お遍路に出られないとお四国のあちこちが思い出され、余計に思いが募ります。
前回紹介した遍路記では、私は久万にまだいる。
(こんな書き方、わかってもらえるでしょうか)
久万から松山にたどり着き、その先を歩いた自分のときのこと(2003/4/30)が思い出されて仕方がありません。
「人生は路上にあり」の著書で有名な手束妙絹尼さま当時94歳(写真撮影の許可あり)
私が鎌大師に立ち寄ったのは、妙絹尼さまがここを去られるという引越しの日でした。
ご高齢で休んでおられたのにもかかわらず、きちんと身なりを整え納経をしてくださいました。
この日は妙絹尼さま94歳のお誕生日でした。
この納経がどれほど貴重なものか、今なおありがたく感じます。
あれから5年が経とうとしてます。
どこかの施設でお元気だと聞きますが、来月には99歳になられますね。
多くのお遍路さんのこころに残っている妙絹尼さまです。
現在では、もう朽ちてありませんが、妙絹尼が植えられたという大師松のかけらをこのとき頂戴した。(鎌大師のホームページに飛びます。入り口右側の大師松です)
ケースに入れて今でも大事にしている。
このとき知り合った久万に住む甲斐芳子氏(妙絹尼さまとは親しいらしい)から、参拝記念の手ぬぐいとご著書が後日送られてきました。
この女性は、あの辰濃和夫さんとも親しいらしく、辰濃さんの「歩き遍路」の取材にと私を候補にあげてくださったいきさつがある。あたりまえだが選ばれなかった。
もうひとつ、面白い話がある。
鎌大師を出てからのこと。
降り道で知り合った年配の男性から、是非息子にと縁談話をいただいた。
私は人妻だと説明するのが心苦しいほど熱心に語りはじめた。
と、感じたのだけれど、今思えばからかわれたのかしら?
縁談話はこのときだけだったが、独身だと思われることが多かった。
夫をほったらかして、お遍路に来れるはずがない、という考えからのようだった。
説明が面倒だった記憶が残っている。
お遍路中は、こんな出逢いがたくさんあって楽しかった。