2013バラ

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つるバラが綺麗に咲いてくれました。

 

Cimg1594_2隣家取り壊しで,今まで隠れていた我家の壁が現れたのは昨年の夏のことでした。 売地(2100万円)なので買い手がついたら家が建つ可能性は大ですが、すぐに売れないことを祈ってバラ計画を始めたのです。

1月の寒風のなか買い手がつかないといいなと祈りながらバラの誘引をしました。隣地売れたと聞いたときは、花を見ずして撤収かなとがっかりもしましたが、家が建つ気配はなく、幸運にもサラ地のままゴールデンウィークを迎えることができたのです。

Cimg2799昨年夏に イメージした通り、白いキャンバスに満開のバラを咲かすことができたときは感無量でした。

しかし、 近々家が建つようです。 なのでこの場でのバラ栽培はもうすぐ終わりようです[E:weep] はじめからわかってやり始めたことなので仕方がないというほかありません。  

 

Cimg2795  ここに咲かせたいという思いが叶ったことは幸せでした 。なんて強がってますが本当は『ずっとこの場がほしい』と心叫んでます。

何も知らないバラたちは、来年に花をつける立派なシュートを出し始めました。「今を一生懸命生きなきゃぁ~」と言っているに違いありません。    
 
 

Cimg2804 この景色が閉ざされる日は、そう遠くないでしょう。残念でなりません。

 

  

 

この旅の目的は? その6

大仏広場にある売店横からその長い階段は始まった。

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階段(2639段)だらけの境内は四国71番札所の弥谷寺のようだった。 軽快に登っていたら 極寒のというのに 汗ば。汗をかかないくらいの ゆっくりペースにシフトダウンする。 

 

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どこからともなく現れた若いカップルと前後しながら登った。この彼女、「うぅぅはぁ~はぁ~はぁ~」とまるでお産の時のようなうめき声(夫の弁)を発するので この階段が余程しんどいのだと思った。

 

しかしそれは体育会系によくあるヤケクソな掛け声だとわかる。いたわりながら注意るのは君だろ !と片割れの彼氏を見ると、辟易しているのか本物のヘタレなのかわざと少し離れて登ってくるようにも見える。

 

こちらが立ち止まると止まり、振り切ろうとペースを上げると面白いぐらい食いついてくる豪傑な女子絶叫とも言える声 エンドレスだった。   

 

オッサン女子とヘタレ男子の図が強烈だったので日本一長い階段を持つ境内がどんなんだったかまったく思い出せない。

 


Cimg2388img_4486展望台から東京湾を見下ろす。   

 

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ワンダホー!ビューティホー!
ここは
上総(かずさ)と安房の国境らしい富士山は見えなかったけれど太平洋を一望する景色は満足なり。

 

眼下の集落は、東京湾を横断するフェリー乗り場の 金谷港 

 

また来ることがあるなら、船で千葉に上陸してみたい。 

 

 

この鋸山は昭和57年まで石切場だったそうでその名残が各所で見られる。

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そのひとつがこの『地獄のぞき岩』 垂直に切り立った岩に立って下をのぞくと・・・・

 

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一体全体どうなっているかわからいほど深く削られていた。

 

このあと、この下に降りたら、あっと驚くタメゴロ~(古っ)だった。

続きはまた次回
 

2013桃の節句

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今年の桃の節句は日曜日なので、初節句のお祝いにはいいでしょうね。

 

今年も母が飾ってくれたけれど、ぼんぼりをまた忘れてました。

 

80歳になっても、子(私たち姉妹)の為に飾ってくれる母の気持ちは嬉しいものです。

 

お雛様のお膳は立派ですが、私たちは例年通り、出前のお寿司とはまぐりのお汁。夫と母と私の三人で桃の節句を今年も祝いました。

2013寒中お見舞い その3

その1   その2 

 

1月の連休明けひどい風邪をひきました。

 

 

耳鼻科では、鼻と喉が炎症を起こしているという診断でした。思い当たることは、友達の死で号泣したこと。そういえば目も鼻も喉も痛くなるほど泣いたっけ・・・。

 

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                   マジ?湿度38% これでは喉が・・・加湿器を最強にON 

  

咳とクシャミと止めどもなく出る鼻水。夫に伝染るといけないので、鼻に栓をしてマスクをして隔離部屋に閉じこもってました。

 

その鼻栓ですが、クシャミが余りにも大きいものだから 空気鉄砲のコルク玉のごとくポンと勢いマスクの中に発射、それも同時に2発ですおかしいやら情けないやら、 日がな一日鼻水と格闘していました悶々として安静どころでなかったです。

31ls4tdhexl__aa160_薬を飲む度に、今度こそ少しは楽になるかな~?と祈る思いでしたがそんなに甘いものではありませんでした。ずいぶん苦しみました。  

 

号泣が原因(葬式自体が風邪のウイルスがウヨウヨ)であるかよくわかりませんがよりにも寄ってメデタイとされる自分の誕生日に、鼻栓をして家庭内別居だなんて なんとも情けないことした

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                         美濃忠の栗入りぜんざい

体を温めなさいと夫からのプレゼント(お見舞い)は「栗入りぜんざい」。これは大好物。ふ~ふ~しながら誕生日を祝いました。

 

 

私の風邪が最高潮のころ、先に書いたように妹が子宮+卵巣摘出手術を受けました。付き添ってやりたかったけれど、私がこんな状態では接触避けなければいけません。

 

「私は大丈夫。お姉ちゃん風邪大事にね」オペ前の妹からメールをもらうなんて考えてもみないことでした 不安泣いているに違いないと思うと、姉として 心が痛みました。「少し怖いだけだから頑張るのよ」と返信しました。病人が病人を見舞うという体験はそうあることでなく、貴重であったと思います。

 

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                      1/26名古屋に雪が舞いました。

 

妹は私見舞った翌々日の1/30に予定より1日早く 元気に退院しました。

その代わり、夫私の風邪が伝染りゴホンゴホンとやりだしました。
せっかく家庭内別居してたのに。
何より今回の病気は、おもいやりのこころ伝染るものでした。

 
  

 

 

 

宮沢賢治「雨ニモマケズ」「そういうものに私はなりたい」と結んでます。

丈夫なからだをもち/慾はなく/決して怒らず/いつも静かに笑っている


 ・・・・褒められもせず/苦にもされず/そういうものにわたしはなりたい

  

 

賢治が言う「そういうもの」に私もなりたいと常々思っています。

 

本来ブログに書くようなことでないことを時系列でダラダラと書きましたが、書くことによって少しは自分の癖が見えてきたような気がします。まだまだそれを言葉に出来ないもどかしさはありますが・・・。

 

気がつけば1月も今日で終わりです

これにて寒中お見舞いシリーズはお終いです。どうかご自愛ください。[E:happy01]

 

 

「雨ニモマケズ」

     雨にも負けず

     風にも負けず

     雪にも夏の暑さにも負けぬ

     丈夫なからだをもち

     慾はなく

     決して怒らず

     いつも静かに笑っている

     一日に玄米四合と

     味噌と少しの野菜を食べ

     あらゆることを

     自分を勘定に入れずに

     よく見聞きし分かり

     そして忘れず

     野原の松の林の陰の

     小さな萱ぶきの小屋にいて

     東に病気の子供あれば

     行って看病してやり

     西に疲れた母あれば

     行ってその稲の束を負い

     南に死にそうな人あれば

     行ってこわがらなくてもいいといい

     北に喧嘩や訴訟があれば

     つまらないからやめろといい

     日照りの時は涙を流し

     寒さの夏はおろおろ歩き

     みんなにでくのぼーと呼ばれ

     褒められもせず

     苦にもされず

     そういうものに

     わたしはなりたい

  

 

2013寒中お見舞い その2

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そんなこんなで、めでたく新年を迎えることができました。

元旦は自宅で静かにお正月。

 

急遽2日に妹家族が来ることになり、おもてなしの支度にてんやわんや。3日恒例の宴会ですが、かなり手抜きとなりました。
もてなしが苦手な私は疲れしてしまいました。年々順応性のなさを感じます  

 

 

3ケ日を過ぎるとお誘いの連絡が入るようになり、ようやく自分をとりもどせたような気がしました。 

 

[E:mobilephone]お誘いその1
近くまで来ているのでお茶でもどお?
というお誘いでしたが、あいにく予定があってダメでした。これは残念でした。

 

[E:telephone]お誘いその2
明日眼科の帰りに寄ってもいい?
ということで午後に山友(女)が訪ねて来ました。今年はどこ行く?という話尽きませんでした。 

 

[E:mailto]お誘いその3
岩手の友達から
7日に名古屋に行きます」とメールが。
ということで、宿泊するというヒルトンホテルでお茶しました。 彼女はくも膜下出血を患ってから5年が経ち、今日まで何不自由ない健康体でいられたことを喜び合いました。

 

 

ここまではよかったのですが、その次のお誘いは悲しい知らせでした。

 

 

 

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              願わくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ
                   2012/4 犬山市円明寺にて 

 

[E:mobilephone]お誘いその4[E:weep]
前回ブログの最後にも書きましたが食道癌を患って緩和ケア入院していた友達の訃報で、「彼に会ってやって」という奥さんからのお誘いでした。
夫と連れ立って自宅に戻った彼に会いに行きました。昨年10月に見舞った部屋にはもう彼の笑顔はなく、無言の彼に「ようやく楽になったね」と声をかけるのが精一杯でした。 

Img_4457               故人の登山靴と昆虫採集の道具

 

私は 彼が大好きでした。本当に好きでした。もっともっと一緒に山に入りたかったし、彼100名山終了を待って、今度は私が愛して病まない北アルプスをいっぱい案内するつもりだった。

 

 

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画家でもあった故人の作品。 昨年9月の個展が最後となってしまった。

 

山の楽しを教えてくれた彼から、友達を失う悲しみ教わるなんて思ってもみないことでした。

友達という大切なものを初めて亡くした私は子どものように泣きじゃくりました。

 

 

それでも翌々日、私は友達とランチに出かけ、あれだけ泣きじゃくったことはウソだったかのように私はワハハと笑ってました。勝手なものです。所詮他人事ということでしょうか。

でも 帰り道ひとりになると、彼の死を思い出しては涙するこの情緒不安定さはどうしようもないものでした。  

 

 

前回のブログに
私は体力はそれなりにあっても、精神力がめちゃくちゃ弱い。病は気から。その通りで私はメンタル面から病気になりやすいタイプ。 情けない。

と綴ってます。

その情けないことになった話を次回書くことにします。

2013寒中お見舞い その1

遅くなりましたが、今年最初のブログです。

皆さん、今年も宜しくお願いします[E:happy01]

 

Cimg2230                12/16に山友がゆずを届けてくれました。
               街にもいる野鳥の為にと手作りの巣箱も。
               中を見ることも餌を与えてもいけないそうです。鶴の恩返し?
               通し番号303です。                     
               秋に行ったという裏劔の話を地図を見ながら聞きました。    

 

 

気がつけば1ヶ月もブログの更新を怠ってました。

「ブログ更新されてませんが元気でしょうね」・・・という嬉しいメールに、いい加減更新しなきゃ、と思っても、山にも旅にも出てないから記事がない。
・・・・と言うのはイイワケで、書けなかった理由を自分の中で整理しながらボチボチ書いてみようと思います

 

これは備忘録ですので、適当に読み飛ばして下さい。

 

年末年始を振り返れば、いろいろなことがありました。

 

まずは一番の気がかりだった妹の病気。幸いにも極初期の癌だったのですが再手術すること決心るまで気長に相談に乗ってやりました。気が晴れない毎日でしたが、妹はもっともっと辛かったと思います。妹が健気であればあるほどかわいそうに思い、姉として心を痛めました。 

 

 

そんな中、嬉しい悲鳴もありました。

Cimg2233我家唯一の8畳の客間に、延べ12人(年末~年始)もの宿泊客があったのです。過去最高記録で疲れました。予約なしの飛び込みなんていうのもあり、ふと善根宿(ぜんこんやど)という言葉が頭に浮かんだほどです。(善根宿:お遍路で無償で宿を提供すること)

 

 

 

布団の支度は結構重労働です(そう感じるのは私だけ?)。ボヤキ・タメ息がでましたが、よく考えればそれほど嫌いな作業ではなく、遍路宿の女将って毎日こんな感じなんだろうな・・・なんて遍路宿の女将気分で働いていました。(毎日は困るけれど遍路宿やってみたいなんて甘い考えを起こしそうでした)

 

 

 

Cimg2239                おせちの筑前煮の用意。こういう下ごしらえって楽しい。

 Cimg2234            白菜漬け用に軽く日に当てる(隣家が失くなったので窓際は怖い)  

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       名古屋駅方面を見てたら、ネコがひなたぼっこしてるの見っけ!
      人間界は今、猫の手も借りたいほど仕事山積
      いつものワルサの罪滅ぼしに、暇なら手伝っておくれ!と言いたくなる風景

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丁寧に葉(軸)一枚一枚に塩をまぶし、重しをして2日ほど下漬。その後本漬。
      右の水色の蓋のは千枚漬け。 こういうことしている時がシアワセ。  

 

でもお正月の支度って元旦までにたくさんのことをアレモコレモしなければならないのでマイペースの私は苦手です。

 

それでもお正月を迎えれば、ソレはソレで楽しく過ごしました。
 お正月を迎えるまでが、私は苦!

 

去年はどうだったんだろうかと見てみると 友達の病気の心配や自分の病気を通してたくましくなりたいと結んでいる。私は重いザック担いで山に登るという体力はそれなりにあっても、精神力がめちゃくちゃ弱い。病は気から。その通りで私はメンタル面から病気になりやすいタイプ。 情けない。

 

昨年から心配していた食道癌の友達は、10月に見舞った翌日に緩和ケアの病院に入った。これも12月中気がかりなことでした

この続きはまた書くことにします。

2012暮れ

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今年も岩手の友達から[E:apple]が届きました。(先日12/7にまた東北震度5の地震がニックだったそうです。心配はつきません)


 

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私は真っ赤なりんごです~[E:note]  ・・・歌詞を知っているのはここまで。

 

ふと、いつ頃の歌だろうと調べてみると、昭和15年2月にレコードが発売され、『りんごのひとりごとというタイトルであることわかりました。そんな古い歌をワンフレーズけでも口ずさめるのですから、よほどの名曲だと思います。

 

 

 

で、早速いただくと、蜜が全体にどっひゃ~と入っていて驚きました。高級品に疎い私は、極品と箱に書かてれいるだけあるなぁ思いました。

 

 

 

 

Img_4456 しかしです。翌朝のりんごは普通の蜜入りだったのでガッカリ。その翌日もしかり。味は美味しいのですが、あれを見てしまったのでちょっと不満な毎日なのです。いつかまたどっひゃ~の蜜入りに当たったら今度こそは証拠写真を撮ってアップすることにします。

  

 

 

りんごの蜜入りつながりでもうひとつ。

 

 

 

芯のまわりだけでなく全体に蜜が入る『名月』というりんごの話を聞きました。

 

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ある日、スーパーでそれを見つけたので速攻買い。喜び勇んでりんご入刀。

 

 

 

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肉の霜降り状態のように蜜が入っているのを想像していたので、なぁ~んだとがっかり。でもよく見るとうっすら全体に蜜が入ってました。

  
 

 

そういえば、先日の健康診断でコレステロールが高いと言われてました。食事管理をきちんとしないと動脈硬化になると言われました。極品りんごを送ってくれた岩手の友達も数年前にクモ膜下を患い、コレステロールを侮るなと言われているので、ビビってます。

 

まず頭に浮かんだのが7月にアップしたアレ。病院でもらったコレステロールが高い食品一覧表を見ると、コレステロールの塊のようなものを毎朝食べていたことが判明。アレはやめました。

 

 

そんな矢先、9歳年下の妹が子宮体がんの疑いありと診断され不安な日々を送っています。

 

「りんごのひとりごと」の話に戻りますが、入院しているとき、お見舞いのりんごを見て詩が作られたそうです。 なので、りんごだけの記事だけのもりが病気の話題になってしまいました。

2012紅葉 槍沢⑨ 肩~横尾山荘 

南岳小屋から槍の肩までの稜線歩きは、[E:sun][E:sun]天気[E:sun][E:sun]に恵まれずっと素晴らしい景色だった。

12時ちょっと前。槍の肩に着いて間もなくすると南岳笠ヶ岳雲がかかり出。なので 槍に登るのはやめた。その前に夫はイチ抜けた!していたのだけれど。

 

槍岳山荘前のベンチで湯を沸かし、常念岳と対峙しながら[E:noodle]カップラーメンで昼食。ザックの中でぺしゃんこになったパンなどもここで胃袋に納める。

 

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12:43 標高3080から槍沢を下山。

 

Cimg2151 1:30 一気に標高2700の坊主岩屋(播隆窟)まで降る。雲が槍まで来ているのがわかる。去年ここから肩まで2時間半かかった。(コースタイムは1時間10分=休憩含まず) 

 

 

しばらく行くと、手提げカバン片手に観光の延長で登ってくる若者に出逢う。 「槍まであと何キロですか?」と  どれだけスポーツ万能か知らないけれど、山をナメているとしか思えない格好だったので、あと30分登っても槍の穂先が見えなかったら下山しなさい。そのまま登っても明るいうちに槍に着けないし、登山者もいなくなるから  」と伝えた。別れてからずっと彼のことが頭から離れなかったことはいうまでもない。 

 

 

Cimg2158今まで岩だらけの無機質な登山道が色鮮やかになってくる。 

 

もう登りはいないだろうと思ったら、分岐でテント装備の 若者5人とすれ違う。初心者らしきを3人連れていたので、今から槍の肩まで行けるの?と心配した。

 

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標高2000mあたりの雪渓。ここでコーヒータイム


 

Cimg2169槍の肩から人の登山者を抜いて、4時槍沢ロッジ(1820m)に着いた。 小休止する。

 


 

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まだかまだかと降って、5:11横尾山荘が見えてきたときはほっとした。

 

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標高1600まで降りてくると、おかずはワンプレートでなく豊富になる。

涸沢から降りてきたという隣の人は、小屋が満員で最悪だったと食事中ずっと愚痴っていた。紅葉の連休に涸沢に行くと、どういうことになるのかを知らない人の話は耳障りだった。ケッケッケ~!我々は最高でしたよ~!と私は心のなかで叫んでいた。

 

横尾山荘には立派なお風呂がある。石鹸・シャンプーは使用禁止だけれどジャグジーバスで疲れを癒した。