河童橋をくぐって梓川の右岸を歩く。

ほどなく岳沢湿原に出る。曇りだしたので水面が青く映らない。残念。

左)ハシリドコロ(毒を持つ。食べると錯乱して走り回ることから名前がついた)
右)ネコノメソウ
降りれそうな所を探して、また私は梓川のほとりに立った。とうとうと流れる雪解け水に、遠く槍沢に思いを馳せる。冷たい風に吹かれながら上流に向かって歩く。目に鮮やかなケショウヤナギに入り込んだりして戯れた。整備されていない自然のなかに分け入る心地よさはこの上なく楽しかった。
もうこれ以上いくと右岸に上がれなくなるぞと夫がいうので、小さな流れを飛び越え右岸に上がった。楽しかった分だけ散策路までのヤブコギ20m強いられた。笹をかきわけかきわけ散策路に出たときハイカーの異様な目。クマが出たと思われたようだった。
ほどなく明神に出る。
北アルプスの総鎮守である穂高神社奥宮に参詣。大げさなようだが生かされていることに深く一礼。

ここでの結婚式に招待されたら喜んでお祝いに来るだろう。しかしそんな招待があるはずもないことは悲しいくらいわかる。生まれ変わってまた結婚することがあるならば、ここで結婚式を挙げたい。そんなことを考えながら案内板をじっと見つめた。
ここですでに3:15。ちょっと寄り道しすぎた。4時までに徳沢園に入るようにいわれていたのでペースを上げて歩く。

登山道の両脇のニリンソウは、見頃にはちょっと早かった。これが目的だっただけに残念に思った。
4時を少し回って徳沢園に到着。夏のような賑はなく、長い冬がようやく終わったという感じを受けた。
時は昭和31年、新聞に連載された井上靖の『氷壁』が人気となり、登山ブームが始まったといわれています。その小説の舞台となったのがここ徳沢で、井上靖は徳沢園を常宿にしてたようです。

朝食は7時なので夕食のみの宿泊をお願いする。ここは2010年10月PM6:30にヘロヘロで飛び込みんだ苦い経験がある。今思えば、真っ暗な道をひとりで歩いてきた女を宿は断れるはずがない。あの頃の私は、山の怖さも知らず無謀な一面があった。

ステーキに岩魚の塩焼き。山の食事にしては豪華なのがここの売り。山菜そばもつきお腹は充分満たされました。風格ある建物に夫も満足してくれ、来てよかったと思った晩でした。
私が番宣するのも可笑しな話ですが、徳沢園のブログでこんなの見つけました。
どこの山に登るのかな?
つづく
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜



