2008高知(36)

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平成20年4月28日(月)

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5時を少し回ったころ目覚める。
そっと起きたつもりだったが、夫を起こしてしまった。
「じゃあ、10時ころに戻ってくるからね」
私は夫を宿に置いて、青森Yさんとタクシーで昨日歩き終わったところに戻った。

「本当に優しいご主人ですからあなたは幸せですよ。ご主人を大事にしなければいけませんよ」とYさんが話し始めた。私の年齢でつれあいを亡くしたこと、それからの寂しい思いなど徐々に語っていく。
昨日から私たち夫婦のやりとりを見ていて、少なからず何か思い出すものがあっただろうと私の勝手な解釈だがそう感じた。
それにしてもYさんの言葉は、私への警告のようで身にしみるものがあった。

               

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余分な荷物を宿に置いてきたので順調に塚地峠にとりつく。
一服することなく峠に向かうと、箱をぶら下げて降りてくる男性に会った。
高知県の何とかいう高校の関係者だった。
「これ甲子園の壁の蔦を挿し木したものなんですよ。甲子園出場記念に、この塚地峠に88本植えようと思って」。
そんなことをしたらこの先、塚地峠が甲子園の壁のように蔦でぼうぼうになってしまわないだろうかと話を聞きながら私は心配でならなかった。

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峠で一服する。少し曇ってはいるが遠くに宇佐大橋が見えた。
1巡目のときは今にも降りそうな雨が心配で、ここからの景色はゆっくり眺めていない。
前の分までゆっくり眺めた。そしてミツバツツジで彩られた静かな道をのんびり降って行った。

もう麓だというころ、年老いた男女が何やら祀ってある大岩を掃除をされていた。
麓に住むご夫婦だった。長年こうやって掃除をしているそうでしばらく話を聞かせてもらった。
いつからのものかわからないけれど、大きな岩には弘法大師のお姿が刻まれていた。
ここでも夫婦のありかたを学ばせてもらった。

山里の景色の想いを持って麓についたが、当時とまったく変わっていてがっかりした。
それでも何かをと山を振り返ったがやはりだめだ。季節が違うだけでない。私が求める景色はそこにはなかった。

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宇佐大橋からの景色は当時見たままそこにあった。
今回は打ち戻らないので、よく見ておこうと自然と足がゆっくりになる。

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36番青龍寺に近づくと道も家も新しくなり少し迷った。が懐かしい湿地帯に出る。
湿地帯に降りた道を歩いていくと、青龍寺にもうひとつ建築中の赤い塔が見えた。
9:10納経所前に到着した。納経所のお坊さんがおっしゃるとおりに荷物を置いて長い階段を上がっていった。

参拝後、納経所の横から山道を上がり、夫が待つ宿に向かう。
車道に出たところで奥の院という案内板が目に入る。せっかくだからとまた奥の院に足が向いた。

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するとお社の前に先客が座り込んでいた。私たちを見つけどうぞどうぞとどいてくれる。
近づくとゆうに80歳を越えているだろう男性ふたりだった。お社から戻っていくとき後ずさりする体型で一歩一歩降りていかれる。それほど足がおぼつかないふたりだと見受けられた。(が、今になって思えば神様に後姿を見せないためだったように感じてならない)

私たちはそれなりにお参りを済ませ振り向くと、足がよろよろのはずの男性ふたりはもっと険しい山道に入っていく。道が違うのではと心配になって大声を掛けると、この奥に用事があるようなことを言う。導かれるようについていくと・・・

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虚空蔵菩薩が祀られていると教わる。この男性ふたりのお経は厳粛なるものだったので後ろに立って一緒にお参りさせてもらった。するとよくお参りしてくださったと褒められた。
勝手について行ってお参りさせてもらったのに、褒められてこそばゆかった。

その後、このおじいちゃんたちに話を聞かせてもらう。
おふたりは仲良しで84歳。月に一度はお参りに来るそうだ。
「あなたはNHKのお遍路のお姉ちゃんじゃないか」とも。(街道てくてく旅の四元嬢?)
足が達者だけあって、女性を喜ばすことも忘れていない元気なおじいちゃんたちだ。
「元気で行きなさいよ」。何度も何度も手を振って別れた。
もう一度奥の院に足が向いたのは、このおじいちゃんたちに導かれたのだろう。

国民宿舎土佐に戻ったのは10時を少し回っていた。
荷物を詰めなおしてから、がらんとしたロビーでアイスクリームを食べた。

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10:50重くなった荷物を担いで、初めての道「横浪スカイライン」を行く。
アップダウンがあるとか楽しくないとか聞くが、それでもこの道を行きたいと思うものがあった。

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じんばもばんばもよう踊る・・・

1時間ほど歩くと、第一休憩所なのか広いところに出た。
駐車場はがらすき。観光客はバイク仲間3人とその他数人。そこにアイスクリンを売るおばあちゃんがひとり寂しくぽつんといた。

ここであり合わせのパンでお昼にする。
この静かな岬で、突然大きな声を出すハプニングが起きる。
それまで気づかなかったトンビが急降下してきて一瞬のうちに夫のパンを奪っていった。
あっ!と思ったときには海に向かって大きく円を描いて飛んでいった。しかしすぐに我々の真上に戻ってきて、これ見よがしに今収穫したパンを飛びながら食べるという凄い技をやってのけた。
「半分食べたパンでよかった」と悔し紛れに夫は言ったが、人間の無防備さを思い知らされる出逢いだった。

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単調な道だが、降りてみたくなるほどの綺麗な浜がときどき現れる。
浜をじっと見つめる地元のおじさんに出会い話を聞く。
「今日は海が穏やかだから浜に降りて[よこめ貝]を採ってくる」と土佐弁で言う。
私は思わずどこから降りるのか聞いてみた。なるほど道はついていた。
(よこめ貝なるものをネット検索したが出てこない。土地での呼び方なのだろう)
ムール貝みたいなのか聞いてみたが違うという。まったく想像できなかった。
お米と一緒におしょうゆで炊くとおいしいといっていた。
食べてみたかったが、それよりおじさんについて浜に降りてみたかった。

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登って降って・・・・・また登って・・・・青森Yさん70歳なのに足が達者だった。

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唯一の漁港に出た。こいのぼりが見える。どうもここがみっちゃん民宿がある集落のようだ。
しばらく行くと、そこに降りていくらしい道があった。この先にはどんな生活があるのだろうかと思わせる場所だった。 

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納骨堂を見ながら登ってまた降る。どこまで来ているのかさっぱりわからないまままた登る。

誰もいない武市半平太の像があるところで休憩する。
前回歩いた横浪三里が見える。雨の中ずぶぬれで歩いたときのことを思い出す。

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アップダウンが多い道だったが、お花が退屈しのぎをしてくれた。

浦の内湾と外海が両方見えるころになると降りになった。
やれやれという思いで降っていく。

このころ夫は足が痛いといって靴を脱いで歩いていた。
どうも靴が小さいらしい。というか足がむくんだかふやけて大きくなったか。

ようやく浦の内湾の一番奥に出た。
もう平坦な道だと思いきや、もうひとつ登り坂が見えてがっかりした。

そんなとき、その登り坂の横でおいでおいでと手招きする老女が小さく見えた。
戸惑いながら近づくと「あそこが私の家だから、お茶でも飲んでいって」と、ちょっと先の立派な家を指す。お接待だった。

このおばあさんはひとり暮らしで、部屋から坂を降ってくる遍路が見えるとこうやってお接待に表まで出るらしい。
声を掛けても先を急ぐのか行ってしまう遍路が多いなど話を聞きながらお宅まで歩いた。
縁側に座らせてもらい甘くておいしいしょうが湯をもらった。

おばあさんは文旦に包丁を入れながらいろいろ話をしてくれた。
軽い脳梗塞にかかったので軽いが麻痺がある・・・・
何十年も看護婦をしていた・・・・・・
死ぬときに、あぁいい人生だと思って死にたい・・・・・
など、私の頭の1箇所に集めてあった言葉が次々出てくる。
ひょっとして! そのとき思わず立ち上がって聞いてみた。

念ずれば想いは叶うだった。辰濃和夫さんの本に登場する正木マサ子さんだったのだ。              

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私は今回ひそかにこの女性に会いたいと思ってスカイラインを来たのだが、こうも簡単に願いが叶うとは思っていなかった。だんだん気づいていくという過程が劇的だったといったら大袈裟だろうか。すっかり忘れて無になっていたことがより感動の出逢いになったことはまちがいない。

辰濃和夫さんの本の話をした。朝日新聞島俊彰記者の遍路日記の連載の話もした。
どれも私は読んでいる。だから正木さんにお会いしたかったのだと私は興奮気味で語った。

            

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辰濃さんや島さんに限らずネットでも語られる正木さんのお人柄は素敵だった。
私もいつか正木さんのように若いものをつかまえては、生きていると楽しいなんていう話ができる年寄りになりたいと思った。それが人生目標だがそこに着地することはそう簡単ではないことはわかっている。気がついたら正木さんのようになっていたというのが望みだ。

そんな考えにいたる話しで1時間15分も長居をしてしまった。
いつまでもお話していたかったがそうもいかない。
「風邪をひかないようにしなさいよ」。
4:10橋に上がる階段まで見送ってもらってお別れした。

国道23号に合流して押岡にあるヘンロ小屋でトイレを借りた。
5時になっていたので遅くなるという電話を宿に入れる。

須崎の町に入ってからも宿は遠かった。途中で夫は大きめの靴を買った。
6:45、ほうほうの体で柳屋旅館に到着する。 
青森Yさんは向かえにある別格大善寺に素泊まりだった。

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一服して夕食を頂く。朝も昼も満足な食事でなかったのでぺろっと平らげた。
NHKウォーカーズの撮影に使われた宿だと女将さんはあれこれ説明してくれる。
あるお客はこの階段で記念撮影をされたともいう。
それなりに見覚えがあるような気がするがはっきり覚えているわけでもなかった。
古いが静かで落ち着くいい宿だった。

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明日は峠をふたつ越えていく。夫の足を考えるとどうしたものかと悩む。
大きめの靴を買ったが大丈夫なのか歩いてみなければわからない。
私もやめるからここでお終いにしようと言えば夫は意地を張って無理にも歩きかねない性格だ。
私も相当苦しまなければやめる決断ができなかったお遍路での苦い過去があるだけに安易な言葉がでない。
運よく明日はJR沿線だ。タクシーだってあるじゃないか。夫の判断に任せるしかなかった。

その晩は贅沢にも二間続きの部屋でゆっくり休ませてもらった。

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