閏年+丙申の逆打ち 試練と憧れ①

お遍路には順打ち(1番から順番に参拝)と逆打ち(88番札所から逆に廻る)があって、様々な理由から逆打ちはご利益が多いといわれてます。

さらにその逆打ちも、うるう年にすると何倍ものご利益があるというのです。
有名な『逆打ちで弘法大師に巡り会えた』という伝説は、60年に一度の丙申(ひのえさる)の逆打ちだったそうです。今年はその丙申にあたり、うるう年なのですから、逆打ちをするにはぴったりの年だといえます。

ちょっぴりのご利益とたくさんの出逢いを求めて、88番から逆打ちのまねごとをしてみました。

 

平成28年11月2日(水)晴れ

名古屋駅から新幹線で新大阪まで出て、在来線に乗換えて三ノ宮まで。
ジパング利用でJRが3割引きとはありがたい。(のぞみは乗れないけれど)

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私を今一度せんたくいたし申候  6日目最終日

平成27年1月18日(日) 最終日

 
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7:00 レストランにて朝食。和・洋が選べるので洋のパン食にしてみる。

 

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朝食後、部屋に戻りテラスから朝焼けを眺めていたら、この入江に小舟が入ってくるのが見えた。その舟からの景色はどんなだろう?リアス式海岸なのでいい漁場に違いないことだけしか私にはわからない。

 

7:45 ベルリーフ大月をチェックアウト(2食付き8100円)。遍路道から外れているけどいい宿だった。
 

昨日区切った赤泊まで送ってもらう。

 

Cimg0442 10分ほどで昨日区切った赤泊に着く。昨日の夕陽に続き、朝の景色も美しい。静かな浜に2度も立つことができて大満足。

 

Cimg0443 ここ宿毛湾は「いせえび・あわび・とこぶし」が採れるので密猟禁止とある。
この美しい景色の中には、高級食材がわっさわっさ[E:dollar][E:dollar][E:dollar]・・・?

もうここに来ることはないと思うので、去りがたい景色となった。

 

さぁ~今日は海抜0mから元気に歩きます。

 

 
Cimg0444しかし寒い。ブロッコリー?の葉っぱには霜がびっしり。人家もない寒~い畑の中をうねうね上って行く。 

 


 

Cimg0447赤泊の浜から歩くこと20分ほどで神社が。案内板には「壇ノ浦の戦いで敗れた平家が落ちのび、この地に居を構えた」とある。この辺鄙な場所がうってつけだったことは、ここまで歩いてきたのでよくわかった。

秋には大祭があって、真剣を使った神踊り八つの演目が奉納されるらしい。「隠れ里」の白洲正子が好みそうなところだ。

 

 


 
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さらに歩くと、突然頭の上からワンワン吠えまくられた。お遍路さんだよと言っても噛みつかんばかりに吠え続ける。よぉ~し!それならその顔を撮ってやるよ!とカメラを向けたら急におとなしくなった。

この犬のお宅前で「元善根宿 西田家」という石碑を見つけた。善根宿 西田家??以前テレビで、江戸時代の古い遍路札を俵に入れ屋根裏に上げてある・・・というのを見たことがあるけれど、まさかその家? 

「お遍路さん!ここ必見だよ!」とワンワン吠えて足止めしてくれなかったら、素通りしていたかも。「エライなぁ君は!吠えまくった(言いたかった)意味がわかったよ。」と礼を言う。

 
 

[E:book]遍路新聞より抜粋
この道沿いにはかつての善根宿・西田家がある。西田家には米俵に入れられた古い遍路札が残されている。大月町史に掲載された遍路札の調査結果によると、文政8年(1825)から明治43年(1910)までの約一万枚。地域別に見るとやはり四国が多く、次いで岡山、兵庫、大阪、京都、愛知、大分分布は北海道、青森から鹿児島まで全国の各県に及ぶ。

当時、お札を集めていれば火事災難から逃げられると言われていた。  またこの地方では「千人の巡拝者を泊めると、一回の巡拝をしたと同じご利益がある」とされていたようだ。通常、遍路札は米俵に入れ屋根裏で保存されたようだが、何度かの雨漏りにもあったようで米俵は黒く変色し、札はくっつきあい団子状態になり、三分の近くは判読不能だったという。

この付近にも遍路石が点在し、さらに321号線を北上した亀尾地区にやはり旧善根宿の松田家がある。松田家にも遍路札や千人宿帳が保存されている。
西田忠雄さんは「今この道を通るお遍路さんはほとんどいない。私が見かけるのは年に数人程度。
見かけたらお接待しています。お札は糸を通して部屋の四方に吊るし、お守りにしていたこともあったようです」と話している

 

 

Cimg0450倒れて矢印がわかりにくい道標。 この辺りまで来ると日がさし、いくぶんか暖かくなる。


Cimg0452赤泊の浜から1時間15分、ようやく国道321線(写真突き当りの道)の姫ノ井に出る。本当は昨日ここまで歩くつもりだった(実際は赤泊まで)。このあたりにはまったく宿がないので、送迎を頼める宿は歩き遍路としてはありがたい。

 

Cimg0454国道321号を宿毛に向かって歩く。

実は、ここまでの登り坂で左足のすねに違和感があり思うように歩けなかった。この永遠と続くような味気ない国道に出た途端、もう歩きたくないと足がわがままを言い出す。

しかし、1日に数本のバスはもう午前中はないので歩くしかない。何度も休憩しながら歩いた。

 



Cimg0456スルメの満艦飾に、あぁ~見事だと眺め・・・・

 

Cimg0457犬に吠えられ・・・・(左の犬はすごい剣幕で吠えた。)  


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良心市の2本入りの大根が100円の安さに驚いたり・・・・足の痛みをだましだまし1時間ほど歩いた。車もほとんど通らない国道321号だった。

(すねの痛みを帰宅後調べたら「シンスプリント」という症状に似ていた)

 

 

Cimg0501そんなとき1台の車が止まった。正直なところ「車に乗りませんか?」を少し期待したけれど、幸か不幸かジヨーキョーソードリンクのお接待だけだった。悩む手間が省けたと強がる。歩き遍路の意地というものかな?

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その車を見送ったとき目に入った看板には「道の駅大月まで1㎞」とあった。あともう少しだよと足をなだめてやる。

 

 

Cimg0460やっとのことで道の駅大月のヘンロ小屋に着く。歩き遍路にとって道の駅やヘンロ小屋やコンビニは貴重な存在。土佐清水以来のオアシスにほっとする。

 

姫ノ井からここまでの4.5㎞に1時間半もかかっている。宿毛まで無理と感じながらも自分に課したここまで頑張って歩いてきた。 自分を解放する場所として、ここが最適と判断し、区切ることにした。

 

Cimg0467 そう決めたらあとは観光。道の駅を物色する。左160円 右250円で仕入れたお弁当。品ぞろえが豊富でこの地域のスーパーのようだった。

Cimg0470お土産を買ったレジ横にあったコレ↑ 次回計画の参考にするつもりでもらう。

 

Cimg046912:07発宿毛行きのバス[E:bus]が来るまで、今回の行程が凝縮されたこの看板を眺めて待つ。最後の歩きはいささか苦しんだけど、楽しかった感慨にふけるにはいい地図だった。

2009年10月立山室堂から称名滝縦走のとき、ここ幡多から車で来たゴージャスにも劔・三山・大日をやったというパーティに出逢ったことを思い出したりもした。彼らは幡多のどこなんだろう?今ならもう少し共通の話題があったのにと思いながらバスを待った。

 

Cimg0478私が歩くはずだった道をずっとバスは走った[E:bus][E:dash]。そこは予想通りやめてよかったと思う山あいの微妙な登りが続く道のりだった。やがて宿毛湾沿いに出ると気持ちが一変する景色となる。ここは「だるま夕日」が有名らしい。それを見る機会は私にあるだろうか。

 

Cimg0479歩いて渡るはずだった松田川大橋が見えたとき、年甲斐もなく無理な計画を立てたものだと呆れた。これでは、お遍路に呼ばれて当たり前。

 


 

Cimg048014㎞の道のりを30分で走るバスに揺られ、海抜2.1mにある宿毛駅に移動した。歩きだったら休憩時間を含め3~4時間かかることを考えると、歩き遍路は暇人がすることだと思わないでもない。 

 

そういえばこの宿毛駅、特急列車が停止せず駅構内に衝突する事故が2005年にあった。あれから10年早いものです。

 

 
Cimg0492宿毛駅12:50発の電車に乗って高知に出る。

 

Cimg0481左)みはら号 右)大月号

 

Cimg0483高知行きの青い大月号に乗車すると、月山神社への遍路道にぶら下げてあったのと同じヘンロ札が窓上部に掲示してあった。あのヘンロ札があったおかげで迷わず歩けたし、何より心強かった。 

 

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中村駅に着くとアンパンマン号が停車していた。また暇人になってアンパン号に乗ってみよ~っと。

 

 
Cimg0490中村駅を過ぎると、4日前に歩いた道をいとも簡単に巻き戻していく。

 

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この拳ノ川沿いを歩いたこともはっきり覚えているだけに、この速さはむなしくもあった。

 

 
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窪川駅から大月まで歩いた135㎞はあっという間に巻き戻され、ふりだしに戻った。 

 

 

Cimg0560宿毛駅から2時間10分で高知駅に到着。今回大いに活用した青パスポートを赤に更新する。

Cimg0503そして高知駅に隣接する広場で、NHK大河ドラマの龍馬伝で使用したセットを見学する。パスポート提示で割引料金となる。

Cimg0508階段を上がったところにあるという設定だった龍馬の部屋を見る。乙女ねーやんが脱藩する龍馬の着物を繕うシーンを思い出す。土佐高知は歴史上の人物が多くて本当に興味深い。今は中浜万次郎の大河ドラマを期待している。

 

 

 

Cimg0559次は、「龍馬が生まれた町記念館」へ。

 

 

Cimg0514はりまや橋で電車を乗換え、龍馬が生まれ育った上町へ。

 

Cimg0516まっことよう来たねぇ。ゆっくり見とうせ・・・と出迎えられる。

 

Cimg0519 龍馬は可愛がられて育ったことが伺える。 

 

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乙女ねーやんあっての龍馬と思う人は少なくないだろう。

 

 

Cimg0537[坂本龍馬誕生の地」という記念碑を見た頃には、すっかり暗くなっていた。

 

 

アレアレ?足が痛いのはどうなったのかな?と思うほど高知駅に出てから歩き回った。言い訳のようだけど、午前中痛かったのは確かなことで・・・・。

 

この日は、高知駅20:10発の夜行バス[E:bus]で名古屋に帰った。久しぶりの夜行バスを試してみたというわけ。乗り換えることなく眠っている間に自宅近くまで移動できるのが私にとっては何より便利。よく眠れたので、大げさにいえば瞬間移動。

 

しかし名古屋駅で下車してからの足の具合は、気が緩んだせいか最高潮に達し10歩と歩けないほどツライものだった。タクシーを拾って自宅へ。

 

 

Cimg0542留守中に届いた還暦祝いのプリザードフラワーが私を出迎えてくれた。赤いチャンチャンコでなく赤いバラとは粋です。

 

 

その後、足はしばらく痛かったけれど、幸いにも病院にかかることなく日にち薬で治りました。その後、山にも入りましたが大丈夫でした。

しかし、今回の還暦祝い&安産祈願の遍路旅は、いささか年寄りの冷や水だったようで反省点がないわけではありません。「思い通り歩けなかった」を体験しましたからね。

 

あっそうそう。「山は逃げていかない」と言う例えがありますが、我々の年代になると次の機会を待ってるうちに、びっくりするくらい体力は逃げて(落ちて)いきます。なのに、若いころのハードな山行が忘れられずジレンマに陥るのです。こういったジレンマに折り合い点を見つける時期が還暦という節目なのかなぁ~とお粗末ながら感じた次第です。

 

長い時間を要しましたが、私を今一度せんたくした記録は、とりあえずこれにて完成とします。お終い。

 

 

 

私を今一度せんたくいたし申候  5日目その3

Cimg0385 スイセンに導かれ月山神社を目指す。

 

Cimg0386あっ!スルメ!と思ったら大根だった。

 

Cimg0387ここから墓地に向かって登っていく。

 

 

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Cimg0389道しるべに沿って山道に入る。

 


Cimg0391近くの大月小学校児童のプレートがたくさんあって元気つけられる。

 
Cimg0393山道を歩くこと小一時間で車道に出る。その車道をほんの少し登ると月山神社だった。思ったより簡単に着いたのでホッとする。

 

 
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月山神社は四国八十八ヶ所霊場の番外札所。サンゴ名産地である大月町一帯の護り神と案内されている。小才角を通ってきたからその意味がよく理解できた。

 

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大師堂には天井絵があった。貴重なものなので柵で保護されている。香我美町の絵金や河田小龍などの絵がこのような形で残されているとは意外だった。

 

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大師堂の隣の崖の上にご神体の月形の石がある。もう足がクタクタだったので登る気力もなく下から見上げる。今朝見た化石漣痕がここに使われているそうだけど、どれかわからない。

 

Cimg0556犬の散歩に出かけられる宮司さんに運良く出会え御朱印をいただく。
「あなたひとりで?山道を歩いてきたの?もう日が暮れるから気をつけて!」と宮司さんは呆れたように仰った。反省しないでもないお言葉だった。

鎌大師の手束妙絹さん(2003年4月30日)と月山神社が並んで、ちょっとニンマリ。(手束さんは2011年に亡くなられたそうです) 

 

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4:00頃、月山神社をあとにする。もう足はクタクタだけど、ここで音を上げるわけにいかない。

 

 

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Cimg0406ザブ~ン・ザブ~ンという波の音を聞きながら、重い足を引きずる。

Cimg0407道しるべに従い歩く歩く歩く。何かに守られながら歩く歩く歩く。

Cimg0408月山神社から30分ほどで赤泊に出た。ゴロゴロ石に足を取られながら待望の景色を眺める。「なんで私はこういう所に来たがるのだろう?」・・・・そう海に問うてみる。「あなたを呼んだんだよ」・・・・・という妄想にふける。 

 

今日の目的地は携帯電話がつながる4㎞先。そこから宿に電話して迎えに来てもらうことになっている。今から4㎞はきつい。

ダメもとで赤泊から宿に電話してみたら、電波状況は良くないけれど、宿の人の「赤泊に迎えに行くから絶対そこを動かないで!」という言葉は聞き取れた。やっぱり私は何かに守られていると感じた。この5日間で顔なじみとなった土佐の海が私を助けてくれたのかもしれないと妄想はどんどん展開していく。

 

 

Cimg0417 忘れられない赤泊の夕陽となった。

 

 

Cimg0419宿まで『ベルリーフ大月』の車に乗り、夕陽ショーを堪能した。

 

Cimg0422部屋からもまだ夕陽が眺められた。 素晴らしい景色に暖かいベッド。このシチュエーションに酔った。

 

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自分の足をようやく解放。ありがとう・よく頑張ってくれたねと揉みほぐしてやる。

 

Cimg0426そして据え膳の夕食。贅沢この上なし。

 

 

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道中で見た『ウツボ』の天ぷらにもありつけた。何もかもが私を喜ばせてくれた。

 

Cimg0429龍馬パスポート提示で、食後のコーヒーをいただく。至れり尽くせり。

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宿泊は2つスタンプが押される。 

 

Cimg0549小才角の桃色珊瑚の話に痛く感動したので、サンゴをお土産に買い求める。サンゴを見るたびに土佐の海を思い出すことでしょう。

 

今日は46,944歩 33㎞ いささか足が痛い。年甲斐もなく頑張りすぎました。

明日は最終日。

 

 

 


私を今一度せんたくいたし申候  5日目その2

落窪の化石漣痕から生還後、本線の国道321号に戻る。 

Cimg0316『道の駅めじかの里』で一服

 

Cimg0557 『龍馬パスポート』にスタンプ欲しさにお土産など買う。(右下の青いスタンプ)

 

 

 

Cimg0319国道沿いの馬に「お~い!」と声をかけたら、小屋からおじいさんが[E:sign02]という顔して出てきたのでびっくり。話し相手がいないから馬に話しかけたんだけど、おじいさんはそんなことわかんないだろうね。

お馬の親子は[E:notes]仲良しこよし[E:notes]いつでも仲良く[E:notes]ポックリポックリ歩く[E:notes]

 

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Map 竜串には、弘法大師も見残したという絶景地があって観光地となっている。

 

Cimg0322弘法大師が見残したという景色は畏れ多くて見られないのでパス。なんていうのはウソ。本当のところは、まだ20㎞も歩かなければいけないから寄っている時間がない。お大師様もきっと先を急がれたのでしょうね。

 

見残しにちょっぴり後ろ髪惹かれていたら、ひとりの男性に声を掛けられた。
「お遍路さん、道間違えてない?」と。「月山経由で宿毛に出ます」と答えたら「こっちのコースは来る人少ないけんね」と労ってくれ・・・・

 

Cimg0324ホットコーヒーのペットボトルを2本もお接待してくださった。 聞けば、『極道の妻たち』の家田荘子の専属タクシー運転手だとか。気前がいい運転手さんだった。お接待もだけど、こういう声掛けは本当に嬉しい。

 

 

 

 

Cimg0327海は穏やかでキラキラしている。この景色の中を幸せな気持ちで歩いた。

 

 

Cimg0329『下川口トンネル』を皮切りに、この先国道321号はトンネルが続く。

 

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2つ目は『片粕トンネル』  入口には『竣工1984年8月 延長982m・・・』とある。

Cimg0334 その『片粕トンネル』の出口からもう次の『歯朶裏トンネル』が見える。

 

Cimg0335この地域にトンネルが出来るまでは、道は整備されておらず人が住めるところでなかったはず。その名残で今でも人家はほとんどない。お大師様はどうやってこの道を歩いたのだろう?たった30年前でさえ、この道を行くのは難儀だったはずなのに。

 

 Cimg03393つ目の『歯朶浦トンネル』 『しだのうら』と読む。

 

Cimg0341『歯朶浦トンネル』 を出たところにある『小才角6㎞』の標識。しばらく海岸沿いを歩く。 

 

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『貝ノ川バス停』で今朝宿でもらったお接待のおにぎりをいただく。ひとつづつサランラップに包んであるので食べやすい。女将さんの心遣いがうれしい。
野宿遍路は、こういうバス停を一夜の宿とするらしい。

 

 

 

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4つ目の『貝ノ川トンネル』に入る。

 

 

Cimg0348『貝ノ川トンネル』を出ると、波しぶきなのか細かい雨が降っていた。

ここで長男から応援電話が入る。そうか今日は土曜日なんだと気付く。しばらく話しながら歩いた。

行く手に見える高下駄を履かせたような道はいささかゲンナリ。昔の出雲大社の長い階段を想像する。 それにしてもよくもまぁ~ここに道を作ったものだ・・・とブツブツ言いながら強風のなかを歩いた。

 

 

Cimg0349高下駄の道を登り切ると『叶崎カナエザキ』が目の前にど~んと全景を現した。切り立った断崖が連なる見事な景色で、さすが『西の足摺岬』といわれるだけある。

 

 

 

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5つ目の『叶崎トンネル』前を
左に入り岬の先端へ。

 


Cimg0357何でも「叶崎海岸を見ずして土佐風景を見たとはいえない」とある御方が言ったそうだ。うなずける。

 

岬の突端には、ふたつ歌碑があった。

 

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左)吉井勇の歌碑(後ろは断崖絶壁の海)

  土佐ぶみにまづしるすらくこの日われ
                  うれしきかもよ叶崎見つ

吉井勇に詳しくないけれど、京都祇園に歌碑があることは何故か知っていた。あの花街とは正反対の最果ての地にぽつ~んと立つこの歌碑に興味がわいた。

調べてみたら山頭火のように女と酒に溺れ3年ばかり高知県香美市にいたらしい。その時に叶崎に訪れたのでしょうか。旧道があったにしてもトンネルはなかったはず。難儀しただけに、「この日われうれしきかもよ」だったのでしょうね。歩き遍路の私も叶崎を目にして嬉しかったもの。

それともうひとつ。『いのち短し[E:notes]
恋せよ乙[E:notes]』」のフレーズで有名な『ゴンドラの唄』を作詞した人だともわかった。知識が増えた。
 
 
 
 
右)野口雨情の歌碑

        叶崎で波の音聞いた
                波が
碆打つ音聞いた

ザブ~ン・ザブ~ンという波の音をうたったのですね。わかりやすい。

 

Cimg0356東屋でホームレス遍路らしきがテントを張っていたので、神社がある高台へは怖くて登らなかった。だってここは最果ての地ですよ。サスペンスドラマのように身ぐるみ剥がれ海にドボンとされたら困りますからね。

 

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灯台は鍵がしてあって登れなかった。この上から景色を眺めたらきっと絶景!なはず。ちなみに現役の灯台です。

 

 

Cimg0364 叶崎を後にしてからも、何度も振り向き眺めた。登れなかった灯台のその奥に大きな船がゆっくり進んでいた。

 

 

 

 

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『叶大橋』という高い所に掛けられた橋を渡る。トビウオとカツオでしょうか。活きの良さはさすが土佐。

 

 

Cimg03716つ目の『脇の川トンネル』を歩いていたら、トンネル入り口バス停13:23発のバスが私を追い越していった。1日に数本しか走らない貴重なバスで、雨だったらここでエスケープするつもりだった。乗ったかもしれないバス、乗らずにすんだバスを見送った。

 

Cimg0372やっと大月町に入ると・・・・

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人家がわずかにあった。スルメで生計を立てているようだ。

 

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ここ小才角はサンゴ発祥の地だった。ここの集落はその昔サンゴで賑わった名残なのかもしれないと思った。

 

Cimg0378サンゴを持ったこの少女像は海に向かって立っていた。悲しい物語があったという。

 

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お月さんももいろ だれがいうた あまがいうた あまのくちひきさけ 

 

 

Cimg0382今日の目的地まであと9㎞。とりあえずあの岬を目指して歩く歩く歩く。

 


 

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ここから遍路道に入る。もう2:30。今から山に入って大丈夫かなぁ~

                                    つづく

 

 

 

 

私を今一度せんたくいたし申候  5日目その1

平成27年1月17日(土)

Cimg0283さすが遍路宿。私の出立に合わせ6:00に朝食を用意してくださった。 しっかり朝食をいただく。土佐清水市特有なのか、味付けは甘め。

朝食後、宿代を支払う。1泊2食+お接待のおにぎり(写真右上)つきで6000円。12年前に歩き始めたころでも6000円というのは数少なかったのに・・・。良心的な宿だった。

 

Cimg0284部屋はこんな感じ。一般的な遍路宿。

6:40民宿はやかわ出発。まだ薄暗いなか、女将さんに見送られ元気に歩き出す。

昨日までの県道27号は土佐清水市で終わり、この先は国道321号(サニー道路)となる。宿毛まで321号は続く。

 

Cimg0286清水高校を過ぎ、あしずり港をぐるっとまわると朝日が昇リ始めた。今日も一日歩く幸せを感じる。

 


 

Cimg0290突然目の前にコレが現れたときは驚いた。ゲッ!何コレ!ヒョウ柄に腰が引けた。 凧のように竹ひごが張ってある。 看板にウツボと書かれているからウツボ?私は食べたことも見たこともないからびっくりした。ウツボは『海のギャング』で高級食材だそうだ。

 

 

 

Cimg0293今日は土曜日。朝練と思しき野球部の生徒たちとすれ違う。しばらく歩くと地図上の養老小学校があったので、さっきの野球部はここの生徒だと思ったら、その学校の門には『老人ホームあんきな家』と看板があがっていた。ここまで歩いて来る間に、廃校になった学校をいくつか見てきた。ここもかと残念に思った。

 

 

Cimg0295松崎海岸案内板から海の景色が素晴らしい

 

Cimg0299化石漣痕とは、昭和21年の地震で海底の凸凹が隆起したもので、国の天然記念物指定と案内板に書かれている。

 

Cimg0303その化石漣痕はコレ。まるで洗濯板のよう。左上に写る尖った島は水島。

 

Cimg0304バス停に『開墾地』とあるから、このあたりは開墾された地域なのかな?海に落ちる斜面は果樹園となっていた。


 Cimg0879化石漣痕に降りてみたくなる。あたりをつけて坂道を降りたら上手く化石漣痕に着いた。

 

 

Cimg0305ここから海岸2㎞は遍路道ではないけれど、潮が引いているので歩くことにした。Cimg0309
潮がひいたあとの岩についた藻が鮮やかで綺麗。満潮のときはここまで水がくることがわかる。

 

Cimg0311またここでも波灌頂をした。波が消してくれるのはずいぶん先になるけれど、まぁいいや。

 

Cimg0551
死んだサンゴや珍しい貝殻を拾ったりして楽しく歩いた。

Cimg0314

30分も歩いた頃、猛烈な向かい風になってきた。私の笠は12年前のものなので今にも破れそう。必死で笠を押さえながら歩く。

ここで津波が来たら、海に落ち込む崖には這い上がれないので逃げ場がない。車道からここは見えないし・・・・・そんなことを考えていたら急に怖くなって、早くこの場を離れないとマズイと思った。足場の悪い中を必死に歩いた。

 

 

Cimg0315海岸の最後は益野川に突き当る。さてどうやって川を遡るか?草むらを突き進んだ。橋が見えた時、この世に戻ってきた感じがしてほっとした。

 

ビビったからか、今日は寒い。                    つづく

 

私を今一度せんたくいたし申候  4日目その3

平成27年1月16日(金) その3

 

ヘンロ小屋20号からまた県道27号を歩く。ちなみに、この県道27号は今朝歩き出した以布利から始まっている。ときどき遍路道に逸れるけれど、大方27号を歩いてここまで来た。

 

 

Cimg0250今までにない大規模な『良心市』。ちょっとした八百屋さんの規模。無人で成り立っているのがいい。

主婦目線で品定めをしていると、超高齢のおばあさんが手押し車で商品を運んできた。自分の棚?に商品を並べる様子をじっと見ていたら、4~5個入っているブンタンの袋からひとつ取り出して私に下さった。(私の目線が物欲しげに写ったかな?)ありがたくお接待をいただく。残念ながら会話は一言二言で続かなかった。納め札を渡してお礼を述べる。


 

 

Cimg0251 お接待のブンタンはこれ! ずっしりと重い。私の誕生日プレゼントとした。サンキュ~!

 

Cimg0252県道27号を右にわけ岬の方に降りていく。すると神社に『松尾のアコウ』という大木があった。絞め殺し特有の気根がたくさん出ている。案内板に『大正13年・国の天然記念物に指定、樹齢300年』とある。貴重なもののようだ。このあたりは黒潮があたる地域ということで、アコウの種が南国から運ばれ 多く自生しているらしい。

 

 

さて今回のミッションを果たす場所が近くなる。通り過ぎないように慎重に歩いていると、運良く郵便配達のバイクが通りかかったので念の為に尋ねた。

「女の城と書く女城神社に行きたいのですが・・・・」すると「さぁ~聞いたことがない」とのたまう。え~!このあたりのことなのに知らないなんて郵便配達員?

「では女城鼻はどのあたりですか?」「さぁ~」。救いの神と思ったのに役に立たなかった。

 

幸いにして地元の人から『どんぐり』という喫茶店を左に入るという情報を得た。そのどんぐりを左に折れ、さらに岬に向かって降りていく。しかしそれらしきものはない。さて?不安ながら先に進むと、車庫の掃除をしている男性に出逢った。

「あのぉ~このあたりに安産の・・・」最後まで言うまえにわかってくださり「こっち!こっち!」と教えてくださった。「お参りするの?だったら鍵を持ってくるけど」と。「宮司さんですか?」「いや、地域で守っている」とのことだった。

 

Cimg0254その男性について赤い鳥居をくぐると・・・・

Mejihana04木が生茂った女城鼻の先端に女城神社はあった。鳥居と社以外何もない無人の神社だった。

 

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社の鍵を開けてもらったので、中に上がってお参りさせてもらう。
右には男の子用の幟、左には女の子用の毬が奉納されていた。それらを持って帰ることもでき、無事生まれたら2個にして返すのがここの習わしらしい。

「持って帰ってもいいですよ」と勧められたけれど、お礼参りに来れないだろうし、お遍路が幟や毬を持ってこの先歩くのも何だからと辞退する。

Cimg0630 その後、2月23日に初孫が授かった。お陰で安産だったようだ。私と同じ『乙未きのとひつじ)』生まれの女児。

 

 

Cimg0255案内して下さった男性が、北に位置する『臼碆(うすばえ)』の景色を見せてくれた。素晴らしいので寄るといいと教えてもらったけれど、今回は時間的余裕がないのでとても寄れない。残念に思った。このあたりはまた訪れるに値する地域だと感じた。

 

女城の読み方は『メジ』・『メギ』・『メジロ』と、読み方が色いろあるという。そんな話を聞いていたら『メジロ(鳥)』がたくさん飛び交っていた。『メジロジンジャだ』とメジロが教えてくれているようだった。厳寒の1月なのにまるで春のような暖かな日だった。

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納め札を渡し、お礼を述べお別れした。そうそうこの男性は数年前に定年でここに戻って見えたとか。そして4月に二人目の孫が生まれるとおっしゃっていた。いい出逢いだった。

 

足摺岬で還暦を迎え、安産祈願もできた。今回のお遍路は満足この上なし。

 


 

Cimg0256鰹節?にしては小さいものが干されていた。猫が来ないかな?

 

Cimg0257県道27号に戻ったけれど、またすぐに逸れて遍路道に入る。登道はきつかった。山中の車道に出たところでブンタンを食べながら休憩。その車道は県道27号に繋がっていた。

 

Cimg02601時間近く山中をウロウロしていたので、広くて青い海に出たら開放感にホッとする。海と山と空しかないなかを歩く歩く歩く。

遠くに見える白い建物からまた県道を逸れて『ジョン万の生地の中浜』に入っていく。

 

Cimg0262振り返ると、山中を超えてきた臼碆の岬が美しい。この臼碆の向こう側は日本で一番最初に黒潮が接岸するといわれている松尾海岸

中腹に見える白い建物は『民宿夕日』。その名の通り、天気さえ良ければ夕日は素晴らしいでしょうね。

 

Cimg0265逆打ち用道標と臼碆の岬。

 

Cimg0267中浜の町に入ると第二次世界大戦防空壕があった。興味深いけれど奥深くて入る勇気はない。入り口からのぞくだけ。

ほどなく中浜小学校。ジョン万を称える児童の作品が微笑ましい。

 

 

Cimg0268そして『中浜万次郎記念碑』があって・・・・

 

Cimg0269堤防の大段幕(ペイント)に迎え入れられる。町あげてジョン万を誇りに思っている様子が伺える。

 

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道幅1mもない細い路地に入っていくと住宅が密集している。 洗濯物のように大根を干す工夫がおもしろい。 

 

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さらに進むと、案内板通りジョン万の生家(復元)があった。

 

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ジョン万が大河ドラマになるといいなぁ~と密かに期待している。
 
 
中浜は海と山に挟まれた1㎞程の小さい町だった。その裏山に入り中浜を後にする。きつい坂道を登ると墓地。そこでお腹がすいたのでザックをゴソゴソと探って、名古屋から持ってきた最後のひとつの小布施羊羹を食べる。大好物。
 
  
山中20分ほど登ると県道27号に出る。右を指すヘンロシールに従うと前方に青い橋が見えた。ヤレヤレ。これを渡れば清水港に出られると喜んだ。すると橋手前で左に入るヘンロ道の道標が。どうしようかと迷ったけれど真面目に遍路道に入った。
(安易にこの青い橋を渡っていたら大浜に逆戻り。渡らなくてよかった) 
 
 

その遍路道は甘くなかった。まずは想像以上に降ることにまず不安を覚えた。たまに『へんろみち』というプレートがあるので道間違えでないけれど、ザブ~ンと聞こえる波の音がなぜか反対から聞こえてくる。何で?何で? 終いには反対方向に向かっているのではないか?という不安にさいなまれた。どこでもいいから人に出逢える下界に降りたい一心で猛スピードで山中をかっとばす。不安だらけの長い道のりだった。

 
山から降りたところは海が見える『厚生町』というところだった。すっかり冷静さをなくしていた私は進む方向がわからないまま左に折れた。数分で反対のような気がしたので戻り、釣り道具屋さんで道を尋ねる。

 

反対に歩き続けたらジョン万の中浜より向こうの大浜に戻るところだった。この日は中浜を過ぎてから地図が読めず、危うく罠にかかるところだった。事なきを得てよかった。
 
 
 

 

Cimg0278清水港をぐるりと回りこんだところにある『足摺黒潮市場』に辿り着く。

考えてみたら今日はろくにごはんを食べていない。コンビニも食堂もないところを歩いてきたので、朝食用のおにぎり2個と中浜で買ったポカリと行動食以外口にしていない。無理をしてしまった。もっとも水分の類は足りていたけれど。

 

 Cimg02794:30 足摺黒潮市場で仕入れた清水のサバ寿司をほおばる。晩御飯食べられなくなるなと思ったけれど、空腹の余りペロリと完食。

 

清水はコンビニ・スーパー・銀行・喫茶店・病院が揃う大きな町だった。今回歩き始めた37番岩本寺がある窪川以来の町だった。

 

Cimg02814:45 今宿『民宿はやかわ』に着。年配女性ふたり(多分姉妹)で切り盛りする家庭的な宿だった。風呂に案内され、なみなみとある湯船にザブ~ンと浸かる。

 

Cimg0282ここは食堂もやっているようで、地元の常連さんと夕飯を共にした。夕飯は品数が多かった。4:30頃に焼きサバ寿司を食べたので、そうは食べられない。手前の豆腐と焼き魚は手をつけず奥の3品を頂いた。今になって思うと、この焼き魚ウマそう!おしいことした。

 

M_ashizuri
今日は地図右端の『・今朝の出発点』から『38番金剛福寺』を打って、『・清水』までぐるりと足摺岬を回ったことになる。今朝の宿から347号を西に歩いてきたら1時間もかからず清水港に出られるのにずいぶん大回りした感じがしないでもない。まだまだこの先西海岸は長い。

今日は [E:shoe][E:shoe] 42654歩 25㎞。 目的達成できた充実した1日でした。

私を今一度せんたくいたし申候  4日目その2

平成27年1月16日(金) その2

やっとのことで足摺岬エリアに辿り着いた。

Cimg0209_2案内図の現在地(左端)から遊歩道をしばらく行くと・・・・・

 

Cimg0210天狗の鼻を捉えた。来たよ!来たよ!来たよ!と興奮して声が出る。岬越しに見える海がキラキラ光っている。天気晴朗波穏やかなり。この上ない日和だった。

Cimg0212椿のトンネルをくぐリ先へ進む。期待した椿の花は咲いていなかったけれど、そんなことはどうでもいい。ここに到着できたことだけで十分なのだ。

一刻も早く展望台に立ちたくて気持ちが急く。そんな時、メールの着信音が私の足を止めた。

 

[E:mailto]
祝・還暦おめでとう。
相変わらずプレゼントは何も用意していないからメールでも送ります。
・・・中略・・・無事に家に着くまでが遠足(遍路)ですよ。風邪引かないくらいに無理して下さい。 千葉のジョン万次郎より

 


満60歳の誕生日にあわせてお遍路とは私らしいという内容だった。まるで私の行動を見ているかのようなグットタイミングのメールだったので、この先でサプライズ(家族や友達が待っていて祝ってくれるとか・・・)でもあるのかな?なんて思うものだった。そんな妄想は楽しかった。

 

Cimg0228待望の展望台に上がると、ザ・オープン ビュ~!絶景に迎えられた。
まっこと穏やかな日和で、贅沢にも貸し切り。
誰かのはからいを感じ予想外のサプライズだった。願ったり叶ったりで幸せだった。

この地の涯に立つのは、48歳50歳 そして今回で3度目。1度目はここを折り返した。2度目は車遍路、今回はここを通過する。

 

誰も居ないので、大声で叫んでみたかったけれど、やはりできなかった。
「お陰様で60になった私です。この先、命あるかぎり私を導き見守って下さい」と誰に願うわけでもなく海に向かって手を合わせた。私を快く迎え入れてくれたこの景色は本当に心和むものだった。

Cimg0227

展望台から数分のところにある、ホンモノのジョン万次郎像に「千葉のジョン万次郎って知っとりゃ~すかね?」と問うてみる。「ほ~!千葉にもおるがか?ちなみにどこの国にいっちょった?」 「○○とか××とかで、今は千葉で根を生やしとるがね~」と名古屋弁×土佐弁風の勝手なおしゃべりを楽しむ。

何せ人口密度がかなり低い地域に4日もいると人恋しくもなる。ジョン万次郎像は私の気持ちを察して相手になってくれた。と勝手に思ったのであります。


 

                   金剛福寺境内
38番札所・金剛福寺はここ足摺岬にある。山門の金剛力士像に一礼して境内に進む。本堂と大師堂で『健康で60歳を迎えたことのお礼』と『嫁の安産祈願』をする。

それにしても、境内は綺麗になっていたので驚いた。参拝者はゼロで貸し切り状態。お掃除をしていた女性が「ようお参り!」と声を掛けてくれたのは嬉しかった。「綺麗になりましたね」としばらく話す。

 

Cimg0553納経帳に2度目の重ね印をいただく。初日37番で重ね印をいただいてから4日目。ここまで80㎞強を歩いたことになる。

 

納経所の横にある休憩所で、朝飯用のおにぎりを食べる。食べながら変わった宿だったことを思い出す。アレも今となってはいい思い出。

 

Cimg054338番でお守りをたくさん買い求めたら手ぬぐいを下さった。というかお接待かな?

自分用に厄払い、夫には健康祈願、長男夫婦には夫婦御守、二男夫婦には安産祈願と交通安全、母親には足腰健康御守。家族安泰の願いを込めてたくさん買い占めた。

 Cimg0233こうして四国最南端の38番を打ち終え、足摺岬の西海岸へと向かう。

 


 

Cimg023738番を出て15分ほどのところにある白山洞門まで長い階段で降りる。波の侵食で見事な穴が開いている。波による洞門では日本一らしい。そういえば室戸岬の東側にもこんなのあったことを思い出す。

 

Img_0031この写真は室戸岬のえびす洞。これもかなり大きいと思ったけれど足摺のほうが大きいとは・・・。確かに足摺のほうが高さはあるかな?室戸も足摺も岬が飛び出ているので、波が猛烈に当たってこうなるようだ。2006年11月4日に撮影とある。懐かしい。

Cimg055438番の記念スタンプは白山洞門になっている。

Cimg0239足摺岬の展望台から見下ろした海まで下りたのは楽しかった。

 

 

Cimg0244太陽に背中を押され、影に導かれ先に進む。

 

Cimg0245ヘンロ小屋20号は通過しようと思ったけれど、せっかくだから一服した。

 Cimg0247するとここで『トオルマの夕日』が見られるという看板を見つけた。ググってみたら絶景!だった。自然現象は人間を感動させたりおもしろがらせる。今日は寂しいくらい静かだけれど、その日はお祭り騒ぎに違いない。

Cimg0249この景色の中に太陽が沈むらしい。

 

今日はどこまで行くのやら?

                                  つづく

 

 

私を今一度せんたくいたし申候  4日目その1

平成27年1月16日(金) 

6:30起床。身支度を整え、朝食なしなので出立の準備をする。
(ここの宿の朝食は8時から。それでは出発が8時半を過ぎる。お遍路は早出)

玄関先で「お世話になりました~!」と何度声をかけても昨日と同じく応答がない。仕方がないので一人寂しく宿を出る。まったく変わった宿だった。 

7:00 愛想なしの民宿紆海を出発。


今回のお遍路の目的はいくつかあるけど、そのひとつ「足摺岬で還暦を迎える」を達成する日がとうとう来た。標準を足摺岬にあわせるのは難しかったけれどここまで来ると嬉しくて足取りが軽い。

人も車も通らない波の音だけのなか「ハピバ~スデーツ~ユ~!ハピバ~スデーカンレキ~!」大きな声で歌いながら歩く歩く歩く。

ね・うし・とら・う・たつ・み・・・・の十二支で言えば私は未年の生まれである。

干支には、十二支以外に甲・乙・丙・丁・・・・・の十干を組み合わせたものがあると学校で習った。その十干(10)と十二支(12)の最小公倍数である60年で干支が一巡し、生まれたときの干支に戻る。それが還暦という授業だった。

今年の干支は「乙未(きのとひつじ)」。本当に自分の生まれた年もそうだろうかとググってみたら、その通りだった。高1のとき、母方の祖父が還暦を迎え、赤いちゃんちゃんこに赤い頭巾でお祝いをした思い出があるけれど、自分もそんな年齢になったのかと思うと感慨深い。

 

 

Cimg0186 歩き始めて30分ほどしたとき、後ろを振り向くと「大岐の浜」の白浜が綺麗に見えた。楽しく遊んだのは昨日のことなのに、なぜだか遠い過去のことのように思えるのは何故だろう。

 

 

Cimg0187 窪津・定置網観光という看板。沖を見ると二艘の船が浮かんでいる。定置網を仕掛けているのだろうか?

 

Cimg0190 イワシ? びっくりするぐらいの量だった。

 


Cimg0193 ほら見て!イワシがぎっしりつまった棚がズラリ。定置網ならではの漁獲量に驚く。日と潮風に当ててからどうするのかな?

 


Cimg0194 窪津漁港を通り過ぎる。

 

Cimg0197 Cimg0196
ここの景色は懐かしい。1巡目の12年前、左側のガソリンスタンドでトイレを借りた。そして突き当りのお店で鰹節など海産物とブンタンを買って自宅に送ったっけ。(当時の遍路地図を見たらこのことが書き込まれていた)

そのお店の右側の遍路道(山道)に今回は進む。1巡目のときこの遍路道は工事中だったので左の車道を歩いた。

 

Cimg0198
その遍路道の取り付きは急登で息が切れたが直に高台に着いた。木が邪魔しているけれど窪津漁港が見下ろせる。「◯◯漁船が帰りました」というアナウンスにあの船だなと目で追う。

お地蔵さんと石碑にスイセンが一輪づつ手向けてあった。右側の石碑の内容はわからないけれど最後に「母」の字がある。母親が子を想う石碑ではないかと想像する。

その高台にある畑を通り過ぎると車道に下りる道となる。わずか15分ほどの遍路道だった。そして窪津小学校を通り過ぎる。しばらく海が見えない道を歩いた。

 

Cimg0200 Cimg0201

Cimg0202
1巡目のときにはなかったヘンロ小屋。勝手に中を見学する。生活できそうなくらい最低限の設備が整っているので、助かったお遍路さんも多かろう。その証拠に壁にはびっしり納め札が貼ってある。

 


 

Cimg0203 Cimg0205
バスは一日に5本程度。

 

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人も車も通らない道を歩く歩く歩く。道路脇の壁に生えた苔が日にあたって目に鮮やか。

 

何度か休憩して、とうとう足摺岬エリアに入った。

 

Cimg0209_2

                                            つづく



私を今一度せんたくいたし申候  3日目その2

平成27年1月15日(水) 3日目 その2

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今朝、宿を発って約25㎞。念願の『大岐の浜』にようやくたどり着く。
(まだ宿ではないです)

以前撮ったこの浜での写真は気に入って年賀状などでよく使った。四国88ヶ所をめぐる道(1200㎞)のなかで印象に残る場所は?と尋ねられたら、ここ大岐の浜!と即答するくらい好きな場所である。

 

Cimg0157浜に降りると12年前と変わらない景色が出迎えてくれた。この橋を渡って白浜に出る。 

 

Cimg0162サーファー越しに見える足摺岬は、まだ18㎞も先だけどずいぶん近づいたことが見てわかる。

12年前は久百々から足摺岬を往復したのでここは2度通った。しかし今回は足摺岬から西に回りこむ計画なので、お遍路でここに立ち寄る機会は当分というか、もう多分ない。最後と思って大岐の浜を味わって歩く。

 


 

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「GW頃からアカウミガメが産卵に来ちゅうで、亀が怪我しないようにこうやって穴を掘って流木やゴミを燃やしちゅう。だから、毎年カメが浜を綺麗にしてくれてありがと!ありがと!と泣いてワシに礼を言うがや」と青い服を来た男性が話してくれた。ウミガメ産卵の時に流す涙はお礼の涙だったんだ。

ともあれ、ウミガメ保護の活動には頭が下がった。カメだけでなく遍路も気持よく通れることに御礼を述べた。

  

 

Cimg0170ふと波灌頂をしてみることを思いつく。父の戒名(2000年没)を金剛杖で書き、簡単に般若心経とだけ唱えた。波が戒名を消していくことで供養となるらしい。

 

Cimg0176 寄せては返す波打ち際のキラキラ輝く様をじっと見つめる。炭酸の泡のようにシュワシュワ~と弾ける音も心地よい。

 

Cimg0177お遍路を初めてから知った『洗心』という言葉が思い浮かぶ。もっと深い意味があるのだろうけれど、この波打ち際の景色はまさに『心が洗われる』ものだった。(私を今一度せんたくいたし申候のタイトルに内容が近づいてきたかな?)

日常で溜めに溜めた私の『心の汚れ』が、寄せては返す波によって徐々に沖に流されていく。そう『波灌頂』のように。波打ち際のような『均された心』になりたい。

そう思うだろ?波がそう語りかけてくれたような貴重な時間だった。

 



 

Cimg0172落し物を探しているかのような男性が前から歩いてきた。「何かお探しですか」と声をかけると、小瓶から出した桜貝を私の手のひらにそっと乗せてくれた。景色に夢中だった私は、足元の桜貝に気づかなかった。見渡せば無数の桜貝が帯状に延びていた。

何度来ても新しい発見があって、お遍路は本当におもしろい。

 

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さて、2㎞程の浜のどん詰まり。小川を渡渉するところに行き着く。水が多くて直進は無理なので、渡れそうな所まで遡り、金剛杖の助けを借りて対岸にジャ~ンプ!成功!そして滑らないように崖をへつりながら戻り、県道へ上る目印に「コの字」で無事着。以前より難易度は高かった。この大岐の浜が好きなのは、最後にこのスリル満点の渡渉があるからとも言える。

崖道を這い上がり、ひょこっと県道に出る。この遍路道はやっぱりおもしろい。

Cimg0182県道から大岐の浜を振り返り、「無事クリアーできたねぇ~おもしろかったねぇ~」この独り言を犬の散歩をする女性に聞かれ笑われてしまった。

 

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以布利漁港に降りる急坂は足に堪えた。懐かしい遍路道に入り、また山道を通り県道に上がる。

そして12年前には通らなかった気がする遍路道に入る。この山道が長かった。ホウホウノテイで「お遍路さん休憩所てまり」まで下るとやっと車道に出た。道なりに下ると以布利と土佐清水港を結ぶ347号に出る。足摺岬は左折だけれど今宿に向かうため右折した。

347号沿線は人家もなく車も通らない寂しい道だった。微妙な登り道を15分ほど歩くとぽつん建物が見える。宿かと思ったら葬儀屋という看板が見て取れがっかり。葬儀屋迄来たらその裏が民宿紆海だった。気が付かなかったらもっと先まで歩いていたかもしれないと思うとぞっとした。

 
Cimg01845:00頃、民宿紆海に到着。玄関で何度読んでも誰も出てこない。葬儀屋の裏というだけで不気味さが漂う。お化けどころか人間も出てこない。この近辺では宿はないので困った。大声で呼んでやっと上げてもらえた。ヤレヤレというのか何というのか・・・・。

風呂に入るように案内されたので着替えを持って風呂場に行くと湯が張ってない。昨日とその前は、イタレリツクセリの贅沢をしただけに、この天と地ほどの差は堪えた。

 

Cimg0185民宿なのに夕飯は部屋食だという。食堂がないというわけではないのに何故だろう?テレビはコイン式で100円入れたけど映りが悪い。テレビが古いのか地域的に受信しないのかどちらにしても・・・・。

夕飯が運ばれてきた。文句は言いません。完食しました。

翌日の朝食は時間が遅いので、おにぎりを頼んだ。食後に宿の精算を済ませる。朝食用のおにぎり込で6500円也。

 

50代最後の夜、こんな晩でした。こういうのを修行というのでしょうか?

                                      つづく

                  今日の歩いた距離 32㎞。48366歩

 

私を今一度せんたくいたし申候  3日目その1

平成27年1月15日(木)

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昨日中村駅でもらった化粧水をこの先何日も持って歩くのは嫌だな。四万十の宿でお土産(写真×3件分)を買って、不要なものと一緒に自宅に送る。

 


Cimg01107:00朝食。ゆっくり食べてられないので、干物はかぶりつき卵かけごはんで流し込む。

Cimg0111早くチェックアウトするにはもったいない宿だけど、遍路は早立ちが常。

 

Cimg0112
7:50遅い出発。ひょっとして船が出るかもしれないから、しつこいけれど渡しの船に電話してみた。しかし「シケてるから・・・」という返事だった。あきらめて四万十大橋に向かう。

 

 

Cimg0116四万十大橋を渡るとき笠が飛ばされるほどの突風。これでは船は出れまい。 

Cimg0119 橋を渡り切ってこの階段を降り四万十川右岸を歩く。交通量が多い。すると1台の車がクラクションをプップップッ~と鳴らす。ひょっとして私に?「お遍路さんがんばれよ~」かな?

 

Cimg0120どんよりとした空。これで雨が降ってきたら今日の行程は消化しきれない。

 

Cimg012512年前ここを歩いたときは、雨で下むいて歩いていたからか「大文字山」に気がつかなかった。旧盆の16日には送り火が焚かれるらしい。京都のようですな。(看板の右奥の大の字、わかります?)

Cimg0126菜の花が満開だった。その黄色を前景に大文字を撮る。だんだん空が明るくなってきたので足取りも軽くなる。

 

Cimg0128
伊豆田トンネル前の「今大師寺」を今回はお参りする。

 
Cimg0129そして全長1640mの長~い伊豆田トンネルに突入。今回はマスク着用。

 

Cimg0131トンネル内部は、ずっとチョークで何か書かれている。工事が始まるものと思われる。

 

Cimg0132
今回は真念庵に寄ってみる。この階段を上がり山道を20分ばかり歩くと真念庵だった。いつ頃の話なのか善根宿と聞いているけれど鍵がかかっていた。防火からか、ろうそく・線香台はない。納札入れもない。お賽銭を納め般若心経を唱える。

「車道に出たところで納経できます」という手書きの案内版があったので、帰りは車道に出る。(肝心の真念庵の写真を撮るのは忘れてしまった) 

Cimg0133 残念なことに納経がいただける家はお留守だった。先客のおじいさん(地元の車遍路)とおしゃべりして待ったけれど、そんなに待てないので諦める。おじいさんは、歩きでここまで来たのに納経できない私のことをとっても気の毒がってくれた。その優しい思いは納経(朱印)以上の貴重なものとなった。

Cimg0134真念庵をくるっと1周してドライブイン水車に戻る。真念庵に立ち寄れたことは今回の収穫となった。

 


 

Cimg0137四国を歩いているとよく見る大きな青いミミズ。30㎝はある代物。いるはずもない道路でにょろにょろやっているのに出くわすと、コイツは逃げないのでこちらが飛び上がって避けることになる。今では慣れて直視できるようになったけれど、初めのころは怖くてきゃあ~きゃあ~言って逃げたものだ。干からびてペったんこになってるのも時々見かける。どうして道路に出てくるのか理解できない。とにかく気持ちが悪いヤツ。

 

 

Cimg0139
下ノ加江川にカモの群れが泳ぐ。兎追いしかの山♪小鮒釣りしかの川♪というのはこういう景色を歌っているのだろうか。川面に日があたりキラキラ綺麗。 

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土佐清水市の花「椿」と足摺岬が上手く嵌めこまれたマンホールの蓋。

320px_39209_svg土佐清水市は上の地図の赤いところ。

 

下ノ加江小学校のあたりで70台後半の男性に捕まった。「私はこのあたりで参謀を務めている」を3回も聞かされた。サンボーって軍隊?さらに大病(がん・脳梗塞)抱えているけれど地域に貢献していると自慢気に語るジイさん。そんなの自慢にならんでしょう。そういえば病気でやめたけど床屋さんだといっていた。お遍路を捕まえてはいつもこういう話をしているのだろうな。早々に逃げた。

 

ロッジカメリアという新しい宿を通過すると懐かしい久百々に出る。

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この辺りは12年前に泊まったので懐かしい。当時宿の前で採ったという岩のりが食卓に上ったけれど、この変わり様では宿の前でもう岩のりは採れまい。

このあたりは道路工事が盛んに行われていた。

 

そして今回楽しみにしてきた大岐の浜までとうとう来た。遠くに足摺岬が見える。


この白浜をこの先歩く。

                                        つづく 

Cimg0154