2011京都紅葉③ かわらけなげ

平成23年12月4日(日)[E:sun]

槙ノ尾を出たバスは1分ほどで山城高雄に着きました。

Cimg0780

せっかく仕入れたフリー乗車券ですから、使わないともったいないというガメツイ考えでバスに乗ったのですが、ここは散策するほうがずっといいでしょう。 

 

槙ノ尾と違って茶店やお土産屋がたくさんありました。お土産屋さんの脇から長い石段を下って、清滝川に架かる高雄橋まで一旦降ります。

 

Cimg0781 すると神護寺に入る長い石段が見えました。足が弱い人はちょっと大変なお寺ですね。
紅葉最盛期を過ぎたので訪れる人はわずか。でも三尾の中では一番賑わっていました。

 

長い石段の途中にある茶店で一服しました。もみじ餅を注文。半殺しの餅にこし餡がのったもので[E:maple]の形はしていません。ガラスキだったのに次々お客が入ってきて、先客の我々はほったらかし。ずいぶん待たされました。

 

 

 Cimg0782  Cimg0783
 

再度長い長い石段を行きます。400段あるそうです。下ってくる人に労われながらようやく上がりましたが、残念ながら楼門前の紅葉は終わっていました。

 

Cimg0784

金堂の中には20人ばかりの白衣を身につけた団体がいて、お坊さんの「よくお参り頂きました・・・」という話が始まるところでした。高野山真言宗の別格本山と案内に書かれているので四国遍路姿なのでしょうか。後ろ姿からはそれは伺え知れません。

 

持参のろうそく・線香3本を灯し、ご本尊薬師如来のご真言おんころころ・・・を3回唱えました。 

 

帰り道に解ったことですが、金堂内にいた白衣の人たちは四国八十八箇所のお遍路さんでした。声をかけて聞いて見ると、高野山の帰りに寄ったと言います。結願したのですねと少しお話をしました。遠くから来た(聞いたけれど失念)ので空海ゆかりのお寺を観光したとのことでした。バス遍路といっていましたが、その足取りは私の友達よりしっかりしたもので長い階段もヒョイヒョイでした。あれなら歩き遍路でもできそうな勢いを感じました。ここ神護寺の初代は空海で14年間住職を務めたことなど、このお遍路さんに出会って知った次第です。

 

Cimg0785
私ひとりで多宝塔まで行きました。そこから金堂を見下ろす景色は素晴らしいものでした。

 

Cimg0787
友達を追いかける道は赤と緑のコントラストが素敵で、散り紅葉ならではの景色です。

 

Cimg0790 Cimg0788

境内一番奥にある地蔵院のお庭から清滝川が流れる錦雲渓が一望でき、かわらけ投げをしました。

2枚100円の小さな素焼きの皿を投げると厄払いができるということで、女3人はそれを買い求め錦雲渓に投げました。が、友達のひとりは満足に投げられず(実は少しも飛ばず足元に落ちた)がっかりな様子。するときびすを返してもう1組買いに走り2度目に挑戦しました。2度目はそれなりに飛んでいき、見ている方はヤレヤレでした。

 

Cimg0791 とりあえず厄払いし、気持ち新たに神護寺を下りて行きました。

 

高山寺の明恵は9歳のときに神護寺に入ったといいます。そして白洲正子著『かくれ里』に、ここで西行と明恵は会っているとも書かれています。空海・西行・明恵のつながりがあるここ神護寺はとても興味深いお寺でした。

 

来た道の石段を下ってからまた登ってバス停に戻りました。

バスに揺られ、今度は京都市街に下がって行きました。つづく