源平と西行

NHK大河ドラマ『平清盛』の話です。

 

学校の歴史の授業では、あっという間に清盛→頼朝に時代は変わっていった記憶。
古典の授業でも『平家物語』を習ったけれど覚えているのは、暗記させられた『祇園精舎の鐘の声・・・おごれる人も久しからず・・・・偏に風の前の塵に同じ』と、先生が熱く語った『安徳天皇と平時子が入水する場面』くらい。そういえば『義経の八艘飛び』も記憶があるようなないような。真面目に授業を受けていなかったので、平家のことは私にはこの程度の断片的な知識だけしかない。

 

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なので、四国をお遍路するまで、下関以外にも壇ノ浦の戦いがあったことを知らなかった。屋島寺を降りると古戦場あとがいくつもあった。説明書きを読んでも歴史オンチの私には全くわからなかったけれど、歴史好きにはたまらない場所であることはわかった。

上の写真は2巡目の車遍路での屋島寺からの景色で、対峙する山は次の札所の五剣山=八栗寺。車遍路のとき、庵治にある『舟かくし』という宿で泊まった。舟を隠して源氏を待ち伏せしたという場所ではないだろうか。

 

 

さて、勉強を兼ねて見始めた『平清盛』。何回目かのとき、見ていてアレ?と思った人物が。それは佐藤義清(のりきよ)。のちの西行ではないかとピンときた。(役者がイケメンすぎ・・・?)確認のため白洲正子著『西行』を走り読みしたらやっぱりそうだった。

  ・・・西行は俗名を佐藤義清といった。ついでのことにいっておくと、

            僧名は円位で、西行は号である・・・白洲正子著『西行』より抜粋

 

 

大河ドラマ挿入歌の『今様』を白洲正子著『西行』に見つけた。正子の着眼点はさすがだと思った。ドラマで清盛の実母舞子が歌ったのが気に入って、最近では私も口ずさむほど。 

     遊びをせんとや生まれけむ
       戯れせんとや生まれけん
         遊ぶ子どもの声聞けば
           我が身さへこそゆるがるれ

 

 

何年か前に吉野へ行った時、西行庵がある奥千本を訪ねた。世俗を離れ数年間篭ったというその場に立って、少しでも西行に近づきたかったのだ。でも何も理解できず漠然としたままであった。大河ドラマで大いに西行像をふくらませたい。

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西行の出家の原因と言われている『待賢門院璋子』がああいう?女性だったことを大河ドラマで大きく取り上げている。悪女璋子のようだが、悪いのはそのように仕立てた白河院だ。鳥羽上皇が気の毒で仕方がない。学校では習わなかったことをこのドラマは教えてくれる。

 

四国で知った『崇徳院』も大河ドラマに出ているので、この先の展開が待ち遠しい。西行が讃岐に赴くところまでの映像を期待したい。

 

 

『源義朝』は知多をお遍路したとき勉強した。平治の乱で敗れた義朝は知多郡美浜町に逃げたが長田父子に湯殿で殺害された。大御堂寺(おおみどうじ)に義朝の墓があった。

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知多には義朝の首を洗ったという血の池があり、四国の屋島寺には平氏の血を洗った血の池があった。私はお遍路を通して、源平の血を洗ったといわれる池をそれぞれ見たことから、おのずと源平の戦いが興味深くなっていった。

 

学校でさらっと勉強したことが基となって、自分の足で見て回った場所が今こうして線で繋がっていくことは思わぬ楽しい。

 

西行の足跡を辿った芭蕉のような旅をしてみたいものだが、それは無理なので、大河ドラマ『平清盛』を大いに期待している。

    ♪遊びをせんとや生まれけむ ♪戯れせんとや生まれけん