8日の大雪情報の続編です。
松本(長野県)に住む息子の車が、すっぽり雪に埋まってます。この日の積雪は49㎝。これほどの積雪は16年ぶりとか。
いつまで、こんな寒いところにいるんだろう?
雪かぶる 不憫に思う 親こころ・・・・・
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ご無沙汰していました。
ブログの更新が途絶えたままだったので心配してくださる方がありました。
嬉しい限りです。
年末年始の雑多なことをテキパキ片付けられないまま、次々に用事が舞い込みテンテコマイ。山に行くことやブログ更新するゆとりがなかった!というのは毎年のイイワケで・・・・・歳を重ねるごとに、すべてのことが今まで以上にノロ(ウイルスではないです)くなり、おのずとブログが後回しになった、が本当のところです[E:coldsweats01]
そんなストレスの中、毎日の楽しみがコレ↑でした。
私がくすぶっていたこの数ヶ月のあいだに、このヒヤシンスは毎日着々と根を伸ばし、芽を出し、花芽をつけ、こんな綺麗な花を咲かせてしまう。まったくエラいもんです。
コレを見てたら、なぜか子どものころ父に聞かされた「あすなろ」という言葉が頭に浮かんだので調べたら、こんなような話だったことを思い出す。ひのきでなくヒヤシンスですが、自分が選んだ道を元気出して歩こう!という気になりました。すぐにヘタレ、ナマケルのが難点ですが。
ところで、その昔の小学校の教室には、決まってコレがあったような?
写真は可愛かった頃の息子たちです。
数日前までは春?というな陽気が続いたのに、昨日は東京では雪が舞うという寒気が。それが理由なのか体調がいまひとつの私であります。
今年一年がウマくいくといいな[E:scissors]
今年もどうぞよろしくお願いします。
K1(標高2590m)での景観の良さに長居しすぎた。K2に向かう。右がK2で左奥が霞沢岳。
K1からは全容が見えなかったけれど、K2ピーク手前からの焼岳はお見事。2007年の10月に登ったので6年前。6年ってあっという間だね。
振り返ればK1(2590m)が低く見える。K2の標高は知らないけれど2600オーバーしてるね。
標識の類がないK2に到着。残すは目の前の霞沢岳。
上高地側に目をやれば、足元は帝国ホテルの赤い屋根。上高地から近いような遠いような霞沢だ。
[E:book]参考
徳本峠からの登山道は1984 (昭和59年)に開設され、それ以前は八右衛門沢などからのバリーションルートのみであった。
その八右衛門沢の取り付きは、帝国ホテルに近い『八右衛門沢橋』の左岸沿いらしい。八右衛門沢~霞沢
11:30霞沢岳(2646m)着。ここからの穂高ももちろん素晴らしかったけれど、天空に立っている気持ちになれたK1で感激し尽くしたので、このせまい霞沢岳では感激はなかった。K1より標高が高いのでここが霞沢岳のピークとなったのだろうけれど、私はK1かK2を霞沢のピークと言いたい。そのK1とK2と穂高を一緒に写した。
広くない頂上の奥まったところで湯を沸かしカップラーメンで腹ごしらえ。
昼食はK1でするべきだったと思いながら麺をすする。
長居する場所でもないので11:54霞沢岳をあとにする。小屋で一緒だった人とすれ違いながらK1に向かう。
穂高が私を「どうだい?」と誘う。と、いつもの癖で空想している私。身も心も穂高にわしづかみにされ陶酔している図。気がつけば背後に夫。おっと失礼・・・オヤジギャグだ。
今夏9月に岳沢から登った天狗岳(右)・間ノ岳(左)がカッコイイ。
その天狗岳から撮ったのが、この↑霞沢岳。狙いをつけた山に登るほど楽しいことはない。
12:45にK1を通過し下山する。K1への登りも大変だったけれど降りもしかり。転がりそうな坂を踏ん張りながら一気に降った。
遠くに見えるは常念岳。白く見えるのは雪か砂礫か?前常念岳がこのようにみえたのは初めてのこと。あそこは夫と降ったっけ。楽しかったねぇと話しながら降る。
K1から1時間ほど降ると樹林帯に入る。綺麗に紅葉したムシカリ(別名オオカメノキ)
虫によく食われるので『虫狩』、葉が亀の甲羅のようにも見えるので『大亀の木』と名前がついたそうだ。
それにしても虫に食われた穴が顔のようで見ていて楽しい。まるでハロウィーンのかざりそのもの。
最低鞍部で小休止のつもりが、居心地が良くて30分も休んだ。その間、通過する登山者なし。こんないい天気なんだもの、小屋泊の人はゆっくりするさ。我々はまだ先が長い。さぁ~行きますかと渋々腰を上げる。
最低鞍部(2261m)からJPまで200mほど上がる。まだかまだかとかなり悪態をついた。この時点で8時間半歩いていたから、馬力が出ない。
ツルリンドウの実。これでもかという登りで、この赤い実にはずいぶん元気づけられた。
PM3:00 ホウホウノテイでJP(2428m)着。ここまで遠かった。
アミノバイタルを夫に差し出す。「頓服か」に爆笑。効果があるのかどうか定かで無いけれど、この先1000m近く降るのでコレにすがる。
長居は無用。その頓服を飲んで降り始めた。
JPから30分ほど降ると、明神・前穂それに上高地を捉える。が、上高地までまだまだ2時間はかかるはず。明るいうちに降りたい。
PM3:51(2091m)小屋分岐で立ち休憩。上高地から上がってきた登山者3名とすれ違う。「もうそろそろ小屋ですか?」「あと10分もかかりませんよ」
上高地は少しずつ近づくけれどまだまだ遠い。下り一辺倒は飽きてくる。
スタートから10時間経過。さすがに疲れた。ベンチに横になって、手足を上げて少しでも血液を戻す手助けをする。脳に酸素が不足するとロクなことにならない。夫にもやるように言っても、タバコを吸っただけでやらない。
さらに歩き出して間もなく、夫が大きくこけた。疲れているときこそ慎重にかつ丁寧に歩かないとこうなる。幸い大したことなく助かったけれど、打ちどころ悪く遭難扱いになっていたらと思うとゾッとした。
私は穂高を見上げ「私のコース選びは欲張りでした。もうしませんから無事に帰してください」そう反省した。一応。
「さぁ~」
「あ~お腹がすいた。なんか食べたい!」
「お前は山ではよく食うな」
飽き飽きするほど降りの連続なんだもの、食べることしか考えられない。
ようやく「まっすぐな道でさみしい」まで降りたけれど、これまた長かった。本当にさみしい道だった。
PM5:25 真っ暗になる前に明神分岐についた。右から来た背の高い男性について明神館の方へ向かう。
10分ほどで明神館着。もう6時の最終バスは諦め、タクシーの予約をしようと公衆電話(上高地は河童橋奥は携帯圏外)に向かうと、先程の背の高い男性がタクシーを予約していた。同乗を願うと快くOK!、しかしまだひとり女性が歩いてくるのでしばらく待って欲しいと。我々も何かお腹に入れたいのでザックを下ろし休憩した。
その女性を待って、バスターミナルに向かう途中でとうとう暗くなった。ヘッドライトを装着し道中話を聞くと、彼らは『本谷~北穂池~涸沢』だったそうな。
私も2008年9月に行っているだけに話に花が咲いた。今回の山行は超ハードだったけれど、最後に北穂池の話で盛り上がれたのはよかった、というのが双方の弁。終わりよければ全て良し・・・まったく懲りない面々だった。
PM6:30 4人はタクシーに乗車。「もう、これで歩かなくてもいい」とか「車は速い。文明の利器」とか正直な感想が出る。こうやってだんだんと日常の世界に戻っていった。
沢渡Pはそれぞれ違った場所だったので、我々が先にタクシーを降り別れた。PM7:15。
駐車場の前の『木漏れ日の湯』に入って夕食。PM8:30頃車に戻って仮眠のつもりでシュラフに入ったら朝方まで寝てしまった。夫は4時頃起きて運転。私はしばらく寝台車移動だった。
AM7:00ころ無事自宅に戻る。
今回はハードだったけれど楽しい山行でした。 おしまい
山の天気がようやく安定したので 北アルプスに来てます。
稜線に上がるまでは汗ダクダクでしたが稜線上は快適です。
添付写真は左から前・奥・北穂高