1月の連休明け、ひどい風邪をひきました。
耳鼻科では、鼻と喉が炎症を起こしているという診断でした。思い当たることは、友達の死で号泣したこと。そういえば目も鼻も喉も痛くなるほど泣いたっけ・・・。
咳とクシャミと止めどもなく出る鼻水。夫に伝染るといけないので、鼻に栓をしてマスクをして隔離部屋に閉じこもってました。
その鼻栓ですが、クシャミが余りにも大きいものだから 空気鉄砲のコルク玉のごとくポンと勢いよくマスクの中に発射、それも同時に2発です。おかしいやら情けないやら、 日がな一日鼻水と格闘していました。悶々として安静どころでなかったです。
薬を飲む度に、今度こそ少しは楽になるかな~?と祈る思いでしたが、そんなに甘いものではありませんでした。ずいぶん苦しみました。
号泣が原因(葬式自体が風邪のウイルスがウヨウヨ)であるかよくわかりませんが、よりにも寄ってメデタイとされる自分の誕生日に、鼻栓をして家庭内別居だなんて 、なんとも情けないことでした。
美濃忠の栗入りぜんざい
体を温めなさいと夫からのプレゼント(お見舞い)は「栗入りぜんざい」。これは大好物。ふ~ふ~しながら誕生日を祝いました。
私の風邪が最高潮のころ、先に書いたように妹が子宮+卵巣摘出手術を受けました。付き添ってやりたかったけれど、私がこんな状態では接触を避けなければいけません。
「私は大丈夫。お姉ちゃん風邪大事にね」とオペ前の妹からメールをもらうなんて考えてもみないことでした。 不安で泣いているに違いないと思うと、姉として 心が痛みました。「少し怖いだけだから頑張るのよ」と返信しました。病人が病人を見舞うという体験はそうあることでなく、貴重であったと思います。
妹は私が見舞った翌々日の1/30に予定より1日早く 元気に退院しました。
その代わり、夫に私の風邪が伝染りゴホンゴホンとやりだしました。
せっかく家庭内別居してたのに。何より今回の病気は、おもいやりのこころも伝染るものでした。
宮沢賢治は「雨ニモマケズ」で「そういうものに私はなりたい」と結んでます。
丈夫なからだをもち/慾はなく/決して怒らず/いつも静かに笑っている
・・・・褒められもせず/苦にもされず/そういうものにわたしはなりたい
賢治が言う「そういうもの」に私もなりたいと常々思っています。
本来ブログに書くようなことでないことを時系列でダラダラと書きましたが、書くことによって少しは自分の癖が見えてきたような気がします。まだまだそれを言葉に出来ないもどかしさはありますが・・・。
気がつけば1月も今日で終わりです。
これにて寒中お見舞いシリーズはお終いです。どうかご自愛ください。[E:happy01]
「雨ニモマケズ」
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい