平成27年1月16日(金)
6:30起床。身支度を整え、朝食なしなので出立の準備をする。
(ここの宿の朝食は8時から。それでは出発が8時半を過ぎる。お遍路は早出)
玄関先で「お世話になりました~!」と何度声をかけても昨日と同じく応答がない。仕方がないので一人寂しく宿を出る。まったく変わった宿だった。
7:00 愛想なしの民宿紆海を出発。
今回のお遍路の目的はいくつかあるけど、そのひとつ「足摺岬で還暦を迎える」を達成する日がとうとう来た。標準を足摺岬にあわせるのは難しかったけれどここまで来ると嬉しくて足取りが軽い。
人も車も通らない波の音だけのなか「ハピバ~スデーツ~ユ~!ハピバ~スデーカンレキ~!」大きな声で歌いながら歩く歩く歩く。
ね・うし・とら・う・たつ・み・・・・の十二支で言えば私は未年の生まれである。
干支には、十二支以外に甲・乙・丙・丁・・・・・の十干を組み合わせたものがあると学校で習った。その十干(10)と十二支(12)の最小公倍数である60年で干支が一巡し、生まれたときの干支に戻る。それが還暦という授業だった。
今年の干支は「乙未(きのとひつじ)」。本当に自分の生まれた年もそうだろうかとググってみたら、その通りだった。高1のとき、母方の祖父が還暦を迎え、赤いちゃんちゃんこに赤い頭巾でお祝いをした思い出があるけれど、自分もそんな年齢になったのかと思うと感慨深い。
歩き始めて30分ほどしたとき、後ろを振り向くと「大岐の浜」の白浜が綺麗に見えた。楽しく遊んだのは昨日のことなのに、なぜだか遠い過去のことのように思えるのは何故だろう。
窪津・定置網観光という看板。沖を見ると二艘の船が浮かんでいる。定置網を仕掛けているのだろうか?
ほら見て!イワシがぎっしりつまった棚がズラリ。定置網ならではの漁獲量に驚く。日と潮風に当ててからどうするのかな?
ここの景色は懐かしい。1巡目の12年前、左側のガソリンスタンドでトイレを借りた。そして突き当りのお店で鰹節など海産物とブンタンを買って自宅に送ったっけ。(当時の遍路地図を見たらこのことが書き込まれていた)
そのお店の右側の遍路道(山道)に今回は進む。1巡目のときこの遍路道は工事中だったので左の車道を歩いた。
その遍路道の取り付きは急登で息が切れたが直に高台に着いた。木が邪魔しているけれど窪津漁港が見下ろせる。「◯◯漁船が帰りました」というアナウンスにあの船だなと目で追う。
お地蔵さんと石碑にスイセンが一輪づつ手向けてあった。右側の石碑の内容はわからないけれど最後に「母」の字がある。母親が子を想う石碑ではないかと想像する。
その高台にある畑を通り過ぎると車道に下りる道となる。わずか15分ほどの遍路道だった。そして窪津小学校を通り過ぎる。しばらく海が見えない道を歩いた。
1巡目のときにはなかったヘンロ小屋。勝手に中を見学する。生活できそうなくらい最低限の設備が整っているので、助かったお遍路さんも多かろう。その証拠に壁にはびっしり納め札が貼ってある。
人も車も通らない道を歩く歩く歩く。道路脇の壁に生えた苔が日にあたって目に鮮やか。
何度か休憩して、とうとう足摺岬エリアに入った。
つづく