2011北アルプス(ジャンダルム)①

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ジャンダルムgens d’armes フランス語で憲兵。転じて前衛峰の意)は、奥穂高岳の西西南にあるドーム型の岩稜で標高は3,163m。 ・・・・・ウィキペディア抜粋

 

 

 

あれは2002年夏だった。
初めて登頂した奥穂高岳(岳沢~前穂~)からジャンダルムを見た。

そのテッペンで豆粒のようなものが動くので目を凝らすと、なんと人が立っていたのには驚いたものだ。そのころの私はそこがバリエーションルートだということも知らず、ただカッコイイナと眺めた記憶だ。

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そして翌年。
2回目奥穂に登頂(涸沢~)したとき、どうやら奥穂⇔西穂のルートがあることがわかったが、どう見てもそこは[E:danger][E:danger][E:danger]自分が行ける所ではなかった。

 

 

ジャンダルムは槍ヶ岳のように、どこからでもわかる山容ではないが、穂高の稜線をたどればそれだとわかる。笠ヶ岳、奥丸山、黒部五郎岳、三俣蓮華岳、双六岳、大天井岳、北穂高岳、涸沢岳、西穂高岳から見つけては「行きたいなぁ~」と思うようになっていった。河童橋からも探せばわかる。 

29                                上高地HPより

 

山をやる多くの者が憧れるように、私もそうなっていった。アルプス中毒になっていったのである。

 

西穂~奥穂縦走は、それなりの経験と技術(もちろん天候と体力が重要)がいるが、慎重に行けば私でも行けるのでは?とだんだん思うようになっていった。

しかし相棒がいなくて西穂高岳から先のジャンダルムへは2006年から足止めをくっていたのだった。ソロで行くほど技術も勇気もなく、個人ガイドを考えたがずっとアンザイレン(安全確保のためにロープを結び合う行為)だそうな。ルートファインディングや自由自在がないそれは生意気だが嫌だった。

 

『山は逃げていかないが体力は低下する』
自分には関係ないと思っていたのだが、気がつけば・・・体力の低下は否めない。せっかくだものヘロヘロで縦走するのではなく、体力があるうちにやっておきたい。

 

そんな思いから、本意ではないがツアー(アンザイレンではない)に申し込んだ。今年の1月のことだった。

 

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しかしそのツアー(9/1~)はノロノロ台風12号で中止となり、順延日もとても行けそうになく泣く泣く諦めることになった[E:shock] 諦め切れずしばらく立ち直れなかった。

 

鼻先に人参(ジャンダルム)をぶらさげ、半ば強引に仕事や家庭のことをやりくりするも空回りばかりで、諦める・諦め切れないを繰り返す。それでも何とか片付け、ダメモトで出発3日前にツアー会社に問い合わせてみた。

 

幸か不幸か空いていたので滑り込むことができた。が、出発前からグッタリ。
中止から再参加を申し込むまでの1週間の葛藤状態は非常に苦しいものだった。

 

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                                     つづく