穂高連峰の西に位置する笠ヶ岳(標高2897m)に登りました。
参考: 2万5千分1の地形図(国土地理院)
その名の通り、山容は笠の型をなしており、頂上は他県と分けることのない生粋の岐阜県の山です。
JR高山駅からは、新穂高温泉行きのバスに乗ります。1時間半ほどゆられ終点の山すそまで行くのです。今回は前泊して翌朝から歩き始めました。
健脚コース「笠新道」に挑む旅のはじまりはじまり。
平成21年8月22日(土)[E:sun]

6:00新穂高温泉バスターミナル(標高1100m)で登山届けを出し、蒲田川に沿って左俣谷を行く。歩くこと1時間、笠新道登山口(標高1350m)に着いた。
ここから標高2750mの稜線まで、標高差1400mをひたすら登ることになる。7:00覚悟して笠新道に入っていった。
樹林帯を延々と登ること3時間半、振り向くと素晴らしい展望になった。
槍が岳から西穂高、さらに焼岳、乗鞍まで一望。山襞まで見て取れる。惚れ惚れする景色だった。
急登続きの笠新道をクリアーするには、極遅だが標高200m/1時間のペースをコンスタントに保つことが大切だと考えていた。ゆっくり上がればいずれ着く。極端に疲れることなく7時間半で稜線に出られる・・・と思っていた。
そうはいかなかった。
標高2000頃から仲間Aは、標高200m/1時間を切るほどペースダウン。立ち止まることが多くなった。これがアクシデントの始まりだった。
まずいなと思った。私は下山を考え始めた。
何気なく「降りましょうか・・・」と言ってみた。が、Aは「2450の杓子平に行って考える」という。降りるなら一刻も早いほうがいいと思ったのだが・・・・Aの様子を気にしながら樹林帯をさらに登っていった。
杓子平↑に着いたのは、予定を大幅に過ぎた1:15だった。
稜線まであと300。そこから笠ヶ岳山荘まで2時間、山荘着6時になると予想した私は、今一度、Aに下山を勧めた。
が、頑固にも「大丈夫。そんなに遅くならない」とのたまう。
Aの体調回復を信じて、付かず離れずで稜線に向かった。
何がそこまでさせるのか。無謀という感が拭えず私は不安だった。
背後には常に穂高があった。登山客のドラマを穂高は数知れず見ているのだろう。教えを請うような気持ちで私は穂高と対峙していた。
標高差300mの赤線ルートを2時間半かけて、ようやく稜線に出た。
稜線のはるか先、笠ヶ岳に向かってアップダウン↑を繰り返す。
とにかく行くしかない。天候が崩れないことを祈った。
標高2750の稜線に咲く↑チシマギキョウ。なぜ、こんな過酷な場所を住処に選んだ?と問うてみる。
ガスってきた。西からの冷たい風も不気味だ。とんでもない事になりやしないかと不安が募る。
山荘までの中間地点、抜戸岩まで来た↑。あと半分だと自分を励ます。
後にも先にも登山客がいない稜線を歩いた。
テント場が目に入ったとき、これで遭難は免れたと思った。何十回目かの小休止。最後の水をAに差し出す。
テント場を過ぎてからの最後の登り↑。2~3歩進んでは立ち止まる。Aはふらふらだった。
頑固にも登ることを選んだ人間の業の深さを垣間見た思いだった。山をやるものとして下山すべきかを判断することの難しさを考える。自問自答するも堂々巡り。
山荘にたどり着いたのは、新穂高から12時間たった午後6時だった。
体力を過信した無謀な山行だったにも関わらず、我々は無事到着できた。詫びる思いで笠ヶ岳を見上げた。
今夏一番の宿泊客で超満員の山荘だった。(布団1枚に2人)
夕飯は最終の7:30。Aは食事ができないほど疲れきっていた。なのに私は安堵感からぱくぱくと食がすすむ。ちょっと気まずい夕食だった。
疲労で大いびきのAだった。寝られやしなかった。私は布団を抜け出し廊下で寝た。たくましくなったものだと我ながら驚く。ぼやきながら眠りに落ちていった。














