当に気づかないだけで、この世の中すべてが繋がっているのかもしれませんね。

私ですら3回もお会いしているのですから、このブログをお読みになったお遍路経験者の中にも、きっとS氏の‘‘ぽんぽん菓子’’を手にされた方がいらっしゃると思います。

お遍路から1ケ月

毎回のことだが今回もお遍路から戻った途端、雑多なことに振り回され、ため息をつく毎日だった。

明日に回して早く寝てしまえばいいのに、それが私はできないのである。
明日に回そうものなら、夜な夜な頭から離れずなかなか寝付けない。
だから、お遍路でのせっかくの早寝早起は途端に崩れてしまう。

真面目すぎて手の抜き方を知らず、さらにどんくさい私は、仕事もはかどらずため息をついてはうなだれる。
なんでこんなに不器用なのだろう私は。

それでも、大回りしても次の札所につくように、最近ようやく一息つけるようになった。

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久しぶりに山に行くつもりだったが生憎の大雨で仕方なく中止。
雨が上がってから、そうだ!と名城公園に出かけてみた。
案の定、いつもと違う水溜りの景色があった。
僅か5センチほどの水溜りを覗き込むと、そこは別世界。
水際に立つと、深い深い水底に落っこちてしまいそうで、わくわくと何度も覗いた。

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お遍路に話を戻して・・・・
お遍路は帰宅後も結構することがある。
お礼状を書いたり記録を残したり。

帰宅後のことを少しばかり・・・・

お遍路2日目の犬を連れたお遍路さんについて、昨年11月お遍路の最終日に出会った徳島のFさんから次のような情報を得た。

①犬は五右衛門君で買主の遍路は北海道で働く〇野君というそうな。
②徳島のFさんは、4月23日に5番地蔵寺で彼らと出会った。
③6月末の結願予定。

ということは、彼らは昨晩の大雨の中、お四国のどこかにいたということである。
どこまで行ったのか、まだ結願目指して野宿しながら歩いているはずである。
犬を連れているのか、犬に連れられているのか、これもお遍路である。

帰宅後数日経ってから、遍路最終日に会った『香我美遍路小屋』の三浦さんから、土佐のカツオのたたきが送られてきた。
添えられた手紙に書いてある通り、塩とにんにくだけで食べたらめちゃくちゃ美味しくたくさん食べた。
こんな親切は実に嬉しい。
土佐が本当に好きになった。

今度はいつお遍路に出かけられるだろうか。
まだ当分土佐を歩くことになるが、この先どんな出会いがあるだろうと考えるだけでわくわくする。
じっと、機が熟すまで待とう。

2007高知(28)

区切り3回目の5日目 雨

5:30のタイマーに目を覚ます。
外を見なくても雨が降っていることがわかるほど窓ガラスが音を立てている。

昨日仕入れておいた朝食をガサガサと袋から出す。
宿の遅い朝食が待てないほど、少しでも早く雨の中を歩きたい訳ではないのに・・・とむなしい雨音を聞きながらおにぎりを胃袋につめ込む。

6:30夜須町サイクリングターミナルを発つ。
かなりの風雨にめげそう。

「この雨だから、予定の31番はやめよう」と私。
「そうか・・・・」とついてくるだけ(?)の夫は言った。

1巡目で味わった「何故こんなにしてまで歩く?」を思い出す。
自分ひとりならまだしもと、このときは妙に夫を気遣う自分だった。
雨の中までつきあわせ申し訳ない気持になったのである。

歩きながら「ごめんね」と勝手に言ってみたが、雨風や波の音で聞こえなかったのか夫は無言だった。
文句をいうでもなくお遍路につきあってくれる夫に不満などない。
むしろ感謝している。
ただこのときは、夫を気遣い過ぎている自分が嫌だったのである。
夫から常々言われている「気遣い過ぎ」を自問自答しながら雨の手結岬をぐるっと回った。

「これが手結可動橋?」という夫の言葉に腹を抱えて笑った。
跳ね上がっていないそれは見るに値しない普通の橋に見えた。
橋に過分な期待していた自分がちょっと可笑しかったのだが、本当のところは緊張が解けた安堵の笑いだったのだと思う。

香我美遍路小屋に近づくと、小屋を管理しておられる三浦さんは待ちきれず随分手前まで迎えに来てくださっていた。

「5年前もこんな雨でしたね」
「あの時は安芸からだったので疲れきって歩いていました」と私。

正確に言うと4年半前のお接待が初めての出会いである。
その後の車遍路のときにも寄っているので今回は3度目になる。
初めての出会いのときに聞いた遍路小屋を作りたいという話が実現したので、車遍路のときに見にいった経歴がある。

そんなにゆっくりするつもりではなかったが、ついつい話し込み、気がついたら8:20。
予定は大幅にくるっていた。

赤岡の町を歩くころには、遅くなりついでと絵金蔵に寄ってみた。
といっても開館時間の9時に30分も早い。

「せっかくだから見ていこう」

その夫の一言は迷っていただけに本当に嬉しかった。
30分が待てずにもくもくと先に進むことばかりの自分を止めてもらえた気がした。

幕末の天才絵師・弘瀬金蔵(狩野派)の屏風絵はタイトル通り『恐ろしくて美しい』絵だった。
薄暗い部屋に置かれた『修羅を描いた芝居絵』を提灯(乾電池)でかざして観る。
絵(複製画)の前に置かれている蝋燭(電気)が揺らめくと、描かれた人間が動き出さんばかりの迫力だった。
本物は壁に空けられた穴から覗き見るようになっている。
こんな心憎い工夫 は見るものの心をわしづかみにする。

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東西2キロ足らず、全国の市町村のなかで一番小さいといわれている赤岡にこんな素晴らしいものが今なお大事に残されていたのだった。

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記念に手拭を買った。

感動さめやらずで表のベンチで休憩していたら、男性遍路がやって来た。
我々の横に腰掛て靴を脱ぐや否や、靴下を脱ぎジャーと絞った。
靴の中がそんな状態になっていたことに驚き、どこから歩いてきたのかと尋ねたら安芸だといっていた。
寒いと言うので、せっかくだから絵金蔵をみてきたらどうかと薦めたら入館していった。

10:00ようやく歩き出す。
横殴りの雨の中、交通量の多い国道55線をうつむいて歩く。

すねに違和感を覚える。
実は、前々日の宿で洗濯しているときに左足の小指をしたたかぶつけた。
幸い靴下を履いていたが、爪がはがれたと思うほど痛かった。
それをかばって、いつもと違う筋肉を使って歩いているからなのか。

今晩の夜行バス(10:20)で名古屋に帰るのだが、打ち終えてからの時間を潰そうと予定している『高知黒潮ホテル龍馬の湯』に着いた。

「30番を打ち終えてこちらに戻るので、不要な荷物を預かって欲しい」
「龍馬の湯にはロッカーはない」とつれない返事。

それでも無理をいったら辛うじて下足箱を借りることができた。
軽くなったザックに気をよくして歩き出したのだが、10分ほど歩いたところにあったマルナカというスーパーの食堂に入ってしまった。
まったく今日はろくろく歩いていないのに立ち止まることが多い。

昼食後20分ほどでようやく28番大日寺に着いた。

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1巡目のときも雨だった。
あの時はここで区切って高知駅まで出るバスを待っていたのだが、待てど暮らせどバスは来なかった。
そんな私を見るに見かねて、野市まで車に乗せてくれた人のことを思い出す。

止みそうで止まない雨の中を29番に向かって歩く。

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物部川を過ぎると雨は幾分か止んできた。
ずっと続く田畑の中を道しるべに導かれ歩く歩く歩く。
右手に見える遠くの山は靄をまとい水墨画を見ているようだ。
振り返ると、物部川を挟んで向こうの山の中腹に28番大日寺が見える。
戸板島橋を渡るために大回りをしてきたことがわかる。

鼻をつく臭いにきょろきょろ見渡すとハウスの中にはびっしりとニラが栽培されていた。
私はニラが好きである。
であるが、猛烈な臭いに閉口した。
ハウスの中は窒息するのではないかと思ったほどだ。
帰宅後、いつも買うニラの袋を見たら土佐山田のニラと書かれていた。
ここのニラをいつも食べていたことを初めて知った。

ある遍路小屋に2:00ちょっと前に着いた。
(1時間後に気づいたのだが、地図の読み間違えだった。本当はJR沿いの遍路小屋より900mほど手前の新しい遍路小屋で休憩したのだった)

休憩しながら30番を打つのは無理だということは容易にわかった。
あと1時間ほどで29番を打てるが、JRから離れていくことが嫌だった。
自分でも驚くほど怠け遍路になっていた。
結局は先月に捻挫をした右足の違和感が私にブレーキをかけた。

早合点をして完全に地図を読み違えていた私は、御免駅に向かうはずが、御免町駅と立田駅の真ん中に向かっていた。
尋ねる家もなく、仕方なしに葬儀場に入って道を尋ねた。

「バスは通っていますか」
「いつ来るかわからんほど来ん」

ごめん・なはり線に沿って国道364号を立田駅に向かう途中、これは事前に調べておいたバス路線のような気がした。
本来乗ろうと思った1本前(1時間半前)のバスが通るのではないかという予想が的中した。
3:31立田駅前からバスに乗って、3:40『龍馬の湯』前で降りた。
真面目に歩いておれば29番を当に打っていたが後の祭り。
冷静さを失い正しく判断できなかった自分に苦笑した。
だからお遍路は面白い・・・と負け惜しみだが偉そうに言ってみたくなる。

       ************

そんなこんなの疲れのなか『龍馬の湯』はいい湯だった。
施設も長時間休憩するにはよかった。
しかし風呂上りに瀕死状態の左足小指をまたしたたか体重計にぶつけた。
飛び上がる痛さだった。
体重なんかなんで量ったのかと悔やんだ。
もう爪は生きてはいまいと思った。

2階で8時半まで毛布を借りて寝転んでいた。
左足の小指にとどめを刺さなかったら、もう一度温泉に浸かるつもりだったが残念なことにできなかった。

8:59野市から電車に乗り、9:35高知駅に出て、10:20発の夜行バスに乗って名古屋に帰った。

何だか今回は最後の最後に痛い思いをしたお遍路だった。
これは何を暗示しているのだろう。

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