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平成21年10月11日(日)[E:sun]/[E:cloud]
一夜明けたら室堂は銀世界だった。
さてこうなるとアイゼンなしで大日岳縦走できるか心配だが、とりあえず行くことにした。アイゼン代わりにと宿で縄をもらった。お守り代わりにザックにくくりつける。
7:35雷鳥荘(H2432)出発。
まずは、雷鳥沢テント場(H2270)まで降る。これが滑りそうで意外と怖い。もらった縄をすぐに巻けばよかったが今さら面倒でそのまま歩く。
20分かけてテント場に降りる↑。雪上でのテント泊はさぞ寒かっただろう。
8:00称名川(H2260)を渡る↑。 しばらく称名川右岸沿いを歩きのち登る。
ナナカマドは実だけが残り雪が被る。
称名川を渡ってから30分ほど登ると新室堂乗越(H2370雷鳥荘と同じ)に着く。8:30だった。
振り向くと室堂が↓、行く先は大日岳縦走路が↘一望できた。他の登山客はさっさと行ってしまうが我々は景色に見惚れ15分ほど休憩する。
右写真↗の1番右側はH2611。奥大日岳はその奥。
しばらく歩くと右手奥に剱岳が見えた↑。急峻な稜線には絶えず雲が絡み付いている。とてもいい縦走路で気分よく歩く。
さらに1時間ほど歩くと、称名川が弥陀ヶ原台地を深く削ったといわれるV字型を見ることができた。はかり知れない年月は経っているが、水の力が見て取れる。いい景色だ。しばらく立ち止まって見ていた。左が弥陀ヶ原で右が大日岳。その間を称名川が流れる。
先ほどまで真っ白な大日岳だったが、それは北側だけで南側はまだ雪はついていない。
H2511あたりから、遠くに↑今日の目的地である大日小屋が見えた。あぁ、あそこまで行くんだ。この稜線を辿って行くのだと思うと嬉しくて仕方がなかった。
池塘が多く、どれも氷っていた。平成19年8月上旬に訪れたときはこのあたり一面お花が咲き乱れていたところだ。
2611(↑左端)から降ってくるとき雷鳥を見た。だらだらと降って奥大日岳への分岐に着いた。(北側は雪で白い)
11:00、2度目(前回はここ)の奥大日岳(H2605)に登頂↑。このころになるとガスが出て北側(剱岳方面)は何も見えなかった。残念。それでも30分ほど休憩する。
11:25 この↑稜線を辿って歩き出す。真っ白で大丈夫かなと思いきや・・・・・
稜線はこんな感じ↑だった。奥大日岳を過ぎると登山客は激減した。静かでよかった。一度大きく降って先に見えるH2400まで登り返す。
谷に降りると雪が深く寒かった。はしごは凍りつきその上に雪が被る。慎重に降りた。このあたりで大日岳からの登山客ふたりと行き交う。
12:35 H2400まで岩をよじ登る。女Aが登るのを待ちながら樹氷を眺める。
12:40 H2400に着き小休止。チングルマは今に雪を被り越冬する。
12:55 まずは左の山(中大日岳H2500)↑を目指して登っていく。
来た道を振り返る↑。稜線が一望できた。
1:24七福園(H2480)を振り返る。大岩ごろごろ↑だった。
中大日岳を登り、しばらく降りていくと大日小屋(H2430)に出た。1:40だった。
左が宿泊棟で右が食堂。
小屋の食堂にはストーブが焚かれ暖かい。昼ごはんを食べながら休憩する。
3:00ころ大日岳に登る。小屋から少し降りてから登る。片道15分ほど。だから空身で。
頂上近くで雷鳥3羽と出会う。どうも今年生まれた姉妹たちのようだった。警戒心はそんなに強くないがときどきこちらを気にするしぐさをする。よく観察するとお腹から白く冬毛になっている。右写真↗を拡大して見ると足も毛がはえている。チングルマの葉が餌なのかひっきりなしについばんでいた。今に真っ白になって厳しい冬を越す。
大日岳頂上(H2501)からの展望はゼロだった。また明日登ることにしよう。
大日岳から大日小屋を見る↗。よくもまぁ、こんなところに建てたものだと思った。
明日で小屋閉めだそうだ。
夕食後、食堂のストーブに当っていたら猛烈に眠くなってきた。夕食後、ギター演奏があると聞いたが待てず7時半ごろ寝床に行く。冷たい布団だったが睡魔のお陰であっという間に眠れた。が、夜中に窓の結露なのか水滴が2回も額に当って目が覚める。とにかく寒い夜だった。
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平均上昇率(1分あたり) 5m
垂直上昇高度の合計 760m
平均下降率(1分あたり) 5m
垂直下降高度の合計 710m
上昇/下降の回数 4回
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