平成21年8月23日(日)[E:sun]
4時をまわった頃に起床。
さっと支度をして人をかきわけかきわけ5時の朝食の列に並ぶ。運よく1回目の朝食にありつく。
「昨日到着してからどっと疲れが増した。今日下山できるだろうか心配で眠れなかった」と、もりもりご飯を食べながら話す仲間A。あのイビキは何だったんだろう??? ともあれ食欲があれば大丈夫。よかったと胸をなでおろす。
絶対者的存在の穂高連峰。その背後から太陽が昇ろうとしている。今日という日が始まる儀式に立ち会う。宇宙の神聖なる儀式だ。
笠ヶ岳に5時アタック開始。(本当は昨日登る予定だった)
今日はとにかくペースを落とすことを心がけた。
慎重に登り仲間A・Bと共に笠ヶ岳のピークを踏んだ。小さくバンザイする。そして遠くの槍に向かって「昨日はお騒がせしました[E:scissors]」とサインを送る。槍は「愚か者よ」と言ってそうだ。
360度展望がきく素晴らしいピークだった。
燕岳も遠望できたし↑
昨年、A・Bと縦走した立山~薬師岳↑も手に取るようだった。
南アルプス越しに、かすかだが富士山↑も遠望できた。
名残惜しいけれど下山しようとしたときのことだった。
播隆平↑がスポットライトを浴びたように一瞬明るくなった。
あぁ、なんという綺麗なことよ。美しい光景に息を呑んだ。
1823年播隆(ばんりゅう)上人は笠ヶ岳を登拝している。そのとき槍を望み、槍ヶ岳開山を決意したといわれている。播隆平と名前がついているのだからあの池のほとりにも降りているはずだ。
私がその槍ヶ岳に初登頂したのは偶然にも播隆祭の日だった。そんな理由から、今回時間があれば播隆平に寄ってみたいと思っていた。この光明射す播隆平を見たということは、「ここへ来るがよい」という播隆からの暗示のような気がした。よくある光景なのだろうか。神秘的だった。
自分なりに満足して山荘に戻る。
小屋の向こうは小笠↑。登れないことはないが登る人は少ないらしい。
気温5℃。指先が冷たいはずだった。
山荘の窓ガラスに映る穂高もまた格別。
さて山荘ともお別れ。ザックを担ぎ6:30下山開始。
昨日ふらふらになって登った道をいとも簡単に降っていく。
サヨナラだなんて・・・・本当はまだ降りたくないんだよ。
順調にずんずん降る。
過酷な環境に咲くチングルマ(果穂)。これは草でなく木です。バラ科です。
早朝、光明が射していた播隆平↑。ルートはうっすらだがある。あの緑の笠(小山)も登れるらしい。いずれも一般ルートでない。今回は時間がないので諦める。遠くに乗鞍岳、御岳まで見える。
↑名残惜しく笠ヶ岳を振り返る。
アップダウンを繰り返し進む。
また、笠ヶ岳を振り返る。だんだん小さくなっていく笠。
折戸岩を抜け、また登る。快適な稜線歩きだった。
↑左手には黒部五郎岳があった。いつの日か、あの頂に立ちたいと思っている。
(山の名前記載あり。写真をクリックして、さらにクリックして楽しんでみてください。
山に興味のない方は、お花の写真を大きくしてみては・・・・)
折戸岳から望遠で槍を写してみる。写りはイマイチでもルートまでわかり興味がわく。
この先、弓折岳までの稜線を楽しむ予定だったが、体調が心配なので笠新道を下山することにした。
8:30笠に別れを告げ、杓子平に降りる。
アキノキリンソウ ミヤマホツツジ
ハクサンボウフウ タテヤマリンドウ
杓子平でお湯を沸かし花を愛でながらコーヒータイム。
7月の終わりごろの杓子平は素晴らしいお花畑だろうと想像した。
10:30杓子平(H2450)から樹林帯に入り、笠新道登山口(H1350)まで嫌になるほど降った。
笠新道登山口2:30着。もう2度と笠新道には入るまいと思った。
「どんなゆっくりでも、登り切ることさえできれば健脚だとガイドブックに書いてあった」とAのたまう。
「ちょっとぉ!ゆっくりとふらふらは違うんじゃない?」と言いたいのをぐっと堪えた。私もこういう年寄りなっていくのかな・・・。
新穂高まで1時間、ゆるやかな林道を惰性に任せタッタカタッタカ降っていった。
中高年の無謀な登山多発と叫ばれているなか無事終わってよかった。
その後、まだAから連絡がない。寝込んでいないかちょっと心配でもある。
ぼやき山行おしまい[E:paper]






























