源平と西行

NHK大河ドラマ『平清盛』の話です。

 

学校の歴史の授業では、あっという間に清盛→頼朝に時代は変わっていった記憶。
古典の授業でも『平家物語』を習ったけれど覚えているのは、暗記させられた『祇園精舎の鐘の声・・・おごれる人も久しからず・・・・偏に風の前の塵に同じ』と、先生が熱く語った『安徳天皇と平時子が入水する場面』くらい。そういえば『義経の八艘飛び』も記憶があるようなないような。真面目に授業を受けていなかったので、平家のことは私にはこの程度の断片的な知識だけしかない。

 

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なので、四国をお遍路するまで、下関以外にも壇ノ浦の戦いがあったことを知らなかった。屋島寺を降りると古戦場あとがいくつもあった。説明書きを読んでも歴史オンチの私には全くわからなかったけれど、歴史好きにはたまらない場所であることはわかった。

上の写真は2巡目の車遍路での屋島寺からの景色で、対峙する山は次の札所の五剣山=八栗寺。車遍路のとき、庵治にある『舟かくし』という宿で泊まった。舟を隠して源氏を待ち伏せしたという場所ではないだろうか。

 

 

さて、勉強を兼ねて見始めた『平清盛』。何回目かのとき、見ていてアレ?と思った人物が。それは佐藤義清(のりきよ)。のちの西行ではないかとピンときた。(役者がイケメンすぎ・・・?)確認のため白洲正子著『西行』を走り読みしたらやっぱりそうだった。

  ・・・西行は俗名を佐藤義清といった。ついでのことにいっておくと、

            僧名は円位で、西行は号である・・・白洲正子著『西行』より抜粋

 

 

大河ドラマ挿入歌の『今様』を白洲正子著『西行』に見つけた。正子の着眼点はさすがだと思った。ドラマで清盛の実母舞子が歌ったのが気に入って、最近では私も口ずさむほど。 

     遊びをせんとや生まれけむ
       戯れせんとや生まれけん
         遊ぶ子どもの声聞けば
           我が身さへこそゆるがるれ

 

 

何年か前に吉野へ行った時、西行庵がある奥千本を訪ねた。世俗を離れ数年間篭ったというその場に立って、少しでも西行に近づきたかったのだ。でも何も理解できず漠然としたままであった。大河ドラマで大いに西行像をふくらませたい。

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西行の出家の原因と言われている『待賢門院璋子』がああいう?女性だったことを大河ドラマで大きく取り上げている。悪女璋子のようだが、悪いのはそのように仕立てた白河院だ。鳥羽上皇が気の毒で仕方がない。学校では習わなかったことをこのドラマは教えてくれる。

 

四国で知った『崇徳院』も大河ドラマに出ているので、この先の展開が待ち遠しい。西行が讃岐に赴くところまでの映像を期待したい。

 

 

『源義朝』は知多をお遍路したとき勉強した。平治の乱で敗れた義朝は知多郡美浜町に逃げたが長田父子に湯殿で殺害された。大御堂寺(おおみどうじ)に義朝の墓があった。

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知多には義朝の首を洗ったという血の池があり、四国の屋島寺には平氏の血を洗った血の池があった。私はお遍路を通して、源平の血を洗ったといわれる池をそれぞれ見たことから、おのずと源平の戦いが興味深くなっていった。

 

学校でさらっと勉強したことが基となって、自分の足で見て回った場所が今こうして線で繋がっていくことは思わぬ楽しい。

 

西行の足跡を辿った芭蕉のような旅をしてみたいものだが、それは無理なので、大河ドラマ『平清盛』を大いに期待している。

    ♪遊びをせんとや生まれけむ ♪戯れせんとや生まれけん

オサレ~な雪だるま

日本中が大寒波に覆われサブ~イ毎日です。皆さんお元気ですか?

名古屋も昨夜から雪が降りました。珍しく降雪12センチ。

 

で、私は・・・・

Cimg0863                      身長50センチ

 

雪だるまを作って遊んでみました。
これがイガイやイガイ。作成中から通行人に写メしていいですかと大人気。
近くの予備校女子からカワイ~と褒められ、どんどん調子に乗りました。
 

オサレ~(ブッサイクですが)にしたつもりですがいかかでしょう?
イヤリングはシャコバサボテン(画像を大きくして見てください)
ハンドバックにハイヒール、いやブーツでも履かしてやりたいけどパーツがない。
もっとトッピングしたいのだけど、外は寒いのでこれで一応完成としました。

 

暖かい[E:cafe]を飲みながら、2階から写メする道行く人を[E:eye]のは実に楽しい。
思いつきで作ったけど、アイデアがよかったと自画自賛してます。

 

隣のうちの前(隅のほうですが)で作ったので、動かせないのが残念です。まぁ、隣人も許してくれるでしょう。許してつか~さいね。
 

これを幾つも作ったら楽しいだろうね。[E:snow] [E:snow] [E:snow] [E:snow] [E:snow] 

タカヲククル

タカをくくり痛い目にあった記録です。
興味のない方は読み飛ばしてください[E:eye][E:dash]

 

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

 

2011(H23)12月中旬のことです。仕事上で最も嫌な『煩わしいこと』が起きたのです。

ここでは煩わしいことの詳細は書かないけど、とりあえず菓子折り持って陳謝ですんでホッでした。

 

 

その晩に予定していたお仏壇のお磨きは、日中の気疲れから明日にしようかと思ったけれど気を取り直し実行。日中の件は不可抗力であっても、こういうのが試練なのだとお磨きしながら思いました。仏にすがる思いで一生懸命磨きましたさ。ピカピカになった仏具を見て少しは気が紛れたように思ったのですがね。

 

 

以前にも書きましたが、近しい友達が食道癌だと聞かされ、私はがくっとしてたのです。
12/7に別の友達のご主人(70歳)が亡くなったことを聞いたばかりだったし、とにかく病気のことはナーバスになってました。自分が感じる以上の不安が自分の心にもっとたくさんあったことなど、このとき知る由もありませんでした。

 

 

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

 

話はさかのぼって、私は11月頃から口内炎ができたり、目が疲れたりで体調がすぐれない日を過ごしていました。左耳に痛みを感じたので耳鼻科にかかったけれど特に異常なし。今に治るさと、タカをくくっていました。

どうもこれがいけなかったようです。12/20頃になると、左肩(鎖骨)が痛いようなヒリヒリするような症状が。左肩を打ったかな? それにしても何も手につかないカッタルさ。年末の気ぜわしさもあり、何もかも放り出してどこかに逃げたい心境でした。

 

ネットで調べた自己診断の結果、私はこれだ!と思いました。月曜日を待って12/26皮膚科を受診。まだ症状が出たばかりだったので先生も???でしたが、痛い痛いと訴えたらやはり「帯状疱疹」でした。

 

これは簡単に言うと、心身が弱っているときウイルスにやられる病気らしいです。

 

振り返れば、11月から体が発するSOSは確かにあった。そこに自分が感じる以上の煩わしさや不安が乗っかって、心身衰弱→ウイルス攻撃→帯状疱疹というわけです。それにしてもこの程度のことで?という思いもあるのですが、自分が思う以上に私は弱かったということです。

予兆をないがしろにし、忙しさにかまけ自分の心の声を大事にしなかった結果です。愚かな自分まるだしな病気だと思いました。

 

症状は(軽かった)割愛しますが、年末年始の10日ほど鎮痛剤を飲み続けました。それよりも帯状疱疹の薬の高いことには驚きです。こうしないとあなたはわからないのよね、と罰金を払わされたような気がしました。

 

H21年は胃潰瘍で年越し

H22年は左膝内側側副靭帯損傷で年越し

H23年は帯状疱疹で年越す。

 

恥ずかしい話ですが数年こんなことが続いています。振り返れば、10年前初遍路に行って不安(多分)から病気になりました。誰かさんから初日に忠告された「無鉄砲な・・・」(だったと思う)がその通りになったと反省したことが思い出されます。

 

煩わしいドロドロとした日常から逃れ、山に行っては自分を取り戻し(たつもり?)、お遍路に行っては人の優しさに触れては気を晴らし(これもつもり?)ていたけれど、今回はそれはダメでした。これは若くないという警告でしょうか。初遍路で荷物を減らすということを覚え、人生の荷物も見なおしたのですが。

この10年、気がつけばまた貯めこんで、アレもコレも担いでいたようです。これではヘコタレるのは当たり前ですね。所詮たくましく生きていく術を持ちあわせていないのですから、まずは負荷を減らすことをしなければ先が思いやられます。

 

断捨離しながら少しずつでもたくましくなりたいと思う今日この頃です。

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先日誕生日を迎えました。57歳になりました[E:birthday]

 

 

 

2012年賀状あれこれ

寒中御見舞申し上げます。
今年も『歩いて過ごした日』の記録を綴りたいと思います。どうぞ宜しくお願いします。

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..。oо○**○оo。…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。

 

インターネットの時代になっても年賀状を貰うと嬉しいものですね。
今日はその年賀状に[手書きで書き足されている一言コメント]を紹介してみます。

 

まず、その人の声が聞こえてきそうなの。

   ・今年もお世話になりますがどうぞよろしく
             (亡き父の従兄弟。神社の総代をしているので我家に何かとよく来る)
   ・お元気のことと思います。こちらはぼちぼちやってます。(夫の叔父)

                            :;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

つぎは病気バージョン

   ・メニエル発生!1週間会社休み治まって回復中!(夫の野球仲間で去年は50肩だった)
   ・只今、食道癌と闘病中です。(これは12/17のブログの人です。力強く書かれていました)
   ・昨年末から義父が再入院となりバタバタしてます。
                     (私の幼なじみで今は年賀状のやりとりのみ)

                           ;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

 

友達バージョン

   ・お元気ですか?11月に孫が生まれました!(オメデトォ~)
   ・ロス~ハワイへバカンスに行きました。今度はフランスへ行こうと思いますが体力が心配
                 (去年はヨーロッパを満喫しただった。ウラヤマシイ~)
   ・今年も楽しいことを見つけて良い年にしたいものですね。
                 (昨年高雄三尾のかわらけ投げで失敗した親友のH子)
   ・お元気でいらっしゃいますか。お二人で山登りを楽しんで見えますか。
                 (これは羨ましがってる様子が手に取るようにわかります)

                          :;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

 

お遍路つながり

   ・お遍路する精神力・体力がなくなりました。(初遍路で3日目に親しくなったHさん
   ・ご無沙汰していますがお変わりございませんか?ブログ楽しませて頂いています。
                    (1巡目7日目(通算12日目)に出逢ったYさん) 
   ・今年も元気に地区や地区の子ども達と遊びます。
                    (1巡目8日目(通算13日目)に出逢ったMさん
                            香我美へんろ小屋を管理してくださってます)
   ・私は今回146回目より始めます(車遍路のSさん)
      この方とは1回目:平成14年10月18日、26~27番へ向かう途中で
             2回目:平成15年 4月30日、53番で
             3回目:平成18年11月 2日、19番~金子やに向かう途中で会いました。

 

                        :;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

 

山友バージョン

   ・山も遠くなりました。○○さん今のうちですョ。(私にお遍路を教えてくれたFさん
   ・まだまだたくさんの山旅が出来ますね。私はもう日帰りもあやしくなってきました。ひとつ
    ひとつできないことが増えて寂しい限りです。これが老いですね。楽しんでください。
              (一緒に薬師縦走したYさん。H23年にあるき遍路も結願された)
   ・寒いですから風邪引かないようにお体お大事にしてください。お四国いいですね。
              (大正15年生まれの男性。鈴鹿の山をたくさん案内してもらい
                                    お遍路も教えてくれたSさん) 
   ・ご夫婦での「日本名山歩き」はご健在でしょうか。
                (山の会のリーダーのひとり。鈴鹿の山の本を出版されているNさん。

 

山は遠くなっていくのだと痛感するようになりました。体からのSOSを見逃し昨年暮れ大変な目に会いました。それはまた次回書きます。

では、今年も宜しくお願いします。

 

 

2011師走

2011京都紅葉のブログの続きを作成していたら、荷物が届いた。

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岩手の友達が毎年送ってくれるりんごだった。

宅配便の受取印を押すときから良い香りで、たまらず開けるとりんごの香りがフワ~っと広がった。さっそく食べた。たっぷり蜜が入っていてとってもおいしい。幸せ感イッパイになった。

 
 
 

時は同日。
友達から「今晩会おう」と電話があった。その幸せ感イッパイをおすそわけしようと[E:apple]5個取り出し、喜ぶ顔を想像しながら約束の場所に出かけた。

「いつものが届いたから持ってきたよ」という私の言葉にイマイチの反応の彼女。

私がアレ? と思うが早いか

「主人(62歳)ね、喉頭がんなの・・・・手術もできない重篤なの」と直球が飛んできた。
                        食道がんでした

 

こういうときってどう返答すればいいの?私は言葉を失った。
「ど、ど、どういうこと?」私はそう言うのが精一杯で、涙がじわっと出てくるのを感じた。

 
 
 

 

私が山をやるようになったのは、この夫婦に誘ってもらったのがきっかけで、テント担いであちこち連れていってもらった。花の名前もたくさん習った。彼らは100名山を目指し、かたや私は山の会に入ったので一緒に行く回数が減りはしたが、私たちは仲が良かった。

 
 

 

その彼は今、毎日治療にがんセンターに通っているという。治療の副作用なのか水も口に出来ず、家庭で点滴をし(入院でなく通院というのには驚いた)この2ヶ月で10数キロ痩せたと聞いた。

 

8月下旬に会ったときは、100名山が終わり元気そのものだった。お酒を酌み交わし酔いが回っていつものように饒舌だったのに。また一緒に山に行きましょうと約束したのに。何故、何故の繰返しだ。

 

でも、でも、私の叔父も喉頭がんだったけれど10年以上経った今も元気そのものだ。
「だから今は辛いけど元気になるよ絶対!」と彼女を励ました。 

別れ際に「治療が一段落したら会ってやってね」と彼女は言った。「もちろん」と私は約束した。

 
 

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数日前のこと。
山の会の仲間がオートバイに乗ってゆずを持ってきてくれた。それは東海地方で地震があった日で、来訪直後に震度3がゆすって怖かった。

 

病気も地震も予兆があるというけれど、いざ直面すると怖いのだ。どうなるのだろうと不安なのだ。
元気でいたいなぁ。みんな元気でいて欲しいなぁ。

 

 
 

2011鳩吹山(真禅寺~鳩吹山~⑮~⑰~⑱~真禅寺サブルート

平成23年9月19日(月・敬老の日)[E:sun]

夫の運転[E:car][E:dash]で鳩吹山へトレーニング山行。

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9月秋分の日の連休と10月体育の日の連休に北アルプスを企んでいるのだが、最近のツレは体力低下が激しい。私もヘタレだがツレはもっとヘタレ。なのでトレーニングにと鳩吹山へ。

 

Cimg0494                                   ホタルガ   

 

真禅寺に車を止めて真禅寺コースを登る。黄色のコースを行く。
                     

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それにしても暑い日で汗ビッショリ。

 

Cimg0497                                    木曽川 

 

今日は通ったことがない⑱のルートを登りで探検する。道はかろうじてついているがあまり歩いていないので蜘蛛の巣が気持ち悪かった。予想通り稜線に上がれ、ヤッタァ~と喜ぶ。

 

Cimg0502                クリックして大きくして見てください。ね、バッタです。

家でゴロゴロしてるよりはマシ程度のトレーニング山行でした。

          
 

          出発地  : 真禅寺P    120m   9:50発 
          到着地  :   〃        120m    1:55着
          標高差  : A 417m              1時間13分
                  D  392m                 1時間  8分 
          行動時間:                                 4時間  3分
          ピーク  :   313m鳩吹山  

2011北アルプス(ジャンダルム)③

平成23年9月13日(火)[E:sun]/[E:cloud] 前半

ちょっと寒くて夜中に目が覚めたが、朝までぐっすり眠れた。

Cimg0350奥に4人、手前の入り口側に3人。私は手前の入口側で寝たので寒かったのかも。昨年再建されただけあって寝具も部屋も綺麗。定員11の部屋で7人だったので快適だった。

窓から見えるのは西穂方面。この日はダメだったが天気が良ければ乗鞍岳が遠望できる。

 

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5:25天狗岳と間ノ岳が小屋の背後に聳え立つ。
右手の黄色が小屋が用意した宿泊用テントで、突き当りの茶色の小屋が3部屋しかない宿泊棟。1段下の赤い屋根は食堂棟。そのまた1段下がトイレ。各棟はつながっていないので雨の日の移動は大変だろうと思われる。プレハブの宿泊棟は雪崩倒壊予防で冬期は畳む。

 

 

Cimg03566:10岳沢小屋を出発。ヘリポートを抜けアザミやトリカブトが咲くお花畑を行く。ここはサラシナショウマが群生するらしい。 又の機会はその頃にしたいものだ。

 

小屋から1時間ほど登ると・・・・

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ザレザレになってきた。が、もっと大変なところだと想像していたので不安はなかった。浮石の急登なのでゆっくり登る。(降りは難儀でしょう、多分、いや絶対)

 

 

振り向けば遠くに[E:fuji]富士山が望めた。私はこうやって立ち止まってはアチコチ眺めるのが好きだ。それをしていてたら列が途切れガイドから注意を受ける。そんなに列を乱したつもりはなかったのだが。ツアーは勝手にあちこち眺めてはいけなかった。一応従おうとするのだがすぐに忘れてガイドを困らせた。ツアーに慣れていない私の歩き方は全くダメだった。ショーガナイヤツダ的なガイドの目線にビクビクしながら歩いた。 

 

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8:50天狗のコルに着。以前はここに避難小屋があったそうで石積みの名残があった。材料の石は豊富にあるが、畳岩の斜面を上手く利用して作られていたのには感心した。今でもここはビバークポイントとして利用されているらしい。(水なし・壁なし)

 

天狗のコルで休憩しながら、ガイドよりこの先の注意点を聞く。カメラ禁止令も出された。ふてくされ気味で仕方なくついていく。もとい!連れていってもらった、が正しい。

 

 

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9:10天狗のコルから奥穂に向けて出発。そのとき天狗岳から登山者がひとり、必死の形相で降りてきた(写真左端の黒い影)。なるほどほぼ垂直壁で大変そうだ。
残念なことに笠ヶ岳は雲に隠れていた。

 

延々と畳岩を登った。

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こんな感じで岩を掴んで登った。丁寧に登らないとガイドから注意が飛ぶ。(ガイド撮影)

 

Cimg037133ffc507dsこの写真もガイドが撮ったのでどこかわからないが、左側の白いザレは天狗沢だと思うので畳岩を登っているところだと思う。とにかく3点確保でひたすら登る登る。

 

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9:30振り向くと天狗岳が見えた。数人立っている場所がピークのようだ。ガイドの目を盗みこっそりパチリ。あぁ~あっちもいつか行くぞ~と見とれているとガイドから注意が!ゆっくり見ていたのがダメだった。ツアーに付いていくのはムツカシイ。

 

 

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9:40ここが天狗の頭なのか?両方がスパット切れていた。ここの通過は、私はきっとビビるだろうと思っていたが意外や意外、それほどの恐怖はなく大丈夫だった。これはガイドの了解を得て後続を撮影した。このころからガスが湧き出す。

 

 

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これもコッソリ撮影だが、どこを登っているのか全くわからない。地図を見たら注意を受ける。もっともガイド付きなんだから地図など見る必要ないということだろうが・・・。ショボンだ。みなお利口さんばかりで、私ひとりが不真面目な客だった。

 

 

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10:30休憩。写真撮影許可あり。雲の中から頭を出した笠ヶ岳。やっぱり笠ヶ岳は美しい。
荷揚げのヘリコプターなのか、この日はこの谷を北に向って何機も飛んでいた。しかし南下するヘリコプターはこの谷で見かけなかったので、きっと一方通行なのだと勝手に想像した。

 

 

D615d605sコブノ頭を登る。(ガイド撮影) 登りなので余程のことがない限り滑落はないが、這い上がるのもこれまた大変だった。

 

すると・・・・・

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10:45ついにコブノ頭に到着した。ガイドがジャンダルムだというそれはあまり格好がいいものでなかった。西穂側から見るジャンダルムは実にカッコワルカッタ。撮影許可が出たので奥穂とロバの耳のスリーショットを。

 

それにしても、このコブノ頭にビバーク跡(テント最適地)が数カ所あったのには驚いた。それらは頻繁に使われているようだった。水場はないけれどビバークという名目でテントを張るヤツが結構いるということだ。決して良いことではないけれど・・・・天気さえ良かったら・・・・いいだろうな・・・・と、ちょっと思った。本谷右俣にも、北穂池にも、奥又白池にもあったのと同じだと思う。

 

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それがそのコブノ頭。(ジャンダルム頂上から撮影)

 

 

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遠くに槍ヶ岳の頭だけが見えた。ズーム撮影したら槍から手前の稜線が手に取るようにわかりしみじみ穂高はいいなぁと思った。

 

 

さて、コブノ頭を降ってジャンダルムに取り付く。

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振り向くと後続がコブノ頭を降る所が見えた。すれ違い待ちの間に撮影。

 

ところが、ジャンダルムの頂上にあと数歩というところで足がツリそうになった。マジヤバイと思った。ガイドの指示に従わない不真面目だったツケがここで? ゴメンナサイゴメンナサイと唱えながら最後はスローモーションのごとくゆっくり登って事無きを得た。とうとう登頂を果たしたのだった。

 

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ジャンダルムまではひたすら登りなので危険なところはそんなにありません。
ここからです、核心部は。

さてこの先どうなりますやら。

                                      つづく

 

 

 

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映画「ガク-」を観ました。

コミック本が映画化されたものです。本も読んでいないし、主人公役の小栗旬もファンでないけれど、北アルプスが舞台だと聞けば、山をやっている者として観たいですよね。

 

主人公の島崎三歩は北アルプスのボランティア山岳救助隊。心から山を愛し、人を愛すアツイアツイ山屋でした。
一見ノーテンキ山屋バカ。しかし山の楽しさや厳しさを知り尽くしている。生死を目の当たりにして「よく頑張った」と語れる強さを持ち合わせている主人公でした。

 

そんな三歩役をうまく演じた小栗旬、適役でした。

 

私ね、NHK大河ドラマ「篤姫」(間違えましたぁ~天地人でした)での石田三成役の小栗旬には、ぜ~んぜん魅力感じなかったのに、今回の山屋役の小栗旬の笑顔やノーテンキさにはイチコロ。ホレテシマイマシタ。すましたイメージの彼のどこにあんな笑顔が隠されていたのか驚きです。

 

映画で「山で捨てていけないもの、それはゴミと命!」というセリフがありました。
山で眠る登山者を思うと胸が痛みます。

 

北アルプは雪解けが進み、夏山計画があれこれと頭をよぎります。
体力、技術、判断・・・決して遭難することがないよう気をつけます。

 

花盛り

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毎日まだかまだかと眺めていたバラが咲きました。今年の開花は10日ほど遅かったです。とってもよい香りがします。

 

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バンマツリ(蕃茉莉)も満開です。
2007年のGWにお遍路(3巡目)したとき、高知でこの木をよく見かけました。よい香りがすると決まってこれが咲いており、立ち止まっては眺めたものです。

お遍路帰宅後すぐ、偶然にもこの苗木と出逢ったのです。もしお遍路で豪華な姿を見ていなかったら絶対手を出さない貧相な苗木でした。それでも欲しかった。何度か鉢を大きくして、2年前からこんなに咲くようになりました。ナス科。

咲いたときの花の色は紫ですが、日にちが経つにつれ色が抜けて最後には白になります。お遍路の時は同時に何色もの花が咲くのだと思ったのですが、育ててみて色の変化が楽しめる木だとわかりました。この花が咲くと、苦しくても楽しかったお遍路を思い出します。

 

お遍路の話題でもうひとつ。携帯サイトのお遍路、とうとう結願しました。祝! 

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毎日の歩数(歩数計付き携帯)をメールで携帯サイトに送る仕組みのものです。設定すれば自動的に毎日の歩数が送信され、札所に着くと「○○番に到着しました」とメールが来るのです。

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私は当時、お遍路1日で6万歩ほど歩いた記憶なので、×40日(私が実際かかった日数)すると約240万歩です。画面の260万歩-240万歩=20万歩の違いは1周1400キロの設定なんだと思います。

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こんな紹介もあり、結構楽しかったです。1番に行くともっと面白いのにと思います。
大窪寺の紹介をクリックすると・・・

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本堂の画像が現れます。 やっと到着した1巡目の2003年10月16日(7年半前)のことを思い出します。あぁぁ~懐かしい!

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行きたくなります、お遍路に。くたくたになり、なぜお遍路を始めたのかと自問自答しながら歩き続けたあの頃が・・・懐かしいです。

 

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世俗での修行、私は歩き続けます。お遍路の時のように一歩一歩。

 

誕生日に雪が降る

備忘録
平成23年1月16日(日)[E:snow]

私の誕生日に雪が降った。
名古屋では珍しく15cmも積もった。何だかウキウキ嬉しい。

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そんな中を名古屋駅まで歩いて、高島屋で開催されている親鸞展に行った。

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♪犬は喜び庭駆け回る~という心境。、誰も歩いていない道をずんずん行く。まるで子ども。

 

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帰りも歩いた。こんな雪景色はめったにないのだから感激しないわけない。寒さなんか忘れ街を眺めながら歩いた。

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見慣れた通り(桜通り)なのに、まるでどこか遠くの町を歩いているようだ。
♪雪の降る町よ~

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高島屋で手袋を買った。自分への誕生日プレゼント!