平成23年12月4日(日)[E:sun]/[E:mist]
白洲正子著『かくれ里』を読んで以来ずっと気になっている『阿留辺畿夜宇我あるべきようわ』という7文字。今回は、その言葉を遺した明恵上人(みょうえしょうにん)の居住跡と伝えられている石水院(高山寺)を訪れます。友達二人と私の三人旅です。
名古屋駅7:12発の新幹線に乗り京都駅7:59着。駅前から8:30発のJRバスに乗車。
高雄フリー乗車券・・・・栂ノ尾~北野の間は乗り降り自由で、高雄をまわるにはとても便利ということで駅前で仕入れました。乗り場もすぐとなりでウロウロすることありません。
京の街を縫うようにバスは進み、小一時間で高雄三尾の最奥である栂ノ尾(とがのお)高山寺に着きました。
ぐるっと回って表参道から入ろうかと思っていましたが、バスを降りたところから見る裏参道の散り紅葉(写真)の景色に惹かれ裏参道を行きました。
石水院(国宝)の門をくぐるとまた別料金で拝観料600円が要ります。高山寺拝観料500円と合わせるとちょっと高いなと思いましたが、ここまで来て600円をケチる訳にはいきません。もちろん600円奮発しました。
蔀戸(しとみど)を吊り上げて内外の境界をあいまいにしたその空間は、簡素ながらもすばらしい佇まいを感じさせます。この蔀戸は本当に機能的で大好きです。
屋久杉と聞いている床は鎌倉時代そのままのものなのでしょうか古さを感じます。この廂(ひさし)の間に入れるものだと勝手に思っていた私は立入禁止にちょっとがっかり。廂の間の右側の広縁を歩いて向こう側に行きます。
明恵が敬愛した善財童子が廂の間に置かれています。『夢の記』に出てくる善財童子はこれなのだと思いました。明恵は19歳~40年間夢の記録をしたといいます。夢の続きを見ることもできたという話は興味深いです。
『日出でて、まず照らす高山の寺』は長押上にありました。後鳥羽上皇から勅額『日出先照高山之寺』を賜ったので明恵が寺号を高山寺と改めたそうです。(元は神護寺の別院)
そして床の間には『明恵上人樹上座禅像』。その右側には明恵自筆といわれている『阿留辺畿夜宇我あるべきようわ』の掛板。まさに明恵ワールド。ファンとしてはたまらないものばかりでした。
『阿留辺畿夜宇我』・・・・・「あるべきやうに」生きるというのではなく、時により事により、その時その場において「あるべきやうは何か」という問いかけを行ない、その答えを生きようとする・・・・(河合隼雄著『明恵 夢を生きる』より抜粋)
一見簡単なことのように思えるのですが、改めて自分を省みたとき、私はこういう生き方をしてこなかったことに気づきます。
どんな人間でも、教えに出会わなければ、そんなものがあることさえわからない。・・・・教えさえすれば、正しい話しを聞けば自然に正しい物の見方ができるようになる・・・・と言い残した明恵の言葉はまったくその通りだと思います。実際に『阿留辺畿夜宇我』を見て、正しい話を聞いた気になったものです。
[E:fullmoon]あかあかや あかあかあかや あかあかや
[E:moon1]あかあかあかや あかあかや月 明恵上人御歌
この部屋から月を眺め あかあかや・・・と詠んだのでしょうか。私は縁側から外の景色を眺め空想にふけりました。その景色を撮ることを忘れたのですが、今になって思えば、明恵が見たその景色に没入(本当はぼ~っと)していたのだと思います。実に私好みの景色だったことを付け加えておきます。
明恵上人がいつも手元に置きかわいがっていた犬(木彫狗児:国宝)はガラスケースに入れられていました。運慶作と書かれていますから今ではガラスケースに入れられてしまうのですね。ちょっと可哀想でもありますね。
この犬のレプリカがお土産として売られていることを以前あるネットで見たので、私はずっと欲しいと思っていたのですが、受付で尋ねてみると今はもう扱っていないとか。残念でした。
ガラスケースの説明書きに「・・・愛玩したいとは志賀直哉の弁」と書かれているぐらいですから、私が欲しくなるのも無理ないことだと妙に納得しました。
鳥獣人物戯画(模写)も展示されていました。本物は東京と京都の博物館に2巻ずつあるそうです。これと明恵との関係性は知らないのですが、ここ高山寺には国宝や重要文化財が一万点余もあるそうです。
犬のレプリカの代わりに鳥獣人物戯画の手ぬぐいを買って我慢しました。
去りがたく石水院を出ると、小雨というには足らない細かい雨が降ってきました。先ほどまで晴天だったのに不思議な現象でした。友達二人は下りていくというので、私ひとりで山中を見学しました。
栂ノ尾は日本で始めてお茶が作られた場所で歴史は宇治より古いそうです。その茶園がありましたが特に興味はなく通過します。
さらに登って行くと・・・・
明恵の御廟がありましたが近くまでは行けないようになっています。私ひとりだったので「ファンです」と告白してきました。当時からそんな女子衆はワンサカいたそうです。モテタと思います。でもタラシではなかったようです。
御廟前の石碑『阿留辺畿夜宇我』は新しいものでした。
さらに登って一番高い所に金堂がありました。御室仁和寺から移築したものだそうです。ここに国宝の薬師如来坐像があるのでしょうか。薬師如来のご真言は諳んじることができます。おんころころせんだりまとわぎそわか。3回唱えてきました。
金堂から表参道を下って行く道は、誰もおらず静かでいいものでした。嵯峨野あたりはワンサカ人だかりのはず。私はひとり静かに京都の行く秋を楽しみました。
途中、樹林の間から石水院が見えました。それは『明恵上人樹上座禅像』を思い浮かべる景色です。
『明恵上人樹上座禅像』は、明恵が山中でひとり修行している姿を弟子に描かせたもので、この絵の上に書かれた字は明恵の自筆だそうです。撮影禁止でなかったので撮りましたが迫力を感じます。目を閉じた明恵の顔は物静かでありながらも強靭な生き様が伝わり、私はそこが魅せられます。
私なりに解した明恵をたっぷり味わって、高山寺を表参道から出て友達と合流しました。
ここからバスに乗って西明寺へ向かいます。 つづく
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