左)夏みかんの花
右)旧田中別邸をバックに夏みかんのソフトクリーム
ガイドブックによると、このまつり会場は、明治9年小幡高政(オバタタカマサ)が日本初の夏みかん栽培を始めた地だとか。今ではこの夏みかんが、萩のシンボルとなっています。
まつり会場に隣接している旧田中別邸へ。
小幡高政の所有から、昭和2年の総理大臣、田中義一の別邸となる。しかし平成10年に土地・建物を萩市に寄贈したので、旧田中別邸となった。
大将服をはじめとする田中義一ゆかりの品々が展示されているほか、往時の重要人物を迎え入れるにふさわしい造りの部屋がたくさんあり、日本家屋の良さを感じるものでした。
自転車を走らせ次の目的地、オープンガーデンの山本邸へ。
年季の入ったバラがこれまた年季の入った建物の壁を覆っていました。
ご主人がバラ好きだとか。派手さがない山本邸のお庭は私の好みでした。
ここで勧められた室田家のオープンガーデンへ。
室田家の庭は、藍場川の水の流れを引きこんだ日本庭園でした。川の水の流れを引き込んだと聞いて思い出したのは2008年に訪ねた京都にある山県有朋の無鄰庵。そこは琵琶湖疏水を引き込んだお庭でしたが、水を引きこむなんて大工事のはず。どちらも相当な資産家に違いありませんね。
その山県有朋は長州の出身で、この室田家から至近距離のところで誕生しているようです。
この室田家では箏と尺八の演奏がありました。一般的な13弦が3面、相の手パートの17弦が1面、計4面の演奏は素晴らしく聴き入りました。初めて見た17弦の柱の大きさにびっくり。17弦は先生と思しき方が力強く奏でていました。
併設して喫茶室があり、夏みかんがゴロゴロ入ったデザートを頂きながら一服しました。
この喫茶室入口に夏みかんが販売されていて、尋ねるとこのお庭で採れた無農薬とのこと。マーマレード用に速攻買いして、自転車に積んでコンビニから自宅に送りました。
自転車で北上し、旧萩藩校明倫館を外から眺め、萩城城下町へ。オープンガーデンの畔亭で昼食とする。
私は、酢飯に鯵がのった丼を注文。萩焼のその器は私の好きな柔らかい柄でした。
昼食後、萩焼のお店を見学。その後、高杉晋作誕生地へ。
晋作が生まれた家の表門。現在は当時の南半分しか残っていないらしい。
晋作の魂がここに帰ることもあるのだろうか。あのヒーローが生まれ育った家だと思うと心の高ぶりを感じる。
(意味)西行を慕って頭を丸めたけど、自分のこころは逆に東へ行くのだ。
その心は神だけが知っているのだろう。
(高杉晋作誕生地でもらったパンフレットより抜粋)
破天荒な生き方をしたイメージの晋作。29歳、志半ばで血を吐いて死んだ龍馬伝でのシーンを思い出し、この句碑の前でたたずむ。せめて神だけでもわかってほしいという切ない思いが伝わってくる。
晋作誕生地から2本東に行った通りにある木戸孝允旧宅へ。
木戸孝允は、萩藩医の和田家に生まれる。8歳で桂家の養子となるが養父母を亡くしたため、その後は実家の和田家で過したらしい。33歳で木戸孝允と改め、45歳京都で病死する。
江戸に出るまでの20年間を過した和田家の部屋の様子。萩藩医の家の子だけあって、しっかり教育されたことがわかるものがそこかしこに飾ってあった。孝允が生まれた部屋というのもあって、孝允の人生のひとコマを垣間見た気がした。それにしても立派な家庭だったことが伺える。
まだこの城下町を見学したかったが、松蔭神社地区へ自転車を走らせる。