2008高知(37)

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平成20年4月29日(月)

気がついたら夫はもう起きてごそごそやっていた。5時を少しまわっていたので私も起きる。
部屋中に干した洗濯物をたたむ。そして荷物をコンパクトにザックに詰めていく。
お遍路の一日は、こんなふうに始まっていく。

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朝食時間は6時。女将さんのご好意で予定より30分早くしてもらえた。
今遍路で初めてちゃんとした朝食を頂く。
心のこもった品揃え。これを早立ちで断わっていたらもったいない話だ。
私はお四国にのんびりしに来ているのに、昨日もその前も宿での朝食を断りせかせか歩いた。
何をそんなに急ぐことがあったのだろうとこの食事を見て思った。
こうやってゆったり朝食を頂けば、自ずと今日も頑張って歩こうという気になるものだ。
こういう暗示は私なぞころりだ。これからはゆったり朝食を摂ろう、そうするべきだと思った。

 

柳屋旅館の前にある別格大善寺に参拝する。以前は気になりながら通過してしまった。
が、こうやって来られたのはご縁があったということか。
急な階段を登る。すると高台にある本堂までミニケーブルカーでこれるような仕組みになっていた。なるほどこれなら誰でもお参りができる。7時前なので参拝客はいない。今日も元気で歩けますようにと手をあわす。
お参りが終わったころ青森Yさんがやってきた。これはまた今日も一緒に歩きなさいというお大師さまの命か。
何故こうまで縁があるの?と思った。心とは裏腹に私は一応にこにことおはようを言った。

 

安和に出るまでのトンネルでは、やはり怖い思いをした。
Yさんは結構早く歩かれる。が、トンネル内を特に早く駆け抜けようという様子はない。
後を歩いている私は、恐怖のあまり気が急いた。だからといってもっと早く歩いてくれとも言えない。ましてや私を先に行かせてくれとも言えない。南無大師遍照金剛を唱え、お大師さまにおすがりした。

 

命縮まる思いで安和についた。私は迷わず焼坂峠越えを選ぶ。
トンネルを怖がらないYさんは国道を行くという。やれやれ。お大師さまはようやく私をひとりにしてくださった。

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焼坂峠の登りは確かにきつかった。30分ほどの登りでずいぶん汗をかいた。
途中で男性に追いついたがお先にどうぞと促され、特別言葉を交わすことなかった。

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峠からの降りはずっとなだらかだった。実に静かな道をのんびり歩いた。
昨日、正木マサ子さんに頂いた文旦を宿で剥いてすぐに食べられるようにして持ってきた。
この静かな遍路道で食べた文旦の味は格別おいしかった。
夫にも食べさせてあげたいと思った。

実は、夫は無理して歩くことを選ばず須崎駅7:16発の電車で名古屋に帰った。
夫が帰るといったので私はどうしようとこれでも悩んだ。
まず一緒に帰ったら、私のことだから途中で恩着せがましく愚痴るに違いない。
ならばここでお互い離れたほうがいらぬけんかにならぬ。
足の肉刺は私が付き添ったところで痛みが軽くなるものでもないし、夫も格好悪い姿は見られたくあるまい。
という優しさのかけらもない勝手な解釈で私はひとり残ることを選んだのだが、ひとりなって考えてみると、なんてやさしくない女だったのだろうと悔やんだりもした。

 

JR土讃線沿いに出たところで、昨日押岡ヘンロ小屋で会った神戸の男性に再会した。
しばらく話をしたが、私は先が気になり早々に話を切上げ歩き始めた。
もっとのんびり歩きたいのにそれができない自分を恨めしく感じながら歩く。それ以後、彼と会うことはできなかった。

 

国道を逸れ、導かれるように土佐久礼に入って行く。
ふと今日が友達の結婚記念日だと気づく。日常雑多なことに追われていると友達の結婚記念日など思い出すことはまずない。が、お遍路していると思わぬことがふっと頭をよぎる。
おめでとうとメールをしてみた。
「山あり谷ありだったけれど何とか30年もちました」と返信が来た。
そうか30年の区切りだったのか。こちらまで嬉しくなった。気づいてよかったと思った。

 

大坂休憩所まで6人ものお遍路さんに逢った。そのうち半分が逆打ちだった。もちろん話をする。
最初の逆打ちは定年退職後の男性で区切り。もう何巡もしているとあれこれ話してくれた。
次の人は座って休憩していた。この人とはあまり話しが続かなかった。こういうこともある。
最後は背の高い青年男性で野宿の通しだった。話が弾んだ。別れ際に七子峠がんばってとうれしいことを言ってくれた。お互いにといって別れる。真っ黒に焼けた顔に白い歯が印象的だった。

               

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以前は大坂休憩所まで迷うことなく歩いた記憶だが、今回は何回か立ち止まった。
するとどこからともなく「あっちあっち」と地元の人が現れる。お互い声を交わさなくてもジェスチャーだけで通じた。心温まる嬉しい気持ちでまた歩き出す。こんなことを繰り返した。

               

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前回歩いたのは5年前の3月上旬だった。誰に会うこともなく寒いなかを歩いた記憶だ。
七子峠取り付きまでの道が印象深いのだが今回は変わってしまっていた。
この大坂谷に高速道路が横切るというのだ。そのために現在「そえみみず遍路道」が通れない。
橋脚工事のダンプカーが何台も私の脇を通過していった。私の四国の思い出がだんだんなくなっていく寂しさを感じた。

             
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やっとのことで七子峠取り付きまで来た。ここから1キロという表示はそのまま健在だった。最後の登りはきつかったが30分ほどで下から見上げた峠に上がった。

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とにかく暑かったので峠の茶屋に飛び込みアイスクリームを買った。
ネーミング通り美味しくて、もうひとつ食べたいぐらいだった。

 

ひとりになりたいと勝手なことを言っておきながら、先を歩いているだろう青森Yさんを私はここまで実は追っていた。が、飛ばしても追いつく気配がない。
もう諦めて、軽トラに乗ったおじいさんと話しながらずいぶん休憩した。

 

七子峠から先、以前は国道を歩いたのだが遍路道があるようだ。
道しるべが見当たらないので立ち止まってうろうろしていると、先ほどの軽トラのおじいさんが遠くから「あっちあっち」と猛烈な勢いで指差している。おじいさんの優しさは遠くからでもよく伝わった。

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国道をはずれたこの遍路道は、今回とても印象に残るものだった。
分かれ道で立ち止まっていたら、またどこからか誰かが現れ「あっちあっち」と合図が来る。
私は絶えず誰かに見守られていた。

 

途中で犬と戯れ遊ぶ。彼はお腹を見せて私に完全に服従しますというしぐさをする。
いつまでも遊んでられないのでバイバイしてまもなく、おばあさんに声を掛けられた。
「あなたに差し上げたい本がある」と。
今来た道を少し戻っておばあさんの家に寄る。

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このおばあさんの手記が載っている本だった。きっと私のためになると思って勧めてくださったに違いない。ありがたく頂き納め札を渡したらこのおばあさんは藤田さんといわれたので驚いた。
この藤田さんかどうかわからないが、私の知り合いの藤田さん(男性)はこのあたりでこの藤田さんというおばあさんから1000円ものお接待を受けている。そして私も5年前にこのあたりであるおばあさんから1000円のお接待を受けている。私の場合は不覚にも当時名前を聞き忘れ顔も覚えていない。が、このあたりで1000円もの大金をお接待する人はそうはいないだろうと思う。とにかくすべてのお接待は同一人物からだと思えて仕方がない。
(この藤田さんというおばあさんから私と同じ本のお接待を受けた人のホームページに顔写真を見つけた。どうも有名のようだ)

  
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遍路道から国道に出たら影野のお雪椿だった。ヘンロ小屋ができていた。

 

突然、遠くから私の名前を呼ぶ声がした。ふりむくと青森Yさんが大声で手を振っている。
てっきり前を歩いていると思っていたので驚いた。
Yさんを追いかけることを諦めたことが再会につながったようだ。嬉しかった。
お遍路は出逢いだけでなく、このような思いもよらぬ嬉しい再会もある。あぁ会えなかったなぁと残念に思うことの方が多いだけに、再会できたときは感動すら覚える。
そこにあるからくりを自分なりに想像し楽しんだ。
思いもよらぬことが私には刺激的で楽しかった。感動するような再会を望むなら、まずは別行動をとらなければいけない・・・と思う。

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六反地あたりを歩いていたら電車が近づく音に足が止まった。立ち止まった位置が良かった。家が立ち並ぶ隙間だった。
あのこいのぼりと電車を撮りたいと瞬時にカメラを構えたら運よくおさまった。
「もっと風よ吹け!」とこいのぼりを泳がせたかったがその願いは叶わなかった。
写りはどうであれグットタイミングを大いに喜んだ。

気をよくしてスリーエフ(コンビニ)に寄ったらお接待だといってペットボトルのお茶を頂いた。
コンビニでお接待というのは私にはまだなじめなかった。

 

JR土讃線に沿ってとうとう道の駅あぐり窪川まで来た。あと3キロで37番岩本寺だ。
予定より早く着いたので30分休憩した。そうしたら観光客から500円のお接待を頂いた。
納め札を出してお礼をした。今日はいいこと尽くしだ。
もう少しでお杖を忘れそうになったが事なきを得たのもいいことだった。
どんなこともいいことに思えた。お遍路の効果が出てきた証拠だ。

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懐かしい道をたどってとうとう37番岩本寺まで来た。4時だった。
お遍路効果が出たころに区切りとは皮肉なものだ。
 

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37番で青森Yさんにまた再会した。やはりこの方とは縁があったのだ。
お互いに元気でいようと約束してお別れした。

 

宿坊のある建物で顔を洗い着替えをさせてもらいJR窪川駅に向かった。
17:29特急南風で岡山に出て、のぞみで23:21名古屋に戻った。
朝、須崎で分かれた夫が駅まで迎えに来てくれた。やさしい夫に感謝した。

次回はいつになるかわかりませんが、また是非続きを夫と歩きたいです。
と思っているのは私だけで夫はかなわんと思っているでしょうか。
次回までには、もう少しやさしい妻になっていようと思います。

では、ここまで読んでくださってどうもありがとうございました。

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