2年前(2009)は天候が悪く、ひょうたん池まで行けなかった。今回また行く機会を得たため上高地入する。
釜トンネルを抜けると雨がパラパラ、大正池あたりで本降りになる。正午、上高地でバスを降り傘をさして歩き出す。
雨のお陰といっては観光客に悪いが、かき分て歩くことはしなくてすんだ。8ケ月ぶりの上高地はそりゃあもう嬉しくてたまらない。雨が降っていることなど忘れ快適に歩いた。
ズミかコナシか詳しく知らないが、桜に似たバラ科の木は綺麗な花をつけていた。ニリンソウやラショウモンカズラ(↑写真)ユキザサもたくさん花をつけている。ひっそりと咲く花を見つけながら歩く。
1時間ほどで明神に着く。明神館のカンボクはまだ花をつけていない。やはり上高地も、今年は花の時期が遅いようだ。
明神岳麓にある嘉門次小屋前の野外コンサート(昼の部)はピアノが濡れるので中止になる。
明神岳が崩壊したときにできたという明神池は、神が降りてくる池(神降池)といわれている。歌うことは得意ではないが、その穂高岳神社奥宮内で歌ってもよい機会を逃したのは、ちょっと残念な気もした。
そもそもどの山も神聖な場所で、不埒を働くととんでもないことになると私は思っている。遭難が怖いので、神の逆鱗に触れない登山を心がけているつもりなのだが・・・・。
雨なので散策もままならず、嘉門次小屋の囲炉裏端で過ごす。
誰かのおごりでイワナの骨酒を飲んだ。私は下戸だけれど、美味しいものだった。男衆はずっと飲んでいるのでだんだん出来上がっていく。皆それぞれの解放の仕方で過ごす。
小屋の食堂は夜のコンサート会場設営のため使えないので、このような景色↑の中にある屋根付きベンチ(外)で夕食。小雨降るなか趣があっていいものだった。
山菜の天ぷらが美味しかった。「これは横に生えている雑草だ」。老若男女がワイワイと修学旅行のようにはしゃぐ。
夕食後の夜の部コンサートは、あのウエストンを案内した上條嘉門次のひ孫にあたる4代目あるじの進行で始まった。
[E:note]うたを忘れたカナリヤは
後ろの山に捨てましょか
いえいえそれはなりませぬ[E:note]
この歌は私が子どもだった頃、親がよく歌ってくれた。私は好んで1番をエンドレスで諳んじていた記憶がある。「いえいえそれはなりませぬ」その歌詞について親が何か話してくれたことをよく覚えている。そのせいか子どもながらに好きなフレーズだった。
2番、3番、そして最後の「忘れた歌を思い出す」は、心の琴線に触れるものだった。様々な想いが幾筋の涙となって流れた。
今一度カナリヤを聞きませんか?こちらからどうぞ。
こうして私の2011年北アルプスの幕が開けた。
眺める山だった明神岳に入り、その懐にある「ひょうたん池」に明日は立てるかな・・・そんなことを考えながら幸せな眠りについた。