2006徳島(18~19)

区切り2回目の初日 晴れ時々曇り

Sikoku1_1

お四国の 景色恋しく 秋遍路

またお遍路にやって来た。
半年ぶりである。

日常でこころが萎えてくると、無性にお四国が恋しくなるのだ。

夜行バスは、5:15まだ薄暗いなか徳島に着いた。
寝ている間に到着するのだから、私にはとても便利な交通機関である。
目が覚めたらお四国という世界に到着と言うわけだ。
一巡目の頃は寝られなくて困ったが、今では夜行バスで寝るのも上手くなった。

徳島駅からJRに乗って府中駅(こうえき)に出た。(210円也)
6:00歩き始める。
だんだん明るくなっていく。

今回は、春に区切った17番から23番を歩く計画である。

17番にご挨拶と思っていたのに、私の足は18番の方に行きたがって仕方がない。
まぁ、いいでしょう。
先に行きたがる私の足に、ここは付き合うことにした。

今日歩く道には、1巡目のとき(平成14年5月14日)へとへとになった苦い記憶がある。
それに比べたら、今日の私は4歳も年を取っているにもかかわらず、元気である。
初日だからなのか、嬉しくてたまらないのだ。

         * * * * *

せせらぎに、手作りのししおどしがいくつもあるへんろ道を通った。
その地蔵峠を越えると園瀬川に突き当たる。
交通量がものすごい。
国道なのか県道なのか、その一段下の安全な道を川沿いにしばらく歩いた。

八万南小学校に登校する生徒がとてもかわいい。
ここまで来る道中で、幼稚園児にも会った。
「お遍路さん、こんにちは~」と手を振ってくれる。
見ず知らずの私を歓迎し挨拶してくれる土地が、四国以外どこにありましょうか。
「和顔施」とは、きっとこういうことを言うのでしょう。
自然に顔はほころび、こころがやんわりと解放されていくのがわかる。
こうなると、もう魔法にかかったように不思議な力が湧いてくるのだ。
    
         * * * * *

法花に入って、バス営業所待合室のベンチを見つけた。
以前歩いたときは、大勢の人がいたのに今日は誰もいない。
しめた。
歩き始めて2時間、ちょっと疲れてきた。
ベンチに横になった。

はっと、気づいたら、運転手さんが目の前に立っている。
数分であるが、本当に寝てしまったのだった。
「すみません、すみません、つい・・・・」とぺこぺこ頭を下げ謝ったら、
「ゆっくりしていってください」とおっしゃる。
お遍路に対してのやさしさが身にしみる。
へんろ小屋のようにありがたいバス営業所だった。

     へんろ小屋 見つけて昼寝 また歩く

         * * * * *

とうとう魔の55線に出た。
以前は、この国道で何度休憩したことか。
今回も交通量は多い。
前を見ても後ろを見ても、また通りの向こうを見ても、私以外にお遍路はいない。
まさに、お大師さまと同行二人。
徳島ラーメンの看板を横目に、とぼとぼ歩いた。

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お大師さまに導かれ、やっと18番恩山寺に着いた。
この赤い橋はなつかしい。
またお参りさせてもらえることにお礼申し上げた。

参拝後、境内で歩き遍路の男性に出会った。
このときはまだ知らなかったが、野宿へんろだった。

この先、釈迦庵の仏足石を見るために、山道のへんろ道を行く計画なのだが、ひとりでは心細い。
そこで野宿へんろを誘ってみたら
「ついていきます」と欠けた歯の笑顔で言ってくれた。

それがこの男性、私より臆病だということがすぐわかった。
私も蛇は怖いのでお互い様だが、彼は山歩きが相当の苦手。
男性なので登りは馬力があっても、降りは危なっかしくて見ていられない。
それに、蛇を追払うかのように杖を思いきり突いて歩くのだから可笑しくて仕方がない。
まぁ、旅は道連れ世は情け。

釈迦庵に着いた。
ここのものは、四国最古の仏足石だそうな。
大きく割れ、角も丸くなっており、相当古い(400年以上前)ものだということがわかる。
奈良の薬師寺と同じ法量があり、足の病が癒えるとか、足の疲れがとれるとか。
裸足で上に立ってもよいと聞いていたのだが、透明な板で保護してあるのでだめである。
私も残念だったが、足を痛がっていた野宿へんろは、もっと残念がっていた。

         * * * * *

不義の天罰を受けたという逸話が残されているお京塚を過ぎ、19番立江寺に着いたのは、12時を少し回っていた。
予定より時間をオーバーしているが、まぁ、仕方がない。

         * * * * *

ここから、お接待が続いた。
櫛渕の八幡神社で足を休めると、ゲートボールをしていたお年寄りが、順番にやってきては、おみかん、100円など下さる。
おひとりとお話が済むと次のお年寄りがやってくるというわけだ。
この順番お接待で、随分休んだ。

そこから22号を歩くと、右側に冷泉が湧いているのを、野宿へんろが見つけた。
このあたりに冷泉が湧いているとは、新しい発見であった。

そこを過ぎたら、車が止まった。
差し出されたものは、ポンポン菓子のお接待。
そのとき、私の記憶が、ものすごいスピードで巻き戻された。

26~27番間でこれと同じものをいただいた事を告げた。
「9年間ずっとこのお菓子でお接待しているから、多分、自分である」とおっしゃる。
そのとき、ろくにお礼を申し上げなかったことを悔やんでいたと伝えると、金の納め札を下さった。
すると、見覚えのあるお名前が書かれている。
えっ、〇〇さんですか?
53番で、銀の納め札を下さった〇〇さんだったのである。

1回目:平成14年10月18日、26~27番間でぽんぽん菓子のお接待
2回目:平成15年 4月30日、53番間で銀の納め札
3回目:平成18年11月 2日、ここでぽんぽん菓子と金の納め札のお接待を受けたのである。

すべて同一人物だった。
不思議な縁をたぐり寄せたことに驚いた。

今春のお遍路でも、間違いなく再会であると思われるお二人にお会いしてる。
名前をお聞きしていないので確かではないかもしれないが。

そんな「からくり」が、このお四国にはそこかしこにある。

         * * * * *

そうこうして、4時に金子やに着いた。
この先で寝場所を見つけるという野宿へんろと、ここで別れた。

     宿に着く 洗濯待ちの ひとだかり

1台しかない洗濯機の順番を待つかごがいくつも並んでいた。

その夜、宿の前は、もうクリスマスの飾りだというイルミネーションが華やかだった。
お四国に、クリスマスがあっても不思議でないが、なんか不似合いだった。

こうして一日目が過ぎていった。 

  • 金子や3階蔦の間(6000円也)
  • 歩きへんろ11人
  • 歩いた距離32.7km               NEXT