なでしこジャパン 銀メダル
暑中お見舞い
名古屋は連日30℃超えですが、皆さんのところはいかがでしょうか?
我家から西へ行くと堀川が流れてます。そこにかかる『五條橋』を渡ると『円頓寺商店街』。年に一度の七夕祭りを紹介します。おつかいの途中に撮影しました。
某呉服屋さんの七夕飾りは、いつも凝っている。今年は何かと見上げると、名古屋城を背にした牛若丸(義経)と弁慶(鬼若)。
小さいころ、ソノシートだったかレコードだったか忘れてしまったけれど[E:note]京の五条の橋の上~[E:note]という歌をよく聞いた。「キョーのゴジョー」なのに、私は近所の五條橋だとずっと思っていた。(桃太郎も愛知県犬山市に桃太郎神社があるので、ずっとそこが発祥地だと思っていたけど実は岡山だったり。)
某呉服屋さんの七夕飾りを見ながら、名古屋の五條橋なんて・・・・・!と子どもだった頃のことを思い出し苦笑い。
そのうち大河ドラマ『平清盛』で、牛若丸(義経)と弁慶(鬼若)が京の五条の橋の上で出逢うこういうシーンがあるかもなんて想像する。
ドラマでは、義朝は野間(愛知県)で死に、崇徳も讃岐で死んでしまった。それにしてもこの間の大河ドラマ『平清盛』の崇徳上皇、おどろおどろしかったですね。なんと思うままにならぬ・・わが一生よ・・・ 崇徳の怨念話は有名だけど、ちょっとやりすぎな感じがしました。
弥生
年が明け、今年は閏年で1日多いのに気づけばもう弥生。
月日の経つのが早くて仕方がない。これではあっという間に老婆になってしまう気がする。どうしよう。
明日は桃の節句。
いくつになってもお雛様を見ると欲しくなる。さすがに高っかいのは買えないけれど、手頃なミニ雛を見つけたので、我慢できず買ってしまった。かわいい~と眺めております。
ちなみに100均ではないですよ。ちりめんでできているそれは、以前京都で見たことがあるメーカーでした。そうなるとシリーズで揃えたくなりますねぇ。
明日は、本物の?私のお雛様の前でお祝いをする予定。
いくつになっても桃の節句は嬉しい日。
そうそう、この間、夫が還暦を迎え、とうとう年寄りの仲間入りしました。
子どもが名古屋を離れているので、お祝いは先に伸ばして、簡単に内祝いをしました。
昔(ってどのくらい?)結婚式の引き出物にこんなのあったような記憶?
両親にも持参し、めでたく還暦を迎えたことを報告しました。メデタシメデタシ。
源平と西行
NHK大河ドラマ『平清盛』の話です。
学校の歴史の授業では、あっという間に清盛→頼朝に時代は変わっていった記憶。
古典の授業でも『平家物語』を習ったけれど覚えているのは、暗記させられた『祇園精舎の鐘の声・・・おごれる人も久しからず・・・・偏に風の前の塵に同じ』と、先生が熱く語った『安徳天皇と平時子が入水する場面』くらい。そういえば『義経の八艘飛び』も記憶があるようなないような。真面目に授業を受けていなかったので、平家のことは私にはこの程度の断片的な知識だけしかない。
なので、四国をお遍路するまで、下関以外にも壇ノ浦の戦いがあったことを知らなかった。屋島寺を降りると古戦場あとがいくつもあった。説明書きを読んでも歴史オンチの私には全くわからなかったけれど、歴史好きにはたまらない場所であることはわかった。
上の写真は2巡目の車遍路での屋島寺からの景色で、対峙する山は次の札所の五剣山=八栗寺。車遍路のとき、庵治にある『舟かくし』という宿で泊まった。舟を隠して源氏を待ち伏せしたという場所ではないだろうか。
さて、勉強を兼ねて見始めた『平清盛』。何回目かのとき、見ていてアレ?と思った人物が。それは佐藤義清(のりきよ)。のちの西行ではないかとピンときた。(役者がイケメンすぎ・・・?)確認のため白洲正子著『西行』を走り読みしたらやっぱりそうだった。
・・・西行は俗名を佐藤義清といった。ついでのことにいっておくと、
僧名は円位で、西行は号である・・・白洲正子著『西行』より抜粋
大河ドラマ挿入歌の『今様』を白洲正子著『西行』に見つけた。正子の着眼点はさすがだと思った。ドラマで清盛の実母舞子が歌ったのが気に入って、最近では私も口ずさむほど。
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子どもの声聞けば
我が身さへこそゆるがるれ
何年か前に吉野へ行った時、西行庵がある奥千本を訪ねた。世俗を離れ数年間篭ったというその場に立って、少しでも西行に近づきたかったのだ。でも何も理解できず漠然としたままであった。大河ドラマで大いに西行像をふくらませたい。
西行の出家の原因と言われている『待賢門院璋子』がああいう?女性だったことを大河ドラマで大きく取り上げている。悪女璋子のようだが、悪いのはそのように仕立てた白河院だ。鳥羽上皇が気の毒で仕方がない。学校では習わなかったことをこのドラマは教えてくれる。
四国で知った『崇徳院』も大河ドラマに出ているので、この先の展開が待ち遠しい。西行が讃岐に赴くところまでの映像を期待したい。
『源義朝』は知多をお遍路したとき勉強した。平治の乱で敗れた義朝は知多郡美浜町に逃げたが長田父子に湯殿で殺害された。大御堂寺(おおみどうじ)に義朝の墓があった。
知多には義朝の首を洗ったという血の池があり、四国の屋島寺には平氏の血を洗った血の池があった。私はお遍路を通して、源平の血を洗ったといわれる池をそれぞれ見たことから、おのずと源平の戦いが興味深くなっていった。
学校でさらっと勉強したことが基となって、自分の足で見て回った場所が今こうして線で繋がっていくことは思わぬ楽しい。
西行の足跡を辿った芭蕉のような旅をしてみたいものだが、それは無理なので、大河ドラマ『平清盛』を大いに期待している。
♪遊びをせんとや生まれけむ ♪戯れせんとや生まれけん
オサレ~な雪だるま
日本中が大寒波に覆われサブ~イ毎日です。皆さんお元気ですか?
名古屋も昨夜から雪が降りました。珍しく降雪12センチ。
で、私は・・・・
雪だるまを作って遊んでみました。
これがイガイやイガイ。作成中から通行人に写メしていいですかと大人気。
近くの予備校女子からカワイ~と褒められ、どんどん調子に乗りました。
オサレ~(ブッサイクですが)にしたつもりですがいかかでしょう?
イヤリングはシャコバサボテン(画像を大きくして見てください)
ハンドバックにハイヒール、いやブーツでも履かしてやりたいけどパーツがない。
もっとトッピングしたいのだけど、外は寒いのでこれで一応完成としました。
暖かい[E:cafe]を飲みながら、2階から写メする道行く人を[E:eye]のは実に楽しい。
思いつきで作ったけど、アイデアがよかったと自画自賛してます。
隣のうちの前(隅のほうですが)で作ったので、動かせないのが残念です。まぁ、隣人も許してくれるでしょう。許してつか~さいね。
これを幾つも作ったら楽しいだろうね。[E:snow] [E:snow] [E:snow] [E:snow] [E:snow]
タカヲククル
タカをくくり痛い目にあった記録です。
興味のない方は読み飛ばしてください[E:eye][E:dash]
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2011(H23)12月中旬のことです。仕事上で最も嫌な『煩わしいこと』が起きたのです。
ここでは煩わしいことの詳細は書かないけど、とりあえず菓子折り持って陳謝ですんでホッでした。
その晩に予定していたお仏壇のお磨きは、日中の気疲れから明日にしようかと思ったけれど気を取り直し実行。日中の件は不可抗力であっても、こういうのが試練なのだとお磨きしながら思いました。仏にすがる思いで一生懸命磨きましたさ。ピカピカになった仏具を見て少しは気が紛れたように思ったのですがね。
以前にも書きましたが、近しい友達が食道癌だと聞かされ、私はがくっとしてたのです。
12/7に別の友達のご主人(70歳)が亡くなったことを聞いたばかりだったし、とにかく病気のことはナーバスになってました。自分が感じる以上の不安が自分の心にもっとたくさんあったことなど、このとき知る由もありませんでした。
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話はさかのぼって、私は11月頃から口内炎ができたり、目が疲れたりで体調がすぐれない日を過ごしていました。左耳に痛みを感じたので耳鼻科にかかったけれど特に異常なし。今に治るさと、タカをくくっていました。
どうもこれがいけなかったようです。12/20頃になると、左肩(鎖骨)が痛いようなヒリヒリするような症状が。左肩を打ったかな? それにしても何も手につかないカッタルさ。年末の気ぜわしさもあり、何もかも放り出してどこかに逃げたい心境でした。
ネットで調べた自己診断の結果、私はこれだ!と思いました。月曜日を待って12/26皮膚科を受診。まだ症状が出たばかりだったので先生も???でしたが、痛い痛いと訴えたらやはり「帯状疱疹」でした。
これは簡単に言うと、心身が弱っているときウイルスにやられる病気らしいです。
振り返れば、11月から体が発するSOSは確かにあった。そこに自分が感じる以上の煩わしさや不安が乗っかって、心身衰弱→ウイルス攻撃→帯状疱疹というわけです。それにしてもこの程度のことで?という思いもあるのですが、自分が思う以上に私は弱かったということです。
予兆をないがしろにし、忙しさにかまけ自分の心の声を大事にしなかった結果です。愚かな自分まるだしな病気だと思いました。
症状は(軽かった)割愛しますが、年末年始の10日ほど鎮痛剤を飲み続けました。それよりも帯状疱疹の薬の高いことには驚きです。こうしないとあなたはわからないのよね、と罰金を払わされたような気がしました。
H21年は胃潰瘍で年越し
H22年は左膝内側側副靭帯損傷で年越し
H23年は帯状疱疹で年越す。
恥ずかしい話ですが数年こんなことが続いています。振り返れば、10年前初遍路に行って不安(多分)から病気になりました。誰かさんから初日に忠告された「無鉄砲な・・・」(だったと思う)がその通りになったと反省したことが思い出されます。
煩わしいドロドロとした日常から逃れ、山に行っては自分を取り戻し(たつもり?)、お遍路に行っては人の優しさに触れては気を晴らし(これもつもり?)ていたけれど、今回はそれはダメでした。これは若くないという警告でしょうか。初遍路で荷物を減らすということを覚え、人生の荷物も見なおしたのですが。
この10年、気がつけばまた貯めこんで、アレもコレも担いでいたようです。これではヘコタレるのは当たり前ですね。所詮たくましく生きていく術を持ちあわせていないのですから、まずは負荷を減らすことをしなければ先が思いやられます。
断捨離しながら少しずつでもたくましくなりたいと思う今日この頃です。
先日誕生日を迎えました。57歳になりました[E:birthday]
2012年賀状あれこれ
寒中御見舞申し上げます。
今年も『歩いて過ごした日』の記録を綴りたいと思います。どうぞ宜しくお願いします。
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インターネットの時代になっても年賀状を貰うと嬉しいものですね。
今日はその年賀状に[手書きで書き足されている一言コメント]を紹介してみます。
まず、その人の声が聞こえてきそうなの。
・今年もお世話になりますがどうぞよろしく
(亡き父の従兄弟。神社の総代をしているので我家に何かとよく来る)
・お元気のことと思います。こちらはぼちぼちやってます。(夫の叔父)
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つぎは病気バージョン
・メニエル発生!1週間会社休み治まって回復中!(夫の野球仲間で去年は50肩だった)
・只今、食道癌と闘病中です。(これは12/17のブログの人です。力強く書かれていました)
・昨年末から義父が再入院となりバタバタしてます。
(私の幼なじみで今は年賀状のやりとりのみ)
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友達バージョン
・お元気ですか?11月に孫が生まれました!(オメデトォ~)
・ロス~ハワイへバカンスに行きました。今度はフランスへ行こうと思いますが体力が心配
(去年はヨーロッパを満喫しただった。ウラヤマシイ~)
・今年も楽しいことを見つけて良い年にしたいものですね。
(昨年高雄三尾のかわらけ投げで失敗した親友のH子)
・お元気でいらっしゃいますか。お二人で山登りを楽しんで見えますか。
(これは羨ましがってる様子が手に取るようにわかります)
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お遍路つながり
・お遍路する精神力・体力がなくなりました。(初遍路で3日目に親しくなったHさん)
・ご無沙汰していますがお変わりございませんか?ブログ楽しませて頂いています。
(1巡目7日目(通算12日目)に出逢ったYさん)
・今年も元気に地区や地区の子ども達と遊びます。
(1巡目8日目(通算13日目)に出逢ったMさん
香我美へんろ小屋を管理してくださってます)
・私は今回146回目より始めます(車遍路のSさん)
この方とは1回目:平成14年10月18日、26~27番へ向かう途中で
2回目:平成15年 4月30日、53番で
3回目:平成18年11月 2日、19番~金子やに向かう途中で会いました。
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山友バージョン
・山も遠くなりました。○○さん今のうちですョ。(私にお遍路を教えてくれたFさん)
・まだまだたくさんの山旅が出来ますね。私はもう日帰りもあやしくなってきました。ひとつ
ひとつできないことが増えて寂しい限りです。これが老いですね。楽しんでください。
(一緒に薬師縦走したYさん。H23年にあるき遍路も結願された)
・寒いですから風邪引かないようにお体お大事にしてください。お四国いいですね。
(大正15年生まれの男性。鈴鹿の山をたくさん案内してもらい
お遍路も教えてくれたSさん)
・ご夫婦での「日本名山歩き」はご健在でしょうか。
(山の会のリーダーのひとり。鈴鹿の山の本を出版されているNさん。
山は遠くなっていくのだと痛感するようになりました。体からのSOSを見逃し昨年暮れ大変な目に会いました。それはまた次回書きます。
では、今年も宜しくお願いします。
2011師走
2011京都紅葉のブログの続きを作成していたら、荷物が届いた。
宅配便の受取印を押すときから良い香りで、たまらず開けるとりんごの香りがフワ~っと広がった。さっそく食べた。たっぷり蜜が入っていてとってもおいしい。幸せ感イッパイになった。
時は同日。
友達から「今晩会おう」と電話があった。その幸せ感イッパイをおすそわけしようと[E:apple]5個取り出し、喜ぶ顔を想像しながら約束の場所に出かけた。
「いつものが届いたから持ってきたよ」という私の言葉にイマイチの反応の彼女。
私がアレ? と思うが早いか
「主人(62歳)ね、喉頭がんなの・・・・手術もできない重篤なの」と直球が飛んできた。
食道がんでした
こういうときってどう返答すればいいの?私は言葉を失った。
「ど、ど、どういうこと?」私はそう言うのが精一杯で、涙がじわっと出てくるのを感じた。
私が山をやるようになったのは、この夫婦に誘ってもらったのがきっかけで、テント担いであちこち連れていってもらった。花の名前もたくさん習った。彼らは100名山を目指し、かたや私は山の会に入ったので一緒に行く回数が減りはしたが、私たちは仲が良かった。
その彼は今、毎日治療にがんセンターに通っているという。治療の副作用なのか水も口に出来ず、家庭で点滴をし(入院でなく通院というのには驚いた)この2ヶ月で10数キロ痩せたと聞いた。
8月下旬に会ったときは、100名山が終わり元気そのものだった。お酒を酌み交わし酔いが回っていつものように饒舌だったのに。また一緒に山に行きましょうと約束したのに。何故、何故の繰返しだ。
でも、でも、私の叔父も喉頭がんだったけれど10年以上経った今も元気そのものだ。
「だから今は辛いけど元気になるよ絶対!」と彼女を励ました。
別れ際に「治療が一段落したら会ってやってね」と彼女は言った。「もちろん」と私は約束した。
数日前のこと。
山の会の仲間がオートバイに乗ってゆずを持ってきてくれた。それは東海地方で地震があった日で、来訪直後に震度3がゆすって怖かった。
病気も地震も予兆があるというけれど、いざ直面すると怖いのだ。どうなるのだろうと不安なのだ。
元気でいたいなぁ。みんな元気でいて欲しいなぁ。
2011鳩吹山(真禅寺~鳩吹山~⑮~⑰~⑱~真禅寺サブルート
平成23年9月19日(月・敬老の日)[E:sun]
夫の運転[E:car][E:dash]で鳩吹山へトレーニング山行。
9月秋分の日の連休と10月体育の日の連休に北アルプスを企んでいるのだが、最近のツレは体力低下が激しい。私もヘタレだがツレはもっとヘタレ。なのでトレーニングにと鳩吹山へ。
真禅寺に車を止めて真禅寺コースを登る。黄色のコースを行く。
それにしても暑い日で汗ビッショリ。
今日は通ったことがない⑱のルートを登りで探検する。道はかろうじてついているがあまり歩いていないので蜘蛛の巣が気持ち悪かった。予想通り稜線に上がれ、ヤッタァ~と喜ぶ。
家でゴロゴロしてるよりはマシ程度のトレーニング山行でした。
出発地 : 真禅寺P 120m 9:50発
到着地 : 〃 120m 1:55着
標高差 : A 417m 1時間13分
D 392m 1時間 8分
行動時間: 4時間 3分
ピーク : 313m鳩吹山