2013 霞沢岳 ④ 日本山岳景観最高の場所

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K1(標高2590m)での景観の良さに長居しすぎた。K2に向かう。右がK2で左奥が霞沢岳。
 

 
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K1からは全容が見えなかったけれど、K2ピーク手前からの焼岳はお見事。2007年の10月に登ったので6年前。6年ってあっという間だね。 
 

 Cimg0372振り返ればK1(2590m)が低く見える。K2の標高は知らないけれど2600オーバーしてるね。 

 
Cimg0374 標識の類がないK2に到着。残すは目の前の霞沢岳。
上高地側に目をやれば、足元は帝国ホテルの赤い屋根。上高地から近いような遠いような霞沢だ。

 

[E:book]参考
徳本峠からの登山道は1984 (昭和59年)に開設され、それ以前は八右衛門沢などからのバリーションルートのみであった。

 

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その八右衛門沢の取り付きは、帝国ホテルに近い『八右衛門沢橋』の左岸沿いらしい。八右衛門沢~霞沢 

 


 
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11:30霞沢岳(2646m)着。ここからの穂高ももちろん素晴らしかったけれど、
天空に立っている気持ちになれたK1で感激し尽くしたので、このせまい霞沢岳では感激はなかった。K1より標高が高いのでここが霞沢岳のピークとなったのだろうけれど、私はK1かK2を霞沢のピークと言いたい。そのK1とK2と穂高を一緒に写した。

 

 
広くない頂上の奥まったところで湯を沸かしカップラーメンで腹ごしらえ。
昼食はK1でするべきだったと思いながら麺をすする。
 
 
長居する場所でもないので11:54霞沢岳をあとにする。小屋で一緒だった人とすれ違いながらK1に向かう。
 
 
Cimg0386img_5020 穂高が私を「どうだい?」と誘う。と、いつもの癖で空想している私。身も心も穂高にわしづかみにされ陶酔している図。気がつけば背後に夫。おっと失礼・・・オヤジギャグだ。
 

 
 
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今夏9月に岳沢から登った天狗岳(右)・間ノ岳(左)がカッコイイ。
 
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その天狗岳から撮ったのが、この↑霞沢岳。狙いをつけた山に登るほど楽しいことはない。

 

 

12:45にK1を通過し下山する。K1への登りも大変だったけれど降りもしかり。転がりそうな坂を踏ん張りながら一気に降った。

 

 

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遠くに見えるは常念岳。白く見えるのは雪か砂礫か?前常念岳がこのようにみえたのは初めてのこと。あそこは夫と降ったっけ。楽しかったねぇと話しながら降る。

 

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K1から1時間ほど降ると樹林帯に入る。綺麗に紅葉したムシカリ(別名オオカメノキ)

虫によく食われるので『虫狩』、葉が亀の甲羅のようにも見えるので『大亀の木』と名前がついたそうだ。

それにしても虫に食われた穴が顔のようで見ていて楽しい。まるでハロウィーンのかざりそのもの。

 

 

Cimg0399 最低鞍部で小休止のつもりが、居心地が良くて30分も休んだ。その間、通過する登山者なし。こんないい天気なんだもの、小屋泊の人はゆっくりするさ。我々はまだ先が長い。さぁ~行きますかと渋々腰を上げる。

 

 

最低鞍部(2261m)からJPまで200mほど上がる。まだかまだかとかなり悪態をついた。この時点で8時間半歩いていたから、馬力が出ない。

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ツルリンドウの実。これでもかという登りで、この赤い実にはずいぶん元気づけられた。

 

 

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PM3:00 ホウホウノテイでJP(2428m)着。ここまで遠かった。

アミノバイタルを夫に差し出す。「頓服か」に爆笑。効果があるのかどうか定かで無いけれど、この先1000m近く降るのでコレにすがる。

 

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長居は無用。その頓服を飲んで降り始めた。

 

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JPから30分ほど降ると、明神・前穂それに上高地を捉える。が、上高地までまだまだ2時間はかかるはず。明るいうちに降りたい。

 

PM3:51(2091m)小屋分岐で立ち休憩。上高地から上がってきた登山者3名とすれ違う。「もうそろそろ小屋ですか?」「あと10分もかかりませんよ」

 

 

 

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上高地は少しずつ近づくけれどまだまだ遠い。下り一辺倒は飽きてくる。

 

スタートから10時間経過。さすがに疲れた。ベンチに横になって、手足を上げて少しでも血液を戻す手助けをする。脳に酸素が不足するとロクなことにならない。夫にもやるように言っても、タバコを吸っただけでやらない。

 

さらに歩き出して間もなく、夫が大きくこけた。疲れているときこそ慎重にかつ丁寧に歩かないとこうなる。幸い大したことなく助かったけれど、打ちどころ悪く遭難扱いになっていたらと思うとゾッとした。

私は穂高を見上げ「私のコース選びは欲張りでした。もうしませんから無事に帰してください」そう反省した。一応。 

 

Cimg0407img_5034「真っ暗になる前に上高地に降りれるかなぁ。」

「さぁ~」

「あ~お腹がすいた。なんか食べたい!」

「お前は山ではよく食うな」

飽き飽きするほど降りの連続なんだもの、食べることしか考えられない。

 

ようやく「まっすぐな道でさみしい」まで降りたけれど、これまた長かった。本当にさみしい道だった。

 

Cimg0408PM5:25 真っ暗になる前に明神分岐についた。右から来た背の高い男性について明神館の方へ向かう。

10分ほどで明神館着。もう6時の最終バスは諦め、タクシーの予約をしようと公衆電話(上高地は河童橋奥は携帯圏外)に向かうと、先程の背の高い男性がタクシーを予約していた。同乗を願うと快くOK!、しかしまだひとり女性が歩いてくるのでしばらく待って欲しいと。我々も何かお腹に入れたいのでザックを下ろし休憩した。

 

その女性を待って、バスターミナルに向かう途中でとうとう暗くなった。ヘッドライトを装着し道中話を聞くと、彼らは『本谷~北穂池~涸沢』だったそうな。

私も2008年9月に行っているだけに話に花が咲いた。今回の山行は超ハードだったけれど、最後に北穂池の話で盛り上がれたのはよかった、というのが双方の弁。終わりよければ全て良し・・・まったく懲りない面々だった。

 

PM6:30 4人はタクシーに乗車。「もう、これで歩かなくてもいい」とか「車は速い。文明の利器」とか正直な感想が出る。こうやってだんだんと日常の世界に戻っていった。

 

沢渡Pはそれぞれ違った場所だったので、我々が先にタクシーを降り別れた。PM7:15。

 

駐車場の前の『木漏れ日の湯』に入って夕食。PM8:30頃車に戻って仮眠のつもりでシュラフに入ったら朝方まで寝てしまった。夫は4時頃起きて運転。私はしばらく寝台車移動だった。

 

AM7:00ころ無事自宅に戻る。

今回はハードだったけれど楽しい山行でした。   おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

北アルプス

北アルプス
山の天気がようやく安定したので 北アルプスに来てます。
稜線に上がるまでは汗ダクダクでしたが稜線上は快適です。
添付写真は左から前・奥・北穂高

七夕祭り

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地元の円頓寺(えんどうじ)七夕祭り、今日から開催。

 

Cimg3285 ミッキーマウスのハリボテを見上げる浴衣を着た可愛いお譲ちゃん

 
 

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七夕祭り用なのか、この交差点に見かけないこんなオブジェが。これは秀吉。交差点四隅に信長と家康となぜか水戸黄門が。家康の前は畏れ多くも屋台が設置されていた。「お祭りが終わるまで待とう」と了承してくれたのかな? 
 

 
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スーパーボール掬いに興じる子どもたち。オジサン汗びっしょりで対応。
 

 
Cimg3294 これは『なめこすくい』。こんなのあること知らなかったので見てると、金魚すくいのポイで掬って商品に替えるシステム。すぐに破れてもう一度やるという子どもと親とのやり取りは今も昔も変わらない。だって1回300円だよ。高くてびっくり。
  

 
 
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商店街のお肉屋さんでベーコンと焼肉用のお肉を買って帰りました。
 
シャッター通化しそうな商店街の年1回の催しでした。
 
 
 

踊る

通っているスポーツジムの『はじめてのフラダンス』なるものに参加してみた。

 
 
スタジオに入ると皆(以前から習っている人たち)かわいいスカートをはいて準備万端。

そんな中、鏡に映る簡素なトレーニングウエアー姿の私はまるで醜いアヒルの子。そんな私に気付いた先生がスカートを貸してくださった。

 

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一度履いてみたかったんだよね、こんなの。貸してもらえるなんて思わなかったので小躍りして喜んだ。
 
 
先生の振りに習って、
ニタニタしながら腰を振って踊った。

やっぱりスカートの力ってすごいね。
 
 
 

スカート買おうかな!

 

 


ジューン・ブライド

Cimg3042姪の人前結婚式に参列しました。

バージンロードを歩く父親と花嫁よりも、それを見守る母親を見て、ウルウル来ました。

 

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素敵なドレスでした。

 

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6月に結婚した花嫁は幸せになれると言います。そうなることを祈ってます。

2013バラ

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つるバラが綺麗に咲いてくれました。

 

Cimg1594_2隣家取り壊しで,今まで隠れていた我家の壁が現れたのは昨年の夏のことでした。 売地(2100万円)なので買い手がついたら家が建つ可能性は大ですが、すぐに売れないことを祈ってバラ計画を始めたのです。

1月の寒風のなか買い手がつかないといいなと祈りながらバラの誘引をしました。隣地売れたと聞いたときは、花を見ずして撤収かなとがっかりもしましたが、家が建つ気配はなく、幸運にもサラ地のままゴールデンウィークを迎えることができたのです。

Cimg2799昨年夏に イメージした通り、白いキャンバスに満開のバラを咲かすことができたときは感無量でした。

しかし、 近々家が建つようです。 なのでこの場でのバラ栽培はもうすぐ終わりようです[E:weep] はじめからわかってやり始めたことなので仕方がないというほかありません。  

 

Cimg2795  ここに咲かせたいという思いが叶ったことは幸せでした 。なんて強がってますが本当は『ずっとこの場がほしい』と心叫んでます。

何も知らないバラたちは、来年に花をつける立派なシュートを出し始めました。「今を一生懸命生きなきゃぁ~」と言っているに違いありません。    
 
 

Cimg2804 この景色が閉ざされる日は、そう遠くないでしょう。残念でなりません。

 

  

 

この旅の目的は? その6

大仏広場にある売店横からその長い階段は始まった。

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階段(2639段)だらけの境内は四国71番札所の弥谷寺のようだった。 軽快に登っていたら 極寒のというのに 汗ば。汗をかかないくらいの ゆっくりペースにシフトダウンする。 

 

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どこからともなく現れた若いカップルと前後しながら登った。この彼女、「うぅぅはぁ~はぁ~はぁ~」とまるでお産の時のようなうめき声(夫の弁)を発するので この階段が余程しんどいのだと思った。

 

しかしそれは体育会系によくあるヤケクソな掛け声だとわかる。いたわりながら注意るのは君だろ !と片割れの彼氏を見ると、辟易しているのか本物のヘタレなのかわざと少し離れて登ってくるようにも見える。

 

こちらが立ち止まると止まり、振り切ろうとペースを上げると面白いぐらい食いついてくる豪傑な女子絶叫とも言える声 エンドレスだった。   

 

オッサン女子とヘタレ男子の図が強烈だったので日本一長い階段を持つ境内がどんなんだったかまったく思い出せない。

 


Cimg2388img_4486展望台から東京湾を見下ろす。   

 

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ワンダホー!ビューティホー!
ここは
上総(かずさ)と安房の国境らしい富士山は見えなかったけれど太平洋を一望する景色は満足なり。

 

眼下の集落は、東京湾を横断するフェリー乗り場の 金谷港 

 

また来ることがあるなら、船で千葉に上陸してみたい。 

 

 

この鋸山は昭和57年まで石切場だったそうでその名残が各所で見られる。

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そのひとつがこの『地獄のぞき岩』 垂直に切り立った岩に立って下をのぞくと・・・・

 

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一体全体どうなっているかわからいほど深く削られていた。

 

このあと、この下に降りたら、あっと驚くタメゴロ~(古っ)だった。

続きはまた次回
 

2013桃の節句

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今年の桃の節句は日曜日なので、初節句のお祝いにはいいでしょうね。

 

今年も母が飾ってくれたけれど、ぼんぼりをまた忘れてました。

 

80歳になっても、子(私たち姉妹)の為に飾ってくれる母の気持ちは嬉しいものです。

 

お雛様のお膳は立派ですが、私たちは例年通り、出前のお寿司とはまぐりのお汁。夫と母と私の三人で桃の節句を今年も祝いました。

2013寒中お見舞い その3

その1   その2 

 

1月の連休明けひどい風邪をひきました。

 

 

耳鼻科では、鼻と喉が炎症を起こしているという診断でした。思い当たることは、友達の死で号泣したこと。そういえば目も鼻も喉も痛くなるほど泣いたっけ・・・。

 

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                   マジ?湿度38% これでは喉が・・・加湿器を最強にON 

  

咳とクシャミと止めどもなく出る鼻水。夫に伝染るといけないので、鼻に栓をしてマスクをして隔離部屋に閉じこもってました。

 

その鼻栓ですが、クシャミが余りにも大きいものだから 空気鉄砲のコルク玉のごとくポンと勢いマスクの中に発射、それも同時に2発ですおかしいやら情けないやら、 日がな一日鼻水と格闘していました悶々として安静どころでなかったです。

31ls4tdhexl__aa160_薬を飲む度に、今度こそ少しは楽になるかな~?と祈る思いでしたがそんなに甘いものではありませんでした。ずいぶん苦しみました。  

 

号泣が原因(葬式自体が風邪のウイルスがウヨウヨ)であるかよくわかりませんがよりにも寄ってメデタイとされる自分の誕生日に、鼻栓をして家庭内別居だなんて なんとも情けないことした

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                         美濃忠の栗入りぜんざい

体を温めなさいと夫からのプレゼント(お見舞い)は「栗入りぜんざい」。これは大好物。ふ~ふ~しながら誕生日を祝いました。

 

 

私の風邪が最高潮のころ、先に書いたように妹が子宮+卵巣摘出手術を受けました。付き添ってやりたかったけれど、私がこんな状態では接触避けなければいけません。

 

「私は大丈夫。お姉ちゃん風邪大事にね」オペ前の妹からメールをもらうなんて考えてもみないことでした 不安泣いているに違いないと思うと、姉として 心が痛みました。「少し怖いだけだから頑張るのよ」と返信しました。病人が病人を見舞うという体験はそうあることでなく、貴重であったと思います。

 

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                      1/26名古屋に雪が舞いました。

 

妹は私見舞った翌々日の1/30に予定より1日早く 元気に退院しました。

その代わり、夫私の風邪が伝染りゴホンゴホンとやりだしました。
せっかく家庭内別居してたのに。
何より今回の病気は、おもいやりのこころ伝染るものでした。

 
  

 

 

 

宮沢賢治「雨ニモマケズ」「そういうものに私はなりたい」と結んでます。

丈夫なからだをもち/慾はなく/決して怒らず/いつも静かに笑っている


 ・・・・褒められもせず/苦にもされず/そういうものにわたしはなりたい

  

 

賢治が言う「そういうもの」に私もなりたいと常々思っています。

 

本来ブログに書くようなことでないことを時系列でダラダラと書きましたが、書くことによって少しは自分の癖が見えてきたような気がします。まだまだそれを言葉に出来ないもどかしさはありますが・・・。

 

気がつけば1月も今日で終わりです

これにて寒中お見舞いシリーズはお終いです。どうかご自愛ください。[E:happy01]

 

 

「雨ニモマケズ」

     雨にも負けず

     風にも負けず

     雪にも夏の暑さにも負けぬ

     丈夫なからだをもち

     慾はなく

     決して怒らず

     いつも静かに笑っている

     一日に玄米四合と

     味噌と少しの野菜を食べ

     あらゆることを

     自分を勘定に入れずに

     よく見聞きし分かり

     そして忘れず

     野原の松の林の陰の

     小さな萱ぶきの小屋にいて

     東に病気の子供あれば

     行って看病してやり

     西に疲れた母あれば

     行ってその稲の束を負い

     南に死にそうな人あれば

     行ってこわがらなくてもいいといい

     北に喧嘩や訴訟があれば

     つまらないからやめろといい

     日照りの時は涙を流し

     寒さの夏はおろおろ歩き

     みんなにでくのぼーと呼ばれ

     褒められもせず

     苦にもされず

     そういうものに

     わたしはなりたい