一向に止まらない余震と悲惨な原発問題。
そんな東北を日本中、いや世界中が応援しています。
ボランティアに行く人、支援物資を届ける人、炊き出しに行く人、慰問に行く人・・・・。
この1ヶ月余、私は何ができたのかと考えたとき、日本人として何もできないことが恥ずかしく残念な気持ちでいます。
今の私にもできること、せめてもと義援金を送りました。
しかし義援金を送ったからといっても、被災者や被災現場がニュースで放映されるたび、やはりいたたまれなくなります。
あるときこんなことを考えました。
名古屋にいて役立つ事はないだろうか?
そうだ!被災した子どもをホームステイさせたい・・・と思いました。
しかし、そう思うだけでなかなか行動に移せない私です。これもダメか・・・です。
話は遡りますが、今冬も愛知県に静養に来ている東北の友達S子(←をクリックしてください)と1月末に『なばなの里』へ遊びに行きました。
3月に入って今度はどこへ行こうか?なんて言っていた矢先のこと。あの大震災が起こりました。
彼女は家族と連絡がとれず消息がわかるまで心を痛めました。幸い家族は全員無事でしたが、現地は2日の停電、水も出ない、それなりに災害を受けたようです。続く余震に家族のことを心配する彼女をどう励ましていいか言葉が見つかりませんでした。私の力は微力そのもの、いや、どうしたらいいのか思いつかず、メールも出せませんでした。
でもね。震災から1ヶ月したときふと思ったの。私にできることは、彼女に会って元気付けることだと。それならできそうです。早速、彼女がいる岡崎に慰問に行きました。
岡崎公園を散策しながら、震災の話を聞きました。
震災当日、家族5人は皆ばらばらで、消息がつかめるまで生きた心地がしなかった、
自分だけが愛知県にいたことを家族に申し訳ない気持ちになったと。
彼女の散歩コースである乙川に流れ込む支流の伊賀川に案内してもらいました。観光客もいなく素敵な桜並木でした。
本来ならもう岩手に帰っているけれど、この震災で飛行機も新幹線も不通で北上まで帰れないといいます。今すぐにでも家族の元に返りたいと思う気持ちが痛いほど伝わりました。
満開の桜吹雪のシチュエーションの中、「来てくれてありがとう」という彼女の言葉はぐっと来るものがありました。直接震災に遭わなかったけれど、心を痛めた彼女をどれだけ元気付けられたかわかりませんが、会いに行ってよかったと思いました。
先ほど彼女からメールが入りました。
[E:mail]「20日に帰ることにしました。東京まで出て、羽田から花巻空港まで飛んで、花巻まで車で迎えに来てもらいます」
どうかお願いです!東北の人を苦しめるのは、これでおしまいにしてください。そう祈る毎日です。



